「……大将、とりあえずラーメン一杯」
「ちょっと!質問に答えなさいよ!」
硬直するセリカさんを横目に席に着けば、水の入ったコップが勢いよくカウンターに叩きつけられる。
……ちょっとこぼれたな。
「いや、バイトだろ?別に咎めもしねぇよ」
「違うわよ!なんであんたが柴関ラーメンにいるのよ!あんた、ストーカーなの!?」
「……腹が減った以外で来ちゃダメなのか?」
「そ……そんなことは、ないけど」
「じゃあ別にいいだろ」
「い、いい……って、お金はどうしたのよ!アンタ無一文だったじゃない!」
「事実でもんなこと大声で叫ぶな……シロコさんに借りたんだよ」
「……アンタ本当に情けないわね……本当に大人なの?」
事実だから仕方がないが、そんな心底気持ちの悪いものを見るような目で見るのはやめていただきたい。
「これでもな。大人にも色々いるんだよ」
「私、アンタみたいな大人には絶対なりたくないわ……」
「奇遇だな。俺も俺みたいな大人がこれ以上いてほしくない」
……変に言い切っちまった。
コップの水を飲み干す。
店内の喧騒が嫌に耳に入ってくる。
「あいよ、ラーメンお待ち!」
「お、待ってました」
「セリカちゃん、知り合いかもしんねぇが接客はちゃんとやってくれな」
「……はい、大将」
接客に戻るセリカの背中を見送ってラーメンを食べ始める。
……うまっ。
「兄ちゃんも、うちのセリカちゃんをいじめるのはほどほどにしてくれな」
ラーメンを味わっていると大将から声を掛けられる。
口に含んでいた麺を一気に喉に流し込む。
「あ、ばれてました?」
「あんなに挑発してたらな。嫌でもわかるぜ」
「ああいう突慳貪な子にはあれくらいが丁度いいですって」
「兄ちゃん……いい性格してんな……」
「それほどでも」
麺をすすりながら店内に視線を向ける。
見ればセリカさんは別卓の注文を取り終えたところのようで、お客さんと二言三言言葉を交わしていた。
夕方の疲れは何処へやら。
その後も空いた食器を器用に積み上げて厨房に持って行ったり、会計に入って笑顔で接客を続けていた。
……そんなセリカさんの姿がなんだか、眩しく見えた。
「俺にもあんな時期……」
ハッとして視線を手元に落とす。
それでも気づけば学生だった頃のことを考えていた。
決して良いものだったと手放しで言うことはできないが、どうしても思い出してしまった。
夕暮れに染まる教室、きれいに整列された机、消しきれていない黒板。
運動部の大きな掛け声、制汗剤の鼻の奥に刺さる匂い。
口の中に残る鉄の味、きつく締められた手首の包帯。
叱る声、馬鹿にする声、心配する声。
間違えて、迷惑かけて、それでも最後は受け止めてくれた。
それが俺にとってどれだけ──
『嘘つき』
『守ってくれるって言ったのに』
「ッ……!!」
全身の血の気が引いていき、心臓の鼓動だけが世界を支配する。
途切れ途切れの呼吸、まとまらない思考。
微かに震える手を力いっぱいに握り込み、息を大きく吸い込み、吐き出す。
それを何度も繰り返す。
……もう、十分だと思ったんだけどな。
「兄ちゃん、大丈夫か?」
不意に声がかけられる。
視線を上げると心配そうに俺を見つめる大将と目が合った。
「突然動かなくなったかと思えば狂ったように呼吸し始めて……もう少しで病院に電話するところだったんだぞ?」
「……すみません。心配をおかけしました」
「……そうか?顔も青白いし……」
「大丈夫ですからッ!!」
勢いよく席から立ち上がり、足早に扉へと向かう。
「お、おい!」
「……代金は置いておきます。ごちそうさまでした」
これ以上ここには、いられない。
「……ちょっと、何辛気臭い顔して出ていこうとしてんのよ」
扉に手をかけようとすると、セリカさんに呼び止められた。
「……」
「大将のラーメンがおいしくなかった?それとも私がいたことが嫌だった?」
「そんなことは……」
「ならッ!」
店内にセリカさんの声が響く。
「もっといい顔して出ていきなさいよ!おいしかったって!いい店だったって思いながら出ていきなさいよ!」
「……」
「アンタが何を考えてるのかはわからないけど、このお店でそんな顔するのは許さないんだから!」
「……すまん」
「うっ……なんか正面から謝られると気持ち悪いわね……」
「……」
「~~ッ!!もう!調子狂う!大将!ラーメンもう一杯!」
「お、おう?」
「コイツにはちゃんとおいしかったって顔になってもらわないと気が済まないのよ!」
「……へっ、そういうことならお安い御用だ!」
「そういうことだから、ちゃんと味わって食べなさい!お腹いっぱいって言っても許さないんだから!それと……」
「……?」
「何か辛いことがあったなら、わ、私が聞いてあげてもいいわよ!?」
ほ、ほらそういうことって誰かに聞いてもらったほうが楽になるっていうし!と、セリカさんは顔を真っ赤にさせる。
「……ありがとな」
「!っ……うん!」
「でもこれは、これだけは話せないんだ」
「……そう」
セリカさんの獣耳がシュンと垂れる。
「……」
それを見て、無意識に彼女の頭をなでる。
「ひうっ!?ちょ、ちょっと!頭触るならそう言いなさいよ!」
「……セリカさんは、優しいなぁ」
「にゃ、にゃで回すなぁ~~!!」
「ははっ、仲睦まじいのもいいがラーメンを忘れてもらっちゃ困るぜ?」
「……大将もすみません」
「いいってことよ。セリカちゃんが言ったことはごもっともだしな!ほら、冷めないうちに食べな」
湯気が立ち上る、出来立てのラーメン。
「いただきます」
一口、食べる。
ラーメンはやっぱり、おいしかった。
◇
「お疲れさまでしたー」
「はぁ……ホントなんなのよ、アイツ。不審者のくせに急に頭撫でてきたりして……」
「呼んだか?」
「はぁッ!?」
物陰からひょっこり顔を出してみれば、予想以上に良いリアクションが返ってきた。
やっぱりセリカさんは面白いなぁ。
「び、びっくりした!!な、なんでアンタがいんのよ!?」
「……さっきも同じようなこと言われた気がするな?」
「当然でしょ!?結構前に食べ終わった客が店の周りでウロウロしてたら誰だって言うわよ!!」
「まぁそれもそうか」
「……で、なんでいるのよ。本当にストーカーだったり?」
「ちげぇよ。こんな遅い時間に女の子一人っていうのは危ないだろ」
「ふん!慣れてるから大丈夫よ!」
「それでも、だ。家はどの辺だ?」
「……もしもしヴァルキューレ?」
「おう、警察みたいなとこに電話かけるのはやめろ?……はぁ、ホント信用されてねぇな」
「知らない大人に変に親切にされるなんて恐怖以外何者でもないでしょうが!!」
……しまった、反論できない。
正論に弱すぎるぞ、俺。
「じゃあ私帰るから!」
「……気をつけてなー」
「付いてこないでよね!!」
「付けねぇから心配すんな」
ふん!と踵を返し、セリカさんは雑踏の中へ消えていく。
その姿が完全に見えなくなったぐらいで視線を切った。
ここからは思考を切り替えなくては。
「……さて、どこで寝るかね」
夜ももう遅い。
カプセルホテルみたいなものがあればとも思ったが、まぁほぼ確定で身分証がいるだろう。
悲しいことに、財布の中を見てもそんなものは影も形もない。
となるとやっぱり野宿が安牌だろう。
正直寝るだけならどこでもできるし、経験もある。
最適なのは人目につかなくて寒くも暑くもない場所……どこかにないだろうか。
大通りから外れ、近場の路地裏をウロウロしながらそんな場所を探す。
「ここは……湿っぽすぎるな」
「……ッ、流石にこの匂いは……」
「お、いい具合の……先客が使ってる、か。なかなかいい場所ってのは取られてるな……」
そんな都合よく良い寝床には巡り会えなかった。
世の中は無常である。
……まぁ、身分証がないのがおかしいんだが。
「あ、アンタ……」
「ん?」
はぁ、とため息をついていると背後から聞き馴染んだ声がした。
この夜だけで彼女にどれだけ会うんだ。
「なんでまだこんなとこにいんのよ!!やっぱりストーカーなのね!そうなんでしょ!?」
「そんなわけあるか。セリカさんこそ、とっくに帰ったもんだと」
「帰ってたわよ!帰り道にアンタがいるから驚いたのよ!!」
「……わーお」
「わーお、じゃないわよ!ストーカー!」
「だから違うって」
「じゃあ何やってたのよ!!」
「寝る場所を探してただけだ」
ピタリとセリカさんの勢いが止まる。
「……はい?なんて言った?」
「寝る場所を探してただけ……」
「家に帰りなさいよ!家に!」
「ねぇよ」
「ないわけないでしょ!?」
「本当にねぇんだよ……」
言ってて虚しくなるからそれ以上言わんでくれ。
「……本当なの?」
「俺は嘘はつかない」
そう言うとセリカさんはじっと俺の顔を見る。
「……」
長くない観察の後、スマホを操作し電話をかけ始めた。
「あ、もしもし?」
……寝床探しの続きでもするか。
「……って、ちょっと待ったぁ!!アンタ、どこに行く気よ!!」
「どこって寝床探しの続きを……」
「今探してあげてんでしょ!?」
……?
「ちょ、ちょっと何か反応しなさいよ!」
「あぁ、いや……ありが、とう?」
「お礼ならアヤネに言いなさいよね!」
何故にアヤネさんの名前を……?
そう思っているとずい、とスマホを突き出される。
「……もしもし?」
『あ、ハジメさんですか?えっと、セリカちゃんから寝るところを探してるって聞いて……』
セリカさんを見るとピコピコと猫耳が動いている。
「……」
『あの、ハジメさん?』
「あぁ、すまん。確かに探しているが別に路地裏で……」
『駄目ですよ!?確かシロコ先輩からお金借りてましたよね?その周辺で泊まれるところを……』
「そうは言ってもだな……身分証がないと泊まろうにも泊まれないだろ?」
『それは……探してみないことにはなんとも……』
「アンタ本当に面倒ね……」
「言ってくれるな。でもまぁ大丈夫だ。探してくれようとしただけでありがたい。もう夜も遅いのに……」
『あぁ、いえ。これくらい当然のことですから』
「セリカさんも。こんな奴のためにありがとうな」
「ふ、ふん!別に信用したわけじゃないんだからね!」
『セリカちゃん……』
「……心配なだけ、だもん……」
『セリカちゃん……!』
……心配、か。
年下の子に要らんもんかけさせちまったなぁ。
『あの、ハジメさん』
「……ん?」
『いくつか見てみたんですがやっぱり身分証がなくても宿泊できる場所っていうのがなくて……すみません。お役に立てなくて』
「いいって。心遣いだけで十分だ」
『それと、なんですが……本当に私たちを助けてくれるんですか?』
「助ける……あぁ、できることで手伝わせてもらう。借りも増えたしな」
『借りって……そういうつもりじゃ……』
「そうよ!私はただ……」
「いいんだよ。俺がそう感じただけなんだから」
「でも!」
「でももヘチマもない。まぁどこの馬の骨とも分からないやつに手伝われるのが嫌なら……」
「ちょっと!?ここでそれ引き出す!?」
「だってそうなんだろ?」
「〜〜ッ!!」
セリカさんが顔を真っ赤にして俯いたまま何も言わなくなった。
……意地悪が過ぎたか?
「もう!少しは分かったわよ!!だから手伝ってもいいわよ!ハジメ!!」
「……」
『……』
「な、なんで黙るのよ!」
「いやぁ……」
『セリカちゃんらしいなって』
「私らしいってなによー!!」
ホント、ツンデレだなぁ。
思わずニヤける。
……まぁそれはそれとして、どこで寝るかな。
◇
──翌日。
アビドス高校、対策委員会室。
「……んで」
「なんで今日も縛られてるんだよ!!」
朝一番に教室に来たところまでは良かったんだけどな。
……目の前にいる一人さえいなければ……。
「そりゃあまだ君のこと信用しきれてないからね〜」
「……今日は話してくれるんだな、ホシノさん?」
「うへ〜そんな言い方されるとおじさん傷つくなぁ。知らない大人が来たら警戒するのは当たり前、でしょ?」
小鳥遊ホシノさん。
昨日は俺のことを知ってるような素振りをしたり無視したりと、なかなかに不思議な少女。
初対面の時と変わらず眠そうな目をしているが、一体何を考えているのやら。
「まぁ昨日はちょっとやり過ぎたとは思ってるけどね〜」
右手で頭を掻きながら、わざとらしく笑うホシノさん。
……その真意は全く分からない。
「……ちょっと、ねぇ……」
「ん〜?細かいこと気にする男はモテないぞ〜?」
「余計なお世話だ」
軽口を叩いてみてものらりくらりと避けられる。
正直、掴み所がなくてやりづらい。
「それでさ、ハジメさん。本当に手伝うつもりなの?」
どうしたものかと頭を悩ませていると、ホシノさんは先ほどとは打って変わって、真面目な顔で俺に問いかける。
少し面食らった。
「……そのつもりだ」
「9億も借金があるのに?」
「9億6000万ぐらいあってもだ」
「……君に何のメリットもないと思うけど?住む場所もお金も身分証だってないんでしょ?そんな君がどうしてアビドスにそこまで肩入れするの?」
「助けられたから」
そう答えると今度はホシノさんが驚いたように目を丸くする。
「砂漠で立ち往生してるときにシロコさんに助けられた。水もくれた。お金だって恵んでくれた。なのに俺はまだ何も返せてない」
「命救ってもらったんだ。多少無茶でも恩には報いねぇと」
偽りない本心だ。
「……そう。ハジメさんの考えはよーく分かったよ。でもそれならアビドスじゃなくてシロコちゃんにだけ恩を返せばいいんじゃないの?」
僅かに暗い顔をしたかと思えば、すぐに調子を戻して本質を突いてくる。
……確かにそう、なんだけどな。
「……知っちまったからなぁ」
「知ったからってそこまでする?ハジメさん、少しおかしいんじゃない?」
「おう、言ってくれるじゃねぇのピンク頭」
「……ッ」
……なんだ?
一瞬空気感が変わったというか……
ホシノさんの目つきが鋭くなったような……
「……それで?ハジメさんはどうやって恩を返すつもりなの?できて校舎内の掃除ぐらいじゃないの?」
「なんか急に当たり強くない?」
「うへ?気のせいだよ〜」
「……」
……いや。
さっきまでと変わらない眠たげな目のままだな。
勘違い、か。
教室の扉が開く。
「おはようございます☆」
「あ、ノノミちゃん。おはよ〜」
「こんな朝早くからホシノ先輩が教室にいるなんて珍しいですね?」
「まぁちょっとね〜」
「あら、ハジメさんもいらっしゃったんですね。おはようございます」
「おう……」
ノノミさんよ、ツッコミはなしか。
「そうだノノミちゃん。今日って別に何もすることなかったよね?」
「え?特になかったと思いますけど……」
「うんうん。それじゃあ今日一日、おじさんはハジメさんと一緒にいようかな」
「は?」
「委員長としてハジメさんのことを知る権利があると思うんだよね〜。何ができるか、とかさ?」
「いいですね!私たちはまだハジメさんのことをよく知りませんもんね!」
「そうそう。でも、知らない大人を皆と一緒にさせるのは不安だから、まずはおじさんとってことで」
「おう、俺の意思は無視か」
「知り合って一日の不審者さんの言葉を聞く耳は持ってないかな〜」
コイツ……
まだセリカさんのほうが話を聞いてくれたぞ。
「それに、ちゃんと確かめないと……」
「あ?なんか言ったか?」
「んや、別に何も〜?」
「そうかよ……それで俺の何を知りたいんだよ?知っての通り無一文身分証なし、点かないスマホだけ持った男ってだけだぞ」
……言ってて悲しくなるな。
こんなことばっかだな俺。
「んー……そうだねぇ。あ、そう言えば昨日は結局どうしたの?学校には泊まらなかったんでしょ?」
「適当な路地裏で野宿したけど」
「野宿ですか!?」
「セリカさんとアヤネさんにも手伝ってもらってな」
「言ってくださればこのカードで……」
「それはダメ」
ノノミさんが金色のカードを取り出そうとするが、ホシノさんがすかさず止める。
……ちらっとだけだが……ゴールドカード、初めて見たな。
「ホシノ先輩……」
「見も知らずの大人にノノミちゃんがそこまですることはないんだよ」
「ですが……」
「俺も同感だ。そのカードはノノミさんの親御さんがノノミさんのために持たせたものだろ?俺なんかのために使うもんじゃない」
「お、初めて意見が一致したね〜」
「一致も何も当然のことだろ……」
「よし!そうしたら今日はハジメさんの家探しでもしよっか!」
「勝手に決められた!?」
「このまま野宿を続けられたら私たちアビドスに悪い噂が立っちゃうからね〜」
「やっぱり当たり強いよな?」
「となると……郊外の方でしょうか?」
「そうなるね〜。もしかしたら今日一日、学校に戻れないかも。ごめんね」
「朝帰りってやつですね☆」
「やめろ?」
「もう、ノノミちゃんったら〜」
「アンタも否定しろ」
「ま、そういうわけだから……今日一日、ハジメさんの時間、もらうね?」
相互理解を深めるのって難しいですよね。
人によっては相手の顔色を窺いながら話しかけないと、余計な不和を生んじゃいますからね。
……まぁ難しいこと言うつもりなんてないんです。
むしろ間違ってるかも?
ただ、そんなに警戒しなくてもいいんじゃないかなって。
少しの警戒はしたほうがいいかもですけど、気負わずにっていうか。
……何言ってるんでしょうね?私は。