私は、誇り高き「リオレイア希少種」だった。かつては太陽の光を浴びて黄金に輝く翼を広げ、大空を気高く駆け回っていた。いつか巡り合うはずの、対となる番――気高き雄を探して、私はあてもなく世界を彷徨う日々を繰り返していた。
あの美しく眩い空を、私は今でも覚えている。けれど、あの日すべてが終わった。目の前に現れたのは、純白の天衣を纏ったような古龍、シャガルマガラ。それまで出会ったどんな存在とも違う、絶対的な死の気配を放つ怪物だった。
私とシャガルマガラの戦いは、壮絶を極めた。激突の余波で大地は引き裂かれ、周囲の巨木は小枝のようにへし折れた。私はプライドを懸け、黄金の鱗を血に染めながら戦い続けた。
決して勝機のない戦いではなかった。私の鋭い爪も、燃え盛る炎も、確かに奴の肉体を捉えていた。
けれど……あと一歩、足りなかった。
私は力尽き、シャガルマガラに敗北した。冷たい地に伏した私の身体を、奴の冷酷な四肢が容赦なく踏みつけ、組み敷く。そして、私の胸元へ、おぞましいウイルスの苗床を深く、深く植え付けたのだ。
そこからは、地獄だった。体内に侵入した黒い霧が、私の誇り高き肉体を、内側からドロドロと腐らせていく。血管を、筋肉を、骨を、未知の毒が容赦なく蝕んでいく。
私は、今まで生きてきた中で最大の、言葉に絶する苦痛を味わった。声を上げることも許されぬ絶望の中で、私の意識は暗転し……私は、確かに死んだ。
――いや。正確には、私は「蘇った」のだ。死に絶えた私の骸を極上の糧として、体内で増殖し、成長したウイルス。それそのものが、私の新たな肉体を、新たな命を形成した。
ふと、意識が浮上する。かつて世界を見渡していた瞳はもう開かない。目の前にあるのは、ただどこまでも深い、底のない暗闇だけだった。しかし、呼吸をするたびに、私の体内から、触れるものすべてを腐らせる黒い鱗粉が、世界へとじわじわと滲み出ていくのだけは分かった。
姿は変わってしまった。目も見えない。けれど、私の魂の奥底には、あの「リオレイア希少種」として生きていた記憶と、気高き雌としての本能が、消えずに脈打っている。
私は、この悍ましい黒蝕の身体で、再び世界に産み落とされた。触れるものを等しく狂わせる呪いを撒き散らしながら、私はこの暗闇の世界を、新たな足取りで歩み始める。
自分の身体がどうなってしまったのか、今の私には分からない。自慢だった黄金の双眸は開かず、世界はただひたすらに暗い。
歩き出そうとしても、見えない壁に身体をぶつけ、わずかな地面の段差に足をとられて無様にコケてしまう。かつて金火竜と呼ばれた私が、地面を這いずり、泥にまみれている。不便で、屈辱的で、恐ろしかった。けれど、私の心を支える絶対的な光があった。
番を見つけ、愛し合い、いつか子孫を残す。それこそがリオレイア希少種として生を受けた私の、最大の目標であり生きる意味だ。だから、目は見えなくても、私は前へと進む。暗闇に怯えている暇などない。しかし……私は気づいていなかった。
自分が、もうリオレイアではなくなってしまっていることに。
ある時、私の身体の表面を覆う感覚が、見知った生物の気配を捉えた。この強烈な熱気、荒々しくも気高き生命の脈動。間違いない、リオレウスだ。私の探していた、運命の番。
愛おしさが胸に込み上げ、私は見えない足取りで彼へと近づいていった。声を上げ、自分がここにいることを知らせようとした。けれど――私の身体に返ってきたのは、激しい「痛み」だった。
鋭い爪が私の肉を引き裂き、熱い炎が私の身体を焼く。訳が分からなかった。なぜ? どうして愛するべき番が、私を攻撃するのか。私は混乱しながらも、必死に彼へ近づこうと歩み寄る。
しかし、再び容赦のない痛みが私を襲い、叩き伏せられた。見えない恐怖と、大好きなはずの相手から向けられる強烈な殺意に耐えかねて、私は命からがらその場を去るしかなかった。静かな洞窟に逃げ込み、傷を癒やす。
「……きっと、あのリオレウスのお眼鏡に叶わなかっただけだわ」
私は自分にそう言い聞かせた。リオレイアとしてのプライドが、拒絶された理由をそう解釈させた。私は諦めず、再び別のリオレウスの気配を探して這い出た。
そして、見つけた。また別の、力強い雄の気配。今度こそはと、期待に胸を膨らませて近づく。けれど……そこに待っていたのも、やはり言葉なき痛みという名の苛烈な拒絶だった。
その後も、同じようなことを何度も、何度も繰り返した。暗闇の中を彷徨い、リオレウスを見つけては、ただ純粋な愛を求めて近づく。そのたびに激しく傷つけられ、血を流し、縄張りから追い出される。何十回と拒絶の痛みを全身に刻まれ……私は、嫌でも理解せざるを得なかった。
私は……もう、「リオレイア」ではないのだ。そして、私がずっと求めていた「リオレウスという番」を得ることは、もう二度と叶わないのだと。自分の身体に触れてみる。
翼の形が違う。かつての黄金の鱗の滑らかさはなく、悍ましい異形の肉質へと変わっている。それどころか、顔には目すらない。今の私は、私が愛し、愛されたかった「リオレイア希少種」では、決してない。
リオレウスたちが私を攻撃したのは、求愛を断ったのではない。ただ、自分の縄張りに迷い込んできた「正体不明の不気味な怪物」を、本能的な恐怖のままに駆除しようとしていただけだったのだ。世界にただ一人、私は本当の孤独の中に、取り残されてしまった。
自分がもうリオレイアではないのだと自覚してからは、ただ絶望だけが塗り潰す毎日だった。暗闇に閉ざされた世界の中で、私は嫌でも理解させられてしまう。
私の身体から絶え間なく溢れ出るあの黒い霧――狂竜ウイルスが、周囲の生態系を容赦なく壊していくのを。私の見えない肌が、空気の震えを通じて、残酷な真実を私に伝えてくる。
さっきまで確かにそこに存在していた瑞々しい生命の気配が、私の吐き出す息のせいで、狂い、苦しみ、そして冷たい骸へと変わっていく。私の存在そのものが、この世界の毒なのだ。
「もう……諦めよう」
胸の奥で、何かがパチンと音を立てて千切れた。番を見つけ、子孫を残すという輝かしい夢は、あまりにも遠い幻だった。私は、生命の気配が限りなく薄い、忘れ去られたような洞窟の奥底へと這い進んだ。日の光すら届かないその深淵で、これ以上、環境を、生態系を壊すことがないように、己をこの場所に永遠に封印することを決めた。
そうだ、よく考えれば私は、あのシャガルマガラに敗れたときに、すでに一度死んでいる身なのだ。そんな亡者が、今更生者の真似事をして、番を得ようなどと大それたことを願ったのが、そもそも烏滸がましかったのだ。
私は自分にそう冷たく言い聞かせ、湿った冷たい地面の上に身体を横たえた。けれど、ただ絶望するだけではなかった。私の魂の奥底には、まだ一本の鋭い棘が残っていた。
――これなら、ウイルスは広がらない。あのおぞましいクソ野郎、私のすべてを奪ったシャガルマガラの狙い通りにだけは、絶対にさせてなるものか。奴のばら撒いた呪いを、私はここで、私ごと道連れにして窒息させてやる。
そう思うことで、私はわずかな誇りを取り戻し、ゆっくりと漆黒の翼を閉じ、意識を手放して深い、深い眠りについた。
◆
どれほどの時が流れたのだろう。日の光すら届かない暗闇の底では、時間という概念すら意味をなさず、ただただ長い、果てしない時間を眠り続けていたことしか分からなかった。
このまま世界の塵となって消えていくのだと、そう思っていた。けれど、その日は突然やってきた。
私の眠る、誰も寄り付かないはずの洞窟に、確かな熱を持った「来訪者」の気配を感じて、私は深い眠りから意識を浮上させた。私の肌が、チリチリと焼けるような強烈な感覚を捉える。
――ああ、この熱気は、リオレウスだ。しかも、ただの雄ではない。私がまだ誇り高きリオレイアだった頃に出会った、どんな個体よりも遥かに、圧倒的に強い気配。空の王者としての圧倒的な格を持った、凄まじい熱量だった。
「――おかしいな。泣いている女の子の気配を感じて来てみたんだが……」
洞窟の入り口から響いてきたのは、そんな呑気な声だった。声の主は、間違いなく規格外の強さを持っている。それなのに、どこかあどけなさが残るような、少し甘い雄だということが分かった。
ずしり、ずしりと、迷いのない足音がこちらへ近づいてくる。私はハッとして、自分の身体から溢れ出る黒い霧――狂竜ウイルスの存在を思い出し、焦燥に駆られた。
「これ以上、近づいたら感染するわよ……っ!」
私は暗闇の奥から、声を絞り出して警告した。もう、誰も傷つけたくない。誰も私のせいで死なせたくない。ここに来ちゃダメ。早くその翼で、眩しい大空へと帰って――そう願いながら、必死に彼を追い返そうとした。
しかし、そのリオレウスは狂竜ウイルスをまったく恐れる気配がなかった。それどころか、異形の外套を纏った私の悍ましい姿を見ても、怯むことも、逃げ出すこともしなかった。
「君か。さっきから泣いていたのは」
彼は事もなげにそう言うと、あろうことか私との距離を詰め、急接近してきたのだ。なぜ、逃げないの?頭の中が混乱で真っ白になる。私はもう、あなたが知っているような美しいリオレイアではない。黄金の鱗も、大空を舞う翼も失った。
身体の形だって、おぞましい化け物に変貌してしまっている。顔にすら、あなたを映す目すらないのだ。
「私を……見て言っているの?」
私は震える声で、見えない暗闇の彼方へと尋ねた。もちろん、私には彼の表情は見えない。またいつものように、化け物を駆除するための痛みが降ってくるのではないかと、身体が恐怖で強張る。でも、そのリオレウスは、はっきりと答えた。
「ああ、見ているよ」
と。私にとって『見られる』ということは、これまでずっと、『リオレイアとしての自分を見られる』という意味だった。美しい黄金の鱗を、陸の女王としての気高さを、番に相応しいかどうかを値踏みされることだった。
でも、このリオレウスは違う。彼が今、その瞳に映し出しているのは、かつての私の面影ではない。目の前で黒い霧を撒き散らし、鱗を喪失し、目すら持たない異形の怪物となった、私という存在そのものだった。その温かい視線の気配が、凍りついていた私の心を、静かに溶かしていくのを感じていた。
「君はどうしてこんなくらいところにいるんだ?」
暗闇の静寂を破る彼の真っ直ぐな問いに、私は感情を交えずつむぐように、素直に答えた。
「……見て分かるでしょう? 私の身体から溢れ出る、この黒い霧。これは触れるものすべてを狂わせる狂竜ウイルスよ。私はこれを、外の世界にばら撒かないためにここにいるの」
簡潔に、客観的な事実だけを教えた。もし、この洞窟の異変や不気味な気配を察知して見回りに来ただけなら、もう理由は分かったはず。私には何の価値もない。ただの動く毒塊。用は無いはずよ。ほら、分かったら早く、あなたの帰るべき眩しい大空へと帰って……。
しかし、私の願いを裏切って耳に届いたのは、これまでの人生で一度も、予想すらしていなかった言葉だった。
「君は優しい子だね」
低く、穏やかで、呆れるほど温かい言葉だった。その響きに心臓が大きく跳ねる。それと同時に、ずしり、と彼がさらに私との距離を詰めて近づいてくる気配が伝わってきた。
「なんでこっちに近づくの?! 本当に感染して死んじゃうわよ……っ!」
私は彼を心配するあまり、必死になって声を荒げた。遠ざけようと、自分の中に残る精一杯の威嚇の気配を放つ。あんなに、何度も何度もリオレウスたちに傷つけられて、もう二度と近づくまいと心に決めたのに。いざ目の前にいる彼が死ぬかもしれないと思うと、身体が勝手に彼を庇おうと動いてしまう。
でも、本当は――私の心が、私の魂が、彼が近づいてきてくれることを、どうしようもないほど歓喜して受け入れようとしているのが分かった。嬉しかった。ずっと求めていた温もりが、今、目の前にある。
そんな私の内心の葛藤を見透かすように、彼はなおも歩みを止めず、すぐ近くで静かに佇んだ。
「君はずっと、そうやってここに引きこもっていたのかい?」
その問いかけに、私は胸の奥の戸惑いを隠せないまま、小さく首を縦に振って肯定した。優しい子。その言葉が、私の頭の中で、凍りついた洞窟の壁に反射するように何度も何度も木霊し続けていた。
あまりの衝撃に、私は指先一つ動かせなくなってしまっていたのだ。呆然と立ち尽くす私に、彼はなおも距離を縮めてきた。引き留める間も、拒絶する間もなかった。
――そして、彼は私に触れた。
「……っ」
暖かい。その剥き出しの皮膚から伝わってくる温もりは、まるで、私がかつて黄金のレイアだった頃に大空で浴びていた、あの久しく忘れていた太陽の光そのものだった。
トクン、と胸の奥で心臓が大きく脈動するのが分かった。暗闇の洞窟に響き渡るほどに、激しく、大きく、私の心臓が脈動を繰り返している。生きている。私は今、この悍ましい化け物の身体で、確かに彼に触れられて生きている。
けれど、歓喜のすぐ後ろから、消えない恐怖が這い上がってくる。
「あなた……狂竜ウイルスが効かないの? 私に近づくどころか、直接触ってしまっているけれど……」
嬉しさよりも、やはり彼のことが心配になってしまう。もし、この温もりがただの痩せ我慢だとしたら…無理をして私に触れたことで、この目の前にある奇跡のような太陽が、私の毒のせいで失われてしまうかもしれない。そう思ったら、怖くて仕方がなかった。
けれど、彼は私の不安を吹き飛ばすように、あっけらかんと答えてくれた。
「効かないよ。俺の身体は頑丈だからな」
自信に満ちたその言葉に、私は心の底から安堵した。ああ、よかった。この人は私の毒に侵されない、本当の太陽なんだ。けれど、彼が次に紡いだ言葉に、私の心は完全に奪われてしまった。
「まあ、例えウイルスに冒されたとしても……泣いている女の子を見捨てて、1頭で去ることはしないよ」
頭を強く殴られたような衝撃が走った。かつて出会ったリオレウスたちは、私に近づくことすら拒み、ただの異形として容赦なく傷つけ、追い出してきた。それなのに、彼はもし命を落とすことになろうとも、化け物になった私を「女の子」と呼び、隣にいることを選ぶと言ってくれたのだ。
「怖くないの……?」
私の口から、絞り出すような小さな呟きが漏れていた。触れられた場所から伝わる彼の熱に眩暈を覚えながら、私はどうしても確かめずにはいられなかった。
「怖い?」
彼は不思議そうに、私の言葉を繰り返す。
「私の身体は、ウイルスだらけなのよ。いくらあなたに効かないとはいえ……私の見た目は、恐ろしくて、醜悪に違いないもの……。普通の生き物なら、見るだけで逃げ出すわ」
目が見えないからこそ、自分の姿がどれほど悍ましいものに変わってしまったのか、想像するだけで恐ろしかった。かつての美しい黄金の面影など、微塵も残っていないはずなのだ。けれど、彼は私の卑屈な言葉を遮るように、静かに問いを返してきた。
「……君は、俺を傷つけようとしているのか?」
「え……?」
虚を突かれ、私は言葉を失った。そんなわけがない。ないわよ。むしろ、あなたを大切に思って、傷つけたくないからこそ、こうして必死に遠ざけようとして――
「君は俺を傷つけようとしていない」
私の心の声を肯定するように、彼は真っ直ぐなトーンで言った。
「だから怖くない。怖いと思う理由がない。そして、俺は何も傷つかない」
頭の芯がジンと熱くなった。彼は、私を怪物として扱わなかった。ウイルスの有無でも、外見の禍々しさでもない。私の魂が彼に向けた「気遣い」と「優しさ」だけを正確に見て、恐怖ではなく、信頼を返してくれたのだ。こんな風に私を見てくれた存在は、今まで誰もいなかった。
「君の身に何があったのか、俺に話してくれないか?」
彼の声は、どこまでも穏やかで、深く、温かかった。今までに出会ったどのリオレウスよりも優しく、私のすべてを受け入れようとしてくれていた。
彼になら、私のすべてを打ち明けてもいいかもしれない。私は小さく息を吸い込み、固く閉ざしていた過去の扉を、彼の温もりに導かれるようにして、ゆっくりと開き始めた。
はい。悲劇のヒロインゴア・マガラ、正式には元リオレイア希少種の登場です。皆様正解できましたか?いやぁ…どうしてこうなったかと言うとですね…通常レイアは『レイア』、亜種は桜火竜だから『サクラ』と呼び名がつけれた。けど…金レイアはどう呼んだらいいのかが分からない…というわけでこうなりました。
14話でハンターが『あのレウスの「女誑し」もようやく鳴りを潜め、これ以上番が増えることはなかった。』さすがの魔王も、7頭の嫁たちによる完璧な監視網と底なしの義務に心底コリゴリしたのだろう』と言いましたけど…絶倫王の女誑しがその程度で鳴りを潜めるわけないじゃないですか。
そう言えば、金といえば金ビキニが流行っていましたけど、あれ何で流行っていたんです?
皆さんはこの中ならどれが読んでみたいです?
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著・ギルマス「赤い竜の君」
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巣立ちしたレウスの子ども達のその後
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ベビーシッターの一日
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レウスの夜の大運動会