「またそんな変なものを食べて……人間の肉があるじゃないですか」
「だってあれ不味いんだもん。見た目もキモイし」
「……そんな事を言うのは、貴方だけですよ」
「ハハ、オンリワーン!!まぁボク猫だけどね」
「……」
「…あ、その。ほら犬ってワンって鳴くから……」
「いいからさっさと仕事してください」
「ハイ、スミマセン……」
巣の中でネフェルピトーは他のキメラ=アント達から物凄く舐められていたし嫌われていたし、なんなら普通に喧嘩を売られていた。本来なら王直属護衛軍にそんなことをすれば死刑は免れない。だが全てのキメラ=アントがネフェルピトーに対し忌避感を感じていたのだ。
皆が皆猫の事が嫌いだったからその不敬が許されていたと言っても過言では無い。それは人間がキメラ=アントを化け物だと感じるように、キメラ=アントが人間を食料だと感じるように……悲しいかなネフェルピトーはどちらの陣営からも浮いていた。
憑依転生というものが裏目に出たのである。
「カーイト!!あそぼっ!!食料庫の死体が持ってたトランプで遊ぼ!!」
「……お前は王直属護衛軍の癖に、毎日暇なんだな」
「あ、その……ボクって、彼らの眼中にほぼ居ないから…」
「……マァ、なんだ。ババ抜きでもするか?」
「…うん」
「ほら早くそれ寄越せ。それと死体の名前、確認したんだろ?教えてくれ」
「えーっとね、クラレンスって言ってたよ」
「行方不明リストに乗ってる金持ちの息子の名前だな。お手柄だぞピトー、これでコールセンターの奴らがちゃんとした報告ができるようになるからな」
「一時間ごとに親が泣きながら電話かけて来るってやつ?彼は死んじゃったよって、親に教えてもいいの?」
「それがソイツの運命だったのさ」
「ふぅん?じゃあ運命通り無事に死ねて良か__ッ痛!?」
「そういう意味じゃねぇよ」
「な、なんで殴るんだニャ…!?」
「駄猫は責任を持って飼い主が躾してやらねぇとだな…」
「ひぇっ」
群れの中で異質であり同時に異物でもあるネフェルピトーにも、ひとりだけ良くしてくれる人間が居た。それは救いのヒーロー、カイト様である。躾だと言って痛め付けられる事の方が多かったが、他と違って腫れ物のように接してこないので彼の隣は随分と居心地が良かった。
カイトがネフェルピトーと一緒にいた理由は彼が生物調査専門のハンターだったからなのだが、それでもこの世界に独りぼっちじゃないというのは心強い。生き物は孤独に勝てないのである。
「おい、お前何してるんだ」
「死体からとった髪の毛でマフラー編んでるんだニャ。みんな燃やしたりして廃棄しちゃうから勿体なくて貰ったの。編み終わったらカイトにあげるね」
「……ピトー、解いて元に戻してやってくれ。その後分かる範囲で束にして供養するぞ」
「えぇっ!?なんでだニャ!!」
「髪の毛には怨念が宿りやすい。一部分だけでも親元に返してやった方が、彼等も少しは気が晴れるだろう」
「チマチマ集めてからここまで編むのに二週間もかかったのに……?」
「そもそもオレは他人の髪の毛で作ったマフラーは絶対に着けんからな。全人類がオレと同じことを言うぞ」
「やり損だニャ…」
歪んだネフェルピトーに対しカイトは辛抱強く人としての常識を教えてくれたし、お前はそのままでもいいんだと言ってくれたこともあった。ただ単に人とキメラ=アントという危うい狭間に立っているネフェルピトーの事を研究対象にしていただけだが、誰かひとりでも傍に居てやるというのは大事だ。
それにカイトはよく「分からない事は誰かに聞け。だがひとりの意見だけを盲信するなよ?この世界には色んな奴がいる。考え方も千差万別なんだ、お前はお前が気に入ったものを自分のモノにすればいい」と猫に言っていたのである。カイトと出逢い、そして彼が熱心に寄り添ってくれていなければ今のネフェルピトーはもっと酷い状態だったろう。
「……ボクは、知りたいんだ」
ネフェルピトーは腕の中にいるちっこい少女が何故目を潰したのか知りたかった。
死んだ後にも泣いてた理由を知りたかった。
「ボクは別にキミの事を恨んでいないし、殺してやりたいとも思わない。キミはただ他人の胎を借りて作った自分だけの玩具で遊んでいただけだもの。それが悪いのか悪くないのかなんてことボクには関係ないからね、そういうのはよく分からないし。……でも、それが問題なんだ」
故に再現しようと思ったのだ。少女の証言を元に、実験体は被告人にお願いして彼女がこの世界から目を閉ざした理由を知ろうとしたのである。分からない事は色々な人に聞かなければならない、この世界で自分ひとりだけがそれを理解出来ていないという状況は居心地が悪かった。
「ボクが人として失くしてしまったモノを、取り戻したい」
世界から目を閉ざした彼女なら……色々とよく知っていそうだなと思った。ちいちゃな幸せも、とっても嫌な事も。闇の中に生きている人間の方が色眼鏡で世界を見ないから、より一層地獄を身近に感じられる。誰かの事を知りたいなら、そいつが1番嫌っているやつを聞けばいい。
そこにその人の本性が出るから。
「それにもしかしたら……ボクはボクに“成る前の自分”に、戻りたいのかもしれないニャ」
ネフェルピトーはそんな台詞を口から零すと、にっこりと笑ってから少女の体を動かし始める。夕方から朝になるまでの12時間という長い時間の中で、猫はかわゆいドレスを作っていた。材料はそこら辺に生えていた蔦や葉っぱやお花を使って出来たものだが、仕上がりは良い感じだ。
「だれにも名前を呼んで貰えなくなっちゃったから、もう“本当の名前”を思い出せないんだ」
この猫は暇な時に指遊びばかりしていたので手先が器用なのである。呻く男の隣で少女の新たな門出の為にドレスを作り、元々身に付けていたボロの服を脱がせてから少女に着せてやった。頭に乗せる花冠も忘れない。
彼女は今日、この島の誰よりも美しいのだ。
「ありがとう、キミたち親子のお陰でボクはまた一歩人の心に近付けたような気がする。その御礼として今日はボクが神父を担うよ。大丈夫、ボクは熱心な信徒という訳じゃないけどキミたちを祝福する気持ちは十二分にあるから」
「ひっ、や、やめッ」
「さぁ、浄化の儀式を始めよう!!丁度太陽も姿を表した!!」
「ギャアッ!?」
両手を大きく広げたネフェルピトーに合わせて少女の身体も動き始める。彼女は太陽に向かって顔を上げ、十字を切った。同時に男の体中に十字模様の切り傷が生まれ始め、辺りの土がどんどん血に濡れていく。
ネフェルピトーが目にも見えない速さで葉っぱを操り男の身体に傷を付けているのだ。ひゅんひゅんという風を切る音が周囲に響く。体中の至る所に穴が開いて血が流れ、ついに男の意識が途絶えるといった寸前。
ネフェルピトーは彼がしっかりと痛みを感じるようにすこぶる遅い動きでその頸を刈り取った。そうして「あっ」という声を漏らして死んだ父親を少女と共に見届けた後、その切断面から勢い良く飛び出してきた血液を少女と共に全身で浴びる。血で血を洗い、穢れを穢れで祓う。
正しくこれは浄化の儀式であった。
「……ふふ、笑ってンの?」
全身真っ赤に染ったネフェルピトーと少女に、一筋の光が射す。それはまるで太陽からの祝福のようであった。心做しか笑っているような表情をしている少女の瞼に、ネフェルピトーは口付けをする。
「You are the apple of my eye.」
今度生まれてくる時は自分で自分の目なんか潰さなくていいようになればと、ちいさな願いを込めて。「キミはボクの目の中の林檎だ」という、マァ目に入れても痛くないといった意味の込められた言葉を少女に贈った。その後ネフェルピトーは少女を腕に抱きながらスパデュル号へと向かい帰路に着く。
父親の死体を背後に、彼女の目を勝手に治したことは間違っていなかったと猫は道すがらに思う。少女を殺す前に自分で目を潰した理由を聞いて、その後目を治してから目の前で父親を殺してあげればよかったのだ。
少女もきっと喜んで見届けただろう。
自分を長年陵辱してきた怪物が、別の怪物によって殺されるその華々しい瞬間を。
「ただいまースカル…12時間労働は流石のボクでも堪えるニャ〜」
「あっ、猫の姐さん。ちゃんと親御さんに許して貰えたんですね。俺ァてっきり今日もしばかれて帰って来ない……と……」
「娘を殺した事は許してくれたよ。寧ろ殺してくれてありがとうって言われたニャ。渡した慰謝料も喜んで受け取ってくれたし、マァ結局親も殺したからそのお金も回収してきたけど」
「なん、なんっ」
「ああコレ?ペンキじゃなくて父親の血だよ。綺麗にする為に浴びたんだ。この子も笑ってるでしょ?けどそろそろ洗わないと感染症になりそう。いまバスルームって空いてる?」
「え、ええええ」
「……?どうしたの?」
「ッエースの旦那ァァァアアア!!」
「うわっ!?なんでまた叫ぶの!?」
本日も朝っぱらから船番をしていたらしい働き者のスカルは、全身を血で真っ赤に染め上げて腕の中に美しいドレスを着た少女を抱く人殺しとかち合ってしまった。彼は再び船内を「エマージェンシー!!
早くここから逃げなければ20名の船員たちに愛ある拳でフルボッコにされてしまう。
猫は急いで身を翻し、太腿に力を込めて甲板から街の中までの2kmという距離を一瞬で飛んで逃亡を測ろうとした。しかし突如として目の前に現れた人物に殴られそうになり、慌てて回避した事によって街への逃亡は失敗。
その上勢いが殺しきれず甲板に顔からつっ込んだ。「いてて…」とぶつけた鼻をさするネフェルピトーの眼前に、コツっという硬い音と共に真っ黒いブーツが登場する。
それは見覚えのある物だ。
いつもエースが履いているから。
「……イメチェンか?ネフェルピトー」
「あっ、エース…その、コレは…」
「……おいクソ猫、覚悟はできてんだろうな」
「デュ、デュース…いやぁ、ハハ。みんなして何怒ってンの…?」
「ッもうおふたりだけに任せてらんねぇ!!やるぞお前ら!!」
「今日という今日は絶対に許されねぇぞ!!」
「何で殺した事を謝りに行かせたのにその相手を殺して帰ってくるんだアンタは!!」
「脳みそに大き過ぎる腫瘍があるとしか思えねぇってもう!!」
「頭叩けば治るか!?壊れた機械みたいに!!」
「バカ!!余計に壊れたらどうする!!」
「痛っ!?流石に武器で殴るのは辞めっ……ぐへぇッ!?」
甲板に集まっていた20名にとって今回ネフェルピトーがしでかしたことは流石に見過ごせず、各々愛用している武器を持って猫を殴りこれを罰とした。この船の紅一点、バンシーという名の作る料理が全て激マズの女が颯爽とネフェルピトーの腕の中から少女の遺体を回収し、血を洗い流して綺麗にする為にとバスルームへと向かう。
因みにネフェルピトーはバンシーの様に女性認定はされておらず、スペード海賊団のペット枠その1であった。こいつには人の心がないので戦闘員枠にさえカウントされなかったのだ。敵の死体を操って「殺さないで!!」と言わせて肩を組み合い共に死線をくぐり抜けた仲間との記憶を利用して相手の油断を誘い殺す、というやり方がえげつないので不承不承のペット枠である。
よってネフェルピトーの普段の仕事はネズミ捕りだった。
「どうだ!?反省したか!?」
「だ、だからなんの、話し…っ」
「まだダメそうだな…!!」
「ひっ、ひえ」
ネフェルピトーはバンシーに「た、助けて…!!」と言ったが、彼女は一度も振り返らずに去っていってしまった。自分だけはエースと同じで彼女の料理を不味いと言ったことがないのに、どうしてこうも嫌われるんだろう…と未だに現状把握が出来ていないらしい猫は思う。
その間にも愛ある拳を通り越して日頃の鬱憤が込められた慈悲なき暴力は続き、船員たちに疲れが見え始めた頃それは唐突に終わった。
もう彼等は色々と限界であった。
人畜無害じゃない猫のせいで。
「……ネフェルピトー、今回は何が駄目だったと思う?」
「あぁ、その事についてはちゃんと分かってるんだ。実はね……」
皆であれだけ殴ってボロボロにした筈のネフェルピトーは苦しそうな素振りを一つも見せず、自分の身体を
父親に生まれた頃から陵辱され続けた盲目の少女が、自分で自分の目を潰したその理由。ネフェルピトーが血だらけになっているのは少女を綺麗にしたからであり、父親を殺したのは少女への手向けであったりと、猫の口から語られた余りにも惨すぎる話の全貌に船員たちは甲板に蹲って泣き始めた。
「うっ、うぅ」
「…あれ?何でみんなして泣いてるの?」
「俺たちって一体、何と戦ってんだッ…!!」
船長のエースや副船長のデュースを含め、何が正解か分からなくなったスペード海賊団。一見すれば猫が今回した事は悪である。しかし別の視点からすれば救いでもあった。
暖かなオルゴールのような音色で、死体になった後の少女が「殺してくれてありがとう」と自分に言ったのだとネフェルピトーは語る。
その言葉が決め手となり船員たちが段々と「もしかして猫がした事は良いことなのかも……?」と思い始めたその瞬間、鶴の一声が甲板に響いた。
「いや、そもそも人を殺してはダメですよ?」
彼はミハールという名の元教師だ。教育を受けられない世界中の子供たちの元へ行き、彼等が学びたいと思うその全てを教えやりたいという聖人すぎる目標を持つ男である。そんなミハールの声は静かでありながら、疲労で頭がバカになっていた船員たちの心の琴線に触れたのだ。
人は疲れ果てた時、普段の自分が考えつかないようなことをしてしまう。それは時に“魔が差した”とも呼ばれる行動だ。このミハールという男が居なければ、スペード海賊団は危うく人を喰らう凶悪殺人者の所業を黙認してしまうところであった。
「せ、せんせぇっ…!!」
「ミハールせんせえっ…!!」
落ち着いてきちんと考えてみればネフェルピトーが行ったという浄化の儀式があんまりにも狂ってる事に気付いた彼等は、この人の心がない怪物を“人間”にしてやってくれ!!とミハールに頼み込んだのである。
今回の件に関してはミハールも思う所があったらしく、快く了承してくれた。船員達は涙を流して抱きしめ合い「俺たちは救われたんだ…!!」とわんわん泣いていた。
一方でその肝心の怪物は汗だくになった船員たちが涙を流して抱き合っている様子を「きもっ」と思いながら見ていたのであった……
■
「ヱー。今回は【ちいちゃんの影おくり】というお話を読み彼女のこころに触れてみました。ネフェルピトー、貴方はコレを読んでみてどんな事を想いましたか?」
ミハールは猫の拘束を解いてやると、鉛筆を持たせてそう言った。ネフェルピトーは未だに教科書を凝視しており、紙の中のちいちゃんを爪でカリカリ引っ掻いている。
「……ボク、スペード海賊団の皆が急に居なくなったらどうするか分からないけど。多分ちいちゃんみたいに、ボクも影おくりするよ」
「おや?それは何故です?」
「だってそうすれば、また皆に逢えるンでしょ?独りぼっちは寂しいニャ」
「…えぇ、きっと逢えます。貴方が私達の事を忘れない限り」
「ミハールせんせぇ何だか嬉しそうだね。何かいい事でもあったの?」
「フフ、はい。たった今、ですが」
生徒の成長を目の当たりにしたミハールは教鞭を揺らす。それは彼なりの照れ隠しだった。ネフェルピトーはそんなミハールの様子を見て、このまま上手くやればこの後の授業をすっぽかせるなと企む。猫は人の心が戻ってくるのと同時に、人間特有の怠惰や慢心も戻ってしまったらしい。
「じゃあ今日はもう終わりにしよう!!ボクもう今日の事は反省したし、今後は詐欺師に騙されても直ぐに殺さないって決めたニャ!!」
「駄目です。貴方前もそう言ってたのに、今日5人も詐欺師を殺したでしょう?まだエース船長怒ってますよ」
「……だって、騙す方が悪くない?結局ソイツらが賞金首だったからスペード海賊団は資金難と疎遠でいられるんだよ?正体隠して換金しに行って、そのお金でエースや皆の食い扶持が保ててるんだ____ぶへっ!?」
ミハールはぐちぐちと文句を言い始めた猫の頬を教鞭でぶっ叩き、背後の黒板にカツカツ、と文字を書き始めた。ネフェルピトーはスペード海賊団で逆らってはいけない人リストを作っており、エースやデュースを抑えてミハールは堂々の1位を取り続けていた。
彼はどんな悪童にだって優しいが、子供のふりをして悪巧みをする大人は大嫌いなのだ。
よって小賢しい真似をするネフェルピトーを見ると、勝手に腕が動いて攻撃してしまうらしい。恐らくは猫を殴る為の方便だが、殴られる様なことをしたネフェルピトーが悪いので誰も文句は言えなかった。
「ヱー。では次にテキスト24ページを開いて下さい。今度は【かわいそうなぞう】を一緒に読んでみましょう。準備はいいですか?」
「……ハイ」
こうして人の心を持たない怪物は、夜な夜なミハールから教育を受ける事で段々と人の心を取り戻していった。時に失言をしてその場を凍らせたり突然悲鳴を上げられて海軍に通報されたりするが、それでもスペード海賊団はネフェルピトーの事を見捨てない。それは偏にネフェルピトーが仲間だからである。仲間の為ならどんな事でも諦めない。
それがスペード海賊団の矜持であった。
……マァ、ネフェルピトーはこの船の古参メンバーだし、本気を出したら船員のエースをも上回るかもしれない底力を持っているからでもあるが……何にせよ仲間だ。
見捨てない理由などそれだけで十分である。
「眠いニャ……」
授業が終わり、深夜3時。1時間の道徳授業を終えたネフェルピトーは胸の中にギュッ、と教科書を抱きしめて廊下をダラダラと歩いていた。一度不注意で教科書をなくした時にミハールから四六時中狙撃され続けた事がトラウマになっているのだ。彼は極度の引き篭もりとコミュ障を患っており、教卓に立っている時は饒舌だがその他だと必要最低限の会話しかしない。
敵と交戦する時もその特性はしっかりと出ている。どこからともなく弾が飛んできて、味方を攻撃しようとしていた敵の手を狙い武器を落とす。そして「気を付けてくださいね」とミハールの声が耳元で響き、後ろを振り返ってもそこには誰も居ない……という恐怖演出を彼はするのであった。
ミハールの気配の消し方は凄まじく、ネフェルピトーの円を持ってしても感知できない。
彼の怒りを買ったネフェルピトーは教科書を探し出すまで狙撃され続けた上に「早く見つけないと今度は頭を狙いますよ?」という言葉で脅され続けた。お陰で今も気を抜くとその幻聴がきこえてくる。それをネフェルピトーは“もうひとりのせんせえ”と呼び、何と会話までしていた。
猫はそれを利用し「ヱー。アレは屑ですね、殺してしまいましょう」という事をもうひとりのせんせえが言ったから殺した、という免罪符を作り出したのである。
勿論その時にきちんと総勢20名から手酷い折檻を受けた為、この手口は窮地に追いやられた時にしか使わなくなった。例えば盗み食いがバレた時に「ミハールせんせえが良いって」と言ったり、悪戯がバレた時に「ミハールせんせえがヤレって」と言ったりする。
その後ミハールがそんなことは口にしていないと言えば、「だって“もうひとりのせんせえ”の方だもん」とクソガキの様にほざくのだ。
そういう時はミハールから狙撃されるので、撃たれたか撃たれなかったかでネフェルピトーの言葉が本当か嘘かを船員達は判断していた。
猫の言葉は信じないが、ミハールの不可視の弾丸には信頼を寄せているのである。彼の弾丸で九死に一生を得た全員は少なくないのだから。
「先生の授業は終わったのか?」
ふと、廊下に誰かの声が響いた。俯き気味だった顔を上げれば、目の前に眠そうな顔をしたエースが立っている。
「あれ?エース?まだ起きてたの?」
「…まァな。おれ船長だし」
「……ふぅん?それにしては寝癖が目立ってるニャ」
「ぎくっ」
「…何で“ぎくっ”て口に出すの?寝てたのバレるよ」
「……そんな事より、昨日やらかした事は反省したんだろうな?」
ネフェルピトーの指摘に慌てて寝癖を直し、船長の威厳を醸し出して腕を組む。それにフフン、と笑った猫は自信満々に胸を張って宣言した。
「勿論!今度からは近くに居る仲間に殺してもいいか聞いてから殺す事にしたから」
「……よし!!そんじゃメシでも食おーぜ、おれ腹減った」
それって結局反省してないんじゃないの……?とエースは思ったが、お腹がすいた悲しみにより忘れてしまうのであった。今は深夜だ。彼は睡眠時間と満腹度も充分に足りてないので、法を掻い潜ろうとしている猫に気づけない。
ともかく、まずは腹ごしらえをしなければ。
「あぁ、それでキミこんな深夜に起きてたのか」
「ぎくっ」
「だからぎくって自分で言ったら……マ、別にいいや。オムライスでいい?確か卵があった筈だから、早めに使わないと腐っちゃう」
慣れない勉強の疲れで突っ込む気力も無かったし、自分も小腹が空いていたので大人しく船長の為に料理を作ってやろうと思いそう言った。するとエースは途端に顔色を変え、来た道を振り返って走っていく。
「よし!!早くキッチンに行くぞ!!」
「大声出すとデュースに怒られるニャ…!!」
ドタバタと音を立てて前を走るエースを、ネフェルピトーは慌てて追いかける。何故か彼が目の前を往くと……もう二度と逢えないような気がするからだ。故に猫はいつもエースの隣を陣取る。
もし彼の身に危険が及んだ時、自分が盾になって護れるように。
「待ってよ、エース!!」
エースは猫が守護すべき新たな王なのだから_______