ジョウト地方最大の都市、コガネシティ。
巨大なラジオ塔を中心に百貨店や駅、ゲームコーナー、地下街が広がるこの街は、陸上交通だけでなく空と海の玄関口でもあった。
市街地の沖合には海上空港として整備された《ジョウト国際空港》があり、朝から各地方を結ぶ旅客機や貨物機が絶え間なく発着している。さらに海岸沿いにはコガネ港があり、国際港として名高いアサギシティほどの規模ではないものの、貨物船やフェリー、漁船など多くの船が出入りしていた。
そのコガネ港の一角。
観光客の姿がほとんどない倉庫街を、一人の男が歩いていた。
「本当にいるのかよ。こんなところに……」
クロバはそう呟きながら、大きなあくびを噛み殺した。
古着屋で買ったジーンズにTシャツ、その上からジャケット。足元は履き慣れたブーツ。ブルーグレイのレンズが入ったサングラスの奥には、まだ完全に眠気の抜けていない目がある。
右手首にはポケッチ。
左手首にはゼンブイリング。
その横を、ロトムスマホがふわふわと飛んでいた。
「依頼を受けた本人が言うセリフじゃないロト」
「受けた時はもうちょっと夢があると思ってたんだよ。伝説のポケモン探しだぞ?」
「今まさに探してるロト」
「もっとこう……森とか湖とか滝とかさ」
クロバは周囲を見渡す。
あるのは巨大なコンテナ。
鉄骨。
フォークリフト。
シャッターの閉じられた倉庫。
潮と機械油の匂い。
上空ではキャモメが鳴き、遠くから貨物船の汽笛が響いてくる。
「伝説のポケモンを探してる雰囲気じゃないだろ」
「スイクンに文句言うロト」
「会えたらな」
少し前を歩いていたルカリオが足を止める。
「ルカ」
クロバも止まった。
「何かいる?」
ルカリオは目を閉じ、倉庫街全体へ意識を広げる。
波動。
人間。
ポケモン。
建物の中。
壁の向こう。
地下。
クロバにはルカリオが何を感じているのかまでは分からない。
だが、付き合いが長い。
何となく表情で分かる。
「……普通の人間とポケモンばっかりっぽいな」
「正解ロト。ルカリオも『今のところ妙な気配はない』って言ってるロト」
「やっぱガセじゃないか?」
「調査開始十五分で諦める探偵がどこにいるロト」
「ここ」
「胸張るなロト!」
少し離れた場所ではカイリューがコンテナの上から周囲を見回していた。
「リュウー!」
「カイリューは?」
「海側にもそれらしい姿はないって言ってるロト」
バクフーンはクロバの隣をのんびり歩いている。
「バクゥ……」
「眠そうだな」
「『クロバもね』って言ってるロト」
「余計な通訳するな」
少し後方。
カブトプスは海へ続く水路の前で身を屈めていた。
海中の気配を探っているらしい。
その肩の上ではメタモンが、カブトプスそっくりな姿へ変身して遊んでいる。
「カブ」
「モン!」
「何してんだ、あいつら」
「メタモンがカブトプスの真似してるロト」
「仲良くなったな」
「カブトプスは『修行ならば姿だけでなく心も似せよ』って言ってるロト」
「メタモンは?」
「『難しい』ロト」
「だろうな」
クロバは苦笑した。
潮風がジャケットを揺らす。
そして再び歩き出した。
彼らが探しているのは、どこにでもいる野生ポケモンではなかった。
ジョウト地方に語り継がれる伝説のポケモン。
北風の化身。
汚れた水を一瞬で清める力を持つとされる。
──スイクン。
話は数日前まで遡る。
♢
《クロバ探偵事務所》
その日は珍しく客がいた。
しかもクロバの知り合いだった。
「そうゆう訳やで、青春を共に過ごしたわいのお願い、聞いてくれへん?」
ソファに座り、やたらと楽しそうに話している男。
マサキ。
クロバとは学生時代の同級生であり、古くからの友人だった。
そして世界的にも名の知られた技術者。
現在世界各地で利用されているポケモン預かりシステムの開発に関わった人物の一人で、その分野では知らない者のほうが少ない。
だが本人が最も重視している肩書きは、そこではない。
ポケモンマニア。
──本人曰く、
《ポケモンアナリスト》。
クロバは未だに違いが分からなかった。
マサキは自分のスマホをテーブルへ置いた。
画面にはSNSの投稿がいくつも並んでいる。
「最近な、チルッターの呟きとか、25ちゃんねるの書き込みで、コガネ港の倉庫街にスイクンが出るっちゅう目撃情報が相次いどるんや」
《チルッター》。
イッシュ地方に本社を置く巨大IT企業が運営するSNSで、青いチルットを模したアイコンが有名だった。
世界中のトレーナーが利用しており、バトルの話題からポケモンの写真、旅先の情報、その日の昼食まで何でも投稿されている。
マサキが画面をスライドさせる。
《昨日コガネ港で青いポケモン見たんやけど、あれスイクンちゃう?》
ぼやけた夜景。
倉庫の間。
画面の端に、青白い何かが映っている。
次。
《夜中に港の近く通ったら水の上走っとるポケモンおった》
さらに次。
今度は匿名掲示板だった。
《25ちゃんねる》。
その名はピカチュウの全国図鑑番号、25番から取られている。
匿名性の高さから、真偽不明の噂や目撃情報が集まりやすい場所でもあった。
《【速報】コガネ港にスイクン出現》
1:名無しのトレーナー
マジでいて草
61:名無しのトレーナー
ワイも見た
120:名無しのトレーナー
どうせシャワーズ定期
136:名無しのトレーナー
シャワーズが水面走るか
225:名無しのトレーナー
写真はよ
350:名無しのトレーナー
撮ろうとしたら消えた
351:名無しのトレーナー
やっぱり北風みたいなんやな
447:名無しのトレーナー
>>351 それっぽいこと言いたいだけやろ
クロバは画面を眺めながら、頬杖をついた。
「25ちゃんねるなんて半分くらい嘘だろ」
「その半分から本物見つけるんが楽しいんやないか!」
「マニアだな」
「アナリストや」
「はいはい」
マサキはさらにいくつかのまとめサイトを表示した。
ここ数週間で目撃情報は十件以上。
時間帯は夕方から深夜。
場所はコガネ港の倉庫街周辺に集中している。
中にはかなり具体的な証言もあった。
「わいも自分で調査したいんやけどなぁ」
マサキが大げさに肩を落とす。
「明日からイッシュ地方行かなアカンねん」
「イッシュ?」
「ブルーベリー学園で講演会頼まれとってな」
クロバが眉を上げた。
「何教えに行くんだよ。ポケモンと合体しちゃった時の対処方法か?」
「そうそう、まず転送装置ん中に入ってな──って、なんでやねん!」
きれいなノリツッコミだった。
ロトムスマホが笑う。
「鉄板ネタロト!」
「鉄板ちゃうわ!」
マサキはクロバを指差した。
「『ポケモン預かりシステムの発展とトレーナーの活動との関係について』や! めっちゃ真面目な講演や!」
「学生寝そうだな」
「失礼やな!」
「ブルーベリー学園ならバトルの実演やったほうが喜ぶだろ」
「わい技術者やぞ!」
「ポケモンマニアじゃなかったのか?」
「アナリスト!」
「肩書き多いな」
マサキはため息をついた。
「とにかく、わいは行かれへん」
「というか俺じゃないとダメなのか?」
クロバはスマホを指差した。
「スイクンなら、スイクン追っかけてる奴がいただろ。確か……」
「ミナキのことか?」
「ああ、それ」
マサキは頷く。
「それが今、パシオにおるらしくてアカンねん」
「パシオ?」
「なんや伝説のポケモン関係で調べたいことある言うてな。当分戻ってこんらしいわ」
「じゃあ他の奴」
「クロバ」
マサキが少し真面目な顔になる。
「別にゲットしてくれ言うとるんやない」
「そりゃそうだろ」
「ほんまにスイクンがおるんか。それだけ確かめたいんや」
マサキは写真の一枚を表示した。
倉庫街。
夜。
青白い影。
「写真か動画だけでええねん」
そしてニヤッと笑う。
「クロバんとこのスマホロトムなら、朝メシ前やろ?」
ロトムスマホが勢いよくクロバの肩の横へ飛び出した。
「その通りロト! このロトムにかかれば伝説のポケモンの撮影なんて──」
「お前は黙ってろ」
「まだ喋ってる途中ロト!」
クロバはマサキを見る。
「まあ……」
指でテーブルを軽く叩く。
「報酬次第かな?」
マサキが笑った。
「そう言うと思ったわ」
スマホを操作する。
「ほな成功報酬、これでどうや?名探偵」
金額が表示された。
クロバは見る。
一秒。
二秒。
姿勢を正した。
「すぐに取り掛かろう」
ロトムが叫んだ。
「変わり身早いロト!」
「探偵は依頼人の期待に応える仕事だからな」
「さっきまで『他の奴に頼め』って言ってたロト!」
「事情が変わった」
「金額しか変わってないロト!」
マサキが腹を抱えて笑う。
「相変わらずやなぁ、クロバ!」
「依頼内容を確認するぞ。写真か動画を撮ればいいんだな?」
「ああ。できたら近くでな」
「危険手当は?」
「込みや」
「交通費」
「倉庫街まで歩いて行けるやろ!」
「調査中の食費」
「なんでわいが払うねん!」
「経費だろ」
「ゲームコーナー代は経費ちゃうからな!」
クロバが黙った。
マサキが目を細める。
「今、入れようとしたやろ?」
「まさか」
「目ぇ逸らすな!」
そんなやり取りの末。
クロバは依頼を引き受けた。
♢
そして現在。
「……あいつの目撃情報、本当にちゃんと調べたんだろうな」
「マサキの情報分析能力疑うのは失礼ロト」
「ポケモン絡むと頭おかしくなるからな、あいつ」
「それは否定できないロト」
クロバは倉庫と倉庫の間を通り抜ける。
海が見えた。
コンクリートで整備された岸壁。
積み上げられたコンテナ。
係留された小型貨物船。
向こう側にはジョウト国際空港へ続く長い連絡橋。
そのさらに上空を、旅客機がゆっくり高度を上げていく。
クロバはポケッチを見る。
「目撃情報はこの辺りが一番多いんだよな?」
「そうロト。半径約五百メートル以内に七件集中してるロト」
「時間帯は?」
「夕方四件。深夜二件。早朝一件ロト」
「今は午前十一時」
「クロバが朝起きなかったからロト」
「昼にも出るかもしれないだろ」
「その可能性を信じるなら、せめて九時には来るべきだったロト」
「細かいな」
クロバは海面へ視線を向けた。
風は穏やかだった。波も小さい。
スイクン。
クロバ自身、伝説のポケモンというものをまったく見たことがないわけではない。
父親に連れ回された旅。
自分自身の旅。
各地方で起きた数々の事件。
普通のトレーナーなら一生に一度出会えるかどうかというポケモンの存在を、遠目に目撃した経験くらいはある。
それでも、スイクンを間近で見たことはなかった。
「もし本当にいたとして」
クロバが言う。
「なんでコガネ港なんだ?」
「そこが最大の疑問ロト」
スイクンといえば清らかな水。
湖。
泉。
森。
少なくとも、コンテナと倉庫と貨物船に囲まれた場所にいるイメージではない。
ロトムが表示した地図をクロバが見る。
「港で何か起きてる可能性は?」
「水質データを確認したけど、行政発表上は異常なしロト」
「密輸」
「可能性はあるロト」
「野生ポケモン絡み」
「それもあるロト」
「ただの観光」
「スイクンが?」
「都会見物したくなる日もあるだろ」
「伝説のポケモンを何だと思ってるロト」
「ポケモン」
「それはそうロト」
その時、カブトプスが立ち上がった。
「カブッ!」
メタモンも反応する。
「モン?」
クロバが振り返る。
「どうした?」
ロトムが少し静かになった。
「カブトプスが言ってるロト」
「何て?」
「海の匂いが変だって」
クロバの表情から眠気が消えた。
カブトプスは海面を見つめている。
「カブ……」
「どう変なんだ?」
「ポケモンの匂いじゃない。油でもない。海そのものが……一部だけ違うって言ってるロト」
クロバは岸壁へ歩いた。
海を覗き込む。
一見すると何もおかしくない。
青い海。
小さな波。
だが、よく見ると倉庫街の奥から流れ込んでいる排水路付近。
水面の一部だけが、微かに濁っている。
「……あれか」
ルカリオもこちらへ来る。
「ルカ」
「何か感じるか?」
ルカリオが目を閉じる。
数秒。
耳が動いた。
そして目を開く。
「ルカ!」
ロトムが声を上げる。
「地下にポケモンがいるロト!」
「何匹?」
ルカリオが集中する。
「ルカ……ルカ」
ロトムが訳した。
「一匹じゃないロト。かなりいる。しかも……」
「しかも?」
ロトムが一瞬言葉を止める。
「弱ってるポケモンが多いロト」
クロバの視線が倉庫街へ向く。
先ほどまで眠そうに歩いていた男の姿は、もうなかった。
「場所は?」
ルカリオが顔を上げる。
視線の先。
他の倉庫より少し古い建物。
シャッターには錆。
会社名らしい文字は剥がされている。
一見すれば廃倉庫だった。
「ルカ!」
「あそこか」
クロバは歩き出す。
ロトムが追う。
「スイクン探しはどうするロト?」
「後回し」
「報酬ロト?」
「生き物が弱ってるなら先にそっちだ」
「そう言うと思ったロト」
カイリューがコンテナから飛び降りる。
「リュウッ!」
バクフーンの表情も変わった。
「バク」
カブトプスが両腕の鎌を構える。
「カブト」
メタモンは一瞬だけクロバを見ると、身体を変化させた。
ルカリオ。
「モン!」
クロバはその姿を見て苦笑する。
「まだ戦うって決まったわけじゃないぞ」
「『でも準備はする』って言ってるロト」
「最近頼もしくなったな」
「モン!」
クロバは廃倉庫を見上げた。
──その時だった。
北から風が吹いた。
ほんの一瞬。
潮の匂いを押し流すような、冷たく澄んだ風。
クロバが振り返る。
「……今の」
ロトムも海側へカメラを向ける。
「北風ロト」
海面。
排水路の近く。
濁っていた水が揺れる。
波紋が広がった。
そして。
遠く離れたコンテナの上。
青い何かが立っていた。
クロバの目が見開かれる。
白い菱形模様。
頭部から伸びる紫色のたてがみ。
風に揺れる二本の白い飾り。
青い身体。
その姿を見間違えるはずがなかった。
「……スイクン」
ロトムが一瞬固まる。
「撮影するロト!」
「待て!」
ロトムスマホのカメラが起動する。
だが、スイクンはこちらを見ていなかった。
その視線は、クロバたちでも海でもない。
廃倉庫へ向いている。
「……あいつ」
クロバはスイクンの視線を追った。
「スイクンも、あそこを見てる?」
「そう見えるロト」
スイクンが一歩踏み出す。
その足元に風が巻く。
そして次の瞬間。
青い身体はコンテナから飛び降り、倉庫街の奥へ消えた。
「ロトム、撮れたか?」
「一秒ちょっとだけロト!」
「十分だ」
「依頼達成ロト!」
「いや」
クロバは廃倉庫を見る。
「まだ終わってない」
「写真撮れたロト」
「マサキの依頼はな」
地下には弱ったポケモンたち。
不自然な海の濁り。
そしてそこを見つめていたスイクン。
偶然とは思えない。
クロバはジャケットのポケットへ手を入れた。
「今度は俺が気になる」
ロトムが笑う。
「それ、だいたい面倒事の始まりロト」
「知ってる」
クロバは歩き出した。
その背後を、五匹のポケモンと一台のロトムスマホが続く。
コガネ港で相次いだ、スイクンの目撃情報。
誰も知らなかった。
その伝説のポケモンがこの場所へ現れていた理由は、人間へ姿を見せるためでも、ただ港を通りかかったためでもない。
スイクンは、この数日間ずっとコガネ港の地下で流れ続ける汚れた水を追っていた。