霧の湖のほとりに佇む、深紅の洋館――紅魔館。
その最上階にある主の寝室では、この館の主である吸血鬼、レミリア・スカーレットが優雅に紅茶を楽しんでいた。
「咲夜、今日の紅茶は少し香りが強いわね。悪くないわ」
「恐れ入ります、お嬢様。本日は少々趣向を変えてみまして――」
紅茶を淹れた十六夜咲夜が、満足そうに一礼する。
いつも通りの、静かで退屈な紅魔館の日常。しかし、その平穏は突如として、物理的かつ空間的に打ち破られることとなった。
寝室のど真ん中の空間が、前触れもなく『ぐにゃり』と歪んだのだ。
「――っ!? お嬢様、お下がりを!」
咲夜の瞳が鋭く光り、瞬時に数本の銀ナイフがその指の間に挟まれる。
空間の歪みは急速に広がり、電子のノイズのような淡い光を放ちながら、一人の少女の姿を吐き出した。
「わわっ!? 制御がっ、制御が効かない……! 『想起「虚言の空歩(きょげんのくうほ)」』――あぁもうダメだぁぁ!」
ドサササッ!!! と、派手な音を立てて絨毯の上に転がったのは、不思議な本を傍らに持っている記憶を操る能力を持つ少女――メモリアだった。
次元の裂け目に巻き込まれ、咄嗟に自身の能力を使って空間の記憶を書き換え、安全な場所へ転移(ステップ)しようとしたのだが、幻想郷の強固な結界のせいで座標の制御が大暴走。結果として、館の一番奥深くであるレミリアの部屋へ直接突撃する形になってしまったのだ。
「……何かしら、今の。ずいぶんと騒がしい泥棒猫ね」
レミリアは紅茶のカップを置くと、不敵な笑みを浮かべてメモリアを見下ろした。
同時に、異変を察知した紅魔館の面々が、凄まじい速度で部屋へなだれ込んでくる。
「お嬢様! ご無事ですか! 門を通り抜けた不審者が――って、あれ?」
「お姉様ー! 誰か新しいおもちゃが来たのー!?」
息を切らせた紅美鈴と、目をらんらんと輝かせたフンドール・スカーレット。さらに大図書館から駆けつけたパチュリー・ノーレッジまでが揃い、寝室は一瞬にして完全な警戒態勢、もとい包囲網へと変わった。
「う、うぅ……頭が痛い……。って、ええぇ!? な、何この物々しい雰囲気……!」
床で行き倒れていたメモリアは、飛び起きて周囲を見回し、完全に顔を青くした。
目の前にはナイフを構えたメイド、後ろには怪力の門番、横には破壊衝動を秘めた吸血鬼の妹。そして正面の豪華な椅子には、圧倒的な威圧感(カリスマ)を放つ幼き吸血鬼の女王が座っている。
人見知りな甘露ほどではないが、メモリアもこの状況には冷や汗が止まらない。
「咲夜、美鈴、下がりなさい。この子から敵意は感じられないわ。……それよりも」
レミリアはすっと目を細め、メモリアの顔を凝視した。
「あなた、私の『運命を操る能力』の網の目を、完全に無視してここに現れたわね。一体何者かしら? 名乗りなさい」
その言葉に、メモリアはごくりと唾を飲み込み、覚悟を決めて居住まいを正した。ここで下手に嘘をついても、この化け物じみた強者たちには通用しないと本能で理解したからだ。
「……私はメモリア。記憶を操る能力を持っています。変な能力の暴走でここに落ちちゃったみたいで……その、驚かせてごめんなさい」
「メモリア?」
その名前を聞いた瞬間、レミリアはわずかに眉を跳ね上げた。
妹のフランが、メモリアの周りをピョンピョンと跳ねながら無邪気に声を上げる。
「メモリア? レミリアお姉様と名前がそっくり! 偽物かしら? 壊しちゃってもいい?」
「ひぇっ、偽物じゃないです! 壊さないで!」
メモリアは慌てて首を振る。その様子を見て、レミリアはふっとおかしそうに鼻で笑った。
「ふん、レミリアとメモリアねぇ。ずいぶんと紛らわしい名前だこと。偶然にしては出来すぎているわ。誰がそんな名前をつけたのよ?」
尋ねられたメモリアは、ふっと遠い目をして、困ったように苦笑いを浮かべた。
「それに関しては……甘露がつけてくれたからなぁ……」
「カンロ? 誰よ、その果物みたいな名前の奴は」
レミリアが怪訝そうに聞き返すと、パチュリーが本から目を離して「ふむ」と呟いた。
「甘露(かんろ)……天から降る不老不死の霊薬、あるいは神の慈悲という意味ね。興味深いわ」
「そう、その甘露です」
メモリアは少し懐かしそうに、しかしどこか呆れたようなトーンで語り始めた。
「甘露はね、私の大切な友達なんだけど……実は、私たちがいた世界の『創造主』なんだ。神様みたいなもの、かな。いつも色んな異世界をふらふらと渡り歩いてて、今回のこれも、甘露が故意に次元の壁をぶち抜いた時に、私たちが巻き込まれちゃったみたいで……」
「創造主……!? 異世界を渡る神だと?」
パチュリーの目の色が変わった。魔法使いとして、異世界の神のデータなど最高の研究材料だ。
「へぇ、世界の創造主ねぇ。そんな大層な存在が、私の運命の糸を狂わせてあなたをここに落としたってわけ?」
レミリアが面白そうに顎を引く。しかし、メモリアの口から出た次の言葉は、そんなレミリアのカリスマな幻想を、見事に粉砕するものだった。
「あ、でもね、神様って言っても、普段はものすごーーくのんびりしてて、ちょっと抜けてるんだよ。今回だって、結界の強度の計算を盛大にミスって大爆発を起こしてたし……。耳と尻尾ですぐ隠し事がバレるし、本当に締まらないっていうか」
メモリアがため息をつきながら甘露の愚痴(ノロケに近い)をこぼすと、紅魔館の面々は顔を見合わせた。
「な、なんだか締まらない神様ですね……」美鈴が苦笑する。
「だけど、私の運命の予知をすり抜けるほどの存在よ。ただの抜け作ではないわね」レミリアはニヤリと笑った。
「……ねぇ、レミィ」
パチュリーがそう声をかけた、次の瞬間だった…
ーードサッ…
小さな音を立てて、メモリアの体が力無く床へと崩れ落ちた。
「メモリアッ!?」
パチュリーが本を落とし、驚愕の声を上げる。
その瞬間にはもう、部屋の空気を切り裂いて一人のメイドが動いていた。十六夜咲夜である。
咲夜は音もなくメモリアの傍らへと駆け寄り、その小さな身体をそっと抱き起こした。
すぐさま額に手を当て、手首の脈に指を這わせる。
「……息が荒いです。熱も、普通の人間なら意識を保っていられないほどに上がっていますわ」
咲夜の冷静な、しかしどこか焦りを含んだ報告に、パチュリーが近づいた。
いつもの眠たげな目は消え去り、その瞳には魔術師としての鋭い光が宿っている。
「咲夜、そのままベッドへ。レミィ、部屋のカーテンを閉めて。外の光を完全に遮断するのよ」
的確な指示を飛ばしながら、パチュリーはメモリアの胸元にそっと手をかざした。
彼女の手のひら方、淡い紫色の魔法陣が展開されていく。それは病を治すのための医療魔術ではなく、
対象の精神や魂の形を読み取るための『精神診察』の術式。
「これは……思っていた以上に深刻ね……」
メモリア。彼女は過去に恐怖を植え付けられ、そこを甘露に助けてもらいました。
ですがメモリアは次の朝、高熱を出してしまいました。
主様に調べてもらったところ、身体の方の記憶が恐怖で染まっている、とのことでした。
そこで、メモリアの新たな記憶の受け皿として、記憶の書を渡しました。
ですがこの幻想郷に来たことで記憶を本に移す間もなく、己の記憶だけで通していたため、
限界をこえ、拒絶反応を引き起こし高熱が出てしまったということでした。
パチュリーはそれに気付きレミリアに伝えます。
「レミィ、彼女は新しい記憶が身体に戻ろうとする負荷で高熱が出ており、このままでは精神が崩壊してしまう。」
ベッドの傍らで腕を組んでいたレミリアが静かに、だけど冷徹な声を落とした。
「なら方法は一つしかないわね。パチュリー。」
「ええ……。彼女と記憶の書を離す。彼女がこれ以上、他のことを思い出そうとしないように。元の体が、恐怖の記憶だけで静かに眠っていられるように……」
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました!ゆうれんです。
創造主の幻想入り 第2話、どうでしたか?
メモリアの元々の設定は、「対象を大切に思う人が自分含めて二人いたら発動する自己犠牲技」持ちだったんですけどね〜。ちょっと自己犠牲技を持っているキャラが多くてもあれなんでね。そのままだったとしても二人でしたけどね。
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次回、第3話の更新でお会いしましょう!
最初の方は結構な頻度で投稿されると思います。
次回タイトル予告 竹林の罠と、科学者の大跳躍
次回更新予定 9/4 17:50