セキチクシティのサファリパークでミニリュウと出会ってから数日後。
ナツキとヒノアラシは、カントー地方南部の海を進んでいた。
目指しているのは、海上に浮かぶ2つの島――ふたごじま。
島の内部には広大な洞窟が存在し、冷たい地下水が複雑な水路を作っている。陸上から入れる部分だけでなく、水を渡らなければ到達できない場所も多く、これまで調査してきたトキワの森やおつきみやまとはまた違った環境だった。
「見えてきた」
小型の船から前方を見ていたナツキが呟く。
海の向こうに、2つの大きな島影が浮かんでいる。
海風を受けながら、ヒノアラシも船の端から顔を出した。
「ヒノ……」
「怖い?」
「ヒノ」
ヒノアラシはすぐ船の中央へ戻った。
「だから海に落としたりしないって」
「ヒノォ」
相変わらず水は苦手らしい。
ナツキは笑いながら、膝の上に置いていたフィールドノートを開く。
事前に調べたふたごじまの情報を確認する。
洞窟内部ではパウワウやジュゴンなど、冷たい水を好むポケモンが確認されている。
ズバットやゴルバットのような洞窟性のポケモンもいる。
水中にはシェルダーなどが暮らしている場所もあるらしい。
そして。
ある1匹のポケモンについての噂もあった。
ナツキはその部分で指を止める。
「……フリーザー」
「ヒノ?」
「なんでもない」
伝説のポケモン、フリーザー。
雪山で遭難した人間の前に現れる。
巨大な翼で冷気を操る。
その姿を目撃すること自体が非常に珍しい。
ふたごじまで姿を見たという話はある。
だが、確実に出会えるような相手ではない。
ナツキもそれを目的に来たわけではなかった。
「今日は洞窟内の水辺を中心に調査するぞ」
「ヒノ」
「フリーザーに会えたら、それは……まあ、とんでもなく運が良かったってことで」
「ヒノ?」
「だから探し回らない」
ナツキはノートを閉じた。
ほどなくして船が島へ到着する。
岩場へ降りた瞬間、潮の匂いと冷たい空気が混ざった風が吹き抜けた。
「思ったより涼しいな」
「ヒノ」
ヒノアラシはむしろちょうどいいようで、少し元気を取り戻している。
洞窟の入口は、海に削られた巨大な岩の裂け目のようだった。
内部からは冷たい風が流れ出している。
ナツキは入口の前でフィールドノートを取り出した。
『カントー地方・ふたごじま』
『午前9時41分』
『天候・晴れ』
『島内部の洞窟および地下水域を調査』
『外気と比較して洞窟内部から流れ出す空気は明らかに低温』
そして今日の目的を書く。
『低温環境、水辺を利用するポケモンの生態を観察する』
少し迷った後。
一番下へ小さく。
『フリーザーの目撃情報あり。ただし積極的な探索は行わない』
と書いた。
「よし」
「ヒノ!」
「行こう」
2人は洞窟へ足を踏み入れた。
最初のうちは、おつきみやまによく似ていた。
岩の壁。
濡れた地面。
天井から落ちる水滴。
しかし、数十m進んだところで違いがはっきりしてきた。
「水が多いな」
洞窟の下を川のように水が流れている。
透明度は高い。
底の岩が見えるほど澄んでいる。
ナツキは手を入れようとして、途中で止めた。
「……いや」
温度計を取り出す。
直接手で確認するより、こちらの方がいい。
水へ先端を入れる。
数十秒。
「冷たいわけだ」
外の海水よりかなり温度が低い。
『洞窟内部を流れる水は低温』
『地下水、あるいは洞窟内部で冷却されている可能性』
記録をしていると。
「ヒノ」
ヒノアラシが水辺を見る。
「何かいた?」
小さな波紋。
ナツキは静かにしゃがむ。
水面から白い頭が現れた。
「パウ?」
「パウワウ」
丸い頭。
白い体。
額から伸びる短い角。
パウワウは水面から鼻先だけを出し、何度か息をした。
「ヒノ……」
ヒノアラシが興味深そうに近づこうとする。
「待って」
ナツキはヒノアラシの前へ腕を出した。
パウワウはこちらにまだ気づいていない。
「ここから見よう」
2人はその場へ座る。
パウワウはしばらく水面に浮かんでいたが、やがて潜った。
水中では陸上から想像できないほど素早い。
白い体が滑るように水中を進む。
岩の隙間へ入った。
「何してる?」
しばらくして出てくる。
口に何かを咥えていた。
小さな貝のようなもの。
岩へぶつける。
コン。
もう一度。
コン。
「殻を割ってる?」
3回ほど岩へ当てる。
やがて殻が割れ、中身を食べ始めた。
『パウワウ1匹』
『水中の岩場から貝類と思われるものを採取』
『岩へ複数回打ちつけ、殻を破壊した後に摂食』
「道具じゃないけど、周りにある岩をちゃんと利用してるんだな」
ナツキは嬉しそうに書き込む。
ただ捕まえてバトルをしているだけでは、まず見ることのない行動だ。
やがてパウワウがこちらを見る。
「パウ?」
気づかれた。
ナツキは動かない。
パウワウもしばらくこちらを見ていた。
しかし。
「ヒノ」
ヒノアラシが小さく鳴いた瞬間。
パウワウは水へ潜った。
「あ」
白い影がそのまま洞窟の奥へ消えていく。
「まあ、十分見られたか」
「ヒノ」
「お前のせいじゃないよ」
ヒノアラシの頭を撫でる。
さらに奥へ進む。
洞窟は上下にも複雑に広がっていた。
階段のような岩場を下りる場所。
細い通路。
水路に挟まれた小さな足場。
ナツキは歩きながら簡単な地図を作っていく。
「迷ったら洒落にならないからな」
「ヒノ」
「今通ったところ覚えてる?」
「ヒノ!」
「頼もしい」
少し進んだところで、また別の鳴き声が聞こえた。
「ジュゴォ」
低い声。
ナツキが岩陰から覗く。
今度はパウワウより大きい。
白く滑らかな体。
頭には角。
尾びれも大きい。
「ジュゴン」
2匹。
水辺の岩場で横になっている。
「ヒノ」
「静かに」
ジュゴンのうち1匹は完全に目を閉じている。
もう1匹は時々頭を上げ、周囲を確認していた。
「片方だけ起きてる?」
数分観察する。
起きていた個体が寝る。
すると今度は、それまで眠っていた個体が頭を上げた。
「……交代?」
偶然かもしれない。
さらに待つ。
しばらくすると、もう一度同じような変化が起きた。
『ジュゴン2匹』
『岩場で休息』
『一方が睡眠中、もう一方は定期的に頭を上げ周辺を確認』
『一定時間後、役割を交代しているように見える』
『見張り行動の可能性』
ナツキは書きながら小さく笑った。
「ちゃんと周りを警戒しながら休むんだな」
「ヒノ」
「2匹だからできるのかも」
群れで暮らすこと。
1匹で暮らすこと。
それぞれに利点がある。
ジュゴンたちはどの程度の集団を作るのだろう。
繁殖期だけ集まるのか。
一年中仲間と生活するのか。
また疑問が増えた。
しばらく観察した後、ナツキたちはその場を離れた。
昼を過ぎた頃。
洞窟のかなり深い場所まで来ていた。
気温は入口よりさらに低い。
ナツキは上着を1枚追加した。
「寒くなってきたな」
「ヒノ?」
ヒノアラシは比較的平気そうだった。
むしろナツキの足元へ寄ってくる。
「温かいな、お前」
「ヒノ」
抱き上げる。
ヒノアラシの体温が服越しに伝わってくる。
「しばらくそのままでいて」
「ヒノ!」
「助かる」
少し広い場所を見つけて昼休憩にする。
携帯食を出す。
ヒノアラシにもポケモンフーズ。
「はい」
「ヒノ!」
ヒノアラシはナツキの膝の上から降りると、すぐ食事を始めた。
「食べ物には勝てないか」
ナツキもパンを食べながら周囲を見る。
静かだ。
時々、水の流れる音が聞こえる。
天井から水滴が落ちる。
その程度。
ところが。
「……あれ?」
ナツキが息を吐く。
白い。
普通なら吐息が白くなるほどの寒さではない。
「ヒノ?」
ヒノアラシも気づいた。
ナツキは温度計を見る。
「さっきより下がってる」
数度。
しかも短時間で。
「何で?」
洞窟の深部だから。
それだけでは説明しにくい。
風が吹いた。
ひゅう、と。
洞窟のさらに奥から。
冷たい。
「ヒノ……」
ヒノアラシが背中の炎を少し強くする。
「大丈夫」
ナツキは立ち上がった。
「でも、何かあるな」
休憩を終える。
奥へ向かって進む。
道は少しずつ狭くなった。
壁には薄い霜のようなものが付着している。
「氷……?」
指で触れない。
観察だけする。
「この辺だけ?」
数m前に戻る。
霜はほとんどない。
奥へ進む。
また増える。
『洞窟深部で局所的な気温低下』
『壁面に霜の形成を確認』
『低温域は特定方向へ進むほど顕著』
「自然現象なのか……?」
それとも。
頭の中に1匹のポケモンが浮かぶ。
だが。
「まだ決めつけない」
「ヒノ?」
「フリーザーだと思い込むと、全部そう見えちゃうから」
調査する側の思い込み。
それも注意しなければならない。
フリーザーを見たいと思っているから、寒いだけでフリーザーの存在と結びつける。
それでは正確な観察とは言えない。
ナツキは可能性を書かず、事実だけ記録した。
さらに進む。
やがて巨大な空洞へ出た。
「……広い」
高い天井。
その下に大きな地下湖。
そして湖の中央には、岩でできた小島のような場所があった。
天井の亀裂から、わずかな光が差し込んでいる。
「綺麗だな」
湖面が淡く光を反射していた。
ところどころ凍っている。
完全に凍結しているわけではない。
水面に薄い氷が浮かんでいる。
「さっきまで普通の水だったのに」
ナツキは温度計を出す。
水辺へ近づこうとして。
「ヒノ!」
ヒノアラシが強く鳴いた。
「え?」
足が止まる。
直後。
湖面の一部が大きく揺れた。
風。
それも洞窟内とは思えないほど強い。
「っ!」
ナツキが腕で顔を覆う。
ヒノアラシが足元へしがみつく。
冷気が一気に流れ込んだ。
湖面。
パキ。
パキパキパキ。
薄い氷が広がる。
「……凍っていく?」
ナツキは言葉を失った。
そのとき。
上から音がした。
羽音。
大きい。
バサッ。
バサッ。
ナツキがゆっくり顔を上げる。
青。
最初に見えたのは、氷のような淡い青色だった。
巨大な翼。
頭の冠。
長く伸びた、美しい尾。
そのポケモンは空洞の上部を一度旋回した。
冷気をまといながら。
そして湖の中央にある岩場へ、ゆっくり降り立った。
ナツキの手からペンが落ちかけた。
「……フリーザー」
本物だった。
写真でも。
図鑑でもない。
目の前にいる。
伝説のポケモン。
フリーザー。
「ヒノ……」
ヒノアラシも動かない。
背中の炎さえ消えている。
フリーザーは翼を折り畳んだ。
その瞬間。
それまで吹いていた風が弱くなる。
「冷気……あの翼から?」
ナツキは震える手でフィールドノートを開いた。
すぐに書こうとする。
だが。
一度ペンを止めた。
「落ち着け」
珍しい。
伝説。
そんな言葉に頭を引っ張られてはいけない。
いつもと同じ。
見る。
何をしているのか。
まずそれだけ。
フリーザーは湖の中央で静かに立っていた。
頭を左右へ動かす。
周囲を確認。
やがて水面へ近づく。
長い嘴を水へ入れた。
「水を飲んでる?」
数回。
普通のポケモンと同じように。
ナツキは少し意外だった。
伝説と呼ばれていても、生きているポケモンだ。
水を飲む。
休む。
そうした時間がある。
『フリーザー1匹を確認』
書いた瞬間。
自分でも現実感がなくなった。
それでも続ける。
『地下湖中央の岩場へ飛来』
『着地前後に周辺気温が急激に低下』
『羽ばたきに伴い強い冷気発生』
『着地後、湖の水を摂取』
フリーザーが水を飲み終えた。
その後。
羽を大きく広げる。
「来る」
ナツキは身構えた。
しかし飛ばない。
翼を広げたまま、ゆっくり体を震わせる。
小さな氷の粒が舞った。
羽についた水分なのか。
それともフリーザー自身が生み出したものなのか。
「羽の手入れ?」
フリーザーが嘴で翼の付け根を整え始めた。
片方。
反対側。
長い尾もゆっくり動かす。
「……羽繕いしてる」
ナツキの表情が少し緩んだ。
何となく。
もっと神秘的で、何を考えているのか分からない存在だと思っていた。
だが今しているのは。
ポッポたちが木の上でしていた行動と、根本的には同じだ。
自分の翼を整える。
生きるための日常。
『岩場上で羽繕い』
『翼の付け根、羽毛を嘴で整える行動』
『他の鳥型ポケモンにも見られる体表管理行動と類似』
「伝説でも、同じなんだな」
「ヒノ?」
「生活してる」
それだけだった。
けれどナツキにとって、とても大きな発見のように感じられた。
フリーザーは特別な力を持っている。
珍しい。
目撃例も少ない。
しかし。
だからといって、ずっと何か特別なことをしているわけではない。
水を飲み。
羽を整え。
休む。
それもフリーザーの生態なのだ。
そのまましばらく観察する。
フリーザーは岩の上へ体を伏せた。
翼を畳む。
目を閉じる。
「ここで休んでるのか?」
周囲を見る。
外敵が入りにくい洞窟深部。
冷たい地下湖。
広い空間。
そして高い天井。
大型の翼を持つフリーザーが飛び立つには十分な広さがある。
「この場所そのものが、休息場所なのかもしれない」
『地下湖中央部を休息場所として利用している可能性』
『外部から隔離され、広い飛翔空間が確保されている』
『低温環境との関連については不明』
10分ほど。
フリーザーはほとんど動かない。
ナツキも動かなかった。
ヒノアラシも珍しく静かだった。
しかし。
突然。
フリーザーの目が開いた。
「……!」
ナツキの体が固まる。
こちらを見ていた。
間違いなく。
青い瞳。
ナツキとフリーザーの視線が重なる。
「ヒノ……」
ヒノアラシがナツキの前へ出ようとする。
「動かないで」
小さく制止する。
フリーザーが立ち上がった。
翼を少し開く。
空気が冷える。
ナツキはノートを閉じた。
「観察終了」
「ヒノ?」
「気づかれたから」
フリーザーは逃げてはいない。
攻撃もしていない。
それでもこちらの存在を認識した以上、それまでと同じ自然な行動を続ける保証はない。
ナツキはゆっくり後ろへ下がった。
ヒノアラシもついてくる。
1歩。
2歩。
フリーザーはじっとこちらを見る。
「ごめん。邪魔したな」
もちろん言葉が通じるとは限らない。
それでも小さく呟いた。
さらに後退する。
洞窟の出口へ戻ろうとした、そのとき。
バサッ!
大きな羽音。
ナツキが反射的に振り返る。
フリーザーが飛び上がった。
巨大な翼。
湖の上を低く飛ぶ。
翼が1回羽ばたくたび。
水面が凍っていく。
「……すごい」
ナツキはノートへ手を伸ばしかけた。
しかしやめた。
ただ見る。
フリーザーが空洞を旋回する。
一度。
二度。
その後。
ナツキたちの頭上近くを通過した。
「っ」
冷たい風が髪を揺らす。
ヒノアラシが身を縮めた。
「ヒノォ……」
フリーザーはそのまま天井近くまで上昇した。
上部にある大きな亀裂。
そこへ向かう。
最後に一度だけ翼を広げる。
青い羽が、わずかな光を反射した。
そして。
フリーザーは洞窟の外へ消えていった。
羽音が遠ざかる。
静寂。
湖には薄い氷が広がっていた。
ナツキはしばらく動けなかった。
「……行った」
「ヒノ」
「見た?」
「ヒノ!」
「俺も見た」
自分で言って。
ようやく実感する。
「フリーザー、見たんだ……」
ナツキはその場へ座り込んだ。
足に力が入らなかった。
怖かったわけではない。
興奮しすぎている。
「はは……」
「ヒノ?」
「ごめん。ちょっとだけ休ませて」
ヒノアラシがナツキの隣へ座る。
ナツキはフィールドノートを開いた。
そして、今見たものをできる限り順番通りに書いていく。
『こちらを認識後、休息行動を停止』
『立ち上がり、翼を展開』
『こちらが後退した後に飛翔』
『飛翔時の羽ばたきに伴い湖面の凍結を確認』
『洞窟上部の亀裂より外部へ移動』
そこでペンを止める。
少し考える。
フリーザーとの遭遇。
普通ならそれだけを大きく書きたくなる。
けれどナツキが一番印象に残ったのは。
空を凍らせるほどの冷気でもない。
その美しい翼でもない。
『水を飲む』
『羽繕いをする』
『休息する』
そんな行動だった。
ナツキはページの下に書く。
『フリーザーも他のポケモンと同じように、飲水、体表管理、休息といった日常行動を行う』
『伝説という呼び名だけを見ていては、そのポケモン自身の生活を見失う可能性がある』
「……これだな」
ヒノアラシがノートを覗く。
「ヒノ?」
「フリーザーも生きてるってこと」
「ヒノ」
「当たり前なんだけどな」
当たり前。
だからこそ。
見落としやすい。
珍しいポケモン。
強いポケモン。
伝説のポケモン。
そんな分類や名前の向こうに。
それぞれのポケモンの生活がある。
それを見ることが、ナツキの旅の目的だった。
「帰ろうか」
「ヒノ!」
「でも帰り道長いぞ」
「……ヒノ」
「そこでテンション下がるなって」
ナツキは笑いながら立ち上がった。
来た道を戻る。
途中。
先ほど観察したジュゴンたちはまだ岩場にいた。
今度は2匹とも水の中。
並ぶように泳いでいる。
パウワウも遠くで姿を見せた。
フリーザーと出会った後でも。
他のポケモンたちの生活は変わらず続いている。
ナツキはそのことが妙に嬉しかった。
夕方。
洞窟の外へ出る。
太陽が海へ傾き始めていた。
「暖かい……」
洞窟の中に長くいたせいか、外の空気がかなり暖かく感じる。
「ヒノ!」
ヒノアラシも大きく伸びをした。
ナツキは海を眺めながら、今日の調査記録をまとめる。
『ふたごじま』
『地下水域ではパウワウ、ジュゴンなど低温環境を利用するポケモンを確認』
『パウワウによる岩を利用した摂食行動』
『ジュゴン2匹による交代制と思われる警戒行動』
そして。
『洞窟深部の地下湖にてフリーザー1匹を確認』
その一行を書いて。
やはり少し手が止まった。
「本当に書いちゃったな」
「ヒノ?」
「なんか、夢だったような気がして」
「ヒノ!」
「夢じゃない?」
「ヒノヒノ!」
「そうだな」
フリーザーが飛んだ後。
湖面に残った氷。
確かに見た。
最後にナツキは、ページの余白へフリーザーを描いた。
大きな翼。
長い尾。
湖の中央。
羽を整えている姿。
華麗に飛んでいる姿ではなく。
休息の途中で羽繕いをしていた、静かな姿を選んだ。
その方が。
今日ナツキが見たフリーザーらしいと思った。
スケッチの横。
一文を添える。
『伝説のポケモンにも、誰にも見られていない日常がある。』
ナツキは鉛筆を置いた。
「今日の調査、終了」
「ヒノォ!」
「お疲れ」
ヒノアラシの頭を撫でる。
「今日はすごかったな」
「ヒノ!」
「フリーザーもだけど、パウワウも面白かった」
「ヒノ?」
「え? フリーザーが一番じゃないのかって?」
「ヒノ」
「全部だよ」
ナツキは笑った。
珍しさで調査の価値は決まらない。
パウワウが貝を割って食べる行動も。
ジュゴンが仲間と休む姿も。
フリーザーが静かに羽を整える時間も。
どれも同じように。
ポケモンが生きている証拠だった。
「行こう、ヒノアラシ」
「ヒノ!」
2人は海辺を歩き始めた。
その背後にそびえるふたごじま。
今はもう。
青い伝説のポケモンの姿は見えない。
それでもナツキのフィールドノートには。
誰もいない地下湖で静かに羽を休める、1匹のフリーザーの姿が確かに残されていた。