ヒーローを守りたかっただけなのに、魔法少女になった 作:冷凍マカロン
午後六時五十二分。
「お疲れさまでしたー」
喫茶マジカルポップの裏口を出た天城ハヤトは、鞄を背負い直し、暮れきった空を見上げた。
九月も終わりに近づいた夕方は、夏が嘘みたいに暗くなるのが早い。商店街には街灯が点り、道路の向こうでは総菜屋が閉店前の値引きシールを貼り始めていた。焼き鳥屋から流れてくる甘辛いタレの匂いが、夕飯前の腹に非常によくない。
ハヤトは足を止めた。
「……半額」
『契約者』
「見るだけ」
『先ほど店長からサンドイッチを受け取っています』
「分かってるって」
『財布を取り出しています』
「見るために必要なんだよ」
『必要ありません』
「お前、俺の保護者みたいになってきたな」
ポケットには、店長から「余ったから」と持たされた卵とハムのホットサンドが入っている。帰宅してから食べろと言われていた。
結局、ハヤトは財布を戻した。
別にアストラに負けたわけではない。高校生の財布事情と将来の空腹を総合的に判断した戦略的撤退である。
『焼き鳥一本の購入を撤退と表現する必要がありますか』
「心読むな」
『推測です』
「それも大概怖いよ」
ここ数日、こういうやり取りが増えた。
最初は頭の中から突然聞こえる声に肩を跳ねさせていたのに、今では独り言と大差ない。問題があるとすれば、アストラの声は他人には聞こえないという一点だけだった。
つまり、傍から見ればハヤトは一人でぶつぶつ喋りながら歩く高校生である。
その事実には、なるべく気づかないことにしていた。
「しかし今日は平和だったな」
『現時点で神宿区内に大規模な魔力反応は検出されていません』
「そうじゃなくてさ。何もない日っていいよなって話」
『同意します』
「お。珍しく素直」
『戦闘による契約者の負傷およびBRAVE SYSTEMの消耗が発生しないため、合理的です』
「……そういうところだぞ」
商店街を抜ける。
夕方まで買い物客で賑わっていた通りも、一本裏へ入ると静かだった。自転車が通り過ぎ、どこかの家から魚を焼く匂いがする。植え込みでは秋の虫が鳴いていた。
魔獣はいない。
警報も、悲鳴もない。
今日は普通にバイトして、帰って、飯を食って、風呂に入って、ゲームでもして寝る。
高校生としては百点満点の夜である。
『契約者』
「ん?」
『明日提出の数学課題が未完了です』
「…………」
八十点。
「帰ったらやる」
『昨日も同様の発言を確認しています』
「今日はやるって」
住宅街へ向かう角を曲がったところで、ハヤトは一人の女とすれ違った。
背の高い女だった。
黒いジャケットに細身のパンツ。腰まである赤髪が夜風に揺れている。片手にはコンビニ袋、もう片方には缶。缶ビールだろうか。
大人が夜道で酒を飲んでいる。珍しくはないが、ずいぶん目立つ人だ。
ハヤトはそのまま通り過ぎた。
「それでさ、数学は帰ってからやるとして」
『先ほども同様の発言を確認しました』
「だからやるって。風呂の前には絶対――」
十歩ほど進んだところで、何となく振り返る。
「…………」
女が消えていた。
いや、いた。
さっきの街灯の下で、赤い髪だけが地面に広がっている。
「……え?」
『どうしましたか』
女が倒れていた。
「いやいやいや!」
ハヤトは駆け寄った。
「大丈夫ですか!?」
女は植え込みにもたれ、コンビニ袋をひっくり返していた。缶からこぼれた酒が、頬から首筋へ流れている。
「うわっ……!」
事故、急病、酔って転倒。いくつもの可能性が頭をよぎる。
「お姉さん、聞こえます!?」
「…………」
「お姉さん!」
肩へ手を伸ばした瞬間、女の肩が震えた。
「ふふっ」
「……ふ?」
「あはははは!」
「笑ってる!?」
女は倒れたまま腹を抱えた。
「缶が……全部かかった……あははは!」
「缶じゃなくて自分の心配してくださいよ!」
『生命活動に異常は確認できません』
「それはよかったけど!」
近づいて分かった。
ものすごく酒臭い。
「……もしかして、酔ってます?」
女は笑いを止め、ゆっくり顔を上げた。
「酔ってない」
「嘘つけ!」
「転んだだけ」
「転んで酒浴びながら爆笑する人、初めて見ましたよ!」
「今日は記念日だな」
「俺の人生にそんな記念日いらねえ!」
ハヤトは地面の缶を拾った。ほとんど空だ。
「立てます?」
「余裕」
女は植え込みに手をつき、立ち上がろうとした。
一度目は、ずるっと滑った。
「今のは地面が悪い」
「地面を悪者にするな!」
二度目は膝まで立ったところで、身体がぐらりと傾いた。
「危なっ!」
ハヤトが腕を掴むと、女はそのまま倒れ込んできた。
「うおっ!?」
酒と甘い香水の匂いが一気に近づく。想像より重い身体をどうにか肩で受け止め、靴底をアスファルトへ踏ん張らせた。
「ほら、全然立ててないじゃないですか!」
「立ってるだろ」
「俺で!」
「じゃあお前も私の一部ってことで」
「初対面で合体すんな!」
女は笑いながら、ハヤトに体重を預けた。
「ちょっと、一回座りましょう」
「平気平気」
「平気な人は道端で酒浴びてません!」
ハヤトは近くのガードレールまで女を連れていき、座らせた。
「……じゃあ、俺はこれで」
「待て」
制服の袖を掴まれる。
「どこ行く」
「帰るんです。今日初めて会いましたよね!?」
「私を置いて?」
「助けたのは助けましたけど!」
「じゃあ最後まで責任持てよ」
「野生動物拾ったみたいなルール適用すんな!」
「立てない」
「自覚あるじゃねえか!」
『対象をこの状態で放置することは推奨できません』
「分かってるよ!」
目の前で倒れ、まともに立てない人を放置して帰れるほど、ハヤトは器用ではなかった。
「……家、近いですか?」
「ん?」
「送りますよ。途中まででも」
女はハヤトを見上げた。
さっきまで笑っていた目が、ほんの少しだけ静かになる。
「お前、いい奴だな」
「目の前でぶっ倒れた人を放置できないだけです」
「そういうのを、いい奴って言うんだよ」
「じゃあ、いい奴でいいです。立てます?」
「無理」
「台無しだよ!」
「あとこれ持って」
コンビニ袋を渡される。
「はいはい」
「これも」
酒瓶まで渡された。
「なんで酒瓶まで!?」
「重い」
「じゃあ買うなよ!」
「酒は悪くない」
「誰も酒を責めてねえ!」
「落とすなよ。大事だから」
「重っ……どんだけ買ってんだ、酒を!」
女は満足そうに頷き、ハヤトの肩へ腕を回した。
「よし。行くぞ」
「家、どこです?」
「あっち」
指差した先には川があった。
「……あっち川ですけど」
「じゃあ反対」
「絶対分かってねえだろ!」
女がまた笑い始める。
ハヤトは片手に酒の詰まったコンビニ袋、肩には知らない酔っ払いという状態で夜道に立ち尽くした。
十分前まで、今日は平和だと思っていた。
魔獣はいない。
警報も鳴っていない。
なのにどうして。
「そういえばお前、名前なんていうの?」
「今!?」
どうやら、平和と平穏は別物らしい。
◇
「天城ハヤト」
「ハヤトか」
「はい」
「ハヤト」
「はい?」
「ハヤト」
「……なんです?」
「呼んだだけ」
「帰っていいですか?」
「駄目」
「なんでだよ!」
知り合って三分。
すでに帰りたかった。
女はハヤトの肩へ腕を回したまま、夜道をのろのろ歩いている。
いや、歩いているという表現には若干の語弊がある。
右へ寄る。
ハヤトが戻す。
左へ寄る。
ハヤトが戻す。
急に止まる。
「どうしたんです?」
「……どっちだっけ」
「知らねえよ!」
完全に介護だった。
「とりあえず名前聞いたんだから、そっちも教えてくださいよ」
「私?」
「他に誰がいるんです」
「赤城レイナ」
「赤城さん」
「レイナでいいぞ」
「嫌です」
「なんで?」
「今日会ったばっかだからです」
「じゃあ私はハヤトな」
「俺だけ距離詰められてるのおかしくない?」
「年上だから」
「何歳なんです?」
「二十一」
「へえ。もっと上かと」
肩に回っていた腕が止まった。
「……何歳に見えた?」
「え」
「何歳」
「いや、なんとなくもっと大人っぽいっていうか」
「何歳」
妙に目が据わっている。
「……二十四?」
「二十一」
「分かりました」
「二十一」
「聞こえてます」
「まだ大学生でも通る」
「自分で言う?」
「通るよな?」
「圧かけないでください!」
レイナは納得していない顔のまま歩き出した。
五歩ほど進む。
「ハヤト」
「今度は何です」
「二十一だからな」
「もう完全に覚えたよ!」
『対象の年齢情報を記録しました』
「お前まで記録すんな!」
「誰?」
レイナが足を止めた。
「え?」
「さっきから誰と喋ってんの?」
「あー……」
しまった。
完全にいつもの調子でアストラへ返事をしていた。
「電話?」
「いや」
「イヤホンもしてないよな」
「まあ……ちょっと」
「幽霊?」
「違います」
「イマジナリーフレンド?」
「違います!」
「じゃあ何?」
説明に困る。
BRAVE SYSTEMなんて言えるわけがない。
「……AIです」
「AI」
「はい」
「頭の中に?」
「まあ、そんな感じで」
レイナは数秒、ハヤトの顔を見つめた。
「お前、私よりヤバくない?」
「あなたには言われたくねえ!」
『私は契約者の発言内容を補助することが可能です』
「今は黙ってて!」
「また喋ってる」
「いるんですよ、本当に!」
「名前は?」
「……アストラ」
「女?」
「そこ気になる?」
「声は?」
「女っぽいですけど」
レイナがにやりとした。
「へえ。ハヤト君、そういう趣味」
「どういう趣味だよ!」
『質問の意図が不明です』
「俺にも不明だよ!」
「アストラちゃーん」
「聞こえませんから」
「いつもハヤトがお世話になってまーす」
「なんで保護者面してんですか!」
『こちらこそ、契約者が――』
「返事すんな!」
その拍子にレイナの足がもつれた。
「わ」
「危なっ!」
ハヤトが肩を支える。
コンビニ袋の中で瓶同士がぶつかり、からん、と嫌な音を立てた。
レイナはハヤトへしがみついたまま、袋を見る。
「酒」
「俺よりそっち!?」
「割れた?」
「無事です!」
「よかったぁ」
「俺も心配してくれません?」
「ハヤトも無事じゃん」
「それはそうだけど!」
もう駄目だ。
この人を住所も分からないまま歩かせるのは無理がある。
ハヤトは近くの小さな児童公園を指差した。
「赤城さん。いったんあそこで休みましょう」
「公園?」
「水飲んで、誰か迎え呼んでください」
「やだ」
「即答!?」
「怒られる」
「誰に?」
「いろいろ」
「いろいろ怒られる自覚はあるんだ……」
公園には誰もいなかった。
街灯の白い光が砂場の半分だけを照らし、滑り台の影が長く伸びている。ブランコは風にわずかに揺れていた。車道から一本離れただけで、虫の鳴き声がやけに近くなる。
ハヤトはレイナをベンチへ座らせた。
「動かないでくださいよ」
「どこ行く」
「自販機。水買ってきます」
「酒ならある」
「水!」
「炭酸」
「水!」
「レモンサワー」
「なんで水だけそんな嫌なんだよ!」
「味がない」
「水だからな!」
ハヤトは公園脇の自販機で水を一本買った。
百三十円。
地味に痛い。
戻ると、レイナが袋の中へ手を伸ばしていた。
「こら!」
「ちっ」
「今舌打ちした!?」
「してない」
「したよ!」
「幻聴じゃない?」
「アストラ以外の幻聴まで追加すんな!」
酒を取り上げ、代わりに水を渡した。
「はい」
「いらない」
「飲んでください」
「まずい」
「まだ飲んでねえだろ!」
「味知ってる」
「全人類だいたい知ってるよ!」
レイナは渋々キャップを開けた。
一口。
眉間に皺が寄る。
「……まず」
「水に謝れ」
「酒返して」
「駄目です」
「一口」
「駄目」
「匂いだけ」
「もっとヤバい人に見えるからやめてください」
「抱くだけ」
「酒瓶とどういう関係なんだよ!」
レイナはベンチへ深く座り直した。
それから横目でハヤトを見る。
「お前、世話焼きだな」
「誰のせいですか」
「彼女にもそんな感じ?」
「いません」
答えてから、ハヤトは顔をしかめた。
「……なんで普通に答えたんだ俺」
「いないの?」
「そこ掘らなくていいです」
「好きな子は?」
「いません」
「告白されたことは?」
「尋問始まってない!?」
「高校生ってそういう話するんだろ」
「高校生を恋愛ドラマか何かだと思ってません?」
「じゃあ何の話すんだよ」
「ゲームとか、飯とか、テスト終わったとか」
「つまんな」
「全国の高校生に謝れ!」
『契約者は先日、クラスメイトと購買の焼きそばパンについて会話しています』
「アストラ!」
「つまんな」
「二回言うな!」
レイナがけらけら笑う。
笑いすぎて身体が傾き、ベンチの背へ頭を預けた。そのまま腹を押さえる。
「腹減った」
「さっき袋につまみ入ってましたよ」
「つまみは飯じゃない」
「そこはまともなんだ」
「ラーメン食いたい」
「帰って食べてください」
「ハヤト奢って」
「なんで高校生が成人女性に奢るんですか」
「年上を敬え」
「敬わせる行動してから言ってください!」
「二十一歳だぞ」
「年齢カード擦りすぎだろ!」
レイナがまた笑う。
ハヤトはため息をつきながらベンチの端へ腰を下ろした。
腹が鳴った。
「……最悪」
「ハヤトも腹減ってんじゃん」
「俺は帰れば飯あるんです」
「なんか持ってないの?」
「ありますけど」
ポケットの包みを思い出した。
店長からもらったホットサンド。
レイナの目が輝いた。
「あるんだ」
「今のなし」
「あるんだな?」
「なしです」
「ハヤト」
「駄目」
「まだ何も言ってない」
「顔が言ってる」
「半分」
「嫌です」
「三分の一」
「交渉すんな!」
「一口」
「酒と同じ手口じゃねえか!」
レイナはじっとハヤトを見る。
ハヤトも見る。
十秒。
「……ちゃんと飯食ってないんですか?」
「昼は食った」
「夜は?」
「酒」
「それ飯じゃないです」
「ナッツ」
「それも飯じゃないって自分で言ったでしょうが」
ハヤトは包みを取り出した。
「あーもう……半分だけですよ」
「いいの?」
「今さら遠慮すんな!」
包装を開く。
冷めてはいるが、焼いたパンとバターの匂いがまだ残っていた。卵とハムの断面を見たレイナが、酒を見ていたときより少しだけ真剣な顔になる。
「うまそう」
「店長の試作品です」
「お前が作ったんじゃないのか」
「俺にそんな技術ないですよ」
ハヤトは半分に割って渡した。
レイナが一口かじる。
「……うま」
「でしょ」
「ハヤト、いい奴だな」
「二回目です、それ」
「一回目いつ?」
「もう忘れてんの!?」
レイナは気にせず食べる。
さっきまであれだけ喋っていたのに、食べている間だけ妙に静かだった。
ハヤトも残った半分をかじる。
冷えていても普通にうまい。
公園のベンチで、知らない酔っ払いと二人でホットサンドを分けている。
どうしてこうなった。
『契約者』
「……言うな」
『私はまだ何も発言していません』
「絶対なんか言おうとしただろ」
「アストラちゃん?」
レイナが口いっぱいのまま聞いた。
「そうです」
「何て?」
「俺を馬鹿にしようとしてました」
『事実と異なります』
「ほら怒ってる」
「かわいいな」
「何が分かるんですか」
「なんとなく」
レイナは最後の一口を食べ終え、指についたパンくずを払った。
「ごちそうさん」
「どういたしまして」
「酒」
「話が戻った!」
ハヤトは頭を抱えた。
この女に情けをかけてはいけない。
学習した。
遅かったが。
「もういいです。誰か呼びましょう」
「やだ」
「駄目。スマホ」
「ない」
「さっきポケット光ってたの見ました」
「見間違い」
「出してください」
「ハヤト」
「駄目です」
「ハヤトくん」
「駄目です」
「ハヤト様」
「呼び方変えても駄目!」
レイナは不満そうにスマートフォンを取り出した。
その瞬間、画面が震えた。
『ユイ』
レイナの表情が変わる。
「あ」
切った。
「なんで!?」
「間違えた」
また着信。
『ユイ』
切る。
「絶対わざとだろ!」
「出たくない」
「だからなんで!」
「怒るから」
「そりゃ怒るでしょうよ!」
三回目。
レイナは画面を伏せた。
振動だけがベンチへ低く響く。
「出てください」
「やだ」
「じゃあ俺が出ます」
「やめろ」
「帰れないんですよ、俺も!」
四回目の着信。
ハヤトはスマホを取った。
「あ」
「出ます」
「ハヤト」
「その呼び方もう効かないです」
通話ボタンを押す。
「もしもし」
『レイナさん! 今どこですか!?』
若い女の声が飛び込んできた。
「えっと……」
『……え?』
「どうも。通りすがりの高校生です」
『高校生?』
「はい」
『どうしてレイナさんのスマホを……?』
「説明すると長いんですけど、道端でぶっ倒れてたんで助けたら捕まりました」
「捕まえたみたいに言うな」
「袖掴んだでしょうが!」
『レイナさん!?』
電話の向こうで声がひっくり返った。
「ユイ?」
『やっぱりそこにいるんですね! さっきからどうして切るんですか!』
「電波が」
「自分でボタン押してたよ!」
『今どこですか!?』
ハヤトは公園の場所を伝えた。
『分かります。すぐ行きます! その……本当にすみません。少しだけ、レイナさんを見ていてもらえますか?』
「お願いします。なるべく早めに」
「ハヤト裏切ったな」
「いつ仲間になったんです?」
『十五分くらいで着きます!』
電話が切れた。
ハヤトはスマホを返した。
レイナは頬を膨らませている。
「余計なことを」
「これで俺も帰れるんですよ」
「薄情者」
「初対面!」
「サンドイッチ分けた仲だろ」
「関係の熟成が早すぎる!」
十五分。
たった十五分。
そう思っていた。
「ハヤト」
「何です」
「酒」
「駄目」
「ハヤト」
「駄目」
「まだ何も言ってない」
「どうせ酒でしょう」
「トイレ」
「それは早く言え!」
戻ってきて三分。
「ハヤト」
「今度は何」
「暇」
「俺もです」
「面白い話して」
「なんで俺が」
「若者だろ」
「若者に何を期待してるんですか」
「踊って」
「絶対嫌です」
さらに五分。
「ハヤト」
「…………」
「ハヤト」
「…………」
「天城ハヤト」
「フルネームで呼ぶな」
「無視するから」
「用がないの分かってるから無視してんですよ」
「冷たいなぁ」
「今日会ったばっかです」
「もう結構長いだろ」
「体感時間だけなら二時間くらいありますけどね!」
レイナは満足そうに笑い、水を一口飲んだ。
ようやく自分から飲んだ。
ハヤトは少しだけ安心した。
「まず」
「そこまでセットなの?」
公園の入口から足音がしたのは、その直後だった。
「レイナさん!」
一人の少女が走ってくる。
ハヤトと同じくらいの年齢だろうか。
肩まである淡い色の髪。白いブラウスに薄手のカーディガン。夜風で髪を乱しながら駆けてきた少女は、公園へ入ったところで足を止めた。
まずレイナを見る。
次にハヤト。
そして。
ハヤトの右手にある酒瓶。
足元の酒入りコンビニ袋。
ベンチで完全に出来上がっている成人女性。
その成人女性が、なぜか高校生の袖を掴んでいる。
「…………」
少女が固まった。
ハヤトも固まった。
自分を外から見た。
最悪だった。
「違います」
「まだ何も言ってません!」
「目が言ってます!」
「ユイ~~」
レイナだけが元気になった。
立ち上がる。
「レイナさん、待っ――」
一歩目でふらついた。
少女――ユイが慌てて受け止める。
「ユイだぁ」
「わっ……! お酒臭い!」
「会いたかったぞぉ」
「電話四回切りましたよね!?」
「切ったっけ?」
「切りました!」
「三回じゃない?」
「回数覚えてるじゃないですか!」
ハヤトが横から言った。
「四回です。俺が五回目に出ました」
「ハヤト裏切ったな」
「まだ言う!?」
ユイがレイナを支えながら、ハヤトへ深く頭を下げた。
「すみません! レイナさんがご迷惑を……!」
「いや、あなたが謝ることじゃないですよ」
「本当にすみません。まさか一人でここまで飲むとは……」
「いつもこんな感じなんですか?」
「いつも――」
ユイが止まった。
視線が泳ぐ。
「……たまにです」
「今『いつも』って言いかけましたよね」
「たまにです」
「押し切る気だ」
「普段はもっとちゃんとしてるんです!」
「へえ」
「本当です!」
「ユイ、必死だな」
「誰のせいですか!」
ハヤトは思わず笑った。
この子も相当苦労しているらしい。
ユイも一瞬だけハヤトを見る。
お互いに何も言わなかったが、なんとなく分かった。
この人、大変なんだな。
たぶん同じことを考えている。
「じゃあ、俺はこれで」
「待てハヤト」
「……なんです?」
「どこ行く」
「家です」
レイナが当然のように言う。
「私を置いて?」
「迎え来たでしょうが!」
「三人で帰ろ」
「嫌です」
「嫌です」
ハヤトとユイの声が綺麗に重なった。
一拍。
レイナがにやりとする。
「仲いいじゃん」
「今会ったばかりです!」
「今日初めて会いました!」
また重なった。
「ほら」
「レイナさん!」
「最悪だ!」
結局、帰れなかった。
◇
「歩いてください、レイナさん」
「歩いてる」
「私とハヤト君に引きずられてます!」
「足動いてるだろ」
「地面に擦れてるだけですよ!」
「ハヤト、お前どっちの味方?」
「なんで俺がそっち側だと思ったんですか」
三人で住宅街を歩いていた。
正確には、ハヤトとユイがレイナを両側から支え、どうにか歩かせている。
右にハヤト。
左にユイ。
真ん中にレイナ。
そしてハヤトの手には、まだ酒瓶。
「なんでこれ俺が持ってるんだ……」
「似合ってるぞ」
「未成年に何言ってんですか」
「絶対飲まないでくださいね」
「ユイさんまで!?」
「分かってます。でも一応です」
「俺、そんな信用ない顔してます?」
「そういう意味じゃなくて!」
「ユイは真面目だからなぁ」
「レイナさんはもう少し真面目になってください!」
レイナが二人の肩へ腕を回した。
「両手に若いの」
「言い方!」
「なんか私、金持ちになった気分」
「何一つ増えてませんよ!」
「私たち荷物じゃないですからね!」
「息ぴったり」
「それもういい!」
また声が重なった。
レイナは嬉しそうだった。
ユイは耳まで赤くなっている。
ハヤトも妙に居心地が悪い。
初対面の女子とこんな距離で歩くことになるとは思わなかった。
間に酒臭い成人女性が挟まっていなければ、もう少し青春らしい絵になったのだろう。
現実は残酷だった。
「そういやユイ」
「なんですか」
「最近どうなんだ?」
「何がです?」
「この前の――」
「レイナさん」
ユイの声が少しだけ低くなった。
「外で仕事の話はやめてください」
ハヤトは横目で見る。
仕事?
同年代に見えるが、バイトでもしているのだろうか。
「固いなぁ。例の銀髪の子」
「レイナさん!」
「ブレイヴだっけ」
ハヤトの足も止まった。
「…………」
『契約者』
「静かに」
「え?」
ユイがこちらを見る。
「あ、いや。なんでもないです」
心臓が一つ大きく鳴った。
よりによって。
ここで。
「ブレイヴって」
ハヤトはできるだけ何でもないような声を作った。
「あの、最近出てきた銀髪の?」
「知ってるんですか?」
「まあ。ニュースとかで」
「へえ。結構有名なんだな」
レイナがハヤトへ体重を預けてくる。
「こいつなぁ、ブレイヴに助けてもらったんだよ」
「レイナさん!」
「へえー」
知ってる。
俺だから。
そこで、ハヤトの思考が止まった。
「……ん?」
「どうしました?」
「いや……」
ハヤトはユイを見る。
さっきから何かが引っかかっていた。
声。
話し方。
真面目そうに眉を寄せる癖。
酔っ払いを支えるとき、相手が崩れるより一瞬早く身体を差し込む動き。
見覚えがある。
というより。
聞き覚えがある。
『下がってください!』
頭の中に、あの夜の声が蘇った。
フェンリルの爪。
白い剣。
息を切らしながら、それでも自分より前へ出ようとした少女。
魔装もない。
髪型も違う。
けれど、顔そのものが別人になっているわけではない。
そして今。
ブレイヴに助けられた、と。
「…………」
「ハヤト君?」
ユイが怪訝そうに覗き込んでくる。
近い。
その目を見て、最後の一片が嵌まった。
(……ホワイトリリィ!?)
『外見および声紋情報の照合が可能です』
(今やるな!)
『まだ実行していません』
(じゃあそのまま待て!)
「……本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫です! 全然!」
「急に元気になりましたね」
「気のせいです!」
「怪しいな、ハヤト」
「酔っ払いは黙っててください!」
気づいてしまった。
こっちは分かった。
だがユイは、こちらを普通の男子高校生として見ている。
当たり前だ。
彼女が会ったブレイヴは銀髪で、赤い目で。
何より女だった。
(これ、向こうから絶対分かんねえじゃん……)
『肯定。現在の契約者とブレイヴ戦闘体では、外見上の差異が――』
(詳しく説明しなくていい!)
「それでな」
レイナが続けた。
「ユイ、最近こいつのこと結構気にしてんだよ」
「レイナさん!?」
ユイの声が裏返った。
「へ、へえ」
今度はハヤトの声まで裏返った。
「違います!」
「何が?」
「気にしてるとか、そういう言い方が!」
「でも助けてもらったんだろ?」
「それはそうですけど!」
「じゃあ気になるじゃん」
「そういう意味じゃなくてですね!」
ユイの頬が赤くなる。
ハヤトは前を向いた。
見てはいけない気がした。
でも気になる。
自分が助けた相手が、自分について話している。
本人が隣にいるとも知らずに。
こんな状況、人生で二度あるとは思えない。
「……強かったんですか、そのブレイヴって」
聞いてしまった。
『契約者』
(分かってる。聞く必要なかった)
『私は何も発言していません』
(最近それ多いな!)
ユイは少し考えた。
さっきまでの慌てた顔から、ふっと表情が変わる。
「……強かったですよ」
ハヤトは黙る。
「すごく無茶な戦い方でしたけど」
「うっ」
「ハヤト君?」
「なんでもないです」
「初めて戦ってるみたいでした。自分の力もよく分かってなさそうで、壁には突っ込むし、吹き飛ばされるし……」
「そんな酷かった?」
「どうしてハヤト君が傷ついてるんです?」
「ニュースで見て応援してたんで!」
「そうなんですか?」
「そうなんです!」
『当時、契約者は自身の戦闘映像に対し――』
(アストラ、今それ掘ったら絶交するからな)
『私と契約者の関係に絶交という概念は――』
(いいから!)
「でも」
ユイの声が少しだけ柔らかくなった。
「私を下がらせてくれたんです」
ハヤトから笑いが消えた。
「自分だってボロボロだったのに、私がもう戦えないって分かって……前に立ってくれて」
あの夜の景色が一瞬だけ戻る。
爪がアスファルトを削る音。
腕を走った衝撃。
フェンリルの向こうで膝をついていた白い少女。
怖いなんて考える暇もなかった。
ただ、これ以上あの子を戦わせるのは違うと思った。
「……そっか」
「はい」
ユイが笑った。
「だから、ちゃんとお礼を言いたいんです。今度会えたら」
「…………」
真正面から受け取るには、少し眩しすぎた。
ハヤトは鼻の下を擦りながら顔を逸らす。
「格好よかった?」
レイナが横から全部ぶち壊した。
「そういう話じゃありません!」
「顔赤いぞ」
「走ってきたからです!」
「結構前だぞ」
「うるさいです!」
ユイがレイナを引っ張る。
ハヤトは反対側で口元を押さえた。
「……へえ」
「何ですか」
「いや」
「何か笑ってません?」
「笑ってないです」
「笑ってますよね?」
「笑ってません」
「嬉しそう」
「嬉しくないです!」
「なんでハヤトが嬉しいんだ?」
「知らないですよ!」
「怪しい」
「何が!?」
「ブレイヴ好きなの?」
「なんでそうなる!」
「さっき応援してるって」
「ニュースで見てたら普通に応援くらいするでしょう!」
「男なのに魔法少女好きなんだ」
「男が魔法少女好きで何が悪い!」
「別に悪いとは言ってないだろ」
「くっ……!」
完全に墓穴だった。
ユイが隣で小さく笑っている。
「ハヤト君、ブレイヴのこと好きなんですね」
「違います!」
「でも今、応援してるって」
「それとこれは別です!」
「本人みたいな反応すんなぁ」
「っ……!」
心臓が止まりかけた。
レイナは何も考えていない顔で笑っている。
ユイも特に気づいた様子はない。
『契約者』
(絶対言うなよ)
『私はまだ何も発言していません』
(先回りだよ!)
「でもブレイヴって」
ハヤトは慌てて話を逸らした。
「魔法少女なんですよね?」
「それが……」
ユイが困った顔になる。
「私にもよく分からないんです」
「よく分からない?」
「普通の魔法少女とは、少し違うみたいで」
「へ、へえー」
知ってる。
俺だから。
「本人は魔法少女って呼ばれるの嫌そう」
レイナが言った。
「なんで分かるんですか!?」
二人がハヤトを見る。
しまった。
「……ハヤト君?」
「いや、その、ニュースの映像見てたらそういうタイプかなって!」
「ふーん」
レイナが顔を寄せてくる。
酒臭い。
「やっぱ好きじゃん」
「違う!」
「詳しいですよね」
「ユイさんまで!?」
「ふふっ」
「なんで楽しそうなんですか!」
まずい。
秘密を守るどころか、自分で穴を掘っている。
ハヤトは悟った。
魔獣相手なら殴ればなんとかなる。
こういう戦いは、無理だ。
◇
どうにか大通りまで出たところで、レイナの歩みが急に止まった。
「……もう無理」
「何がです?」
「眠い」
「ここで!?」
レイナの膝が折れる。
「ちょっ!」
「レイナさん!」
二人で支えた。
さっきまで喋っていたのが嘘みたいに、急に身体から力が抜けている。
「おい、赤城さん」
「んー……」
「寝るな!」
「五分」
「道の真ん中で五分は長い!」
「三分」
「交渉するところじゃない!」
ユイが困り果てた顔でため息をついた。
「……すみません、ハヤト君。ここまで付き合わせてしまって」
「いや、もうここまで来たら最後まで付き合いますよ」
「でも」
「一人じゃ無理でしょ、この人」
「聞こえてるぞ」
「起きてるじゃねえか!」
「寝てる」
「喋るな!」
ユイがまた笑った。
今度は隠さなかった。
「……変な人ですね、ハヤト君」
「それ俺に言います?」
「いい意味です」
「いい意味の変な人ってあります?」
「ありますよ」
「へえ」
「レイナさんを助けてくれたので」
ハヤトは一瞬、返事に困った。
「……目の前で倒れたら、普通助けますよ」
「そうですね」
ユイはそう答えた。
けれど、少しだけ間があった。
「でも、ありがとうございます」
「……どういたしまして」
その顔を見ながら、ハヤトは妙な気分になった。
あの夜はブレイヴとして助けた。
今日は天城ハヤトとして礼を言われている。
向こうは、その二人が同じ人間だとは知らない。
なんだかズルをしているみたいだった。
「ハヤト」
真ん中から声。
「なんです?」
「ユイかわいいだろ」
「レイナさん!」
「なんで今その話になるんですか!」
「二人でいい雰囲気出すから」
「出してません!」
「出してないです!」
また重なった。
「ほら」
「もう黙っててください!」
「赤城さん、寝ていいですよ!」
「さっき寝るなって言ったじゃん」
「今だけ許可します!」
レイナは笑った。
それから本当に目を閉じた。
三秒。
「……寝た?」
「たぶん」
「早すぎる」
「昔からこうなんです」
「昔から……」
ハヤトはレイナを見る。
眠ってしまえば、さっきまでの騒がしさが嘘みたいだった。
赤い髪が夜風に揺れている。
整った顔立ちだけ見れば、道端で酒を頭から浴びて爆笑していた人間には到底見えない。
「普段はちゃんとしてるんですよ」
ユイが小さく言った。
「本当に?」
「……たぶん」
「今迷いましたよね」
「仕事中は」
「限定された!」
ユイが苦笑する。
「頼れる人なんです。すごく」
その言い方だけは、冗談ではなかった。
ハヤトは少しだけレイナを見た。
酒臭い。
寝ている。
右手がまだ酒瓶を探すように動いている。
「……想像できねえ」
「ですよね」
「ユイさんも認めるんだ」
二人で笑った。
けれどハヤトの頭には、一つ新しい疑問が引っかかっていた。
ホワイトリリィと知り合いで。
仕事の話を外でするなと言われ。
ブレイヴのことまで知っている。
赤城レイナ。
(……この人、何者なんだ?)
『現時点では情報不足です』
(だよな)
横を見る。
レイナは寝ている。
「酒ぇ……」
「寝言までそれかよ」
「いつものことです」
「いつもなんだ……」
ますます分からなくなった。
遠くから車のライトが近づいてきた。
黒い車が路肩へ停まり、運転席からスーツ姿の男が降りてくる。
少しくたびれた顔をした男だった。
ユイが露骨にほっとする。
「支――」
一瞬、言葉を切る。
「知り合いの方です」
「今なんか言いかけませんでした?」
「言ってません」
「今日二人目だ、この押し切るタイプ」
男はこちらへ歩いてきた。
まずユイを見る。
次に眠っているレイナを見る。
そして、ハヤトの手にある酒瓶を見る。
「…………」
「違います」
「まだ何も申し上げていませんが」
「今日それ二回目!」
男は眼鏡の奥で一度だけ目を閉じた。
「赤城さん」
「んー……」
「起きてください」
「やだ」
「明日、お話があります」
「もっとやだ」
「起きているではありませんか」
ハヤトは思った。
この人も苦労している。
男と目が合った。
なぜか、ほんの一瞬だけ通じ合った気がした。
「……ご迷惑をおかけしました」
「いえ」
「赤城さんが」
「はい」
「大変だったでしょう」
「……はい」
即答した。
「ハヤト!」
「起きてるじゃねえか!」
「そこは否定しろよ!」
「何を!?」
ユイがとうとう声を上げて笑った。
◇
午後八時十一分。
ようやく解放された。
「疲れた……」
ハヤトは夜道を歩いていた。
右手が軽い。
肩にも誰もぶら下がっていない。
自由とは素晴らしい。
『本日の戦闘回数はゼロです』
「知ってる」
『魔獣との遭遇回数もゼロです』
「知ってるって」
『しかし契約者の疲労度は、直近の戦闘終了後と比較して――』
「数値にするな。悲しくなる」
腹も減った。
ホットサンドは半分になった。
水代百三十円も消えた。
数学を始める時間も一時間以上遅れた。
そして得たものは。
「……酒臭いお姉さんの知り合いが一人増えた」
『赤城レイナ。二十一歳』
「年齢まで覚えてんの?」
『本人が複数回強調していました』
「それはそう」
ハヤトは笑った。
「まあ……悪い人じゃなさそうだったけど」
『判断根拠を要求します』
「なんとなく」
『不明瞭です』
「人間そういうもんだよ」
秋の風が吹く。
酒の匂いはもうしない。
代わりにどこかの家の夕飯の匂いがして、腹がまた鳴った。
数歩進んだところで、ハヤトはふと思い出す。
「……なあ、アストラ」
『はい』
「さっきの子」
『白咲ユイについてですか』
「そう」
名前は、別れ際に聞いた。
ハヤトはポケットへ手を突っ込んだまま歩く。
「やっぱりさ」
一度、言葉を切る。
「……ホワイトリリィだよな?」
『照合します』
「今度はいいよ」
ほんの一瞬。
『外見的特徴、声紋、身長、身体動作。既存の戦闘記録と照合』
ハヤトは息を待つ。
『同一人物である可能性は極めて高いと判断します』
「やっぱりかぁ……」
両手で顔を覆った。
「マジかよ……!」
『問題がありますか』
「あるよ!」
『具体的には』
「本人の前で本人の感想聞いちゃったじゃん!」
『契約者自身が質問しています』
「分かってるよ! だから後悔してんだよ!」
『白咲ユイは、契約者がブレイヴであることを認識していません』
「それが余計に恥ずかしいんだって!」
思い出す。
『強かったですよ』
『私を下がらせてくれたんです』
『ちゃんとお礼を言いたいんです』
「うわあああ……」
ハヤトは夜道で頭を抱えた。
通りかかった自転車の女性が、少し距離を取って通過していった。
「……今の人、俺のことヤバい奴だと思ったよな」
『可能性は高いです』
「そこは否定しろよ!」
しかし。
少しだけ嬉しかった。
あのときは必死だった。
正しかったのかも分からなかった。
それでも、助けた相手がちゃんと生きて、笑って、自分のことを覚えていた。
それだけで、胸の奥がむず痒くなる。
「……次会ったら、どうすりゃいいんだよ」
『通常通りの対応を推奨します』
「通常って何?」
『天城ハヤトとして行動してください』
「それが一番難しくなったんだけど」
『なぜですか』
「俺だけ向こうの正体知ってんだぞ。絶対変な顔する」
『表情管理の訓練を提案します』
「いらん!」
また少し歩く。
そこで、もう一人を思い出した。
「……待て」
『はい』
「白咲さんがホワイトリリィなら」
ハヤトは足を止めた。
「赤城さん、何者だ?」
『不明です』
「だよな」
ホワイトリリィと親しい。
ブレイヴについて知っている。
仕事の話をしていた。
迎えに来た男も、どう見てもただの友人ではなかった。
ハヤトはしばらく考えた。
そして。
「まあ、いいか」
『追及しないのですか』
「酔っぱらって道端で酒浴びて笑ってた人だぞ」
『それは身元を判断する材料にはなりません』
「俺の中ではかなり強い情報なんだよ」
少なくとも今夜は、あれ以上知りたくなかった。
「帰ろ。マジで腹減った」
『数学課題について』
「飯のあと!」
『昨日も――』
「今日はやるって!」
住宅街にハヤトの声が響く。
魔獣は出なかった。
変身もしなかった。
ガントレットも、ブースターも、銀色の髪も必要なかった。
ただ道端で倒れていた面倒な酔っ払いを一人、放っておけなかった。
その結果、酒を持たされ、水を買わされ、サンドイッチを半分奪われ、数学を始める時間が一時間以上遅れた。
ついでに、以前助けた魔法少女の正体まで知ってしまった。
ヒーローだって暇になる。
けれど。
暇だからといって、平穏に帰れるとは限らないらしい。
◇
翌朝。
神宿支部。
「赤城さん」
「はい」
「昨夜の件ですが」
「記憶にありません」
「まだ何も申し上げていません」
「では失礼します」
「座ってください」
レイナは静かに椅子へ戻った。
昨夜とは打って変わって、髪も服もきちんとしている。
ただし顔は死んでいた。
テーブルには水。
本人はそれをものすごく嫌そうに見ている。
向かいではユイが紅茶を飲んでいた。
「……何だよ」
「別に」
「言いたいことあるなら言え」
「ハヤト君、いい人でしたね」
「…………」
「サンドイッチまで分けてもらったんですよね?」
「…………」
「お水も買ってもらって」
「ユイ」
「はい?」
「お前、昨日の記憶消せる魔法とか使えない?」
「使えません」
「イオならできるかな」
「絶対頼まないでください」
レイナは机へ突っ伏した。
「……最悪だ」
「自業自得です」
「私、何か変なこと言ってた?」
ユイはカップを置いた。
「どこからですか?」
「そんなに?」
「そんなにです」
「ハヤトに何かした?」
「袖を掴んで帰らせませんでした」
「…………」
「お水を拒否しました」
「…………」
「サンドイッチをもらいました」
「それは覚えてる。美味かった」
「都合のいいところだけ!」
レイナが顔だけ上げる。
「酒は?」
「没収されてました」
「ハヤトに?」
「はい」
「……あいつ、私の酒取ったの?」
「そこに怒るんですか!?」
「年上だぞ、私」
「二十一歳ですね。昨夜何度も聞きました」
「…………」
「ハヤト君も完全に覚えてました」
「死にたい」
「朝から物騒なこと言わないでください!」
レイナは再び机へ沈んだ。
少しして、くぐもった声がする。
「でもさぁ」
「はい?」
「ハヤト、面白かったな」
ユイは一瞬だけ黙った。
昨夜の公園を思い出したのか、カップの縁に口をつけながら小さく笑う。
「そうですね」
「お前も気に入った?」
「普通にいい人だと思っただけです」
「ふーん」
「その顔やめてください」
「どの顔?」
「面白がってる顔です」
「別にぃ」
「レイナさん」
「はいはい」
レイナは水のペットボトルを持ち上げた。
キャップを開ける。
一口飲む。
眉間に皺が寄った。
「……まず」
「まだ言ってるんですか!?」
神宿支部の朝に、ユイの声が響いた。
一方その頃。
天城ハヤトは教室で数学の課題を机へ広げ、真っ白なプリントの前に固まっていた。
『契約者』
「わかってる!」
『提出まで残りわすがです。』
「昨日やればよかった…!」
魔獣より先に倒すべき敵が、そこにはいた。
次回予告
戦うたびに、少しずつ強くなる。
だったら次も、きっとなんとかなる。
……まあ、そう簡単にいけば苦労はしない。
次回。
第八話「人ならざるもの」
「俺、結構強くなってない?」