ふたごじまでフリーザーと出会った翌日。
ナツキとヒノアラシは、海を渡ってグレン島へ向かっていた。
島影が見え始めた頃から、これまで訪れた場所とは明らかに違う景色が広がっていた。
島の中央には大きな火山。
海岸の一部には黒っぽい岩が連なり、遠くからでも火山島であることが分かる。
「次は暑そうだな」
「ヒノ!」
ナツキの足元で、ヒノアラシがいつも以上に元気よく鳴いた。
昨日のふたごじまでは冷気の中を長時間歩いた。
ほのおタイプであるヒノアラシにとって、グレン島の気候はかなり過ごしやすいらしい。
「お前、分かりやすいな」
「ヒノヒノ!」
「ふたごじまじゃずっと俺の足元にくっついてたくせに」
「ヒノ?」
まるで覚えていないと言いたげな顔をする。
ナツキは笑いながら、船の向こうに見えるグレン島へ視線を戻した。
今回の目的は火山周辺に生息するポケモンの生態調査。
火山地帯は高温になりやすく、地面も普通の草原とは大きく異なる。
火山灰。
溶岩が冷えて固まった岩。
地熱。
温泉。
そういった特殊な環境を、ポケモンたちがどのように利用しているのかを確認するつもりだった。
船が港へ到着する。
上陸すると、最初に感じたのは潮風だった。
しかし少し内陸へ向かうだけで、空気が変わっていく。
「暑いな」
「ヒノ!」
「お前は嬉しそうだなあ」
ヒノアラシは軽い足取りで前へ進む。
ナツキはグレン島の町で最低限の物資を補充すると、そのまま火山の麓へ向かった。
当然、火口付近へ無理に近づくつもりはない。
調査に使える範囲は、安全が確認されている場所に限る。
島の外れへ移動すると、町中にあった建物は減り、代わりに黒い岩肌が目立つようになった。
草も生えてはいる。
ただしトキワの森やマサラタウン周辺のように一面を覆っているわけではない。
岩の隙間へまとまって生えている。
ナツキはフィールドノートを取り出した。
『カントー地方・グレン島』
『午前9時27分』
『天候・晴れ』
『火山島』
『黒色の火山岩が多く、植生は場所によってまばら』
『火山環境を利用するポケモンの生態を観察する』
そこまで書く。
「今日は暑さがあるから、俺の方が先にバテそうだな」
「ヒノ」
「なんだよ、その余裕そうな顔」
「ヒノヒノ!」
「はいはい。頼りにしてますよ」
フィールドノートをバッグへ戻し、調査を始めた。
火山の麓を歩いて10分ほど。
最初に見つけたのはポケモンではなかった。
「……穴?」
岩場の一角。
黒い砂が広がっている場所に、小さなくぼみがいくつも並んでいた。
ナツキがしゃがみ込む。
足跡にも見える。
ただし形が少し変わっている。
「ヒノ?」
ヒノアラシが隣へ来る。
「何か通った跡だと思う」
くぼみは一定間隔で続いていた。
周囲を見る。
その先に、大きな黒い岩がある。
ナツキは立ち上がった。
「追ってみるか」
「ヒノ!」
足跡のような跡を辿る。
岩の向こうへ回り込むと。
「ブビィ」
小さな鳴き声が聞こえた。
「ん?」
岩の陰。
赤い体。
黒い首元。
頭の上からは小さな炎のようなものが揺れている。
「ブーバー……じゃない」
少し小さい。
「ブビィか」
野生のブビィが1匹、岩の隙間へ体を寄せていた。
ナツキはすぐにしゃがんだ。
ヒノアラシにも動かないよう手で合図する。
「ヒノ」
ブビィはこちらに気づいていない。
何をしているのか。
ナツキは双眼鏡を使わず、肉眼で観察する。
ブビィは時々岩へ鼻を近づけている。
そして。
「ブビ」
岩へ体を押し当てた。
「……温まってる?」
最初はそう思った。
しかし今日は十分暑い。
火山地帯であることを考えれば、体温を上げるためだけとも思いにくい。
ブビィが岩から離れる。
別の岩へ移動。
また体を押しつける。
「何か違いがあるのか?」
ナツキは慎重に近くの岩を見る。
日光が当たっているもの。
陰になっているもの。
さらに地面からわずかに湯気が出ている場所。
ブビィが選んでいるのは、湯気に近い岩だった。
「地熱が強い場所?」
『ブビィ1匹』
『火山岩へ体を接触させる行動を複数回確認』
『日照よりも地熱の影響が強いと思われる岩を選択』
『体温調整、休息、火山熱の利用などの可能性』
書きながらナツキは考える。
ブビィはほのおタイプ。
一般的なポケモンなら避けるような高温環境でも、むしろ快適に利用できるのかもしれない。
「ヒノアラシもああいう場所好き?」
「ヒノ?」
ナツキが地熱のある岩を指差す。
ヒノアラシは少し考えて。
「ヒノ!」
近づこうとする。
「今は駄目。ブビィがいるから」
「ヒノ……」
「後で誰もいないところ探そう」
「ヒノ!」
本当に試す気らしい。
その声に気づいたのか。
ブビィがこちらを向いた。
「ブビ?」
「見つかった」
ナツキはその場を動かない。
ヒノアラシとブビィが見つめ合う。
どちらもほのおタイプ。
ブビィが少しだけ近づいた。
「ヒノ?」
ヒノアラシも首を傾げる。
ブビィが鼻を動かす。
ヒノアラシも同じように匂いを嗅ぐ。
「ブビ」
「ヒノ」
特に威嚇する様子はない。
しばらく見つめ合った後、ブビィは興味を失ったように岩の陰へ戻っていった。
「意外と警戒されなかったな」
ヒノアラシがいたからだろうか。
それとも人間の存在に慣れている個体なのか。
理由は分からない。
ナツキは少し距離を取った。
「行こう」
「ヒノ」
ブビィの生活をこれ以上邪魔しないよう、その場を離れた。
少し上ったところで、今度は地面の色が変わった。
黒い岩だけではない。
赤茶色。
灰色。
場所によって層のように違っている。
「火山灰かな」
風が吹く。
細かな灰が少し舞い上がった。
「ヒノアラシ、目に入れないようにな」
「ヒノ」
そのとき。
岩の向こうから。
「ポニィ!」
高い鳴き声。
ナツキが足を止める。
赤い炎。
クリーム色の体。
「ポニータ」
1匹のポニータが岩場を歩いていた。
「こんなところにもいるんだな」
ナツキは距離を取り、双眼鏡を構える。
ポニータは平らな草地ではなく、岩の多い斜面を歩いている。
足取りは驚くほど安定していた。
細い場所。
不安定に見える岩。
それでもほとんど躓かない。
「足場選びが上手い」
しばらく観察していると、ポニータが立ち止まった。
地面へ鼻を近づける。
そこにはわずかに草が生えている。
普通の草原と比べれば量は少ない。
それでもポニータは少しずつ食べ始めた。
『ポニータ1匹』
『火山岩の多い斜面を移動』
『不安定な岩場でも移動速度の低下は小さい』
『岩の隙間に生える植物を摂食』
「火山だからって、食べ物まで特殊ってわけじゃないんだな」
草食ポケモンであれば、当然植物を食べる。
ただし火山地帯では植物そのものが少ない。
だからこそ、草が生える場所を効率よく移動できる能力が重要なのかもしれない。
ポニータはしばらく食事をした後、再び斜面を上っていった。
ナツキは追わなかった。
「結構速いな」
「ヒノ」
「あれ追ったら俺が倒れる」
「ヒノヒノ」
「笑った?」
「ヒノ?」
ナツキは水筒を取り出した。
ヒノアラシにも水分を取らせる。
「お前も暑さに強いからって水飲まなくていいわけじゃないぞ」
「ヒノ」
昼前。
ナツキは少し変わった場所を見つけた。
地面の隙間から湯気が上がっている。
さらに近くには小さな水たまり。
「温泉?」
慎重に温度を確認する。
手では触れず、温度計を使う。
「……かなり温かい」
人間が入るには少し熱い。
しかし。
水辺の近くに足跡がある。
「誰か使ってる?」
大きさはそれほど大きくない。
丸みのある跡。
ナツキはその場から少し離れ、休憩を兼ねて観察することにした。
「ここで昼飯」
「ヒノ!」
「食べる前に温泉入ろうとするなよ?」
「ヒノ?」
「お前ならやりそうなんだよ」
木陰はほとんどないため、大きな岩が作る日陰へ移動する。
ヒノアラシにはポケモンフーズ。
ナツキも携帯食を食べる。
「結構暑いな……」
汗を拭く。
ふたごじまでは寒さ。
グレン島では暑さ。
短期間で正反対の環境を歩いている。
「ヒノアラシは今日の方がいい?」
「ヒノ!」
「即答かよ」
食事を終えた後も、その場で待つ。
10分。
20分。
温泉の水面から湯気が上がる。
特に変化はない。
「足跡古かったかな」
そう思ったとき。
「ガーディ!」
遠くから鳴き声。
ナツキが顔を上げる。
オレンジ色の体。
黒い縞模様。
クリーム色の毛。
「ガーディ」
1匹のガーディが岩場から現れた。
「ヒノ」
「静かにな」
ガーディは周囲の匂いを嗅ぎながら歩いている。
温泉へ近づいた。
そのまま水を飲むのかと思ったが。
前足を入れた。
「……入る?」
次にもう1本。
ゆっくりと体を沈める。
「本当に入った」
ガーディは温泉の中へ座った。
首から上だけを出し、目を細めている。
「気持ちよさそうだな」
ヒノアラシも興味津々で見ている。
「お前も入りたい?」
「ヒノ!」
「後で。あそこは今ガーディが使ってるから」
「ヒノ……」
ナツキは笑いながら記録する。
『ガーディ1匹』
『地熱で温められた水場へ自発的に入水』
『入水後、体を沈めて長時間静止』
『休息、体温調整、体表管理などの可能性』
しかしほのおタイプが温泉で体を温める必要があるのか。
単純に気持ちいいだけなのかもしれない。
「ポケモンにも温泉好きっているのかな」
10分ほど。
ガーディはほとんど動かなかった。
やがて立ち上がる。
水から出る。
その直後。
ブルブルブルッ!
全身を大きく振った。
水滴が飛び散る。
「普通に犬みたいだな」
ナツキが笑う。
ガーディはそのまま岩の上へ移動し、体を横たえた。
日向。
温泉から出た後なのに、さらに暖かい場所を選んでいる。
「かなり暖かいのが好きなんだな」
『温泉から出た後、日照の強い岩場で休息』
『高温環境を積極的に選択している可能性』
観察を終える。
ガーディが眠り始めたため、ナツキたちは静かに離れた。
「じゃあ別の温泉探すか」
「ヒノ!」
「本当に入りたいんだ」
その後しばらく歩いたが、ちょうどいい水場は見つからなかった。
ヒノアラシは少し不満そうだった。
「また今度な」
「ヒノォ」
午後。
火山の麓から少し離れた区域へ向かった。
そこには、他とは明らかに雰囲気の違う建物があった。
古い。
壁は傷み。
窓の一部は割れている。
植物も伸び始めている。
「……あれがポケモンやしきか」
グレン島に残されている大きな廃墟。
かつて何らかの研究施設として使われていたとも言われる建物だった。
むじんはつでんしょを思い出す。
人が去った人工物。
そこへポケモンが住み着く。
「少しだけ外側を見てみるか」
「ヒノ」
ただし建物内部へ深く入るつもりはなかった。
老朽化している場所では、ポケモンより建物そのものの方が危険なこともある。
ナツキは外壁沿いを歩く。
割れた窓。
穴の開いた壁。
そこにはポケモンが出入りしたと思われる痕跡があった。
「ここも住処になってる」
地面。
小さな足跡。
さらに何かを引きずったような跡。
そのとき。
建物の中から。
「ドガァ」
低い声が聞こえた。
ナツキが足を止める。
窓の向こう。
紫色の球体。
表面からガスが漂っている。
「ドガース」
「ヒノ」
ヒノアラシが一歩後ろへ下がる。
「その距離でいい」
ドガースは建物の内部を漂っている。
床へ降りることはなく、ゆっくり浮遊していた。
時々。
「ドガ」
壁際へ近づく。
そこには古い配管がある。
ドガースがその近くで止まる。
「何してる?」
しばらくすると。
配管周辺に溜まっていた薄い煙のようなものが、ドガースの方向へ流れていった。
「ガスを吸ってる?」
ナツキは外から観察する。
『ドガース1匹』
『廃建造物内部を浮遊』
『古い配管付近へ接近』
『配管周辺に滞留していた気体がドガースへ吸い寄せられるような様子を確認』
『気体を摂取している可能性』
むじんはつでんしょでは、電気を利用するポケモンが人工設備を生活環境として使っていた。
ここでは。
「人間が残したものを、また別のポケモンが使ってる」
ナツキは建物を見上げる。
人工物。
自然。
その境界は思っていたより曖昧なのかもしれない。
人間が作った場所でも。
人間が去れば、ポケモンにとっての洞窟や巣穴に変わる。
「ヒノ?」
「前にも似たことあったなって」
「ヒノ」
「むじんはつでんしょ」
ヒノアラシが思い出したのか。
「ヒノッ」
少し警戒した顔になる。
「奥の雷のこと思い出した?」
「ヒノ」
「あれはいつかまた調べに行こうな」
「……ヒノ」
嫌そうだった。
ナツキは笑いながら、ポケモンやしきから離れた。
夕方。
海が見える高台へ戻る。
火山の向こうへ傾いた太陽が、黒い岩を赤く照らしていた。
「今日はここまで」
「ヒノ!」
ヒノアラシが元気よく鳴く。
普段なら調査終了と聞いて喜ぶのに、今日は朝から最後まで元気だった。
「グレン島気に入った?」
「ヒノヒノ!」
「分かりやすいなあ」
ナツキは岩へ腰を下ろす。
フィールドノートを開き、今日の記録を整理した。
『グレン島』
『火山地帯では、高温環境を積極的に利用するポケモンを複数確認』
『ブビィは地熱の強い岩場へ体を接触』
『ポニータは火山岩の多い斜面を安定して移動し、岩間の植物を摂食』
『ガーディは地熱によって温められた水場へ入り、その後日照の強い岩場で休息』
『ポケモンやしきではドガースを確認。人工設備の残留物を利用している可能性』
一度ペンを止める。
これまでの旅を少し思い返した。
トキワの森。
おつきみやま。
ディグダトンネル。
むじんはつでんしょ。
サファリパーク。
ふたごじま。
そしてグレン島。
どこへ行っても。
ポケモンはその環境を利用していた。
森なら木。
洞窟なら岩。
地下なら土。
発電所なら電気設備。
火山なら地熱。
「住む場所が変われば、使うものも変わる」
ナツキは最後に書いた。
『ポケモンは環境に合わせて暮らしているだけではない』
少し考える。
その続きを。
『その場所にあるものを、自分たちの生活へ積極的に利用している』
「よし」
「ヒノ?」
「今日のまとめ」
ヒノアラシがノートを覗き込む。
「読める?」
「ヒノ!」
「本当か?」
ヒノアラシは返事をせず、ナツキの膝へ前足を乗せた。
「何?」
「ヒノ」
「……ああ」
フィールドノートを閉じる。
「ご飯?」
「ヒノ!」
「はいはい」
バッグからポケモンフーズを取り出す。
途端にヒノアラシの目が輝いた。
「結局それか」
「ヒノヒノ!」
夕飯を食べるヒノアラシの横で、ナツキは海を見る。
この島にも。
まだ観察していないポケモンがたくさんいるだろう。
時間帯を変えれば。
火山のもっと安全な別区域を調べれば。
ポケモンやしき内部を安全に調査できる準備を整えれば。
また違う生活が見えるかもしれない。
だが今回のグレン島での調査は、これで終わりにすることにした。
全部を見る必要はない。
1回の訪問ですべてを知ろうとする方が無理なのだから。
「また来ような」
「ヒノ!」
「ここならお前も来たいんだ」
「ヒノヒノ!」
「ふたごじまの時と全然違う」
「ヒノ?」
ヒノアラシは知らないふりをして食事を続ける。
ナツキは笑いながら、ノートをもう一度開いた。
ページの余白。
そこへ小さなスケッチを描く。
温泉へ体を沈め。
幸せそうに目を細めているガーディ。
その隣に、温泉を羨ましそうに眺めていたヒノアラシも描いた。
「ヒノ?」
「今日の記念」
「ヒノ!」
「今度来たら、お前が入れる場所も探そうな」
「ヒノヒノ!」
ナツキはスケッチの下に、一文を書き加えた。
『火山は厳しい環境に見える。けれど、そこを一番心地いい場所として生きるポケモンもいる。』
ペンをしまう。
「第8回調査、終了」
「ヒノ!」
グレン島の火山からは、細い煙が空へ伸びている。
足元には黒い火山岩。
その隙間には植物が生え。
その周囲ではポケモンたちが今日も変わらず生活している。
人間から見れば暑すぎる場所でも。
誰かにとっては、生まれ育った大切な住処だ。
ナツキとヒノアラシは夕日に染まるグレン島を歩きながら、次の調査地へ向けて町へ戻っていった。