「退屈…退屈だー。あ〜屋台に梅ラムネ飲みに行きたいなぁ」
D.U.に居を構えるヴァルキューレ警察学校本校。その一角、生活安全局のフロアでマチコは机に突っ伏していた。
デスクの両脇には椅子に座った彼女の頭よりも高くダンボールや書類が積み重なり今にも雪崩を起こしそうになっている。
先日のムーンシャイナー(アルコール密輸犯)との追跡劇の最中に生じた様々な損害の報告書と反省文の束だ。
これが尋常ではない。
ヴァルキューレ警察学校は連邦生徒会の麾下で治安維持を行う公的機関であり全ての行動は書類と申請のもとで行われる。
業務を始める前に移動手段や使用する装備、移動に使うルートまで上に申告し業務中に事案が発生し対処を終えたら使った弾の数まで報告書に纏めなくてはならない。必要ならば撃ち殻薬莢の回収まで行うこともある。各校の自治組織に比べても膨大で煩雑な手続きがパトロール一つにさえかかるので口さがない市民からは『ヴァルキューレは事件が終わってから出動する』、『行っても負けるし間に合わない』と対応の遅れがもはや共通認識になっている始末。
こと生活安全局地域課自動車警ら隊のエースであり検挙数トップ、そして車両全損数ワーストワンのマチコともなると事後の作業量がそれはもうとんでもないことなってしまうのだ。
「そういえばフブキのやつが自動で報告書作ってくれるツールを開発してるって言ってたっけ…いやさすがにダメか」
やや怠け者の可愛い後輩の悪知恵を借りようかと一瞬思ったマチコだったが機密を含めた情報をネットに繋ぐことのリスクに踏み止まる。
懲戒で内勤を命じられでもしたら血の代わりにハイオクが流れているタイプの人間であるマチコは3日と保たずにエコノミー症候群になってしまうであろうことは想像に難くない。
「きゅぃ」
「ん?なにテン助」
傍らで特製ペレットフードを嗜んでいたテン助が腰から外され机の隅に置かれていたガンベルトを持ち上げマチコの顔を見上げた。マチコはその意図を理解して悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「なるほど。お主も悪よのう」
「きゅっきゅっきゅ」
マチコとテン助は顔を見合わせて頷くと銃や予備弾倉が収められたデューティベルトを掴み席を立った。
「課長、今月の射撃訓練がまだ済んでいなかったので行ってきます」
「え?あ、待って報告書は」
「あとでしまーす」
窓に面したデスクで扇子を仰いでいた課長が反応するより先に部屋から出たマチコは軽くウインクして足早に去っていった。
「逃げるなぁぁぁ!書類から逃げるなぁぁぁ!」
「課長、こちらにサインを」
「うわーん!私も連れてってよー!」
サイン待ちの部下に囲まれデスクワークですっかり尻が重くなった課長の慟哭が廊下に響く。行き交う生徒たちは何事かと一瞬立ち止まるが、すぐに廊下を駆けていくマチコの姿に「なんだいつものか」と再び歩き出した。
「お邪魔するよー」
返事の代わりに返ってきたのは銃声と打撃音。
校舎の地下に設けられた訓練所では細かく区分けされたゾーンごとに実戦的な逮捕術やCQBの訓練やシミュレータを使った射撃、より初歩的な姿勢や構え方の練習などを各々のヴァルキューレ生徒が思い思いに行っていた。
「さてさて空きがあるかなっと」
訓練所のスペースの大部分を占める射撃場に向かっていると1人盛んに銃声を鳴らしている婦警の存在に気がついた。
「キリノか、相変わらず精が出るね」
中務キリノ。生活安全局の後輩で真面目な良い子だ。キリノは近づいてくるマチコに気がつくと構えを解き元気いっぱいな挨拶を送る。
「先輩!お疲れ様です!今から訓練ですか?」
「うんうん元気があってよろしい。そうだよちょっと気分転換にね」
「そうなんですね……うーん、よし」
マチコが言うとキリノは何かを考える仕草をしたあと意を決したように一歩前に出た。
「もしよろしければ本官の指導をご教授願いたいです!」
「いいよ」
「本当ですか!やったー!」
バンザイするキリノにマチコは「可愛いなぁ」と思わず笑みを溢す。
真面目で社交的、市民からの受けも良い理想的なお巡りさんであるキリノだが一つだけ大きな悩みを抱えている。
「どうしても的に当たらなくて…最短距離でもこの有様で」
見れば5メートル先にあるマンシルエットは傷一つない綺麗な状態だった。
彼女は壊滅的に射撃の腕が下手なのだ。的を狙えば隣の人に、犯人を狙えば人質に。彼女が撃つ弾は当たって欲しいものには当たらず当たってはいけないものに当たってしまう。
「銃の整備は万全だったのですがまさかバレルが曲がってる?」
「ちょっと貸してみて」
「はい!」
キリノから受け取った第3号ヴァルキューレ制式拳銃のシリンダーをスイングアウトし空薬莢と新しい実弾を入れ替える。
シリンダーを戻して右手で銃を保持し左手はベルトのバックルに添えて動かさない射撃競技の構え方であるブラウニングスタンスで構える。
「ガタつきや目に見える歪みは無さそうだけど」
身体から余計な力を抜き人差し指だけで軽く引き金を引く。
ハートに3発、頭に2発。正確にリズム良く発砲音が響き的が揺れる。
「うんやっぱ.38スペシャルはマイルドで撃ちやすいね。さてさて狙い通りに当たってくれたかな?」
「は、え?」
手元のボタンを押し弾着確認と交換の為にターゲットを引き寄せる。
「銃に問題は無さそうだ」
「ワンホール…」
ターゲットの人型は頭と胸の中心に円を維持したまま弾の口径と比較して大きめの穴が開いていた。
「これが近代5種金メダリストの実力ですか」
「中学の話だから時効だよ時効」
銃を触り異常がないことを確認したマチコは感服しましたと背筋を伸ばすキリノに苦笑した。
「はい次はキリノの番」
「え、はい…」
「大丈夫、あれはただの的。助けてもらったのにクレーム入れてくる不届者じゃない」
「えー…警察官としてその言い方はちょっと…。でも先輩が言いたいことはわかりました。力まずにやってみます」
マチコのお手本と自分の惨状の落差に気が引けたのか少し躊躇うキリノに銃を握らせ背後に立つ。
「肩の力を抜いて指先に集中しな。保持するのは手伝ってあげるから」
「ひゃ」
マチコに背中から手を回され銃を構える補助をされたキリノは突然の密着に驚くも的からは眼を逸さなかった。
「リラックスリラックスそっちのタイミングで撃って良いよ」
「は、はい当たってください!」
パンッと軽い銃声が鳴り的が揺れた。10メートル先。こっそり距離を離したターゲットの腹の真ん中に穴が空いている。
「あ、当たった…?当たりました!」
「うん見た。やれば出来るじゃん」
「ありがとうございます!先輩!」
まさか補助つきとはいえ自分の手で狙い通りの場所に当たるとは思ってなかったのかキリノは感激した様子でマチコの手を握った。
後輩の明るい様子にマチコも釣られて笑みを浮かべるが同時にあることに気がついた。
「キリノさ。トリガーが重いんじゃない?」
「え?」
「引き金を引く時に右腕に余計に力が入ったように感じてさ。わざと重くしてる?」
マチコの問いにキリノは顎に手をあて少し考えたあとハッとしたように顔を上げた。
「あ、そういえば以前に教官から『ただでさえ当たらないのに暴発でもしたら目も当てられない』と銃のセッティングを変えてもらったんでした」
「その時きっとトリガープルを不意に引っ掛けても暴発しないところまで重くしたんだろうね。個人的にはあと3ポンド軽くしても良いと思う」
「なるほど」
彼女は安全マージンを取って無闇に重くなったトリガーを引く為にガク引きになっていた。ぶっちゃけ.38スペシャル1発でどうこうなる人間はキヴォトスにはいないし競技用ピストル並みに軽くしても大丈夫だろうとマチコは判断したのだ。
「磨けば光るしキリノには凄いところもたくさんあるんだからもっと気楽にして良いんだよ」
「凄いところ、ですか?まだまだ未熟者だと自負しているのですが」
決して自惚れず鍛錬を怠らない姿勢はキリノの美点だが自覚している長所が多ければ多いほど日々のモチベーションも長く保つことができる。秀でたものがあれば辛いときに自分はまだやれると前を向ける活力になるはずだ。
「近接格闘や逮捕術はもう上級の区分になってるしやろうと思えばキリノは指導員にもなれるよ」
「うぇえ⁈私が指導員ですか?」
「3年の先輩たちが言ってたよ。剣道、薙刀、銃剣道、教えたことが倍になって返ってくるから楽しいって」
「教官がそんなことを⁉︎恐縮です」
絵に描いたようにあわあわと狼狽えるキリノは見ていて面白くついつい可愛がってしまう。マチコは彼女の肩を叩いて励ました。
「先輩、私は警備局にも行けるでしょうか!」
「すぐには無理だね」
「あぅ」
警備局はG事案(テロ)や暴動の鎮圧を専門にした精鋭だ。射撃の腕が今のままでは難しい。でもそこまで悲観することはないとマチコは思っている。
「あっちは年中人不足で生活安全局や公安局の生徒にしょっちゅうラブコールしてるからキリノの拳銃が人並みの腕前になったらすぐにヘッドハンティングされるはずだよ」
マチコにも数回お誘いが来たことがあるがその都度丁重にお断りしている。ファランクスを組むよりカーチェイスの方が彼女の性に合っているからだ。
「先輩は警備局には興味なかったんですか?」
「うーん」
その質問にマチコはなんてことないように答える。
「盾並べて殴り合うよりパトカーで轢いちゃったほうが早いし」
「ば、バイオレンス…!」
あまりにもあんまりな回答にキリノは絶句する。
お巡りさんの戦い方じゃない…。どこかの百姓のような心の声が彼女の中にこだました。