上位存在ヤンデレもの 作:ヤンデレスキー
「時間遡行?」
俺の唐突な質問に、困惑した表情で緋雪が小首をかしげる。いつも通り緋雪の部屋を訪ねた後、開口一番、時間遡行に遭遇したこと、そしてその犯人を探していることを話した。餅は餅屋、という奴である。本を集めていた、という事からも博識そうな印象を受けていた。
「そうね……」
緋雪が虚空に手を伸ばす。隅にある本棚から、色とりどりの宝石がいくつもはめ込まれた一冊の本が宙に浮かんで、そのまま手の中に収まった。この程度の現象ではもう動じない。
黙ったままペラペラと本をめくった後、数秒も経たない内にぱたりと本を閉じた。
「ダメね、分からないわ」
プライドが高そうな緋雪にしては非常にあっさりとした言葉に、俺は少なからず衝撃を受けた。緋雪でも分からないとなると、さっそく俺の作戦は八方塞がりだ。
「緋雪さんでも分からないんですか?」
プライドを煽るため、わざとらしい言葉を使う。それが功を奏したのか、むっとした表情になった緋雪はさらに言葉をつづけた。
「その理解は少し正確ではないわ。時間遡行出来る存在なんてありふれすぎていて、それだけの情報では分からない、ということよ」
「ええ……?」
時間遡行なんて禁忌の領域に片足を突っ込んでいる力だと思うのだが……俺が疑念を隠せない表情で緋雪を見つめていると、呆れた表情で補足をする。
「……何か勘違いしているようだけど、時間遡行というのはそんなに便利な力じゃないわ。それどころか、ほとんど意味のない力よ」
「すみません、よくわかりません」
俺の赤裸々な感想に、緋雪はジト目を向けて深いため息をつく。ただちゃんと説明してくれる気はあるようで、指を頬にあてながら考え込んでいた。
しばしの沈黙の後、緋雪が口を開く。
「そうね……例えば、あなたがこの施設に来る途中で転んで怪我をしたとするわ。そして、そのけがを回避するために時間遡行をしたとする」
時間遡行の使い方が随分としょうもない。
「違う道を選べば、転んで怪我をすることはないでしょう。けれどその代わり、誰かに殴られるとか、何かにぶつかるとかで結局怪我をすることになる。時間遡行による改変っていうのはそういうものなの」
緋雪の俺にもわかりやすいように気を遣った簡易な説明に、俺は一応の納得を得る。つまり……ドラ〇もんのタイムマシンみたいなものだろう。
「じゃあ、時間遡行をしても未来は変えられないってことなんですか?」
「何も変えられない、ってことはないわ。その存在にとって取るに足らないような程度の出来事であれば、だけれどね。さっきの例だと、怪我をしない未来に変えることが可能だとしたら、軽い怪我なんて簡単に治療できてしまう力を持ってる、ということになるわね」
なるほど、そう聞くと本当に意味がないように思える。緋雪はもう既にこの話題に飽きはじめたのか、窓の外に目をやった。窓の外には見えるはずのない月が輝いている。
……なら、何のためにわざわざ犯人は俺を時間遡行させたんだ? というかそもそも、俺に「バイトを辞めない」と宣言させる意味も分かっていない。バイトを辞めた瞬間に時間遡行させるならまだ分かるんだが。
謎を解決しようとしたら謎が増えた。思わぬ事態に頭を抱える。
「……何を考えてるか知らないけれど、人間が時間遡行出来る存在の考えを理解しようとしても無駄よ」
俺の様子を見かねたのか、緋雪が呆れた様子で言葉を投げかけてくる。一理ある、けれどもう一発ぶん殴ると決めてしまった以上止まる気はない。
考えを曲げる気がなさそうな俺の様子を見て、緋雪は呆れを通り越して理解できないという様子に変わる。
「随分と意固地ね……何かされたの?」
「あー、何というか、友人を傷つけられた、と言いますか……」
緋雪の疑問に嘘ではない答えを返しておく。半分ぐらいは俺の癇癪が理由なのだが、何となく情けないのでそれは伏せておいた。
てっきり、「下らない」とか「そんなことで?」みたいな反応が返ってくると思ったのだが、緋雪は予想外に無言のままだ。
「友人、友人ね……」
うわごとのように繰り返し呟いて、緋雪はしばらく黙り込んだ。何かを思案しているような、探るような沈黙だった。
「あなたにとって、その友人とやらは、そんなに大事なものなの」
「……? そりゃそうですけど」
短い答えだったが、それで十分だったらしい。緋雪は数秒、俺の顔をじっと見つめた後、ふいに視線を逸らして、また窓の外を見る。
「……そう。あなたにも、そういうものがあるのね」
その声には、いつもの高慢さとは違う、どこか遠くを見るような響きがあった。
「緋雪さんには、いないんですか。そういう相手」
聞いてから、少し踏み込みすぎたかと思う。案の定、緋雪の表情が一瞬だけ強張った。
「……さあ。長く生きていると、色々あるものよ」
はぐらかすような返事だった。だが、拒絶するような刺々しさはなく、むしろ、どこか諦めにも似た響きがある。それ以上は聞かず、俺は黙って続きを待つことにした。
「ちょっと、待ってて」
言うが早いか、緋雪はまた虚空に手を伸ばした。空気中から光の粒子が集まり、一つの形を作る。それが、緋雪の手に収まった。
「これを、あなたにあげるわ」
「……え?」
差し出されたのは、片手に収まらないほどの大きさをした金のインゴットだ。純金ならば相当の重さになるはずだが、緋雪は特に苦に思う様子もなく片手で持っている。
もしかして金ではないのかと一瞬思ったが、緋雪がインゴットを机の上に置いた時に鳴った鈍い音によってその考えは否定される。
金は確か、1グラム当たり2万円以上はしたはずだ。このサイズのインゴットとなると換金したらとんでもない金額になる。
「な、何ですか?」
唐突すぎるプレゼントに俺は困惑と驚きが混ざった声を漏らす。緋雪は自信満々かつ心なしかドヤ顔で告げる。
「友人というのは、プレゼントを送り合う関係だと聞いたわ。貴女からはお菓子やパンを貰ったし、そのお返しよ」
……間違ってはいないが、煎餅のお返しに金のインゴットを送る友人はいない。
「気持ちはありがたいですけど、これは受け取れません」
俺が拒否すると、緋雪は露骨にショックを受けた表情になった後、何かに思い当たったかのように手を叩いた。さっきと同じように、光の粒子が緋雪の手の下で形作られる。
今度差し出されたのは銀のインゴットだ。……あの、材質の問題ではなくてですね。
無言で首を振ると、緋雪の目に涙がうっすりと浮かんだのが分かった。慌てて補足する。
「その、できれば貴金属以外でお願いします」
「……そうね」
またもや考え込み始める。何も言わなかったら、次はプラチナでも出てきていたのだろうか。
「ちなみに、何か希望はあるかしら?」
「えっと……どうせなら実用性があるもので、後出来るだけ安いもので」
「出来るだけ安いもの」の部分を強調して言う。まあ、ある意味では金のインゴットも実用性があると言える気がするが。
「実用性、実用性があるものね……」
「どちらかと言うと大事なのは「安い」って部分なんですけど……あれ、聞こえてますか?」
俺の補足は残念ながら無駄だったらしい。緋雪がどこからともなく、柄に見たこともない紋様が刻まれ、刀身が発光してる剣を取り出し始めた段階で俺は言葉選びをまた間違えたことに気づいた。
「これもダメなの?」
「俺が時々持ってくる煎餅と同じくらいの価値のものでお願いします」
俺が間違いのないように具体的な要求をすると、緋雪は今までにないほどの難しい顔をして悩み始めてしまう。逆に価値が低すぎるものを用意するのは難しいのだろうか。
仕方ないとはいえ、俺がわがままな要求をしている形になるため若干気まずい沈黙が流れること数分。緋雪が差し出してきたのは指輪だった。
装飾は驚くほど控えめで、細い銀の台座に、爪の先ほどの深紅の宝石が一つだけ、静かに嵌め込まれている。派手さはないが、よく見ると台座に施された彫りは、緋雪の本棚にある古い本の装丁と、どこか似た意匠をしている。
「これでどうかしら?」
「……ありがとうございます。嬉しいです」
震える手で握られる指輪をそっと受け取る。思わず「指輪と備え付けの煎餅はどう考えても同じ価値じゃないですよね」という突っ込みが出かけたが、なんとか飲み込んだ。
「……着けないの?」
緋雪が、様子を窺うようにそう聞いてきた。心なしか、声が硬い。
「あ、いや、着けます、着けますけど」
慌てて、左手の薬指に……は流石に色々とまずい気がして、右手の中指に、そっと通してみる。サイズは、驚くほどぴったりだった。宝石の赤はその輝きをさらに増しているように見える。
「綺麗ですね……本当に、ありがとうございます」
もう一度お礼を言って頭を下げる。色々と文句を言ったがプレゼントを貰って嬉しいのは本当だ。ようやくプレゼントを受け取り感謝を述べた俺に、緋雪はこれまでに見たことがないほど満足そうな笑みを向ける。
犯人探しに関してはほとんど進展がなかったが、まあこんな日があってもいいか、なんて思えた。
─────
その日の夜。人から貰った者を粗末に扱うようなことはもちろんしないが、流石に知り合いにこの指輪をつけている所を見られたら面倒なのは間違いない。俺は施設の外では指輪を外しておくことに決めた。
右手の中指から抜こうとする。だが、指の第二関節のあたりで、ぴたりと止まってしまった。
「あれ?」
もう一度、力を込めて引っ張ってみる。まったく動く気配がない。まるで、指と一体化しているかのような感触だった。
嫌な予感がしながらも、まずは定番の方法を試すことにした。台所から食器用洗剤を持ってきて、指にたっぷりと塗り込む。ぬるぬるになった指で、もう一度、思い切り引っ張ってみた。
「……抜けない」
石鹸に切り替えてみる、駄目だった。ハンドクリームを試す、これも駄目。指を氷水につけたり、糸を使ったりする方法をネットで見つけて試したが効果はない。
「……勘弁してくれよ」
深いため息をつきながら、俺はソファに座り込んだ。……まあ、別に実害はない。というか、あの流れで出された指輪である以上これぐらいの事態は覚悟していた、知り合いに変な勘繰りをされるのは防げないだろうが。せめて気分転換にと、テレビをつける。ちょうど、夕方のニュース番組が始まったところだった。
『続いてのニュースです。イギリスのルービル美術館で、展示中だった来歴不明の長剣が何者かに盗まれる事件がありました』
聞き流しかけていた俺の手が、リモコンの上でぴたりと止まった。
『展示ケースには盗まれた形跡がなく、防犯カメラにも不審な人物の姿は映っていませんでした。館の学芸員によると、当該の剣は柄の部分に、これまで確認されたことのない紋様が刻まれており、鑑定の結果、既知のどの合金とも一致しない特殊な金属で作られていたとのことです』
画面に映し出された、剣が保管されていたという空っぽの展示ケース。俺は無言でテレビを消した。