ヒーローを守りたかっただけなのに、魔法少女になった 作:冷凍マカロン
目を覚ました瞬間、天城ハヤトは後悔した。
「いっ……てぇ……」
起き上がろうとしただけで背中が軋む。腰も痛いし、左腕も重い。昨日、車へ叩きつけられたあたりが、律儀に全部自己主張していた。
薄いカーテン越しに朝日が差し込む六畳の部屋では、首振り扇風機が黙々と働いている。床には脱ぎっぱなしの制服、机には途中まで解いた数学のプリント。冷蔵庫の低い駆動音まで、何もかもがいつもの朝だった。
昨日、巨大な狼と殴り合った高校生の部屋には、とても見えない。
「夢……じゃないよな」
ハヤトは布団の中から自分の手を持ち上げた。男の手だ。指も腕も昨日までと同じで、念のため胸元まで確認する。
ない。
「……戻ってる」
『変身解除後、契約者の肉体は通常状態へ復帰します』
「うおっ!?」
枕元から突然声がして、反射的に跳ね起きた。
「っっっ……!」
次の瞬間、背中が死んだ。声にならない悲鳴を上げ、そのまま布団へ沈む。
『急激な動作は推奨しません』
「先に言え……!」
枕元では、小さな端末が静かに浮いていた。昨日、自分をブレイヴへ変えた存在――アストラだ。淡い光を灯したまま、何事もなかったようにハヤトを見ている。
『起床を確認しました』
「見れば分かるだろ」
『はい』
「じゃあ言うなよ……」
『了解』
「素直だな……」
ハヤトは一度、自分の手を見る。脳裏に昨日の姿が浮かんだ。銀色の長い髪、赤い瞳、細くなった指。鏡の中で、自分なのに自分ではなかった少女。
「…………」
『どうしました』
「いや」
昨日は混乱していて、それどころではなかった。けれど、今になって思い返してみると。
「……悪くは、なかったよな」
『何がですか』
「何でもねえ!」
布団を蹴る。
「っ……!」
『急激な動作は』
「二回言うな!」
◇
数十分後。
「……焦げた」
フライパンの上では、目玉焼きの端が黒くなっていた。
『可食範囲です』
「慰めになってない」
食パン一枚と焦げた目玉焼きをテーブルへ運び、冷蔵庫を覗く。残り物も心許ない。
「帰りに買い物だな……」
『栄養状態を考慮し、肉類および野菜の補充を推奨します』
「財布の状態も考慮してくれ」
一拍置いて、アストラが答える。
『もやしを推奨します』
「理解が早くて助かるよ」
麦茶を注ぎながらテレビをつけた。天気予報を見るつもりだったが、画面に映ったのは昨日の街だった。
『続いて、昨日午後に神宿市中央区で発生したA級魔獣による被害についてです』
箸が止まる。
上空から撮影された道路には、砕けたアスファルト、横転した車、黒く焼けた交差点が映し出されていた。
『魔法少女協会によりますと、A級魔獣フェンリルは討伐されましたが、周辺では建物や道路への大きな被害が確認されています』
映像が切り替わる。白い少女――ホワイトリリィ。そして。
『また、現場では所属不明の魔法少女が戦闘に参加していたことが確認されています』
「ぶっ!」
麦茶を吹いた。
画面いっぱいに、銀髪の少女が映っていた。誰かがスマートフォンで撮影したのだろう。画面が大きく揺れた直後、赤い噴射光が走り、拳がフェンリルの巨体を跳ね上げる。
「…………」
昨日は必死だった。怖かったし、痛かったし、何度も死ぬと思った。
なのに、映像で見ると。
「……結構、カッコよくね?」
ニュース画面の端には『所属不明』の文字が表示されていた。
「……そりゃ所属不明にもなるか」
『昨日、魔法少女協会関係者が到着する前に現場を離脱しています』
「だって面倒そうだったし」
『合理的判断です』
「お前も帰ろうって言っただろ」
『はい』
「堂々としてんな」
◇
教室の扉を開けた瞬間、嫌な予感がした。
「だから銀髪ちゃんだって!」
「名前ダサくね?」
「じゃあお前考えろよ!」
「拳姫」
「もっとダセえ!」
朝から教室が騒がしい。ハヤトは黙って自分の席へ向かい、聞かなかったことにしようとした。
「天城!」
「聞こえない」
「まだ何も言ってねえよ!」
クラスメイトがスマートフォンを突き出してくる。嫌でも見えた。サムネイルには銀髪赤眼の少女。再生回数、二十七万。
「……増えてる」
「何が?」
「いや、何でもない」
「これ見た? ヤバくね? 新しい魔法少女」
動画が再生される。昨日、自分が命懸けで戦った場面なのに、隣では完全にスポーツのハイライトでも見るような顔をしている。
「ここ! このカウンター!」
「……まあ、ここはな」
「だろ!?」
ハヤトもつい画面へ顔を寄せた。
「でも、その前見ろよ。ちゃんとギリギリまで引きつけてるだろ?」
「え、そうなの?」
「ほら、狼が一回沈むじゃん。そこから――」
「お前めっちゃ見てんじゃん」
「…………」
すっと背もたれへ戻る。
「たまたま」
アストラは鞄の中にいる。学校のような人目のある場所では姿を隠し、ハヤトだけに聞こえるよう声を絞っていた。
置いてくるという案は朝の時点で却下されている。
『契約者との距離を維持します』
その一点張りだった。
結果、教科書と弁当の横に、人類の常識から盛大にはみ出した謎の端末が収まっている。教師に見つかったら何と説明すればいいのか。
「で、名前なんだと思う?」
別の男子が椅子ごと寄ってきた。
「銀狼ちゃん」
「敵が狼だろ」
「シルバーナックル」
「中二」
「拳姫」
「だからダセえって」
後ろの女子がスマートフォンを見たまま口を挟む。
「普通にかわいくない?」
ハヤトの耳が反応した。
「分かる。銀髪赤目は強い」
「顔ちゃんと映ってないけどね」
「スタイル良くない?」
「…………」
何も言わず教科書を机へしまう。
「でも戦い方ゴリラなんだよな」
「ゴリラシルバー」
あちこちから笑いが漏れた。
「それはないだろ!」
ハヤトは立ち上がっていた。
全員が見る。
「…………」
「天城?」
「いや」
座る。
「なんでお前がキレたの?」
「別に」
「じゃあゴリラシルバーで」
「もっとあるだろ!」
「だからなんで!?」
笑いが広がる。
ハヤトは頭を抱えた。命懸けで戦った結果がゴリラシルバー。それだけは嫌だ。ものすごく嫌だ。
「じゃあ天城が考えろよ」
「俺?」
「文句ばっか言ってんだから」
「名前……」
昨日、あの少女に聞かれた。
あなたは、誰なんですか。
そのとき、口から出た名前。
「……ブレイヴ、とか」
教室が一度、静かになる。
「…………」
「直球すぎない?」
「小学生がつけそう」
「勇気ちゃん?」
「いや、ないわ」
「なんでだよ!」
机を叩いた。
笑い声が爆発する。
鞄の中から声がした。
『心拍数の上昇を確認』
「お前は黙ってろ!」
今度こそ教室が静まり返った。ハヤトの拳だけが机の上に残る。
「……天城」
「何」
「誰と喋ってんの?」
「…………」
窓の外では蝉が元気よく鳴いていた。
夏だった。
消えてしまいたかった。
◇
昼休み。
屋上のコンクリートは靴底越しでも熱く、金網の向こうには神宿の街が広がっている。ハヤトは日陰へ座り、スマートフォンを開いた。
検索欄には、すでに文字が入っている。
『神宿 銀髪 魔法少女』
「……別に気にしてるわけじゃないからな」
『質問されていません』
「分かってるよ」
検索すると、『謎の銀髪魔法少女、A級魔獣を撃破』『ホワイトリリィを救った新ヒーロー?』『所属不明。協会は確認中』といった記事が並んだ。
さらにSNSを開く。
『かわいい』
指が止まった。
『拳で戦う魔法少女珍しくない?』
『顔見たい』
『銀髪赤目は強キャラ』
『脚長くない?』
『めっちゃタイプ』
「…………」
画面を閉じた。
しかし、すぐにもう一度開く。
『先ほどから見ていますが』
「うるさい」
『これが承認欲求ですか』
「うるさいな!」
スクロールを続ける。
知らない人間が、昨日生まれたばかりのブレイヴについて好き勝手に話していた。かわいい、強い、拳が好き、ゴリラ。
ハヤトは口元を少し曲げる。
「……変なの」
『何がですか』
「昨日まで、いなかったんだぞ」
スマートフォンの中には銀髪の少女がいる。今はもう何万人も見ていて、名前まで勝手につけようとしている。
「勝手なもんだな」
『不快ですか』
「んー……」
嫌なら検索なんてしない。それくらいは、自分でも分かっていた。
「……よく分かんね」
スマートフォンを膝へ置く。風が吹き、汗ばんだシャツの背中へ入り込んで少しだけ気持ちいい。
「なあ、アストラ」
『はい』
「昨日さ」
少しだけ迷ってから、続ける。
「あの子を助けたのって……システムのせい?」
『質問の意図を確認します』
「契約したらさ。勝手にそういうことするようになるとか」
鞄の中から小さな駆動音がした。
『BRAVE SYSTEMに、契約者の意思決定を強制する機能はありません』
「……そっか」
『ホワイトリリィを救助したことも、フェンリルと戦うことを選択したことも、契約者自身の判断です』
「そこまで真面目に言われると恥ずかしいんだけど」
『事実を回答しました』
「AIって、もうちょっと空気読めない?」
一拍。
『「空気を読む」の定義を確認しています』
「今それを調べ始めるな」
昼休み終了の予鈴が鳴る。
ハヤトは立ち上がった。背中はまだ少し痛む。
昨日の戦いは夢じゃない。
そこだけは、嫌になるほど確かだった。
◇
放課後。
「高っ」
精肉コーナーの前で、ハヤトは固まった。
値札を見る。財布を見る。もう一度、値札を見る。
最終的に手に取ったのは、三割引のシールが貼られた鶏むね肉だった。
「お前だけが俺の味方だよ」
『私は?』
鞄から小さな声。
「……お前、そういう返しするようになった?」
『直前の会話から適切と思われる応答を選択しました』
「学習速度が怖いんだよ」
鶏肉、もやし、豆腐、麦茶。必要最低限を籠へ入れる。
店を出る頃には、空が少し赤くなっていた。
家へ帰るなら、いつもの角を右。
ハヤトは右へ曲がった。
少し歩いてから、足が止まる。
「…………」
『自宅への最短経路から外れています』
「分かってる」
昨日の道だった。
◇
焦げた匂いが、まだ残っていた。
道路の一部は封鎖され、黄色い規制テープが風に揺れている。重機の低い音と金属を打つ乾いた音が響き、フェンリルが踏み砕いた道路では、もう修復作業が始まっていた。
ハヤトは歩道をゆっくり歩く。へこんだガードレール、黒く焦げた路面、昨日、自分が吹き飛ばされた場所。
その少し先で、足が止まった。
「……あ」
白い花が置かれていた。
一束だけではない。花の横にはペットボトルや菓子、小さなぬいぐるみまで並んでいる。
遠くでは重機が動き、車も走り、人も歩いていた。
街はもう、昨日の続きを始めている。
買い物袋の持ち手が指へ食い込んだ。
『契約者』
「…………」
ハヤトはしばらく花を見ていた。
何も言わなかった。
アストラも、それ以上は喋らなかった。
やがてポケットの中でスマートフォンが震える。
『速報 謎の魔法少女「ブレイヴ」か。ネット上で呼称広がる』
「……マジで広がってんじゃん」
記事を開きかけた指が止まる。
画面を消した。
「帰ろう」
『了解』
歩き出す。
花の前を通り過ぎる時だけ、ハヤトは少し歩幅を狭めた。
◇
同じ頃。
薄暗い部屋で、映像が巻き戻った。
再生。停止。そしてまた巻き戻し。
「やっぱり…」
九条イオは呟いた。
机の端には、いつ淹れたのか分からないコーヒー。氷はとっくに溶けている。その周囲にはケーブル、分解された端末、工具、魔力測定器が散らばり、それらの隙間を二本の機械腕が漂っていた。
一基がカップを差し出す。
「いらない」
すっと引っ込んだ。
イオは画面へ顔を近づける。
「ここ」
別の画面を開き、既存の魔法少女の魔力波形を重ねた。
「違う」
通常の顕現装備のデータも開く。
「これも違う」
映像へ戻る。
「どうなってるの?解析したい…」
イオの口元が僅かに上がる。
二本の機械腕が同時に動いた。一基が工具箱を開き、もう一基が携帯型測定器を掴む。
「待って」
ぴたりと止まった。
「まだ本人いないから」
工具を持ったまま浮遊する二本の腕を見て、イオは少し考える。
「気が早い」
映像解析を続け、音声を抽出し、ノイズを除去する。戦闘終了後の声が流れた。
『……ブレイヴ』
指が止まる。
『ブレイヴ。それが俺の名前だ』
「ブレイヴ」
イオは名前を口の中で転がした。
画面には、傷だらけの銀髪の少女。
「欲しい」
すぐに言い直す。
「……違う。調べたい」
機械腕が再び工具箱を開いた。
今度は止めない。
「待ってて、ブレイヴ」
工具が、ガチャンと掴まれる。
「一回だけでいいから」
画面いっぱいに映った銀色の少女を見ながら、イオの目が細くなった。
「それ、開けさせて」
◇
「へくしっ!」
帰り道。
ハヤトは盛大にくしゃみをした。
『体温正常です』
「誰か噂してんじゃね?」
『科学的根拠を確認できません』
「知ってるよ」
少しして、アストラが続ける。
『では、何者かが契約者について会話している可能性は否定できません』
「学習の方向が怖いんだよ!」
夕暮れの住宅街に声が響く。
ポケットのスマートフォンが震えた。
『謎の魔法少女ブレイヴ、その正体は?』
「……正体って」
ハヤトは自分の顔を触る。
昨日まで、ただの高校生だった。
今だって、そのはずだ。
「俺なんだけどな」
通知を消し、歩き出す。
鞄の中から、小さな駆動音がついてくる。
ブレイヴ。
昨日、自分でつけた名前を、今日はもう知らない誰かが呼んでいた。
ハヤトは少しだけ鞄を持ち直し、アストラと一緒に夕焼けの道を帰っていった。
次回予告
「昨日は魔獣、今日は学校。
やっと普通に戻れると思ったのに……」
「なんでこの人、めちゃくちゃ追いかけてくるんだ!?」
「ブレイヴ! 一回だけ! 一回だけ中を見せて!」
「絶対イヤだ!!」
謎の魔法少女、ウィッチクラフト。
その興味は、ブレイヴの秘密へ一直線!
次回、魔法少女ブレイヴ!
第四話「追いかける研究者」
「アストラ! なんとかして!」
『全力での逃走を推奨します』
「それ俺でも分かる!」