ヒーローを守りたかっただけなのに、魔法少女になった 作:冷凍マカロン
知らない天井だ。
「……まさかこの台詞を本当に言う日が来るとは」
天城ハヤトはぼんやりと呟いてから、もう一度天井を見た。見直したところで知っている天井になるわけもなく、白いクロスの隅には小さな染みまである。
カーテンの隙間から朝日が差し込んでいた。窓の外からは車の走る音が聞こえ、冷蔵庫らしい低い駆動音が部屋のどこかで鳴っている。
少なくとも、昨日まで戦っていた地下駐車場ではない。
「……いや、ここどこだよ」
身体を起こし、周囲を見回した。
六畳ほどの部屋だった。ローテーブル、テレビ、ソファ、壁際には小さな冷蔵庫。そこまでは普通なのだが、問題はその上と周辺だった。
酒。
酒。
また酒。
テーブルの上に缶が二本。床に一本。テレビ台の脇には空き瓶が並び、コンビニの袋からは乾き物の袋が半分飛び出している。ソファの背には黒いパーカーが引っかかり、片方だけの靴下まで落ちていた。
「クソ散らかってる……」
誰の家だ。
そもそも自分はどうしてこんな場所にいる。
昨日は確か、ガナレバと戦って、それから。
「…………」
考えようとして、ハヤトは両手で顔を覆った。
その指先に、さらりと何かが触れた。
「ん?」
髪だった。
銀色の髪が肩から流れ、胸元へ落ちている。
「…………」
自分の手を見る。細く、白い。どう見ても、いつもの自分の手ではない。
恐る恐る胸元へ視線を落とす。
見覚えのない黒いTシャツを着ていた。
胸のど真ん中には、琥珀色のテキーラ瓶。背後には黄色い太陽のような光が放射され、瓶の両脇にはサボテンまで生えている。仕上げとばかりに、巨大な黄色い文字が踊っていた。
『TEQUILA』
「…………クソダサ」
誰が買うんだ、こんなの。
だが、問題はTシャツだけではなかった。袖から出ている腕も、その下の身体も、どう見てもいつもの天城ハヤトではない。
「俺、まだブレイヴじゃねえか!」
「……んん……」
「え?」
すぐ横のソファから声がした。
赤い髪が肘掛けから垂れている。赤城レイナが、毛布を半分床へ落とし、片脚をはみ出させたまま眠っていた。昨夜まで大剣を振り回していたとは思えない、無防備な寝姿だ。
ハヤトの声で目を覚ましたのか、レイナが薄く目を開ける。
「……銀髪、起きたのか?」
「レイナさん?」
「朝から声デカいなぁ。元気そうで何より」
「いや、待ってください。ここどこですか。俺、なんでこんな――」
「私、二度寝するから。起こすなよ〜」
「いや、そこじゃなくて!」
レイナは毛布を引き寄せ、顔を背もたれへ押しつけた。
「レイナさん?」
「…………」
「レイナさん、聞いてます?」
「聞いてる聞いてる。だから寝かせて」
「聞いてる人の返事じゃないですよね、それ!」
「じゃ、おやすみ」
「おやすみじゃなくて!」
レイナは片手だけひらひら振ると、そのままソファの背へ顔を向けた。
「…………」
「……寝た?」
「寝た」
「寝たんですか!?」
返事はもうなかった。
「寝ちまった……」
あまりにも自由だった。
ハヤトが途方に暮れていると、ようやく聞き慣れた声が頭の内側へ届いた。
『目が覚めましたか、契約者』
「……おはよう」
『おはようございます』
「アストラ、説明してくれない?」
『承知しました』
昨夜、ハヤトはインフェルノとテンペストに救出された後、意識を失った。神宿支部への搬送を拒否していたため、二人が相談した結果、レイナの自宅へ運び込まれたらしい。
「なんでレイナさん家なんだよ」
『テンペストが提案しました』
「理由は?」
『自身の住居まで移動することを「眠いし遠い」と拒否したためです』
「理由ひどくない?」
『インフェルノも同様の意見を述べていました』
「レイナさんも!?」
ソファを見る。
レイナはもう寝ている。
「……あの二人、戦ってるときはめちゃくちゃ格好よかったのにな」
『戦闘能力と私生活には直接的な相関関係はありません』
「昨日と今日で説得力がすごいよ」
ハヤトはもう一度、自分の身体を見る。
「で、なんで俺はまだこのままなんだ?」
『ガナレバによる攻撃でサブボディが深刻な損傷を受けています。昨夜から緊急修復を継続していますが、現在も解除時の安全基準を満たしていません』
「つまり?」
『現時点での変身解除は推奨できません』
「マジかよ……」
帰ろうにも、この姿では帰れない。
銀髪赤眼の女が朝から住宅街を歩けば、嫌でも目立つ。おまけに胸には巨大なテキーラ瓶とサボテンである。
「……誰だよ、これ着せたの」
『赤城レイナです』
「でしょうね」
サイズが大きいので、ブレイヴの身体なら太腿近くまで隠れている。昨夜の戦闘服のままよりはマシなのかもしれないが、だからといってこのTシャツを許せるかは別問題だった。
「とりあえずレイナさん起きるまではいるか。昨日の礼も言いたいし」
ハヤトは立ち上がった。
左脇腹に軽い引きつりを感じたものの、昨日のような激痛はない。アストラが修復しているというのは本当らしい。
そこで改めて部屋を見る。
「…………」
缶。瓶。袋。服。
「これ、どこから手つければいいんだよ」
『現状維持という選択肢もあります』
「助けてもらった家でゴミに囲まれて待つのも嫌だろ」
ハヤトは床の空き缶を拾った。
◇
三十分ほど経った。
テーブルの空き缶をまとめ、コンビニ袋を片づけ、床に散っていた服をソファの端へ積む。さすがに他人の家なので、勝手に収納まではしない。
「これ、まだ入ってんじゃん」
缶を持ち上げると、中からちゃぷ、と音がした。
『所有者の許可なく廃棄することは推奨しません』
「飲みかけを三本も放置すんなよ……」
『現在の配置も、所有者が意図したものである可能性があります』
「これを配置って呼ぶの、やめない?」
飲みかけの缶だけ、テーブルの端へ避難させる。
「……ん」
背後から声がした。
振り返ると、レイナがソファの上で身体を起こしていた。髪は昨日より豪快に跳ね、片側だけぺしゃりと潰れている。
「おはよ」
「おはようございます、レイナさん」
「んー……」
レイナは目を擦りながら部屋を見回した。
「…………」
もう一度、部屋を見る。
「部屋、片付いてるじゃん」
「勝手に触ってすいません。ゴミっぽいものだけですけど」
「いや、助かる。銀髪ありがとな」
レイナは欠伸をしながらソファから降りかけ、ふと動きを止めた。
「……ん?」
「どうしました?」
「そういやお前さ」
寝癖だらけの頭のまま、レイナがこちらを見る。
「私、名前言ったっけ?」
「…………」
ハヤトの笑顔が固まった。
心臓が、遅れて一度だけ大きく跳ねる。
「昨日、私インフェルノだったよな」
「…………」
「テンペは私のことインフェルノって呼んでたし」
「…………」
「なんでレイナさん?」
まずい。
非常にまずい。
逃げ道を探すように視線をさまよわせ、ローテーブルの端で止める。重なった郵便物。その一番上に、宛名が見えた。
赤城レイナ。
これしかない。
「ああ、いや、その」
ハヤトはできるだけ自然に見えるよう笑った。
「これですよ、これ!」
「ん?」
「テーブルに手紙が置いてあるじゃないですか。宛名に赤城レイナって」
レイナがテーブルを見る。
「あー」
「勝手に見たわけじゃないですよ? 掃除してたら普通に目に入っただけで」
「ふーん」
「いやあ、助かった。じゃなくて、分かりやすいところにあってよかったです」
「何が?」
「なんでもないです」
危なかった。
レイナは郵便物を眺め、それからハヤトへ視線を戻した。
「まあいいや。銀髪、顔に出るタイプだな」
「そんなことないです」
「今めちゃくちゃ出てるぞ」
「寝起きの人に言われたくないです」
「私の寝起きは関係ねえだろ」
レイナは口元だけ笑わせたまま、ハヤトの顔を覗き込んだ。
「で、私の名前、どこで知ったんだ?」
「だから手紙ですって!」
「はいはい」
「信じてないですよね!?」
「信じてる信じてる。たぶん」
「たぶんって何ですか!」
追及する気はなくなったらしく、レイナは大きく伸びをした。
ハヤトもようやく肩の力を抜いた。
「あの、昨日はありがとうございました」
「ん?」
「助けてもらったんで」
レイナは一瞬だけきょとんとしてから、笑った。
「いいって。魔法少女同士、仲間だろ。そんな堅苦しくしなくて」
「…………」
「今度は何だよ」
「いや……なんでもないです」
魔法少女同士。
訂正したい。
ものすごく訂正したいが、さっき正体を怪しまれた直後である。ここで「実は男です」などと言えるはずもない。
ハヤトは黙って飲み込んだ。
「腹減ってない?」
「まあ、ちょっと」
「朝飯食ってく?」
「いいんですか?」
「つまみくらいしかないけど」
レイナが冷蔵庫を開ける。
ハヤトも横から覗いた。
上段に缶。その横にも缶。ドアポケットにも缶。
「……酒しかないじゃないですか」
「ちゃんと食材もあるぞ」
「酒をどかさないと見えないんですよ」
レイナが缶を一本取り出した。
プシュッ。
「ちょっと待って」
「ん?」
「朝から飲むんですか?」
「迎え酒」
「昨日あんだけ飲んで!?」
「だから迎えんだよ」
「何を!?」
「酒を」
「帰ってきた奴また送り出せよ!」
レイナは構わず一口飲んだ。
「朝から元気だなぁ、銀髪」
「誰のせいですか!」
ハヤトはため息をついて、冷蔵庫の中を改めて確認した。
酒の奥には意外にも食材が入っている。キャベツ、長ネギ、卵、ソーセージ。ラップに包まれた魚まであった。
「なんでこんなちゃんと入ってるんです?」
「最近、商店街で人助けしたら貰った」
「人助け?」
「荷物運んだり、迷子送ったり、魔獣倒したり」
「魔法少女っぽい」
「それで魚屋のおっちゃんから魚、八百屋から野菜」
「地域密着型魔法少女だ……」
「鍋にするか迷ってたんだよな」
「自炊できるんです?」
「できない」
「じゃあなんで鍋を選択肢に入れたんですか」
「鍋なら全部入れればいけるだろ」
「料理への理解が豪快すぎる」
ハヤトは冷蔵庫から食材を取り出した。
「俺が作りますよ。昨日の礼として」
「マジ?」
「簡単なのなら」
「助かるわぁ。私、自炊とかできねえんだよ」
「さっき自分で証明してましたよ」
◇
結局、朝食は焼き魚と卵焼き、炒めた野菜、それにソーセージという妙にまともなものになった。
「うま」
レイナは一口食べて即答した。
「早くないです?」
「人が作った飯ってだけで三割増し」
「自炊してくださいよ」
「やだ」
「即答かよ」
「面倒くさい」
「魔獣とは戦えるのに?」
「魔獣は倒せば終わる。料理は片付けもある」
「そこは頑張りましょうよ」
ハヤトも箸を取った。
昨日からまともなものを食べていなかったせいか、自分で作った朝食なのにやけにうまく感じる。
しばらくは二人とも普通に食べていた。
先に昨日の話を出したのはレイナだった。
「そういや銀髪」
「はい?」
「昨日のアレ。お前、最初から戦ってたんだろ?」
ハヤトの箸が少し止まった。
「……はい」
「なんか分かった?」
「全然」
「だよなぁ」
レイナはソーセージを転がしながら、難しい顔をした。
「こっちも分からん。硬いし、急に消えるし、変なとこに杭撃つし。テンペも気味悪がってた」
「あの人、気味悪がるんですね」
「『変なのぉ』って」
「気味悪がってるのか、それ」
「テンペ基準ではたぶん」
レイナが魚を一口食べる。
「ただ、全く効いてないわけでもなかった」
「……指」
「見てたか」
「二本だけ焼けてましたよね。あと、最後に踵も」
「そう。けど理由が分からん」
「炎が弱点とか?」
「だったら他も焼けてるだろ」
「それはそうか……」
「テンペの斬撃も多少は入ってた。でも、何が違うのかまでは分からん」
「変な奴だな……」
「お前が言う?」
「俺は普通です」
「銀髪で赤目で変な鎧着て、空飛びながら殴ってた奴が?」
「普通の基準が厳しい!」
レイナが笑いながらフォークを取った。
「まあ、次会ったら――」
ソーセージへ突き刺す。
ぷつっ、と皮が破れた。
「――――」
ハヤトの手から箸が落ちた。
黒い杭。
脇腹。
壁。
動かない身体。
近づいてくる足音。
「……っ」
「銀髪?」
椅子が大きな音を立てた。
ハヤトは立とうとしたが、脚に力が入らなかった。
「おい!」
床が近づく。
次の瞬間には膝をつき、そのまま片手を床へ突いていた。左手が脇腹を強く掴んでいる。
「銀髪!」
レイナが椅子を蹴って立ち上がった。
『契約者』
それまで二人の会話へ入らず黙っていたアストラの声が響く。
『私の声が聞こえますか』
「……聞こえてる」
『呼吸が乱れています。急いで立ち上がる必要はありません』
「分かってる……」
「おい、本当に大丈夫か?」
レイナが隣へしゃがみ込んだ。
ハヤトは何度か息を吸った。
床だ。
濡れていない。
杭もない。
左脇腹にはTシャツ越しの自分の手があるだけだった。
『落ち着きましたか』
「……ああ」
ようやく顔を上げる。
「レイナさんも、すいません」
「何でお前が謝るんだよ」
「飯の途中だったんで」
「そこ?」
レイナが眉を寄せた。
「傷、痛むのか?」
「……分かんないです」
「分かんない?」
「今は、別に」
ハヤトは脇腹から手を離した。
「大丈夫です」
「床に転がった直後に言われても説得力ねえぞ」
「でも大丈夫なんで」
「…………」
レイナはしばらくハヤトを見ていたが、やがて頭を掻いた。
「頑固だなぁ、お前」
「よく言われます」
「誰に?」
「……誰だろ」
「言われてねえじゃん」
レイナが手を差し出す。
ハヤトはその手を借りて立ち上がった。
「飯、冷めるぞ」
「……はい」
「ソーセージ食う?」
「今それ聞きます?」
「嫌なら私が食う」
「食いますよ!」
「食うんじゃん」
席へ戻った。
さっきフォークが刺さったソーセージだけは、なんとなく最後まで残した。
◇
朝食を食べ終える頃には、アストラから変身解除が可能な状態まで修復が進んだと報告された。
さすがにレイナの目の前で解除するわけにはいかない。
「じゃあ、そろそろ帰ります」
「本当に大丈夫なんだな?」
「大丈夫です」
「即答すんなよ。余計怪しいだろ」
「じゃあ三秒くらい考えてから言えばいいですか?」
「そういう問題じゃねえ」
レイナは呆れながらスマートフォンを取り出した。
「銀髪、端末ある?」
「一応」
「出せ」
「はい?」
「連絡先」
ハヤトは一瞬固まった。
「レイナさんの?」
「私と、あと支部の緊急番号。なんかあったら連絡してこい」
「いいんですか?」
「昨日死にかけた奴が遠慮するとこ、そこじゃねえだろ」
「……ありがとうございます」
「だから堅いって」
連絡先を交換する。
画面に表示された『赤城レイナ』の文字を見ていると、向かいから声が飛んできた。
「これで今度から手紙見なくても名前分かるな」
「まだ疑ってるじゃないですか!」
「ははっ」
「笑って誤魔化した!」
レイナは楽しそうにスマホをしまった。
「よし。じゃあ帰っていいぞ」
「お世話になりました」
「おう」
玄関へ向かい、靴を履く。
そこでハヤトは自分の格好を見た。
「あ、これ返します」
胸には巨大なテキーラ瓶。
黄色い放射光。
サボテン。
そして『TEQUILA』。
改めて見てもクソダサい。
「いいよ。着てけ」
「いや、でもこれクソダサ――」
「お前、その下の格好で外歩く気か?」
「…………」
戦闘用のベーススーツ。
ハヤトはTシャツを見た。
ベーススーツを見た。
もう一度、Tシャツを見た。
「……着て帰ります」
「似合ってるぞ」
「それ褒めてます?」
「たぶん」
「今日たぶん多くないですか!?」
レイナが笑いながら手を振った。
「じゃあな、銀髪」
「はい。昨日、本当にありがとうございました」
「おう。またな」
扉が閉まった。
◇
朝の住宅街を、銀髪の少女がクソダサいテキーラTシャツ姿で歩いていた。
胸元では、巨大な酒瓶とサボテンが朝日に照らされている。
「……死ぬほど目立ってない?」
『周囲から複数の視線を確認しています』
「銀髪かtシャツのせいだろ!」
なるべく人通りの少ない道を選び、しばらく歩いた。
やがてビルとビルの間に細い路地を見つける。
「アストラ、人いる?」
『周囲に人影はありません』
「よし。解除」
『了解しました』
赤い光が身体を包む。
銀髪がほどけるように消え、手足の長さと重心が変わる。視線が少し下がり、見慣れた自分の手が戻ってきた。
数秒後。
そこに立っていたのは、いつもの天城ハヤトだった。
クソダサいテキーラTシャツを着た。
「…………」
『変身解除、正常終了しました』
「そこじゃねえ」
『何か問題が?』
「男になったらさらに似合わねえな、これ……」
『赤城レイナは似合っていると評価していました』
「レイナさんの服装センスを信頼できなくなってきた」
ハヤトは胸元の巨大な酒瓶を見下ろし、深いため息をついた。
そのとき、ふと左脇腹へ目がいった。
Tシャツを少し持ち上げる。
そこには何もない。
杭が貫いた穴も、血も、傷跡すら残っていなかった。
「……本当にないんだな」
指先で触れる。
「っ」
身体が勝手に跳ねた。
ハヤトは止まった。
もう一度触ろうとして、手を止める。
「…………」
『契約者?』
「なんでもない」
Tシャツを戻した。
路地の向こうでは、いつもの朝の街を人が歩いている。
ハヤトもそちらへ足を向けた。
「……つかれた…帰ろう」
傷は治った。
一週間ぶりの戦場。
相手は、以前なら問題なく倒せた魔獣。
攻撃は見えている。
避け方も分かっている。
――なのに、身体が動かない。
次回、第11話「休息」
「……なあ、アストラ。俺、今日変だった?」