ヒーローを守りたかっただけなのに、魔法少女になった   作:冷凍マカロン

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止めるな、走らせろ!

 

 黒い球体が、唸りを上げて回転を始めた。

 

 アスファルトを削る低い音が、足の裏から骨まで響いてくる。ニードルヘッジの全身を覆う外殻は隙間なく噛み合い、無数の棘が黒い残像を描いていた。

 

 ブレイヴは正面に立ったまま、痺れの残る左腕を一度握り直す。

 

 さっき一度、横から殴って軌道を逸らしただけでこれだ。真正面から受ければどうなるかなど、試す気にもなれない。

 

『対象の外殻、通常打撃では突破困難』

 

「分かってる」

 

 殴っても止まらない。受けても押し切られる。

 

 なら、止めなければいい。

 

「ブルームハート! 左右だけ塞いで! 前は空けろ!」

 

「はい!」

 

 一瞬だけブルームハートの眉が動いたが、問い返さなかった。

 

「《ブルーム・バインド》!」

 

 アスファルトの亀裂から緑色の光が走る。伸びた蔓が街灯、ガードレール、街路樹へ絡みつき、道路の両側へ壁を作った。

 

「道を作るんですね!」

 

「そういうこと!」

 

 正面だけが空く。

 

 外殻の奥でくぐもった咆哮が響き、黒い球体が弾けるように加速した。

 

「来るのだ!」

 

「キング! 正面から止めるな!」

 

「分かってる!」

 

 リトルキングが球体の斜め横へ走る。

 

「《トリケラ・シフト》!」

 

 肩と脚部の魔装が重く変形し、地面を踏み抜いた。

 

「今回は――横から!」

 

 角状装甲が黒い球体へぶつかった。

 

 轟音。

 

「ぐぅぅっ……!」

 

 小さな身体が押され、靴底がアスファルトを削る。

 

 それでも止める必要はない。

 

 ほんの数度、進む方向を変えればいい。

 

「そっちじゃ――ないのだぁっ!」

 

 リトルキングが全身を捻る。

 

 球体の軌道がずれた。

 

「よし!」

 

 その先には工事用フェンス。さらに向こうには、深さ五、六メートルほどの掘削区画が口を開けている。

 

 落とせる。

 

「そのまま走れ!」

 

 ニードルヘッジが蔓の壁に沿って突き進む。

 

 いける。

 

 ブレイヴが工事区画へ走った。

 

『警告。対象、進行方向変化』

 

「え?」

 

 ニードルヘッジが蔓の壁へ身体をぶつけた。

 

 棘が食い込み、張り詰めていた蔓がまとめて千切れる。

 

「なっ――」

 

 球体が大きく跳ね、工事区画への軌道から外れた。

 

 その先には、まだ避難誘導が続いている交差点。

 

「まずい!」

 

「向こう、まだ人がいます!」

 

「キング!」

 

「おう!」

 

 リトルキングが先に飛び出した。

 

「《ラプトル・シフト》!」

 

 脚部魔装を切り替え、一気に球体の横へ追いつく。

 

「こっちなのだ!」

 

 ハンマーを叩きつける。打撃は弾かれたが、軌道が僅かに逸れた。

 

 直後、球体が無人店舗のシャッターへ激突する。

 

 金属板が内側へ大きくへこみ、耳を塞ぎたくなるような音が商店街へ響いた。

 

「……っぶな」

 

 ブレイヴが足を止める。

 

 失敗した。

 

「ごめんなさい。私が保たせられなかった」

 

「違う。俺の読みが甘かった」

 

『対象は障害物への衝突時、反発および姿勢制御による方向転換が可能です』

 

「それ先に分かんなかった?」

 

『十分な観測データがありませんでした』

 

「だよな!」

 

 へこんだシャッターが内側から膨らむ。

 

 三人が構えた直後、黒い球体が金属板を突き破って道路へ戻ってきた。

 

「元気なのだ!」

 

「嬉しくない!」

 

「どうします?」

 

「……待って」

 

 ブレイヴは壊れたシャッターと道路に刻まれた轍を見る。

 

 蔓の壁へぶつかるまでは、狙った方向へ走っていた。

 

 リトルキングが横から押した時も、軌道は変わった。

 

「アストラ。あいつ、好きな時に曲がれるわけじゃないよな?」

 

『肯定。急激な方向転換には外部への接触が必要と推定』

 

「……壁があるから駄目だったんだ」

 

「え?」

 

「ぶつかれる物があるから、それを使って曲がる」

 

 ブレイヴは工事区画までの道路を指した。

 

「道を作るんじゃない。曲がれる場所をなくす」

 

 ブルームハートも街灯、ガードレール、看板へ視線を走らせる。

 

「敵を塞ぐんじゃなくて、ぶつかりそうな物をどかす……」

 

「できる?」

 

「やります」

 

 即答だった。

 

 右手を振ると、蔓が倒れかけた看板を引き倒し、工事用ポールをまとめて路地へ放り込む。

 

「キング!」

 

「今度は何する!」

 

「さっきと同じ! 一回だけ横から押して、あの穴に向ける!」

 

 リトルキングが掘削現場を見て、口元を上げた。

 

「落とすのか」

 

「落とす」

 

「いいのだ!」

 

「二人とも、急に楽しそうにしないでください」

 

「してない!」

 

「してないのだ!」

 

「声が同じなんですけど」

 

 ニードルヘッジの回転が上がった。

 

 ブレイヴは工事区画の手前へ走る。

 

「ブルームハート、キングが押したら周りを頼む!」

 

「了解!」

 

「キング!」

 

「いつでも!」

 

 黒い球体が加速する。

 

「まだ!」

 

 三十メートル。

 

 二十。

 

 十。

 

「キング!」

 

「《トリケラ・シフト》!」

 

 リトルキングが横から飛び込んだ。

 

「どぉぉぉりゃあっ!」

 

 角状装甲が球体へ食い込み、火花が散る。小さな身体が横へ引きずられながらも、踏ん張った。

 

「止めなくていいんだろ!」

 

「ああ!」

 

「なら――曲がれぇっ!」

 

 軌道が変わる。

 

 僅かだが、十分だった。

 

「ブルーム!」

 

「任せて!」

 

 球体が街灯へ寄る。

 

 蔓が支柱へ巻きつき、球体とは反対側へ引き倒した。

 

 次の看板も、ガードレールも。

 

 敵を止めるのではない。

 

 敵が曲がるための足場を、一つずつ奪っていく。

 

 工事用フェンスが迫った。

 

 ブレイヴは穴の手前で待つ。

 

『対象接近。十メートル』

 

「まだ」

 

『五』

 

「まだ!」

 

『三』

 

 視界いっぱいに黒い球体が広がる。

 

 地面を蹴った。

 

「BOOST!」

 

 両腕のブースターが火を噴き、身体が真上へ跳ね上がる。

 

 ニードルヘッジが靴底すれすれを通過し、工事用フェンスを粉砕した。

 

 その先には、地面がない。

 

「落ちろ!」

 

 黒い球体が宙へ飛び出す。

 

 一瞬の静寂。

 

 直後、腹へ響く轟音とともに土煙が噴き上がった。

 

「入ったのだ!」

 

「待って、近づきすぎない!」

 

 リトルキングとブルームハートが穴の縁へ走る。ブレイヴもブースターを短く噴かして隣へ着地した。

 

 三人で覗き込む。

 

 土煙の向こうで、ニードルヘッジが底に転がっていた。

 

「……やった?」

 

「それ言うと大体――」

 

 低い唸り声が響いた。

 

「ほら!」

 

「言う前に起きたのだ!」

 

 落下の衝撃で球体は崩れ、四肢が外へ投げ出されている。右側の外殻には、リトルキングが何度も攻撃した傷が走っていた。

 

 それでも立ち上がろうとしている。

 

「五メートル落ちたのに……」

 

『対象の生命反応、継続』

 

「頑丈すぎるだろ」

 

 だが、今まで外殻に隠れていた腹側が見えていた。

 

 胸の中央。黒い装甲の継ぎ目から、赤黒い光が脈打っている。

 

『魔力集中反応を確認』

 

「コア?」

 

『可能性、高』

 

「なら今のうちに!」

 

「待って!」

 

 ブルームハートがリトルキングを止める。

 

 ニードルヘッジが立ち上がり、背中の棘を震わせた。

 

 穴の底は狭い。敵に逃げ場がない代わりに、こちらも近づけば回避する場所がない。

 

 ブレイヴは右拳を握った。

 

「俺が行く。試したい」

 

 穴へ飛び降り、着地寸前にブースターで衝撃を殺す。

 

 ニードルヘッジが振り向いた。

 

「悪いけど、もう一回付き合ってくれ」

 

「BOOST!」

 

 狙うのは傷の入った外殻。

 

 加速した拳が叩き込まれ、亀裂が広がった。

 

 だが、拳が止まる。

 

「っ……!」

 

 浅い。

 

 壊せない。

 

 ニードルヘッジが身体を振り、ブレイヴは左腕で受けて穴の壁へ叩きつけられた。

 

「ブレイヴ!」

 

「がっ……!」

 

『損傷軽微。右腕BOOST出力、正常』

 

「正常でこれかよ……」

 

 立ち上がる。

 

 罅の奥にコアはある。

 

 見えているのに、届かない。

 

「……足りない」

 

『何がですか』

 

 ハヤトは右拳を見る。

 

「威力」

 

『現行装備の最大出力では、対象外殻の完全貫通は困難です』

 

「じゃあ、もっと一点に集中できれば?」

 

『質問の意図を確認』

 

「殴るんじゃない」

 

 黒い外殻の向こうで赤い光が脈打つ。

 

「あの装甲を――ぶち抜ける一撃が欲しい」

 

 一瞬、アストラが沈黙した。

 

『要求を確認。蓄積戦闘データを照合』

 

 ブレイヴの視界に赤い光が走る。

 

『保有リソースを確認。現行Type-Strikerとの適合を照合』

 

「……何してる?」

 

『保有リソースを再構成』

 

 右腕のガントレットが赤く発光した。

 

『新規顕現パターン――生成可能』

 

 ハヤトは目を瞬く。

 

「……あるのかよ」

 

『今、作成しました』

 

「今!?」

 

 ニードルヘッジが地面を蹴った。

 

「先に言え!」

 

『今、完成したため不可能です』

 

「そういう意味じゃ――うわっ!」

 

 爪を横へ飛んでかわす。

 

「じゃあ出して!」

 

『右腕BOOST装備との同時運用不可』

 

「なら一回しまう!」

 

『了解』

 

「ブースター、解除!」

 

 右腕の大型ガントレットが赤い粒子へ崩れ、一瞬だけ基本装甲が露出する。

 

 直後、散った粒子が逆流した。

 

『Manifest Equipment』

 

 赤い光が右前腕へ集まり、装甲が重なる。

 

 太い筒状の機構。その中心から伸びる真っ直ぐな金属杭。後部には小型の推進器。

 

『BRAVE BUNKER』

 

 完成した右腕が、ずしりと下がった。

 

「……物騒なの来たな」

 

『要求に基づきました』

 

「俺のせいかよ」

 

『肯定』

 

「そこは否定してくれ!」

 

 穴の上からリトルキングが身を乗り出す。

 

「なんだそれ! かっこいいのだ!」

 

「だよな!?」

 

「ブレイヴ! 喜ぶの後にしてください!」

 

「はい!」

 

 ブルームハートに叱られ、ハヤトは右腕へ視線を戻した。

 

「アストラ。使い方」

 

『対象へ杭を接触、固定後に射出してください。ただし残存リソースでは一度のみです』

 

「一発?」

 

『肯定』

 

 ニードルヘッジが外殻を閉じ始める。

 

 傷が隠れていく。

 

 ハヤトは杭の先端を敵へ向けた。

 

「じゃあ、外さなきゃいい」

 

「ブルームハート!」

 

「はい!」

 

「キング!」

 

「おう!」

 

 二人が穴へ飛び降りる。

 

「《ブルーム・バインド》!」

 

 蔓がニードルヘッジの脚、首、外殻の継ぎ目へ絡みつく。

 

 巨体が暴れ、棘が蔓へ食い込んだ。

 

「長くは保ちません!」

 

「十分!」

 

 リトルキングが右側の傷へ走る。

 

「《アンキロ・シフト》!」

 

 巨大なハンマーの後部が重く変形した。

 

「何回でも同じところを殴るのだぁぁっ!」

 

 身体ごと振り抜く。

 

 激突。

 

 亀裂が走り、外殻が僅かに浮いた。

 

「ブレイヴ!」

 

「見えた!」

 

 その奥で赤黒いコアが光る。

 

 ブレイヴが走った。

 

 ニードルヘッジの右前脚が振り上がる。

 

「ブレイヴ、右!」

 

 避ければ、傷が閉じる。

 

 なら避けない。

 

「キング!」

 

「任せろ!」

 

 リトルキングがハンマーを亀裂へ差し込み、外殻をこじ開けた。

 

「どりぁぁっ!」

 

 ブレイヴが踏み込む。

 

 振り下ろされた前脚が左肩を掠め、装甲が弾けた。

 

『左肩部損傷』

 

「ここだぁっ!」

 

 杭の先端を亀裂へ押し込む。

 

 ニードルヘッジが暴れ、ブルームハートの蔓が一本切れた。

 

「まだ!」

 

 さらに蔓が伸び、巨体を締め上げる。

 

「動かさせません!」

 

『射線確認。貫通経路、確保』

 

 杭の向こうに、魔力コア。

 

 ハヤトは右腕へ力を込めた。

 

「これで――!」

 

『Final Attack』

 

 後部機構へ赤い光が集中する。

 

『Approved』

 

「終わりだぁぁぁっ!」

 

 撃つと決めた瞬間、右腕が爆ぜた。

 

 杭が外殻を砕き、肉を貫き、赤黒い光へ突き刺さる。

 

 一瞬だけ、世界から音が消えた。

 

 次の瞬間、ニードルヘッジの内部から赤い亀裂が全身へ走った。

 

 咆哮が途切れる。

 

 黒い外殻が光の粒子へ崩れ始めた。

 

『魔力コア破壊を確認』

 

『BRAVE FINISH』

 

 巨体が無数の赤い粒子となって消えていく。

 

 静かになった穴の底へ、細かな土とアスファルトの欠片がぱらぱらと落ちてきた。

 

「……終わった?」

 

『対象反応、消失』

 

「今度こそ終わった」

 

「よっしゃあ!」

 

 リトルキングが両腕を上げた直後、左肩を押さえてしゃがみ込む。

 

「いったぁ!?」

 

「だから肩痛めてるって言ったでしょ!」

 

「忘れてたのだ!」

 

「忘れないで!」

 

「勝ったからいいのだ!」

 

「よくない!」

 

 ハヤトは思わず笑った。

 

「元気だなぁ……」

 

『契約者も左肩を損傷しています』

 

「あ」

 

 思い出した瞬間、痛みが戻ってきた。

 

「痛っ!」

 

「ブレイヴもじゃないですか!」

 

「今思い出した」

 

「二人とも座ってください!」

 

「俺も!?」

 

「座って!」

 

「はい」

 

 リトルキングが横で笑う。

 

「怒られてるのだ」

 

「お前もだよ」

 

「私は先に怒られたから」

 

「何の勝負だよ」

 

 ブルームハートが深く息を吐いた。

 

「……本当に、もう」

 

 呆れた声だったが、口元は少し笑っていた。

 

     ◇

 

 工事区画から上がる頃には、遠くから協会車両のサイレンが近づいていた。

 

 ブルームハートの簡易治療で肩の痛みはかなり引いた。

 

 ブレイヴは右腕を見る。

 

 さっきまであった巨大な杭打ち機は、役目を終えると赤い粒子へ崩れて消えていた。

 

「アストラ。あれ、また使える?」

 

『必要リソースを確保後、再顕現可能です。設計データは保存済みです』

 

「よし」

 

 ガントレット。

 

 ブースター。

 

 そして、今作られた新しい武装。

 

 必要になれば、ブレイヴは新しい力を形にする。

 

 だったら、その先もあるのかもしれない。

 

『契約者』

 

「何?」

 

『思考内容の推測を開始します』

 

「やめろ。今ちょっと格好いいこと考えてた」

 

『記録しました』

 

「それもやめろ!」

 

「ブレイヴ?」

 

 ブルームハートが不思議そうに見る。

 

「いや、こっちの話」

 

「さっきから誰と話してるのだ?」

 

 リトルキングも首を傾げる。

 

「……独り言?」

 

「多くない?」

 

「癖なんだよ」

 

「変なやつなのだ」

 

「初対面で言う!?」

 

 リトルキングが笑った。

 

 その顔を見て、ハヤトはようやく肩から力を抜いた。

 

 さっきまで命を取り合っていたとは思えない。

 

 でも、こっちの方がいい。

 

「そうだ」

 

 リトルキングが突然真顔になった。

 

「何?」

 

「パフェ」

 

「あ」

 

 ブルームハートも思い出した。

 

「戻らないと」

 

「急ぐのだ!」

 

「肩は?」

 

「パフェは待ってくれない!」

 

「治療は!?」

 

「歩きながら!」

 

「無茶言わないで!」

 

 二人が言い合いながら歩き出す。

 

 ハヤトも反射的についていきかけて、止まった。

 

 まずい。

 

 この姿で店へ戻れるわけがない。

 

「どうしたのだ?」

 

「いや……俺はちょっと」

 

「一緒に来ればいいのだ。パフェくらい奢るぞ」

 

「なんでお前が奢るんだよ」

 

「勝ったからなのだ」

 

「理由になってない」

 

 ブルームハートが笑う。

 

「でも、お礼はしたいです。助けてもらいましたし」

 

「俺も助けられたから。三人で倒しただろ。お礼とかいいって」

 

「……なら」

 

 ブルームハートが少し考える。

 

「また会えた時に、今度は戦ってない時に話しましょう」

 

 リトルキングがすぐ横から割り込む。

 

「恐竜の話もするのだ!」

 

「恐竜?」

 

「大事なのだ」

 

「……まあ、機会があれば」

 

「約束なのだぞ!」

 

 ハヤトは笑った。

 

「ああ」

 

 二人が協会職員の方へ歩いていく。

 

 その背中を見送ってから、ハヤトは人気のない路地へ入った。

 

「アストラ。解除」

 

『了解』

 

 赤い光が身体を包む。

 

 銀髪が消え、視線が高くなり、身体の重さが戻る。

 

 数秒後、そこに立っていたのは白いシャツ姿の天城ハヤトだった。

 

「……急ぐか」

 

『喫茶店へ戻るのですか』

 

「バイト中に飛び出してきたんだぞ。怒られる前に戻る」

 

『店長からは「危険だと思ったら戻るように」と指示されています』

 

「そこ拾うな」

 

 走り出す。

 

 肩が少し痛む。足も重いし、腹も減った。

 

 休憩時間など、とっくに消し飛んでいる。

 

 それでも、足取りは不思議と軽かった。

 

     ◇

 

 喫茶マジカルポップへ戻ると、入口にはまだ避難中を示す札が掛かっていた。

 

 ハヤトは裏口から顔を出す。

 

「……ただいま戻りました」

 

 店長が腕を組んで待っていた。

 

「天城くん」

 

「はい」

 

「危ないと思ったら戻れって言ったよね」

 

「……はい」

 

「何分経った?」

 

「えー」

 

「時計見る?」

 

「見なくて大丈夫です」

 

 店長は溜息をつき、それからハヤトの肩を見る。

 

「怪我した?」

 

「ちょっと転びました」

 

「どこで?」

 

「避難中に」

 

「ふうん」

 

 眼鏡の奥の目が細くなる。

 

 ハヤトは視線を逸らした。

 

「……何ですか」

 

「別に」

 

 店長はそれ以上追及せず、救急箱をカウンターへ置いた。

 

「座って」

 

「大丈夫ですよ」

 

「座る」

 

「はい」

 

 逆らえなかった。

 

 椅子へ座ったところで、カウンターの向こうから声がした。

 

「遅いのだ!」

 

「うわっ!?」

 

 振り返ると、ティナとユズハが何食わぬ顔でカウンター席へ座っていた。

 

 ただし、ティナの左肩には小さな湿布が貼られている。

 

「二人とも、もう戻ってたんだ」

 

「ついさっきなのだ」

 

「大丈夫だった?」

 

 聞いてから、ハヤトは内心でしまったと思った。

 

 何があったか知っているような聞き方だ。

 

 ユズハが少し不思議そうにこちらを見る。

 

「私たちは大丈夫です。天城さんこそ、避難の確認に行ったんですよね?」

 

「ああ。まあ、ちょっと転んだけど」

 

 肩を示すと、ティナが自分の湿布を見て笑った。

 

「おそろいなのだ」

 

「嬉しくないおそろいだな、それ」

 

「私はもう平気なのだ」

 

「その台詞、さっきも誰かが言ってたような……」

 

「ん?」

 

「いや、なんでもない」

 

 危ない危ない。

 

 ユズハがそんな二人を見て、小さく笑う。

 

 その前には、新しいキングパフェが置かれていた。

 

「……新しいの頼んだの?」

 

「店長さんが作り直してくれたのだ!」

 

「え」

 

 店長を見る。

 

「避難で食べられなかったんだから仕方ないでしょ」

 

「優しい」

 

「天城くんの給料から」

 

「優しくない!」

 

「冗談」

 

「一瞬信じた!」

 

 ティナがパフェを一口食べる。

 

 今度は迷わずプリンからだった。

 

「うまいのだ……」

 

 その顔があまりにも幸せそうで、ハヤトは笑った。

 

「結局そこから食うんじゃん」

 

「何が?」

 

「いや、なんでもない」

 

 危ない。

 

 自分は知らない。

 

 この二人が魔法少女だなんて知らない。

 

 向こうも知らない。

 

 さっきまで一緒に穴へ魔獣を落としていたブレイヴが、目の前のバイト店員だなんて。

 

『契約者』

 

「今は黙ってて」

 

「え?」

 

 ユズハが聞き返す。

 

「独り言」

 

 ティナがスプーンを止めた。

 

「お前も独り言多いのだな」

 

「……お前も?」

 

「さっき会った変なやつもそうだった」

 

「へ、へえ。世の中にはいるんだな、そういう人」

 

「ブレイヴっていうのだ」

 

「へえー」

 

 棒読みになった。

 

 ユズハがじっとハヤトを見る。

 

「……どうしたの?」

 

「いや、なんとなく」

 

「何?」

 

「似てるなって」

 

 心臓が跳ねた。

 

「誰に!?」

 

「声大きい」

 

「すみません」

 

 ユズハは数秒ハヤトを見たあと、首を横に振った。

 

「やっぱり全然違う」

 

「だ、だよね!」

 

「何で安心してるの?」

 

「してないけど?」

 

 店長が救急箱を閉じた。

 

「天城くん。肩出して」

 

「この流れで!?」

 

「怪我は怪我」

 

「はい……」

 

 ティナはパフェを食べ、ユズハはそれを見ながら笑っている。

 

 店長は妙に手慣れた動きでハヤトの肩を確認していた。

 

 外ではまだ遠くにサイレンが聞こえる。壊れた道路も、倒れた街路樹も、これから片づけなければならない。

 

 ブレイヴの右腕には、新しい武器まで増えた。

 

 それでも、カウンターには甘いクリームの匂いが戻っている。

 

 ハヤトは息を吐いた。

 

「……休日って、もっと休むもんじゃないの?」

 

『一般的には、その認識で正しいです』

 

「だよな」

 

「また独り言なのだ」

 

「放っとけ」

 

 ティナが笑う。

 

 ユズハも笑った。

 

 店長だけが呆れたように眼鏡を押し上げる。

 

 日曜日は、まだ少しだけ残っていた。

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