爆豪♀「デク、てめェヒーローなんかやめてモデルになれ」緑谷♀「!?」 作:ギャウルギュラ
泥花事件から数日が経過しても学校の連中はその話題を擦り続けるのをやめなかった。朝のホームルーム前になると、あたしの机の周囲にはいつも知ったような顔をしたクラスメイトどもが集まってきて、同じような言葉をウンザリするほど繰り返している。
「爆豪、マジで大変だったな」
「ニュース動画見たぞ。結構長い時間あの化け物に捕まってただろ?」
「でもあの状況で一人で持ちこたえたの、普通にすげぇよな」
うるせぇ。
朝っぱらから何回同じくだらねぇ会話を繰り返していやがるんだ。
別に大変でも何でもねぇ。ヴィランに不覚を取って捕まり、自力で最後まで抜け切れなかったという客観的な結果だけを見れば、ただのあたしの不覚であり完全な敗北だ。
周りからチヤホヤと褒められるような話でもねぇし、自分では何もできない雑魚どもに同情される筋合いもねぇ。あたしが求めているのは圧倒的な勝利だけであり、惨めな生存を称える哀れみなど反吐が出るほど不要だった。
「次その話を持ち出した奴は顔面吹き飛ばすぞ」
低い声で威嚇してやると、群がっていたクラスメイトどもはようやくクモの子を散らすように自分の席へ戻っていった。
朝から胃の裏側が焼けつくように機嫌が悪い。あの日以来ずっとこの調子が続いている。周囲の雑魚どもは、あたしがヴィランに捕まったという屈辱を根に持っているのだと解釈しているらしい。
半分は当たっている。あたしの人生において、あの醜態ほどの汚点は存在しない。
だが残り半分の理由があたし自身にとっても反吐が出るほど気に食わねぇ。
自分の席にドカリと腰を下ろし、鞄から教科書を引き出したところで斜め前の席からの視線を感じた。
顔を上げると、デクとバッチリ目が合った。
あいつはビクッと肩を跳ねさせ、大慌てで視線を教卓の方へ逸らした。そのほんの一瞬の交錯だけで、あたしの頭の中にはあのアスファルトの上の光景が鮮明に引き戻される。大勢のプロや野次馬が見守る中で、無個性のくせに一直線に走ってきた姿や、投げつけられた学校鞄、今にも泣き出しそうな大きな目とあたしに向かってまっすぐ伸ばされた手が、屈辱と同時に脳裏へ焼き付いていた。
「……チッ」
盛大に舌打ちを鳴らすと、デクの背中がビクリと跳ね上がった。
てめェのせいであたしの機嫌が壊れてんだよ。
授業中もあたしの視線は無意識のうちに何度も斜め前へ向かった。相変わらず散らかった緑髪と丸まった猫背で、教師の板書をノートに書き写しながら時折机の引き出しの中に視線を落としている。
事件の前と何一つ変わっていない。何一つ反省も変化もしていないからこそ猛烈に腹が立つ。あんな死にかけた惨劇を経験した直後くらい、少しは自分の生き方を考え直したらどうなんだ。
普通、自分自身が無力で何の役にも立たず、あやうく化け物に食われかけたなら、自分の適性と進路を客観的に見直すだろう。
こいつは絶対に反省も方向転換もしていないという確信が、あたしの中にあった。
そして放課後。あたしの最悪な予感は完璧に的中した。
終礼が終わってクラスメイトが散っていく中、教室に残ったデクは机の上へ新しいノートを広げていた。表紙には、はっきりと雄英高校入試対策と書き込まれている。
何でだ。あんな死に目を見ておいて、まだそのお花畑の夢を追う気でいるのか。
あたしは無言で席を立ち、そのままデクの机の真横まで歩み寄ると、広げられたノートの上に掌を叩きつけた。バシァンと高い音が響き、勢いよくノートが閉じられる。
「わっ!? か、かっちゃん……!?」
「てめェ……まだ雄英を受ける気でいんのか」
デクがおそるおそるあたしの顔を見上げてくる。一瞬くらい迷う素振りを見せろ。少しはあの泥の怪物の恐怖を思い出せというあたしの期待は、一瞬で打ち砕かれた。
「うん」
迷いの欠片もない即答だった。
クソが。
「てめェ、本気で頭のネジが飛んでんのか!?」
「えぇ!?」
「この前何が起きたのか忘れたとは言わせねぇぞ! 目ぇついてんだろうが!」
「忘れてないよ! あんなの忘れられるわけないよ!」
「だったら何でまだそんな気味の悪いノートを開いてんだよ!」
デクは閉じられたノートの上に置かれたあたしの手に視線を落とし、肩を少し縮こませた。怖いなら引け。その恐怖に従って素直に夢を諦めろ。
「……それでも、ボクはヒーローになりたいから」
またその言葉だ。この前と言っていることが何一つ変わっていない。死にかけた事件を経ても、こいつの頭の中のお花畑は1ミリも揺らいでいねぇ。あたしは腹が立ってどうしようもなかった。
「モデルでも女優でも何でもやってろと言っただろうが! 少なくともそっちの道ならヴィランに手足を食われる心配はねぇだろうが!」
あたしが怒鳴りつけると、デクはふっと口を閉ざした。机の上に置かれた細い指先が僅かにピクリと動く。
モデルという職業が気に入らねぇなら他の道を探せばいい。頭の回転だって悪くねぇんだから、普通に進学してオフィスワークでも選べばいい。ヒーローという危険な選択肢さえ捨ててくれればそれでいいんだ。
「聞いてんのかデク!」
「……かっちゃん」
「あァ!?」
「前と言ってることが、ちょっと違うよね」
何の言葉の揚げ足取りをしてやがる。
「前……?」
「うん。進路希望票を出した時とか、その前のことだよ」
デクは少し首を傾げ、記憶を掘り起こすような顔をした。こういうくだらねぇ場面でのこいつの記憶力は無駄に良い。
「前は、ボクじゃヒーローになれないからやめろって言ってたよね。個性がないし、戦える身体もないし、向いてないから諦めろって」
「今も全く同じことを言ってんだろうが!」
「でも今は、危ないからやめろって聞こえるよ」
あたしの思考がピタリと停止した。
教室の喧騒が急に遠のき、耳の奥で自分の脈打つ音が大きく響く。デクの顔にはあたしを煽るような色は一切なく、本気で言葉の違いを発見したというような純粋な観察者の目でこちらを見つめている。
「……は?」
「だって今、モデルならヴィランに食われないって言ったでしょ?」
「それが何の関係あんだよ!」
「前なら、ボクには才能がないからヒーローになる資格がないって言ってたと思うんだ。でも今は、危ない場所に行くなと言ってるように聞こえる」
うるせぇ。細かい言葉のニュアンスを拾ってんじゃねぇよ。
結論はどちらも全く同じだろうが。お前にはヒーローの適性がない。危険な現場に足を踏み入れるな。どちらも言いたいことの本質は一緒だ。
言い返そうとした瞬間、デクがさらに首を傾げてあたしの顔を覗き込んできた。
「かっちゃん、もしかしてボクのこと心配してくれてるの……?」
「してねぇ!!」
思考するより早く、あたしの口が大音量で否定を叫んでいた。考える必要なんざ万に一つもない。心配なんざしていない。絶対にしていない。
デクの大きな目が少しだけ疑わしそうに細められた。何だその目は。
「……本当に?」
「してねぇっつってんだろうが死ね!」
「返事がすごく早かったから……」
「早かったら何だと言ってんだ!!」
無性に腹が立つ。何であたしがこんな雑魚に疑われなきゃならねぇんだ。
心配なんざあろうはずがない。あたしが考えているのはあくまで合理性と効率の話だ。現場に足手まといの雑魚が紛れ込んだらプロの邪魔になるという、至極当然の理屈だろうが。
「てめェみたいな無個性の雑魚が現場に来たら邪魔なんだよ! 助け出さなきゃいけない足手まといが増えたら、ヒーロー側が余計なリスクを背負うことになるだろうが!」
デクの顔が少しだけ悲しそうに曇った。その表情の変化を見て、あたしの胸の奥がまた不快な熱を持ち始める。だからそういう被害者みたいな顔をするな。あたしは事実しか言っていない。
「……そっか」
「あたしは強いからヒーローになっていいんだよ。てめェは弱ぇんだから、安全なところにいろ!」
自分の口から言葉が吐き出された瞬間、あたし自身がその単語に引っかかりを覚えた。
安全なところ。何だそれは。
デクも同じ言葉に違和感を覚えたらしく、ほんの少しだけ顔を上げた。
「安全なところ……?」
「うるせぇ。言葉通りの意味だ」
「それって……ヒーローじゃない場所ってこと……?」
「当たり前だ!」
それ以上あたしに質問するな。あたし自身、具体的にどこを指してその言葉を吐いたのか理解できていないのだから。
命を危険に晒すことのない普通の高校に進学して就職してデスクワークでも始めるか、実家に引きこもって大人しくしていればいいだけの話だ。ヴィランの襲撃に脅かされることもなく、炎や瓦礫が飛んでこない平穏な場所で、あたしの視界に入らないように勝手に生きていればそれで済む。
あの日みたいに気色悪い泥に呑み込まれそうになる危険がない場所で、あいつが持っている有利な資質を使って生きていけばいい。
以前あたし自身が出した具体的な選択肢が、頭の中で噛み合っていく。
恵まれた顔のパーツを使って金を稼げる芸能界やモデルの仕事なら、あいつの顔のポテンシャルで十分に通用するはずだ。美容や化粧といった最低限の手入れさえさせれば見た目だけで人目を引く存在になれるし、頭の回転だって悪くねぇんだから、命を懸けて個性を振り回す必要も一切ない。
自分が持っている有利な資質を使って安全な場所で成果を出すというのは、あたしの掲げる能力主義の理屈にも完璧に合致している。
「……やっぱりモデルにでもなっておけ」
「またそこに戻るの……?」
「てめェは顔の造形だけなら使えるんだから使えと言ってんだ!」
「顔だけ……」
「それで一生食っていけんなら儲けもんだろうが!」
デクは自分の頬へそっと手を伸ばし、柔らかい皮膚を触った。相変わらず自分の顔の価値について全く実感のない顔だ。ここまで言葉で説明されても、まだ自分の容姿が持つ価値を理解していないらしい。心底救いようのないクソナードだ。
「でもボク……やっぱりヒーローは諦めないよ」
「知るかよ!」
あたしはデクの机から乱暴に手を離した。これ以上何を話しても無駄だ。こいつの頭の中のお花畑は絶対に折れない。だったらあたしが何度でも言葉を叩きつけてやるしかない。
危険な現場に来るな。あたしはそれを心配と呼ぶ気なんざ1ミリもなかった。
弱い奴を危険から遠ざけ、強いあたしが危険な現場を制圧する。単純で明快な役割分担だ。あたしは強いからヒーローになる。デクは弱いから安全な場所でモデルでもやっていろ。それだけだ。それ以外の深い意味なんざ存在するはずがない。
そう自分に言い聞かせながら、あたしは教室を後にした。
その日の夜、リビングのテレビで流れていた化粧品のCMに出演している女性モデルの顔を見て、あたしの脳裏にデクの顔が重なった。
顔の素材だけならあいつだって十分に食っていけるはずだ。本気でその可能性があるのだから、最初から持っている武器を使え。持っているものを腐らせるなと前にも言ってやった通りだ。
自分の理屈は完璧に通っている。あたしはそれを純粋な能力評価だと結論づけた。数日前、デクが泥の怪物に呑まれそうになった瞬間の光景についてはあえて深く考えないことにした。