『ユートラピア公国不全記』 作:匿名の筆者
私が参加しているロンドンの議会は連日連夜、議論ではなく乱闘が飛び合う場所となった。
現代において貴族という存在は、背負う責務が少ない代わりに、認められた権利もまた極めて乏しく、特権は皆無に等しい。
非公選かつ終身任期制の上院議員として務めることになるが。そもそも比較すれば構成員が極めて少ない。
私のような貴族は、全員が貴族院というハコに入るのだが、諮問機関としての立ち位置も骨抜きにされているし、いまや我が国における立法機関としての権能は庶民院たる下院が優越の元に独占しており、貴族院たる上院の力は、上下と名称にハッキリ着いているのにも関わらず庶民院と比べて大幅に劣後する。
議会制民主主義の名のもとにおいて、政治権力は万人に平等であるという反議会主義者にとっての理想が達成されることなど決して無いが、我が国の二院制には議員に権限の優劣を同時に付ける特色がある。
権力はことごとく議会——とりわけ庶民院へと集中する。我がユートラピア公国が二院制を謳いながら、その実態がほぼ一院制と変わらない理由がここにある。
ウラル山脈から西、欧州全域を支配領域とする多民族国家、ユートラピア公国。地球上の陸地面積の途方もない割合を占めるこの大国において、私は貴族院議員としての席を国王陛下より授かっている。
旧首都ロンドンで開かれる議会へ毎回足を運ぶのは終身の義務だが、世襲といういつの時代も批判の的にされる立場ゆえの、一種のペナルティのようなものだろう。
普段の貴族院で語られるのは、政治の核心から遠く離れた、毒にも薬にもならない当たり障りのない話ばかりだ。
実政は庶民院が回しているのだから、よほどの異常事態でも起きない限り、私たちが口を挟む余地も理由もないし、そもそも上院議員は与党が法律を通したい時、全員が呼ばれる訳でもない。
新規の法律を通す度に、諮問機関を通過させるというのは既に達成されているので、そもそも上院という別個の機関に通す必要性を緊急性がない限り、あまり感じていないし、そもそも監視機関を幾つも使うような必要は無いのだろう。
しかし現在、まさにそのよほどの異常事態が起きている。
発端は、ここロンドンで開催されていた独立講和会議だが、参加国として招かれているのはウエストアジア同君連合と、サウスアジア自治政府からの外交官。
数百万の犠牲者を出した末の泥沼の紛争は、形式上、我がユートラピア公国が中立な調停者として介入することで停戦を迎え、さらには自治地域の独立という結論を、前例の無いコトだがしかし確実に同君連合が下す……はずだった。
サウスアジア自治政府の地域はアジアと冠する割には小さいが、インド周辺地域ほどだけとはいえ極めて軍事的には精鋭だ。
少なくとも装備が統一されているとはいえ予算が細切れな国防連合軍よりかは、シンプルな編成だと思う。
最も、ウエストアジアの圧倒的な動員人口、ありとあらゆる資源の総量で既に負けているというのはあるが、軍事的に見れば短期決戦ならば可能な規模の軍隊を擁している政府だ。
精鋭とだけで片付く戦果ではないが、やはり港を持っていることが極めて民間経済の維持において有利なのか。
しかし、我が国の庶民院の政治家どもが主導した中立交渉は、土壇場に来て無残に破綻した。
原因は、ウエストアジア同君連合における皇帝と軍部の激しい不和にある。
長引くサウスアジアとの戦争により、連合内部の予算抑止機能、並びに調整機能はすでに麻痺していたのだろうか?あるいは、独立阻止に利用価値を見出したのだろうか?
講和会議が進行し、サウスアジアの自治領で選挙を行うとか、そしてウエストアジアからの将来的な独立も見据えた条約へのサインが現実味を帯びてきたまさにその時。
ウエストアジアの皇帝はインド地方へ駐留していた軍隊を独断で動かし、国防連合軍は暫定占領地域から南下。
連合軍幹部は自治政府との熾烈な戦争に飽きていたのにも関わらず、不和があったのにも関わらず……あっけなく戦争を再開させた。
ロンドンにやって来た彼らの講和は何ひとつ果たされないまま、外交官たちが今まさに築こうとしていた平和は灰燼に帰したのである。
問題なのは、我が国が講和会議においてサウスアジア自治政府をひとつの政府として扱い、その独立を事実上、黙示的に承認していた点にある。
ウエストアジアの軍部が進駐地域からの撤退を求めていたのに対し、皇帝は恐ろしい政治的権謀を巡らせた。
暫定占領地域は軍隊が進駐し、そもそも抵抗勢力が多発していた場所で、激しく戦闘を交わす屈指の激戦地。
首相が陸軍大臣に対して出していた不信任は、この暫定とはいえ広すぎる占領地の予算拡大を握りつぶし、軍部の代表者を交換するためのもの。
しかし予算の拡大傾向は維持され、それどころか、あまつさえ老いた皇帝に変わる次期指導者と目されていたはずの皇太子が、新たな陸軍大臣という圧倒的にリスクまみれの座に就任した。
ウエストアジアの首相も、不信任を出したらこの結果になるとは……誠に、たまげたものだろう。
アジアにおける近年の権威主義的な傾斜は認識していたが、これほどまでに過激な皇族による一族の権力掌握は、私の想像をも遥かに超えていた。
軍のトップに君臨した皇太子という大ニュースが世界に吹き荒れた後日、インド地方へとなだれ込む国防連合軍の怒涛の進軍。
それはサウスアジアの独立の夢を粉砕したにとどまらない。自治をも壊しうるし、そして中立の調停者を気取っていた我がユートラピア公国全体を、致命的な国際的窮地へと突き落としたのだ。
これは結果論だが、庶民院の政治家どもは、あまりにも甘い見通しでこの上院議員の招集という劇薬に手を伸ばした。サウスアジアの独立を後押しするパフォーマンスで人道派の票を集めつつ、ウエストアジアの旧体制とも円満な関係を保てると思い込んでいたのだから、過去の自分を含めて、あまりにも浅い見通し。おめでたいにも程がある。
今やロンドンの庶民院議場は、正気を疑うほどの怒号と罵声の渦と化している。
「中立外交の破綻は、我が国への挑戦と同義だ! 直ちに軍を派遣し、サウスアジアを保護し、宣戦布告すべきだ!」
「それは言動による扇動だ! ウエストアジアとの全面戦争など正気の沙汰ではない! 我が国はあくまで不介入の中立国として振る舞うべきだ!」
交わされているのは、そんな不毛な罵り合いばかりだ。もはや議事堂としての品格や風紀など見る影もない。国民の代表を自称する議員たちが、このような流言飛語と感情論を撒き散らしているのだ。もはや、国民全体の恥と呼ぶほかない。
制裁や軍事介入を喚き散らす野党議員。参戦か不参戦かで党内分裂を起こした挙句、不参戦派が大多数を占め、孤立主義という道へ逃げ込もうとする与党議員。
与野党の対立どころか、与党内も野党内も細切れに割れ、もはや国としての一体感や連携など望むべくもない。
そんな惨状のなか、上院議員は全員大至急召集の報を受け、パリから急ぎ駆けつけさせられた私の身にもなってほしい。連日連夜、こんな地獄の底のような怒号を聞かされる身としては、まさに生殺与奪の拷問を受けている気分だ。
私個人としては、この議会は機能不全の極みにあると断じざるを得ない。一刻も早く政府方針を固め、しかるべき閣議決定を下さねばならないというのに、指一本動かすことができずにいる。
早く正式な不参戦という答えを出せ、と個人的にはいつも思う。
サウスアジアの戦場では、内陸国境の要衝へ向かってウエストアジア軍が刻一刻と侵攻を続けているのだ、しかし何ひとつ意思決定できぬまま手をこまねいているなど、何が欧州を統治する大国か!
ウエストアジアの皇帝は正気を失った狂人なのかもしれない。だとするならば、常人で構成されているはずの我が国の議会こそが、理知をもってその狂人に対処しなければならないはずだ。
議会とは、常人によって構成される最高の知的機関である——そんな前提すらも脆くも崩れ去る現場に立ち会うことになるとは、夢にも思わなかった。