異世界日記 ~魔法適正ゼロの現代人は 脳筋スキルで無双する~ 作:日月ゆう
「この声はマティルダ――とジョニィ?」
オレは、悲鳴が上がった方向へ視線を向ける。
「ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ――ッ!」
すると暴走した馬鹿山羊に乗ったマティルダと、その後を追うジョニィが血相を変えて戻って来ていた。
『フゴォアァッ!』
「チッ、空気読めよ、熊公……!」
獲物が余所見している今が好機と捉えたのか、
「マティルダ嬢を連れ戻した……にしては様子がおかしいな……」
牙に爪にタックルと、狂熊の猛攻を
「はわ――きゃんッ!」
いつぞやの誰かみたいに半狂乱に陥った馬鹿山羊は、ロデオのように暴れに暴れて、騎乗するマティルダを振り落としてしまう。
そして薄情にも主人を置いて、何処かへ走り去って行った。
「アンチクショウッ! こんなとこで!」
落馬したマティルダの元にジョニィが駆け寄り、来た道を振り返るとしきりに警戒している。
「ジョニィ何事だ!」
「狂熊だ! もう一頭潜んでいやがった!」
「な、なんだって!?」
『ヴウゥゥゥ……!』
二人より後方の
「シッ! シッ! こ、こここのやろっ、あっちへ行け!」
「しまった! 親子だったか!」
二頭目の狂熊は一頭目より二回りほど体が小さく、それでも成人男性よりも大きい子熊、
似た猛獣でも狼や獅子と異なり、本来クマ科の生物は、親子という例外を除いて群れを成さないはずだ。
あちらの世界の生物学が、こちらで通用するか謎ではあるが、複数体との遭遇を想定していなかったドロシーの反応からして、狂熊の習性もクマ科に近いことが予想される。
「くっ……射線上にジョニィたちが……!」
ドロシーは狂子熊に杖を向けるが、攻撃範囲内に味方が含まれているため、遠距離魔法の使用を断念した。
やむなく泥人形〈ゴーレム〉を召喚するが、その動きは緩慢で間に合うかは怪しい。
「何をしているジョニィ! マティルダを連れて逃げろ!」
ただでさえ子連れの熊は攻撃的になるというのに、親熊とは交戦中にあり、子熊にも接触してしまっている。
相手を刺激せずやり過ごすというシーンは、とっくに過ぎており、子熊とはいえジョニィの手に負える敵ではないと判断したドロシーは、退避するよう命令を飛ばした。
「に、にに逃げろだって? あ、生憎とお嬢様が腰を抜かしちまってな! こ、ここここで逃げてちゃあ男がすたるってもんよ!」
歯の根が合わない様子のジョニィだが、しかし、へたり込んでいるマティルダを背に庇い、精一杯の男気を見せる。
「待ってろ! オレが」
『グオオォォッ!』
すぐにでも二人の
今この場を放棄したら、目の前の親狂熊に対してドロシーが無防備になってしまうからだ。
(スキルを使うか? けど、皆の目があるのに、あまり強力なものを使うのは……でも、いや、しかし――クソッ!)
急遽、決断を迫られ空回りするオレの思考。男爵による、力を衆目に晒すリスクについての忠告、その一点だけがやけに引っ掛かった。
『グォォォォオオオオオオンンンンッ!!』
「邪魔だああああぁぁぁぁー―ッ!!」
しつこく襲い来る親狂熊の喉元に、下段から大地を削る勢いで逆
(間に合うか!? 加速スキル――を……)
次いで窮地に追い込まれている、もう一方に加勢しようと振り向くと、まさに狂子熊がジョニィに牙を剥き襲い掛かる瞬間だった。
『グャオォォオンッ!!』
「ヒィ! た、たすけ――うわああああぁぁぁぁ…………ッ!」
「ま、待てよ……やめろ……やめろおおおおおおおおおお!!」
その餌食になった。
「…………そ、そんなっ!」
初めて直面する人死に。
オレは極度の精神的ストレスにより、酷い眩暈と脱力感に見舞われて膝から崩れ落ちる。
「あ、あ……あぁ……なんてことですの…………」
犠牲になったジョニィは、農家の生まれであり平民だ。
残酷な現実を目の当たりにして、打ちのめされているマティルダ嬢のように、死の運命を覆す貴重な
(死んだ? あのお調子者が? 嘘だろ?)
つい今しがたまで冒険を共にし、軽口を言い合っていた者が、こんなあっさりと居なくなるなんて、にわかには信じ難い。
ジョニィとは、まだ出会って日が浅く友情と呼べるものはなかった。だから……。
(不幸中の幸い……いや、明らかに不幸だろ!!)
最悪の事態に直面して、いよいよ混乱が極まっている。
(馬鹿野郎! こんな唐突に別れがきたって、泣くに泣けないじゃないか……!)
「止まるな戦闘中だぞ!」
遅れてやって来たドロシーが、杖を構え狂子熊へ狙いを定める。
ジョニィの救出を試みるようだが、望みは薄いだろう。
「ドロシーが言ったとおりだ……冒険者にとって最初の冒険が関門だって……ジョニィは、それを越えられなかった……オレのせいだ、オレがもっと……クソッ! いくらでも、やりようはあったはずなのに!」
完全に判断を誤った。
強力なスキルを迷わず使ってさえいれば、狂熊どもを瞬時に一掃し、ジョニィを救うのも可能だったはず。
例えその結果、周囲から脅威と見なされ、恐れられることになったとしても……。
オレは仲間の命を天秤に掛け、保身を選んでしまった卑怯者だ。
「待て。少し様子がおかしくないか?」
「……え」
詠唱を途中で止めたドロシーに指摘され、オレは違和感の正体に気づく。
あれほどまでに獰猛な狂子熊が、体を丸め急に大人しくなっていた。
「いや、大人しいどころか、これは……」
「――――い……おぉぉい、早くこいつをどかしてくれぇぇ……!」
狂子熊から声が発せられ、オレはドロシーと顔を見合わせる。
一瞬、魔物が喋り出したのかと仰天したが、そんなわけがない。
くぐもってはいるものの、その声には聞き覚えがあった。
(もしかして――!)
ひとつの仮定が浮かび上がり、狂子熊をひっくり返した。
「――ッブヘァ! ゼェ、ゼェ……し、しし死ぬかと思ったぜぇ!」
「ジョニィ!! お前、食われたんじゃなかったのか!?」
狂子熊の下から跳ね起きたのは、酸欠に
「食われた? いやいや、冗談キツイぜ。むしろ逆だ、逆。俺様を食おうとのしかかってきた奴に必殺の一突き! 返り討ちよ! まっ、危うく窒息しかけたがな」
ジョニィは得意気に戦果を語る。
その言葉が示す通り、狂子熊の喉元には短剣が突き立っていた。
喉が破れ苦しみ
「――は、ははっ! こいつ脅かしやがって!」
「やるじゃないか。
奇跡の復活劇に、重く沈んでいた空気が一気に晴れる。
「まあな! 俺様が本気を出せば、狂熊を倒すなんざ朝飯前よ!」
ドロシーには魔法が。オレには怪力が。前線で親狂熊を押し留めていた二人には、いざというときに頼れる力がある。
しかし、一方でジョニィにはそれが無い。
強大な
もしも、オレがジョニィの立場だったら、同じように勇気を奮い立ち向かえただろうか。
(ジョニィ、お前って奴は……)
それからジョニィは、いまだにへたり込んでいるマティルダに手を差し伸べる。
「もう安心ですぞ、姫。凶悪な魔獣はジョニィが、このジョニィが華麗に退治しました」
「まったく、お前は
魔物に襲われ散々取り乱していた奴が、脅威が去った途端にこれだ。キメ顔を作り、したたかに自己アピールしている。
「じ……じょ……じょっ…………」
「じょ?」
どうにもマティルダの様子がおかしい。
目まぐるしい状況の変化に思考が追いつかず、先ほどのオレみたいに混乱しているのかもしれない。
「大丈夫か? マティル――えっ?」
「ジョニィ様っ! 素敵でしたわ! 巨大な魔物を前にしても、決して退かない雄姿!
マティルダは、御身を案じるオレを押しのけ、勢いよく立ち上がった。
「へ? あぁ、そうですかい? いやぁ、照れるなぁ」
これまで散々ジョニィを袖にしていたのに、その態度を一転させる。恋する乙女が如く、頬を染め瞳を輝かせていた。
「ああ! どうしましょう! この胸の高鳴り! 私は、私は!」
(……なんか既視感あるぞ、これ)
どうやら恋に恋するマティルダ嬢は、かなり惚れっぽい
窮地から救われて狂喜乱舞している様は、オレが
「どういうことだ、これは? 敵を掃討したというのに、マティルダ嬢はひどくご乱心のようだが……」
頭の上に
「あー……たぶん吊り橋効果ってやつかな……」
「なるほど。これが噂に聞く……興味深いな」
何はともあれ、一同は誰一人欠けることなく、この窮地を乗り越えたのだった。
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