上位存在ヤンデレもの 作:ヤンデレスキー
緋雪からもらった指輪が抜けなくなり、さらに剣が盗品であるという事実から現実逃避してふて寝した翌朝。今日はバイトもほかの用事もない、テレビはつけずに家でのんびり過ごそうと思っていた。犯人探しに関しては手がかりが無さすぎて若干諦めかけている状況だ。
洗面所で顔を洗っていると、鏡越しに見慣れない人影が写る。思わず口に含んでいた水を吹き出しそうになり、慌てて後ろを振り返った。当然のように澄が立っていた。
「おはようございます。塁さん」
「……おはようございます」
その端正な顔に浮かぶ笑みには、一切の曇りがない。見てると、施設からの脱走も不法侵入もすべてがどうでもいいものに……全然思えない、何をしているんだこの人。
「えっと、なんでここに?」
「今日は、非番と伺いましたので。昨日は私の所にいらっしゃって下さらなかったこともあり、一緒に外出でもいかがかと」
「……」
あんまりな理由に閉口してしまう。……まあ、あの施設から脱走が可能だというのは分かる。一応警備は厳重になっているが、それはどちらかというより外部からの侵入を防ぐためのものであって、脱走を防ぐためのものではないような気がしていた。
けれど、それは俺の気持ちとは関係ない話だ。今まで、どれだけ超常的な現象が起ころうとも、緋雪と澄はあの部屋にいて、俺から会いに行くのが当たり前で前提となっていた。それがこうもあっさり壊れるというのは、何となくもやもやする。実は俺の知らない所で、研究と称して非人道的な行為を受けていたとかなら納得がいくのだが……今からでもそういうことにならないか?
「実は、あの施設で何か酷いことをされたりしてませんか?」
「心配してくださるのですね! 大丈夫です、誓ってそのようなことはありません。ご安心ください」
何がそんなに嬉しかったのか、いつにも増して満面の笑みを浮かべた澄は自信満々に答えた。どうやら、軌道修正は無理そうだ。どう答えたものか。
「外出、ですか。そうですね……」
流石に気軽に了承はできないため、答えを濁す。そもそも俺顔を洗っている最中なんだけれど……実は外の世界に恋焦がれていて、外に出るための理由が欲しかったとか……ないよなあ。時間外労働って給料出るのだろうか。
「……もしかして、お嫌でしたか?」
「うっ」
俺の否定的な感情が伝わったのか、澄は恐怖に震えた様子で問いかけてくる。緋雪のように単純に泣かれそうになるのも困るのだが、俺の拒絶に怯えられると余計に断りづらい。明確にNoと言えないまま、少しの間考え込む。澄は、懇願するような目で俺のことを見つめていた。
─────
結局、断りきれないまま、俺は澄と二人で外出することになった。とは言っても、いくら超常的な力を持っているとはいえ、外見は完全に人間だし、性格も穏やかだ。突然人の家に不法侵入してきた件については完全に無視し、俺は楽観的な予測を立てていた。
しかし、外に出てから数分で大きな問題が発覚した。
拝んでいるのだ。道行く人が、澄のことを。俺のアパート付近は人通りが少ない、よって通行人とすれ違った回数はまだ3、4回であるが、今のところ打率は十割である。もう既に帰った方がいいかな、と思い始めていたがスキップをしながらウキウキで隣を歩く澄の様子を見て、言い出せずにいた。
澄に拝んでいる人達を何とかしてほしいと伝えた結果、打率が1割程度に減り、ようやく人通りのある場所を歩けるようになった頃。交差点に差し掛かり、俺は信号が赤に変わりかけているのに気づかず、少し急ぎ足で渡ろうとした。
「危ないです」
澄の声と同時に視界の端で、走ってきた自転車が消えた。
「……は?」
交差点を渡り切ってから、思わず二度見する。そこには何の痕跡もない、当然、自転車に乗っていた人も含めて。冷や汗が全身から噴き出る。
「澄さん、何、やってるんですか?」
「危険物を排除しただけです」
「あの、そうじゃなくて、乗ってた人は?」
「……? いなくなりました」
何を問われているのかすら分かっていない様子で答えを返され、頭がくらくらしてくる。周囲を見回すと、他の通行人は誰も気に留めていないというより、まるでこの光景そのものが「なかったこと」のように扱われている空気だった。
深呼吸をして、心を落ち着かせる。消すことが出来るなら、戻すこともできるはずだ。
「今すぐ戻してください、お願いします」
「……了解しました」
澄が小さく指を鳴らすと、視界が切り替わるような感覚があった。瞬き一つの間に、青年は何事もなかったかのように自転車を漕いで通り過ぎていく。
ほっと安心したのもつかの間、前を歩いていた男が、俺の肩に思い切りぶつかってきた。舌打ち一つ残して、謝りもせず立ち去っていく。
「……まあ、こんな日もあるか」
特に気にせず歩き出そうとした、その時。
「少々、お待ちを」
澄の声のトーンが、明らかに変わっていた。振り返ると、さっきの男が、道の真ん中で、なぜか片足立ちのまま静止していた。表情は困惑と苦痛の入り混じったものだった。
「澄さん、今度は何やったんですか」
「非礼の分だけ、時間を止めさせていただいております」
「やめてください」
「……わかりました」
「今すぐ戻してください。マジで」
「塁さんが望まないなら」
不服そうな顔をしながらも、澄は静かに手を振った。気づけば、男は何事もなく俺の横を通り過ぎ、舌打ちだけを残して雑踏に消えていった。
「澄さん、俺を守ってくれようとするのは嬉しいです。けど、こういう事はもうやめてください」
「……申し訳ございません」
「やるとしても、出来るだけ穏便に。消すとか、時間を止めるとか、他人に危害を加えないでください。……今日はもう、帰りましょう。安易に了承した俺も悪かったです」
俺が言葉を重ねるごとに、どんどん青くなっていく澄の表情を見て、それ以上何か言うのは憚られた。帰り際、申し訳ございません、お許しください、とひたすら謝罪を続ける澄を慰めながら歩いている時、スマホが鳴った。母からの電話だった。
「もしもし」
「塁? 今度こそ、ちゃんと帰ってくるんでしょうね」
「あー……うん、多分」
「多分じゃなくて。お父さんも心配してるのよ、あなたがちゃんとやっていけてるのか」
いつもの小言だったが、その日はなぜか、少しだけ胸に応えた。電話を切った後、俺は無意識にため息をついていたらしい。
「……何か、ご心配事が?」
隣に座っていた澄が、静かにそう尋ねてきた。
「いや、大したことじゃないです。実家に、なかなか帰れてなくて」
「なるほど」
それだけの会話だった。少なくとも、俺はそう思っていた。
数秒後、視界がふっと歪んだ気がした。
「……あれ?」
スマホの画面には着信履歴が残っている、知らない電話番号からだ。画面に表示された、電話先の名前にも見覚えはない。見覚えはない、はずだ。
──気持ち悪い
飲み会の夜、時間遡行を味わった時とは比べ物にならないほどの不快感が身を包んだ。吐き気を抑えきれず思わずうずく。自分の根本が、決定的に何か欠けてしまっていたような感覚。
「……澄さん、何か、しました?」
自分でもびっくりするぐらいの乾いた声が漏れ出た。
「ご両親との記憶を、なかったことにしておきました! ご心配の種は、一つでも少ない方がよいかと」
嬉しそうな顔で、そう告げられた。
「……は?」
一瞬、意味が理解できなかった。ただ、頭の中で、何かがすっと冷えていくのが分かった。幼少期の頃の記憶が、虫に食い荒らされたみたいに、整合性が取れていない。家に帰った時、暖かい笑顔で出迎えてくれたはずの「誰か」が、思い出せない。
―──なるほど、これは、理解できない
「どうでしょうか、お役に立てましたか?」
「……はは」
人は、感情が一周すると逆に笑いがこみあげてくるらしい。笑った後一度、深く息を吸う。俺が喜んでいるとでも思っていそうな、澄の笑顔が余計に気に障った。
「いい加減にしてください」
「……はい?」
澄は戸惑いを隠せない声を漏らす。俺が何に怒っているのか、見当もついていない様子だった。
「守る? 両親との記憶を消す事で? ……馬鹿にしてるんですか?」
「そんな、つもりでは」
「じゃあ、どんなつもりだったんですか」
被せ気味に、声を荒げる。自分でも制御が利かなくなっているのが分かった。澄は息も絶え絶えといった様子で、弁明を絞り出す。
「塁さんを、悲しませたくなかったんです」
「俺が何を感じて、何を大事に思って、何にどれだけ悩むか――苦痛に及ぶまで全部、俺のものです。それを勝手に決めつけて、取り上げて、守るって何ですか?」
「わ、私はただ……」
「何も、何もいらないです。あなたが与えられるもの、守れるものなんて、何もない」
言い切った途端、澄の表情から色が抜け落ちるのが分かった。今までの怯えや恐怖とは全く違う、まるで心の奥底に留めておいたトラウマに触れられたかのような。
「……分かりました」
小さく、けれどはっきりとした声だった。
「今日という日を、なかったことにします。それが、一番良いかと」
「え、待ってください」
「そうすれば、塁さんに余計な負担をおかけすることも、なくなりますから」
「いや、ちょ──」
止める間もなかった。澄が静かに目を閉じると、世界が──俺の視界そのものが、輪郭を失っていくような感覚に襲われた。
───────
「……申し訳ございませんでした。もう二度と、このようなことはしません」
洗面所に、小さな声が響く。
「ちょっと待──」
俺の静止も虚しく、澄さんの姿が掻き消え、俺の伸ばした手は空を切る。残されたのは、俺一人と沈黙だけ。
「悪いことしちゃったかな……」
わざわざ家まで来た女の子を追い返すという、かなり酷い事をしてしまった。けれど、不思議と罪悪感は少ない。あのまま連れて行っても碌なことにはならないだろうという確信があった。
「次のバイトの時に謝るかあ……」
──────
少し気まずく感じながらも、俺は澄の部屋を訪ねることにした。
あの時外出を断った──というか、了承しなかったことは、今でも間違っていたとは思わない。ただ、伝え方はもう少し、あっただろうとも思う。
部屋の前で、いつもより長く逡巡してから、ノックをした。
返事は、なかった。それでも構わず、静かに扉を開ける。窓際の椅子に、澄が座っているのが見えて、少なからず衝撃を受けた。
初めて出会ったときに感じた、神聖さのようなものが欠片も感じられない。それどころか、生気すら今の澄には感じ取れなかった。
「澄さん」
「……」
顔を上げようとしない。俺に気づいていないはずがないのに。
「この前は、すみませんでした──ちゃんと、謝りたくて」
しばらくの沈黙の後、澄がようやく顔を上げた。昨日のような笑みはどこにも浮かんでいない。この世の全てを諦めたような、そんな表情。
「……謝るのは、わたくしの方です」
消え入りそうな声だった。それでも、俺の顔から目を逸らさなかった。
「私は、取り返しのつかないことを、してしまいました」
澄は俯いたまま、ぽつりぽつりと話し始める。澄のひたすらに繰り返される痛々しい謝罪を聞きながら、俺は流石に違和感を覚えた。どう考えても、外出を断られただけにしては深刻すぎる。澄さんの今の表情や様子は、まるで禁忌か何かを犯してしまったかのようだ。
取り返しのつかない事……いや、つくだろう。つかないわけがない。もしかして、取り返しのつかないことって、昨日のことではない?
ふと、あの夜のことが、脳裏に蘇る。何度も繰り返された同じ時間。「バイトを続ける」と言わされるまで、終わらなかったループ。友人に嘘をつかされた、あの夜。「取り返しのつかない事」、心当たりは一つしかなかった。
「澄さん、それって」
声が、震えた。胸に浮かんだ「もしかして」を、そのまま言葉にする。
「時間遡行の事ですか?」
「……申し訳、ありません」
消え入りそうな声だった。俯いたまま、澄はそれ以上、何も言わない。
頭の中が、一瞬熱くなる。いまだ燻り続けていた怒りだった。犯人を見つけたら一発ぶん殴ってやる、そう決めていた。
「……そう、ですか」
不思議と、自分の声は静かだった。
「一発だけ、殴らせてもらっていいですか」
澄は、驚いたように顔を上げた。それから、ゆっくりと目を閉じ、静かに頷いた。
「……はい。どうぞ」
拒む素振りは、欠片もなかった。
拳を握る。だが、いざとなると、本気で殴る気にはなれなかった。結局、頬に軽く触れる程度の、拳とも呼べないような一撃を、そっと当てるだけになった。
「これで、終わりです」
澄は、目を閉じたまま、しばらく動かなかった。恐る恐る目を開けたその顔は、痛みよりも戸惑いの方が色濃く浮かんでいた。
その手を、そっと取った。
「澄さん」
「……はい」
「全部、許します」
まっすぐに、その目を見て言った。
「全部、もういいです。終わったことです。何であんな事をしたのかとか、そういうのも、もう聞きません。俺達、まだやり直せますよ」
澄の目に、みるみる涙が浮かんでいく。これまで見たどの表情とも違う、堰を切ったような泣き方だった。
「……塁さん」
涙を拭いもせず、澄は深く、深く頭を下げた。これまでのどの礼よりも、深い角度だった。
「私のすべてを、あなたに捧げます。今度こそ、本当に」
「いや、そういうのは別にいいんですけど」
「何があっても、あなたのために」
俺の言葉は、もう耳に入っていないようだった。潤んだ瞳には、これまでとは質の違う、揺るぎない光が宿っていた。
……なんか、色々想定と違う気がするけど、まあいいか。
胸のつかえが、すとんと落ちた気がした。犯人が誰か分かった今、あとはもう、この気持ちに整理をつけるだけだ。冷静に考える余裕もないまま、俺はただ、目の前で泣きじゃくる澄の頭を、そっと撫でていた。
そこら中に転がっていた、小さな違和感を見逃しながら。
ハーメルン特有のギミックに挑戦。誤字報告機能から見れます。不評だったら辞めます
追記:一旦ギミックなしの文章に戻しました。元の奴もパスワード限定公開で乗せときます。
https://syosetu.org/novel/423900/1.html パスワード「ああああ」
澄:ほぼ消滅寸前だった、時間遡行してもバレてると絶望してたらなんか全部許されて完全復活。
塁:本来なら色々な違和感に気づき、時間遡行(今話)の記憶を取り戻し真相に辿り着いていた。その場合澄は消滅、緋雪との純愛ルートに。犯人探しに無理ゲー味を感じていたのもあって今回は早とちりして勘違い