ヒーローを守りたかっただけなのに、魔法少女になった 作:冷凍マカロン
昼のピークが過ぎた喫茶マジカルポップには、ようやく落ち着いた時間が戻ってきていた。
さっきまで埋まっていたテーブルには空席が目立ち、窓から差し込む陽射しが、磨いたばかりの木目を照らしている。厨房では換気扇が低く唸り、カウンターの奥からコーヒーの香りが漂ってきた。
「……終わったぁ」
最後のグラスを片づけ、天城ハヤトは大きく肩を回した。
注文票が増えるたびに「これ詰んだかも」と思ったが、何とか乗り切った。足の裏が少しじんじんしている。
「お疲れ。今日はよく動いたね」
店主が声をかけてきた。
「いやぁ、途中マジで皿足りなくなるかと思いましたよ」
「足りてたでしょ」
「じゃあ俺の処理能力の話です」
「そっちは少し危なかったね」
「否定してほしかった!」
笑われてしまった。
ハヤトはエプロンの紐を緩めながら、厨房へ目をやった。昼の注文が落ち着いたあとも、コンロのそばにはトマトと炒めた玉ねぎの甘い匂いが残っている。
「……腹減ったな」
「さっきからそればっかり」
「そりゃ働いたんで。カロリー、完全に赤字っすよ」
『契約者。摂取量と消費量の収支について、現時点で正確な計算はできません』
(分かってるって。言い回しだよ)
アストラの律儀な返答を頭の中で受け流していると、店主が調理台のほうを顎で示した。
「お昼、何か作って食べる?」
「いいんすか?」
「片づけが済んでからね。こっちも手が空いたし、簡単なものなら見てあげるよ」
「……じゃあ、ナポリタン!」
「即答だねえ」
「今、あの匂い嗅いじゃったんで!」
ハヤトはさっそく手を洗い、エプロンの紐を結び直した。
喫茶店のナポリタン。
名前だけで勝利が約束されているような響きだ。想像するだけで腹が鳴る。
「自分で作るんだから、変に張り切りすぎないこと」
「大丈夫っす。俺、手順書ある料理は得意なんで」
「さっき、注文票の順番を間違えかけてた人が言う?」
「それは数が多かったからです!」
「はいはい。じゃあまず、玉ねぎ切って」
言い返したものの、店主の指示には素直に従う。
包丁がまな板を叩く。玉ねぎを薄切りにし、ピーマンとウインナーも切り分けた。
店主に火加減を確認してもらってから、フライパンを温めた。
油を引き、玉ねぎ、ウインナー、ピーマンの順に炒める。肉の脂が跳ね、香ばしい匂いが立ち上った。
「……あ、もう絶対美味い」
「まだ味ついてないよ」
「素材の段階で勝ってます」
「勝敗をつけるの早いなあ」
ケチャップを加えると、フライパンの上で甘酸っぱい香りが膨らんだ。店主に教わったとおり、焦がさないように混ぜて水気を飛ばす。
「そこで麺」
「了解!」
ゆでたスパゲッティを入れ、トングで持ち上げながら具材と絡める。
麺が、つやのある赤に変わっていく。
「お、おお……!」
「手が止まってる」
「いや、完成していく感じがいいなって」
「感動するのは盛りつけてからにして」
「はいっ!」
最後に味を確かめ、皿へ盛りつける。赤い麺の間からピーマンとウインナーが覗き、甘酸っぱい湯気が立ち上った。
ハヤトはしばらく、その皿を見つめた。
「……できた」
「お疲れさま。なかなかいいんじゃない?」
「これ、俺が作ったんすよね?」
「ほかに誰が作ったの」
「いや、分かってるんですけど……思った以上にちゃんとしてる」
「自分をもっと信用してあげなよ」
店主は笑い、フォークを渡してくれた。
「冷めないうちに食べな」
「いただきます!」
ハヤトは席に腰を下ろすと、フォークで麺を巻き取った。
赤いソースが絡んだスパゲッティを、たっぷりひと口。
「…………!」
ケチャップの甘酸っぱさに、玉ねぎの甘みとウインナーの旨み。麺にはソースがしっかり絡んでいるのに、べちゃべちゃしていない。ピーマンの苦みが後味を締めてくれる。
「……うっま」
もうひと口。
「……え、うまっ!」
思わず店主を見た。
「これ、めっちゃ美味いっす!」
「そう。よかったね」
「いや、ほんとに! ケチャップってこんなに美味くなるんすか!?」
「火を入れると味が変わるからね」
「すげえ……。何か、ただのケチャップ味じゃないんすよ。ちゃんと喫茶店の味してる!」
「そりゃ、ここ喫茶店だから」
「そういう意味じゃなくて!」
店主は堪えきれずに笑った。
粉チーズを振ると、酸味がまろやかになった。
「……うわ、二段階目の進化だ」
『契約者』
(何だ? 今忙しいぞ)
『先ほどから、食事に関する感想を繰り返しています』
(だって美味いんだもん)
『その評価については否定しません。ただし、私は味覚を共有していません』
(かわいそうにな……)
『同情を必要とする状況ではありません』
(いつか食わせてやりたいわ、このナポリタン)
『私には摂食機能がありません』
(知ってるよ! 気持ちの話!)
フォークを口へ運びながら、ハヤトはこっそり笑った。
店内には冷房の音と、店主が食器を片づける音だけが残っていた。
このまま、午後が何事もなく過ぎていけばいい。
そう思ったところで、アストラが再び声をかけてきた。
『契約者。報告があります』
(……今度は?)
『神宿市内の魔力分布に、通常とは異なる変動を確認しました』
フォークを動かす手が、少しだけ遅くなった。
(魔獣か?)
『現時点で魔獣の出現は確認されていません』
(じゃあ、何があったんだ?)
『市内の一地点で、周辺の魔力が短時間だけ低下しました。その後、通常の値へ戻っています』
(……減った?)
『はい』
ハヤトは皿の上の麺を眺めた。
魔獣が出るならまだ分かる。だが、何も現れずに魔力だけ減るとはどういうことだろう。
(故障とかじゃねえの?)
『その可能性もあります。ただし、同じような低下を別の地点でも確認しました』
(……二か所?)
『はい。発生地点は異なります』
店主がカウンターの向こうから声をかけてきた。
「ハヤトくん、どうかした?」
「……あ、いや! 何でもないです!」
「急に黙るから、変な味でもしたのかと思った」
「むしろ逆っす! 美味すぎて考え込んでました!」
「それはそれで大げさだなあ」
ハヤトは笑ってごまかした。
ここでアストラと声に出して話すわけにもいかない。
(アストラ、何か分かったら教えてくれ)
『承知しました。観測を継続します』
(頼む。……で、今はもうちょい食わせて)
『了解しました』
返答を聞いて、ハヤトはフォークを持ち直した。
目の前のナポリタンは、まだ温かい。
◇
神宿支部の管制室では、冷房の音に混じって、短い電子音が鳴っていた。
「……もう一回」
九条イオは画面に顔を近づけ、数分前の観測記録を呼び出した。
神宿市の地図に添えられた観測値。その一か所で、折れ線が不自然に落ち込んでいる。
「……んー?」
「どうかしましたか?」
近くで資料を整理していたユイが覗き込んだ。
「ここ。数字が落ちてるでしょ」
「……はい。でも、そのあとすぐ戻っていますね」
「そう。魔獣なら、何かが現れた反応を探せばいい。でも今回は逆。普段あるはずの魔力が、その場所だけ一瞬薄くなるんだ」
イオは別の地点の記録を重ねた。
「で、こっちでも似たことが起きてる」
「機械の不具合でしょうか」
「それが一番ありがたいんだけどね。別の観測記録でも低下は確認できた。現場には何も起きてないし」
イオは椅子の背にもたれ、もう一度画面を見た。
「場所は離れてるのに、減り始めから戻るまでの形が似てる。……何かに引っ張られてるようにも見えるけど、確証はないな」
「イオさんが、分からないものを嫌がるのは珍しいですね」
「分からないものは好きだけどさ。これは喜んでいいか分からない」
そのとき、画面の端が小さく点滅した。
「……三つ目」
イオの指が素早く動く。新しい地点でも魔力が短時間だけ減少し、すぐに元へ戻っていた。
ユイも地図を見つめる。
「……離れていますね」
「うん。どこかから順番に広がってるって感じでもない」
管制室の扉が開いた。
「イオさん、状況をお願いします」
支部長だった。手にしていた書類を脇の机に置き、イオの隣へ立つ。
「三か所で、似た魔力低下を確認しています。どれも短時間で回復。魔獣も被害も確認されていません」
「観測機器の故障は?」
「調べています。ただ、今のところ故障だけでは説明できません」
「分かりました」
支部長は地図を眺め、すぐに次の質問をした。
「過去の発生記録とは照合しましたか?」
「まだ途中です。直近の魔獣出現地点と重ねていますけど、今のところはっきりした一致はないですね」
「……なるほど」
その返事を聞いたイオが、画面から顔を上げた。
「支部長。今回の件、単独の観測異常として見るつもりですか?」
「いいえ。関連があると決めつけるつもりもありませんが、最近の出来事を一度整理しておく必要はありそうです」
支部長が空いている画面に資料を呼び出す。
A級魔獣の出現記録。
正体の分かっていない、魔法を扱う人物についての報告。
そして、ブレイヴに関する記録。
イオは三つの項目を眺め、片眉を上げた。
「……並べると、ずいぶん賑やかだね」
「歓迎したい賑やかさではありませんね」
支部長は穏やかな声で答えた。
「A級魔獣の出現は、それだけで警戒すべき出来事です。それに加えて、既存の情報だけでは判断できない魔法の使い手も現れた」
「ブレイヴも、最初は何者か分からなかったしね」
「ええ。ただ、彼女については、これまでの行動を確認できています」
ユイが少し身を乗り出した。
「ブレイヴさんは、何度も人を助けてくれています」
「もちろん、その点は承知しています。問題視しているわけではありませんよ」
支部長はユイにそう返してから、地図へ視線を戻した。
「ただ、こちらが把握していなかった存在が続けて現れています。今回の異常との関連も含め、調べ直しましょう」
「……そもそも全部別件かもしれないしね」
「その可能性もあります。今は結論を急ぎません」
イオは机の上に置いた飲み物へ手を伸ばした。ぬるくなっている。一口飲み、顔をしかめてから、また端末へ向かった。
「じゃあ、以前のA級の記録と、謎の人物が確認されたときの報告も見直すよ。観測値が残っていれば、今回の変動と比較できる」
「お願いします。それと、異常地点の現況も確認してください」
「現地の確認も?」
「はい。ただし、安全を優先して。原因不明の現象ですから、むやみに近づくことは避けてください」
支部長は担当職員へ連絡を入れた。観測機器の点検、現場の状況確認、過去の報告との照合。指示を終えたところで、管制室の扉が開いた。
レイナが顔を出した。
「おーい。警戒態勢って聞いたんだけど、何か出たのか?」
「今のところ魔獣は確認されていません」
「……なら、出そうってことか?」
「それもまだ分かりません」
「一番困る返事だな」
レイナは苦笑し、イオの画面を覗いた。
「うわ、数字だらけ。で、こいつがどう変なんだ?」
「ここ。何もないはずのところで、魔力が一瞬減ってる」
「……減ってる?」
「そこ、いい反応。私も最初はそう思った」
「お前が面白がってるなら大丈夫そうに見えるけどな」
「面白いとは言ってないよ」
レイナはその言葉に、イオの横顔を見た。
「……珍しいな」
「そう?」
「ああ。分かんねえものを見つけたら、いつもはもっと楽しそうだろ」
「調べるのは楽しいよ。でも、街で何か起きてから答え合わせするのは嫌だからね」
レイナは画面を見直し、腕を組んだ。
「……分かった。で、あたしらは?」
支部長は電話を置き、顔を上げた。
「各員への連絡をお願いします。直ちに出撃する状況ではありませんが、連絡が取れる状態を保ち、必要ならすぐ動けるようにしてください。巡回中も異常があれば無理に調査せず、まず報告を」
「了解。みんなにも伝えとく」
「市民への警報はまだ出しません。異常は観測されていますが、危険が迫っていると断定できる段階ではありませんから」
「そりゃそうだな」
レイナは頷きかけて、ふと思い出したように言った。
「……ブレイヴにも、話しといたほうがいいか?」
ユイが顔を上げた。
支部長は少し考え、答える。
「そうですね。今後、支部の人数だけでは対応が難しくなる可能性もあります。彼女に協力をお願いできるか、意向だけでも聞いておきたいです」
「おう。連絡はつくし、あたしから話してみるよ」
「助かります。正式な所属の話とは分けて、本人の意思を尊重してください」
「分かってるって。あいつが嫌がるなら無理には頼まねえよ」
レイナは軽く手を振り、管制室を出ていった。
イオはその背中を見送った。
「……そういえば、レイナってブレイヴと直接連絡取れるんだよね」
「ええ。そう聞いています」
「いいなあ。私だって聞きたいことが山ほどあるのに」
「イオさん」
「分かってる、分かってる。今はこっちが先」
ユイが苦笑し、イオは仕方なさそうに画面へ向き直る。
その瞬間、短い電子音が鳴った。
「……四つ目」
イオの指が止まった。
地図の新しい地点で数値が落ち込み、数秒後には元へ戻った。これまでと同じように、周辺からの通報は何もない。
支部長は画面を見たまま、静かに告げた。
「イオさん。次も発生したら直接報告を。必要なら、関係者を集めて対策を共有します」
「……了解」
四つの印が地図に残った。イオが過去の記録を開き直したとき、また電子音が鳴った。
「……五つ目」
今度は、折れ線が落ちたまま戻らなかった。
「……あれ?」
イオは時間表示を確かめ、数値を更新する。線は動かない。現場の映像には、いつもの街路と、信号待ちの人々が映っているだけだった。
「イオさん?」
「これまでの四か所は、短時間で戻った。でも、ここだけ低いまま……」
支部長が画面を覗き込んだ。
「ほかに変化は?」
「魔獣の反応も、現場からの通報もない。だけど、この地点だけ低下が続いてる」
イオは数秒黙ってから、隣の画面で観測記録を並べた。
「……これ、何かの準備だったら嫌だな」
「準備、ですか?」
「証拠はないよ。ただ、偶然で片づけるには回数が多すぎる」
イオが観測記録を保存する間に、支部長は地図の五つの印を見比べた。
「観測を続けてください。現場の確認は安全を優先。各員への警戒指示も維持します。それと、関係者を集めて記録を共有できるよう、準備をお願いします」
「……了解」
五つ目の観測地点。
魔力の数値は、いまだに戻らない。
イオはそれまでの四つの記録と見比べ、ふと手を止めた。
「……減ってるんじゃなくて、どこかに持っていかれてる?」