だが……目の前にいるのが俺の本当の息子だということが確定しても、俺は我が子をその腕に抱き締める事が出来なかった。
(知らなかった……そんな言葉で、済む話じゃない……)
俺は今まで、この子を何年もの間、日の光すら届かない冷たくて暗い洞窟の中に、たった一人で閉じ込めてしまっていたんだ。
父親として会いに行くこともせず、生きていることすら気づかずに、一人で孤独に耐えさせていた。
どれほど寂しかっただろう。
どれほど…怖かっただろう。
どれほど…辛かっただろう。
俺が我が家でのんきに過ごしている間、この子は俺の鱗だけを心の拠り所にして、あの深い闇の底でじっと耐え忍んでいたのだ。
俺は……最悪の父親だ。父親失格なんだ。こんな俺に、今更「俺がお前のお父さんだ」なんて、偉そうに父親を名乗る資格なんかない……!
あまりの後悔と罪悪感に胸が押し潰されそうになり、俺はただ、翼を震わせたまま立ち尽くすことしかできなかった。
かけるべき言葉も見つからず、差し出すべき爪も動かない。だが――そんな俺の絶望を、目の前の我が子は、あっけらかんと吹き飛ばした。
「お父さん!」
あいつは、濁りのない黄金の瞳をキラキラ輝かせながら、真っ直ぐに俺を見つめて、大きな声でそう呼んでくれたのだ。
かつて我が子がずっと抱きしめていた鱗の主が、そして今、目の前で圧倒的な力を見せつけ、自分に戦い方の本質を教えてくれたこの赤い飛竜こそが、自分の探していた本物の父親なのだと。
あいつは五感のすべてでそれを理解し、何の疑いもなく、ただ純粋な憧れと親愛を込めて、俺の胸に飛び込んできた。
『お父さん!』というその響きが、張り裂けそうだった俺の胸の奥深くに、これ以上ないほど優しく、熱く突き刺さる。
父親を名乗る資格なんてないと思っていた。けれど、我が子はこんな俺を、間違いなく父親として求めてくれている…その事実が、俺の弱りきっていた魂を救い上げるように、心の底から、涙が溢れるほどに嬉しかった…!
「――ああ、そうだ。俺が、お前のお父さんだ……!」
俺はもう、自分を縛り付けていたくだらない罪悪感をすべてかなぐり捨てて、大好きな妻の面影と、俺の血を色濃く引いた愛しい我が子の身体を、ありったけの力で、強く、強く抱きしめ返した。
「僕、ずっとこの鱗の匂いを嗅いで育ったんだよ。だから、お父さんが目の前に現れたとき、すぐに分かったの。だって、この鱗とまったく同じ、あったかくて、すっごく強そうな匂いがしたから」
俺の胸にその小さな身体を預けながら、我が子は堰を切ったように、ぼろぼろと大粒の涙を流して泣いていた。
「ずっと…ずっと会いたかった!お父さん……!」
その健気で、あまりにも愛おしい叫びを聞いた瞬間、俺の目からも、もう溢れる涙を止めることができなくなっていた。視界が激しく歪み、涙が我が子の三色の鱗を濡らしていく。
「よく……産まれてきてくれた……っ! よく、たった一匹で生き延びてくれた! そして……よくぞ、ここまで強く、立派に成長したな……!」
力の限り、強く我が子を抱きしめる。その時、俺の翼爪を通じて、我が子の肉体の確かな『感触』がダイレクトに伝わってきた。
首回り、そして足腰の筋肉が、同年代の他の飛竜とは比べものにならないほど、異常なまでに強靱に発達している。
――ああ、そうか。お前はあの大岩を、俺が遺したあの壁を、自力で退かそうと、毎日毎日、何度も何度も死に物狂いで身体をぶつけ続けていたんだな。いつか外に出るための試練として…。
誰に教えられるでもなく、誰に褒められるでもない。暗闇の底で、たった一匹きりで、自分の力だけで、いつか俺に会うためにここまで肉体を鍛え上げ、生きて、生きて、生き抜いてきた。そのひたむきな努力の軌跡が、その引き締まった肉体から痛いほどによく分かった。
「お前は、俺の、俺たちの自慢の息子だ……」
彼女が命を懸けて遺してくれた奇跡の光。俺は我が子の頭を愛おしそうに何度も擦り寄せながら、もう二度と、この温もりを離さないと心に誓った。
「……リオレウス、本当に良かったわね」
背後から、ナナさんが静かに、けれど心からの祝福を込めて、優しく声をかけてくれた。
「ああ……ナナさん。本当に、あなたのお陰だ」
俺は我が子をしっかりと抱きしめたまま、振り返って心からの感謝を伝えた。あなたが、俺の臆病な背中を押して、もう一歩前に進むための覚悟を与えてくれたんだ。もし、あのまま俺が過去から逃げ続けていたら…今日、ここに、このタイミングで来なければ……我が子の命は、あのマガイマガドの爪によって完全に奪われていただろう。
あなたが居てくれたお陰で…あの時、俺に寄り添ってくれたお陰で……俺は我が子と、こうして生きて出会うことができたんだ……!
「あなたが居てくれて本当によかった。ありがとうございます、ナナさん」
「私は……ただ、あなたの傷を、少しでも癒してあげたかっただけよ……」
ナナさんは少しだけ照れくさそうに羽ばたいた。ふふ……本当に、どこまでも優しくて、気高いお方だ。
「……お父さん」
「なんだ?」
感動的な抱擁の最中…。
グゥゥゥ……と、静まり返った戦場にあまりにも正直で大きなお腹の音が鳴り響いた。他でもない、目の前の我が子からだ。
「僕、お腹空いちゃった」
「……ははっ、そうか。なら、腹いっぱい食べさせてやるさ」
俺は愛おしさに思わず口元を緩め、かつてあの暗い洞窟の底で、最愛の妻――ゴアに贈ったあの言葉を、今度はその血を引く我が子へとそっと語りかける。
「食べること、それ即ち生きること。新生活の幕開けには相応しい挨拶だ!」
俺は満面の笑顔で笑った。
のだが……。我が子の頭を撫でようとした俺の翼爪が、ふと空中でピタリと止まる。俺の脳裏に、ある致命的な疑問と、背筋が凍りつくような猛烈な悪寒がゾワゾワと湧き上がってきたのだ。
「……ん? ちょっと待てよ……」
冷や汗が流れる。あの大岩で完璧に封印された、生命の気配すらほとんどない暗闇の洞窟。
「お前……洞窟にいる間、一体何を食べて育ったんだ……?」
あそこには、他の生き物なんて入り込めるはずがない。あるのは……俺が数年前、狂ったように狩り集めて、彼女の死後の世界のためにと山積みにした、あの「供物としての肉」しかないはずだ。
まさか、な。そんなわけがない。だってあれから数年も経っているんだぞ?
「お父さんが残してくれたお肉を食べたよ!」
「……っ……そ、それは……その……腐っていなかったか?」
「うん、腐ってた!」
元気いっぱいの、これ以上ないほど爽やかな笑顔での即答だった。
「……………」
俺は完全に言葉を失い、その場にカチコチに凝固して絶句してしまった。みるみるうちに全身の血の気が引き、視界がスーッと白くなっていくのを感じる。
(わ、我が子の……この世に生まれ落ちて初めて口にした竜生最初の記念すべき食事が、数年間じっくりと熟成され腐り果てた、ただの腐肉……!!!)
常識で考えたら、孵化したばかりの幼体がそんな毒の塊を喰らえば、内臓がドロドロに溶けて即死してもおかしくない。というか、普通の生き物なら見るだけで卒倒するレベルの代物だ!
「ちょっと、リオレウス、大丈夫? 本当に顔色が真っ白よ……?」
背中のナナさんが本気で心配して声をかけてくるが、今の俺にはそれに応える余裕すらない。目の前の我が子は「え? 何か変なこと言った?」とばかりに、その黄金の瞳をくりくりと輝かせて小首を傾げている。
俺がが数年前に遺した最悪の腐肉を、持ち前の超規格外なハイブリッド遺伝子で難なくエネルギーに変換し、ここまで巨大に育ちやがった新時代の化け物。
俺は感動の涙を引っ込め、我が子のあまりにもたくましすぎる、そして不憫すぎる育ち方に、激しい動揺と「今すぐ新鮮な美味い肉をこれでもかと食わせてやらなきゃならん」という、別の意味での強い使命感を滾らせた。
しかし…もう一つ、疑問が湧いてくる。その悪寒は、さっきの衝撃から少し遅れて、より冷たく重い波となって俺の背筋を駆け上がってきた。
確かに、あの時俺は狂ったように獲物を狩り集め、これでもかと洞窟に詰め込んで供物として捧げた。だが、どれだけ詰め込んだところで、洞窟の広さには物理的な限界がある。
甘く見積もっても、孵化したばかりの幼い飛竜が成長しながら食い繋ぐとなれば、3ヶ月――いや、もって半年で綺麗に食べ終えてしまうはずの量だ。
数年モノの腐肉を全部食べさせてしまったという親としての深い後悔が再び脳内を全力疾走していくが……よし、一旦これは置いておこう。そして後で、夜にでも思い出してまた後悔しよう。問題はそこから先だ。
その備蓄の腐肉を食べ終えた後、この子は一体どうやって今日まで過ごしてきたんだ……?まさか、な。嫌な予感しかしないが、俺は恐る恐る我が子の顔を覗き込んだ。
「……一応聞くが、お前、その肉はいつ頃、全部食べ終えたんだ……?」
「うん! 生まれてから少しして全部食べたよ。雑菌がピリピリするスパイスみたいになってて美味しかった!」
「ああ……そうか……。うん、美味しかったなら……いや、美味しくはないだろ。……まぁいい、この後、もっと新鮮で美味しいものを山ほど食べさせてやるからな。じゃなくて! そのお肉を全部食べ終えた後、お前はどうやって過ごしてきたんだ?」
だって、あの大岩の封印は、今日まで完璧に閉ざされていたはずだ。肉がなくなったら、当然、お腹が空く。お腹が空いたなら、この子は……。
「うんとね、お肉がなくなっちゃってからは、お母さんのウイルスたちが岩の、ほんの小さな隙間から外に出てね、外の生き物から栄養を掠め取ってきてくれたの。それを僕が体の中で吸収してたんだよ!」
「…………」
つまり……だ。
「お前……あの肉を食べ終えてから今日までの数年間、自分の口からは……文字通り、何も口にしていないのか……?」
「うん!」
「………………………」
本日何度目か分からない、完全なる絶望の絶句が俺を襲った。今度ばかりは血の気が引くどころか、目の前が真っ暗になってその場に崩れ落ちそうになった。
(我が子が……俺の愛しい、たった一頭の息子が……。数年もの間、固形物を一切口にせず、ウイルスが外から栄養を掠め取って、それを吸収していた……それはつまり、霞を食うようにして生き延びていたということか……ウイルスたちが外から吸い取ってきた目に見えない微弱な栄養の残滓だけで、飢えを凌ぎ、命を繋ぎ、この暗闇の中でじっと生き延びてきた……!!!)
「ちょっと、リオレウス、しっかりしなさい……! 完全に目が白目を剥いているわよ!?」
ナナさんが慌てて俺の頭を叩くが、今の俺の心音はかつてないほどの激しさで乱れ狂っていた。
感動の再会?
威厳ある父親の説教?
そんなものは全部木っ端微塵に消し飛んだ。あるのは、我が子への不憫さと、自分の不甲斐なさへの怒り、そして――。
(今すぐ……! 今すぐこの大陸にいる全てのアプトノスを根絶やしにする勢いで、世界一新鮮で、美味い極上の肉を、こいつの腹がはち切れるまで詰め込んでやらなきゃならん……!!!)
という、父親としての、雄としての、狂暴なまでの「食育」への使命感だった。お父さんが残した大岩を自力で動かそうと数年間絶食状態で筋トレを続け、ウイルスの吸収だけで飛竜の規格を超える巨体へと成長しやがった、我がとんでもない息子。
「よし……っ、行くぞお前たち!! 狩りだ!! この世で一番美味い肉の盛大なる宴だァ!!! 誰一人として俺の邪魔はさせんぞ!!!」
「わぁい! お父さん、僕、いっぱい食べる!」
俺はボロボロに転がっているマガイマガドのことなど一瞥もくれず、大空へと爆発的な速度で飛び立った。ナナさんが「ちょっと、気が早すぎるわよ!」と呆れたように追いかけてきた。
◆
力強く羽ばたき、空を飛ぶ。しかし、すぐ近くから聞こえてきたバサバサ!という、なんとも下手くそで騒がしい羽ばたきの音に、俺は一気に冷静にさせられた。
音のする方向へ目を向けると、そこには我が子が一生懸命に、バサバサと力任せに翼を動かして、俺のあとをついてこようとしていたのだ……。
(ああ……そうか。この子は生まれてからずっと、あの狭く暗い洞窟の中にいたのだから、空の飛び方なんて分かるはずがないんだ)
戦闘経験の差でマガイマガドに圧倒されていた時もそうだったが、身体こそ並み以上に大きく育っているというのに、こうしてバサバサと下手くそな飛行をする我が子の姿は、現在、都で飛行訓練を行っている、あの幼い子ども達と全く同じだった。
我が子のそのあまりにも不器用で愛らしい姿を見て、思わず顔がニヤけそうになってしまう。
だが……これでは困ったな。こんなに大音量を響かせて飛んでいては、狩る前に獲物がすべて逃げてしまう。いや、たとえ逃げられたところで、俺たちの速度なら後からいくらでも捕まえられはするのだが……俺の狩りとは、可能な限りスマートに、かつ美しくこなさなければならないのが俺の流儀だ。
どうしたものか……と一瞬考えたが、すぐに案が思いついた。俺は一度大きく翼をすぼめると、必死に空気を引っ掻いている我が子の真下へと滑り込むように移動した。そして、そのままぐっと高度を上昇させ、我が子の身体を自分の大きな背中の上に乗せる。
「お父さん……?」
突然のことに驚いたのか、我が子が俺の背中の上で目を丸くして、不思議そうに声を漏らした。俺はそんな我が子の気配を愛おしく感じながら、前方の空を見据えて低く笑いかけた。
「お父さんの背中は大きいだろ?今度、上手に空を飛ぶ方法を教えてやる。だから、今は俺の背中で大人しくしていろ」
そう言って俺がさらに高度を上げる。
「わあ……!」
我が子は瞳をキラキラと輝かせ、俺の甲殻を翼爪でぎゅっと掴んだ 。
「お父さんの背中、すっごくあったかくて、すっごく広い……!それに、風が全然痛くないや!」
「ふふ、当たり前よ。あなたのお父さんは空の王者なんですもの」
少し斜め上を優雅に並走するナナさんが、楽しげに喉を鳴らした 。白い翼は、我が子の下手くそな羽ばたきとは違って、風を完璧に捉えて一寸の無駄もない 。
「空の王者……!お父さん、すっごくかっこいい!」
背中から伝わってくる我が子の純粋な尊敬の念に、俺の胸はこれまでにない誇らしさで満たされていく。それと同時に、あの都で、必死に親の後を追ってバサバサと不器用な羽ばたきを繰り返している幼い我が子たちの姿が脳裏をよぎり、今度こそ顔のニヤけを抑えることができなくなった。
(そうだ。身体はこんなに立派に育っていても、この子はまだ、飛び方すら知らない幼い子どもなのだ。これからは俺が、狩りの仕方も、空の飛び方も、世界がどれほど広くて美しいかも、すべてをその隣で教えてやらないと)
「よし、しっかり捕まっていろよ。最高の初陣、そして最高のご飯を狩りに行くぞ!」
俺は大きく翼を広げ、上昇気流を捉えて一気に加速した。背中に愛する我が子の確かな重みと温もりを感じながら、そして隣には傷を癒してくれた恩竜を連れて 。俺たちは、かつてないほどに力強く、そしてどこまでも輝かしい大空へと舞い上がっていった。
笑いあり、涙あり、それがレウス一家の日々なのですよ。まあ…息子が父親に会えたのが嬉しすぎて知能が著しく低下しているのはツッコんではいけない。
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