ヒーローを守りたかっただけなのに、魔法少女になった 作:冷凍マカロン
粉塵の向こうで、何かが動いた。
ブレイヴフィニッシュが直撃した一角は、壁も床もまとめて抉れていた。割れたコンクリートから鉄筋が覗き、雨風の吹き込む立体駐車場を白い粉塵が漂っている。
右拳にはまだ手応えが残っていた。
ガントレットがめり込んだ感触も、衝撃が肩まで抜けた感触もある。
だから。
「……嘘だろ」
立っているはずがなかった。
粉塵を押し退けるように、それが歩いてくる。
人型ではある。
だが、人間と呼ぶには、どこも少しずつ間違っていた。
二メートルを越える長身。筋肉を模したような黒鉄の外殻。肩、肘、膝からは骨とも甲殻ともつかない突起が伸び、頭部には髪も耳もない。
顔の中央で、縦長の赤い光だけが灯っている。
口に似た裂け目はある。
鼻はない。
胸も呼吸していない。
そして何より。
傷がなかった。
粉塵が外殻に触れるたび、表面で薄く弾かれていた。付着する前に、何か見えない膜に押し戻されているようだった。
『ブレイヴフィニッシュの命中を確認しています』
「……だよな」
『出力にも異常はありません』
「じゃあ……なんで」
ガナレバは自分の胸を見る。
そこには確かに、ハヤトの拳が入った。
「出力は低い」
「…………」
「だが、精度は予測値を上回った」
「……それ褒めてる?」
「評価している」
「褒めてねえな」
『契約者。離脱を推奨します』
「……分かってる」
分かっている。
さっきもそうだった。
杭を避けた直後、視界の外からハンマーが飛んできた。
どこを通った。
いつ回り込んだ。
見えなかった。
それなのに今度は、必殺技まで通じない。
分からないことが多すぎる。
だからこそ。
「……もう一発だけ」
『推奨しません』
「効かねえなら、もっとデカいのでぶち抜く」
『原因が威力不足とは――』
「マニフェスト!」
右腕を突き出す。
「BUNKER!」
赤い光がガントレットを包んだ。
追加装甲が幾重にも噛み合い、前腕が巨大な兵装へ変貌する。内部で太い打撃杭が固定され、ガチン、と重い音が鳴った。
直後。
「っ、おも……!」
右肩が落ちた。
『重量増加により機動性能が低下しています。また、BUNKER展開中はブースターを使用できません』
「当てりゃいい!」
ガナレバがBUNKERを見る。
「重量増加。移動性能低下」
「お前まで言うのかよ」
左手に黒い粒子が集まる。
杭。
その粒子は空中で一度だけ細かく震え、周囲の雨粒を不自然に押し分けた。
『来ます』
カンッ!
ハンマーが杭尻を打った。
ハヤトは頭を下げる。
黒杭が背後の柱へ突き刺さった。
二本目は右へ飛び、床へ刺さる。
三本目が壁を穿った。
「外してる……?」
さっきまでより狙いが雑だ。
だが考えている暇はない。
ガナレバが正面にいる。
「今度こそ!」
床を蹴った。
遅い。
ブースターは使えない。
巨大化した右腕に引かれ、一歩ごとに重心が沈む。さっきまでなら一息で潰せた距離が、ひどく遠い。
十メートル。
五。
三。
「もらっ――」
いない。
「!?」
巨大な拳が空を貫く。
BUNKERの重量に身体まで引かれ、踏み止まるのが遅れた。
『後方!』
振り返ったときには、ガナレバがいた。
「いつ――」
ハンマーが横から叩き込まれる。
咄嗟にBUNKERを挟んだ。
轟音。
「ぐっ!」
身体ごと吹き飛ばされた。
右脚で着地。
左脚。
右腕の重量に引かれ、姿勢が崩れる。
「くそっ……!」
黒杭が飛ぶ。
カンッ!
横へ逃げると、杭が床へ突き刺さった。
ガナレバが消えた。
「――どこだ!」
『右側面!』
遅い。
ハンマーが迫る。
床を転がってかわすと、さっきまで頭があった場所でコンクリートが爆ぜた。
立ち上がろうとする。
BUNKERが重い。
動きが遅れる。
また、視界からガナレバが消えた。
「っ!」
今度は左。
壁際でハンマーをBUNKERに受ける。
腕が痺れた。
何だ。
何をしている。
杭。
ハンマー。
消える。
また現れる。
何かある。
なのに。
考えようとするたび、さっきの光景が邪魔をした。
ブレイヴフィニッシュ。
直撃。
無傷。
「……なんで効かねえんだよ」
『契約者、BUNKERを解除してください』
「まだ!」
一発。
一発通れば。
右腕を引く。
ガナレバは正面。
「当てる!」
踏み込む。
重い右腕を腰ごと押し込み、BUNKERを胸へ叩きつけた。
接触。
内部杭、炸裂。
ドゴォン!!
衝撃波が粉塵を吹き飛ばす。
ガナレバが数歩後退した。
「……どうだ!」
煙の中。
黒鉄の怪人が顔を上げる。
胸に。
傷はない。
ただ、吹き飛んだ粉塵が胸元だけを避けるように流れ、外殻の輪郭に沿って左右へ分かれていた。
「…………」
喉が乾いた。
何で。
ブレイヴフィニッシュも。
BUNKERも。
何で。
その一瞬だった。
『契約者!』
ガナレバが太い杭を構えていた。
ハンマーが振り抜かれる。
『左へ!』
身体を捻る。
だが、BUNKERに引かれた右半身が遅れた。
「っ――」
カンッ!!
左脇腹へ、どん、と重い衝撃が入った。
「…………え」
身体が後ろへ飛ぶ。
背中が壁へぶつかった。
そこで。
止まった。
ハヤトはゆっくり下を見る。
黒い杭。
銀色の装甲を砕き、左脇腹を貫き、そのまま背後のコンクリートへ食い込んでいる。
自分が。
壁へ縫いつけられていた。
「…………は?」
最初は痛くなかった。
ただ、何かがお腹を通っている。
装甲の隙間から赤いものが伝った。
一滴。
床へ落ちる。
ぱた。
身体が理解した。
「――――ッ!!」
痛みが爆発した。
「ぁ――っ、ああああッ!!」
逃げようと腰を引く。
内部で杭が擦れる。
「――ッ!」
『動かないでください!』
「抜い……て……」
『できません』
「これ……抜いて……!」
『痛覚フィードバックを制限します』
痛みが僅かに遠のいた。
消えない。
「……これで……?」
『既に大幅に制限しています』
「…………」
それ以上は言えなかった。
『BUNKERを解除します』
巨大な右腕が赤い粒子へ崩れた。
軽くなった。
それでも身体は動かない。
ガナレバが近づいてくる。
ざり。
ざり。
「……来んな」
「戦闘能力低下。回収を実行する」
黒杭が粒子へほどけた。
「――っ!」
身体が床へ落ちる。
受け身すら取れなかった。
肩。
頬。
膝。
冷たいコンクリートへ転がる。
ガナレバの足が見えた。
一歩。
また一歩。
逃げろ。
身体中が叫んでいる。
なのに脚が動かない。
指先が床を掻くだけだった。
「……待て」
止まらない。
「ちょっと……待てよ……」
ハンマー。
黒い杭。
また。
あれが来る。
心臓が暴れた。
息を吸っているのに足りない。
手足が冷たい。
ここにいたら。
死ぬ。
明日は月曜日だ。
学校がある。
宿題も終わっていない。
バイトもある。
金も欲しい。
うまいものも食いたい。
ゲームだってしたい。
まだ行ってない場所もある。
世界とか。
正義とか。
ヒーローとか。
そんなものは一つも浮かばなかった。
帰りたい。
死にたくない。
「…………嫌だ」
ガナレバの手がBRAVE GEARへ伸びる。
『――契約者!』
赤い閃光が走った。
爆発。
ガナレバの身体が炎へ呑まれる。
熱風が銀髪を煽り、濡れた床から白い蒸気が噴き上がった。
「おい、銀髪!」
炎の向こうから女が歩いてくる。
赤い髪。
黒と深紅の装束。
肩には巨大な大剣。
『魔法少女――インフェルノ』
「聞こえるか」
「……うん」
「なら喋んな」
大剣を片手で構える。
「そいつはこっちでやる」
炎の中で、影が動いた。
ガナレバが出てくる。
立っている。
胸も頭も変わらない。
ただ、左手の先で黒い指が二本だけ焼けていた。
焼けたはずの指先からは煙が上がらず、赤い光も一瞬だけ細く明滅していた。
「…………」
ハヤトはそれを見た。
理由は。
分からない。
ガナレバが杭を作る。
カンッ!
インフェルノへ向けて、黒杭が飛ぶ。
届く直前。
風が鳴った。
ゴォッ!
杭が横へ滑り、柱へ突き刺さる。
「直撃コース。危ないよぉ」
「来るならもっと早く来い!」
「急いだよぉ」
いつの間にか、インフェルノの隣にもう一人立っていた。
灰色がかった長い髪。
青灰と白。
両手には双剣。
髪も衣装も、本人が立ち止まっているのに揺れ続けている。
『魔法少女――テンペスト』
テンペストがハヤトを見る。
「……生きてる?」
「見りゃ分かるだろ!」
「生きてるねぇ」
「確認方法が雑なんだよ!」
ハヤトは何も返さなかった。
いつもなら。
たぶん。
今は二人の声を聞いているだけでよかった。
「テンペ」
「ん」
インフェルノが大剣を下ろす。
テンペストも双剣を緩く構えた。
それだけで。
空気が変わった。
ガナレバが杭を射出する。
一本。
二本。
三本。
テンペストは大きく避けない。
身体の周囲で風が唸るたび、杭の先端が僅かに横へ押される。
首を傾ける。
半歩ずれる。
それだけ。
黒杭が次々と背後へ抜けていった。
「《風纏》」
テンペストが呟く。
足元の風が膨らんだ。
「じゃ、行くよぉ」
消えた。
遅れて突風。
ガナレバの横。
「《疾風閃》」
双剣が交差する。
甲高い音。
ガナレバの身体が僅かに揺れた。
テンペストはもういない。
風だけを残し、別方向へ抜けている。
ガナレバが振り向く。
杭を放つ。
カンッ!
だが、テンペストのいた場所には風しか残っていない。
「遅いよぉ」
背後。
双剣。
ガナレバがハンマーを振る。
テンペストの身体が風に押されるように横へ滑った。
鉄塊が髪を掠める。
「インフェルノ」
「分かってる!」
大剣が赤熱した。
「《炎刃》!」
横薙ぎ。
赤い炎が刃から伸びる。
ガナレバがハンマーを構えた。
衝突。
炎が爆ぜる。
床の水が一瞬で蒸気へ変わった。
「っらぁ!」
インフェルノが押す。
ガナレバも押し返す。
力と力。
そこへ風が走った。
テンペストが側面を抜け、双剣を振る。
ガナレバが振り向く。
火の粉と黒い粒子が散った。
傷がついたのか。
ついていないのか。
ハヤトには分からなかった。
速すぎる。
ガナレバが床へ杭を撃つ。
外れ。
もう一本が壁を穿ち、さらに柱を砕く。
テンペストが眉を動かした。
「……変な撃ち方」
次の瞬間。
ガナレバが消えた。
「テンペ!」
ハンマーが横から現れる。
「っ」
周囲の風が一気に膨らむ。
テンペストの身体が宙へ持ち上がった。
ハンマーが靴底の下を通過する。
その風を踏むように、テンペストが空中で身を返した。
「《風駆》」
横。
斜め上。
さらに背後。
地面を走っていない。
風に身体を投げ、その先でまた風を蹴っている。
ガナレバが杭を撃つ。
風が逸らす。
ハンマーが来る。
テンペストが滑る。
杭が柱へ突き刺さる。
その直後には、ガナレバの姿が別の場所にある。
黒。
青灰。
風。
鉄。
立体駐車場の柱の間を、二つの影が飛び回る。
ハヤトは目で追おうとして。
途中で諦めた。
分からない。
さっき自分が何をされたのかも。
今、ガナレバが何をしているのかも。
『複数の未知現象を確認。記録を継続します』
アストラも。
それ以上は言わなかった。
「テンペ、どけ!」
「はぁい」
風が上へ抜ける。
その下。
インフェルノが大剣を床へ突き立てた。
「《火走り》!」
亀裂を追うように炎が走った。
一本。
二本。
三本。
床を這った炎がガナレバの足元で噴き上がる。
柱の影まで赤く染まった。
ガナレバが炎から飛び出す。
黒い身体。
無傷に見える。
だが右足の踵だけが赤熱し、煙を上げていた。
その煙は、風に流される前に踵の周囲で渦を巻き、すぐに消えた。
「…………」
また。
ハヤトは見た。
さっきは指。
今度は踵。
どうしてそこだけ。
考えようとする。
頭が回らない。
左脇腹が脈打つたび、思考が途切れる。
「まだ来るよぉ」
テンペストの声。
ガナレバが杭を四本、連続で打つ。
カンッ!
カンッ!
カンッ!
カンッ!
風が二本を逸らす。
一本は床。
一本は天井。
ガナレバが消える。
次に現れたのは、テンペストの頭上だった。
「うわ」
ハンマーが落ちる。
風が爆発した。
テンペストが横へ吹き飛ぶ。
床へ着くより先に体勢を立て直し、柱を蹴った。
「ちょっと起きた」
「最初から起きろ!」
「無茶言うなぁ」
ガナレバが追う。
ハンマーを振る。
テンペストが避ける。
その横からインフェルノが踏み込んだ。
「《爆炎撃》!」
大剣の腹がガナレバへ叩きつけられた。
爆炎。
黒い巨体が数メートル滑る。
テンペストが着地する。
「それ私も巻き込むやつ」
「避けただろ!」
「避けたけどぉ」
「じゃあいい!」
「よくはない」
言いながら。
二人ともガナレバから目を離していない。
インフェルノが前。
テンペストが斜め後ろ。
入れ替わる。
炎が押す。
風が潜る。
ハンマーがインフェルノへ向けばテンペストが入り、杭がテンペストを追えばインフェルノが炎で進路を塞ぐ。
派手な大技はない。
それでも。
ハヤトには分かった。
慣れている。
こいつと戦うことに、ではない。
分からない敵と。
殺しに来る敵と。
二人で戦うことに。
ガナレバのハンマーがインフェルノの大剣を弾いた。
テンペストが踏み込む。
双剣。
ガナレバが腕を上げる。
風が巻く。
炎が弾ける。
黒い外殻の肩口から、僅かに煙が上がった。
何が効いた。
どっちが効いた。
なぜ今だけ。
分からない。
『対象表面に微細な損傷を確認』
アストラの報告は。
それだけだった。
「……効いてる」
ハヤトが掠れた声を漏らす。
さっきまでなかった傷がある。
炎なのか。
風なのか。
二人だからなのか。
分からない。
でも。
傷はある。
それだけで。
少しだけ、息ができた。
ガナレバが二人を見る。
初めて。
僅かに距離を取った。
インフェルノが大剣を構え直す。
「テンペ」
「んー」
「次、合わせろ」
「どっち?」
「デカい方」
「そっちかぁ」
テンペストの周囲で。
風が変わった。
さっきまで身体へ薄くまとわりついていた流れが、足元から渦を巻き始める。
インフェルノの大剣にも炎が集まる。
刃の赤が。
白へ近づいていく。
ガナレバが二人を見る。
そのとき。
遠くからサイレンが聞こえた。
一つ。
二つ。
さらに。
『複数の魔力反応が接近しています』
ガナレバの赤い光が、駐車場の外へ向いた。
インフェルノ。
テンペスト。
そして。
床のブレイヴ。
一歩。
こちらへ。
「――っ」
ハヤトの身体が勝手に強張った。
左脇腹が。
また杭を突き込まれたように疼く。
インフェルノが前へ出た。
テンペストも並ぶ。
「まだやる?」
インフェルノの大剣で炎が唸る。
「私はぁ……どっちでも」
「お前はちょっとやる気出せ!」
「今出してるよぉ」
ガナレバは答えない。
インフェルノの炎。
テンペストの風。
近づいてくる複数の魔力反応。
それらを順に見る。
「回収継続を中止する」
「帰んのか」
「戦闘記録は取得した」
赤い光が最後に、ブレイヴへ向いた。
「BRAVE SYSTEMの回収機会は、今回に限らない」
「…………」
また来る。
その言葉だけで。
左脇腹が縮んだ。
「次があると思うなよ!」
インフェルノが踏み込む。
同時にテンペストの風が爆ぜる。
だが。
届く前に。
黒い粒子が散った。
大剣。
双剣。
二つが空を切る。
『対象魔力反応――消失』
しばらく。
誰も動かなかった。
雨が吹き込む。
火照った床で水滴が蒸発する。
「……いないねぇ」
テンペストの周囲の風が弱くなった。
「追えるか?」
「無理ぃ」
「そうか」
インフェルノの大剣から炎が消える。
「……眠」
「お前な」
「大技撃たなくて済んだし」
「撃つ前に帰りやがったからな」
「省エネ」
「敵を褒めるな」
「褒めてないよぉ」
インフェルノが振り返る。
血の中に。
銀髪の少女が倒れている。
「……あ」
「忘れてた?」
「忘れてねえ!」
「今『あ』って」
「言ってねえ!」
ハヤトは。
何も返さなかった。
◇
『契約者。動かないでください』
砕けた左脇腹の装甲が赤い光へほどけていく。
細い光が傷口の周囲を走り、破損したサブボディを固定していった。
『出血を抑制。損傷部位を暫定固定します』
「…………」
『契約者』
「……聞いてる」
ハヤトはガナレバが消えた場所を見ていた。
何もない。
「……もう、いない?」
『魔力反応は確認できません』
「……そっか」
それでも目を逸らすまでに時間がかかった。
「ブレイヴ」
インフェルノが近くへしゃがむ。
「支部に運ぶ。治療設備がある」
「……いい」
「あ?」
「支部……行かなくていい」
「よくねえよ。腹ぶち抜かれてんだぞ」
「…………」
「何が嫌なんだ」
答えられない。
この身体。
BRAVE SYSTEM。
自分の正体。
それだけじゃない。
今は。
人がたくさんいる場所へ行きたくなかった。
「……ごめん」
「謝れとは言ってねえ」
「今は……行きたくない」
インフェルノが黙る。
少しして。
「……テンペ」
「んー?」
「どうする」
「本人が嫌ならぁ、今日はいいんじゃない」
「じゃあどこ置くんだよ」
「ここはダメでしょ」
「それは分かってる」
「救急?」
「この格好で?」
「じゃあインフェルノん家」
「話飛びすぎだろ」
「でも最終的にそこじゃない?」
「……否定しづらいの腹立つな」
ハヤトの肩から。
少しだけ力が抜けた。
「……ありがとう」
「まだ決まってねえよ」
「…………」
「おい?」
蛍光灯が滲んだ。
『契約者。意識レベルが低下しています』
「……なんか……眠……」
「寝るな」
「……寝るつもり……ない……」
身体が傾いた。
床へ落ちる前に。
インフェルノの腕が背中へ回った。
「おい!」
近い声。
炎の残り香。
雨。
焦げたコンクリート。
もうガナレバはいない。
杭もない。
戦わなくていい。
そう身体が理解した瞬間。
最後まで張っていた糸が切れた。
「……ありがと……」
「ブレイヴ!」
赤い瞳が閉じた。
◇
「……落ちた」
「寝たねぇ」
「見りゃ分かる」
「よく寝てる」
「感想を聞いてんじゃねえ」
インフェルノは腕の中のブレイヴを見る。
応急処置の赤い光。
力の抜けた手。
「で、どうする」
「インフェルノん家」
「結局そこかよ!」
「支部嫌。救急無理。ここ放置無理」
「お前ん家」
「遠い」
「私ん家も近所じゃねえ!」
「あと眠い」
「お前の事情を混ぜるな!」
「大事だよぉ」
腕の中で。
ブレイヴが僅かに身じろぎした。
左脇腹を庇うように、身体が丸まる。
インフェルノの声が止まった。
「…………」
もう。
杭なんて刺さっていない。
「……分かったよ」
「ん」
「私ん家連れてく」
「よろしくぅ」
「お前も来い」
「えぇ」
「なんで嫌そうなんだよ!」
「眠い」
「知ってる!」
テンペストが歩き出す。
数歩進んでから振り返った。
「部屋、片付いてる?」
「…………」
「缶」
「うるせえ」
「床にいっぱい」
「一時的に置いてるだけだ」
「床がテーブル?」
「そういうことじゃねえ!」
インフェルノは腕の中の少女を抱き直した。
思っていたより。
ずっと軽かった。
「……無茶しやがって」
返事はない。
雨音だけが、立体駐車場の外から吹き込んでいた。
赤い応急処置の光が、ブレイヴの左脇腹で静かに明滅している。
傷は塞がり始めている。
それでも眠った身体は、ときおりそこを庇うように小さく縮こまった。
もう、杭はない。
それなのに。
次回予告!
死にかけた!
気絶した!
そして目を覚ましたら――
「なんで赤城さん家なんだよ!?」
しかも変身解除できねえ!
『サブボディは緊急修復中です』
「このタイミングで!?」
正体バレたら終わり!
帰りたい!
あと部屋が酒臭い!
「お前、昨日血まみれだったんだぞ。風呂入れ」
「絶対イヤです!!」
命は助かった。
傷も治っていく。
だったら、もう大丈夫。
……そう思ってた。
カンッ。
「――っ」
なんで。
もう何も刺さってないのに。
次回、第十話「傷跡」
「……俺、どうしたんだ?」