上位存在ヤンデレもの 作:ヤンデレスキー
昼休み、食堂で一人パンをかじっていると、立花さんがトレイを持って向かいの席に座った。
「相席、いいですか」
「あ、はい。どうぞ」
立花さんは定食を食べながら、しばらく無言だった。俺も特に話しかけることもなく、パンを咀嚼していた。
「担当、順調そうですね」
「順調、っていうか……まあ、少し仲良くなれた気はします」
「ですよね」
立花さんは小さく笑う。それから、箸を置いて、少し声を落とす。こちらをじっと見つめ、何か覚悟を決めたような面持ちで口を開いた。
「一つ、聞いてもいいですか」
「なんですか」
「規則、覚えてます? 個人的に深く関わるな、っていう」
心臓が、少しだけ跳ねた。図星を突かれた気分だった。
「覚えてます。……多分、もう結構破ってる気がしますけど」
正直に答えると、立花さんは意外そうな顔をした後、小さく吹き出した。
「正直ですね」
「隠しても、多分バレてる気がしたので」
「まあ、そうですね」
立花さんは湯呑みを両手で包むように持って、少し遠い目をした。
「あの規則、正直言うと、あんまり意味ないと思います」
「意味ない?」
「本当に意味があるなら、もっと厳格に、担当を頻繁に入れ替えるとか、対象と物理的に距離を置かせるとか、やりようはあるはずなんです。でも、実際はそうなってない」
「じゃあ、何のための規則なんですか」
「多分――上の人たちが、安心するためだと思います」
立花さんは苦笑する。下らない、そんな感想が顔に出ていた。
「"個人的に関わるな"って規則さえ作っておけば、何かあった時に、"規則はちゃんとありました"って言えるので」
「……なるほど?」
いまいち要領を得ない回答に、曖昧な反応を返す。何かあった時に……「何か」、か。
完全に納得できたわけではないが、一応の答えは得た形になったので以前から気になっていたことを聞く。
「立花さんはこの仕事、長いんですよね。前任の担当の人たちも見てきたんですか」
「はい、何人かは」
「みんな、どうなったんですか」
立花さんはしばらく黙って、湯呑みの中身を見つめていた。
「1週間も続かずに辞めた人が、ほとんどです。中には、まともに口を聞けなくなった人もいます」
「怖くなって、ですか」
「さあ、それは分かりません。本人に聞いたことないので」
立花さんとこういう風に話せるのは貴重な機会だ。質問をさらに続ける。
「ちなみに、この施設の責任者って、どんな人なんですか」
「神代さんですか」
「はい」
「物腰の柔らかい……感じの良い人ですよ」
「表向きは、ですか?」
「さあ、それ以上は、私の口からは」
立花さんは意味深に笑うだけで、それ以上は教えてくれなかった。俺はその名前だけを、一応頭の隅に留めておくことにする。
それから、いつもの営業スマイルとは違う、少しだけ真剣な目が俺に向けられた。
「塁くんは、大丈夫そうですね。今のところ」
「今のところ、ですか」
「はい。今のところ、です」
その言い回しを、俺はどこかで聞いた気がした。
「なんかみんな、『今のところ』って言葉好きですね、この施設」
「言われてみれば、そうですね」
立花さんは笑って、それ以上は答えなかった。昼休みはそこで終わった。
―――――
週明け、いつも通り出勤すると、エントランスで立花さんが珍しく俺を待ち構えていた。
「塁くん、今日から担当がもう一人増えます」
「もう一人、ですか。正直、気が進まないんですけど……」
「まあ、結構異例の事態ですね。人手が足りてないので、掛け持ちになりますし……まあ、大丈夫だと思います、多分」
「多分、って」
「多分は多分です」
立花さんは、それ以上突っ込ませない笑顔で言い切った。この施設の職員の人達、ちょっと強引なところがあるな、とか思いながら俺はファイルを受け取る。今度は表紙に、ちゃんと名前が書いてある。
「
「違う、というか……」立花さんは少し考えるそぶりを見せた。「まあ向こうは向こうで、大変だと思います」
「また『大変』ですか」
「はい。今回は、方向性が違う大変さです」
方向性、ね。結局のところ、俺のやることは変わらない、お茶を入れて、話し相手をして、あとはぼーっとしているだけだ。
―――――
案内された部屋についた後、ドアをノックする。返事はない、10秒ほど待ってから諦めて中に入った。
その部屋は、緋雪の部屋とは少し違う雰囲気だった。同じような造りではあるものの、家具の配置も含めて全てが几帳面なくらい整っている。ベッドのシーツには皺一つなく、テーブルの上に置かれた花瓶の花は、素人目にもわかるほど手入れが行き届いている。
壁の上部に設置された窓から差し込む光は、計算されたように部屋の中央だけを照らしていた。空気に埃っぽさがまったくない。生活感のなさは緋雪の部屋と同じはずなのに、そこにあるのは荒涼とした空虚さではなく、隅々まで行き届いた手入れの気配だった。
中に入ると、白に近い髪の女性が、木製の椅子に静かに座っていた。感情の読み取りにくい、静かな目元。年齢は緋雪と近いくらいに見えるが、纏う空気はまるで違う。
無機質で最低限の家具しかない部屋が、彼女がいるだけで教会の大聖堂にいるかのような神聖さが感じられた。
だからこそ、その透き通った瞳が何も映していないことに恐怖を覚える。
「えーと、初めまして?」
返事はない。それどころか微動だにすらしない、もはや俺がここに来たという事実すら認識していないのではないかと思うほどだ。
(なるほど、対人コミュニケーション能力重視ってのはこういうことか)
流石に返事すらないのは予想外だ。そもそも緋雪が例外でこのくらいの対応がデフォルトなのかもしれない、先が思いやられるな……
とりあえず思いつく限りに話しかけてみることにしよう。
「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」「お友達になりませんか?」「おーい」「聞こえてますか?」「すみませーん」「会話をしませんか?」「もしかして日本語分からないんですか? Hello!」「Bonjour!」「नमस्ते!」「Добрый день!」「Xin chào!」「だめだこりゃ……」
5分ほど話しかけ続けてみたが、成果は芳しくない。……流石に許可のない物理的な接触は最終手段に取っておいているが、流石に仕事にならない。担当を変えてもらうことって出来るのだろうか。
何か解決策はないかとカバンを漁ってみると、緋雪にあげて反応を見るために持ち込んだパンが見つかった。
……税込み136円、なんの中身もないコンビニで買った普通のパン。しかもほかの女性にあげるために買ったもの。女性へのプレゼントとしては最低レベルだな……
「これ、いります? お腹とかすいてないですか?」
やけくそになって無造作にパンを持った手を彼女に突き出す。正直全く期待してなかったが、差し出されたパンを見て、彼女の両目がわずかに見開かれる。
そのまま流れるような動作で、彼女は俺の前に跪きパンを両手で厳かに受け取った。
「……ええ?」
彼女はパンを両手に抱え、立ち上がって俺の目をじっと見つめた後、深々と頭を下げた。会釈というレベルではない、腰から折るような、儀礼めいた一礼だった。そんなにパンが好きだったのかな……
「あなたを、正しくお守りします」
ようやく口を開いたかと思うと、飛び出してきたのはそんな言葉だった。真顔だ。冗談を言っているようには、まったく見えない。あまりに丁寧な諸々の仕草に、俺は思わず笑ってしまった。
「いや、そんな畏まらなくても」
「畏まってはいません。当然のことをしただけです」
澄は頭を上げると、不思議そうに小さく首をかしげた。俺の笑いが、彼女には理解できないものだったらしい。
「……今の、何かおかしかったのでしょうか」
「あ、いや……なんというか、本気で言ってるんだ、と思って」
「本気以外で、何を申し上げるというのでしょう」
真顔のまま、心底不思議そうに聞き返された。俺は笑いを収めて、居住まいを正す。どうやら、この人には冗談という概念自体が薄いらしい。確かに、緋雪とはまったく違う難しさがありそうだ。
とりあえず謎の発言はスルーして話を進めることにした。
「担当になりました、塁です。えっと、よろしくお願いします」
「はい。よろしくお願いいたします」
澄は丁寧に一礼して、それから俺に椅子を勧めた。座ろうとして、俺は妙な違和感に気づいた。
椅子の座面の高さが、やけにちょうど良かった。腰を下ろした瞬間、まるで最初から自分の体格に合わせて作られていたかのように、しっくりとくる。
「この椅子、新品ですか」
「いいえ、備え付けのものです」
「なんか、座り心地がすごくいいんですけど」
「そうですか。それは何よりです」
澄は微笑んで、それ以上何も説明する気はないようだった。俺は椅子の脚をちらりと見る。木製の、なんの変哲もない脚。ただよく見ると、床との接地面にほんの少しだけ、軋んだような跡が残っている気がした。まるで、たった今まで別の高さだったものが、瞬時に調整されたかのような。
気のせいだろう、と思うことにした。この施設に来てから、その台詞を使う回数が着実に増えている自覚がある。
「澄さんは、この部屋、長いんですか」
「つい最近ですよ。多分塁さんが生まれた頃くらいですね」
「俺が生まれた頃? ……澄さんの年齢って」
「さあ。数えたことがありません」
あっさりとした返事だ。緋雪の「知らなくていい」という拒絶とは違う、本当にただ気にしたことがない、というニュアンスだった。
‥‥さっきの発言、スルーしたままってわけにはいかないよなあ。
「俺を守るって、何故ですか?」
とりあえず真っ先に浮かんだ疑問を問いかけてみる。……が、数分の微笑を湛えたままの沈黙に、先に俺が折れた。どうやら、答える気はないらしい。流石にパンをもらったからじゃないよな……
諦めて質問を変える。
「守る、って言いますけど。何から守るんですか、俺のこと」
「あらゆる脅威からです」
「脅威、って例えば」
「あなたに危害を加えようとする者、あなたを害する可能性のある環境、あなたに不利益をもたらす状況全般です」
「……それ、範囲広すぎません?」
「狭める理由がありません」
「ちなみに、この施設のことは? 脅威に入ります?」
半分冗談のつもりだった。だが、澄はいつも通りの真顔で、少し考える素振りを見せた。
「今のところは、入りません」
「今のところ」
「あなたに対して、明確な害意を持った時点で、判断は変わります」
さらっと言われた一言に、俺は言葉を返せなかった。そんな可能性がない、と笑い飛ばすことは正直難しい。
「……そう、ですか」
「ご安心ください。今のところは、脅威ではありませんので」
安心する要素が、正直あまりなかった。
俺は湯呑みを――ここでもやっぱりお茶を淹れる流れになっていた――澄の前に置いた。彼女は緋雪と違って素直に口をつけた。
「美味しいです」
「よかったです」
短いやり取りだったが、なぜか妙に安心した。緋雪相手では達成に数日を要したことを、初日で成し遂げだ。滑り出しは好調と言って良いだろう。
少なくとも、お茶が凍る心配はなさそうだった。
ふと、俺は立花さんに言われたことを思い出す。
「そういえば、担当は対象と個人的に深く関わるな、っていう規則があるらしいんですけど。澄さんは、それ聞いてます?」
「存じております」
「じゃあ、今の『守ります』みたいな話も、規則的にはまずいんじゃ」
一応の危惧を伝えると、澄は不思議そうに首をかしげる。
「お守りすることと、個人的に深く関わることは、別だと思います」
「そうですか?」
「はい。あなたを害するものから遠ざけることは、義務です。深く関わる、というのとは違います」
困った、よく分からない。滑り出しは順調という発言は撤回する必要があるかもしれない。少し間を置いて、澄が続けた。
「塁さんは、規則を破ることに、抵抗があるのですか」
「抵抗、というか……初日にわざわざ念押しされたので、多少は気にしてます」
「わたしのために、規則を破ってくださるのは、光栄なことだと思います」
「いや、破るつもりはないんですけど?」
澄の顔はどこまでも真剣だった。からかっている様子は、微塵もない。まるで、そうなる事が分かっているかのように。
「まあ……前向きに検討します」
「はい。お待ちしております」
何を待たれているのか、正直よく分からなかった。だが、澄が心底嬉しそうに――感情の起伏に乏しいはずのその目元が、ほんのわずかに緩んだのを見て、俺はそれ以上、余計なことを言うのはやめておくことにした。
「そういえば、次の担当行く前に、何か食べておこうと思ってて」
世間話のつもりで零した一言だった。次の担当までの空き時間で、コンビニのパンでも買いに行こうと思っていた、というだけの話だ。
「何を召し上がりたいですか」
「……? いや、別に、コンビニで適当に食べようと思ってます」
食堂でもいいんだけど、微妙に視線を感じるから少し行きにくいんだよな。まあ、辞めずにこの仕事が続いているのが珍しいのかもしれない。
「お好みは」
「んー、特に無いですけど。強いて言うならパンは好きですね」
澄は少し考える素振りを見せた後、静かに部屋の隅にある戸棚を開けた。中には、俺が今まで一度も見たことのない量の菓子パンと飲み物が、几帳面に並んでいた。
「……これ、いつも常備してるんですか?」
「先ほど、揃えました」
「先ほどって、俺がこの部屋に入ってきた時には無かったと思うんですけど……」
「はい」
澄は当然のように頷いた。俺は戸棚の中身と澄の顔を、交互に見比べた。どういう理屈で棚の中身が俺が来てからの十分足らずで揃うのか、聞くのが少し怖かった。
「……ありがたく、いただきます」
結局、聞かないことにした。深く追及しないことも、この仕事の大事なスキルの一つなのかもしれない、と最近は思い始めている。ちなみにもらったパンはすごくおいしかった。
おかしな現象はその後も続き、会話の途中、窓から差し込む太陽の光が時折澄の背中で翼を形作ることが何度もあった。緋雪の部屋でも思ったが、そもそもこの部屋は地下にあるはずなのに窓から見える太陽のようなものは一体何なのだろうか。
「今の……」
「なんでしょうか」
「いや、今背中、何か……」
澄は一瞬だけ、表情に何かをよぎらせた。困ったような、それでいてどこか懐かしむような、複雑な色だった。だがそれも一瞬で、すぐにいつもの穏やかな微笑みに戻った。
「気のせいだと思います」
さらっと返された台詞に、俺は思わず変な声が出そうになった。今度もこっちが言われる番か。
「……そうですか」
一旦気持ちを落ち着かせる時間の確保もかねて、トイレに行こうと思って部屋を出ようとした時、俺は扉の仕切りに足を引っ掛けて、軽くよろけた。大したことはない、ただの不注意だった。
「っと」
体勢を立て直そうとした、その一瞬。頭が柔らかい何かで覆われ、慌てて顔を上げる。目と鼻の先に、澄の顔があった。
どうやら、転びそうになった所を抱きしめられたらしい。さっきまで後ろで椅子に座っていたはずなんだが……どうやって回り込んだんだ?
「……大丈夫ですか」
声が、心なしか硬かった。
「あ、はい、大丈夫です。ただの躓きなんで、ありがとうございました」
「そうですか」
安心したように、頬を緩める。だが、その表情には、俺が転びかけた程度の出来事にしては不釣り合いなくらいの、真剣な色が残っていた。
全ての脅威から守るという言葉、どうやら本当に本気なのかもしれない。
その日の担当時間が終わって部屋を出る時、澄はまた深々と一礼した。
「本日も、ありがとうございました」
「いや、俺、大したことしてないですけど……」
「いいえ。あなたがいてくださること自体が、重要です」
てらいのない言葉だった。緋雪の減らず口とは違う、まっすぐすぎる好意の向け方に、俺は少し気圧された。重い、というのとも違う気がする。ただ、とにかく真剣で、真剣さの純度が高すぎて受け止め方が分からない、という感じだった。
廊下を歩きながら、俺はぼんやりと考えた。緋雪の方は、構ってほしいくせに素直になれない、というようなどこか人間くさい不器用さがあった。澄は、それとはまったく違う。もしファーストコミュニケーションを今以上に失敗していたらずっと口を聞いてくれなかった可能性もある。
立花さんから聞いた、やめる人が続出するという話も納得だ。
―――――
澄と会うようになってから数日、俺の日常は、緋雪の部屋と澄の部屋を往復するだけの、単純だが忙しいものになっていた。
二人の態度は日を追うごとに少しずつ変化していった、もちろんいい方向に。それでもなお、緋雪は相変わらず素っ気ないままだが、俺が澄の部屋に長居した日は心なしか機嫌が悪い。
「今日、遅かったわね」
「澄さんのところで、ちょっと長く話し込んじゃって」
「……そう。別に、待ってたわけじゃないけど」
待っていたと言っているようなものだ。俺はそれを指摘するほど無粋ではないつもりだったので、「そうですか」とだけ返しておいた。
後、緋雪にあげるためのパンを澄に渡してしまったことがバレた時は小1時間ほど口をきいてくれなくなった。
一方、澄は澄で、緋雪の名前を出すと、いつもより心持ち口数が多くなる気がした。
「緋雪さんは、今日はどんな様子でしたか」
「いつも通り、素っ気なかったです」
「そうですか。……何か、変わったことは」
「特には。あ、でもお茶に口をつけてくれるようになりました、最近」
「そうですか」
澄はそれだけ言って、綺麗な微笑みを浮かべたままだった。だが、心なしか、微笑みの温度が一段階下がったような気がした。
美少女二人と話すだけで給料が出る、全くもって良心的なアルバイトだ……今のところは。
Tips:大きなことを言っているが、人間について無知無知すぎて現状ほとんど役に立たない。転びそうになったら何とかしてはくれる(手段は問わない)