上位存在ヤンデレもの 作:ヤンデレスキー
目を覚ますと、服がはだけた女性が隣で寝ていた。
数秒ほど思考が停止し、昨夜とんでもない過ちを犯したのではと背筋が凍りかけた瞬間、記憶のパズルが音を立てて嵌まった。
そうだ、緋雪だ。大学への同行をあれこれ反対したものの、疲労の限界で碌な反論もできず、辛うじて自室のベッドで眠る権利だけを死守して力尽きたのだった。
緋雪は微動だにせず眠っている。人外の彼女に睡眠が必要なのか、それとも俺のリズムに合わせているだけなのか。十中八九後者だろうと思いつつ、気遣い半分、目のやり場への困惑半分で布団を肩まで引き上げた。
洗面所で顔を洗い身支度を整えていると、寝室の方で物音がした。どうやら起きたらしい。顔を拭きながら寝室を覗くと、当然のように緋雪が佇んでいた。艶やかな黒髪に、射抜くような紅い瞳。だが、その装いは私服らしきものになっていた。見慣れない格好に、一瞬言葉に詰まる。
あの施設では上下ともに白無地の支給品を着ていることが多かった。ちょくちょく自前の服を着ている所も見かけたが、宝石を惜しげもなく散りばめた中世貴族の夜会服のような、ファンタジーから抜け出たものばかりだった。
それと比べて今の緋雪はシンプルな黒のワンピースに、薄手のカーディガンを羽織っている。大学についてくるために用意したものだろう、確かに、大学生の服装として違和感はない。
ただ、それで大学生ですと通るかは別問題だ。身長、赤い瞳、整いすぎた神聖な美貌、異様な気配は服一枚で隠しきれるものではない。仮に一つ一つは通ったとしても、こうも重なると厳しい気がする。言いたいことは山ほどあったが、胃の痛みを堪えて口を開いた。
「……おはようございます」
「おはよう。準備、できてるかしら?」
「まあ、はい。……あの、本当に来る気だったんですね」
「言ったでしょう、片時も離れないって」
ここまで来て説得し直す言葉も思いつかない、結局、俺は緋雪と並んで大学へ向かうことになった。くそ、今日が火曜日でさえなければ……というか、別に自由科目なんだから休めばいいのでは?
玄関先で楽しげに手招きする彼女を見て、その名案に気づくのが遅すぎたことを悟った。
外に出た後は道中すれ違う人々が、ちらほらと緋雪の方に視線を向けるのが分かった。そりゃあ目立たないはずがない。緋雪本人は、そうした視線をまるで気にする様子もなく、俺の一歩後ろを静かについてきていた。
……職質とかされないよな? 大丈夫だろうか……
─────
火曜日二限目の講義室。俺の隣の席に、緋雪が当然のように腰を下ろす。周りの学生たちが、ちらちらとこちらを見ているのが分かった。
教科書もノートも持たず、ただ静かに佇む緋雪の姿はあまりにも異質だった。だが、本人はまるで気にする様子もなく涼しい顔で座り続けている。
「あの、緋雪さん。流石にちょっと目立ってます」
「気にしない」
「気にしてください、俺が気にするので」
小声でのやり取りをよそに、教授は淡々と講義を進めている。幸い、この授業に出席確認はない、それだけは救いだ。
「──この地域は、いまだ人類未踏の秘境とされており、正確な地図すら存在しません。学術調査隊も、過去に幾度か挑戦していますが、いずれも途中で撤退を余儀なくされています」
授業はまともに聞けていないため、相変わらず内容はよくわかっていない。先週に続けて今週だ、テストは悲惨な結果に終わることだろう。
「行ったことあるわ」
隣から、あっさりとそんな声が聞こえた。
「……え?」
「その秘境とやら。昔、暇な時に、ふらっと」
「ちょっと待ってください、緋雪さん」
嫌な予感がした。案の定、緋雪は何か思いついたような顔をしていた。
「人類未踏っていうの、確かめてきましょうか」
「いや、別に確かめなくていいです」
俺の制止も虚しく、緋雪の姿がその場でふっと掻き消えた。
「戻ったわ」
何事もなかったかのように、緋雪が元の席にふっと再び現れた。服の裾に見たこともない植物の葉が、一枚だけ絡みついている。
「確かに、まだ人類未踏だったわ。足跡、わたしのしかなかったもの」
「……よかったですね?」
……人類未踏という言葉自体に間違いがなかったことを喜ぶべきか、悲しむべきか。
授業が終わる頃には俺は深い疲労感に襲われていた。まだ午前中だというのに、既に精神力を根こそぎ持っていかれた気分だった。
「塁、その女の子誰だよ」
緋雪が学食とやらに行ってみたいというので、仕方なく何か食べてから帰ろうとすると、廊下で待ち構えられる形になって、金髪の同期が真顔でそう聞いてきた。いつもお気楽な友人にしては乱暴な言い方だし、表情からもありありと警戒を感じる。
「いや、その……知り合い、っていうか」
「知り合いって、彼女か?」
「違う」
「じゃあ何なんだよ」
妹、友人、さっき知り合ったばかり、どう答えても後々ぼろが出そうな気がする。答えに窮していると、緋雪が涼しい顔で割って入ってきた。
「保護者よ」
「保護者!?」
同期の声が裏返る。俺も思わず変な声が出そうになった。
「……もしかして、お前の子ど──「違うからな?」──そ、そうか……」
動揺のあまりか支離滅裂な結論に辿り着きそうになる同期。緋雪はそれ以上説明する様子もない。色々誤解されていそうだが、どう訂正すればいいのかは俺にも分からない。同期は明らかに納得していない顔をしていたが、それ以上追及することはできなかったらしい。有無を言わせない緋雪の雰囲気に気圧されたようだ。
「……まあ、いいけどさ。今度、ちゃんと紹介しろよ」
同期は釈然としない様子のまま去っていった。深いため息を一つ。
「緋雪さん、保護者はちょっと無理がありますよ」
「じゃあ、何て言えばよかったの」
「……俺にもわからないです」
──────
昼休み、学食で向かい合って座る。緋雪は興味深そうに、俺が頼んだ定食をじっと見つめていた。
「それ、美味しいの?」
「普通の学食のメニューですけど、まあ、そこそこ美味しいですよ」
「じゃあ、一口ちょうだい」
当たり前のように箸を伸ばして俺の唐揚げを一つつまんだ。周りから刺さるチクチクとした視線が強まった気がする。緋雪は、満足そうに咀嚼しながらふと真顔になった。
「美味しいわね、これ」
「そうですか、それは良かったです」
「今度、わたしも作ってみようかしら」
「え、緋雪さん料理するんですか」
「したことはないけれど、万物の構造を理解していれば造作もないわ」
妙な自信に満ちた発言に少し不安を覚える。やめてほしい。間違いなく人魚の肉や竜の肝を煮込んだ神話級の何かが食卓に並び、一口で不老不死か廃人にされる未来が見える。
一応注意しておいたが、聞いているかは怪しかった。
食事を終え学食を出る。今日は家にまっすぐ帰ろう、そう思った途端スマホが短く震えた。画面を見ると、瑠璃、という名前のアカウントからメッセージが来ていた。……連絡先を交換した覚えはないのだが、ハイテクだな。
『今、大学の裏庭にいるの。人がいない場所を選んだから、少しだけ来てくれない?』
前回、繁華街で盛大にやらかした時に交わした約束をちゃんと守っているらしい。特に断る理由は……ないこともないが、行くべきだろう。
「緋雪さん、ちょっと裏庭に行きたいんですけど、一緒に来ます?」
「竜神が呼んでるの?」
「はい」
「……行くわ」
緋雪の声のトーンが心なしか一段低くなった気がしたが、気のせいだと思うことにした。
─────
人気のない裏庭に着くと、木陰で瑠璃が周囲を過剰なまでに警戒しながら俺たちを待っていた。俺たちに気が付くとその顔がぱあっと明るくなる。
「あら、来てくれたのね」
「瑠璃さん、大丈夫なんですか? こんな場所まで来て」
「大丈夫よ、人払いはしてあるから。……前回みたいな失敗は、繰り返さないつもりよ」
どこか誇らしげに瑠璃はそう言った。だが、その額にはうっすらと汗が滲んでいる。ただここに立っているだけでも、相応の集中力を使っているのが伝わってきた。
「あなたが、緋雪さんね。話は、色々聞いているわ」
「……あなたが、瑠璃ね」
二人の間に、一瞬、ぴりっとした空気が走る。
「随分と、塁くんに執着しているそうじゃない。大学にまでついてくるなんて」
「あら、あなたに言われたくないわね。人混みをまとめて気絶させてまで会いに来た人に」
「それは……もう、二度としないように、気をつけているわ」
「気をつけている、って。今も結構ギリギリなんじゃないの?」
緋雪の指摘に瑠璃の表情が微かに強張った。図星だったらしい。
「私にも事情があるのよ」
「その事情のせいで、周りの人間が何人巻き添えになったのかしらね」
緋雪も別に無関係の人間が何人巻き添えになろうとも気にしなさそうだが……心にとどめておく。言われっぱなしじゃいられないという様子で今度は瑠璃が口火を切る。
「そういえば、塁くんに指輪を贈ったそうね。私も、今度何か贈ろうかしら」
「あら、贈り物ならもう十分。塁は物欲がないみたいで金とか銀はいらないらしいわよ」
「センスを疑うわね。金や銀など地殻を掘ればいくらでも転がっているでしょう。塁くんには星の核から精製したオリハルコンの方が似合っているわ」
「……」
「……」
一旦会話が途切れて二人が見つめ合う。正直どちらも要らないのだが、口を挟める雰囲気でもない。
「塁くんとは、パフェを一緒に食べに行く仲なのだけれど、あなたは?」
決して間違ってはいないのだがパフェを食べに行ったことしかないのにその言い回しはありなのだろうか。
「塁の部屋に泊まったことがあるわ」
「なっ……」
瑠璃が息を呑み、耳まで真っ赤に染まる。けれど負けじと反論を繰り出した。
「一回泊まっただけで、そんなに自慢げにするような事なの?」
「ゼロと一の間には無限の隔たりがあるのよ」
「屁理屈だわ」
「あら、悔しいの?」
言い合いはその後も数分ほど続いた。正直途中からあまり内容が頭に入ってこなかったのだが、昨日の件については事前に口止めしておいたし、緋雪も異論無さそうだったから大丈夫なはずだ、多分。最後は瑠璃が「覚えていなさい!」と捨て台詞を残して霧のように消え去っていった。ひとまず緋雪の判定勝ちといったところか。
その後は今度こそどこにも寄らずに家に帰った。ここ数日の予定はない。緋雪と一緒にいても外に出なければ大丈夫だろうと俺は高をくくっていた。
しかしその翌日、もう満足したのか2,3日したら帰るという言質を取った日のこと。そもそもインドアな俺が緋雪がいる状況で外に出るわけもなく、家でテレビを見たりスマホをいじったりして過ごしていた。
夕方、緋雪と二人ソファでだらけていると、玄関のチャイムが鳴った。当然ながら来客の予定も、宅配を頼んだ覚えもない。誰だろう、と思いながら扉を開けると、満面の笑みを浮かべた瑠璃が立っていた。
「来ちゃった」
「……いらっしゃいませ?」
興奮気味に部屋に上がり込んでくる瑠璃を、俺は慌てて招き入れることになった。リビングにいた緋雪が、怪訝そうな顔でこちらを見る。
「瑠璃? どうしたの、急に」
「これ、見て」
差し出されたスマホの画面には瑠璃自身が写った、二枚の写真。特に加工もしていない、ごく普通の自撮り、それがSNSにアップされていた。……大丈夫なのか? 多分大丈夫じゃないだろうな。
表示されているいいねの数も尋常でなく、見たことのない数になっている。この写真が全世界に拡散されていることは疑いようもない。
「なんですか、これ?」
「私の写真を載せてみたの。そしたら、こんなに反応があって」
自慢気な様子で瑠璃はそう説明した。スマホには通知が絶えることなく鳴り続き、コメント欄には、『どこの国のモデルさん?』『こんな顔面実在するわけない』──そんな反応が現在進行形で増え続けている。今更消したところで拡散は止まらないだろう。
……頭が痛くなってきた、まず真っ先に浮かんだ疑問を口に出す。
「そもそも、なんで、急に写真なんて撮ろうと思ったんですか」
俺の疑問に対して、瑠璃は一瞬口ごもる。それから恐る恐るといった様子で口を開いた。
「……あなたに、もっと魅力的だと思ってもらいたくて」
瑠璃は少し照れくさそうに、けれど隠す様子もなくあっさりとそう答えた。
「え?」
「人間の『可愛い』とか『美しい』の基準が、私にはまだ正確には分からないから。大勢の人間が魅力的だと認める姿なら、あなたの目にも素敵に映るんじゃないかと思って……」
実は昨日の緋雪とのやり取りを思いの外気にしていたのだろうか。てっきり単純な好奇心による行動だと思ったのだが、動機があまりにも不器用で健気だった。思わず少しだけ照れる。
「……あの、瑠璃さん。俺はこの写真とか関係なく、もう十分魅力的だと思ってますよ」
「そ、そう? ありがとう」
瑠璃は、そう言ってどこか満足げに微笑んだ。それからちらりと緋雪のことを見やった。
「へえ」
緋雪が興味深そうに画面を覗き込む、そして少しだけ悪戯っぽい笑みを浮かべた。
音もなく一瞬でパッと緋雪の手にスマホが現れる。
「随分な数字ね。……わたしも、試しにやってみようかしら」
「いいじゃない。まあ、私には及ばないだろうけど」
「お願いですからやめてください」
獲物を見定めた肉食獣のような笑みを浮かべる緋雪と、対抗意識を再燃させる瑠璃。機関の機密情報がこれ以上世界にばら撒かれる前に、俺は何としてもこの二人のスマホを没収しなければならなかった。