「……ふぅ。これで、ようやく一段落か」
最後の子供の身体を拭き終え、俺は大きく息を吐いた。小さい子は小さい子で加減が難しくて手が掛かる。大きい子は大きい子でシンプルに力が強く、油断すればこちらの腰が危ない。
しかも、ミツネの子供達は大きさも性格もバラバラだ。全員を風呂に入れ、身体を洗い、毛並みを整え、湯冷めしないように寝床へ送り届けるだけでも一苦労だった。
……これを毎日やっている俺は、やはりハンターというより保育士だな……。いや、保育士だってこんな規格外の子供達を相手にすることはないだろうが。
「ミツネ。子供達が風邪を引かないように、寝床を暖かくしてやってくれよ」
「ええ、もちろんですわ。いつもありがとうございます、ハンターさん」
ミツネは優雅に微笑み、大・中・小の子供達を引き連れて、都の奥にある広大な寝床へと戻っていった。
……本当に、愛情深い母親だ。
子供達への接し方はどこまでも丁寧だし、どの子にも分け隔てなく深い愛情を注いでいる。そこは元ベテランハンターの俺から見ても文句の付けようがない。ただし、子供が増える速度については、もう少し考えてほしいのだが。
「……そういえば」
道具を片付けていた俺は、ふと顔を上げた。
「マガド達はどうしたんだ? 今日はまだ姿を見ていない気がするが」
マガド。あのマガイマガドの雌であり、レウスが最後に番として迎えた新参の嫁だ。彼女もまた、レウスを深く愛している。先妻達に引けを取らないどころか、その純情で強烈な愛情の強さだけなら、ほかの嫁達に勝るとも劣らないだろう。
もっとも、彼女には先妻達とは明確に違うところがある。
それはレウスに対して、無理を強いることがほとんどないということだ。朝からゼクスに吸い尽くされ、年中ミツネに絞られている旦那の体調を誰よりも気遣う、非常に健気な気質の持ち主なのである。
「マガド達でしたら、いつも通りですわよ」
ミツネは振り返り、おっとりとした穏やかな笑みを浮かべた。
「親子仲良く、遊んでいらっしゃいますわ」
「……そうか。なら、少し様子を見に行くか」
あのゼクスやミツネに比べれば、マガドのところは精神衛生上すこぶる平和なはずだ。激しい放電もなければ、爆発的な増殖もない。
俺は使い終えた特注ブラシと桶を片付けると、少しばかりの癒やしを求めて、マガド達が懇意にしている広場へと足を向けた。
◆
「……おお」
広場に到着した俺は、思わず足を止めた。そこには、先ほどまでの風呂場の喧騒が嘘のような、実に平和な光景が広がっていた。
ぽかぽかと日当たりのいい草地。その真ん中で、マガドが大きな身体を丸め、我が子達を慈しむように包み込んで寝そべっていた。
彼女の身体は、黒と紫を基調とした重厚な甲殻に覆われている。背中や腕には、マガイマガド特有の、あの禍々しい鬼火を思わせる形状の突起が幾重にも並んでいた。普通、ハンターの視点からすれば警戒するはずの凶悪なビジュアルだ。
だが、今の彼女は完全に無防備だった。
目を細め、牙の覗く口元を優しく緩ませて、まるで日向ぼっこを楽しむ巨大な猫のようにくつろいでいる。そして、その周囲には――
「キュウッ!」
「グルルッ!」
「キュアッ!」
生まれたばかりの小さなマガイマガド達が、マガドの身体に嬉々としてまとわりついていた。一頭はマガドの頑丈な前脚にじゃれつき、もう一頭は温かい腹のあたりに「お腹すいた」とばかりに頭を押しつけ、また別の一頭は小さな爪を立てて背中の突起によじ登ろうとしている。
マガドはそのたびに「ふふ、気をつけてね」とでも言うように身体を少し傾け、子供達が落っこちないように大きな前脚や尻尾でそっと支えてやっていた。
やがて、一匹がマガドの顔へと短い前脚を伸ばした。小さな爪が、頬の分厚い甲殻にちょこんと触れる。マガドは目を開けると、その愛おしい我が子をじっと見つめ、鼻先でそっと優しく額を押し返した。
「グルルル……」
低く、けれどどこまでも優しい喉鳴らし。それを聞いた子供は嬉しそうに甲高い声を上げると、マガドの温かい胸元へともぞもぞと潜り込んだ。
すると、ほかの子供達も負けじと「ずるい!」と言わんばかりに集まってくる。気が付けば、マガドの身体は子供達の小さな塊でいっぱいになっていた。
それでも彼女は嫌がるどころか、むしろ愛おしそうに目を細めている。まるで、愛する旦那との間に生まれた我が子達に囲まれている今この瞬間こそが、何よりの幸福だと言わんばかりだった。
いや……実際に、これ以上ないほど幸福なのだろう。
「……ふふ……」
俺はしばらくの間、その尊い光景を特等席から眺めていた。……あのマガイマガドがこれか。もしも現役時代のハンターの後輩や、書士隊の連中がこの光景を見れば、腰を抜かして驚くか、新種の幻覚でも見ているのだと自分の目を疑うに違いない。
荒々しく、恐ろしく、紫の鬼火を纏って怒濤の勢いで獲物へと襲いかかる、恐るべき怨虎竜。そんな彼女が今では、子供達に全身をよじ登られようが、顔を前脚でペチペチと叩かれようが、ただただ嬉しそうにすべてを受け入れている。
母親というものは、強い。
……いや、レウスへの深い愛を知り、母親になったからこそ、彼女はこんなにも優しく、慈愛に満ちた姿になれたのかもしれないな。
先ほどまでのワンオペ育児の疲労が、その穏やかな空気感に触れるだけで、すうっと溶けていくのを感じていた。
「……あら?」
こちらの気配に気付いたのか、マガドがすっと顔を上げた。その周囲では、お母さんの動きに合わせて子供達がまだ「グルルッ?」「キュウ?」と不思議そうに声を上げながらまとわりついている。
「いや、邪魔するつもりはない。仲が良さそうで何よりだ」
俺が手を振ってそう言うと、マガドは安心したように目を細めた。そして、愛おしそうに再び子供達へと視線を戻す。一匹が彼女の頬に小さな顔をすり寄せると、マガドはその頭を大きな舌で優しく、丁寧に舐めるようにして愛情を示した。
……本当に、幸せそうだ。
穏やかな時間が流れる中、俺はふと、別のことを思い出した。
「そういえば、マガドはレウスと一緒にいる時も、ずいぶんと落ち着いているな」
もちろん、愛情が薄いわけではない。むしろ逆だ。マガドがレウスを見る目には、いつだって他の誰に向けるものよりも熱く、深い愛情が宿っている。
レウスが近くにいれば自然と大きな身体を寄せ、同じ空間に寄り添っていられる時間を何よりも大切にしているのが見て取れる。朝から力ずくで旦那を押し倒すゼクス達や、四六時中誘惑して家族計画を狂わせるミツネのような激しさこそないが、彼女の愛は、静かで、深く、そしてどこまでも一途だった。
「わたし、旦那様が元気で、こうして側にいてくださるだけで、胸がいっぱいになってしまうのです」
子供を愛おしそうに前脚で抱きかかえながら、マガドはどこか気恥ずかしそうに、けれど誇らしげにそう呟いた。
ほかの嫁達とは違う。あいつらは……まあ、なんだ。朝っぱらからレウスを襲撃することなんて日常茶飯事だ。本人がまだ寝ていようが、前日の疲れが残っていようが、お構いなしで欲望のままに突き進む。
レウスもレウスで、最終的には「しょうがねえな」と全部受け止めてしまうものだから、余計に歯止めが利かなくなっている。
それに比べて、マガドは絶対にそんな強行軍をしない。
レウスが寝ている時は、無理に起こさずその寝顔を愛おしそうに見つめている。疲れている時は、静かに隣へ行ってそっと身体を寄り添うだけにする。
そして、どうしても甘えたい時には、必ず――
『……旦那様。今日は、その、甘えたい日……なのです』
そうやって、顔をほんのり赤く染めながら、一言きちんと断ってから近寄るのだ。
……いや、別に正式な夫婦なのだから、そこまで律儀に遠慮する必要もないと思うのだがな。
しかし、彼女にとっては、その礼節と気遣いこそが大切なのだろう。レウスが自分を深く愛してくれていることを、彼女は一ミリも疑っていない。だからこそ、愛する夫の都合も、疲労も、気持ちもすべてを等しく尊重したいのだ。自分の欲求を一方的に満たすことより、愛する相手が無理なく自分を受け入れられる環境を優先している。
(健気すぎるだろ……。どっかの年中発情キツネや、朝一放電竜に爪の垢を煎じて飲ませてやりたいぜ、全く)
その一方で、甘えると決めた日は、レウスの隣からなかなか離れないらしい。……そこはまあ、愛情の深さということで納得しておこう。
「グルルル……」
マガドが再び優しく喉を鳴らした。子供達がその温かい音に反応し、いっそう彼女の身体へと身を寄せる。
一匹は母親の柔らかな胸元で丸まり、もう一匹は前脚にちょこんと顎を乗せ、残る子供達もそれぞれ一番落ち着く場所を見つけていった。
マガドは一匹ずつ確かめるように視線を巡らせ、全員が自分のすぐそばにいることを確認すると、満足げにそっと目を閉じた。
そのあまりにも幸せそうな姿を見て、俺は思わず苦笑した。
「……本当に、レウスのことも子供達のことも大事なんだな」
愛情が深いからこそ、相手を独占したい気持ちだって当然あるだろう。もっともっと甘えたい日だってあるはずだ。それでも彼女は、レウスが疲れているなら静かに待つ。レウスが休むべき時には絶対に邪魔をしない。自分の気持ちを一方的に押しつけるのではなく、ちゃんと言葉にして伝える。
……本当に…ほかの嫁達にも少しは見習ってほしいものだ。
少なくとも、朝から寝床に全力の交尾をかますのだけは、本当に勘弁してやってくれ。
「さて……俺も、そろそろ次の仕事に戻るか」
そう呟いて踵を返しかけた時だった。
「グルルッ!」
マガドの子供の一匹が、こちらへ向かって短い脚でトコトコと小走りにやってきた。
「ん?どうした?」
俺がその場にしゃがみ込むと、その子は嬉しそうに俺の手に頭をぐいぐいとすり寄せてきた。硬いながらもまだどこか瑞々しい甲殻の感触。……なるほど。お母さんが寝ちゃったから、今度は俺に遊び相手をしてほしいらしい。
「はいはい。少しだけだぞ」
俺が首のあたりを優しく撫でてやると、子供は喉を鳴らして満足そうに鳴いた。すると、それを見たほかの子供達も、母親のそばから「あっち楽しそう!」と言わんばかりに一斉に顔を上げる。
マガドは眠そうな目のまま、そんな元気な我が子達を視線で追いながら、実に穏やかな顔でクスっと鼻息を漏らしていた。どうやら「うちの子たちをお願いね」とのことらしい。
……ああ、これは長くなりそうだ。
俺は心の中で今日何度目か分からないため息をついた。
冷凍室の管理も、倉庫の在庫確認も、まだ残っているというのに。
とはいえ。こんな愛らしい無垢な光景を見せられてしまえば、無下に追い払うことなんて元ベテランハンターのプライドが許さない。
「……まったく。レウスの家族は、どいつもこいつも手が掛かる」
口ではそう吐き捨てながらも、俺の手は自然と、目の前に集まってきた小さなマガイマガドたちの頭を、交互に優しく撫で続けていた。
ぽかぽかと暖かい都の太陽に照らされながら、今日は洗濯日和だなと考え、時間は過ぎ去っていく。
◆
さてと……そろそろ仕事を再開するか。と思ったが、一向に仕事が進まない。いや、正確に言えば、仕事を進めようとするたびにどこからともなく邪魔が入るのである。
「おじちゃーん! あそぼー!」
「ねえねえ! こっち来て!」
「おんぶーっ!」
「……お前たち、さっきまで大人しく遊んでいただろうが」
広場で洗い立ての特大洗濯物を山ほど抱えた俺の周囲には、いつの間にか個性豊かな小さな幼竜たちが大集結していた。
右からライゼクスのチビがパチパチと火花を散らしながら服の裾を引っ張り、左からはタマミツネのチビが泡を出しながら突撃してくる。さらには後ろからティガやナルガのチビまで、次々と全力の遊びの誘いが飛んでくる。
もちろん、子どもたちに悪気などない。むしろ、俺を本気で信頼し、慕ってくれているからこそ、こうして全力で構ってほしいのだろう。それは理解している。
理解しているのだが……
「……洗濯物を干させてくれ。頼むから」
これだけの量を干し終えなければ、次のインフラ点検に行けない。
「い〜やっ!」
「ぴゃあ!」
「きゅう!」
だが、俺のそんな切実な願いは、幼竜たちの元気いっぱいで容赦のない鳴き声によって、あっさりと掻き消されてしまった。
朝からゼクスの子どもたちやミツネの子どもたちの世話に追われ、ようやく落ち着いたと思ったら今度はこれだ。洗濯に、倉庫の整理に、冷蔵庫の在庫確認。今日中に片付けなければならない仕事はまだまだ山積みなのである。
(……このままでは、日が暮れても終わらんぞ)
俺は深々と溜息を吐いた。そんな時だった。
「……ん?」
ふと、広場の少し離れた場所に目を向ける。
そこには、黒と赤、金の鱗と翼を持つ一頭の竜がいた。ゴア・マガラとの息子だ。昨日、レウスが連れて帰ってきたばかりのあの子である。
あいつは広場の端にある日当たりの良い場所で、異種族の兄弟たちが楽しそうに遊んでいる様子をじっと眺めていた。誰かに声をかけられれば、ちゃんと返事をしている。けれど、自分から輪の中に入っていこうとはしない。……なるほど。
(……まだ、周りに馴染めてねぇというか、甘え方が分からないのか)
昨日まで過酷な環境にいたせいか、それとも自分の出自を気にしているのか。
無邪気に俺へ突撃してくる他のチビどもに比べて、その一歩引いた佇まいは俺の目から見てもどこか危うく、そして酷く不器用に見えた。
昨日の様子を思い出す。突然、大勢の家族に迎え入れられたあいつは、嬉しそうではあったものの、どこか戸惑っている風だった。
それも当然だろう。長い間母親…と言っても、すでに魂の抜けた亡き骸ではあったが、それとたった二人きりで過ごしてきたのだ。ましてや、あの冷たい洞窟で深い孤独を経験してきたのだとすれば、誰かと一緒に過ごすということ自体が、まだ身体に馴染んでいないのかもしれない。
家族に歓迎されることと、家族に甘えること。
その二つは、似ているようで、きっと全く違うものなのだ。
「……ふむ」
俺は腕を組み、しばらくの間、真剣に考え込んだ。そして、自分の周囲で相変わらずわちゃわちゃと遊び回っていた子どもたちへと視線を向ける。
「……おい、お前たち」
「「「なーにー?」」」
元気な声が綺麗に揃った。俺は子どもたちを近くへ手招きし、彼らの耳元へ届くように少しだけ声を潜める。
「……あそこにいるゴア兄ちゃんが見えるか?」
俺の言葉に、子どもたちは一斉に小さな首を巡らせて俺の視線を追った。
「見えるー!」
「ゴア兄ちゃんだ!」
「昨日、パパが連れてきた子!」
「そうだ。あの兄ちゃん、まだ新しい家族に慣れていないらしいんだ」
「……なれてないの?」
一頭が不思議そうに大きな首を傾げた。
「そうだな。どうやら、誰かに甘えるのが少し苦手みたいだ」
俺は静かに頷く。孤独が長すぎた奴は、距離の詰め方が分からないだけなんだ。だったら、こっちからその心の壁を物理的にぶち壊してやるしかない。
「だから、お前たちの出番だ」
「「「……出番!?」」」
その瞬間、幼竜たちの瞳が、まるで宝物を見つけたかのようにきらきらと輝き始めた。
「そうだ。あの兄ちゃんに向かって――」
俺は、わざとらしくニヤリと笑い、一拍置いてから勢いよく言い放った。
「押しくら饅頭お昼寝の刑を執行してこい!」
「「「おひるねのけーいっ!!」」」
……うむ。実に良い反応だ。
「ルールは簡単だ。みんなで兄ちゃんのところへ行って、身体をくっつけて、一緒にお昼寝をする。兄ちゃんが困っていたら、優しく甘えてやるんだぞ」
「わかったー!」
「ゴア兄ちゃんとお昼寝するー!」
「ぎゅーってする!」
「ただし、乱暴に押し倒すんじゃないぞ。相手はまだ怪我人みたいなもんだ。あくまで優しく、だぞ」
「「「はーいっ!!」」」
元気な返事を聞き届け、俺は満足げに頷いた。
……さて。これで少しは、あの子も家族との距離を縮められるだろう。俺は山盛りの洗濯物をカゴごと抱え直し、広場の端へと向かって一斉にダッシュしていくカラフルな幼竜たちを見送った。
「……ゴア兄ちゃん!」
「……え?」
静かだった広場の片隅に、突然、割れんばかりの元気な声が響いた。ゴアの息子が驚いたように顔を上げた瞬間、先頭を切ったマガドの子どもたちが一斉に駆け寄っていく。
「一緒にお昼寝しよー!」
「ぎゅーっ!」
「ぼくもー!」
「えっ!? あ、あの……?」
完全に戸惑うあいつの周囲に、幼竜たちが津波さながら次々と集まっていく。小さな身体があいつの大きな脚に遠慮なく寄りかかる。背中にぴったりとくっつく子もいれば、翼の下へもぞもぞと潜り込もうとする子もいる。ゼクスのチビはパチパチと微弱な火花を散らしながら尻尾にじゃれつき、ミツネのチビはぬるりと滑り込みながらお腹の横に陣取った。
「うわっ、あ、あの……みん、な……?」
見たこともない異種族の弟妹たちに全方位から密着され、ゴアの子は完全にフリーズしてしまっていた。
「……ちょ、ちょっと待って……!?」
あいつはどうすればいいのか分からず、困惑した声を上げた。しかし、幼竜たちはお構いなしだ。
「ゴア兄ちゃん、あったかーい!」
「ここ、ふかふかー!」
「ねえねえ、寝よー!」
「……え、えっと……」
あいつは戸惑いながらも、幼竜たちを振り払おうとはしなかった。むしろ、どう接すればいいのか分からないなりに、小さな身体を傷つけないよう、そっと翼を優しく広げている。その翼の下へ、待ってましたとばかりに幼竜たちが嬉しそうに潜り込んでいった。
(……うん。悪くないぞ)
俺は少し離れた場所から、その様子をじっと眺めていた。最初は困惑していたあいつも、次第に子どもたちの無邪気な温もりに包まれ、がちがちになっていた身体の緊張をゆっくりと解いていく。
異種族の弟妹たちの体温に包まれるうちに、あいつの身体から少しずつ力が抜けていく……その様子を見ているだけで、何となく分かった
(……理屈じゃねぇんだよ、家族ってやつはな)
そう心の中で呟き、俺は口元に優しい笑みを浮かべた。
あいつが本当にこの都の家族として、甘えることを覚える日は、そう遠くなさそうだ。やがて、一頭の幼竜が彼の胸元へ頬を寄せた。
「……ゴア兄ちゃん、だいすきー」
「…………」
あいつは一瞬、言葉を失った。それから、ほんの少しだけ顔を伏せる。
「……うん。僕も……みんなのこと、大好きだよ」
小さく、ぎこちない声だった。けれど、確かにそこには、昨日までのあの冷たい洞窟にいた時とは違う、確かな温かさが宿っていた。その言葉を聞いて安心したのか、幼竜たちは満足したように、あいつの身体へ寄り添いながらすやすやと目を閉じていく。
……そして、数分後。
あいつもまた、たくさんの小さな弟妹たちに全方位から囲まれたまま、その温もりに身を委ねるようにして、ゆっくりと深い眠りに落ちていた。
「……ふむ」
俺は腕を組み、満足げに頷いた。
「……よし。お昼寝の刑、執行完了だな」
もちろん、これで俺の仕事が片付いたわけではない。洗濯物はまだまだ山積みだし、この後には倉庫の整理も残っている。それでも。昨日、ようやくこの都へやってきて家族の一員になったばかりのあの子が、こうして兄弟たちの温もりに包まれて優しく眠っている。
それだけで、午前中からワンオペで動き回っていた身体の疲れが、ほんの少しばかり軽くなった気がした。
「……まあ、家族なんだ。少しずつ慣れていけばいいさ」
俺はそう静かに呟き、幸せそうな寝息を立てる幼竜たちを決して起こさないよう、足音を忍ばせてその場を離れた。
……さて。今度こそ、誰の邪魔も入らないうちに洗濯物を全部干しちまわなければな。そんで、その後はたっぷり働いた身体に、いつも通りの少し遅めの昼食をがっつり流し込むとしよう。
◆
洗濯物を干し終えた俺は、ようやく昼食の時間を迎えることができた。倉庫の整理と冷凍庫の備蓄確認は昼食のあとにする。
そして俺の目の前には、朝食とは比較にならないほどの量が盛られた料理がドーン! と鎮座していた。
分厚い骨付き肉の山に朝よりも更に山盛りの野菜、そして腹持ちの良い穀物類。育ち盛りの竜達に負けず劣らず、俺自身も相当な量を食べるなと思う。
しかし、ここの子ども達の世話は、想像を絶する体力勝負なのだ。朝からライゼクスどもの放電を浴びながら風呂に入れ、身体を乾かし、遊びに付き合い、山のような洗濯物を片付ける。これだけ動けば朝飯で摂った分のエネルギーなんかあっという間に使い切っちまう。だから昼食も限界までしっかり摂らなければ、とてもじゃないが終業まで身体が持たない。
そして、今日は幸運なことに……
「……よし。静かだ」
もぐもぐと肉を噛み締めながら、先ほどの広場へと目を向ける。ゴアの大きな翼に包まれたチビ達は、未だに仲良くお昼寝の真っ最中だった。あの小さな身体で、新入りである兄ちゃんの翼を布団代わりにしているのだから、何とも微笑ましい光景である。
これなら、食事中に「おじちゃん!」と背後から突撃される心配もない。俺は心の底から安堵し、誰にも邪魔されない至福の食事へと、再び熱心に手を伸ばした…まさにその矢先だった。
「…………」
「…………」
肌をチクチクと刺すような、妙に熱い視線を感じた。顔を上げると、そこには数頭の竜達が静かに立っていた。
ゴアよりも年上――つまり、あいつの兄や姉にあたる、すでに成体に片足を突っ込んでいる大きな竜達だ。彼らは吠えるでもなく、暴れるでもなく、ただ俺の昼食をじっと無言で見つめている。
「……何だ? お前ら」
「…………」
「……腹が減ってるのか?」
問いかけても、明確な返事はない。ただ、その大きな瞳の視線だけが、俺の食事……いや、正確には食事の横に置かれた木箱へと釘付けになっていた。
そこに入っているのは、特製のドライフルーツ。普段、チビ達が良いことをした時や、おやつとして与えているものだ。保存も利くし、適度な甘みと栄養もあるため、幼竜たちの食いつきがすこぶる良い。
……そういえば、と思い当たる節があった。
「お前ら、普段チビ達がドライフルーツを食べてる時、後ろの方で妙に大人しく座って見てたよな?」
俺がそう呟いた瞬間、竜達の耳がぴくりと同時に反応した。
「…………」
「……まさか、お前ら」
俺は木箱の容器を手に取り、並んだ竜達の顔をまじまじと見比べた。
「弟妹達が美味そうに食べてるドライフルーツ……本当は自分たちも食べたかったのか?」
「…………」
否定はしない。だが、プライドがあるのか肯定もしない。ただ、視線だけが容器の動きに合わせて上下左右に執拗に動き、完全に離れなくなっている……なるほどな。
「お前ら、お兄ちゃんお姉ちゃんだからって、チビ達に譲って我慢してたんだな?」
その健気な胸の内を察した瞬間、俺の口元からは、呆れとも愛おしさともつかない苦笑が漏れてしまう。
弟や妹達が楽しそうにおやつを食べている。自分達だって本当は食べたい。だが、年上だから。兄や姉だから。小さい子達の分を取ってはいけない。そんな風に、あいつらなりに考えて、ずっと我慢していたのだろう。何ともまあ……。
「お前ら、変なところで遠慮するんだな」
俺は思わず苦笑した。身体はすでに立派に成長している。力だって強い。今では弟妹達から頼られる立派な存在でもあり、保育部屋を卒業して本当の意味で巣立つ時はすぐそこまで迫っている。
それなのに、たかがおやつ一つで、こんなにも分かりやすく物欲しそうな顔をするとはな。
「……別に、我慢する必要はねぇぞ」
俺は木箱を持ち上げ、中から大粒のドライフルーツをいくつか取り出した。
「チビ達の分はちゃんと別に在庫を確保してある。これは、いつもお留守番や弟妹達の面倒を頑張っている、お前らの分だ」
「……!」
その瞬間、竜達の目がぱっと輝いた。
「ただし、食べ過ぎるなよ。さっきお前たちは昼飯を食った直後なんだからな」
そう釘を刺しながら、俺は手のひらのドライフルーツを空中へとひょいと放り投げる。竜達はそれを大きな口で器用に、パチン、パチンと小気味よい音を立てて空中キャッチし、嬉しそうに咀嚼して食べていった。
最初はどこか申し訳なさそうに遠慮がちな目をしていたが、ひと口、またひと口と甘みが口いっぱいに広がれば、たちまち表情が蕩けるように変わっていく。
……ああ、そうか。身体はどれだけデカくなろうが、こいつらも、中身はまだまだ甘えたい盛りの子どもなんだな。
「美味いか? なら良かった。……ほら、まだあるから喧嘩しないで順番に食べろよ」
巨体を律儀に並べておやつをねだる年長組の頭を、俺は空いた手で順番にポンポンと叩いてやるのだった。弟妹達の面倒をいつも見ているからといって、いつまでも完璧な大人でいられるわけじゃない。甘いものが食べたい時だってある。本当は、誰かに甘えたい時だってあるのだ。
「……ほら、もっと欲しいなら言え。お前らの分なら、ちゃんと後で追加で用意してやるからな」
俺が頭を撫でながらそう言うと、竜達は少しだけ気恥ずかしそうに、けれど嬉しそうに喉を低く鳴らした。
「まったく……。どいつもこいつも可愛いところがありやがるぜ」
俺は再び、自分の昼食へと向き直る。今日中に片付ける予定だった仕事の多さを考えれば、昼休みはまだ始まったばかりだ。肉を口に運びながら、健気なお留守番組の巨体を見つめる。
……まあ、こういう賑やかで温かい休憩も悪くない。そこで、俺の脳裏にひとつの妙案が浮かんだ。
「あ、そうだな……。お前ら、おやつのお礼と言っちゃなんだが、ちょっとこの後の俺の仕事、手伝ってくれないか?」
俺がそう提案すると、竜達は不思議そうに首を傾げた。
「あのチビ達を倉庫や冷蔵庫に入れると、摘み食いやらで中身をぐちゃぐちゃの玩具箱にされちまうが……お前らなら分別がつくもんな。特大の資材を運んだり、補給物資を整理するのを手伝ってほしいんだ」
力は成体並みに強く、知性はチビ達より遥かに高い彼らなら、これ以上ない最高に頼もしいアシスタントになってくれるはずだ。
「よし決まりだ。少しぐらい、ワンオペのシッターが楽したってバチは当たらねえだろ?」
俺はそう悪戯っぽく笑うと、残りの昼食を一気に胃袋へと流し込んだ。
昼と続けば次は…
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