さて。
少しばかり時間はさかのぼる。
子供の頃、たまに見ていたアニメには、やたらと好戦的な秘密結社だの異次元人だの、そして未確認異星知性体だのが攻め込んできては、主人公が乗り込む巨大ロボットに返り討ちにされる、という物語が多かった。
そういう作品だと、奇怪で醜悪な巨大メカや巨大怪獣と主役ロボが戦うクライマックスの前に、戦車だの騎竜だの、そして戦闘用小型UFOだのがわらわらと出てきては前菜(オードブル)のように戦って、景気づけのようにやっつけられるのが常だった。
「勝てないってわかりきってるのに……。あれに乗ってる人たちはたまったもんじゃないだろうな」
少年時代のコテツは、そんな感想をいだいたものだった。
まだ、彼に当たり前のように家族がいた頃の話である。
ゆっくりとゆっくりと、コテツ准尉はコクピット・シートの脇に取り付けられているスロットルレバーを握りしめた。
そっと押しやる。
「……あれ?」
なんの反応も示さない機体に、半月前に士官学校を繰り上げ卒業したばかりの青年が怪訝な声を出した次の瞬間。
ゾゴッ。
くぐもった音が彼の鼓膜をノックした。真空の宇宙空間は音を伝えない。もし聞こえてきたなら、それは幻聴か、機体の中で発生した音である。タンクのノズルが開き、推進主剤、酸化剤、着火剤がスラスターに吐き出されたのだ、とコテツが理解するよりも先に、彼の全身がコクピットシートの背もたれに猛烈な勢いで押し付けられる。
「うおおおおっ」
慌ててコテツはスロットルを戻したが、いったん猛加速した機体は慣性の法則にしたがって、そのままの速度を維持し続けた。
キャノピー越しに見える何光年も離れた星たちは微動だにしていないので、どうも実感に乏しいが、何百キロも出ているはずだ。
「コテツ准尉、とりあえず戻ってこい。わかっているとは思うが、逆噴射を使うな。きちんと旋回して方向を変えろよ」
ヘルメット内のスピーカーから無線が届く。
「了解であります、編隊長どの」
しゃちほこばってディンプ大尉に返答をする。
「シミュレーションを思い出せ、思い出せ……」
自分に語りかける。
さらにゆっくりとスロットルを開けつつ、操縦桿を手前に引くと、宇宙戦闘機は宙返りを始めた。
「馬鹿野郎、旋回しろと言っただろうが! その動作は機体をある程度傾けながらだ!」
「も、申し訳ありません、編隊長どの」
「安易に宙返りだけで方向転換をする癖が付くと長生きできんぞ。動きを読まれやすくなるからな」
「了解であります、編隊長どの」
「とにかく実機の感覚になれろ。いつヤツらとの戦闘になるか分からないんだ。すこしでも早く、練習機から卒業してもらわなないと、こちらの生命にかかわる」
ディンプ大尉の言うことも分かる。あの非常識な連中を相手取るには、数で圧倒する以外に手がないのが現状だ。一機でも多く数を揃えたいと考えるのは当然だろう。
とはいえ、とコテツは思う。こいつはなかなか手強そうだ。
シミュレーションでの飛行訓練は三百時間以上こなしてきたが、そのときの感想はこうだった。スロットルひとつ取ってみても、ガックンガックンと唐突につながるし、スラスターの反応もタイムラグがひどく、絞り加減の調整も癖が強い。こんな乗りにくい宇宙艇が実在していいものだろうか。
そして、実際に実機に乗ってみてわかった。シミュレーションに輪を掛けて実機の操縦性はひどい。
電子制御を一切つかわないってのが、こんなにも扱いづらいものだとは、実際に乗ってみるまで分からなかった。
「スロットルの加減だけでも早くからだで覚えないとな……」
深呼吸をひとつして、コテツは両足の間から伸びる操縦桿を握り直した。
やがてキャノピー越しに、ディンプ編隊長の戦闘機が見えてきた。無論、実戦仕様だ。
実戦機と練習機の大きな違いは、非常用の操縦補助装置やナビゲーターなどの電子機器が積んであるかどうかであり、外観にはさほどの違いはない。
近づくにつれ、その姿が肉眼でもよく分かるようになってきた。「銀鞠」なんていう通称のもとである白銀に鈍く輝く球体形状の機体に、機銃やスラスターが突き出ている。特に機銃の銃身が長く、その姿は、棒つきキャンディを思わせる。キャノピーの中に、パイロットスーツに身を包んだ准尉の姿が見えている。
アニメやゲームに出てくる宇宙戦闘機は、もっと鋭角的で流線的でウイングとかも付いていて、なんというか、もっと強そうで早そうな見た目をしていたんだがな、とコテツは小さくため息をついた。まあ、現実というのはこんなものだろう。
「さあ、訓練はこれからが本番だぞ、気を抜くな!」
編隊長の怒鳴り声に、コテツは見えないように小さく肩をすくめるのだった。
二時間の飛行訓練を終えて、コテツたちは宇宙空母に戻った。
飛行訓練と言っても、細かいマニュアルが組まれているワケでは無い。ひたすら、ディンプ特務大尉の教導戦闘機の後ろにくっついていくだけだ。
それだけなのだが、どうしてどうして、これがなかなかあなどれない。
相手の後ろに張り付いていると、どのスラスターがどの方向を向いてどのタイミングでどのくらいの強さで噴射しているかが丸わかりになる。教導戦闘機には、減速用に機体前方に取り付けられたスラスターと連動して発光するテールライトが設けられているからなおさらだ。
コテツとしては、教導機のスラスターの挙動をひたすら真似していけばいい。
やがて、どのスラスターがどの方向を向いてどのタイミングでどのくらいの強さで噴射すると、機体はどんな挙動をするのかが感覚としてつかめてくる。
スポーツでも勉強でもゲームでも、上手いやつの真似をする、というのは手っ取り早い上達方法のひとつなのだ。
「ご指導、ありがとうございました、編隊長どの」
戦闘機から降りたコテツは、ビシッとした敬礼と共にディンプ大尉に礼を言った。
対する編隊長はめんどくさそうに、くだけた答礼を無言で返しただけである。
パイロットシートに座りっぱなしだったからだをゆっくりとほぐしはじめたコテツだったが、ゆっくりと訓練の疲れを癒やすことはできなかった。
パイロットスーツを脱ごうとしたところに、艦内サイレンが響き渡ったのだ。
「これは……」
「発進待機のサイレンだな。いつでも出撃(で)られるように準備して、乗機に張り付いておけよ」
「じょ、乗機、でありますか」
「あれだ」
ディンプ大尉が親指の先で示した先のハンガーには、真新しい「銀鞠」が据えられてあった。
「これは」
「お前のだ。工場から出荷(ロールアウト)したてのピッカピカだ。チューニングはノーマル、セッティングは練習機と同じだから、さっきまでと同じ感覚で扱えばいい」
「え……」
何気ない口調で編隊長が言ったことの意味を悟ったコテツの表情がこわばる。
「まずは生き残れ。ただし、逃げるな」
ポン、と肩を叩かれる。
ディンプ大尉が立ち去ったあと、しばらくしてコテツは呆然と呟いた。
「おい、マジか」
どうやら自分は、実機飛行訓練をたった二時間やっただけで実戦に駆り出されるらしい。
「ディンプ編隊、全員整列!」
編隊長のかけ声に、隊員たちが一斉に駆け寄り、整然と横一列に並ぶ。当然、新入りのコテツは一番はじっこだ。
「我々ディノン帝国軍は、ついにヤツらの居場所を突き止めることに成功した」
ディンプ大尉は続ける。これから我々はヤツらへ向かって出撃する、と。
コテツは横目で様子をうかがってみたが、隊員たちに動揺した様子はない。落ち着いたものだ。少なくとも、見た目は。
「全員、搭乗!」
ああ、やっぱり今のは出撃前の訓示だったのか。てことは、本当に自分も出撃するのか。
どこか人ごとのように思いながら、コテツは自分の乗機に向かった。
「ほらほら、もっと肩の力を抜いて。今からそんなんだと、あの連中とやり合うときに持たないよ」
気さくに肩を叩かれる。振り返れば、人なつっこい笑顔の青年。チャザー少尉だ。
かと思えば、
「おい、新入り。役に立てとは言わない。足を引っ張るな。それだけだ」
しかめっ面で、そんな言葉を投げつけてくる者もいる。こちらはブルド少尉だ。
ふと、コテツは思った。整備兵たちはいかにも軍人らしく髪を短くしているのに、パイロットたちは皆、髪を肩口くらいまで伸ばしているのだ。何故なのだろう。
ただ、その疑問を口にするのは出撃前のこの雰囲気にそぐわない気がして、コテツは誰にも質問せずにいた。
空母からカタパルトで射出された勢いのまま、三六機の編隊を組んで一時間。
スラスターを切りっぱなしだから、飛んでいるというより、漂っているような気分になるな。ぼんやりと、そんなことを考えていると、編隊の先頭を飛んでいる機体のテールランプが点滅するのが見えた。前方の敵に発光信号を見せず、後方の味方にだけ信号を伝えるための伝達方法だ。
「敵機発見、十二時方向、数は十五……か。とりあえず、数で圧倒するのは成功したか」
意識してはっきりと声に出したあと、コテツは呻くように言った。
「……とうとう殺し合いをするのかぁ……」
テールランプ信号が再び送られてくる。この信号は……。
「来るか」
コテツはヘルメットの無線機のスイッチを切った。もうすぐ電子機器は役立たずになる。
宇宙空間は静寂、というより無音で満ちている。どんな音も伝えない。だから、ヤツらが打ち込んできたそいつが爆発しても爆音などは聞こえてこなかった。
コクピットパネルに取り付けられたセンサーが反応して鈍く光った。センサーといってもごく原始的なものだ。強烈な電磁パルスを受けると光る金属線が透明な強化ガラス容器の中に取り付けられているだけである。
二度、三度。センサーが鈍く光る。
「電磁パルス兵器か。野蛮人どもめ、大昔に条約で禁止された禁忌兵器を連発しやがって」
忌々しげにコテツは毒づいた。
電磁パルス兵器。文字通り、強力な電磁パルスを浴びせかける兵器だ。電磁パルス爆弾とも呼ばれている。人体に即時的な悪影響はないが、強烈な電磁パルスは電子機器に侵入すると回路内に何万ボルトという電圧を瞬間的に発生させて電子部品を焼き切る。デリケートな集積回路なんて一発でおシャカにされてしまう。電子機器をシールドしても、完全に防ぎきるのは難しい。高電圧にも耐えられる特殊なコンデンサーや太い配線などで構成した単純な構造の電子機器を使用する、というのが一番の対応策だが、それでも故障しない保証などはない。
過去に、この電磁パルス兵器をバカバカと打ち合った揚げ句、兵器や軍事施設だけでなく都市機能まで次々とダウンさせてしまった星間戦争が何度か起こった。結果はいずれも当然のように共倒れ。惑星レベルで荒廃した星系が続出した。なにしろコンピューターが突然すべて使い物にならなくなるのだから。今どき、電子制御されていないモノを探す方が難しいというのに。
いくらなんでもこれはまずい、というので銀河連合は電磁パルス兵器を使用禁止兵器に指定したのだ。
だから、現代の軍事兵器は電磁パルス兵器を敵も味方も使用しないという前提のもとに設計されている。
だが、ヤツらはそんなのお構いなしだ。好き放題に電磁パルス兵器をぶっ放してくる。当然、ヤツらの電子機器もおシャカになるのだが、あの連中はそれも織り込み済みでやらかしていやがる。なんと、電磁パルス兵器を撃ち込んできた直後に、手動制御の有人戦闘機で襲撃して来やがるのだ。
この戦法の前に、無人制御兵器は無力だ。
こちらも手動制御の有人機でやり合うしかないのだ。
チカチカと編隊長機のテールランプが明滅する。
「散開して迎撃せよ、……か」
そして、生き残れ、逃げるな、か。
「……言われなくても……!」
自分を鼓舞してから、コテツは乗機を大きく旋回させた。
キャノピー越しに、ヤツらの編隊も散開を始めたのが見えた。
照準の前を横切る敵機に機銃を当てるのは神業に近い。まぐれ当たりを期待して機銃を撃ちまくれば、あっという間に弾切れになる。ゲームなら、アイテムを拾えば弾丸の補充が出来るかも知れないが、生憎とこれは実戦だ。空母に戻って補給を受けるまで弾切れは解決しない。推進剤だって同じことだ。いや、推進剤切れの方が深刻だ。推進剤を全て使い果たしたら、方向転換も出来ずに宇宙空間を漂い続けるしかない。酸素切れになるまでに救助されるという、それこそ天文学的確率の幸運を期待しながら。
「ガス欠と弾切れは命取り」
心臓が痛いほど打ち鳴らされているのを感じながらコテツは独白する。
「とは言え、ケチりすぎるのも、それはそれで厳禁と……どうしろっての」
ぼやきながら、操縦桿を左横に倒す。機体がゆっくりときりもみ回転を始める。二九〇度ほど回転したところで軽く右に倒しつつ操縦桿を引く。きりもみ回転を止めた戦闘機が、今度は宙返りを始める。
「戦闘宙域から外れず、敵機の居ないところ……戦闘宙域から外れず、敵機の居ないところ……」
情けない独り言を吐きつつ、せわしなく周囲を見回す。電磁パルス兵器のおかげでレーダーはおろか、カメラも映像パネルも使えない。
「肉眼による有視界戦闘にアナログ手動制御戦闘機って……一体いつの時代の話だよ」
ぼやきつつ、また、きりもみ回転。機体の下側、つまりキャノピーの反対側はパイロットにとって死角になる。これが惑星の大気圏内での航空機同士での戦闘なら、知らないうちに敵機が機体の下に潜り込んでいる、なんてことはそうそうあり得ないのだが、ここは上下の区別のない宇宙空間だ。こまめにきりもみ回転して、できる限り全方位に注意しないとならない。
「落ち着け、落ち着け……ビビるな、ビビるな……堂々と、堂々と……初陣の半人前だとバレたら、ソッコーでカモられるぞ……」
自分に言い聞かせるが、手足が震える。歯の根が合わない。
「しまった」
スロットを絞るタイミングを間違えて、コテツは小さく舌打ちした。
直後、乗機が予想外の挙動を示す。遠心力がコテツの全身に不可視の往復ビンタをお見舞いする。
自分が今、どこをどの方向に向かって飛んでいるのかを見失う。
「落ち着け、落ち着け、落ち着け……! 落ち着いて周りをよく見ろ……! よく見るんだ、よく……! う……う、うおおおおっ!」
自分が叫び出すのをコテツは止められなかった。
なんて偶然。なんて大まぐれ。どれだけの偶然が重なった結果だというのだろう。テールランプだ。目の前にテールランプが見える。味方の銀鞠じゃない。砲弾型の戦闘機。見間違うものか。ヤツらの戦闘機だ。自分は今、敵機の背後を取っている!
このチャンス、見逃すって手はない!
相手の後ろに張り付いていれば、スラスターの向きと噴射で相手がどう動くかは丸わかりだ。あとは確実に当てられる距離にまで間合いを詰めるだけだ。ミサイルが使えるのならば今すぐにでもロックオンしてぶっ放せば終わりなんだが、ここは無い物ねだりをしている場合じゃない。
上下左右に旋回を繰り返す敵機に食らいつく。スロットルを開ける。
だが。
「ええい、なんてヤツだ」
追いつけない。
このスピード、旋回半径、軌道。コテツが下手に真似をすれば、たちまち自分の位置と方向を見失うだろう。それに機体は保っても身体が保たないかも知れない。今でも、旋回のGがかかる度に全身の血液が偏りそうになるのを筋肉に力を籠めて無理矢理に押さえ込んでいるというのに。
「こんなムチャをやらかしても平気だってのか。ヤツら、丈夫が取り柄にも程があるぜ。野蛮人(バーバリアン)どもめ」
それでも、敵機の後方を取っているという優位性は大きい。それにすがって食らいつき続ける。
そして、ついに照準の真ん中に敵機を捉えた。捉え続ける。間合いを詰める。
今だ!
「くたばれ地球人!」
叫んで機銃のトリガーを引く。
聞こえてくる発射音は自機が発砲した証しだ。弾丸の列が敵機へ向かって突進する。
命中(あた)った? 命中った筈だ。なのに、この砲弾型は火だるまになるでもなく、ぬけぬけと飛び続けている。
「くそっ、芯を外したか。スラスターにも当たらなかったってのかよ」
どうやら、全て装甲の曲面に当たってはじかれたらしい。
「墜ちろ、墜ちろ、墜ちろよ! 早く!」
旋回を繰り返す。その度に、右半身、左半身、上半身、下半身へと目まぐるしく全身の血液が偏る。
「今度こそ!」
必死で敵機の真後ろに迫る。
迫った、と思った次の瞬間、相手は信じられない挙動を見せた。
ほぼ百八十度反転し、そのままスラスターを全開にして突っ込んできたのだ。しかも、機銃を撃ち放ちながら。
「なっ!」
紙一重で敵機とすれ違う。
躱したのではない。向こうが正面衝突しないように躱してくれたのだ。
敵弾に命中(あた)らなかったのは、偶然と幸運の産物にすぎない。
コテツは驚愕と恐怖で呆然となった。指一本、動かせない。
あんな無茶な挙動、コテツが真似すれば気絶じゃすまない。下手すれば機体がばらばらになる。
そして気付いたときには、後ろを取っていた筈の敵機の姿を完全に見失っていた。
「ど、どこだ、どこに行った」
顔から血の気が引いていくのを感じながら、視線をさまよわせる。
自分はどのくらい我を失っていた? 一瞬? 十秒? 一分?
「ウソだろ……」
後ろを振り向いたコテツは絶望の声をあげた。
あの戦闘機がそこに居た。コテツの後ろに回り込もうとしている。
あっという間に形勢逆転だ。
「死にたくない、死にたくない、死にたくない!」
砲弾型の死神を引き離そうと、左右上下に旋回を繰り返す。
スロットルを全開にしてまっすぐに飛んでいきたい衝動を必死に抑える。ここで芸の無い直進なんてしたら、後ろの敵機のいい的になってしまう。
だめだ、ふりほどけない。距離が詰まってゆく。
「ひ……」
情けない声がクチから漏れる。
振り向けば、敵機は間近に迫っていた。コクピットの中まで見える。敵パイロットと目が合った、とコテツは感じた。
きっと、あのパイロット……地球人はこう叫んでいるだろう。
「くたばれ宇宙人!」
と。
その時だった。
いきなり地球人があさっての方向を向いた。次いで、両腕を顔の前で交差させる。怯えた様子で。
キャノピーが砕けた。コクピットシートごとパイロットが弾ける。機体に穴が開く。推進剤タンクにも穴が開いたのだろう。白い靄のようなものを機体のあちこちから吹き出しつつ、不規則にきりもみしながら遠ざかり始める。
そして燃料に引火したのだろう、火球と化した。
敵機と自機の間を別の銀鞠が通過していって、ようやくコテツは状況を理解した。
自分を撃つことに気を取られすぎていた敵機を味方機が撃墜したのだ。
「たすかった……誰だ? たすけてくれたのは……あ。あのノーズアート……あのエンブレム……」
それは編隊長機だった。ディンプ大尉は親指を立て、コテツにむかってサムズアップすると、大きく旋回して離れてゆく。
帰投を指示する信号弾を発射しながら。
帰投、つまり母艦への帰路はおよそ一時間かかった。
その間、コテツはあの地球人の事を考えていた。隊長に撃墜された、あのパイロットの事を。
死んだのは間違いない。あれで生きている筈がなかった。
その死体はどうなるのか。
回収するのは不可能と言っていい。大海原に漂う木の葉を見つけ出すようなものだからだ。いや、それよりも困難だろう。
それほどに宇宙は広い。
広い、という表現が陳腐になる程に果てしない宇宙を、あてどなく漂う。運が良ければ、何千万年、何億年か後に、どこかの星に落ちることが出来るかもしれないが。
まさに宇宙の藻屑だ。
そしてコテツは思った。
自分もいつ宇宙の藻屑となっても不思議じゃないのだな、と。
宇宙空母までたどり着けたのはコテツを含めて二十九機。未帰還機は七機。
着艦し、機体ごと格納庫へ、エアロックを通して運ばれる。
格納庫は常時与圧されている。
キャノピーの外側にも空気が満たされている空間にたどり着いて、ようやくコテツは肩の力を抜くことが出来た。
駆け寄ってきた整備兵にパイロットシートのシートベルトを外して貰っても、立ち上がるどころか指一本動かす気力も出せずにコテツがシートに身体を沈めていると、
「二機を撃墜したってよ」
「いい報せだ」
「ああ、ようやく地球の連中に一矢報いることができるようになってきた」
そんな会話が耳に届いた。
十二機の敵を三十六機で迎え撃って、二機を墜とす間に七機を墜とされたわけだ。割に合わないにも程がある。あのまま最後まで戦っても、先に全滅するのはこっちになるのは明らかだった。
「それでも前よりはマシになってるってんだからなあ」
思わずぼやいた声がすっかりかすれている。
「おい、新入り。整備の邪魔だ。休むんなら他所(よそ)でやってくんな」
業を煮やした整備兵に追い立てられて、コテツはのそのそと戦闘機から降りた。
心身共に疲労しきったからだが、艦の自転による疑似重力に引っ張られて、そのまま膝を着きそうになった。
「こ、この……」
そのまま床に倒れ込みたい欲求をこらえて、コテツは踏ん張った。
周囲に視線をめぐらす。
陽気に励ましてくれたチャザー少尉。不器用に喝を入れてくれたブルド少尉。
あの二人をコテツは探した。
出撃直前に言葉を交わし合った彼らと、互いの生還を喜び合いたかったのだ。
「おい、点呼を取るぞ」
二人を見つける前にそう声をかけられて、コテツは整列した。
ずらりと並んだ二十九人のパイロットの中に、チャザー少尉の姿も、ブルド少尉の姿もなかった。
「……ああ、そうか」
不思議なものだ、とコテツは思った。七名の未帰還者の中にあの二人が含まれている可能性に、このときまで全く思い至らなかったのだ。あるいは、無意識のうちに考えまいとしていたのかも知れない。
「……なんだ?」
隊長が一同解散を告げたが、隊員たちは皆、隊長にゾロゾロと付いて行くのだ。
怪訝に思いながらも、コテツもその最後尾に付いていった。
「あの、これから何かあるんでしょうか」
「うん? 知らんのか。……まあ、隊長から直接、聞いた方がいい」
奥歯にものが挟まったような言い方が気にはなったが、頭の芯まで染み込んだような疲労のせいで考えるのも億劫になっている。コテツは黙って付いて行くことにした。
行き先は隊長の私室だった。
いったん部屋に入った隊長が、しばらくして出てきた。手にトートバッグを提げている。
「ほらよ」
「はは、どうも」
隊員達にバッグの中身を一つずつぞんざいな手つきで渡していく。
「あれは……メガネケース?」
メガネ。人工眼球が実用化されて久しいこの時代でも、この原始的な視力補正器具は、その単純さ故の手軽さと耐久性を長所として普及しているのだ。そのケースも同様に普通に流通している。
どこか決まり悪げに隊員達はメガネケースを受け取ると、思い思いにどこかへと散ってゆく。
最後に、コテツが残った。
どうしたものだろう。自分も隊長からメガネケースを受け取るべきなのだろうか。
逡巡していると、隊長が物憂げにこう言った。
「……ちょっと、そこで待ってろ」
部屋へと入る。出てくると、お盆を持っていた。お盆の上にはメガネケースが乗っている。
「見てみろ。丁重に扱えよ」
「は、はい……あっ」
ケースに手を伸ばすが、極度の疲労のせいだろう、つかみ損ねた。
カタン。
軽い音を立てて、メガネケースが床に転がった。
「キサマ!」
しまった、と思ったのと、どっちが先だったろう。
隊長の握り拳がコテツの頬にめり込んでいた。
ドサリ。
床に倒れ伏したコテツは理不尽なものを感じた。
さっきの隊長も、ケースをぞんざいに扱っていたでは無いか。
そう思いながら上半身を起こすと、隊長はメガネケースを拾っていた。両手で、うやうやしいぐらいの手つきで、大切そうに。かけがえのないものを扱うように。
隊長がコテツに向き直る。哀しげなまなざしだった。
「見ろ」
メガネケースを開ける。中に入っていたのは。
「なんだコリャ」
細い糸か何かの繊維を束ねた物が入っていた。色はくすんだ灰色。
待てよ、とコテツは思った。このくすんだ灰色、どこかで見たことが……。それも、ほんの数時間前……。
「チャザー少尉の遺髪だ」
ずけりとした声で言って、隊長はひと房の髪の毛が入ったケースのふたを閉じた。
「チャザー少尉の……!」
「むろん、ブルド少尉のものもあるぞ」
隊長は私室へと視線を送り、言葉を続けた。
「俺たち戦闘機乗りは、戦死したときに遺体が戻ってくるなんてことは、まずあり得ないからな。出撃の前にこうやって自分の髪を預けてゆくんだ。そして生還できたヤツには、ああして返すのさ」
コテツは返す言葉を失った。
さっき髪の毛入りのメガネケースをぞんざいに扱っていたのは、あれはまだ遺髪になっていなかったからなのだ。
受け取った連中がどこか決まり悪げだったのも納得した。生還して悪い道理があるワケがないが、預けたときの悲壮な思いと受け取るときの安堵とのギャップが、結局は出すことのなかったラブレターのようなむず痒さを醸し出すのだろう。
ふと、コテツはあの地球人の事に思いを馳せた。隊長に撃墜された、あのパイロット。
彼も、自分たちと同じように自分の髪をひと房、誰かに預けて出撃したのだろうか。
自分も髪を伸ばすべきなのだろうか。遺髪を遺すような相手はいないのだが、コテツはそんなことも思うのだった。