だいたいゴリラのせい 作:ゴリラ13
雄英高校を出て、最寄り駅へと続く道を歩く。
頭上には、まだ高い位置から陽の光が降り注いでいた。
時刻は昼過ぎ。
初登校だったというのに、朝から濃密すぎる半日を過ごしたせいだろう。緑谷はどこか身体の芯に残る疲労を感じながら、右手へ巻かれた包帯へ視線を落とした。
幸い、リカバリーガールの治療を受けたことで指の怪我は治っている。
もっとも、治癒力を活性化させた反動による疲労までは消えてくれない。家に帰ったらすぐにでも眠ってしまいそうだった。
「しかし……まさか、教師が生徒へ嘘をつくとはな」
隣を歩いていた飯田が、不意にそんな言葉を口にする。
「え?」
「今日の個性把握テストのことだ。『最下位は除籍』という、あの発言だよ」
「ああ……」
思い返してみれば、とんでもない話である。
入学初日。まだまともな授業すら受けていないというのに、突然始まった個性把握テスト。
しかも、最下位は除籍などという条件まで付け足されたものだ。
結果として除籍そのものは嘘だったわけだが、それを知らなかった自分たちからすれば堪ったものではない。
特に緑谷は、実際に最下位という結果に終わっている。
もしもあの言葉が合理的虚偽などではなく、本気で告げられたものだったなら。自分は今頃、こうして飯田や麗日と並んで帰ることすらできていなかっただろう。
「生徒の最大限を引き出すための『合理的虚偽』……。確かに、あの宣言があったからこそ、我々は普段以上に自分の個性と向き合い、全力で結果を残そうとした」
飯田は眼鏡の位置を押し上げながら、難しい顔をする。
「だが、教育者が生徒へ虚偽の情報を与えることで奮起を促すとは……。正直、未だに納得すべきなのか判断に迷っている」
「飯田君、真面目だね」
反対側を歩いていた麗日が、少し可笑しそうに笑った。
「私は除籍じゃないって分かった時、もうそれだけでホッとしちゃったよ」
「もちろん俺も安心した! しかし、それと教育方針に対する疑問は別問題だ!」
「はは……飯田君らしいね」
緑谷も思わず苦笑したが、その表情はすぐさま引き締まった。
確かに、『最下位は除籍』という言葉は嘘だった。
けれど──今日のテストで突きつけられた現実まで、嘘になったわけではない。
自分には、まだ出来ないことが多すぎる。
相澤から言われた通り、腕一本を犠牲にしていた頃と比べれば多少はマシになったのだろう。だがそれでも、個性を使うたびに自分の身体を壊していることに変わりはない。
今日のテストで、自分に足りないものが山ほどあることを思い知らされた。
だからこそ──ここからだ。
出来ないことがあるのなら、一つずつ出来るようになればいい。
託された力を使いこなせるように。
自分自身を傷つけることなく、誰かを救けられるように。
いつか、胸を張ってヒーローを名乗れるように。
(もっと、頑張らなきゃ……!)
改めてそう心に決めた──その時だった。
「でも、すごかったよね!!」
「え?」
突然そんなことを言われ、緑谷が顔を上げる。
麗日は緑谷の右手を指差していた。
「ボール投げ! ものすごく飛んでたから!」
『ビュ──ンッ!! って!!』と、興奮したように両手を大きく広げながら、麗日が笑う。
「私、見ててビックリしちゃった!」
「う、うん……でも、結局怪我しちゃったし……」
褒められるのは嬉しい。
けれど、つい先ほどまで考えていたこともあって、素直に喜ぶことはできなかった。
「相澤先生にも言われたけど、まだちゃんと個性を使えてるわけじゃないんだ。今回はどうにか上手くいっただけで……」
「それでもだよ!」
「え?」
まだ何か言おうとする緑谷を制するように、麗日はにっこりと笑った。
「だって、あんなに飛んだんだよ? 私、見た瞬間『わあっ!』ってなっちゃったもん!」
「そ、そうかな……」
「そうだよ!」
迷いのない返事だった。
自分では、出来なかったことや足りないところばかりが目についてしまう。
けれど麗日は、そんな緑谷とはまるで違うところを見ていたらしい。
あの一投を見て驚いた。
ただそれだけのことを、何の迷いもなく笑顔で伝えてくれている。
「ホント、ビックリしたよ。デク君!」
「…………」
そこで、緑谷は僅かに反応した。
「……あ、あの、麗日さん」
「ん?」
「その……『デク』っていうのは……」
少し言い淀みながら、緑谷は頬を掻く。
「かっちゃんが僕を馬鹿にしてつけた呼び名なんだ。『
「えっ!?」
麗日の目が大きく見開かれた。
「ご、ごめん! 私、そんな意味だって知らなくて……!」
「いやいや! 麗日さんが謝ることじゃないよ!」
慌てて緑谷は両手を振った。
「昔からそう呼ばれてたし、麗日さんは知らなかったんだから!」
「でも……」
申し訳なさそうに眉を下げる麗日だったが、やがて何かを考えるように小さく首を傾げる。
「……でも、『デク』ってなんか……頑張れって感じで好きだなぁ、私っ!」
「デクです!!」
ほとんど反射だった。
「緑谷君!!? 浅いぞ!! 蔑称なんだろう!!?」
「い、いや、これは、その……!」
別に、今まで嫌だった呼び名を一瞬で好きになったわけではない。
ただ女の子から、蔑称とはいえ自分の呼び名を『好き』だと言われたことなんて、生まれて初めてで──。
「~~~~っ!!」
遅れて押し寄せてきた恥ずかしさに耐えきれず、緑谷は両手で顔を覆った。
熱い。絶対に今、顔は真っ赤になっている。
「あ、あれ? デク君?」
「コペルニクス的転回……」
そのまま顔を覆いながら歩く緑谷を、麗日は不思議そうに見つめている。
そんな何とも言えない空気のまま、三人でしばらく駅へと歩いていると──。
「──それはそうと、緑谷君」
気を利かせたのか。
あるいは単純に別の疑問を思い出しただけなのか。
飯田が唐突に話題を変えた。
「君は、随分とヒーローに詳しいようだな」
「あ……うんっ」
ようやく顔から手を離しながら、緑谷は頷く。
「昔からヒーローのことを調べるのが好きで……」
「やはりそうか。今日も相澤先生の個性を見ただけで、『イレイザーヘッド』だと気づいていただろう?」
「うん。相澤先生はアングラ系ヒーローだから、あまりメディアには出ないんだけど……昔、少し調べたことがあるんだ」
「なるほど」
飯田は納得したように頷く。
「ならば、近藤先生についても知っているのかい?」
そう問われ、緑谷は返答に詰まった。
知っているか、知らないかで言えば知っている。
けれど、相澤の時のように詳しく説明できるかと聞かれれば、話は別だった。
「えっと……知ってる、には知ってるんだけど……。あんまり詳しくは知らないというか……」
「そうなの?」
麗日が不思議そうに首を傾げる。
「デク君、相澤先生のことはすぐ分かってたのに」
「うん。前に調べたことはあるんだけど……妙に情報が少ないヒーローで。それに、近藤先生がその人だって気付いたのもついさっきなんだ」
緑谷の脳裏に、先ほどの光景が蘇る。
爆豪が怒声を上げ、自分へ向かって飛び出したあの瞬間。
相澤の捕縛布を力任せに引き千切り、爆発の勢いを乗せて迫る爆豪よりも早く間へ割って入ったかと思えば、振り抜かれる寸前だった腕を片手で掴み、そのまま暴れる爆豪を軽々と持ち上げてみせた。
それまで相澤に拘束され、地面に転がされていた男からは想像もつかないほどの身体能力。
そして何より、あの時になって改めて目にした近藤の服装に、緑谷は見覚えがあった。
黒を基調とした、軍服を思わせる詰襟の隊服。
身体に沿った細身の上着には金色の縁取り。下には細身の黒いパンツとブーツといった、簡素ながらも一目見れば記憶に残る特徴的なヒーローコスチュームだった。
以前、ヒーローについて調べていた時に目にした数少ない写真。
そこに写っていた男の姿と、あのとき目の前にいた近藤の姿がようやく緑谷の中で結びついたのだ。
「ヒーロー名は『ゴリラ』。個性は確か――」
そう言いながら、緑谷は背負っていたリュックを下ろす。
中から取り出したのは、使い込まれた一冊のノートだった。
ぱらぱらと捲り、まだ使われていないページを開いてみせると、記憶を頼りにとある三文字を書き込んだ。
「――『剛理裸』だったと思う」
「……ごう、り、ら?」
横からノートを覗き込んだ麗日が、そこに書かれた文字を一字ずつ読み上げる。
「うん。『剛』に『理』、それから『裸』って書いて『剛理裸』。読み方はヒーロー名と同じで『ゴリラ』だったかな……?」
「…………」
「…………」
再び、二人が黙った。
「ヒーロー名が『ゴリラ』で、個性の名前も『ゴリラ』か……。なんというか、随分とゴリラ尽くしだな、近藤先生は……」
飯田が何とも言えない表情でノートを見つめる一方、麗日は別のところが気になったらしい。ノートへ顔を近づけると、『剛理裸』の最後の一文字をまじまじと見つめる。
「……裸?」
「そこ、気になるよね」
緑谷も初めてプロフィールを見た時、まったく同じところで引っ掛かった。
『剛』は、恐らくそのまま肉体の強さを表しているのだろう。
『理』についても、個性の仕組みや性質に由来するものだと考えれば、まだ何となく理解できる気がした。
だが、残る最後の一文字――『裸』とは何を意味しているのか。
少なくとも、緑谷が調べた限りでは、その答えに辿り着くことはできなかった。
「詳しいことは公表されてないんだ。分類としては増強系で、自分の……おそらく身体能力を強化する個性らしいんだけど……具体的にどういう仕組みなのかまでは載ってなくて」
「なるほど。だから先ほど、爆豪君をあれほど簡単に止められたのか」
「多分……」
緑谷は頷きながら、先ほどの光景を思い返す。
爆発の勢いを利用して飛び出した爆豪へ一瞬で追いついた速度。
その腕を真正面から片手で受け止めた腕力。そして、激しく暴れる人間一人を苦もなく持ち上げ続ける膂力……。
公表されている『増強系』という情報を考えれば、確かに説明はつく。
「前に調べた時から、謎の多いヒーローだとは思ってたんだけど……。あんなに身体能力が高いなんて、正直驚いたよ」
「そうなの?」
「うん。『ゴリラ』って、活動歴の割に戦ってるところの資料がほとんど残ってないんだ」
緑谷は昔の記憶を辿っていく。
プロヒーローについて片っ端から調べていた頃、彼についても一度詳しく調べようとしたことがあった。
名前を検索すれば、確かに情報は出てくる。
パトロール。
地域の防犯活動。
交通整理。
事故現場での救助。
瓦礫撤去。
イベントの警備。
長年活動しているだけあって、ヒーローとして仕事をしている記録そのものは決して少なくない。だというのに──。
「ヴィランと本格的に戦ってる映像になると、急にほとんど見つからなくなるんだ」
「む?」
飯田が眉を上げた。
「それは妙だな。長く活動しているプロヒーローなのだろう?」
「うん。僕もそれが不思議で」
活動歴が長いのなら、それだけ多くの事件へ遭遇しているはずだ。
まして、今日見せた身体能力。
決して戦闘を不得手としているヒーローには見えない。
それなのに、探しても探しても出てくるのは、黒い隊服のようなコスチュームを身につけて人助けをしている姿ばかり。
ヴィランと戦う姿。
本気で個性を使う姿。
その実力が分かるような映像となると、不自然なほど見つからなかった。
「だから僕も、名前とちょっとしたプロフィールくらいしか知らないんだ。個性のことも、どれくらい強くなれるのかとか、どういう条件で発動するのかとか、そういう詳しいことは全然」
「知識が豊富なデク君でも?」
「うん……」
緑谷は小さく頷く。
そして、そのまま考え込むように顎に手を添え視線を落とした。
「活動歴は長いのに、ちゃんとした戦闘映像はほとんど残ってない……。個性も増強系ってことしか公表されてなくて、具体的な能力も発動条件も不明……。でも今日の動きを見る限り、単純な筋力強化だけじゃない……? かっちゃんが動き出した後から僕らの間に割って入ってるなら、反応速度も相当高いはずだ。それに、爆発の勢いが乗った腕を片手で止めて、そのまま暴れるかっちゃんを簡単に持ち上げてた……。筋力だけじゃなくて、瞬発力や反応速度まで強化してる? そもそも『剛理裸』の『裸』って何なんだろう……? 普通に考えれば個性の性質に関係してるはずだけど……。映像が少ないのも変なんだよな……。活動記録そのものはあるのに、戦闘してるところだけほとんど残ってない。偶然にしては偏りすぎてるような……もしかして個性そのものに、撮影できない何かが──」
「で、デク君?」
「……え?」
麗日に声を掛けられ、緑谷はようやく顔を上げた。
いつの間にか、自分の世界へ入り込んでいたらしい。
隣では麗日が少し困ったように笑い、飯田も何とも言えない顔でこちらを見ている。
「す、すみません……」
「いや、謝る必要はないが……」
飯田はそう前置きしてから、顎へ手を添えた。
「しかし、確かに奇妙なヒーローだな。活動歴が長いにもかかわらず、個性の詳細も実力もほとんど知られていないとは」
「うん……」
緑谷も小さく頷く。
プロヒーロー、近藤勲こと『ゴリラ』。
実際に接したのは、まだほんの半日にも満たない。それでも、自分がこれまで知っていた情報など、あの人のほんの一端に過ぎなかったのだと思い知らされた。
何故、あれほどの身体能力を持つヒーローの戦闘記録がほとんど残されていないのか。
『剛理裸』とは、本当はどのような個性なのか。
そして何より……あれほど簡単に拘束され、地面に転がされ、椅子にまでされていたあの男が──本当の現場では、一体どんな活躍を見せるのか。
「プロヒーロー、ゴリラかぁ……」
緑谷は小さくその名を呟く。
今日だけでも、随分と奇妙な姿を見せられた。
騒がしくて、同僚である相澤に散々怒られて、挙げ句の果てには捕縛布で簀巻きにされて地面へ転がされていた。そんな、一見すればとてもプロヒーローとは思えないような先生。
だが、生徒に危険が迫った瞬間には、誰よりも早く動いてみせた。
「…………」
思い返すほど、よく分からない。
(近藤先生って……一体、どんなヒーローなんだろう?)
その疑問への答えを緑谷が知ることになるのは──そう遠くない未来のことだった。