「えっ、シャンクスって娘が居るの?」
「あぁ……ウタはおれの娘だ」
ネフェルピトーがスペード海賊団と別れてから1週間。船長のくせに割と暇らしいシャンクスから道徳の授業を受けている最中、ちょっとした休憩時間に親子の話になった。
そこでネフェルピトーはシャンクスに娘が居たという情報に興味が湧いたらしく、勉強そっち抜けで彼に質問をした。
「何歳?ボクと歳近い?」
「ウタは今16だな。ピトーは何歳なんだ?」
「ボクはね、この間やっと1歳になったよ。ウタは今どこにいるの?この船のどこかにいる?」
「……ン?え、あ、いや。ウタはここには居ないんだが……つかお前1歳って__」
「なぁんだつまんないの。じゃあもういいや、勉強の続きをしよう」
ネフェルピトーはこのレッド・フォース号のどこかにウタが居るのなら、四六時中張り付いている監視の目を潜り抜けて探し出してやろうと思った。しかし残念な事に居ないらしいので、羽根ペンを持ち直して教科書を開く。
一方で先生役のシャンクスはそんな勉強熱心のネフェルピトーについていけず、動揺したまま「1歳ってのは流石に冗談だろ?」と聞き返した。
「ボク本当に1歳だよ。まぁ生後数ヶ月で兄弟が操った友達に殺されて死んだけどネ」
「……は?いやちょっと待て、それ本当か?本当に本当なのか?」
「ウン。というかボクさ、大量にある宿題をひとつでもやり残したらスペード海賊団の皆から怒られちゃうんだ。だから早く続きを___」
「いやいや無理無理無理」
真実を知りたくて聞いたと言うのに更に謎が増え、兄弟に裏切られて死んだ、というとんでも話にシャンクスは混乱する。彼は一旦腰掛けていたベットから立ち上がり、思考を整理するために船長室の中をグルグルと歩き始めた。
「なに?兄弟に?殺された?」
シャンクスはブツブツと言葉を零しながら高級そうな机の上に置かれている宝石が沢山ついた金のネックレスを、意味もなくに手に持って振ってみたりもする。ベット脇にあるダンベルを持ってみたり、壁に横付けされている子供サイズのオルガンの鍵盤を無意味に触ったりした。
「ならなんで生きてんだコイツ…」
こうして体を動かすと脳みそに血が回り、素晴らしい考えが次々と浮かんでくるのだ。大体提案したものはベックマンを筆頭に幹部連中から却下されるが、彼はこの方法で思いついた作戦で過去何度も危機を乗り越えてきたという実績がある。
「……ふざけてる訳じゃないんだよな?」
「ウン」
ポーン、というオルガンの音に反応してネフェルピトーの耳が動いた瞬間。
シャンクスは意を決して本題に入ろうと思った。
「…よし、分かった。今後のためにも一旦お互いの事についてちゃんと話し合わないか?」
「え?なんで急に面倒臭い彼氏みたいなこと言いだすの?勉強飽きたの?」
「始めた瞬間から勉強には飽きてるが……ともかく今お前はうちで預かってる大切な客だ。それに友達の事はよく知りたいと思うだろ?」
「ンー……確かにキミに娘がいたというのはボクの知らない情報だ。でも裏設定とかなら別に知らなくてもいいかなって」
と、ネフェルピトーはよく分からないことを言って情報を交換する行為を華麗に躱す。彼女からしてみればシャンクスの娘とかそれなんて夢女子?とも思ったし、そもそも事実であるとは信じていなかった。
どうせ扉絵とかにある小話だろうな、と鼻を鳴らして羽根ペンにインクを付ける。
「この船の中にウタが居るんなら色々と聞いてみたかったけど、本人が不在なのに勝手に聞いたら嫌われちゃうニャ」
何よりもミハールせんせえから出された宿題は見上げるほどにあるのだ。これらを全て完了させないと、ネフェルピトーは本当にスペード海賊団総出でボコボコにされてしまう。
勉学は1日にして成らず。
数日サボっただけで人の心なんて簡単に分からなくなる。それはネフェルピトーにとって怖いことであったし、スペード海賊団にとっても怖いことであった。
という事で羽根ペンにインクをつけ直し教科書の続きを読もうとしたのだが、突然現れたシャンクスの腕により阻止されてしまう。
「やる気があるところで申し訳ないんだが、おれはもう集中出来ないから今日は授業しねぇぞ」
「……はあ、分かったよ。キミはボクの何が聞きたいの?」
そのままパタン、と教科書を閉じてしまったシャンクスを見るに、本気でやる気を無くしているのだろう。ネフェルピトーは仕方なく教材を片付けて彼に向き直る。エース以外に関しては知られて困る情報はないし、もし誰かに話したとしても嘘だと思われるはずだ。
と、ネフェルピトーはそんな軽い気持ちでシャンクスと目を合わせてしまった。
「前にお前が話してたキメラ=アントってのは何なんだ?」
「人でさえ喰らう蟻の事だニャ」
「なら、お前も人を喰うのか?前に見た答案用紙にも書いてあったように」
「勿論。喰べる人間は強ければ強いほどいいよ、その分栄養価が高いから」
シャンクスは元々聞いておきたいことがあったのかスラスラと質問を重ねた。念能力についてだったり、カイトという人物についてだったりと、彼は止まらずに聞き続ける。
それに対しネフェルピトーは簡潔に言葉を選んで返しつつ、自分の番になったら彼に何を聞こうかと考える。海賊王の宝の正体とか知らないかな?と思った時、それは突然に訪れた。
「特定の人物の記憶だけを抜き取る事は、可能か?」
「……え?」
今までの質問とは違い、それには妙に重たい空気を含ませてあった。深く鋭い視線が突き刺さり、彼にとって今からネフェルピトーが口にする回答がいかに重要なのかが分かる。
まるでこの部屋だけが海の中であるかのように呼吸がしづらくなり、ネフェルピトーは一生懸命に肺を膨らませて酸素を取り込んだ。それから瞬時に思考を回し、今までのシャンクスの言動から彼が何を求めているのかを考える。
「どうなんだ、ピトー」
「……」
グッ、と強まるシャンクスの圧に思わず身を引く。ここで下手な事を言ったら殺されそうだな……と死の恐怖さえ感じていたが、ネフェルピトーにはずっと気になっていた事があったのだ。
初めに赤髪海賊団から提案されていたネフェルピトーの貸出期間はたったの一日。それは腕を移植した事による拒絶反応が出ていないか調べる為であり、スペード海賊団も共に残る予定だった。しかしネフェルピトーが“記憶を弄れる”という事実が発覚した途端、急遽1ヶ月に変更されたのである。
そして行先は“エレジア”という島。ネフェルピトーはこれからそこに連れられて、何かをしなければならない。だが未だに何をするかは聞かされておらず、ここ1週間は朝から晩まで勉強をして終わる毎日だ。夜になるとエースの電伝虫に「今日も良い子にしてました」という報告をしてから寝るだけ、というなんとも末期受験生みたいな時間を過ごしてきた。
一方でここはレッド・フォース号という他者の縄張りであるし、勝手に彷徨くことは許可されていない。それはエースからの指示であったことに加え、100本目の葉巻に火をつけたベックマンからの切実な願いでもあった。血走った目で「悪戯をしたら分かるな?」と言われてしまえば大人しくするしかないだろう。
そうする中で観察したこの船の中では、特におかしな行動をしている者はいない。しているとしたら、ただ幹部連中が慌ただしいぐらいだ。特別この赤髪海賊団が忙しいのかと思ったが、他の船員達の会話を盗み聞きすれば「幹部の皆さん最近部屋にこもりがちだよな、何か準備してるのか?」と言っていた。
その“何かの準備”が、“幹部連中だけ”がしているのなら。
それは勿論、船長の娘のことでしかない訳で。
「……あぁ。もしかして、ボクに“ウタを殺して欲しい”の?」
酷く納得したような声色で、ネフェルピトーは言った。まるで長年の悩みが解消されたみたいな顔をしている。突如として出現してきたシャンクスの娘という存在。エレジアという特定の島。親子なのに今は共に居ないという現実。異常な程の念能力に対する執着。
そして極めつけが、特定の人物の記憶だけを抜き取れるのか……と聞いてきたこと。
「邪魔になったんだ?外聞悪いもんね」
ネフェルピトーはそれらの情報を繋ぎ合わせ、これから本格的に動くにあたって四皇の娘という立場にあるウタが、他の海賊の手によって利用されたくはないのだろうと考えたのである。人質にされたりしたら面倒だし、彼女は彼女で安全な島の中で幸せに過ごしているのだろうなと思ったのだ。
だから赤髪海賊団に纏わる全ての記憶を消し、四皇の娘ではなくただの町娘として過ごさせてやりたいのだろうと思った。因みにネフェルピトーがこの時考えた予想は概ね当たっており、シャンクスはウタの記憶から赤髪海賊団に関するものを消したいと考えていたのである。
よって本来ならば、「なんだ気づいてたの?なら話が早いね」となるはずだが、残念なことにその伝え方が悪かった。この怪物は人の心の動き方を学んではいるが、言葉使いに関しては未踏の地である。会話の中に下劣な下ネタを混ぜないように気を付けているせいで他のことに関しては全く気が使えないのだ。
「……何?」
「分かるよ、キミ達にとって彼女は足手まといだ。そして彼女からしても、キミ達の存在は不運でしかない」
「っ…!!」
「親が“海賊”だなんてこと。トモダチには言えないよネ」
赤髪海賊団、すなわち父親や家族に近しい者たちの記憶を消すということは、その人物を殺すも同然だとネフェルピトーは思っている。もし自分がスペード海賊団の記憶だったり、カイトやゴン達の記憶を消されたらどんな怪物になってしまうのかと恐れていた。
だからもしそうなった時は、何を捨てても地の果てまで首謀者を追いかけて殺し、必ず全ての記憶を取り戻すのだと思う。
ネフェルピトーは記憶を弄るという行為の罪深さを理解していた。自分がされたら嫌だなと思うからだ。よって弄る必要があったとしても死体にしかしないし、一刻を争う場面でしか行わない。
事実少し前に生きたまま脳を弄ったが、アレはネフェルピトーが野生の勘でよからぬ事を感じ取った上での行動だった。結果的に船底に大量の爆弾が仕掛けられていると分かり、スペード海賊団は命からがら逃げ果せたのだ。
生きている状態の人間の脳を開いて特殊な棒を指し、微量の刺激を与えて体の支配権を奪い取る。それは正に立派な殺人行為であった。故に彼女はウタの記憶を弄ることを「殺して欲しいの?」と言ったし、他の連中に娘の存在を知られる事を「外聞が悪いもんね」と言ったのである。
いつも一緒にいるスペード海賊団ならばネフェルピトーがなんだかんだ言っても結局はちっちゃい優しさの元に行動していることは分かるので、あんまりにも酷いことを言っても特に問題はなかった。
だが今この場に怪物語から人間語へと翻訳してくれる通訳はおらず、凶悪なまでのネフェルピトーの言葉がそのまま伝わってしまう。
「……ンー。キミとは、出来れば戦いたくないんだけど」
ドンッ、とシャンクスから発せられる凄まじい程の覇気。娘を思う心からか、それだけで人の命を奪えそうな重圧がネフェルピトーの体に襲いかかる。背中に大量の冷や汗を流しながらも両手を上げ、戦う意思はないということを伝えた。
部屋の中の物が軋む音を聞きながら、さっき言った言葉の何に彼が怒ってしまったのかを必死に考える。…マ、考えてはみたものの結局は分からなかったのでここは正直に言うしかない。もし戦いが始まってしまったら海の中に飛び込んで逃げよう、とアホすぎる覚悟を決めたネフェルピトーはシャンクスを見上げた。
「ごめんねシャンクス。やっぱりボクには、キミが怒ってる理由が分からない」
「……いや、すまん。お前の言い分はもっともだ。おれたちがしようとしていることはウタを傷付けることになる。昔からずっとそうさ…」
シャンクスは覇気を出すのをやめると両手で顔を覆ってふらふらとベットに座り込んだ。今度は世界で私が一番不幸です、というような悲しみを背負いだしたのでネフェルピトーは混乱していた。先程まであんなに怒っていたのに、急にどうしたのだろうか。
「どうしたの?何で泣いてるの?」
「……泣いてはねぇさ。本当に泣きてぇのはウタの方だからな」
そう言うとシャンクスは、「……聞いてくれるか?」とネフェルピトーの答えも聞かずに身の内を語り始める。ウタとの大切な思い出や、自分たちがエレジアで彼女に何をしてしまったのか。その全てを。
「……」
ネフェルピトーはただ静かに聞いていた。ぽつぽつと語られるシャンクスのその言葉たちは、いつしか別の人物の者へと切り替わる。ずっと顔を覆いながら喋る彼のせいで、顔が見えないせいで……やはり、カイトに見えてきてしまうのだ。
しかしあのカイトが自分の娘の起こした事件に対しそんな対応をするだろうか。
きっとカイトなら……カイトなら、恐らくは、
「だからおれ達は……ウタをエレジアに置いてきた。あいつを守るために___っ!?」
そう言って話を締めて顔を上げたシャンクスの頬を、ネフェルピトーは叩いていた。
「……は?な、なん、どうした…?」
「えっ…?アレ、なんでだろう…?」
ネフェルピトーの手は酷く震えていた。その上なぜ今シャンクスの頬を叩いてしまったのかも分かっていないような顔をしている。体が勝手に動いてしまい、自分でもどうしてそんなことをしたのかが分からない。
「……あ。多分、キミに対して苛ついたんだと思う」
仕事を請け負っている所の船長に手を挙げたため、ネフェルピトーは思考を超高速で回し自分の感情の動きを読み取った。訳の分からない力によって動かされた訳ではなく、ただシャンクスにムカついたから殴ったのだと理解したので落ち着いて椅子に座る。
「苛ついた……?」
一方でシャンクスは未だに混乱していた。なぜ叩かれたのか分からなかったからだ。ただ過去について語っていただけなのに、どこに叩かれるポイントがあるのか理解不能だった。
「ウン。とっても嫌な人だと思ったから。ボクさ、今までに沢山の本をエースたちと読んできたんだ。そのお話の中にはね、必ずひとりはキミみたいな人が出てくるよ」
ネフェルピトーは答え合わせを始める。きっと以前の自分ならば教えて貰わないと気づけなかった心の動きを理解してやれた為、少し嬉しそうに語るのだ。
「…おれみたいな奴?」
「自己中心的な人だよ。船長だから仕方のない部分はあるだろうけど、実の娘にする事じゃなかったね」
と、欠伸をするように言った。テーブルの上に置かれている紅茶をひとくち飲みながら、羽根ペンを拾ってインクをつけると解答用紙の裏面に今回の心の動きを書き始める。後でミハールやエースたちに見せて褒めて貰おうとしたのだ。
「……違う、おれは…おれ達はウタの為に」
「キミの為だろ?他の人達もそうだ。あの日どれだけの大人が居たのかは知らないけど、ウタと一緒に船を降りてあげることは出来たでしょ?なのに誰も残ってやらなかったっていうのが、答えじゃないかニャ」
シャンクスは唖然としていた。視線を彷徨わせて動揺を露わにする。ネフェルピトーが出した答えのひとつが、“正解”のように感じてしまったのだ。
「だ、だが……」
「ボクはその王様のことをよく知らないけど、もしボクがエレジアの王だったらウタの事は絶対に許せない。国も壊されて、民衆もひとり残らず殺されたら……ボクはウタを殺すと思う」
ネフェルピトーは羽根ペンにインクを付け足しながら紙に書き続ける。そしてその意識の外側で、急にベットから立ち上がりこちらに近付いてくるシャンクスの気配を感じ取った。
「っだが!!あいつは子供だった!!それにやりたくてやった訳じゃ__」
「そんなの関係なくない?彼女がそのトットムジカとやらのせいで無意識に起こしてしまった事件だとしても、大量の人間を殺してしまった事実は教えてやるべきだと思うけど」
ネフェルピトーは胸ぐらを掴まれて宙に浮いた。衝撃で椅子が倒れて大きな音を立てる。船長室には再び良くない空気が生まれ始めていた。シャンクスは怒りを増しているが、ネフェルピトーはいつもなら答えの出せない問題に解答を書くことができてテンションが上がってしまっているのだ。
故に、いつもよりも数倍饒舌になってしまった。
「キミさ、ご飯を食べる時に感謝してる?」
「……は?」
「ボクは感謝していない。他者を喰らうという行為は生きる行為に直結するからね。自分で獲った獲物以外には一応感謝はするけど……命のやり取りを自分ではしてないから感謝するんだったよね?人間は」
呼吸がしやすいようにシャンクスの腕にしがみつき、しっかりと彼の目を見て話す。枯れ果てていた井戸から急に湧き出してきた水を、すぐにでも誰かと共有したかった。
「顔も名前も知らない人に、“代わりに殺してくれてありがとう”ってさ。毎食毎食届きもしない願いを込めるんだろ?普通に手紙を書いて送った方が誠実だと思うけど……一応感謝している体にしたほうが罪悪感が減るからなのかニャ?」
「…な、なんの話しだ」
しかしシャンクスにはこれが分からない。ネフェルピトーの気分の上昇を感じ取れるほど傍に居たことがない為、急に口数が増えたようにしか感じないのだ。
「命のやり取りの残酷さを知らない癖によく言えるなっていつも思ってたんだ。心臓にナイフを突き刺した時の感触や、さっきまで動いていた生き物が死んでいく様子を見たことないのに」
「それの何が、ウタの事に関係する」
「怖い事から遠ざけるんじゃなくて、その全てを見せろって言ってるんだ」
欲しい答えが貰えない時、人間はもどかしさを感じる。そしてそれが“大切なものに関して”ならば人によっては命よりも大事なことだろう。だからシャンクスは先程よりも強くネフェルピトーの胸ぐらを締め上げた。
早く答えろ、とでも言いたげな顔で。
「っ……だから、さ。無意識に殺してしまった事は仕方が無いし可哀想だから本人には教えないってのは分かる、けど罪を被って彼女ひとりを置いていくのは意味がわからないよ。その罪はウタの物なんだよ?」
「キミはウタが犯した罪に対して、反省する時間も、猶予も……誰かが傍で寄り添ってやる時間でさえも。その全てを奪ってしまったんだ」
ネフェルピトーは苦しそうな顔をしながらもしっかりとした声で答えた。彼女も彼女でもどかしさを感じていたのだ。カイトの声で、カイトらしくない事を言わないでくれ、と。
一方的な感情をシャンクスに対して向けていたのである。
「ハハッ、ご立派なもんだね。人様の物を盗るだなんて、いかにも海賊らし____ッ!?」
今度はネフェルピトーが唖然とする番だった。彼女はいつの間にか壁際まで吹っ飛ばされていたのである。強烈に痛む右頬を抑えながらも周囲を見回し、それから振り抜かれたシャンクスの左腕を視界に入れ、そこで初めて自分が“殴られた”のだと気付いたのだ。
「巫山戯るな!!あの子は数え切れない程の命を奪ってしまったんだぞ!?まだあんなに小さい子供に背負わせるものじゃねぇだろうが!!」
「それにっ、それにおれ達は“海賊”なんだ!!そんな奴らに命の尊さを語られたら響くもんも響かねぇ!!だからゴードンに任せたんだ…!!本当は、本当だったらおれがウタに言ってやりたかったさ……!!」
「生きるという事が、どういうことなのかを……!!」
シャンクスの溢れんばかりの怒りはネフェルピトーの中にスっ、と落ちてきた。そうだ。それだ。
カイトなら、きっと。
「…キミはあの日あの時に、ウタの事もこうして叱ってやれば良かったんだ」
「っ……んだよ、それ…」
「カイトも恐らくは…そうしたと思う」
ネフェルピトーはきちんと力を込められていたシャンクスの左腕の状態を嬉しく思いながら、ポシェットから取り出したカルテに「経過良好」と書き記した。軽い足取りで倒れていた椅子を立て直して座り、
「おれは、カイトじゃねぇぞ」
その絞り出したかのようなシャンクスの言葉を聞いた瞬間、ネフェルピトーは目を大きく見開いた。それから暫く黙り、羽根ペンにインクを付けてから唇を噛むと……少しだけ笑った。
「……そうだネ」