メタモンがクロバ探偵事務所の新しい仲間になってから、数日が過ぎた。
コガネシティの朝は早い。
一階の《フラワーショップこがね》では、開店前から店主が花の入った箱を運び、店先へ鉢植えを並べている。通りでは新聞配達の少年が自転車を走らせ、少し離れた大通りからはバスの音が聞こえてくる。
そんな街の朝の気配など、二階の住人にはほとんど関係がなかった。
午前九時三十八分。
クロバ探偵事務所。
「…………」
クロバは寝ていた。
ソファに身体を横たえ、片腕を床へ垂らしている。昨夜脱いだジャケットはその辺の椅子に引っかけられ、ブルーグレイのサングラスはテーブルの上。ブーツもソファの下に転がっていた。
テーブルには昨夜の夕食に使った皿が一枚。
その横には今日の予定を書いたメモがある。
《午前中 依頼なし》
《午後 依頼なし》
《夕方 たぶん依頼なし》
《ゲームコーナー》
最後の一行だけ妙に筆圧が強かった。
「ほんとにどうしようもないロト」
浮遊するロトムスマホが、眠り続けるクロバをカメラで見下ろした。
「ふふ……」
少し離れたところで、バクフーンが楽しそうに微笑む。
「気持ちよさそうに眠っていますね」
「昨日も夜中までスロット打ってたからロト」
「勝ったの?」
カイリューが訊く。
「途中までは勝ってたロト」
「あー、なるほど。途中までは、ね」
「最後に全部なくなったロト」
「ウケる!」
カイリューが声を上げて笑った。
床に座っていたルカリオが、やれやれというように首を振る。
カブトプスは窓際に座ったまま腕を組み、何も言わなかった。
そして。
部屋の隅。
新しく用意されたクッションの上に、メタモンがいた。
「モン……」
紫色の柔らかな身体を小さく丸めながら、周囲を見渡している。
目の前にいるポケモンたちに怯えているわけではない。
この数日で、それはもう分かっていた。
誰も自分を傷つけない。
誰も薬を打たない。
変身しろとも言わない。
失敗しても殴られない。
誰かの姿を覚えるまで眠るなとも言われない。
ここでは、ただそこにいるだけでいい。
だが、それこそがメタモンにとって何よりも慣れないことだった。
野生だった頃。
生きるとは、争うことだった。
食べ物を探す。
危険なポケモンから逃げる。
縄張りを守る。
そして、同じメタモンに出会えば警戒する。
メタモン同士は、本来仲がいいポケモンではなかった。
自分と同じように何にでも変身できる相手は、食べ物や縄張りを巡る最大の競争相手でもある。
少なくともメタモンが育った環境ではそうだった。
だから捕まったばかりの頃、同じ檻に何匹ものメタモンが押し込まれた時には、最初は互いに距離を取っていた。
目も合わせない。
近づけば威嚇する。
食事を与えられれば奪い合う。
けれど、薬を打たれ、
無理やり変身させられ、
身体が動かなくなるまで訓練と称して追い回され、
うまくできなければ痛めつけられる生活が続いていくうちに、そんなことはどうでもよくなった。
夜。
冷たい檻の中、薬の副作用で震えが止まらない仲間に、別のメタモンが身体を寄せた。
変身に失敗して戻れなくなった仲間を、皆で励ました。
「大丈夫」
「元に戻れるよ」
「明日はきっと今日より痛くないよ」
そんな根拠のない言葉を、毎晩交わした。
本来なら仲良くなるはずのなかったメタモンたちが、そうでもしなければ心まで壊れてしまうほど、そこは酷い場所だった。
だから今、
柔らかなクッション。
温かい部屋。
朝になればご飯が出てくる生活。
誰かが笑っている生活。
眠っている間に襲われる心配のない生活。
メタモンにとって、それは生まれて初めて知る種類の世界だった。
「そろそろいい頃だと思うロト」
ロトムが言った。
ルカリオが顔を上げる。
「そうだな」
カイリューもメタモンを見る。
「ウチもそう思ってたー! もう結構ここに慣れてきたっぽいじゃん?」
「急かさないほうがよいと思っていましたが……」
バクフーンが穏やかに続ける。
「最近は私たちが近くにいても、眠ってくれるようになりましたものね」
カブトプスも一度だけ頷いた。
「頃合いであろう」
メタモンは首を傾げた。
「何が?」
ロトムスマホがメタモンの前まで飛んでくる。
「改めて自己紹介ロト」
「自己紹介?」
「そうロト。クロバに捕まったポケモンは、これで全員揃ったロト。でもメタモンはまだみんなのことをほとんど知らないロト」
「……うん」
それは確かだった。
数日間、一緒に暮らしてはいた。
けれど、メタモンが新しい環境に慣れることを最優先にして、他のポケモンたちは必要以上に距離を詰めなかった。
それには理由がある。
クロバのポケモンたちは、全員が元々野生のポケモンだった。
人間から生まれたポケモンはいない。
最初から人と暮らしていた者もいない。
程度の差はあれ、人間の生活へ入った直後の戸惑いを皆知っていた。
だからこそ、新しく来たメタモンに、
早く馴染め。
仲良くしろ。
ここを自分の家だと思え。
そんなことを押しつけるつもりはなかった。
自分でそう思えるようになるまで、待っていた。
「じゃ、まずはー!」
カイリューが勢いよく手を挙げた。
「ウチから行く!」
「絶対そう言うと思ったロト」
「当然っしょ! こういうのは明るく始めたほうがいいじゃん!」
大きな身体を揺らしながら、カイリューがメタモンの前へやってくる。
ただでさえ大柄なカイリューが目の前に立ったため、メタモンが思わず見上げた。
カイリューは腰に手を当てる。
「ウチ、カイリュー! 女の子! クロバとはフスベの《竜の穴》で会ったの。で、いろいろあってゲットされて、今こんな感じ!」
「すごくざっくりロト」
「いいのいいの、細かい話は追々!」
カイリューは楽しそうに笑う。
「んで、ウチはこのチームのお姉ちゃんだから!」
ルカリオがすぐに口を挟んだ。
「誰が決めた」
「ウチ」
「自称じゃないか」
「自称から始まる肩書きも世の中いっぱいあるじゃん?」
「それで押し通すのか」
「押し通す!」
メタモンが目をぱちぱちさせる。
カイリューはそんなメタモンの前へしゃがみ込んだ。
「だからさ、困ったことあったら何でもウチに言っていいからね。怖い夢見たとか、ご飯足りないとか、クロバが金ないとか」
「最後のはボクが相談される側じゃない?」
「あ、それもそっか!」
カイリューがケラケラ笑った。
メタモンも、ほんの少し笑った。
「あと、ウチはメガシンカできる!」
「メガシンカ?」
「そう! クロバとウチが本気出すと、さらに超強くなる感じ!」
「説明が雑ロト」
「でも間違ってないじゃん」
「まあ間違ってはいないロト」
カイリューは胸を張った。
「空飛ぶのも得意だから、どっか行きたい時は言って! ただしクロバ乗せてる時はしょっちゅう『もうちょいゆっくり飛べ』って言われるけど」
ソファから声がした。
「……ほんとにゆっくり飛んでくれ……」
全員が振り返る。
クロバは目を閉じたままだった。
カイリューが目を丸くする。
「起きてんじゃん」
「寝言ロト」
「寝言で会話すんなって!」
クロバはそのまま再び静かになった。
メタモンは少し不思議そうに眠っているトレーナーを見る。
「……クロバって、いつもあんな感じ?」
ロトムが即答した。
「だいたいあんな感じロト」
「でも」
ルカリオが静かに付け加えた。
「あれで、必要な時には動く」
その言葉には、長い時間を共に過ごした者だけが持つ確信があった。
「次、俺でいいか」
ルカリオが立ち上がる。
メタモンは少し姿勢を正した。
カイリューとはまるで違う。
静かで、落ち着いていて、それでも不思議と怖くない。
「ルカリオだ。男。クロバとは俺がリオルだった頃から一緒にいる」
「一番長いの?」
「ああ」
「クロバの父親がクロバにくれたポケモンロト」
ロトムが補足する。
「父親?」
「ドラゴン使いロト。クロバはフスベ出身だからロト」
メタモンはクロバを見る。
「じゃあカイリューも、お父さんから?」
「いや。ウチはクロバ本人!」
「俺も捕まえられたわけではない。リオルだった頃に託された形だ」
「へえ……」
ルカリオは自分の胸へ手を添えた。
「俺は波動が使える。生き物の気配や感情を感じ取ることができる。壁の向こうに誰がいるか、地下に何人いるか、そういうこともある程度なら分かる」
メタモンの顔が曇った。
「……じゃあ」
ルカリオは静かに言った。
「お前がここへ来たばかりの頃、怖がっていたことも分かっていた」
メタモンの身体が固まる。
「でも、心を勝手に読むようなことはしない。安心しろ」
「……うん」
「怖い時に怖いと感じるのは悪いことじゃない」
ルカリオの口調は淡々としていた。
しかし優しかった。
「ここで暮らしていけば、いずれ怖くない時間のほうが長くなる」
メタモンはしばらく黙っていた。
そして小さく頷いた。
「ありがとう」
「それと」
ルカリオがほんの少しだけクロバを見る。
「俺もメガシンカできる」
カイリューがすぐに反応した。
「あ、それウチと一緒ー!」
「お前より先にできるようになった」
「え、そこで先輩風吹かせる?」
「事実だ」
「そういうとこ真面目だよねー」
「お前が軽すぎるんだ」
「はいはい、次次!」
カイリューに押されるような形で、ルカリオが一歩下がった。
その代わり前へ出たのは、カブトプスだった。
メタモンが少し身構える。
鋭い鎌。
硬い甲殻。
細身ながら筋肉質な身体。
顔つきも他の仲間より険しい。
「……怖い?」
カイリューが小声で訊く。
メタモンが正直に頷いた。
「ちょっと」
カブトプスは聞こえていたらしい。
「無理もない」
低い声だった。
「拙者、カブトプス。雄である」
「拙者……?」
「そういう喋り方ロト」
「ずっと?」
「ずっとロト」
カブトプスは気にする様子もない。
「拙者の一族は、遥か古より海に生きてきた」
メタモンが目を丸くする。
「昔?」
「先祖は浅き海に住んでいたと伝わる。しかし時代が移り、多くの同胞が姿を消していった。拙者の一族は深海へ逃れ、そこで細々と命を繋いだ」
「じゃあ……化石から生き返ったんじゃないの?」
「違う」
カブトプスは首を横に振る。
「拙者はこの時代に生まれ、この時代の海で育った」
メタモンは驚いて口を開けた。
「本物の……野生のカブトプス?」
「左様」
カイリューがニヤッとする。
「これ、研究者が聞いたらひっくり返るやつ」
「実際かなり珍しいロト」
ロトムも続けた。
カブトプスは窓の外を見る。
「されど、深海は狭かった」
「海なのに?」
「広さの話ではない」
カブトプスは静かに答える。
「見る景色が同じであった。拙者は幼き頃より、深海の外を見たかった。陸というものを。この世にある森を。山を。町を。人という生き物を」
「それで旅に?」
「うむ」
ほんのわずかに、カブトプスの目が遠くを見るように細められた。
「されど、旅立って間もなく嵐に遭った。海流は荒れ、拙者では抗えぬほどの流れに呑まれた。そして気づいた時には、タンバシティの浜に打ち上げられていた」
「そこでクロバと?」
「左様。当時のクロバはまだ幼かった。シジマという人間のもとで、リオル──今のルカリオと修行をしていた」
ルカリオが小さく頷く。
「死にかけていた拙者を見つけ、水をかけ、ポケモンセンターへ運び、回復するまで毎日顔を出してきた」
「へえ……」
「その後、拙者は再び海へ戻ることもできた」
カブトプスはクロバを見る。
ソファでは、その当人が完全に眠っている。
「されど、思ったのだ。この者と共にあれば、拙者の望んだ広き世界を見ることができるやもしれぬ、と」
カイリューが嬉しそうに肩を揺らす。
「実際めっちゃ色んなとこ行ってるもんね!」
「うむ」
カブトプスは短く答える。
「故に、あの嵐も今となれば悪き出来事ではなかった」
メタモンは静かにカブトプスを見る。
捕まったこと。
痛かったこと。
怖かったこと。
それを「よかった」と思うことは、今のメタモンにはできなかった。
そして、カブトプスもそんなことを言っているのではないと分かった。
ただ、自分の人生を変えた出来事の先に、今がある。
それだけだ。
「……ボクも、いつかそう思えるかな」
メタモンが呟いた。
カブトプスは少し考えてから答えた。
「思う必要はない」
「え?」
「辛きものを、無理に良きものへ変える必要はあるまい。拙者の場合は、たまたまそう思えただけのこと」
メタモンが見上げる。
「今後、良きものを増やせばよい」
ほんの短い言葉だった。
それが、妙にメタモンの胸へ残った。
「うん」
「では、次は私ですね」
バクフーンがゆっくり近づいてくる。
ヒスイのすがた。
現代のジョウト地方ではまず見ることのない姿。
通常のバクフーンよりもどこか柔らかく、穏やかな雰囲気をまとっている。
「私はバクフーン。女の子です」
「女の子って自分で言うんだ」
「ふふ。カイリューさんがそう言ったので、合わせてみました」
「かわいー!」
「ありがとうございます」
バクフーンはメタモンの横へ腰を下ろした。
「私は、最初からクロバのパートナーとして旅を始めたポケモンです」
「最初から?」
「博士からもらったロト」
「ええ。ただし、私も生まれた時から人間と暮らしていたわけではありません。博士のところへ来る前は野生でした」
「そっか」
「クロバと旅をして、色々な場所へ行きました。それでシンオウ地方のテンガン山へ登った時に……」
バクフーンが自分の身体を見る。
「こうなりました」
メタモンが首を傾げる。
「進化したの?」
「はい。普通のバクフーンになると思っていたんですけれど」
ロトムが補足する。
「ヒスイ地方にいたバクフーンの姿ロト。現代でこの姿に進化するのは、かなり珍しいどころか、ほとんど例がないロト」
「どうして?」
「それが分からないロト」
「私も分かりません」
バクフーンは困ったように笑った。
「でも、昔のヒスイ地方のバクフーンは魂を導く穏やかな性質を持っていたとも言われていますから……クロバは『お前の性格に合ったんじゃないか』と言っていました」
「性格?」
「私、昔からあまり争いが好きではないので」
カイリューが横から口を挟む。
「めっちゃ優しいよー! 怒ることほぼない!」
「そんなことは……」
「あるって。クロバが冷蔵庫に入ってたバクフーンのおやつ勝手に食べた時も、『次から一言言ってくださいね』で終わったじゃん」
バクフーンの笑顔が少し固まった。
「……あの時は、少しだけ怒っていましたよ?」
「え?」
ロトムが震える。
「一番怖いやつロト」
「でも、もう怒っていませんよ」
バクフーンはにっこり笑った。
ソファの上でクロバが寝返りを打った。
「……悪かったって……」
また寝言だった。
メタモンが吹き出した。
バクフーンも笑う。
「あなたも、ここで何か怖いことがあったら私のところへ来てくださいね」
「うん」
「何も話したくない時は、話さなくてもいいです。一緒にいるだけでも構いませんから」
メタモンはまた小さく頷いた。
そして。
全員の視線がロトムへ向いた。
「最後はロトムだな」
ルカリオが言う。
「待ってたロト!」
ロトムスマホが勢いよく上昇する。
「ロトムはロトム! 雄とか雌とかそういうのはないロト!」
「その説明いる?」
カイリューが訊く。
「自己紹介だからいるロト!」
ロトムはくるりと宙返りした。
「クロバとはシンオウ地方で会ったロト。そしてこのロトム、普通のロトムとはちょっと違うロト!」
「自分で言うんだ」
「事実ロト」
ルカリオが横から言う。
「否定はしない」
「だろロト?」
ロトムは得意そうに続ける。
「ロトムは天才ロト!」
「堂々と言った」
メタモンが目を丸くした。
「一般的なロトムも機械に入るのは得意ロト。でもスマホロトムは別ロト。普通の家電に入るのとは違って、人間のスマホを安定して動かしながら、通信、検索、撮影、地図、各種アプリ、それに人間との会話まで同時にこなす必要があるロト」
「難しいの?」
「普通は専用の訓練が必要ロト」
「ロトムは?」
「ゼロロト」
「ゼロ?」
「一回も訓練してないロト」
メタモンがぽかんとする。
カイリューが笑う。
「初めてスマホ入った瞬間から普通に使ってたもんねー」
「操作説明書より先に使い方理解したロト」
「すごい……」
「もっと褒めていいロト」
「調子に乗るな」
ルカリオにたしなめられる。
「あと普通のフォルムチェンジも全部できるロト」
「スマホにいるのに?」
「スマホから出ればできるロト。ヒートロトム、ウォッシュロトム、フロストロトム、スピンロトム、それと一番使うのが──」
ロトムスマホが机へ降りる。
「カットロトム!」
「草タイプ?」
「そうロト。このチームには草タイプがいないから、その穴をロトムが埋めることが多いロト」
カイリューが指を一本立てた。
「あと、めっちゃ喋る」
「重要ロト」
「クロバの代わりに予定管理する」
「重要ロト」
「クロバの財布も管理しようとしてる」
「生命線ロト!」
ソファから再び声。
「……財布は俺のだ……」
「だったら自分で管理するロト!」
「……明日から……」
「その明日いつ来るロト!」
クロバは返事をしない。
完全に眠った。
カイリューが腹を抱えて笑った。
「だめだ、ウケる!」
メタモンもつられて笑った。
こんなふうに笑ったことが、今まであっただろうか。
腹の底から。
誰かを警戒することもなく、次に何をされるか怯えることもなく、ただ、面白いから笑う。
それが妙に不思議だった。
ロトムはメタモンへ向き直った。
「で、最後に大事な話ロト」
「?」
「クロバはポケモンの言葉を直接は分からないロト」
メタモンがクロバを見る。
「え?」
「なんとなくは分かるみたいロト。ルカリオが怒ってるとか、カイリューが楽しそうとか、バクフーンが心配してるとか、そのくらいは長年一緒だから察するロト」
「でも言葉そのものは分からない」
ルカリオが補足した。
「俺たち同士では普通に会話できるが、クロバには内容までは聞こえていない」
「じゃあ今の話も?」
「ぜんぜん分かってないロト」
ロトムが答える。
全員が寝ているクロバを見る。
「……紹介してたことも?」
「たぶん知らないロト」
「ずっと寝てたしねー」
「拙者らが何を話していようと、当人には理解できぬ」
「だから、クロバとちゃんと話したい時はロトムが通訳します」
バクフーンが説明した。
メタモンは少し考えた。
「じゃあ……ボクがクロバに言いたいことも?」
「ロトムがそのまま伝えるロト」
メタモンはしばらく何も言わなかった。
ロトムも待った。
他のみんなも急かさない。
やがてメタモンが小さな声で言った。
「……ありがとうって」
「クロバに?」
「うん」
眠っている男を見る。
自分を最初に見つけた時、近づくなと叫んだ。
クロバの姿に変身して襲いかけそうになった。
それでもクロバは攻撃しなかった。
抱き上げて、
「もう変身しなくていい」
そう言った。
あの言葉を、メタモンはまだ覚えている。
「助けてくれて、ありがとう」
メタモンは続けた。
「ボクを捕まえたんじゃなくて……ボクがここにいたいって言ったのを、受け入れてくれてありがとうって」
ロトムは少し黙った。
「起こして伝えるロト?」
メタモンは慌てて首を横に振る。
「いい! 今は寝かせてあげて」
「珍しいロト。普通ならゲームコーナー行く時間になったら容赦なく起こすロト」
「それとこれとは違うよ」
「じゃあ起きたら伝えるロト」
「うん」
カイリューがメタモンへ顔を寄せた。
「でさ」
「?」
「せっかくだからメタモンの自己紹介も聞こうよ!」
「あ」
確かにそうだった。
全員が自分を紹介したのだから。
メタモンは少し戸惑う。
「でもボク……みんなみたいに話すことないよ」
「あるじゃん」
「何が?」
「名前メタモン。一人称ボク。変身超うまい」
「それは……」
「それだけでもいいの!」
カイリューは明るく笑った。
「ここって過去のすごさ競う場所じゃないし!」
メタモンは皆を見た。
ルカリオ。
カブトプス。
カイリュー。
バクフーン。
ロトム。
そして眠るクロバ。
「……ボクは、メタモン」
当たり前のことから始める。
「野生で暮らしてた」
少しだけ身体が強張った。
「そのあと、悪い人たちに捕まった。薬をたくさん入れられて、いろんなものに変身するように言われた」
バクフーンが静かに見守る。
「ボク、今でも何も見なくても、一度覚えたものなら変身できる。人でも。ポケモンでも。物でも」
「うん」
「でも……」
メタモンは自分の身体を見る。
「それがすごいことなのかは、まだ分からない」
誰も口を挟まなかった。
「これがあるから、捕まったから」
沈黙。
けれど、息苦しい沈黙ではなかった。
ルカリオが言う。
「今すぐ答えを出す必要はない」
「うん」
「能力そのものに罪はない」
「でも怖い時もある」
「なら使わなくていい」
カブトプスも静かに言った。
「使いたき時のみ使えばよい」
バクフーンが微笑む。
「あなたの力ですもの」
カイリューも頷く。
「そそ。誰かに使わされるんじゃなくて、自分で使いたい時だけ使えばいいじゃん」
ロトムが続けた。
「探偵の仕事で手伝ってくれたら超便利そうではあるロト」
「ロトム」
ルカリオが睨む。
「冗談ロト! 本人が嫌なら絶対やらせないロト!」
「でも……」
メタモンが少し笑う。
「いつか、ボクから手伝いたいって思ったら、やってみたい」
「その時は頼むロト」
「うん」
それからメタモンは一度、大きく息を吸った。
「あと……今は」
皆を見る。
「ここにいるの、好き」
カイリューの顔が一気に明るくなる。
「よっしゃー!」
「うわっ」
カイリューがメタモンを抱き上げた。
「今日から正式に末っ子ー!」
「ちょ、ちょっと待って!」
「ウチがお姉ちゃんだからメタモン末っ子!」
「勝手に決めないでよ!」
「え、嫌?」
「……嫌じゃないけど」
「じゃ決定!」
「決定なの!?」
カイリューがその場でくるくる回る。
「目が回るー!」
「カイリューさん、そろそろ下ろしてあげてください」
「あ、ごめんごめん!」
床へ下ろされたメタモンは、ふらふらしながら元の形へ戻った。
それから、ちょっとした悪戯心が芽生えた。
身体が変わる。
ジーンズ。
Tシャツ。
ジャケット。
ブルーグレイのサングラス。
ブーツ。
右手首のポケッチ。
左手首のゼンブイリング。
そこには、完璧なクロバが立っていた。
「……ゲームコーナー行くか」
声まで完璧。
一瞬の静寂。
カイリューが吹き出した。
「似てる似てる!」
ロトムも大笑いする。
「完成度高すぎロト!」
ルカリオでさえ口元を僅かに緩めた。
カブトプスも目を細める。
バクフーンは口元へ手を添えて笑っていた。
すると、本物のクロバが薄く目を開けた。
「……ん……?」
目の前に自分がいた。
「……」
偽物のクロバ。
本物のクロバ。
十秒ほど見つめ合う。
「…………夢か」
本物のクロバが再び目を閉じた。
「寝たー!」
カイリューがまた爆笑する。
メタモンはクロバの姿のまま笑い、自分の姿へ戻った。
その笑い声を聞いてクロバは目を閉じたまま、ほんの少しだけ口元を緩めた。
何を話しているのかは分からない。
ロトムに訳してもらわなければ、ポケモンたちの言葉は理解できない。
それでも、新しく来たメタモンが笑っている。
そのくらいは分かった。
なら今は、それで十分だった。
もう少しだけ寝よう。
午後になっても、おそらく依頼はない。
そうなればゲームコーナーへ行けばいい。
一階から店主の声が響いた。
「クロバくーん! 荷物届いとるでー!」
クロバは目を閉じたまま返した。
「そこ置いといてくださーい……」
「代引きやでー!」
クロバの目が開いた。
「いくらです!?」
「一万八千円!」
「ロトム」
「何ロト?」
「俺の財布」
「残高一万二千三百円ロト」
沈黙。
カイリューが笑う。
「終わったじゃん!」
「笑い事じゃない!」
クロバが飛び起きた。
その拍子に毛布を踏み、盛大によろける。
メタモンはまた笑った。
数日前まで。
笑うことは、生き残ることには何の役にも立たないと思っていた。
今は違う。
ここでは、
生きることと、笑うことが同じ毎日の中にあった。
メタモンはまだ、それを家族という言葉で呼ぶことには少し照れがあった。
けれど、
たぶん、
きっと、
そういうものなのだろうと思った。