恒星間国家ディノン帝国帝星ディノンのシティ・ウォディーバと言えば、その枕詞は「運河の街」とか「水の都」と相場が決まっている。
網目のように市中を走っている石造りの運河沿いに三階建てのレトロな街並みが軒を連ね、その奥には、これ見よがしにハイテクな高層ビルが立ち並び、その中央を貫くように大きな河が流れている。
その妙にアンバランスな街並みの中を、一人の少女が歩いていた。
彼女の名はムギ。この町で生まれ育った女学生である。
ふと、顔をあげ、蒼天を見上げた。
彼女には夢がある。
空を自由に飛びたい。
幼いころに見た映画が切っ掛けで抱いたその夢を、今でも抱き、追い続けていた。
昼前だというのに、街中は人出が多かった。
春の訪れを寿ぐ祭りでにぎわっているのだ。
人々の顔に浮かぶ表情は様々である。
喜びに輝く者もいれば、隠しきれぬ哀しみにに沈む者もいた。
それらの表情に共通しているのは安堵であった。
先の大戦が終結したことへの安堵であった。
少女は広場へと向かっていた。目当ては、そこに展示されている複葉機である。
「え……あの人って」
ムギの喉から驚きの声が漏れた。
彼女の視線の先、展示されている複葉機のそばで、一人の青年が佇んでいた。
軍服ではなく私服だったが間違いない。先の大戦の英雄。救国の英雄。そう呼ばれる男。
「コテツ……少佐……」
見間違えるものか。
「あ、あの! 通してください!」
人込みをかき分けながら、ムギは複葉機の展示スペースへと向かった。
複葉機。それは、主翼の数を増やせばもっと高く飛べるはずだ、そんな思い込みを航空力学がまだ否定できなかった頃の飛行機であった。
だが、この複葉機が蒼穹の主役を張っていた時代が、確かに存在していたのだ。
遥かな昔に。
「時代のあだ花って奴かね、これも」
肩をすくめて、ため息を一つ。コテツ少佐は展示されている複葉機の前から歩き去った。
ムギがその複葉機の前へ駆けつけたのは、それからほんの少しだけあとの事である。
コテツにとって、これは随分と久方ぶりの休暇であった。そのせいだろうか、休みの過ごし方、というやつの勝手が今ひとつ掴めないでいた。
「休暇を持て余すようなつまらないヤツにはなりたくないと思っていたんだがな」
ぼやきながら、にぎやかな街並みをぶらつく。
「腹が……へったな」
屋台のひとつも覗いてみようかと思案したコテツの袖を、
「あ、あの!」
遠慮がちに引っ張る者がいた。
見れば、そこには一人の少女がコテツを純朴そうな眼差しで見上げていた。
「何かご用かな、お嬢ちゃん」
戸惑い混じりに声をかけると。
「え……あの……」
少女も戸惑っていた。自分がどうしてこんなことをしたのかわからない。そんな表情だった。
「ああ。人違いしちゃったかい?」
「いえ、人違いじゃないです! ……コテツ少佐……ですよね……」
「…………ああ、そうだけど。よくわかったね、軍服を着てないと滅多にきづかれないんだが」
「わかります! だってコテツ少佐は…………救国の英雄ですから」
「……英雄呼ばわりは勘弁してくれ」
コテツ少佐は苦笑を浮かべた。
「コテツ様はそんなこと言わないです」
「コテツ様て」
苦笑に苦笑が重ねられる。
なんとなく、そのまま二人ならんで祭りで賑わう運河の街を散策する流れになった。
「へえ。学校じゃエア・クラフト部に入っているのか。何年か前にニュースだかバラエティで特集してたのを見たよ。複葉機で曲芸飛行をしていたな」
あまりメジャーな部活動ではない。本格的にやっているのは帝国全体でも何校だったか。
「あっ、コテツ少佐も見てたんですか? わたしもあの番組を見てあの学校に入ったんですよ」
「ああいうレトロなレシプロ機が好きなのかい?」
「レシプロ機っていうか、空を自由に飛びたいなって、ずっと思ってたんです」
「ああ、なるほどな。いまどき飛行機をマニュアル操縦で自由に飛ばそうとしたら、エア・クラフト部に入るぐらいしか手段がないか」
「ええ。それに、空を自由に飛んでいるのを見るのも大好きなんです。だからお祭りのイベントで複葉機を飛ばすのが中止になっちゃって残念です」
「あの複葉機……飛行艇を運河から離着陸させようとしてたんだってな。さすがに浮かれすぎだって自制心がはたらいたか。……おっと失礼」
空腹に自分の腹が鳴って、コテツはきまり悪げな照れ笑いを浮かべた。
「私の家、この近所で手作りパン屋をやってるんです。よかったら、よっていってくれませんか」
ふたり連れ立って、賑わう街並みを歩く。
街の中央を流れる川にかかる橋を、ベルトウェイに乗って渡り。
十字路にさしかかった。
「手作りパン屋か。この街では多いのかな?」
「ううん、この街ではウチだけですよ」
「…………そうか」
ふいに、ムギが弾んだ声をあげた。
「おねえちゃん! こっち、こっち!」
見れば、横断歩道の向こう側で清楚な美女がこっちに大きく手を振っていた。
信号が変わり、笑顔で駆け寄ってくる。
「ムギ、どうしたの。そちらのかたは」
そこで平和な日常は途切れた。
シティ・ウォディーバの交通管制センターのシステム暴走。
そのとき起こったことをひと言で表現すれば、そういうことになる。
交通管制センターが自身の異常を感知し、システムダウンさせるまでのほんのわずかな時間に、いくつもの事故が発生した。
カフェテラスに突っ込んだトラックがあった。
信号待ちをしていた乗用車に追突したタクシーがあった。
いくつもの事故の中に。
ムギの姉を跳ね飛ばした乗用車があった。
「おねえちゃん……? おねえちゃん……おねえちゃん、おねえちゃん!」
取り乱すムギをなだめながら、コテツはムギの姉を病院へと担ぎ込んだ。頭を打ってるかもしれないからみだりに動かしたくはなかったが、この状況では救急車がいつ来るかわからない。
「医療用ナノマシンの院内在庫がもうありません」
病院にたどり着くなり、そう言われた。
怪我人が次々と運び込まれている状況で、そう言われた。
交通管制センターが機能していないこの状況では、ナノマシンがいつ届くかはわからない。
「どうやら俺たちにできるのは祈ることだけのようだな」
「…………」
「オイオイ、らしくないな」
絶望に青ざめ、声も出ないムギに、コテツは笑いかける。
「こういうときこそ『コテツ様はそんなこと言わない』……だろ?」
「さすがは戦闘機のライセンスだ。こんなときでもマニュアル運転を一発で承認してくれる」
病院の車両を借りたコテツは、総合病院へ向けてアクセルを踏んだ。
停止したまま動く気配のない自動車の隙間をくぐり抜けるようにして道路を行き、河にかかる橋を渡り、医療用ナノマシンがプールされている郊外の総合病院にたどり着くまでは首尾よくいった。
ナノマシンの入ったクーラーボックスを受け取り、ムギたちの待つ病院へと向かう。
だが。
「こっちでも事故が起きているか」
コテツはぼやいた。
なんとかマニュアル操縦に切り替えることができた自動車がちらほらと動き出していたが、
慣れない運転の上に信号機が機能していないのだ。
事故を起こした車があちこちで道をふさいでいた。
迂回を繰り返し、なんとか病院へ行こうとするコテツだったが。
「……これじゃあ、迂回のしようがない」
街の中央を貫いて流れる河川の岸で、愕然とすることになった。
川にかかっている橋の全てが事故で通行不能となっていた。
「もっと遠くの橋へ……いや、そう考えるやつなんていくらでもいる。遠くの橋でも、じきに事故がおこるだろう」
橋を使わずに川を渡る方法……。
「そうだ、船! ……いや、船だって観光用ゴンドラに至るまで交通管理センター抜きじゃ動かせない」
自分の足で走るしかないか? だが、それではどれだけの時間がかかる? 他に方法はないのか?
周りを見渡す。
その視線がとまった。
「そうだ、あの広場には……!」
「とんでもないことを考えますな! さすがは救国の英雄だ!」
「英雄よばわりはかんべんしてくれ」
広場に展示されていた複葉飛行艇。
それが、広場横の運河に浮かべられていた。
「これが成功すれば、まちがいなく帝国全土のトップニュースだ。宣伝効果は計り知れない。失敗したなら、俺に全責任を押し付ければいい」
コテツがイベントの主催者に掛け合ったときの、それが口説き文句だった。
「プロペラを回すデモンストレーションしか予定してなかったんで、燃料はこれで全部です」
「上出来さ。あの川を越えるだけならおつりがくる」
嘘である。燃料が足りるか足りないかの目安もつけられない。
「しかし、レシプロ機の操縦もできるなんて、さすがですな」
「トップエースの名は伊達じゃないんでね」
嘘である。操縦シミュレーションの経験はあるが、レシプロ機の実機を操縦するのは、これが初めてである。
「しかし、あの立ち並ぶ高層ビルのあいだを飛んでいくなんて、本当にできるんですか?」
「楽勝さ。敵機に囲まれたときのほうが、よっぽど怖かった」
嘘である。あの時は、しくじっても自分ひとりが死ぬだけだった。今は、死ぬのは自分だけではすまないのだ。
ナノマシンの入ったクーラーボックスをベルトで自分の腹に縛り付け、コテツは複葉機のコクピットに乗り込んだ。シートのすぐ後ろにはもう一つのクーラーボックスがしっかりと固定されている。
「じゃあ、手筈どおりに頼むぜ」
運河の両岸から身を乗り出し、手を伸ばして複葉機の主翼をつかんでいるひとたちに笑いかけて、コテツはエンジンをかけた。
「さあて。引っ込みがつかなくなったぞォ……」
誰にも届かないつぶやきをもらしながら。
エンジンの出力が十分にあがった頃合いを見て。
片手を掲げて、立てた指でカウントダウン。
「五、四、三、二、一、ゴー!」
コテツが前方を勢いよく指さすと同時に、水上艇の主翼を掴んでいたいくつもの手が離される。
複葉飛行艇が前進をはじめる。加速していく。
派手に水しぶきをあげながら運河を突き進む。
橋が近づいてくる。くぐる。
「橋げたが邪魔でくぐれない橋まで、あと二つ!」
まだだ。まだ足りない。離陸するには速度が足りない。
次の橋が近づいてくる。くぐる。
スロットルを緩めたほうがいいんじゃないか。そんな誘惑がコテツの全身にまとわりつく。
だが。
加速し続けなければ飛び立てない。飛行機ってのは、そういう難儀な乗り物なのだ。
水しぶきが小さくなる。とぎれとぎれになる。
速度が落ちているのではない。飛行艇が水面から離れつつあるのだ。
三つ目の、くぐれない橋が近づいてくる。
「飛び越える!」
飛び越えた!
地上から空に向かって大歓声が巻き起こった。
「飛んだはいいが……」
コテツの笑顔がひきつっている。
「機体の挙動がシミュレーションと随分ちがうぞ」
事前に組み上げていた飛行予定ルートでは、もうすぐ川にかかる橋の上を通過するはずだったのだ。
「高さが足りない! このままじゃ橋にぶつかる!」
コテツは操縦桿を押し込んだ。
「橋をくぐる! それしかない!」
橋の下にワイヤーかコードが張られていて、それに引っかかればおしまいだ。コテツは必死に目を凝らした。
飛行ルートを頭の中で組みなおす。
やめときゃよかった。後悔が頭をよぎる。
コテツは声をあげた。
「やめときゃよかった、なんて言うかよ。コテツ様はそんなこと言わないのさ!」
自分を奮い立たせるために。
ムギは病院の玄関脇に立っていた。
自分はなにをしているのだろう、と彼女は思った。
コテツが帰ってくるのを待っているのだろうか。
コテツが帰ってこないことを確かめようとしているのだろうか。
どうして自分はコテツを信じようとしているのだろうか。
こんなの、おかしい。
「……だって、あのひとは、おにいちゃんを……」
つぶやくムギの耳朶を、彼女のよく知る音が叩いた。
「エンジン音……レシプロ機の……?」
病院の外に出て、蒼穹を見上げる。
そこには機影がひとつ。
「あれは……広場に展示されていた……こっちに向かっている……?」
近づいてきているのに、エンジン音が小さくなっていく。消えてゆく。
プロペラが止まり、滑空状態になりながらも、複葉飛行艇は病院横の運河に着水しようとする。
いつの間にか、ムギの足は運河へ……いや、複葉飛行艇へ向かってかけだしていた。
一回、小さく水面でバウンドして、飛行艇は運河に着水した。病院横をゆっくりと通過していく。
パイロットがコクピットから出てきて、主翼の上に乗って、それから運河の岸に飛び移った。
「ガス欠のうえにオーバーランとはな。しまらねえったら……」
複葉機のパイロット……コテツはぼやき、そして駆け寄ってきたムギに笑顔を向けた。
「よお」
「…………」
「待たせちゃったかな。道が混んでてね。思わず飛んで来ちまった」
自分の腹に括りつけていたクーラーボックスのベルトを外しながら、コテツは軽口をたたく。
「ほら、早く持ってってやりな」
ナノマシンの入ったクーラーボックスを、コテツはムギに手渡した。
「…………」
受け取るムギは、茫然としている。
「もうひとつ、ナノマシン入りのクーラーボックスがコクピットシートの後ろに……」
コテツが振り返ると、そこに飛空艇は無かった。
飛空艇は後ろ向きに運河を流されていた。運河なのだから、水の流れはある。考えてみれば自明の理であった。
「アラッ! アラッ! アラ~!」
素っ頓狂な奇声をあげて、コテツは飛空艇を追いかけてかけだそうとした。
「なにしてんだよ。おねえちゃんが待ってるんだろ?」
駆け出す前にムギに声をかける。
ムギは弾かれたように病院に向かってかけだした。ナノマシンの入ったクーラーボックスを抱えて。
「しまらねえな、もおっ!」
飛空艇を追いかけて、コテツもかけだした。