ヒーローを守りたかっただけなのに、魔法少女になった   作:冷凍マカロン

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人ならざるもの

 

 神宿西部の住宅街から少し外れたところに、建設途中で放置された立体駐車場がある。

 

 五階建てのコンクリート骨組みだけが夜空へ突き出し、壁になるはずだった場所には青い養生シートが張られていた。秋の風が抜けるたび、ばたん、ばたん、と巨大な布が鳴る。雨上がりの湿ったコンクリートと、錆びた鉄骨の匂いが鼻についた。

 

 その三階。

 

 銀色の影が、柱の陰からそっと顔を出した。

 

「……なあ、アストラ」

 

『はい』

 

「デカい蜘蛛って、なんでこんなに嫌なんだろうな」

 

『小型であれば問題ありませんか?』

 

「そういう話じゃない」

 

 天井から、八本の脚が生えていた。

 

 正確には天井に張りついている。

 

 胴体だけで軽自動車ほど。黒褐色の甲殻を持ち、節くれだった八本の脚をコンクリートへ食い込ませている。腹部には赤黒い筋が脈打ち、そこだけ内側から薄く発光していた。

 

 魔獣。

 

 しかも蜘蛛。

 

 蜘蛛というだけでも嫌なのに、人間を丸呑みにできそうなサイズまで拡大されると、生理的嫌悪感が妙に具体的になる。

 

「魔獣ってもうちょい格好いい方向に進化できないの?」

 

『進化ではありません』

 

「そこ訂正する必要あった?」

 

 蜘蛛の腹部が膨らんだ。

 

『契約者、来ます』

 

「それは先に言って!」

 

 白いものが飛んだ。

 

 ハヤトは床を蹴り、両腕のブースターを点火する。銀色の身体が一気に加速した。

 

 糸は左へ、自分は右。完全にかわした。

 

「よし!」

 

 そのまま蜘蛛へ突っ込む。拳を握り、十メートル、五メートル、三――。

 

「ぶっ!?」

 

 何もない空間に身体を引っかけた。

 

 右肩だけが後ろへ引かれ、加速中の身体は前へ行こうとする。腰が捻れ、視界が横倒しになった。

 

「な、なん――」

 

 次の瞬間、柱が目の前にあった。

 

 ゴンッ!!

 

「っっっ……!」

 

 肩からコンクリートへ激突する。粉塵がぱらぱらと落ち、銀髪に細かな砂が降った。

 

「いっ……たぁ……!」

 

『損傷軽微』

 

「心は重傷」

 

 肩を押さえながら見れば、右腕に白い糸が絡みついていた。

 

 細い。暗い駐車場ではほとんど見えない。

 

「……もしかして」

 

『視覚情報を補正します』

 

 赤い瞳の視界に、淡い輪郭線が重なった。

 

「うわ」

 

 三階全体だった。柱から柱へ、床から天井へ、階段にも梁にも、細い蜘蛛糸が幾重にも張り巡らされている。視覚補正がなければ、あと何本に自分から突っ込んでいたか分からない。

 

「先に言ってほしかったんだけど」

 

『私も今認識しました』

 

「……ならしょうがない」

 

『怒らないのですね』

 

「分かんなかったもんはしょうがないだろ。次」

 

 蜘蛛が天井を這った。

 

 速い。

 

 ハヤトも今度は真正面から行かない。ブースターを小刻みに吹かし、糸と糸の隙間を縫う。右へ一歩、身体を沈め、そのまま前へ抜ける。

 

「いけ――」

 

 巨大な前脚が振り下ろされた。

 

「っ!」

 

 急停止した鼻先を脚が通過し、床が砕けた。

 

「危なっ!」

 

 後ろへ跳ぶ。

 

 だが、着地点には既に糸がある。

 

 踵が触れた。

 

 ぴん、と細い振動が走った瞬間、蜘蛛の頭部がこちらを向く。

 

「――え?」

 

 白い糸が飛んできた。

 

 横へかわす。

 

 もう一本。

 

 そこも読まれていた。

 

「ちょ、待っ――!」

 

 左脚に巻きついた。

 

 身体が一気に宙へ引き上げられる。

 

「うおおおっ!?」

 

 天地が逆転した。銀髪が垂れ、地面が頭上にある。

 

『左脚部を拘束されています』

 

「見れば分かる!」

 

 蜘蛛がこちらへ這ってくる。

 

「近い近い近い! その顔で来んな!」

 

『顔貌に問題がありますか?』

 

「今そこ分析しなくていい!」

 

 右腕を振り上げ、ガントレットの拳を糸へ叩きつける。

 

 一発。

 

「硬っ!」

 

 二発、三発。四発目でようやく糸が弾けた。

 

「っ!」

 

 落下。

 

 空中で腰を捻り、両腕のブースターを短く噴かす。どうにか両脚で着地したものの、膝から腰へ重い衝撃が突き抜けた。

 

「……なんかさ」

 

『はい』

 

「こいつ、俺が動く前から分かってない?」

 

 蜘蛛は天井で静止している。

 

 目がこちらを追っているようには見えない。それなのに、右へ行けば右、左へ行けば左。ブースターで一気に抜こうとしても、その先に脚か糸が来る。

 

『可能性はあります』

 

「未来予知とか言わないよな」

 

『現時点では判断できません』

 

「言われた方がまだ諦めつくんだけど」

 

 ハヤトは床へ目を落とした。

 

 足元に小さなコンクリート片が転がっている。

 

「……アストラ」

 

『はい』

 

「ちょっと試す」

 

 拾い上げ、蜘蛛とは逆方向へ転がした。

 

 からん。

 

 から、から。

 

 蜘蛛の頭部が動いた。

 

「……今」

 

『対象の反応を確認』

 

 もう一つ拾う。

 

 今度は糸へ当てた。

 

 ぴん。

 

 蜘蛛が即座に脚を振るい、小石が落ちた場所を正確に叩き潰す。

 

「目じゃない」

 

『振動感知』

 

「たぶん」

 

 ハヤトは口元を上げた。

 

「蜘蛛らしくなってきたじゃん」

 

 床の破片を掴み、右へ投げる。

 

 蜘蛛が反応した瞬間、ハヤトは左へ走った。

 

「もらっ――」

 

 蜘蛛の脚が左へ飛んできた。

 

「なんで!?」

 

 身体を反らす。爪先が胸部装甲を掠めて火花が散り、ハヤトは床を転がって柱の陰へ逃げ込んだ。

 

「囮ダメじゃん!」

 

『先ほどの小石と契約者では振動量が大きく異なります』

 

「体重バレしてんの!?」

 

『振幅、荷重、振動方向など、複数情報を識別している可能性があります』

 

「高性能すぎるだろ、この蜘蛛!」

 

 単純に偽物の振動を一つ作る程度では騙せない。

 

 だったら。

 

 ハヤトは柱の陰から周囲を見る。

 

 コンクリート、鉄骨、蜘蛛の巣、階段。

 

 そして。

 

 ばたん。

 

 青い養生シートが大きく膨らんだ。

 

 夜風だった。

 

「…………」

 

『契約者?』

 

「一個じゃダメなら」

 

 また風が吹く。

 

 シートが膨らみ、固定金具が軋んだ。その振動が近くの蜘蛛糸へ伝わった瞬間、蜘蛛の脚がわずかに動く。

 

 ハヤトは笑った。

 

「全部うるさくすりゃいい」

 

『意図を理解しました』

 

「四階行く」

 

『対象も追跡すると推測します』

 

「追ってもらうんだよ」

 

 ハヤトは走った。

 

 階段へ飛び込み、蜘蛛糸を一本飛び越える。頭上では八本の脚がコンクリートを叩き、蜘蛛が追ってくる。

 

 四階。

 

 ここは三階以上に壁がなく、外周のほとんどを青い養生シートが覆っている。

 

「アストラ、風!」

 

『北西。平均風速五・八メートル。約四秒後、強い吹き込みを予測』

 

「十分!」

 

 蜘蛛が階段を越えた。

 

 ハヤトは右腕を振り抜く。

 

 一つ。

 

 二つ。

 

 三つ。

 

 ガントレットが固定金具を叩き壊し、シートの端が外れた。

 

「来い……!」

 

 四秒。

 

 風。

 

 青いシートが一斉に膨れ上がった。

 

 ばたばたばたばたっ!!

 

 巨大な布が暴れ、残った固定具を引っ張り、柱を震わせる。そこへ張られていた蜘蛛糸まで引きずられ、床も梁も柱も、蜘蛛自身の巣全体が一斉に騒ぎ始めた。

 

 一本ではない。

 

 十本でもない。

 

 あらゆる方向から流れ込む振動に、蜘蛛が止まった。

 

「よし!」

 

 ブースター点火。

 

 一直線。

 

 今度は蜘蛛の脚が遅れた。

 

「当たり!」

 

 拳を振りかぶる。

 

 だが、蜘蛛の腹部が大きく膨らんだ。

 

『前方、高密度――』

 

「うわっ!」

 

 散弾のように糸が噴き出した。

 

 ハヤトは右へ逃げる。

 

 間に合わない。

 

 右腕と肩を掠め、最後の一本が右足首へ巻きつく。

 

「っ!」

 

 足を床へ縫いつけられた。

 

 蜘蛛が突っ込んでくる。

 

 巨大な前脚。

 

 逃げられない。

 

『契約者!』

 

「だったら――!」

 

 ハヤトは逃げなかった。

 

 両手を前へ出し、振り下ろされた前脚をガントレットで受け止める。

 

 衝撃。

 

 腕が沈み、靴底の下からコンクリートへ亀裂が走った。

 

「ぐっ……!」

 

 重い。

 

 肩が軋む。

 

 腕が震える。

 

 それでも。

 

「捕まえた!」

 

『契約者?』

 

「右足が動かないなら――」

 

 左腕のブースターが唸る。

 

「向こうを動かす!」

 

 点火。

 

 炎が噴き出し、ハヤトは腰から身体を捻った。掴んだ蜘蛛の脚を力任せに引く。

 

 蜘蛛が踏ん張る。

 

 だが、その周囲には自分で張った無数の糸がある。

 

「自分の巣だろ!」

 

 右腕も点火。

 

「責任持って――」

 

 両腕最大出力。

 

「絡まっとけぇぇッ!!」

 

 蜘蛛の巨体が天井から引き剥がされた。

 

 八本の脚が空を掻き、暴れるたびに自らの糸へ絡みつく。一本、二本、三本。白い糸が脚を束ね、巨体が横倒しになった。

 

 腹部。

 

 赤黒く脈打っていた部分が露出する。

 

『魔力核、露出』

 

「見えた!」

 

 右足の糸を引きちぎる。

 

 今度こそ、振動感知は機能しない。

 

 蜘蛛は自分の巣に拘束されている。

 

 ハヤトは床を蹴った。

 

「ブレイヴ――!」

 

 両腕のブースターが炎を吐く。

 

 拳へ全身の重量を乗せる。

 

「フィニッシュ!!」

 

 銀色の拳が赤黒い核へ突き刺さった。

 

 硬い感触。

 

 次の瞬間、内部から亀裂が走った。

 

 蜘蛛の巨体が大きく跳ね、砕けた核から赤黒い光が粒子となって吹き出す。八本の脚から力が抜けた。

 

 静寂。

 

 遅れて、青いシートだけが夜風にばたばたと鳴った。

 

「…………」

 

 ハヤトは拳を引き抜いた。

 

「……勝った?」

 

『魔力反応、消失』

 

「っしゃ!」

 

 思わず拳を上げる。

 

「見た!?」

 

『常時観測しています』

 

「そういう意味じゃねえよ!」

 

 蜘蛛の残骸から離れ、その場へ座り込む。

 

 胸の奥に、今までとは少し違う熱が残っていた。

 

「……俺さ」

 

『はい』

 

「結構、強くなってない?」

 

『初回戦闘時と比較した場合、戦闘判断、ブースター制御、周辺環境の利用能力に明確な向上が――』

 

「だろ!?」

 

『ただし』

 

「今日はそこまででいい」

 

『まだ続きがあります』

 

「いいんだよ。たまには褒められたまま終わらせてくれ」

 

 立ち上がって肩を回す。

 

 まだ身体は動く。

 

「最初はマジで何していいか分かんなかったけどさ。最近ちょっと分かってきた気がする」

 

『何がでしょう』

 

「戦い方」

 

 ハヤトは鼻の下を擦った。

 

「力押しじゃなくて、ちゃんと見て、考えて。ダメだったら別のやり方して」

 

『概ね正しい認識です』

 

「だろ?」

 

『なお、柱への衝突一回、拘束二回、被弾――』

 

「だから戦績読み上げんなって!」

 

『客観的評価です』

 

「勝ったんだから今日は百点!」

 

『自己採点が甘すぎます』

 

「勝てばよかろうなのだ」

 

『誰の口調ですか』

 

「知らん」

 

 笑った。

 

 身体は疲れていた。それでも気分は軽い。

 

 少なくとも、もう最初の頃みたいに何もできない素人ではない。

 

「帰るか」

 

『はい。休息を推奨します』

 

「腹減った。なんか食って帰ろうぜ」

 

『私は摂食できません』

 

「付き合い悪いなぁ」

 

 階段へ向かう。

 

 外装を解除する前に、もう一度だけ周囲を確認した。

 

 魔獣はいない。

 

 静かだ。

 

 遠くを走る車の音と、風に煽られる養生シートの音だけが聞こえる。

 

 いつもの夜に戻りつつあった。

 

 だから。

 

 ハヤトは気づかなかった。

 

 階下。

 

 柱の向こう。

 

 そこに何かが立っていることに。

 

 アストラも何も言わなかった。

 

 警告音すら鳴らなかった。

 

 四階から三階へ降りる。

 

 階段を抜けた、そのとき。

 

「――これより、BRAVE GEARを回収する」

 

「…………は?」

 

 背後。

 

 人の声。

 

 近い。

 

 あまりにも近かった。

 

 ハヤトが振り返る。

 

 男がいた。

 

 人間に見えた。

 

 暗色の衣服。二本の脚で立ち、二本の腕を持つ、人間と同じ形。

 

 いつからいた。

 

 どこから来た。

 

 なぜ。

 

 アストラが何も――

 

『契約者!!』

 

 初めて警告が鳴った。

 

 男の手には、もう巨大なハンマーが握られていた。

 

「っ――!」

 

 避ける。

 

 そう思ったときには遅かった。

 

 横薙ぎ。

 

 巨大な鉄塊がブレイヴの腹部へめり込んだ。

 

「がっ――!?」

 

 視界が弾けた。

 

 身体が床から浮く。

 

 自分が飛んでいると理解したのは、背中がコンクリート柱へ叩きつけられてからだった。

 

 轟音。

 

 柱の表面が砕け、肺の空気が全部押し出される。

 

「っ……ぁ……!」

 

 息ができない。

 

 膝が落ちた。

 

 何が起きた。

 

 今、殴られた。

 

 誰に。

 

『契約者! 応答してください!』

 

「……聞こえ、てる……!」

 

 腹を押さえる。

 

 装甲はある。それでも内臓を直接揺さぶられたような鈍痛が残り、息を吸うたび横隔膜が引きつった。

 

 男は追撃してこない。

 

 ただ、こちらを見ている。

 

 いや。

 

「……なんだよ」

 

 違う。

 

 顔ではない。

 

 赤い目でもない。

 

 男の視線は、ブレイヴの胸元。

 

 BRAVE GEARへ向いていた。

 

「……こいつ」

 

 ハヤトの額を汗が伝った。

 

「いつからいた?」

 

『不明です』

 

「……は?」

 

『接近を検知できませんでした』

 

「アストラが?」

 

『はい』

 

 ハンマーで殴られたことより、それが嫌だった。

 

 BRAVE SYSTEMは今まで、魔獣の存在を誰より早く見つけてきた。支部より先に、自分が何も知らないうちから。

 

 そのアストラが。

 

 攻撃を受けるまで。

 

 目の前の存在を認識できなかった。

 

 男の身体から、黒い靄のようなものが立ち上った。

 

 そこで初めて、視界の端に警告表示が走る。

 

『――高出力魔力反応を検出』

 

「今!?」

 

『対象の攻撃行動後、初めて観測可能となりました』

 

「どのくらいだよ」

 

『既存の魔獣脅威基準へ照合します』

 

 妙な間があった。

 

 ハヤトは立ち上がりながら、男から目を離さない。

 

『推定――A級上位相当』

 

「…………」

 

 喉が鳴った。

 

「マジ?」

 

『現時点での最低推定値です』

 

「最低って付けんなよ……!」

 

 笑おうとした。

 

 うまくいかなかった。

 

 ガントレットの中で、手のひらに汗が滲む。

 

「……アストラ」

 

『はい』

 

「こいつ何もんだよ」

 

『該当情報なし』

 

「魔獣じゃない?」

 

『既知の魔獣とは魔力構造が一致しません』

 

「人間?」

 

『判断できません』

 

「それ一番困るやつじゃん……」

 

 男は呼吸しているように見えなかった。

 

 胸が上下していない。

 

 瞬きもしない。

 

 ハヤトが見ている間、一度も。

 

 人間の形をしている。

 

 だから余計に気味が悪かった。

 

「お前」

 

 ハヤトはガントレットを構えた。

 

「何者だ?」

 

「BRAVE SYSTEM」

 

「……何?」

 

「確認した」

 

 男の視線が胸元へ落ちる。

 

「BRAVE SYSTEM」

 

「いや、それ俺の方だろ。聞いてんのはお前」

 

 返事はない。

 

 ハヤトはガントレットを構えたまま、眉を寄せる。

 

「名前。あるだろ?」

 

 そこで初めて、男の視線がBRAVE GEARからハヤトの顔へ移った。

 

 数秒。

 

 答える必要があるのか、それ自体を判断しているような沈黙だった。

 

「――穿杭のガナレバ」

 

「……せんこう?」

 

『穿つ杭、と表記するものと推測します』

 

「物騒だな、おい」

 

「ガナレバでいい」

 

「そこは呼びやすさ気にするんだ……」

 

 妙なところだけ会話が成立する。

 

 だが、ガナレバの表情は変わらない。

 

「で、ガナレバ。俺に何の用?」

 

「回収する」

 

「何を」

 

 ガナレバの視線が再び胸元へ落ちた。

 

「BRAVE SYSTEM」

 

「…………」

 

 ハヤトもつられて自分の胸を見る。

 

 BRAVE GEARが赤い光を脈打たせていた。

 

「これ?」

 

「そうだ」

 

「嫌だけど」

 

「許可は求めていない」

 

「じゃあ聞くなよ!」

 

『聞いてはいません』

 

「アストラはどっちの味方!?」

 

『事実を訂正しただけです』

 

「今それいらない!」

 

 ガナレバが左手を開いた。

 

 黒い粒子が掌へ集まる。

 

 細長く、鋭く。

 

 やがて一本の黒い杭を形作った。

 

「…………」

 

 ハヤトは杭を見る。

 

 次にガナレバを見る。

 

 もう一度、杭を見る。

 

「……あ」

 

『はい』

 

「穿杭って、そういう?」

 

 ガナレバは答えなかった。

 

 黒い杭を無造作に宙へ放る。

 

 同時に、右手の巨大なハンマーを振りかぶった。

 

「説明より実演派かよ!」

 

『契約者、回避を!』

 

「見りゃ分かる!」

 

 打撃。

 

 カンッ!!

 

 耳を刺す金属音と同時に、黒い杭が視界から消えた。

「――っ!」

 

 首を傾ける。

 

 直後、頬の横を黒い杭が通過した。

 

 背後でコンクリートが爆ぜる。

 

「速っ……!」

 

 二本目。

 

 ハンマーが叩く。

 

 今度は見えた。

 

 身体を沈め、頭上を通す。

 

 三本目は左。ブースターを短く噴かして横へ跳び、杭が床を穿つ。

 

『弾速を記録。軌道予測を開始します』

 

「頼む!」

 

 四本目。

 

 今度はガントレットを斜めからぶつけた。硬い衝撃が肩まで突き抜けるが、杭の軌道は逸れ、背後の柱へ突き刺さった。

 

「……いける」

 

『契約者』

 

「見える!」

 

 最初の一撃は、存在そのものに気づけなかった。

 

 でも、戦闘になれば違う。

 

 速い。

 

 重い。

 

 怖い。

 

 それでも。

 

 見える。

 

「なんだよ……」

 

 口元が上がった。

 

「ビビらせやがって!」

 

『油断しないでください』

 

「してない!」

 

 男がハンマーを振る。

 

 ハヤトは後ろへ退いた。鉄塊が床を砕き、細かな破片が脛へ当たる。

 

 振り切った。

 

 隙。

 

「そこ!」

 

 両腕ブースター点火。

 

 一気に懐へ潜り込み、右拳を顔面へ叩き込む。

 

 命中。

 

 男の顔が横を向いた。

 

「っしゃ!」

 

 左を腹へ。返した右を脇腹へ。もう一度ブースターを噴かし、踏み込んだ拳を胸部へ叩き込む。

 

「もらったぁッ!」

 

 男の身体が数メートル後退し、靴底がコンクリートを削った。

 

「……どうだ!」

 

 ハヤトは拳を構えたまま笑った。

 

 A級上位。

 

 正体不明。

 

 不意打ちで一発もらった。

 

 それでも攻撃は当たる。

 

 なら。

 

 戦える。

 

 男がゆっくり顔を戻した。

 

「…………」

 

「……え?」

 

 傷がない。

 

 頬にも、腹にも、胸にも。

 

 さっきまで拳を叩き込んでいた痕跡が一つも残っていない。

 

『打撃の命中を確認しています』

 

「……だよな」

 

『はい』

 

「俺、ちゃんと殴ったよな」

 

『はい』

 

「じゃあなんで……」

 

 男は自分の胸へ触れた。

 

 まるで何かを確かめるように。

 

「……なるほど」

 

 初めて、そこに僅かな興味のようなものが混じった。

 

「BRAVE SYSTEM」

 

 男が言う。

 

「現状では、その程度までしか扱えないのだな」

 

「…………は?」

 

 ハヤトの眉が動いた。

 

「出力。兵装形成。魔力運用。いずれも本来の性能には達していない」

 

「……お前」

 

『契約者。挑発へ反応する必要はありません』

 

「分かってる」

 

 拳を握る。

 

「分かってるけど、ムカついただけ」

 

 男は首をわずかに傾けた。

 

「違う」

 

「何が」

 

「BRAVE SYSTEMを評しているのではない」

 

 そこで初めて、男の目が胸元から上がった。

 

 赤い瞳。

 

 ブレイヴ自身を見る。

 

「お前が、その程度までしか扱えていないと言っている」

 

「…………」

 

 図星かどうかなんて分からない。

 

 BRAVE SYSTEMの本来の性能すら、ハヤトは知らない。何ができるのか、どこまでできるのか。まだアストラに教えてもらいながら使っているだけだ。

 

 知らない。

 

 知らないが、ムカつくものはムカつく。

 

「……知ったような口利きやがって」

 

『契約者』

 

「分かってるって」

 

 両腕のブースターが低く唸る。

 

「だったら――」

 

 炎が噴き上がった。

 

「見せてやるよ!」

 

 一気に加速した。

 

 男がハンマーを上げる。

 

 右へかわす。

 

 杭が来る。

 

 左へ。

 

 避ける。

 

 床へ突き刺さった杭を踏み台に身体を反転させ、踵を男の首へ叩き込んだ。

 

「っらぁ!」

 

 着地と同時に腹へ拳。

 

 続けて胸。

 

 確かな手応えが二度、三度と腕へ返ってくる。

 

 男が後ろへ滑った。

 

 しかし。

 

「……っ」

 

 傷一つ増えていない。

 

「なんで……!」

 

『損傷を確認できません』

 

「入ってんだろ!?」

 

『確実に命中しています』

 

「だったら!」

 

 男がハンマーを振る。

 

 ハヤトはぎりぎりで避けた。風圧だけで銀髪が大きく煽られる。

 

 さっきまで見えていたはずの攻撃が、少しずつ怖くなる。

 

「なんなんだよ、こいつ……!」

 

 答えはない。

 

 黒い杭が一本、二本、三本。

 

 ハヤトはかわす。

 

 四本目をガントレットで弾き、五本目が頬を掠めた。

 

「っ!」

 

『右頬部装甲、軽微損傷』

 

「まだ!」

 

 ハヤトは踏み込んだ。

 

 焦るな。

 

 蜘蛛のときと同じだ。

 

 見る。

 

 考える。

 

 失敗したら、情報を増やす。

 

 効かない。

 

 なら、なぜ効かない。

 

「アストラ! 何かない!?」

 

『解析中です。対象表面に魔力変動を確認。しかし既知の障壁とは異なります』

 

「バリア?」

 

『断定できません』

 

「じゃあ殴り続ける!」

 

『それは解析ではありません』

 

「殴ったらなんか分かるかもしれないだろ!」

 

『否定はできません』

 

「よし!」

 

 男がハンマーを大きく振る。

 

 ハヤトは半歩だけ下がった。

 

 空振り。

 

 その瞬間。

 

「……あ」

 

 止まった。

 

 ほんの一瞬だけ。

 

 ハンマーを振り切った男の左側が開いている。

 

「アストラ」

 

『確認しています』

 

 次。

 

 黒い粒子が集まり、杭を形成する。

 

 その瞬間も、男の動きが僅かに止まった。

 

「……あるじゃん」

 

『はい』

 

 ハヤトの呼吸が少しずつ整う。

 

「無敵じゃない」

 

『現時点では断定できません』

 

「そこは乗ってくれよ」

 

『事実ではありません』

 

「知ってる!」

 

 また杭。

 

 避ける。

 

 ハンマー。

 

 かわす。

 

 今度は焦って突っ込まない。

 

 男の肩、腰、足を見る。

 

 ハンマー。

 

 杭。

 

 呼吸はない。

 

 瞬きもない。

 

 でも。

 

 動きには順番がある。

 

「次、デカいの来たら教えて」

 

『何をするつもりですか』

 

「決める」

 

『具体性がありません』

 

「今考えてる!」

 

 男の手元へ黒い魔力が集まった。

 

 これまでより濃い。

 

『高密度魔力反応』

 

「来た!」

 

 形成された杭も、これまでより太い。

 

 男がそれを放り、ハンマーを振りかぶった。

 

 ハヤトは動かない。

 

『契約者』

 

「まだ」

 

 ハンマーが落ちる。

 

「まだ!」

 

 接触。

 

 カンッ!!

 

「今!」

 

 右腕ブースター。

 

 爆発。

 

 身体を横へ投げる。

 

 杭が脇腹すれすれを通過し、風圧が装甲を撫でた。

 

「っ!」

 

 怖い。

 

 でも。

 

 かわした。

 

 そして男はハンマーを振り切っている。

 

 左側。

 

 開いた。

 

『攻撃可能時間――』

 

「十分!」

 

 床を蹴る。

 

 左腕ブースター。

 

 右腕。

 

 両方。

 

 爆発的な加速に肩が後ろへ引かれ、視界の端で柱が線になった。

 

 銀色の身体が一直線に男へ迫る。

 

 男がこちらを見る。

 

 遅い。

 

「今度こそ――!」

 

 ハヤトは拳を引いた。

 

 ガントレットへ魔力が集まり、赤い光が装甲の隙間を走る。

 

 拳。

 

 全身。

 

 ブースター。

 

 全部を一本の軌道へ乗せる。

 

「ブレイヴ――!」

 

 男の胸へ。

 

 完璧なタイミング。

 

 完璧な軌道。

 

 完璧な直撃。

 

「フィニッシュッ!!」

 

 轟音。

 

 拳が胸部へ突き刺さった。

 

 今までとは違う。

 

 明確な手応え。

 

 男の身体が床から浮き、そのまま三階外周の仮設柵を突き破る。

 

 落下。

 

 下の護岸へ。

 

 ドォンッ!!

 

 コンクリートが砕け、粉塵が夜へ吹き上がった。

 

「っ……!」

 

 ハヤトはその場へ片膝をついた。

 

 息が荒い。

 

 拳から肘まで痺れている。両腕のブースターから白煙が細く立ち上った。

 

『直撃を確認』

 

「……今のは」

 

 息を吸う。

 

「さすがに……効いただろ……」

 

 返事はない。

 

 下。

 

 粉塵。

 

 何も見えない。

 

 ハヤトは肩で息をしながら立ち上がった。

 

 さっきまでの余裕はもうなかった。

 

 ただ。

 

 今度こそ。

 

 そう思いたかった。

 

「……やった、か?」

 

『契約者』

 

 アストラの声が低くなる。

 

「……何」

 

『魔力反応――』

 

 粉塵の中。

 

 影が動いた。

 

 ゆっくりと。

 

 人の形をした何かが。

 

 立ち上がる。

 

「…………」

 

 ハヤトの喉が鳴った。

 

 風が吹く。

 

 青い養生シートが、遠くで大きく鳴った。

 

 ばたん。

 

 ばたん。

 

 ばたん。

 

 影が。

 

 こちらを見上げた。

 

 そして、男の胸元に走った亀裂の奥から、ハヤトのものと同じ赤い光が瞬いた。

 

『契約者――逃走してください』

 

 男が、初めて笑った。

 

「終わらせようか…」

 

 次の瞬間、立体駐車場全体が低く震えた。

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