ヒーローを守りたかっただけなのに、魔法少女になった   作:冷凍マカロン

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復活!そして逃走!

 

 トーストが焦げた。

 

「……いや、まだいける」

 

 皿の上に置かれたそれを、ハヤトはしばらく眺めていた。

 

 表面は見事な黒褐色。端の方など、もはや炭と呼んでも差し支えない。

 

「マーガリン塗れば実質セーフだろ」

 

『焦げた部分にマーガリンを塗布しても、炭化した組織は元に戻りません』

 

「朝っぱらから正論やめろ」

 

 焦げのひどい部分をちぎり、残りを口へ放り込む。

 

 苦い。

 

 牛乳で流し込んだところで、アストラが口を開いた。

 

『契約者。BRAVE SYSTEMの修復が完了しました』

 

「……ん?」

 

 ハヤトの手が止まった。

 

「今、なんつった?」

 

『変身機能を含む各機能の動作確認が終了しました。現在、変身可能な状態です』

 

「マジで!?」

 

 椅子がガタンと鳴った。

 

 思わず立ち上がり、両手を握ったり開いたりする。

 

 一週間。

 

 学校へ行き、バイトをして、帰って寝る。

 

 普通の高校生として過ごすには、十分すぎるほど平和な時間だった。

 

 だが、ハヤトにとっては妙に落ち着かない一週間でもあった。

 

「よっしゃ! ついに復帰か!」

 

『ただし、変身機能の復旧は実戦における安全性を保証するものではありません』

 

「分かってるって。いきなり無茶はしない」

 

『過去の発言との一致を確認しました』

 

「……信用ねえな、俺」

 

『実績に基づいた評価です』

 

「ぐうの音も出ねえ」

 

 それでも、自然と頬が緩んだ。

 

 久しぶりに戦える。

 

 そう考えた途端、左脇腹に妙な感覚が走った。

 

「……?」

 

 服の上から手を当てる。

 

 傷はない。

 

 痛みもない。

 

 ハヤトは首を傾げ、そのまま残った牛乳を飲み干した。

 

 直後。

 

『契約者。付近に魔力反応を検出しました』

 

「……は?」

 

『南東約六百メートル。反応が急速に増大しています』

 

 遠くで何かが砕ける音がした。

 

 続いて、車の警報音。

 

 ハヤトは窓を開けた。

 

 通りの向こうで、何人かの人影が慌ただしく走っている。

 

「復帰初日から仕事かよ!」

 

 文句を言いながら、上着を掴んだ。

 

 玄関へ向かい、靴を履く。

 

「アストラ、行こう!」

 

『了解しました』

 

     ◇

 

 現場に近づくにつれ、騒ぎは大きくなっていった。

 

 道路には乗り捨てられた自転車。店の前には割れたガラスが散乱し、信号機が斜めに傾いている。

 

 交差点の向こうから走ってきた男性が、ハヤトの横を通り過ぎた。

 

「向こう行くな! 化け物がいる!」

 

「ありがとうございます!」

 

 礼を言って、ハヤトは建物の陰へ駆け込んだ。

 

『魔獣の姿を確認しました。推定危険度、B級下位』

 

「B級下位か……」

 

 角から顔を出す。

 

 直後、停車中の車が横倒しになった。

 

「うおっ!?」

 

 車体がアスファルトを削りながら滑り、街路樹に衝突する。

 

 その向こう。

 

 三メートルほどの黒い巨体が、低い唸り声を上げていた。

 

 四本の太い脚。

 

 前傾した胴体には硬そうな外殻が重なり、発達した肩が盛り上がっている。頭部は低く、突き出た顎には不揃いな牙が並んでいた。

 

 魔獣は倒れた車を前脚で踏みつけると、苛立ったように頭を振った。

 

『周辺住民の避難が進行中です』

 

「よし」

 

 ハヤトはベルトへ手を伸ばした。

 

 胸の奥が、少し騒がしい。

 

 久しぶりだからだろう。

 

 そう考え、息を吸った。

 

『BRAVE SYSTEM』

 

『Stand by』

 

「ブレイヴ・イン!」

 

 赤い光が全身を包み込む。

 

 黒と銀の装甲が形成され、両腕に大型ガントレットが装着される。

 

『Type Striker』

 

 ブレイヴは両手を握った。

 

 軽く膝を曲げる。

 

 地面を蹴った。

 

「っしゃ!」

 

 建物の角を飛び出した瞬間、魔獣がこちらを向いた。

 

 赤黒い目が細くなる。

 

 巨体が沈み込んだ。

 

『突進を確認』

 

「見えてる!」

 

 魔獣が地面を蹴る。

 

 十メートルほどの距離が、一瞬で縮まった。

 

 ブレイヴは真正面から飛び込まず、左へ踏み込んだ。

 

 肩を狙って振り下ろされた前脚が、背後の舗装を引き裂く。

 

 その横をすり抜け、左拳を魔獣の顎へ叩き込んだ。

 

 鈍い衝撃。

 

 続けて右。

 

 ガントレット後部のブースターが点火する。

 

 ドンッ!

 

 魔獣の頭が跳ね上がった。

 

「おらっ!」

 

 追撃しようとした瞬間、巨体が横へ振れた。

 

 肩の外殻が迫る。

 

「っと!」

 

 ブレイヴは両腕を交差させて受け止めた。

 

 重い。

 

 足元が滑り、靴底がアスファルトを削った。

 

 押し潰される前に、右腕のブースターを噴射する。反動で身体を横へ逃がすと、魔獣の肩が空を切った。

 

「危ねえ!」

 

 着地したブレイヴは、すぐに間合いを取り直した。

 

 真正面からは行かない。

 

 左へ回り込み、前脚の外側を殴る。

 

 魔獣がこちらを向けば後退し、頭が追いつく前に反対側へ移動する。

 

 一撃。

 

 離脱。

 

 もう一撃。

 

 爪が空を切り、道路へ深い傷を刻んだ。

 

「へへっ……!」

 

 身体が動く。

 

 敵の動きも見えている。

 

 ブースターの感覚だって、ちゃんと覚えている。

 

『対象の旋回速度が低下。左前脚への負荷が増大しています』

 

「じゃあ、そっちから崩す!」

 

 魔獣が再び突っ込んでくる。

 

 ブレイヴは直前まで動かなかった。

 

 爪が届く寸前、左腕のブースターを短く噴射する。

 

 身体を半歩ずらし、突き出された前脚の側面へ拳を叩きつけた。

 

 魔獣の巨体が傾く。

 

「今だ!」

 

 右腕を引く。

 

 ブースター点火。

 

 腰を回し、外殻の継ぎ目へ拳を突き込んだ。

 

 ガンッ!

 

 硬い殻に亀裂が走る。

 

 魔獣が悲鳴を上げた。

 

「よっしゃ!」

 

 すぐに後退する。

 

 反撃の爪が鼻先を通過した。

 

『現在までの有効打は七回。被弾はありません』

 

「いいねえ! その調子で頼む!」

 

 魔獣が前脚を踏み鳴らした。

 

 ひび割れた外殻の隙間から、赤黒い光が漏れている。

 

『魔力反応に変化』

 

「ん?」

 

 魔獣が突然、動きを止めた。

 

 前脚を大きく開き、胸部を反らせる。

 

 バキッ。

 

 奇妙な音がした。

 

 胸の外殻が、左右へ開いていく。

 

 その奥にあったのは、赤黒い光を放つ魔核。

 

「魔核……!」

 

 ブレイヴは反射的に右拳を引いた。

 

 今なら届く。

 

 あと一歩。

 

 そう思った瞬間。

 

 魔核の手前で、何かが伸びた。

 

 黒い。

 

 細長い。

 

 先端の尖った、杭のようなもの。

 

『前方、高密度魔力反応!』

 

 視界が揺れた。

 

 黒い杭。

 

 ガナレバ。

 

 左脇腹。

 

「っ!?」

 

 考えるより早く、両腕のブースターが火を噴いた。

 

 身体が横へ吹き飛ぶ。

 

 直後、先ほどまで立っていた場所を黒い杭が通過した。

 

 背後のコンクリート壁に突き刺さり、破片が四方へ飛び散る。

 

「う、わっ!」

 

 ブレイヴは道路脇へ転がり、倒れたコンクリート製の看板の陰へ滑り込んだ。

 

 肩が壁にぶつかる。

 

 それでも止まれず、両手を地面についてようやく身体を支えた。

 

「はっ……はっ……!」

 

 息ができない。

 

 いや、できている。

 

 吸っている。

 

 吐いている。

 

 なのに足りない。

 

 左脇腹が、ずきりと痛んだ。

 

「……っ!」

 

 反射的に手を当てる。

 

 傷はない。

 

 装甲にも異常はない。

 

 それなのに。

 

 黒い杭が身体を貫く感触が、鮮明に蘇った。

 

 ガナレバの顔。

 

 倒れた自分。

 

 動かない身体。

 

 あのときの、どうしようもない感覚。

 

「……くそ」

 

 膝が震えていた。

 

 止めようとして、太腿を叩く。

 

「……くそっ!」

 

『契約者』

 

 アストラの声。

 

 返事をしようとしたが、うまく声が出なかった。

 

『契約者。応答してください』

 

「……聞こえてる」

 

『対象の射出攻撃を解析しました。先ほどの攻撃は、ガナレバのものと比較して速度、威力ともに下回っています』

 

「分かってる……!」

 

 見れば分かる。

 

 あんなもの、ガナレバの攻撃とは比べものにならない。

 

 さっきだって避けられた。

 

 ブースターを使えば、もう一度接近できる。

 

 魔核も見えている。

 

 勝てる。

 

 勝てるはずだ。

 

 なのに。

 

 看板の向こうへ、顔を出せない。

 

『契約者』

 

「……っ」

 

 コンクリートを握る指に力が入った。

 

 遠くで、重い足音が響く。

 

 一歩。

 

 また一歩。

 

『対象が接近しています』

 

 ブレイヴは顔を上げた。

 

 看板の向こうで、黒い巨体が動いている。

 

 こちらを探している。

 

 逃げるか。

 

 いや。

 

 逃げたら、あいつは。

 

 背後には、まだ街がある。

 

「……ふざけんな」

 

 震える右手を握り締める。

 

 怖い。

 

 どうしようもなく怖い。

 

 もう一度あれを食らったら。

 

 また身体を貫かれたら。

 

 今度こそ。

 

「……っ、ああああ!」

 

 ブレイヴは立ち上がった。

 

 魔獣が反応する。

 

 胸部が開く。

 

『射出準備を確認!』

 

「だったら……!」

 

 ブレイヴは目の前のコンクリート看板へ右拳を叩き込んだ。

 

 同時に、ブースターを噴射。

 

 爆発的な衝撃が看板を粉砕する。

 

 大きな破片が魔獣へ向かって飛んだ。

 

 胸部から杭が射出される。

 

 破片の一つが砕け散った。

 

 しかし、その向こうにはもうブレイヴはいなかった。

 

「うおおおおっ!」

 

 地面すれすれを滑るように加速。

 

 飛び散った瓦礫を盾にしながら、魔獣の右側面へ回り込む。

 

 魔獣が頭を振った。

 

 爪が迫る。

 

 ブレイヴは左腕で弾き、身体を捻った。

 

 右拳を引く。

 

 魔核はまだ露出している。

 

 距離、二メートル。

 

 あと一歩。

 

『魔核を捕捉』

 

「ぶっ飛べえええっ!」

 

『BRAVE FINISH』

 

 両脚で地面を蹴った。

 

 右腕のブースターが最大出力で噴射される。

 

 赤い炎を引きながら、ブレイヴの拳が魔獣の胸へ突き刺さった。

 

 轟音。

 

 衝撃が腕を伝い、肩まで突き抜ける。

 

 魔核に亀裂が走った。

 

 魔獣の巨体が後方へ吹き飛び、道路を転がる。

 

 そのまま建物の外壁へ激突した。

 

 土煙が上がる。

 

 ブレイヴは着地した。

 

「はっ……はっ……!」

 

 倒れている。

 

 魔獣が。

 

 倒れている。

 

 それでも。

 

「……まだ」

 

 ブレイヴは走った。

 

 倒れた魔獣へ飛びかかり、右拳を振り下ろす。

 

 ガンッ!

 

 砕けた胸部へ拳がめり込んだ。

 

「まだだ……!」

 

 左。

 

 右。

 

 また右。

 

 ガントレットが外殻を砕く。

 

 魔獣は動かない。

 

 それでも拳が止まらない。

 

「うあああああっ!」

 

 右拳を振り上げる。

 

 その瞬間、魔獣の身体が赤黒い粒子となって崩れ始めた。

 

 拳が空を切る。

 

 だが、止まれなかった。

 

 ドゴンッ!

 

 アスファルトが陥没した。

 

 もう一発。

 

 ガンッ!

 

 地面に亀裂が走る。

 

 さらに拳を振り上げる。

 

『契約者!』

 

「っ!」

 

 アストラの声が響いた。

 

 ブレイヴの右腕が止まる。

 

 振り上げた拳の先には、もう何もいなかった。

 

 ただ、砕けたアスファルトと、深く抉れた地面があるだけだった。

 

「……はっ」

 

 息を吸う。

 

「はっ……はあっ……!」

 

 肩が上下する。

 

 右腕を下ろそうとした。

 

 動かない。

 

 いや。

 

 動かせない。

 

 指先が震えている。

 

『……戦闘終了です』

 

 アストラの声が、静かに響いた。

 

 ブレイヴは何も答えなかった。

 

 砕けた道路の真ん中で、ただ荒い呼吸を繰り返していた。

 

     ◇

 

「ブレイヴさん!」

 

 聞き覚えのある声がした。

 

 顔を上げると、通りの向こうから白い衣装の少女が駆けてくる。

 

 ホワイトリリィだった。

 

 ブレイヴは慌てて右腕を下ろした。

 

「……リリィ?」

 

「魔獣の反応を追ってきたんですけど……」

 

 リリィは途中で言葉を切った。

 

 壊れた道路。

 

 壁に残った衝突痕。

 

 そして、地面に片膝をついたままのブレイヴ。

 

「ブレイヴさん、大丈夫ですか!?」

 

「……ああ」

 

 ブレイヴは息を整えようとした。

 

 吸って、吐く。

 

 もう一度。

 

「大丈夫。魔獣なら……俺が倒したから」

 

 できるだけ普段どおりの声で答えたつもりだった。

 

 リリィは周囲を確認する。

 

 魔獣の姿はない。

 

「そうでしたか。ありがとうございます。今回も助けていただいて……」

 

 丁寧に頭を下げる。

 

 それから、顔を上げた。

 

「……あの」

 

「ん?」

 

「本当に、大丈夫ですか?」

 

「だから、大丈夫だって」

 

 ブレイヴは立ち上がった。

 

 膝が小さく揺れた。

 

 リリィの視線が、そこへ落ちる。

 

「……震えてますよ」

 

「え?」

 

「手も」

 

 ブレイヴは自分の右手を見た。

 

 握り締めようとする。

 

 だが、指先の震えは収まらなかった。

 

「……ちょっと疲れただけ」

 

「疲れただけで、そんな顔になりますか?」

 

「顔?」

 

 ブレイヴは頬に触れた。

 

 リリィは答えず、少しだけ眉を寄せた。

 

「神宿支部へ来てください」

 

「……は?」

 

「治療を受けましょう。身体に異常がないか、ちゃんと調べてもらった方がいいです」

 

「あー……いや、それは」

 

「私も一緒に行きますから」

 

「そういう問題じゃなくて!」

 

 ブレイヴは一歩後ずさった。

 

 支部。

 

 あそこには、イオがいる。

 

 ただでさえ研究対象として狙われているのに、こんな状態で連れていかれたら何をされるか分かったものではない。

 

「ほら、俺って頑丈だし! もう平気だから!」

 

「頑丈かどうかと、今の状態は別の話です」

 

「……うっ」

 

 正論だった。

 

 しかも、今朝アストラから聞いたものと似ている。

 

 今日はやたら正論に殴られる日らしい。

 

「と、とにかく! 魔獣も倒したし、俺はこれで!」

 

 ブレイヴは親指を立てた。

 

 そのまま膝を曲げる。

 

 ブースター点火。

 

 ゴンッ!

 

「いったぁ……い!」

 

 飛び上がろうとした頭が、何かに激突した。

 

 見上げる。

 

 目の前に、半透明の光の壁が浮かんでいた。

 

「……え?」

 

 振り返る。

 

 リリィが、にっこりと微笑んでいた。

 

 ただし、目は笑っていない。

 

「ブレイヴさん?」

 

「……はい」

 

「今、逃げようとしました?」

 

「……いやあ?」

 

「しましたよね?」

 

「ちょっと急用を思い出して……」

 

「その顔と身体で信用できますか!」

 

 リリィの声が大きくなった。

 

 ブレイヴは思わず肩をすくめる。

 

「拳が震えてますよ! さっきから呼吸だっておかしいですし!」

 

「いや、だから……!」

 

「私、ブレイヴさんには助けてもらったんです」

 

 リリィが一歩近づいた。

 

「だから、今度は私が助けたいんです!」

 

 ブレイヴは言葉に詰まった。

 

 まっすぐな目だった。

 

 ふざけているわけでも、何か企んでいるわけでもない。

 

 本気で心配してくれている。

 

 それが分かるから、余計に困った。

 

「……ありがとな。でも、ほんとに平気だから」

 

「だったら、検査だけでも受けてください」

 

「いや、それはちょっと……」

 

「どうしてですか?」

 

「……色々!」

 

「色々って何ですか!」

 

 リリィのこめかみが、ぴくりと動いた。

 

「もう……!」

 

 彼女が手をかざす。

 

 光が走った。

 

 ブレイヴの左右と背後に、新たな壁が形成される。

 

「うおっ!?」

 

 気づけば、四方を囲まれていた。

 

 上を見上げる。

 

 先ほど頭をぶつけた壁も、まだ残っている。

 

「ちょっ、待って! 何これ!」

 

「こうなったら仕方ありません!」

 

 リリィは胸を張った。

 

「未登録のまま活動していることも含めて、支部できちんとお話を伺います!」

 

「いや、俺は魔法少女じゃないんだって!」

 

「でしたら、なおさら説明が必要です!」

 

「話聞いて!?」

 

「聞いてます! でも、今は治療が先です!」

 

 リリィは壁の向こうから、びしっと指を突きつけた。

 

「ブレイヴさん! ゆっくり支部で治療を受けてください!」

 

「連行する側の台詞じゃねえ!」

 

 ブレイヴは頭を抱えた。

 

 いや、頭を抱えたいのはこちらも同じなのだろう。

 

 リリィは明らかに怒っている。

 

 それでも、こちらの様子を確認する視線だけは、先ほどから変わらず心配そうだった。

 

『契約者』

 

 アストラの声が響く。

 

『現在の身体状態を考慮すると、戦闘行動の継続は推奨できません』

 

「……分かってる」

 

 小さく呟いた。

 

 だが、ここで捕まるわけにもいかない。

 

 ブレイヴは正面の光の壁を見た。

 

「……リリィ」

 

「はい?」

 

「ごめん!」

 

「え?」

 

 右拳を引く。

 

『BRAVE FINISH』

 

 ブースターが点火した。

 

「ちょっ、ブレイヴさん!?」

 

 拳が光の壁へ叩き込まれる。

 

 轟音。

 

 衝撃が腕を伝い、肩まで突き抜けた。

 

 光の壁に亀裂が走る。

 

「ぐっ……!」

 

 右腕が痺れる。

 

 それでも、ブレイヴは拳を押し込んだ。

 

 バキンッ!

 

 光の壁が砕け散った。

 

「うそっ!?」

 

 リリィが目を見開く。

 

 ブレイヴは砕けた光の向こうへ飛び出した。

 

「ほんとに大丈夫だから!」

 

「どこがですか!」

 

 即座に返ってきた。

 

 ブレイヴは振り返らず、両腕のブースターを噴射する。

 

 身体が一気に加速した。

 

「またな、リリィ!」

 

「待ってください! ブレイヴさん!」

 

 背後から声が追いかけてくる。

 

 だが、ブレイヴは止まらなかった。

 

 建物の間を抜け、屋根の向こうへ姿を消す。

 

 残されたリリィは、しばらくその方向を見つめていた。

 

「……もう!」

 

 思わず足を踏み鳴らす。

 

 それから、砕けた道路へ視線を戻した。

 

 魔獣が倒された場所。

 

 そのすぐ近くには、何度も拳を叩きつけたような跡が残っている。

 

 リリィはしゃがみ込み、ひび割れたアスファルトへ手を伸ばした。

 

 先ほどのブレイヴの顔が、頭から離れなかった。

 

 あんなに青白い顔をして。

 

 身体まで震えていたのに。

 

「……本当に、大丈夫なんですか?」

 

 返事をする相手は、もういなかった。

 

     ◇

 

 人目のない場所まで移動したところで、ブレイヴはようやく足を止めた。

 

 ブースターの炎が消える。

 

 着地した途端、膝が折れた。

 

「……っ!」

 

 近くの壁に手をつき、どうにか身体を支える。

 

 右腕が痛い。

 

 左脇腹も。

 

 そこにはもう傷なんてないはずなのに。

 

「……はあっ……はっ……」

 

『契約者。休息を推奨します』

 

「……だな」

 

 変身を解除する。

 

 装甲が光となって消え、ハヤトは壁に背中を預けた。

 

 しばらく、何も考えられなかった。

 

 ようやく呼吸が落ち着いてきた頃、アストラが再び口を開いた。

 

『今回の戦闘記録を確認しました』

 

「……聞きたくねえなあ」

 

『敵の攻撃を回避した後、心拍数と呼吸数が急激に上昇。身体動作にも異常が確認されています』

 

「……うん」

 

『戦闘終了後も攻撃行動が継続しました』

 

「……見てたよ」

 

 ハヤトは右手を見た。

 

 まだ、少し震えている。

 

 魔獣は倒した。

 

 それも、自分より明らかに弱い相手だった。

 

 なのに、あの黒い杭を見た瞬間、何もかも分からなくなった。

 

「……俺さ」

 

 言いかけて、やめた。

 

 何を言えばいいのか分からなかった。

 

 勝った。

 

 怪我もしていない。

 

 それなのに、全然勝った気がしない。

 

『契約者』

 

「……ん?」

 

『直近二週間の戦闘記録と今回の反応を踏まえると、精神的負荷が蓄積している可能性があります』

 

 ハヤトは目を閉じた。

 

 あの黒い杭が、また脳裏に浮かぶ。

 

 思わず左脇腹を押さえた。

 

「……そっか」

 

 しばらく、沈黙が続いた。

 

 遠くで車が走る音がする。

 

 いつもと変わらない街の音だった。

 

「……なあ、アストラ」

 

『はい』

 

「俺、ちょっと休むわ」

 

 口にしてみると、思っていたよりも簡単だった。

 

 もっと悔しくなるかと思った。

 

 だが、今はそれ以上に疲れていた。

 

『承知しました』

 

「……怒んないの?」

 

『休息は合理的な選択です』

 

「……そっか」

 

 ハヤトは小さく笑った。

 

 それから、もう一度右手を握った。

 

 まだ、震えは収まっていなかった。

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