チャラ男に彼女をNTRられた僕だけど..... 作:サイキック探偵
朝になった。
……いや。
朝になってしまった。
押し寄せる吐き気、頭痛と戦いながら一睡もできなかった僕は、ぼんやりと天井を見つめていた。
時計を見る。
午前六時二十分。
制服は昨日のまま。
ネクタイも緩めたまま。
目を閉じるたびに、美咲と神崎の姿が浮かぶ。
「……学校」
行かなきゃ。
そう思う。
でも身体が動かない。
すると。
コンコン。
部屋のドアがノックされた。
「悠真? 起きてる?」
母さんの声だった。
「学校の時間よ」
「……うん」
返事はした。
でも起き上がれない。
ドアが少し開く。
「どうしたの?」
母さんは僕の顔を見るなり表情を変えた。
「悠真!? その目!それにその酷い顔はどうしたの!?」
鏡を見なくても分かる。
一晩中泣いたせいで、目は真っ赤に腫れ一睡もしてなく顔も真っ青だ
「何かあったの?」
「……」
「学校でいじめ?」
「違う」
「先生と何か?」
「違う」
「じゃあ……」
母さんは何かを察したようだった。
「もしかして...美咲ちゃん?」
その名前を聞いた瞬間。
胸が締め付けられる。
「…………」
何も言えなかった。
言葉にしたら。
本当に終わってしまう気がしたから。
母さんは僕の頭を優しく撫でる。
「今日は学校休みなさい」
「でも……」
「そんな顔で行っても勉強なんてできないでしょ」
「……うん」
その言葉に甘えることしかできなかった。
◇◇◇
学校を休んだ。
初めてだった。
仮病じゃない。
本当に身体が動かなかった。
昼になってもベッドから起き上がれない。
ご飯も食べられない。
ただ天井を見るだけ。
そんな時間が何時間も続いた。
昼過ぎ。
スマホは昨日壊したままだった。
連絡手段がない。
それで良かった。
誰とも話したくない。
誰の顔も見たくない。
その時。
ピンポーン。
インターホンが鳴る。
「悠真ー」
聞き慣れた声。
隼人だった。
「いるんだろ?」
返事をしない。
すると玄関の向こうから母さんの声が聞こえた。
「悠真、隼人くんよ」
「……」
「入ってもいいか?」
数秒迷ったあと、小さく答えた。
「……いいよ」
ガチャ。
部屋へ入ってきた隼人は、昨日と同じ制服姿だった。
「学校サボりやがって」
無理に笑おうとしている。
でも目が笑っていない。
「心配したぞ」
「ごめん」
「謝んな」
隼人はコンビニ袋を机へ置く。
「ゼリーとスポーツドリンク買ってきた」
「ありがとう」
「ちゃんと食え」
「……うん」
しばらく沈黙が続く。
どちらも何を話せばいいのか分からなかった。
やがて隼人が口を開く。
「昨日さ」
「……」
「神崎のこと、少し調べた」
僕はゆっくり顔を上げた。
「調べた?」
「ああ」
隼人の拳が震えている。
「あいつ……お前だけじゃねぇ」
「え?」
「前にも何人も同じことやってる」
「……!」
「彼氏持ちばっか狙って寝取ってるらしい」
何となくそうだとは思っていた
「.........」
正直学校に行っていれば神崎の噂は嫌でも耳に入る
「俺も最初は嘘だと思った」
「でも三年の先輩に聞いた」
「去年も、その前も」
「何組もカップルが壊されてる」
神崎の悪い噂も聞きそんな気はしていたがまさかそんなに被害者が居たのは驚いた
そして被害者がそんなにいるということは美咲は......
僕は特別じゃなかった。
ただ。
神崎の遊び相手の一人だった。
「しかも」
隼人は悔しそうに歯を食いしばる。
「被害者の奴らが学校にこの事を訴えても学校はそれは学生の恋愛だなんだと言って知らんふり」
「被害者も泣き寝入りばっかだ」
「だからあいつは調子に乗ってる」
ギリッ……
隼人の拳から音が鳴る。
「俺……許せねぇ」
その声には怒りしかなかった。
「悠真」
「俺」
「絶対に神崎をぶっ潰す」
静かな部屋に、その言葉だけが重く響いた。
その目は本気だった。
昔から隼人は喧嘩っ早いところがあった。
だけど、友達のためなら自分が損をしてでも動くような奴だった。
だからこそ。
本当に神崎のところへ殴り込みに行ってしまう気がした。
「……やめて」
小さく呟く。
「え?」
「神崎に何かしたら駄目だよ」
「なんでだよ!」
隼人は思わず声を荒げた。
「あいつがお前に何したか分かってんだろ!」
「分かってる」
「だったら!」
「でも駄目なんだ」
ゆっくり首を横に振る。
「殴ったら隼人が悪者になる」
「そんなの関係ねぇよ!」
「関係あるよ」
僕は力なく笑った。
「僕は隼人まで失いたくない」
「……っ」
その一言で、隼人は何も言えなくなった。
しばらく部屋には沈黙だけが流れる。
「……悪い」
隼人は頭を掻きながら椅子へ座った。
「少し熱くなった」
「ううん」
「でも俺は納得できねぇ」
「うん」
「絶対にいつか痛い目見せてやる」
僕は返事をしなかった。
正直。
もうどうでもよかった。
神崎のことも。
美咲のことも。
何も考えたくなかった。
◇◇◇
「そういや」
隼人が思い出したように口を開く。
「学校、今日ヤバかったぞ」
「……」
「昨日の件、もう広まってる」
胸がズキッと痛む。
「みんな知ってるの?」
「ああ」
「どんな風に……」
聞きたくない。
でも聞かなきゃいけない。
隼人は言いづらそうに視線を逸らした。
「お前のこと笑う奴もいた」
「……」
「『また神崎かよ』とか」
「『あいつも寝取られたんだ』とか」
「『可哀想』とか」
一つ一つの言葉が胸に刺さる。
「でも」
隼人はすぐ続ける。
「お前の味方もいた」
「女子も結構怒ってた」
「神崎最低って」
「先生も職員室で揉めてた」
それを聞いても、心は少しも軽くならなかった。
結局。
僕は学校中の笑い者なんだ。
「明日から学校どうする?」
隼人の問いに答えられない。
教室へ行けば。
きっと全員が僕を見る。
哀れむ目。
同情する目。
面白がる目。
そんな場所へ戻れる気がしなかった。
「……分からない」
「そうか」
隼人は無理に励ますようなことは言わなかった。
それがありがたかった。
今の僕には「頑張れ」という言葉が一番つらい。
◇◇◇
夕方になり、隼人は帰る準備を始めた。
「また来る」
「……うん」
「一人で抱え込むなよ」
「ありがとう」
「あと」
隼人は玄関で立ち止まり、振り返る。
「もし神崎や美咲が家に来ても、一人で会うな」
「え?」
「俺を呼べ」
「……分かった」
「約束だからな」
「うん」
バタン。
ドアが閉まる。
部屋は再び静かになった。
机の上には、隼人が買ってきてくれたゼリー。
封を開け、一口だけ食べる。
甘い。
でも味はほとんどしなかった。
窓の外を見る。
夕焼けが街を赤く染めている。
「明日……」
僕は学校へ行けるんだろうか。
それとも。
もう二度と、あの教室へ戻れないのだろうか。
その答えは、まだ自分でも分からなかった。
___________________
その日の夜。
結局、夕食にはほとんど手を付けられなかった。
「悠真、本当に食べなくて大丈夫?」
母さんが心配そうに聞いてくる。
「……ごめん」
「食欲ない」
「そう……」
母さんは無理に食べろとは言わなかった。
代わりに温かいお茶だけ淹れてくれた。
「いつでも話したくなったら話してね」
「……うん」
その優しさが逆につらかった。
僕は部屋へ戻り、ベッドへ腰を下ろす。
静かだ。
静かすぎる。
いつもなら、この時間には美咲とメッセージを送り合っていた。
『今日こんなことがあったよ』
『おやすみ』
『また明日ね』
そんな何気ないやり取りが、もう二度とできない。
そう思うだけで胸が苦しくなる。
ふと机の引き出しを開ける。
そこには去年の誕生日に美咲からもらった、小さなキーホルダーが入っていた。
青いガラス玉が付いた、お揃いのキーホルダー。
『これ、すっごく可愛いからお揃いにしよ?』
そう笑って渡してくれた物だった。
「……」
しばらく見つめたあと、それをゴミ箱に投げるように捨てた
そしてゴミ箱をしばらく見つめて僕はそっと自分のベットに入り
静かに声を殺すように泣いた
◇◇◇
翌日。
僕はまた学校を休んだ。
三日目も。
四日目も。
学校へ向かおうとして制服を着る。
玄関まで行く。
でも――。
足が震えて動かなくなる
学校の校門を思い浮かべるだけで吐き気が込み上げる。
教室のみんなの視線。
神崎の笑顔。
美咲の「ごめん」という声。
全部が頭の中をぐるぐる回る。
「っ……!」
玄関でしゃがみ込み、そのまま動けなくなる。
母さんは何も言わず、そっと制服を受け取ってくれた。
「今日も休もっか?」
その言葉に甘えるしかなかった。
◇◇◇
一週間後。
担任の先生が家を訪ねてきた。
リビングで向かい合って座る。
「朝霧」
「……はい」
「学校のみんなも心配している」
その言葉に苦笑する。
本当に心配している人が何人いるんだろう。
「無理にとは言わない」
「だが、一度学校へ来ないか?」
「……」
「保健室でもいい」
「放課後でもいい」
「誰にも会わないようにすることもできる」
先生は上っ面の良い言葉を並べてく
それを聞き僕は
「……すみません」
小さく頭を下げる。
「まだ、行けません」
先生は目を閉じ、小さく呆れたように息を吐いた。
「そうか」
それ以上、無理には勧めなかった。
帰り際、先生は玄関で振り返る。
「皆も本当に心配してるからな」
「まぁゆっくり元に戻していこう」
「……はい」
その返事だけはできた。
でも。
心の中では違った。
(もう……元には戻れないんだよッ!)
そんな思いが日に日に強くなっていた。
◇◇◇
窓の外では、新学期を迎えた学生たちが笑いながら歩いている。
制服姿の高校生。
楽しそうな声。
その光景をカーテンの隙間から眺めながら、僕は静かに呟いた。
「僕の高校生活……終わっちゃったなぁ」
それから一か月が過ぎた。
五月。
窓の外では桜の姿も消え、新緑が街を彩っている。
だけど。
僕の時間だけは、あの日から止まったままだった。
朝起きる。
何も食べない。
ぼーっと天井を見る。
少し眠る。
また目が覚める。
それだけ。
学校へは一度も行っていない。
スマホも新しく買っていない。
誰とも連絡を取っていない。
隼人だけは家へ来てくれていたけれど、それも週に一度程度になっていた。
話すことも少なくなった。
僕が何も話さなくなったからだ。
◇◇◇
「悠真」
夕食後。
父さんが珍しく僕の部屋へ入ってきた。
普段は仕事が忙しく、あまり家にいない人だ。
「少し話せるか」
「……うん」
父さんは椅子へ座る。
しばらく黙ったまま僕を見る。
「学校のことだ」
やっぱり、その話か。
そう思った。
「担任の先生から連絡があった」
「……」
「出席日数がかなり厳しいらしい」
胸が少しだけ痛んだ。
分かっていたことだ。
一か月も休めば当然だ。
「このままだと進級は難しいそうだ」
「そう……」
驚きはなかった。
むしろ、まだ一か月しか経っていなかったのかと思ったくらいだ。
「悠真」
父さんは真っ直ぐ僕を見る。
「学校へ戻る気はあるか」
その質問に。
僕は初めて、はっきり答えた。
「ごめん…...正直…ない」
父さんは何も言わなかった。
「行こうとすると身体が動かない」
父さんは静かに聞いてくれる
「教室を思い出すだけで吐き気がする」
涙が込み上げてくる
「みんなの顔を思い出すだけで苦しい」
笑うクラスメイトに神崎そして...美咲
「だから……」
一度言葉を飲み込む。
「もう無理なんだ」
部屋が静かになる。
時計の針だけが音を立てていた。
◇◇◇
「そうか」
父さんはゆっくり頷いた。
「辛かったな」
その一言だけだった。
責められると思っていた。
甘えるなと言われると思っていた。
でも違った。
「父さんも母さんも、お前が生きていてくれるだけでいい」
「……」
「学校なんて人生のすべてじゃない」
その言葉に。
思わず涙がこぼれた。
「ごめん……」
「謝るな」
「でも……」
「親は子供を守るのが仕事だ」
父さんは立ち上がり、僕を抱きしめてくれた
「少し休め」
「今はそれでいい」
父のその言葉に僕は父を抱きしめ大声で泣いてしまった
父さんにも。
母さんにも。
こんなに心配をかけてしまった。
なのに。
僕は前へ進めない。
◇◇◇
三日後。
学校から一通の封筒が届いた。
差出人は担任。
中には進路関係の書類と、一枚の手紙が入っていた。
『朝霧へ』
『今すぐ学校へ戻れとは言いません。』
『ただ、一度だけ私と話をしませんか。』
『君の将来を一緒に考えたい。』
『待っています。』
短い手紙だった。
正直学校に行かなくなった将来は不安になるでもそれでも
「……ごめんなさい」
その手紙を封筒へ戻す。
今の僕には。
学校という文字を見るだけでも苦しかった。
そして先生からの手紙が届いて数日。
僕は相変わらず部屋に閉じこもったままだった。
本を読んでも内容は頭に入らない。
テレビをつけても、何を見ているのか分からない。
時間だけが過ぎていく。
そんな午後だった。
ピンポーン。
インターホンが鳴る。
「悠真ー!」
聞き慣れた声。
隼人だった。
「入るぞ」
部屋へ入ってきた隼人は、いつものようにコンビニの袋を持っていた。
「ゼリーとパン買ってきた」
「ありがとう」
「ちゃんと食ってるか?」
「少しだけ」
「少しかよ……」
隼人は苦笑しながら袋を机へ置く。
それから椅子に座ると、何か言いづらそうに頭を掻いた。
「悠真」
「ん?」
「今日は……話がある」
その表情を見て、すぐに察した。
多分美咲か神崎の件だろう
「美咲の...こと?」
隼人は小さく頷いた。
「……聞くか?」
少しだけ迷った。
もう関係ない。
そう思いたかった。
でも、心のどこかでは気になってしまう。
「聞く」
「分かった」
隼人は大きく息を吐いた。
◇◇◇
「実はな」
「先週、美咲が神崎と別れた」
「……え?」
一瞬、意味が分からなかった。
「別れた?」
「ああ」
「学校の中庭で大喧嘩になったらしい」
僕は黙って続きを待つ。
「詳しくは見てない奴ばっかだから分からない」
「でも」
「神崎がいつもの調子で笑ってて」
「美咲が泣きながら何か叫んで」
「最後は美咲が神崎の頬を引っぱたいて帰ったらしい」
「……」
胸が少しだけざわつく。
「そのあと神崎は?」
「普通」
隼人は呆れたように肩をすくめる。
「翌日には別の女子と話してた」
「そう……」
やっぱり。
神崎にとって恋愛なんて、その程度だったんだ。
「でも」
隼人は表情を曇らせる。
「美咲は違った」
「違った?」
「あの日から学校に来てない」
「……!」
「ずっと休んでる」
僕は思わず顔を上げる。
「先生が家に電話したらしい」
「体調不良ってことになってる」
「でも」
隼人は静かに首を横へ振る。
「本当は家に引きこもってるらしい」
「学校にも来ない」
「友達とも会わない」
「部屋からほとんど出てこないって」
部屋が静かになる。
その話を聞いても。
僕の中には複雑な感情しか浮かばなかった。
心配。
怒り。
悲しみ。
全部が混ざっている。
「……そう...なんだ」
それだけしか言えなかった。
隼人は僕の反応をじっと見ていた。
「悠真」
「なんで別れたと思う?」
「分からない」
本当に分からなかった。
神崎を選んだのは美咲自身だ。
なのに、どうして一か月もしないうちに別れたんだろう。
「学校じゃ色々噂になってる」
隼人は指を折りながら話し始める。
「神崎が浮気した説」
「神崎が飽きた説」
「美咲が罪悪感に耐えられなかった説」
「色々ある」
「でも」
「本当の理由を知ってる奴はいない」
「……」
その報告を受けて少し心がズキッとしたのは僕がまだ少し引きずってしまっているのか、それともただの怒りから湧いた感情なのか僕には分からなかった
_________________
隼人から話を聞いたあとも、部屋には重たい沈黙が流れていた。
窓の外では子どもたちの笑い声が聞こえる。
その声だけが、今の僕には遠い世界のものに感じた。
「悠真」
隼人が静かに口を開く。
「もう一つだけ報告がある」
「……まだあるの?」
「ああ」
隼人は真剣な顔になる。
「神崎のことだ」
僕は小さく頷く。
「聞くよ」
もう驚くことなんてない。
そう思っていた。
だけど。
隼人の次の言葉は、少し予想外だった。
「神崎……最近学校でかなり調子に乗ってるらしい」
「調子に乗ってる?」
「ああ」
「美咲と別れた次の日には、もう別の女子に声掛けてた」
「昼休みなんか女子グループ囲んで笑ってるらしい」
「まるで何事もなかったみたいにな」
その光景が簡単に想像できてしまう。
神崎ならやりそうだ。
「先生に注意されても笑って流してる」
「停学にならない程度のラインだけ狙ってる感じだ」
「……そう」
それだけしか言えなかった。
「あとさ」
隼人は少し迷うように視線を落とす。
「これも噂なんだけど」
「神崎に振られた女子が結構いるらしい」
「え?」
「神崎から近付いて付き合う」
「飽きたら捨てる」
「また次」
「それを何回も繰り返してる」
呆れるしかなかった。
「最低だな……」
思わず口から漏れる。
その言葉に隼人は頷いた。
「だから学校でも神崎を嫌ってる奴は増えてきてる」
「男子も女子もな」
「でも本人は全然気にしてない」
「むしろ『モテる男は辛い』とか笑ってるらしい」
僕は目を閉じる。
あんな男に。
僕は負けたんだ。
そう思うと、自分が情けなくて仕方なかった。
◇◇◇
「悠真」
隼人が立ち上がる。
「俺さ」
「学校卒業したら神崎に報復受けさしてこの街でるわ」
「え?」
「神崎みたいな奴がいる場所なんか、もう嫌になってきた」
「……」
「もちろんお前が戻ってきてくれたら嬉しい」
「でも」
「戻れないなら、それでもいい」
「俺は友達やめねぇから」
その言葉が胸に染みた。
「ありがとう」
かすれた声しか出なかった。
「礼なんかいいって」
隼人は照れくさそうに笑う。
「それよりちゃんと飯食え」
「最近また痩せただろ」
「……そんなに?」
「顔見りゃ分かる」
そう言われて鏡を見る。
頬は少しこけていた。
制服を着なくなって気付かなかったけど、体重もかなり落ちているのかもしれない。
「心配かけてごめん」
「だから謝るなって」
隼人は苦笑した。
「今は生きてるだけで十分だ」
その言葉に、僕はゆっくりと頷いた。
だけど。
この数週間後。
僕は自分の意思で高校を辞める決断を下し、この街を離れることになる。
____________________
六月。
梅雨に入り、窓を叩く雨音が一日中続いていた。
あれから僕は、一度も学校へ行っていない。
担任の先生から何度か電話があった。
隼人も毎週のように顔を出してくれた。
だけど。
僕の心は少しも前へ進めなかった。
◇◇◇
ある日の夕方。
リビングに呼ばれた。
「悠真」
父さんと母さん、それに担任の先生が座っていた。
先生は頭を下げる。
「急にお邪魔して申し訳ありません」
「いえ」
父さんが静かに答える。
僕も椅子へ座った。
誰もすぐには話し始めない。
重たい空気だけが流れる。
最初に口を開いたのは先生だった。
「朝霧」
「はい」
「今日は、大切な話がある」
僕は黙って頷く。
「君の出席日数では、このまま進級はできない」
「……はい」
「留年という方法もある」
「通信制高校へ転校する方法もある」
「休学という選択肢もある」
先生は一つずつ丁寧に説明してくれた。
「だから焦って退学を選ぶ必要はない」
「君にはまだ色んな道がある」
色々これからの事を言ってくれてるが正直
僕の答えは、もう決まっていた。
◇◇◇
「先生」
静かに口を開く。
「僕」
一度息を吸う。
「高校を辞めます」
部屋が静まり返る。
母さんが息を呑む。
先生も驚いた表情を浮かべた。
「朝霧、本当にそれでいいのか」
「はい」
「まだ考え直せる」
「考えました」
「何日も」
「何週間も」
「それでも」
僕はゆっくり首を振る。
「もう学校へ戻れる気がしません」
「……」
「毎日、あの日のことを思い出します」
「教室へ入るだけで苦しくなると思います」
「だったら」
「無理して戻るより」
「新しい人生を始めたいです」
先生はしばらく黙っていた。
そして。
静かに目を閉じる。
「ハァ…そうか」
その一言だけだった。
無理に引き止めることはしなかった。
◇◇◇
帰り際。
先生を玄関まで見送り最後の言葉を言う
正直言いたいことはいっぱいあった、なぜ神崎を止めてくれないとか
でもそれを今言ってももう学校を辞める僕には関係がない
「先生、今までありがとうございました」
「こちらこそ」
先生も頭を下げる。
それが。
僕と担任の先生、最後の会話になった
◇◇◇
その日の夜。
自室の机に座り、制服を見つめる。
入学式の日に買ってもらった制服。
文化祭。
体育祭。
何気ない日常。
全部、この制服と一緒だった。
「……さようなら」
小さく呟き、制服を丁寧に畳む。
高校生活は終わった。
恋も。
夢も。
全部終わった。
そう思っていた。
だけど。
誰も知らない。
ここから始まる数年間が。
朝霧悠真という一人の少年を、大きく変えていくことを。
____________
高校を辞めてから、一週間が過ぎた。
毎日同じことの繰り返しだった。
朝起きる。
朝食を食べる。
何もすることがない。
テレビを眺める。
本を読んでも頭に入らない。
気付けば夕方。
そんな生活だった。
だけど、一つだけ変わったことがある。
それは――。
「悠真」
父さんが夕食後、静かに話しかけてきた。
「これからのことを考えよう」
「……うん」
高校を辞めた以上、このまま親に養ってもらうわけにはいかない。
それくらいは僕にも分かっていた。
父さんは一枚の紙を机へ置く。
そこには県外の求人情報が何枚も印刷されていた。
「高校は辞めた」
「だが人生は終わっていない」
「働く道もある」
「資格を取る道もある」
「もう一度勉強する道もある」
「選ぶのは悠真だ」
その言葉を聞きながら求人票を見つめる。
どれも知らない街ばかりだった。
「父さん」
「なんだ」
「僕……この街を出たい」
父さんは少し驚いた顔をした。
「理由を聞いてもいいか」
「ここにいると」
窓の外を見る。
「毎日思い出すんだ」
「学校も」
「美咲も」
「神崎も」
「全部」
「だから」
「知らない場所でやり直したい」
父さんは何も言わずに頷いた。
「そうか」
「それがお前の答えなら応援する」
「ありがとう」
◇◇◇
翌日。
僕は父さんと一緒に職業相談所へ向かった。
高校を辞めたばかりの十七歳。
働ける仕事は限られていた。
それでも職員の人は親身になって話を聞いてくれた。
「住み込みのお仕事がありますよ」
「住み込み?」
「寮付きなので家賃もほとんど掛かりません」
その言葉に父さんと顔を見合わせる。
今の僕には、お金もない。
知り合いもいない。
住み込みなら、一からやり直せるかもしれない。
「場所は?」
「○○県になります」
地図を見る。
今住んでいる場所から電車で何時間も離れた街だった。
「……ここなら」
誰も僕を知らない。
神崎も。
美咲も。
学校のみんなもいない。
そう思うだけで少しだけ胸が軽くなった。
「ここにします」
自然とその言葉が口から出ていた。
◇◇◇
帰り道。
父さんが静かに歩きながら言った。
「本当に後悔しないか」
「うん」
「寂しくなるぞ」
「……少しだけ」
苦笑いする。
「でも」
「ここにいたら」
「僕はずっと前に進めない」
父さんはそれ以上何も言わなかった。
ただ僕の肩を軽く叩くだけだった。
◇◇◇
家へ帰ると、母さんが夕飯を作っていた。
「どうだった?」
父さんが頷く。
「住み込みの仕事が見つかった」
「そう……」
母さんは嬉しそうでもあり、寂しそうでもあった。
「いつ出発なの?」
「来月です」
そう答えると、母さんは少しだけ俯く。
「もうそんなに早いのね」
僕も少しだけ胸が痛んだ。
この家を出る。
家族と離れる。
それもまた、新しい人生の始まりなんだ。
この時の僕はまだ知らない。
数年後、この街へ戻ってくることも。
そして、夜の路地裏で一人の少女と出会い、運命が再び大きく動き出すことも。