ヒーローを守りたかっただけなのに、魔法少女になった 作:冷凍マカロン
カラン、と軽いベルの音が鳴った。
「ありがとうございましたー!」
最後の客を見送り、天城ハヤトは喫茶マジカルポップの扉を閉めた。
夕方の店内にはコーヒーと焼き菓子の匂いが残っている。窓の外では街灯が点き始め、帰宅途中の学生たちが笑いながら通り過ぎていった。
「ハヤトくん、そっちのテーブルお願いしていい?」
「了解っす!」
カウンターの向こうで、店長の木場さんが洗い終えたカップを棚へ戻している。
ハヤトがグラスを下げていると、木場さんが声をかけてきた。
「そういえば、新しいチョコケーキ、試食してみない?」
「食います!」
「返事早いねえ。仕事のときもそれくらい早いと助かるんだけど」
「普段から早いっすよ!?」
「さっき三回呼んで、やっと振り向いたのは誰だったかな」
「……ちょっと考え事してただけで」
「へえ?」
木場さんはそれ以上聞かず、小皿を二つ並べた。
片方にはホイップクリーム、もう片方には赤いベリーソースを添えたチョコレートケーキが載っている。
「どっちを出すか迷ってるんだよね」
「ほう……重大な問題ですね」
「そんなに?」
「チョコとベリーは鉄板。でもホイップも捨てがたい。これは店の命運を左右する選択といっても……」
「過言だよ」
「最後まで言わせてくださいよ!」
まずはホイップ。濃厚なチョコに軽いクリームがよく合う。
続いてベリーを食べると、甘酸っぱさが後味をすっきりさせた。
「……あー、こっちもいい!」
「で、どっち?」
ハヤトは二つの皿を見比べた。
「……両方売りましょう」
「そう来たか」
「いや、選べないっすよ! どっちも美味いし!」
「じゃあ、ハヤトくんが全部買ってくれる?」
「給料と相談させてください」
「現実的だなあ」
「先月、限定プリン三つ買って財布が死にかけたんですから」
「三つも?」
「一個目が美味すぎて、二個目を買って、三個目は明日の自分へのプレゼントで……」
「ちゃんと明日の自分に届いた?」
「……夜中の俺が食いました」
「でしょうね」
木場さんが吹き出し、ハヤトも笑った。
いつもどおりの、バイト先の夕方だった。
◇
カチャン、と食器の触れ合う音がした。
「っ!」
肩が跳ね、手にしていたグラスが傾く。残っていた水がトレーへこぼれた。
「あっ、やべ!」
「ごめんごめん。スプーン落としちゃった」
床には銀色のスプーンが一本転がっている。
ただそれだけなのに、ハヤトの指先は冷たくなっていた。
黒い杭が迫る。
避けられない。
左脇腹を貫いた衝撃と、息ができなくなった感覚。
「……っ」
違う。ここは喫茶店だ。
布巾を取ろうとして、一度取り落とした。
「ハヤトくん、ちょっと休憩する?」
「え? いや、全然平気っすよ!」
思ったより大きな声が出た。
木場さんは一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに頷いた。
「そっか。じゃあ、その水だけ拭いておいてくれる?」
「……はい」
ハヤトは布巾を握り直した。
何度もやってきた簡単な仕事なのに、心臓の音ばかりが耳についた。
店内のテレビでは、神宿市内で発生した魔獣が魔法少女に討伐されたと報じていた。
「……また出たんだ。最近、多いよねえ」
「……そうっすね」
ハヤトはカップを拭きながら答えた。
画面には壊れた道路と、魔法少女へ拍手を送る人々が映っている。
少し前なら、どんな武器を使ったのかと食いついていただろう。
今はテレビを見る気になれず、手元へ目を落とした。
「ハヤトくん。そのカップ、もう乾いてるよ」
「……あ」
「さっきからずっと磨いてる」
「ピカピカっすね」
「うん。じゃあ、そのサービス精神で残りもお願いしようかな」
「しまった。墓穴掘った」
木場さんは笑った。
ハヤトも笑い返したが、すぐに手元へ視線を戻した。
◇
閉店作業が終わる頃には、窓の外はすっかり暗くなっていた。
木場さんがレジを締め、ハヤトはエプロンを外す。
帰るつもりで紐を引いたところで、指が止まった。
「……木場さん」
「ん?」
「ちょっと、聞いてもいいっすか?」
「いいよ。どうしたの?」
「……変な話なんですけど」
ハヤトはエプロンの紐を指に巻きつけ、またほどいた。
「前まで普通にできてたことが、急に怖くなるって、あると思います?」
木場さんはレジを閉じ、カウンターの椅子へ腰を下ろした。
「あるんじゃないかな。何かあった?」
「いや、その……知り合いの話なんですけど」
「知り合い?」
「はい。そいつ、一回すげえ怖い思いしてから、前みたいにできなくなっちゃったらしくて」
「うん」
「頭では分かってるんですよ。前はできたんだから、またやれるはずだって。でも、いざやろうとすると……身体が動かなくなるんです」
自分の手を見つめ、慌てて付け足した。
「……らしいっす」
「そっか」
木場さんはそれ以上、知り合いについて聞いてこなかった。
そのせいか、ハヤトの口から次の言葉がこぼれた。
「……俺、前はできたんですよ」
「あ」
「……今のなしで」
「ふふっ。いいよ」
「いや、絶対分かってますよね?」
「何のことかなあ」
「その顔は分かってる顔っすよ!」
つられて笑ったあと、ハヤトはエプロンを握り直した。
「……なんか、情けないっすよね。前はできてたのに、今はやろうとするだけで怖くなる」
「……うん」
「怖いって思ったら、もうダメなんすかね」
木場さんは少し考えた。
「どうだろうね」
「そこは、いい感じの答えとかないんすか?」
「そんな便利な答えがあったら、私も知りたいよ」
「ですよねえ……」
木場さんはカウンターに頬杖をついた。
「でも、怖くなくなるまで待たなきゃいけないってことでもないと思うよ」
「……え?」
「怖いものは怖いでしょ。嫌な思いをしたなら、なおさら。だから、怖がってる自分を責めても、あんまりいいことないんじゃないかな」
「……でも、それじゃ何もできないままじゃないっすか」
「そうかな。しばらく休んでもいいし、誰かに頼ってもいいと思うけど」
「でも、逃げてたら……」
ハヤトは口を閉じた。
自分が行けば助けられたかもしれない人がいる。
そう考えると、休んでいることさえ落ち着かなかった。
「……分かんねえんすよ。どうしたらいいのか」
「そっか」
木場さんは頷いた。
「じゃあ、今すぐ決めなくてもいいんじゃない?」
「……決めなくても?」
「うん。もう一度やってみたいと思ったときに考えてもいいし。どっちにしても、自分を壊すほど無理するのはおすすめしないかな」
ハヤトはしばらく黙っていた。
「……なんか、店長っぽいこと言いますね」
「店長だからね」
「普段は俺にケーキ食わせて感想聞いてるだけじゃないっすか」
「それも立派なお仕事です」
「俺の胃袋を業務利用してません?」
「今さら?」
「開き直った!」
木場さんが笑う。
ハヤトも、今度は自然に笑えた。
◇
「はい、これ」
帰り際、木場さんが紙袋を差し出した。
「……何すか?」
「今日の試作品。持って帰っていいよ」
袋の中には小さな箱が二つ。
「……二つ?」
「ホイップとベリー。どっちも好きなんでしょ?」
「……木場さん。一生ついていきます」
「大げさだなあ。じゃあ明日もよろしくね」
「……明日もシフト入ってましたっけ?」
「入ってるよ」
「しまった。ケーキ二個で契約を交わしてしまった」
「安い契約だねえ」
木場さんに見送られ、ハヤトは店を出た。
夜風が頬を冷やす。
紙袋を揺らさないように持ち直し、しばらく歩いてから口を開いた。
「……アストラ。聞いてた?」
『はい、契約者』
「どう思う?」
『木場氏の助言は合理的だと考えます』
「……合理的、ねえ」
ハヤトは街灯の下で足を緩めた。
「なあ。母さんもさ……怖かったのかな」
『それは分かりません』
「……だよな」
人を助けに戻った母は、帰ってこなかった。
怖かったのか。何を考えていたのか。今となっては確かめようがない。
「最初にフェンリルと戦ったときも、めちゃくちゃ怖かったんだよ。あんなデカい化け物、ゲームの中でしか見たことなかったし」
『当時の契約者には戦闘経験がありませんでした』
「そうそう。なのに、あのときは動けたんだよな」
傷だらけで、それでも魔獣の前に立っていた白い少女を思い出す。
「……次に魔獣が出たら、俺、どうすんだろうな」
『現時点では判断できません』
「だよな。俺も分かんねえ」
ハヤトは小さく息を吐いた。
「……でも、最初から無理って決めるのも嫌なんだよな」
『承知しました』
返事はいつもどおりだった。
それが、今はありがたかった。
「……さて。帰ったらケーキ食うぞ」
『先ほど試食を済ませたばかりでは?』
「試食と夜食は別腹だろ」
『同一の胃に収容されます』
「そういう話じゃねえんだよ!」
ハヤトは紙袋を持ち上げた。
「しかも二種類あるからな。どっちから食うか迷うぜ」
『両方を同時に食べるという選択肢もあります』
「……お前、たまに悪魔みたいな提案するよな」
『合理的な提案です』
「合理的に俺を太らせようとすんな!」
信号が赤に変わり、ハヤトは足を止めた。
箱が傾いていないか確かめてから、顔を上げる。
恐怖が消えたわけじゃない。
次に同じことが起きたら、どうするかも決められない。
青信号が灯る。
「……よし」
『何がですか?』
「ケーキの安全確認」
『異常はありません』
「今日の俺には大事なんだよ」
ハヤトは紙袋を大事に抱え、家路を急いだ。
次回予告 第十四話「立ち上がれ、ブレイヴ」
また、魔獣が現れた。
蘇る痛み。震える足。
怖い。逃げたい。もう、あんな思いはしたくない。
それでも、背後には守るべき人たちがいる。
「……俺が、守るんだ」
心に突き刺さった黒い杭。
そんなもの、ぶっ壊してしまえ。
次回、第十四話「立ち上がれ、ブレイヴ」
今度こそ、自分の意志で変身する。