ヒーローを守りたかっただけなのに、魔法少女になった 作:冷凍マカロン
放課後の空気は、校舎を出た瞬間から容赦がなかった。
「……暑い」
天城ハヤトはシャツの襟元を指で引っ張りながら、じりじりと焼ける歩道を歩いていた。アスファルトから跳ね返ってくる熱まで含めて、街全体が巨大な暖房器具になったみたいだった。
「夏休み、まだだっけ」
『来週からです』
「知ってる。気分の問題」
『気分によって日付は変化しません』
「お前、そういうところあるよな」
鞄の中には、今日提出されたばかりの数学の課題が入っている。夏休み前だからと教師が張り切った結果、プリントの束はそこそこの厚みになっていた。ハヤトは歩きながら、それを思い出さなかったことにする。
『数学課題の提出期限は――』
「言わなくていい」
『まだ何も言っていません』
「今から言おうとしてた」
『では、把握しているのですね』
「今日の俺は昨日の俺に縛られないんだよ」
『提出期限には縛られます』
「……お前、絶対ちょっと性格悪くなってるよな」
『学習の成果です』
「そこ学習しなくていいんだけど」
スマートフォンの画面を睨む。アストラが入ってからまだ大して日も経っていないのに、最初の頃より明らかに返しが速くなっている気がする。気のせいだと思いたかった。
とはいえ、今のところ平和だった。
昨日までがおかしかっただけとも言える。魔獣に遭遇し、魔法少女が倒れ、自分まで訳の分からないシステムで女の子の姿になって戦った。その翌日には学校へ行き、友人とくだらない話をして、スーパーの値札に頭を抱える。
世界は案外、こちらの事情を待ってくれない。
「今日は何も起きんなよ。バイトないし、帰ったらゲームして――」
遠くで爆発音がした。
ハヤトは足を止めた。
「…………」
『魔力反応を検知』
「俺、今なんて言った?」
『「今日は何も起きんなよ」と』
「律儀に復唱しなくていい!」
続けて警報が鳴り始めた。周囲を歩いていた人たちが一斉にスマートフォンを確認し、空気が変わる。
『神宿区西部に魔獣反応。距離、およそ一・八キロ』
「近っ」
ハヤトは爆発音のした方向を見る。ビルの向こうから黒い煙が上がっていた。
避難を促すアナウンスが流れ、人の流れがこちらへ向かってくる。
逆へ行けばいい。家に帰ればいい。
そう思ったところで、身体はもう煙の方へ向いていた。
『ハヤト』
「分かってる」
昨日、フェンリルに殴られた痛みを身体はまだ覚えている。爪が顔のすぐそばを通った感覚も、コンクリートへ叩きつけられた衝撃も、忘れたわけではない。
怖くないわけでもない。
それでも昨日までとは、一つだけ違う。
今の自分には、行って何かできる可能性がある。
「……行くぞ」
『了解しました』
ハヤトは避難する人波に逆らって走り出した。
◇
魔獣が現れたのは、建築資材の保管に使われている広い敷地だった。
積み上げられた鉄骨やコンテナの間を抜け、ハヤトは金網越しに中を覗き込む。作業員たちはすでに避難を始めていたが、その中心で巨大な影が動いていた。
「……今度はトカゲかよ」
人間の倍近い背丈を持つ、暗緑色の人型魔獣だった。全身は爬虫類じみた鱗と黒い外殻に覆われ、右腕には太い鉤爪。左腕は腕そのものが変形したような巨大な盾になっている。腰の後ろから伸びた尾が地面を擦るたび、砂埃が舞った。
『暫定識別。リザードナイト』
「ナイトっていう割に剣ないけど」
『外殻強度はフェンリルを上回ると推定します』
「嫌な情報だけ早いな」
その時、資材の陰から呻き声が聞こえた。
作業着姿の男が倒れている。足を負傷しているらしく、立とうとしても動けない。その向こうでリザードナイトがゆっくりと振り返った。
「まずい」
ハヤトは金網の脇から敷地へ飛び込んだ。
『変身を推奨します』
「最初からそのつもり!」
腕を前へ突き出す。
『BRAVE SYSTEM』
電子音とともに視界へ赤い光が走る。
『Stand by』
「ブレイヴ! イン!」
赤い光が全身を包んだ。
『Type Striker』
世界が戻った時、そこに立っていたのは制服姿の男子高校生ではない。銀髪を揺らし、黒と銀のスーツを纏った少女の姿――ブレイヴだった。
リザードナイトが右腕を振り上げる。
「させるか!」
地面を蹴った。
昨日までなら、その速度だけで身体が置いていかれそうになっていた。だが今は違う。強化された脚で踏み込み、作業員と魔獣の間へ身体を滑り込ませる。
鉤爪が振り下ろされた。
ブレイヴは両腕を交差する。
ガァンッ!
「ぐっ……!」
重い。足元の砂利が弾け、靴底が地面を滑った。それでも受け止められた。
「走れますか!?」
「な、なんとか……!」
「じゃあ今のうちに!」
作業員が足を引きずりながら離れていく。リザードナイトが追おうと身体を動かした瞬間、ブレイヴは右拳を腹へ叩き込んだ。
ゴッ、と鈍い音がした。
「……硬っ」
手応えがおかしい。
殴ったというより、分厚い壁を拳で叩いた感覚に近かった。
『外殻への有効打を確認できません』
「それ殴る前に聞きたかった!」
リザードナイトが盾を振るう。
「うおっ――!」
巨大な黒い盾が横薙ぎに直撃し、ブレイヴの身体が地面から浮いた。そのまま積まれていた鉄パイプへ背中から突っ込み、けたたましい金属音とともに何本ものパイプが転がり落ちる。
「いっ……てぇ……!」
『損傷軽微』
「軽微でも痛いもんは痛い!」
鉄パイプを押しのけながら起き上がる。
リザードナイトは追ってこない。
巨大な盾を正面へ構え、こちらの様子を見ていた。
「……フェンリルとは全然違うな」
昨日の敵は、とにかく速かった。見えない攻撃へ食らいつくことだけで精一杯だった。
こいつは遅い。
動きも見える。
その代わり、硬い。
正面から殴っても通らず、攻撃すれば盾で受けられる。無理に近づけば、あの質量で吹き飛ばされる。
『敵個体は防御能力に特化していると推定』
「見れば分かる」
ブレイヴは拳を握る。
それでも昨日より余裕はある。何も見えず、何も分からないまま殴られていた時とは違う。
そして、自分にも昨日はなかったものがある。
「アストラ。あれ、出せる?」
『顕現装備の使用を確認』
「頼む」
『Manifest Equipment』
赤い光が両腕を走った。
ガントレットの装甲が展開し、前腕部へ厚い機構が重なる。続いて左右の外側へ推進器が形成され、低い駆動音とともに光が灯った。
「……やっぱこれ、カッコいいな」
『戦闘中です』
「分かってるよ!」
昨日は拳を速くするために使った。
なら、今日は別の使い方を試す。
リザードナイトが突進してきた。盾を正面に構え、その質量ごと押し潰すつもりらしい。
「まず――横!」
左腕を外へ振る。
ブースターが爆ぜた。
「うおっ!?」
身体が真横へ吹き飛ぶ。盾がすぐ横を通過し、巻き起こされた風が銀髪を大きく巻き上げた。
勢いを殺しきれず、ブレイヴは地面を二度踏んでようやく止まる。
「加減むずっ!」
『出力過多です』
「次!」
リザードナイトが振り返る。
ブレイヴは右腕を斜め下へ向けた。
噴射。
身体が跳ね上がる。
「おおっ!」
普通に跳ぶより高い。魔獣の頭上を越え、そのまま背後へ回り込む。
空中で身体が傾いた。
「待っ、これ着地――」
『左推進器。出力補正』
「こうか!」
左腕を開く。短い噴射が身体を押し、空中で向きが変わった。
足から着地する。
「できた!」
『成功です』
「じゃあ、もう一回!」
振り向いたリザードナイトの爪が迫る。
今度は両腕を下へ。
爆発的な推力で身体を上へ逃がす。爪が足元を空振りし、ブレイヴはそのまま右のブースターだけを短く噴かした。
空中で身体が回る。
「そこ!」
回転の勢いを乗せた拳が、盾で守られていない肩へ叩き込まれた。
ゴッ!
外殻が僅かにへこむ。
「通った!」
『損傷を確認』
リザードナイトが怒声を上げる。
盾を振り回す。ブレイヴは地面へ着く前に左のブースターを噴かし、軌道を横へずらした。盾は空を切る。
着地。
踏み込み。
右拳。
受けられる。
なら、そこに居続けない。
左の推進器を噴かし、盾の外側へ回り込む。右の爪が追ってきたところで今度は上へ逃げ、空中で身体を捻って背後へ着地した。
「これ、殴るだけじゃないんだな」
『推進器です。当然です』
「昨日ずっとパンチに使わせてたの誰だよ!」
『使用者の判断です』
「俺だった!」
認めるしかない。
リザードナイトの攻撃は速くない。そこへブースターによる加速と急停止、横移動、跳躍、空中での軌道修正まで加われば、見える世界が一気に変わる。
右から来れば左へ。
盾を構えれば上へ。
振り返るなら、その途中で背後へ。
ブレイヴ自身、次に身体がどこへ飛ぶのか完全には把握できていない。それでも失敗するたびに、どれだけ噴かせばいいのか身体が少しずつ覚えていく。
「よし。いける」
怖さが消えたわけではない。
けれど、戦えている。
昨日は生き残るだけで精一杯だった。今は自分から相手を崩そうとしている。
リザードナイトが苛立ったように吠え、盾を正面へ構え直した。
やはり最後はそこだ。
「問題は、あれだよな」
『盾の破壊が必要です』
「やっぱそうなる?」
『回避し続けても魔核は破壊できません』
「ですよね」
ブレイヴは息を吐き、両拳を構えた。
盾にはすでに傷がある。何度か攻撃を受けた場所に、細い亀裂が走っていた。
一発で壊せないなら。
壊れるまで殴る。
「アストラ。あの亀裂、狙える?」
『位置を表示します』
視界に赤いマーカーが浮かぶ。
「助かる」
ブレイヴは地面を蹴った。
リザードナイトが盾を前へ突き出す。右拳を引き、ブースターを噴射した。
「おらぁっ!」
拳が亀裂へ叩き込まれる。
ガンッ!
腕へ衝撃が返ってきた。拳から肘、肩まで痺れる。それでもブレイヴは退かない。
右腕が弾かれた瞬間、左のブースターを後方へ噴かす。
反動で逃げようとする身体を押し戻し、その勢いを腰の回転へ変える。
「もう一発!」
左拳が同じ場所へ入る。
亀裂が伸びた。
リザードナイトが盾を振るう。ブレイヴは右のブースターで身体を横へ逃がし、盾の縁を滑るように回り込む。
右。
左。
同じ傷へ拳を叩き込み、反動を反対側の推進器で押さえ込む。殴った腕を戻す時間すら、次の拳を撃ち出すための動きへ変えていく。
ガンッ、ガンッ、ガンッ!
「まだ!」
拳が痛い。肩が熱い。両腕のガントレットも唸りを上げている。
それでも止めない。
硬いなら、硬さごと潰す。
リザードナイトが爪を振り下ろした。ブレイヴは両腕を下へ向け、一気に噴射する。
黒銀の身体が頭上へ跳ね上がった。
「これで――!」
空中で身体を反転させる。
両腕を背後へ。
『推進器出力上昇』
「ぶち抜く!」
ダブルブースターが爆ぜた。
ブレイヴの身体が砲弾のように落下する。
両拳が、傷だらけになった盾の中央へ叩き込まれた。
衝撃が腕から全身へ抜けた。盾の表面を走っていた亀裂が一斉に広がり、黒い外殻が大きく陥没する。
「おおおおおっ!」
さらに推力を上げる。
耐えていた盾が、ついに内側へ折れた。
砕けた破片が周囲へ飛び散り、リザードナイトの左腕が大きく弾かれる。
「開いた!」
ブレイヴは着地と同時に踏み込んだ。
守るものがなくなった胸部へ右拳を打ち込み、弾かれる前に左拳を重ねる。
一発。
二発。
三発。
硬い外殻がへこみ、ひび割れ、その奥から赤黒い光が漏れ始める。
『胸部装甲の損壊を確認』
「あと少し!」
最後の一撃を叩き込む。
胸部装甲が割れた。
破片の奥で、赤黒い魔核が脈打っている。
「よし!」
ブレイヴが拳を引いた、その時だった。
リザードナイトの右手が、自分の肩へ食い込んだ。
「……何してんだ?」
黒い外殻が裂ける。
魔獣は肩の奥へ手を突っ込み、何かを強引に引き抜いた。
白いものが伸びてくる。
骨だ。
長く、鋭く、剣の形をした巨大な骨。
「いや、武器そこから出すの!?」
『敵個体の戦闘形態変化を確認』
「最初から持っとけよ!」
盾を失ったリザードナイトが、骨剣を両手で構える。
さっきまでとは姿勢が違った。
守るための構えではない。
斬るための構えだ。
空気が変わる。
ブレイヴも両拳を上げた。
「……第二ラウンドってことか」
リザードナイトが地面を蹴る。
その瞬間。
ぱち、ぱち、ぱち。
場違いな音が頭上から聞こえた。
「……は?」
拍手だった。
ブレイヴも、リザードナイトさえも動きを止める。
積み上げられた鉄骨の上に、一人の少女が座っていた。
長い髪を揺らし、片手には小型の端末。少女の左右には、本人の身体より遥かに大きな二本の機械腕が浮かんでいる。
彼女は魔獣を見ていなかった。
視線の先にあるのは、ブレイヴの両腕。
正確には、そのガントレットとブースターだった。
「……すごい」
「誰?」
少女は答えない。
端末へ何かを打ち込みながら、ブレイヴの腕を食い入るように見つめている。
「推進方向の切り替えが速い。左右独立制御。反動制御にも使ってる……あれ、どうなってるんだろ」
「もしもし?」
「内部構造、見たい」
「嫌なこと言ってない?」
そこでようやく少女が顔を上げた。
目が合う。
無表情なのに、妙に目だけが輝いている。
「見つけた」
「……何を?」
「あなた」
少女は鉄骨から立ち上がった。
「その腕」
骨剣を構えたリザードナイトが吠える。
少女はそちらを一瞥しただけだった。
「今の動き、もう一回やって」
「今!?」
「うん」
「戦闘中!」
「知ってる」
「知ってて言ってんの!?」
リザードナイトが骨剣を振り上げた。
少女が鉄骨から飛び降りる。
「危な――!」
ブレイヴが声を上げるより早く、巨大な機械腕の一基が少女の身体を空中で受け止めた。
もう一基が前へ飛ぶ。
ガァンッ!
振り下ろされた骨剣を、巨大な五本指が真正面から掴んだ。
「なっ……」
ブレイヴの口から間の抜けた声が漏れる。
少女は巨大アームの掌から地面へ降りると、白衣の裾を払うような気軽さでこちらを向いた。
「九条イオ」
「え?」
「ウィッチクラフト。神宿支部所属」
「あ……どうも」
反射で挨拶してから、ハヤトは眉を寄せた。
「いや、そうじゃなくて!」
イオは気にしていない。
彼女の視線はもう、再びブレイヴのガントレットへ戻っていた。
「それ」
巨大アームが骨剣を押さえ込む横で、九条イオはほんの少しだけ首を傾ける。
「あとで見せて」
「……嫌な予感しかしないんだけど」
魔獣との戦いは、まだ終わっていない。
けれどこの時、ハヤトはまだ知らなかった。
目の前の魔獣より厄介な相手に、たった今見つかってしまったことを。
次回予告
「魔獣を倒して、これで一件落着!」
……と思ったら、今度は魔法少女に追いかけられる!?
「ブレイヴ! ガントレット見せて!」
「だから嫌だって!」
逃げるブレイヴ、追うイオ!
巨大ハンドが飛び出してくる!
次回、捕まえたい研究者
「アストラ、逃げるぞ!」
『全面的に同意します』