上位存在ヤンデレもの 作:ヤンデレスキー
大学の単位には自由科目という分類がある。卒業単位には含まれないし、gpaにも影響しない単位。世の大学生がこれを取ることはかなり少ない、自らの知的好奇心にのみ基づいて取るものなのだから当然と言えるだろう。
大学4年で就職は内定済み、もちろん単位は取り切っていたが、自由科目など一度も取ったことはない。そんな俺がこのよく分からない古典文学の授業を自由科目として取ることになったのはあの金髪の同期が原因だった。
1人じゃ心細いだの何だの色々言っていた気がするが、結局無理やり押し切られた。そもそも最悪落としても何のデメリットもない訳で、ことさら断る理由が無かったのが大きいだろう。
火曜日の2限目、終わったら丁度正午近く。自然に授業の後、昼食を2人で食べに行くのが定番の流れとなっていたが、様子を見るにどうやら今日は無理そうだった。
斜め右前、5つか6つ先の席に視線を向けると目につくのは金髪。その隣には長い黒髪。端的に言うと金髪の同期が黒髪の女性を口説いていた。
「まったく……」
ため息を一つ。初対面だったら流石に止めていたが、一応何度か言葉を交わしたことはあるようで女性の方も特に抵抗なく受け入れていた。遠目からでははっきりと分からないが、話は弾んでいるように見える。
この友人の女癖は悪いどころか、いまいち浮いた話すら聞いたことがなかった。俺をほっぽり出してわざわざ話しに行くとなると、よっぽどタイプだったのだろうか。
後ろからでは見えるのは横顔が精々だが、顔立ちは相当整っているのがここからでも分かる。現状美少女と日常的に顔を合わせることでそこら辺の基準が若干壊れ始めている俺が見てもそう感じるということは、確かなのだろう。
思い出してみればミスコンか何かで見たことがあるような気もした。
いつも世話になっている事もあるし、この程度のことで怒ることは無いがそれはそれとして困った。正直自身の頭ではこの授業の内容は理解しきれないことが多い、分からない事がある度あいつに解説してもらいながら何とか授業に着いていってる現状だ。
今日の授業は猛烈な睡魔に襲われる事必至だ──そう覚悟を決めた時、視界の端に人影が映った。
「隣、よろしいですか?」
かけられた声が自分に対する物だと気付かず、数秒経った後でようやく事態を認識した。顔を横に向けると、1人の女性が立っていた。
おおよそ、俺とは縁のなさそうな女性だ。肩にかけたバッグは名前だけは知っているブランド物であるし、服も随分上等そうだ。もちろん、服に関しての目利きに自信などないけれど。まあ、薬指で輝く宝石──恐らくダイヤだ──を見るに、服だけ安物なんてことは無いだろう。
口元に浮かべた笑みは穏やかで、緩められた目元、小首を傾げる可愛らしげな仕草からは、警戒どころか庇護欲すら湧いてくる。
残念ながら、何の打算もなく美少女が隣に座ってくると思うほど俺は自惚れていない。この時点で面倒な事態になる事が確定した。緋雪か、澄か、瑠璃か、機関絡みか、はたまた前に襲われた人物絡みか。心当たりは無数にあるが、どれだとしても事が穏やかに進む見込みは薄い。
「……初めまして?」
「初めまして、塁さん」
まずはジャブを一発、と言ったところだろうか──もちろん貰った側だ。最近は俺の個人情報の漏洩が激しい、別に価値のあるものとは思えないが。
上品な仕草で隣に座った彼女の体は、依然としてこちらに向いている。挨拶だけで終わり、ということにはならなそうだ。
「……失礼ですが、どこかでお会いしましたか」
「いいえ、今日が初めてです。ただ、お噂はかねがね」
噂という単語に、心臓が小さく跳ねる。正直あのバイトのことを突っつかれても反論出来る気はしない。
「……お噂、っていうのは」
「そんなに身構えないでください。取って食べたりしませんから」
彼女はあくまで敵意は微塵も感じられない、穏やかな声でそう言った。個人的には、まだ取って食べてくるような怪物のほうが対処しやすいような気がしてならない。
「あの、失礼ですけど、お名前を伺っても」
「
ぺこりと頭を下げる、その仕草にはやはり作為的な可愛らしさが滲んでいた。だが、目の奥だけは笑っていない。値踏みするような、探るような光が宿っている。
「怜さん、ですか。それで、その『噂』というのは、具体的には」
「単刀直入に伺いますが」
怜は声のトーンを少しだけ落とした。周りに聞こえないよう、けれどはっきりと届く、絶妙な声量だった。
「竜神様と、邂逅なされましたか?」
心臓が、今度は大きく跳ねる。まさか、こんなにあっさりと核心を突かれるとは思っていなかった。
「……竜神様、というのは」
「とぼけなくても結構ですよ。もう、把握済みですので」
「把握って、どうやって」
「先日、繁華街で大規模な『事象』がありましたよね。あの場に居合わせた者の中に、私たちの同胞が、何人かおりました」
……なるほど、大体理解した。瑠璃の言葉を思い出す。
『昔、人間の集落の近くに棲んでいたことがあるの』
そりゃあ、実際に利益のある存在を信仰対象とする宗教なんて現代まで続いていてもおかしくない。それどころか、どこまで広がっているのやら……
「あの日、居合わせた人の誰かが、実は竜神様の信者だったんですか?」
「正確な人数は分かりませんが……少なくとも数人は。竜神様に関わる異変の噂は、私たちにとって、常に最優先で追いかけるべき情報ですので」
「常にって。監視でもしてるんですか」
「監視というと聞こえが悪いですが……観測、と呼んでいただければ」
言葉を選んでいるようで、その実、あまり誤魔化す気もなさそうだった。
「何が起こったか具体的なことについて我々は把握できておりません。ただ、塁さんに纏わりついている竜神様の気配、もしくは気……というべきものは、信者なら誰でもすぐに気が付くでしょうね。後は塁さんの行動履歴を確認し……あの場所にいたことが分かったわけです」
怜は淡々と続けた。当たり前のように語られた行為は、はいそうですかとは受け入れづらいものだ。
「あの、それって結構、プライバシーの侵害じゃないですか」
「申し訳ございません。ですが、竜神様に関わることとなると、私たちも、どうしても敏感になってしまうのです」
悪びれた様子もなく、あっさりとそう返される。この組織にとって、監視はもはや日常の一部らしい。
「ちなみに、信者ってどのくらいいるんですか。あの繁華街に居合わせた人がいたのは偶然ですか?」
「詳細な数までは、私の一存ではお答えできません。ただ……人が多く集まる場所には、大抵、何人かは配置されている、とだけ申し上げておきます」
「大抵の人が多い場所って、それもう、日本中どこにでもいるってことですよね」
「否定はしません」
事実上の肯定をされて、俺は言葉を失った。想像していたより遥かにこの組織の情報網は、社会に深く根を張っているらしい。
「じゃあ、俺自身のことも色々調べられてたりするんですか?」
「学部や年齢程度は、把握しております。それ以上の個人情報には、立ち入っておりません」
「それ以上は立ち入ってない、って言われても、正直、あんまり安心できないんですけど」
「ご不安はごもっともです。ですが、悪用する意図は、一切ございません。あくまで、竜神様に関わる情報を、正確に把握したいだけなのです」
その言葉に噓は感じられなかった。まあ、特段隠しているわけでもない。調べようと思えばいくらでも調べられるだろうから、一応の配慮はしてくれているらしい。
大体の事情は把握したが……どう考えても面倒事である、逃げたい。
前方では相変わらずあいつと黒髪の女性が、楽しそうに会話を続けている。この状況で助けを求められる雰囲気ではなかった。まあ、こんな事態に巻き込むわけにはいかないか。
とりあえず、質問を続ける。こちらの情報ばかり知られているのも気分が悪い。
「あの、怜さんは、その……る、竜神様を、信仰されてる、ってことですよね」
「はい。生まれた時から、ずっと」
あっさりとした返事だった。生まれた時から、という言葉の重みに俺は面食らう。
「私の家系は、代々、竜神様を主神として仰いできました。物心つく前から、祈りの作法を叩き込まれて育ちます」
あっけらかんとそう言われて、俺はますます戸惑った。大学の講義室でこんな会話が繰り広げられているという事実自体が奇妙だ。そして授業中に堂々と会話をしているのに、いつもの質問──この講義の先生は私語をしている生徒を狙って質問に答えさせるタイプだ──も飛んでこない。
気にしないようにしてさらに質問を続ける。
「ちなみに、そのブランドのバッグとか、その指輪とか、それも信仰と関係あったりするんですか」
気になっていたことを、思い切って聞いてみる。怜は、少し目を丸くした後、小さく笑った。
「よくお気づきになりましたね。ええ、関係あります。私の家系──というより、古参の信徒の家系の多くは、竜神様の恩恵を受けて、それなりに裕福な暮らしをさせていただいています」
誇らしげな様子で言う怜を見て、心の中でため息をつく。思ったよりも信仰の対価が直接的だ……何しているんだあの人、なんというか、もう少し色々考えてほしい。
「じゃあ怜さんがやってる……観測とか、今のこれとかは、家業みたいなものなんですか?」
「そうですね。物心がついた頃から、いずれこういう役割を担うだろうと、なんとなく察していました」
「嫌だとか、思わなかったんですか」
矢継ぎ早に質問を続ける。それは会話の主導権を握るためでもあったし、この先に待ち受けているどうにもならなそうな展開から目を背けるための行為でもあった。
怜は今まですらすらと答えていたのとは打って変わって、少しの間口をつぐむ。そして懐かしむような声で口を開いた。
「……私は、子供の頃、とある病気から竜神様に救われたんです。難病でした、現代医学でも治る見込みなんて到底ない、ただ死を待つだけのような病気。私の命は、竜神様から貰ったようなもの、嫌なんて思うはずがない。竜神様の信徒なら、誰でも同じ気持ちでいます」
その言葉には、確かな熱量が滲んでいた。ああなるほど、だからか。俺は、彼女の瞳に微かに混じっていた敵意の理由を理解した。
「だから羨ましい、というのが、正直な気持ちです」
怜の声に、初めて隠しきれない感情の色が滲んだ。
「私たちは、どれだけ祈りを捧げても、竜神様に直接お言葉を頂くことすら、ほとんどありません。それなのに、あなたは……」
言葉が、そこで途切れる。羨望と、それに近い種類の微かな怒りのようなものが、その目の奥に見え隠れしていた。
「あの、俺は別に、特別なことをしたつもりは」
「そこが、余計に腹立たしいのです」
にっこりと微笑まれながら、そう言われる。流石に今のは俺が言葉選びを間違ったか。少し怖い。
「それはそれとして」
怜は一度深呼吸を挟んでから、続けた。
「塁さんの扱いについては、我々としても非常に困っております。そこで一度、私たちの本拠地にいらしてください」
あっさりと告げられた提案は、まあそうなるだろうなと予想していた物だったため驚きもしなかった。
「はあ」
「ご安心を。手荒な真似をするつもりは、一切ありません。むしろ、丁重にお迎えするつもりです」
その言葉にも、噓は感じられない。まあ、彼女としては嘘をついているつもりはないのだろう。……こんな宗教組織が一枚岩なんて可能性、あるのだろうか。
「その本拠地ってのは?」
「要は聖地です。その近辺に竜神様が降臨なさったとか。あの繁華街も今後聖地として買収予定ですね」
あそこってそこそこ都心の繁華街なのだが、買収となると一体いくらかかるのだろうか?
「もちろん、世界各地に支部も存在します。あの〇〇ビルも実は支部なのです」
誇らしげに語るその様子に、俺はなんとも言えない気持ちになった。瑠璃自身は、こんな大それた扱いを、望んでいるのだろうか。パフェに目を輝かせ、テーブルの下で緊張したように膝を揺らしていた、あの人間くさい姿とは、あまりにもかけ離れている。
正直、行くべきか迷いはあった。だが、これだけの規模の組織が瑠璃に関わっているというなら、いつまでも逃げるのは難しい。後は、単純な好奇心もある。
「……分かりました。行きます」
「良いお返事、ありがとうございます」
怜は、心底嬉しそうに微笑んだ。その笑顔に、やはり複雑な感情が透けて見えた。
「日時は、追ってご連絡します。……あ、それと」
「はい?」
「今日のことは、くれぐれも他言無用で」
言葉とは裏腹にまるで心配していない表情だ。まあ、言ったところで頭のおかしい奴扱いされるだけだろう。
その日の講義がどんな内容だったのか、正直まったく覚えていない。隣に座り続けた怜は講義の間、ずっと物静かに前を向いていたが、時折こちらに向けられる視線だけは最後まで拭えなかった。
講義が終わると怜は連絡先を俺と交換し、優雅な足取りで教室を出ていった。入れ替わりに、あいつが満面の笑みでこちらに駆け寄ってくる。
「聞いてくれよ塁、あの子、連絡先交換できたんだ! しかも今から、飯行く約束まで……って、お前どうした、なんか疲れた顔してるぞ」
「いや、ちょっと、色々あって」
いつも通りの誤魔化しを口にしながら俺は密かに、これから訪れるであろう厄介事に覚悟を決め直していた。
「そういえば、お前の隣にいた子とも、何か話してたよな。あの子も、なかなかの美人だったし」
「まあ、ちょっと世間話した程度だよ」
「またそうやって誤魔化す……というか、いつの間にか女慣れしてないか?」
疑わしげな目でこちらを見ていた。図星すぎて、何も言い返せない。
「気のせいだろ」
「まあ、いいけどさ。今度、あの子のことで色々相談乗ってくれよな!」
「ああ、それはもちろん」
いつも通りの軽口を交わしながらも、俺の頭の中はこれから待ち受けている、竜神信仰の本拠地訪問のことでいっぱいだった。