極寒の雪山、肌に突き刺さるような冷気の中、俺は高所の岩陰から双眼鏡を覗き込み、あのリオレウスを監視していた。
奴は上空を旋回しながら、時折じっと地上を見下ろしている。その視線の動きから、俺は奴が獲物を探しているのだと推測した。
(なるほどな……怒り狂った先妻たちへのせめてもの献上品として、いつものアプトノスではなく、この雪山特産の丸々と太ったポポでも狩ろうって腹か。あいつもあいつで、家庭生活を円満に保つために必死なんだろう)
そんな風に、どこか微笑ましく奴のお買い物を眺めていたその時だった。
――ズズズン……ッ!!
遠くから、雪山そのものが鳴動するような、凄まじい地響きが轟いた。
反射的にそちらの方角へ双眼鏡を向けると、そこには雪山の支配者、巨獣ガムートが猛り狂っていた。
その巨大な足元には、無残にも踏み潰され、雪を血に染めて今にも息絶えそうな轟竜ティガレックスの姿があった。
「あぁ、なるほどな……」
状況はすぐに理解できた。おそらく、あのティガレックスはポポの群れを襲ったのだろう。だが運悪く、その群れの中にガムートの幼体が紛れ込んでいた…激怒した親ガムートの容赦ない一撃を喰らい、返り討ちに遭ったというわけだ。
自然の厳しさ、生態系の縮図。
哀れなティガレックスに同情しつつも、俺は本題であるレウスの監視に戻ろうと視線を戻した。
――だが、そこにレウスの姿はなかった。
「しまっ……どこへ行った!?」
一瞬だけ焦りがよぎる。しかし、長年奴を追いかけ、奴の思考パターンを誰よりも理解している俺の勘が即座にレウスの飛行ルートを弾き出した。
よもや、と思いながら、さっきの瀕死のティガレックスがいる方角へ双眼鏡を向け直す。
「……やっぱりか」
俺は思わず額を押さえ、深い、深い溜息を漏らした。
白銀の空から急降下したあの若いリオレウスは激怒するガムートの鼻先を鮮やかな身のこなしで掠め取ると、息も絶え絶えのティガレックスをその爪でガッシリと掴み、そのまま空へと連れ去っていったのだ。
手負いの雌を人間の狩猟から救い出した、あのリオレイア亜種の時と全く同じ、あまりにも既視感のある手口。
あのレウスの目は、獲物のポポなんか見ていなかった。ガムートに健気に立ち向かい、無惨に傷ついたティガレックスに極限の庇護欲を刺激されてしまったのだ。
「今回はティガレックスだったか……完全に裏をかかれたな。俺はてっきり、あのスタイリッシュな『氷牙竜ベリオロス』の方が奴の好みだと思っていたんだがな……」
俺は手帳を開き、震える手で『雪山にて、瀕死のティガレックスをレウスが救出、そのまま拉致。お持ち帰りを確認』と手慣れた動作で書き加えた。
あの狂暴性の塊である轟竜すらも、絶体絶命の危機を救ってくれた「火竜の王子様」に、命を救われた恩と吊り橋効果でコロリと参ってしまうのだろうか。
ガムートからティガレックスを掠め取ったレウスの後を追いながら、俺はふと考えた。
思えば、あのレウスのハーレムにはティガレックスと同じくらい気性の荒い『電竜ライゼクス』もいたはずだ。出会えば殺し合うはずの凶暴な種族を、あいつがどうやって陥落させたのか。そのプロセスには、ずっと疑問が残っていた。
(……待てよ。あいつの「モテる秘訣」を事細かに観察して一冊の本にまとめれば、ギルドの非モテハンターどもに爆売れして一財産築けるんじゃねえか……?)
そんな下世話な邪念が頭をよぎり、俺は「あくまで学術的な調査だ」と自分に言い訳しながら監視の継続を決めた。
レウスの飛行ルートを追うと、奴は雪山の奥深くにある薄暗い洞窟の前に舞い降りた。
爪からティガレックスをそっと降ろす。
満身創痍の轟竜は、しかし地面に這いつくばりながらも、即座にレウスを「敵」と認識して牙を剥いた。
やはり、その狂暴性はモンスター随一。
命の恩人だろうとお構いなしだ。
ティガレックスはレウスを激しく睨みつけ、周囲の雪崩を引き起こさんばかりの、あの喧しい大咆哮を放とうとその巨大な大口を限界までかっ開いた。
次の瞬間だった。
リオレウスは心底嫌そうな、まるで「うるせぇ口だな……」とでも言いたげな、呆れ果てた顔をした。
そして、咆哮が放たれるよりも早く、流れるような動作で詰め寄ると――ティガレックスの開いた大口をキスで強引に塞いだのだ。
「ぶっ……!?」
あまりの衝撃映像に、俺は雪に頭を突っ込みそうになった。 大音響が響き渡るはずだった洞窟前が、一瞬で静まり返る。
数秒の静寂の後、レウスがそっと顔を離した。
すると、さっきまで世界を呪うような形相だったあのティガレックスが、借りてきたアイルーのようにしおらしくなり、甲殻の血流が良くなったのだろう顔をボッと真っ赤に染め、雪山の万年雪をも溶かしそうな熱い熱い熱視線をレウスへと向け始めたのだ。
「う、嘘だろ……あの『絶対強者』が、キス一発で乙女になっちまった……」
これがライゼクスをも落とした、奴の『天性のタラシ技』か。本を出版すれば大富豪間違いなしの決定的一瞬。
だが、手帳に興奮気味にペンを走らせようとした俺は、ふと双眼鏡の中のレウスの表情に違和感を覚えた。
「……ん? あいつ、なんかめちゃくちゃ焦ってないか?」
ティガレックスの熱烈な視線を浴びているレウスは、ドヤ顔をするどころか冷や汗をだくだくと流し、完全に「やべぇ、やっちまった……」という顔で激しく狼狽していた。
俺の脳内で、すべての点と線が繋がる。
あいつ、さっき咆哮を放たれそうになった時、耳元で大声を喰らうのが嫌すぎて咄嗟に口を塞ぐためだけにあの行動に出ただけなのだ。
そこに恋愛感情やナンパの意図は1ミリもなかった。
つまり、番にする予定なんて、最初からサラサラなかったのだ。
ただ怒った嫁たちへの手土産を探しにきただけなのに、ノリと本能で手負いの雌を助け、咆哮を止めようとした結果図らずも「最恐のメンヘラ気質」の轟竜をガチ惚れさせてしまったのである。
「おいレウス……お前、マジで自業自得だぞ……」
家に帰れば、ただでさえ浮気の件で本妻たちがブチ切れて待っているのだ。そこに頼んでもいない「さらに凶暴なストーカー」を自ら製造してしまった我が身の不運。
レウスの、底知れない「本物の絶望」が始まった瞬間だった。
――だが、神はどこまであの火竜に試練を与えるつもりなのだろうか。
頭を抱えて狼狽するレウスの姿を双眼鏡で追っていた俺はふと、二頭の後方――薄暗い洞窟の奥に、もう一つの白い影が潜んでいることに気がついた。
眩い白銀の甲殻、そして琥珀色の長大な牙。 氷牙竜ベリオロスだった。
そのベリオロスは、洞窟の闇から半身を乗り出した状態で、口をあんぐりと開け、文字通り唖然として硬直していた。
おそらく、元々この洞窟を我が家としていた個体なのだろう。入り口がやけに騒がしいから様子を見に来たら、事もあろうに「火竜が轟竜の口を強引にキスで塞ぎ、轟竜が乙女化する」という生態系のバグを凝縮したような地獄の現場を特等席で目撃してしまったというわけだ。
気配を察したレウスが、弾かれたようにベリオロスの方を振り返った。
あいつはこれ以上トラブルを増やしたくないのか、ティガレックスをその場に残し、ベリオロスへ向かって早足で近づいていった。
そして、モンスターにしては奇妙なほど丁寧に、フンフンと鼻を鳴らしながら深く頭を下げたのだ。
(なるほど。他人の家の玄関先で勝手に修羅場を展開しちまったから、『縄張りを荒らして申し訳ない』と謝罪でもしているんだろう。さすがにレウスも、これ以上の浮気は命に関わると自重したか……)
そう納得しかけた次の瞬間だった。
頭を下げられたベリオロスの雌は怯えるどころか、じっとレウスを見つめた後何かを要求するようにつんつんと鼻先でレウスの体を突っついた。
レウスは「え? 何?」と言いたげに首を傾げ、完全に困惑している。 そこから数分、特に何かが起きるわけでもなく、雪山特有の冷たい風だけが吹き抜ける、実に気不味い時間が流れた。
焦れたのか、あるいは気まずさに耐えかねたのか。
リオレウスは大きく息を吸い込むと、その赤く立派な翼を左右に堂々と広げ、逞しい胸筋をこれでもかと晒したのだ。
それは火竜が己の威厳を示すごく一般的な威嚇、あるいは誇示のポーズのはずだった。
――だが、それが『スイッチ』だった。
胸筋を晒された瞬間、ベリオロスの雌の目がギラリと怪しく光った。
次の瞬間、彼女は凄まじい跳躍力でレウスに飛びかかると、その鋭い爪でレウスの身体をギチギチと音を立てるほどの強さで熱烈に抱きしめやがった!
「おいおいおい!! 何があったんだよ今!?」
俺は思わず双眼鏡を雪原に落としそうになった。
キスしたわけでも、ナンパ文句を囁いたわけでもない。ただ翼を広げて胸を張っただけだ!それが、ベリオロスの何を刺激したのか、ハンターである俺の知識では全く持って理解不能だった!
抱きつかれたレウスはといえば、さっきのティガレックスの時以上に目を血走らせ、白目を剥きかけながら「誰か助けてくれ!」と言わんばかりに虚空を見つめている。
そしてその背後ではレウスにキスされて完全に恋の奴隷となったティガレックスが新入りの白い泥棒猫を激しい殺意の籠もった目で見つめ、今度こそ本物の咆哮を放とうと喉を鳴らし始めていた。
レウスの意図せぬところで、雪山の二大凶暴モンスター轟竜と氷牙竜が同時にハーレムの切符を手にしてしまった。
「モテる男の本、か……いや、これは本にできねぇ。ただの呪いだ……」
俺はガタガタと震える手で手帳に『雪山にてさらにベリオロス追加。レウスの意志に関係なく世界中の雌が自動的に陥落中。これは災害である』と書き殴った。
家出先でさらに致命的な爆弾を二つ抱え込んだ火竜の明日は、どっちだ。
「……おい、レウス。お前、マジでどうするんだこれ」
岩陰から双眼鏡を覗く俺の口から乾いた笑いが漏れた。 ベリオロスにギチギチと抱きつかれたレウスは恐怖からか、あるいは家庭への義務感を思い出したのか必死に羽ばたいてその拘束から逃れようとした。
だが、その瞬間。ベリオロスは琥珀色の長い牙をレウスの首筋にピタリと押し当て、その爪でさらに強くレウスを地面に押し付けたのだ。
その冷徹な瞳は、雄弁に物語っていた――
『逃げたら、許さない』
と…あの「空の王者」が、恐怖で完全に大人しくなるのを見届けるとベリオロスは満足したようにフンと鼻を鳴らし、レウスを解放してそのままどこかへ去っていった。
だが、休む間など一秒もありはしない。
ベリオロスが去った途端、今度はその場に残されていたティガレックスが怪我を負っていることも忘れてレウスへ猛烈なアピールを開始した。
巨大な前脚でレウスの身体をつっつき、ゴロゴロと喉を鳴らし文字通り体当たりで愛を囁いている。
対するレウスはといえばもはや抵抗する気力すら失ったのか、死んだ魚のような完全にすべてを諦めた目をしてティガレックスの猛アタックを受け流していた。
それからしばらくしてさっき去ったベリオロスが戻ってきた。その足には丸々と太ったポポの死骸がガッシリと握られていた。
ベリオロスはドサリとレウスの前にポポを放り出すと、「さあ、お食べなさい」とでも言うように、レウスの顔を覗き込んだ。
「……あー…なるほどな。そういうことか」
俺は手帳を膝の上に置き、ぽんと手を打った。
すべての謎が解けた。
あの「翼を広げて胸筋を晒す」というレウスの行動。それがベリオロスにとってどう映ったのかは分からんが、結果として彼女の「強烈なヒモ飼育欲」に火をつけてしまったのだ。
つまり、こういうことだ。 あのリオレウスはベリオロスの雌にガチで気に入られた結果、極寒の雪山の洞窟にて、至れり尽くせりの『軟禁・ヒモ生活』へと強制移行させられたのである。
「怒った本妻たちが待つ我が家にも帰れず、目の前には熱烈なストーカー、後ろには貢ぎ物を持ってくる過保護な監禁犯……レウス、お前の人生完全に詰んだな…」
贅沢な悩み、などという生ぬるい状況ではない。これは精神的な拷問だ。
俺は手帳に『レウス、雪山にてベリオロスに軟禁される。ポポの貢ぎ物あり。ティガレックスの過剰なアピールに挟まれ精神崩壊寸前』と記録した。
ナンパの天才として生態系の頂点に君臨しかけた魔王は今、自らが撒いた種の重さに潰され白銀の監獄でただ静かに涙を流しているようだった。
◆
あの衝撃の軟禁現場を見届けた後、俺は取り急ぎ一度ギルドへと帰って事の顛末を報告した。
「あの個体の監視は長期に及ぶ。しばらく通常の狩猟クエストは受けられない」と言い添えて。
ついでに――俺が目撃したあのレウスの『モテる秘訣』についての詳細な記録はギルドマスターにだけ手渡しで極秘報告した……あんな恐ろしい情報、いちハンターである俺の手に扱いきれるものではない。
もし非モテハンターどもの手に渡り、真似をして町娘にキスでもしようものなら一瞬で父親に消されるのが目に見えている。あれは奴だけの特権、あるいは呪いだ。
それからというもの、俺は再び雪山にこもり、レウスの軟禁状況を監視し続けていた。
雪山の隠れ家では、相変わらずティガレックスの猛烈なアピールが続いていた。
ガムートに踏み潰されて負ったあの時の大怪我は不自然な速度の回復力で既にすっかり完治しているというのに、だ。
治ったなら自分の縄張りに帰ればいいものを、彼女は完全にレウスの側に居座り、四六時中ベタベタと体を擦り寄せている。
ベリオロスが帰還し、また太ったポポの肉をドサリと落とす。
ベリオロスが持ってきた肉に、黙々と食らいつくレウスとティガレックス。
その様子を高所から見下ろしながら、俺も携帯肉焼きセットで肉を焼き、フーフーと息を吹きかけながら口に運んだ。
……美味い。あ、違う。上手に焼けました〜!
極寒の雪山で食う、焼き立ての熱い肉は本当に五臓六腑にしみる。
だが、そんな奇妙に平穏?な観察日記が続いていたある日のことだ。
いつものように甲斐甲斐しい監禁犯であるベリオロスが次の狩りへと出かけ、洞窟の前が二頭だけになったその瞬間だった。
それまで死んだ魚の目で肉を突いていたリオレウスが、突如として顔を上げた。
その瞳には、かつて密林でナルガクルガを押し倒した時のような、漢の表情が宿っていた。
レウスは羽ばたき、激しいアピールを続けていたティガレックスの背後へと回り込むとその大きな身体でガシッと彼女に覆い被さったのだ。
そして、白銀の雪原を揺らすような、激しい交尾を開始したのである。
「おいおいおい……マジかよ」
俺は口に含んだ肉を危うく吹き出しそうになった。
あの空の王者、ハーレムの魔王と呼ばれたレウスも毎日毎日休むことなく続けられたティガレックスの超ストレートな押しには流石に根を上げたらしい。
いや、あるいはベリオロスに軟禁されるストレス、我が家に帰れない寂しさを紛らわせるために目の前で健気に尽くしてくる野生の爆弾の誘惑、魅力についに本能が抗えなくなったのか。
激しく組み合う二頭の影。
ティガレックスは、あの咆哮を放つ大口を嬉しそうに歪め、レウスの熱い抱擁を受け入れている。
「追記……レウス、ついにティガレックスに陥落っと……」
俺はもはや驚きを通り越し、どこか感心しながら手帳にペンを走らせた。
しかし、俺の脳裏には一つの冷たい事実がよぎる。
いま二頭が盛り上がっているその場所は、「過保護な監禁犯」の家のすぐ目の前だ。そして、ベリオロスはただの狩りに出かけただけで、いつ戻ってきてもおかしくない。
もし、愛するレウスのためにポポの肉を抱えてウキウキで帰ってきたベリオロスが、自分の留守中にこの『裏切りの交尾現場』を目撃してしまったらどうなる……?
――そして、俺の最悪の予想は、またしても完璧に的中した。
レウスとティガレックスが雪を激しく散らし、嵐のような交尾に耽っているその最中。冷たい風が吹き荒れ、大きな肉を抱えたベリオロスが戻ってきたのだ。
「うっわ…最悪のタイミング……! 始まったか、雪山の全面戦争が!」
俺は焼き肉の串を放り出して身を乗り出した。留守中に自分の雄を別の雌に寝取られたのだ。あのベリオロスが激怒し、ティガレックスと血みどろのキャットファイトを始める――そう確信していた。
だが…
繰り広げられたのは、俺のハンターとしての常識をまたしても木端微塵にする異様な光景だった。
ベリオロスは、抱えてきたポポの肉をドサリと地面に落とすと怒り狂うでもなく、ただ静かに…その場にどかっと腰を下ろしたのだ。
琥珀色の牙を静かに休ませ、二頭の激しい交尾を、じっと、ただじっと見つめている。
「……おいおい、まさか。嘘だろ…?」
俺の脳裏に、一つの狂った推測が浮かび上がる。 怒っていない。襲いかかりもしない。あいつのあの落ち着き払った佇まいは……正真正銘の「順番待ち」だ。
『ティガレックスの時間が終われば、次、私の番ね』
とでも言いたげな恐るべき家庭内ルールの構築。あのレウスのタラシ波動はベリオロスの独占欲すらも「ハーレムの規律」へとねじ曲げてしまっていた。
やがて、雪山をも揺るがした長い、長い交尾が終わりを迎えた。
ティガレックスが満足そうに大きな身体を横たえ、喉をゴロゴロと鳴らす。その中心で、限界を超えてエネルギーを搾り取られたリオレウスは、糸の切れた人形のようにへとへとになって雪原に崩れた。もう翼を動かす力すら残っていないのだろう。
――だが、
レウスが横たわったまさにその瞬間、待機していたベリオロスが音もなく立ち上がった。
そして、まだ息を荒げているリオレウスの身体へと、容赦なくガシッと覆い被さったのである!
「レ、レウス――ッ!!」
思わず声が出そうになり慌てて口を抑えた。
双眼鏡の向こう、ベリオロスに押し潰されたレウスは恐怖と疲労で白目を剥き、完全に魂が口から抜けかけていた。
しかし、ベリオロスの爪があいつの自由を完全に奪っている。
抗う術など…最初から無かった。
食うんじゃない…食われてるのだ…
「空の王者」として生態系の頂点に君臨していたはずの火竜が、今や雪山の獰猛な雌たちに代わる代わる組み敷かれ、ただひたすらに奉仕を要求される「極上の苗床・あるいはただのヒモ」へと成り下がっていた……。
◆
数日間のあいだ、あのレウスの「生殺しの地獄」は延々と続いていた。
ティガレックスとベリオロスに代わる代わる組み敷かれ、ひたすら食われ続ける日々。
かつて生態系を脅かす魔王と恐れたあの火竜に対し、俺の心にはいつしかハンターとしての境界線を超えた深い、深い憐れみすら芽生え始めていた。あいつの翼はもう、疲労でボロボロだった。
そして――俺は想像していた。
いつかこの瞬間が来ると思っていた。
ギルドから特別な報告があったわけではない。
だが、長年奴らを観測してきた俺の脳が、肌が、その到来を確かに確信していたのだ。
極寒の白銀の空。その遥か彼方から、二つの不穏な影がこちらに向かって滑空してくるのが見えた――リオレイアとリオレイア亜種だ。
本拠地でお留守番をしていたはずの…正真正銘の「本妻」だった。
「……おい、レウス。後ろだ、後ろを見ろ」
俺は双眼鏡を握りしめ、冷や汗を流しながら呟く。当のリオレウスは、今まさにベリオロスに肉を口へ押し込まれている最中で、まだその絶望の接近に全く気づいていない。
だが、運命の時は非情だった。 ドサリ、と激しい雪煙を上げて、洞窟の前に二頭の雌火竜が舞い降りる。その劇毒を孕んだ尾が怒りで微かに震えていた。
見つかって…しまったのだ。
背後に漂う尋常ならざる怒気にリオレウスの身体がビクンと硬直した。ゆっくりと振り返り、本妻たちの姿を視界に捉えた瞬間、あいつはあまりの恐怖に咄嗟にベリオロスの白い巨体の後ろに隠れようとした。
しかし、逃げ切れないと悟ったのだろう。
レウスは小さく震えながらも、ベリオロスの陰から這い出し、ついに罰を受ける覚悟を決めたように二頭の前に進み出た。首を垂れ、完全に「申し訳ございませんでした」の姿勢を取る。
これで本妻たちの激しい制裁が始まる――そう身構えた俺の目に、奇妙な光景が飛び込んできた。
「……あん? なんだあいつら」
レウスの後ろに控えるティガレックスとベリオロスが一触即発の修羅場だというのに、やけに満足そうな勝ち誇ったような笑顔を浮かべているのだ。
二頭はずいっ、と本妻レイアたちの前に進み出ると自らの腹部を前脚で優しく擦りながら、喉をフンフンと鳴らして何かをアピールし始めた。
その瞬間、俺の脳がすべてを察した。
「あぁ~……そういうことか。妊娠しちまったんだな、お前らも……」
俺は手帳を閉じ、天を仰いだ。
ティガレックスとベリオロスが腹を擦って伝えたメッセージ。
それは『もう私達のお腹には、この雄の子供がいます。だから追い出せませんよね?』という、完璧なまでの既成事実の提示だった。
さすがの本妻リオレイアも、これには呆れ果てたように大きく溜息を漏らすような仕草を見せた。
しかし、お腹の子に罪はない。
彼女の持つ「正妻としての圧倒的包容力」がこの雪山の二頭をも『身内』として受け入れることを許可した瞬間だった。
これで正式にティガレックスとベリオロスも番に加わった。
家出の末に、ハーレムの戦力はさらに拡大。
火、毒、水、泡、雷、闇、そして物理の暴虐と氷結。人類が束になっても敵わない、総勢8頭の「最強のハーレム」が、ここに完全なる融和を果たしてしまったのだ。
レウスは本妻たちにペシペシと翼で頭を叩かれながらも、どこかホッとしたように首をすくめていた。彼をめぐる狂った生態系は人間たちの手をもはや完全に離れ、独自の「楽園」を雪山にまで広げてみせたのだ。
次回はハンター⑤、つまり連続します。
ではもう一つアンケートを。この中なら次は誰がいいですかね?
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