Sin and Punishment:Revenant 作:アイダカズキ
──死んだことのある奴はいない、と誰かが言っていた。
少し前までなら本当だったろうが、今の俺に関しては嘘だな、と〈
海底は暗かったが、真の暗闇ではなかった。
行く手におぼろげに見えてきた、砂に半身を埋めた貝殻のような巨大な建築物は、モジュール構造の水中研究施設だ。表向きこそヨーロッパ系列の民間企業だが、それはペーパーカンパニーであり、実態は近隣で最大規模を誇る中国軍の秘密研究所だった。当然ながらセキュリティは堅牢そのものであり、先日もその正体を暴こうとしたジャーナリストが二人ほど不審死を遂げている。
悪魔召喚だの、エイリアンの解剖だのといった明確に与太とわかる噂話を丹念に除いていけば、そのうち最も信憑性の高い噂だけが残る──〈
情報によれば、あの研究所には大型培養槽を含む高価な研究機器以外にも、大規模な警備部隊を完全武装させられるだけの装備が運び込まれているようだ。小火器や警備用ドローンばかりか、小型の攻撃型潜水艇まであるらしい。非合法の施設であることを考えればかなりの警戒レベルだ。
もっとも、その警戒レベルも今日でご破算になりそうだが。
『
〈処刑人〉の
彼ら彼女らの請け負った契約は実にシンプルだ。施設に侵入し、内部の人員を皆殺しにせよ──例外なく。
ブザーにも似た警報音が高まり出した。それに特徴的なキャビテーション音も。件の攻撃型潜水艇が動き出したらしい。
『〈
『心得た』
水中研究施設の一部が展開し、ハッチからミニチュアの潜水艦そのものの見かけをした潜水艇が姿を見せた。小型ではあるが、それでも海中で見ると圧倒される質量だ。生身の人間がかなう大きさではない──戦うにしても逃げるにしても。
が、その巨体は、何の前触れもなく海中に出現した光の柱によって真縦に貫かれた。
艦橋そのものが消失していた。搭乗員たちは苦痛を感じる暇さえなかっただろう。
『目標の無力化を確認。ハッチが閉まる前に突入する』
『爆破して入る手間が省けましたね』
場違いなほど明るい、明るすぎる声が脳内に響く。〈
ハッチから水中研究施設のドッグ内に侵入した〈処刑人〉たちは、手早く潜水装備を脱ぎ捨てた。既に施設内ではサイレンが不吉に鳴り響き、中国語の怒号と荒々しい靴音が入り乱れている。奥の方ではバリケードも構築されているようだ。
『想定よりも警備部隊の展開が早い。厄介ですね』
〈女狩人〉の声が脳内に届く。耳をつんざく轟音の中でクリアな会話ができるのはありがたい。脳内通信の効果だ。
『展開が早い、結構なことじゃないか。これは俺たちの
『ええ。いつまでも弱小マフィアや取るに足らない海賊ばかりを仮想敵にしても、技量は上がりませんから』
無意識に唇を舐めていた──
『では、せいぜいご注文通り……
半透明の防弾盾とSMGを構えた施設警備部隊が突進してきた。日頃の厳しい訓練を容易に連想させる見事な動きだ。銃口が一斉に向けられる。
『時間が惜しい。
『了解』
〈処刑人〉は小銃に装着したレーザー
『
視界の中で血飛沫が舞った──十や二十、いやそれ以上が。
警備部隊には何が何だか理解できなかっただろう。何の前触れもなく、仲間たちの首や胴や両手両足が切断されたのだ。目を凝らせば、彼らの周囲でテープのように薄くしなやかな〈刃〉が踊り狂っているのが見えただろう。薄くてひらひらと頼りないが、鉄塊を叩きつけても折れず曲がらず、絶対に切断できない〈刃〉だ。
三脚に重機関銃を設置しようとしていた兵士も、後退の指示を出そうとした部隊長も、次々に一撃で眉間を射抜かれて倒れ伏した。〈女狩人〉の狙撃だ。血の海の中でもがく生き残りにも〈道化〉たちの擲弾が放たれ、警備部隊は瞬く間に壊滅した。〈処刑人〉たちは何の傷も負っていない。ほぼ一方的な殺戮だった。
『後続が来ないな。もっと波状攻撃で畳みかけてくると思ったが』
『警備部隊が全滅したのを監視カメラで見ていますからね。各個撃破される愚を避け、奥の区画に防衛戦力を集中させているのでしょう』
悪くない手だ、〈処刑人〉は無意識に唇を舐めた。不意の襲撃への対応としては満点に近い対応だろう──ただしそれは、俺たち以外が相手ならだ。
『
『あいよ』
〈苦行者〉は小銃を弾痕だらけの壁に立てかけ、どっかりと座り込んだ。「仕事」に取りかかる彼のいつものスタイルである。
『〈道化〉、警備システムへの侵入はどれくらいかかる?』
『それなりの
『しねえよ。誰に向かって物言ってんだよ』
〈道化〉が壁面に設置されたメンテナンス用端末に端子を差し込んでいるうちに、あぐらを掻いた〈苦行者〉の頭部が音もなく変形し、黒光りするルービックキューブのような多面体になった。
肉体の一部あるいは全部を〈竜〉化させることでの能力強化。
『〈苦行者〉さんのそれ、いつ見ても不思議ですよねー。宴会でやったら大ウケですよ』
『しねえっつってんだろ。あんまりナマ抜かすと皮を剥ぐぞ』
頭部を変形させた〈苦行者〉が吐き捨てた時には〈道化〉はもう自分の仕事を終えている。
『侵入成功しました。プロジェクターで写しますね』
3Dプロジェクターから投影された半透明の施設全体図が、全員の眼前に浮かび上がる。精緻な模型のような全体図のそこかしこで、小さな黒点が虫のように蠢いている。防衛線を展開するために移動中の兵員と
『もうメック部隊を繰り出してくるとは。少なくとも警備責任者は寝てはいませんね』
『生身の歩兵を十人だか百人だか送り込んでも全部潰されると悟ったんだろう。だが逆に言えば──あれらを全て片付けておけば後が楽になるってことだ。〈苦行者〉、やれ』
『あいよ』
〈苦行者〉が多面体に変じた頭部をわずかに頷かせ、そして「それ」が始まった。
どおん、と凄まじい轟音が響き、施設そのものがわずかに振動した。轟音はさらに二度、三度と続き、遠くからわずかな悲鳴が聞こえてきたが、すぐに止んだ。
『あ、全体図じゃ何が起こっているかわかりませんね。拡大します』
気を利かせたつもりなのか〈道化〉が監視カメラからの映像を投影する。
小型戦車ほどのサイズがある多脚砲台〈祝融〉が、まるで巨大なハンマーを振り下ろされた虫のように平たく潰れていた。その周囲では兵士たちと、バリケードと、脚架に据えられた大型兵器が、同じような有り様を晒して内容物をぶち撒けている。
人も物も、全てがプレパラートの上の蛙よりも平たく引き延ばされていた。
よく目を凝らせば、その全ての上に六角形の透明な板のようなものが展開しているのが見える。〈竜〉の〈鱗〉だ。
『いつ見ても凄まじい威力ですね』
『〈
〈処刑人〉の言葉通り、彼ら彼女らの目の前で施設の残存戦力は見る見るうちに壊滅していった。
『〈処刑人〉さん、警備システムからも切り離された区画を見つけました。かなり広大なスペースで、たぶんここが例の兵器の実験場ですね』
『よくやった。そろそろクライマックスだな』
施設の最深部に踏み込んだ〈処刑人〉たちを広大な空間が出迎えた。天井が高いせいもあるが、床面も擂り鉢状に落ち込んでおり、実際よりも遥かに広く見える。広間のそこかしこには、まるで墓石のように用途さえ不明な研究機器が林立していた。
そしてその中央に、赤銅色に鈍く光る金属の塊が鎮座していた。
──それは遠目には金属の全身鎧を着込んだ、直立した人間に見えないこともなかった。体長3メートルを越え、蠍のような鋏型の触肢と、湾曲した長大な尾を持つ人間がいれば、の話だったが。
『ロシア製の格闘戦用ドローン〈
『原型を留めていないどころか、別物だろあれは……』
何よりもおぞましいのはその巨人の胸部から、まるで船首像のように幼い男の子の上半身が突き出ていることだった。男の子の顔面には金属製のバイザーが埋め込まれ、目鼻立ちさえ定かではないその異相は、無機物よりもなお機械らしく見えた。
『〈心臓〉を持つ子供を中枢にして、無理やり権能を引き出しているのか』
『〈処刑人〉、予め言っておきますが、私たちの任務は施設内の鏖殺及び完全破壊です。救出ではありません』
『……わかっている』
良心など無用だ。それが痛むようなら、そもそも自分はここにいないのだから。
巨大な金属の蠍が動く──触肢を型取った格闘戦用アームに内蔵された12.7ミリ機銃が露出する。
『散開しろ!』
〈処刑人〉が号令するまでもなく、全員が散っていた。対空・対車輌用の12.7ミリ弾の弾着が床面を走り、延長線上の研究機器を粉砕する。そして〈処刑人〉たちに向けられた兵装は、機銃だけではなかった。
金属蠍の湾曲した尾の先端から、乳白色の光が迸る。
『……
光が直撃したのは広間の扉だった。決して小さくない扉がたちまち全体から熱を奪われ、びっしりと霜を表面に貼り付けて凍りつく。
山火事の消火や、腫瘍の摘出手術に使われる技術だ。
『〈苦行者〉、奴を攻撃できるか?』
『その実験場は閉鎖系ネットワーク内だ。監視カメラなしじゃ干渉できねえ』舌打ち混じりの声。『ガンカメラを奴に向けろ。3秒ありゃどうにかできる』
『わかった。……聞こえたな? 全員、注意を惹きつけろ』
〈処刑人〉の要請に応じ、〈女狩人〉と〈道化〉が銃撃を開始。特に金属蠍の胸部に埋め込まれた少年を集中攻撃するが、それはいずれも蠍の交差した触肢に跳ね返された。
『位置が悪いですね。加えて、知恵も働く』
あの金属蠍を動かす戦術AIだかオペレーターだかは、それなりに頭が回るらしい。
『だが結果は同じだ。3秒稼いだぞ、〈苦行者〉!』
金属蠍の頭上に、半透明の六角形が出現。巨大なプレス機のように蠍を真っ平に押し潰そうとする。
だが──それは蠍の側から生じた、同じ六角形によって受け止められた。両方とも紛れもなく同じ〈鱗〉だ。
『わあ、あいつも同じ〈鱗〉を使えるんですね。びっくりだ』
『腐っても〈竜〉応用兵器かよ……!』
直立した金属蠍は動きこそ封じられていたが、押し潰されるには至っていない。どころかアーム内蔵の機銃を乱射し、〈処刑人〉たちを逆に制圧しにかかる始末だ。
『指示を、〈処刑人〉。これ以上時間を浪費すると、任務どころか脱出さえ危うくなります』
『……安心しろ。脱出する時間は稼ぐさ、お前たちのな』
『〈処刑人〉?』
『全員、俺を援護しろ!』
叫ぶや否や、〈処刑人〉は半壊した研究機器の陰から飛び出し、金属の蠍に向けて突進した。黒々とした銃口から文字通りに火が噴き出す。それを横っ飛びに躱そうとし、
できなかった。冷凍光線の余波で床面が極度に凍りついている。全天候型のブーツまで張り付くほどに。
足を取られた彼に──蠍が巨大なアームを振り下ろした。
衝撃──視界が二、三回転する。地に落ちた自分の上半身が凍りついた床をカーリングのように滑る。視界の先に、腰の部分から切断された自分の下半身が映る。
巨大な金属蠍が動きを止めた。意外に器用な仕草で、半分になった〈処刑人〉の上半身を摘み上げる。まるで本当の子供がそうするように。
そして、
「よお」
彼は
「……悪く思うな、坊主」
少年の薄い胸板……その内で脈打つ〈心臓〉に、彼は残弾全てを叩き込んだ。
そして眼前で閃光が弾け──
「
──目を開けた時最初に映ったのは、培養槽の強化ガラスを透かして見える〈女狩人〉の笑顔だった。
ああ、またこの光景だ……と彼は思う。水槽の中で呼吸器以外何もつけていない自分。そしてガラス越しに微笑む、透けるような金髪と、暗い湖のようなダークブルーの瞳の女。
最初の「
培養槽の底部から生理食塩水が排出され、それが終わるとガラスが開放される。彼は培養槽からよろめき出て……そこで膝を折った。全身に力が入らない。
一度死んだのだから平気な方がどうかしているのだが。
ふわりと肩にタオルが被せられる。その時になって初めて、彼は自分の身体がどれだけ冷え切っているか知った。目の前に腕をかざしてみると、まるで全身の皮膚が赤ん坊のように薄く頼りない。全裸より心細い気分だった。
「今回も『蘇生』に問題はなさそうですね。いいことです」
〈女狩人〉は素晴らしい肢体の持ち主だったが、〈処刑人〉は何となく彼女が苦手だった。常に顔面に張り付いた、そのくせ感情の読めない笑顔がどうにもそそられなかった。それに蘇生者同士のセックスなど考えただけでグロテスクすぎる。
「何がいいことなんだ? 断末魔は普通に死ぬ奴と大して変わらないんだぞ」
「それでも大したものです。あなたの生体データを提出して以来、この研究所の予算は倍近くに跳ね上がったのですよ。事実、これまでに数万回以上『蘇生』を行いましたが、首だけの状態から再生を遂げたのはあなただけです」
この研究所の職員や、その上の「スポンサー」にしてみれば、石油を掘り出すつもりが黄金の山を掘り当ててしまった心境なのだろう。稀有なマウス扱いされるのはどうにもぞっとしないが。
「それで、わざわざ俺の『蘇生』に付き添った理由は何だ? まさかもう次の契約が決まったなんて言うんじゃないだろうな?」
「まさにその通り。次の契約が決まったという話です。もちろん、拒否権がないわけではありません」
「拒否する自由はあるが、選択肢はないんだろう? 糞ったれめ」
嫌味ったらしく溜め息を吐いてみせても〈女狩人〉の笑みは崩れない。
選択肢がないことぐらい最初の「蘇生」からわかりきっていたことだ。
この研究所のスタッフ──そしてそのスポンサーである〈王国〉にとって、〈処刑人〉はマウスの一匹に過ぎない。それなりに無理は聞いてくれるが、それでもマウスはマウスだ。
無限の再生能力を持っていようと、この研究所から放り出されたらそれで終わりだ。既に一度死んでいる彼の戸籍はとうの昔に消されており、パスポートどころか身分証の類さえ一つも持っていない。クレジットカードも作れなければ、電車やバスにも乗れない。まともな就職以前に、その日の寝ぐらさえ確保できないのだ。
肉体的には死ななくても、社会的に死んでいる身で、何を選べるというのだ?
「わかった。話は聞くから、まず腹ごしらえをさせてくれ。腹が減りすぎて本当にもう一度死にそうだ。いや、その前に……そろそろ服を着ていいか?」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
熱いシャワーを存分に浴び、塊のようなステーキとボウル一杯分のサラダを全て胃袋に収め、新しい衣服に着替えると、今度こそ本当に生き返った気分になった。一度死んだ後でさえ暑さ寒さや腹具合で感情が左右されるのは、何となくほろ苦い気分ではある。
それにしても、俺の人生──二度目の人生も、ずいぶんとおかしな代物になったものだ。
そもそも、これは本当に「俺」の人生と言えるのだろうか?
〈王国〉の──目覚めた彼に経緯を説明した〈女狩人〉は、この研究所のスポンサーが犯罪組織であることを隠そうともしなかった。確かに、一度死んだ人間を復活させようとするなど、まともな研究団体ではないだろう──の説明によれば、死亡した人間の体組織から培養したクローンに、これまた本人の記憶と能力を移植すれば、それは立派な「蘇生」なのだという。
「オリジナルと全く同じ記憶を持ってさえいれば、それは事実上、死者の復活と呼んで構わないのではありませんか? 少なくとも、周囲には違いなどわからないのですから」
恐ろしく冒涜的な話を聞かされているような気になった。それで納得できる奴なんているのか? 彼は聞いたが「納得などする必要もないでしょう。なぜなら実際に一度死んで、今は生きているのですから」と返されただけだった。
彼自身は無神論者だったが、神や天国を俺よりよほど真剣に信じている者たちが自分たちの「蘇生」についてどのように心の折り合いをつけたのだろうな、と思わずにはいられなかった。もちろん、何らかの形で折り合いはつけたのだろうが。つけられなかった奴らは皆死んだ。
そのまま何もかも忘れて眠りたい気分ではあったが、そうもいかない。
寄り道せず指示された部屋に向かう。何度か使ったことはあるが、気に入ったことは一度もない無機質で殺風景な会議室だ。数時間後にこの部屋のドアを開けたら、まるで違う部屋につながっているのではないか──そう思わせる不気味さがある。
気のせいではなく、例の魔法じみた薄気味悪い技術──現実歪曲技術が使われているのかも知れない。一度死んだ人間を生き返らせるのに比べれば、驚くべきことでもないだろう。
廊下の途中で〈女狩人〉が待っていた。自然な動作で彼に歩調を合わせてくる。
もしかして俺が熱いシャワーを存分に浴び、ステーキとボウル一杯分のサラダを全て胃袋に収め、新しい衣服に着替える間も、彼女はここで待っていたのだろうか。本当にそうなのではないか、と思わせる雰囲気が彼女にはある。そもそも彼女に趣味や、私生活といったものはあるのか。どうにも想像できない。
「慣れたようですね。人格共有にも、擬似権能にも」
「悪くない」特に意味はないが、〈処刑人〉は右手の五指を蠢かしてみせた。再生されて以来の癖だ。「初めは
「まだ試験段階の技術です。異常を感じたらすぐにでも知らせてください」
「わかっている」
〈女狩人〉は彼より先に──どころか分隊の他のメンバーの中でも最初期に「蘇生」させられた、言わば初期ロットの
室内には既に分隊のメンバーが思い思いのソファに腰かけてたむろしていた。
総白髪によく整えられた口髭の、まあ紳士と言って良い印象の壮年の男──〈
長い黒髪をポニーテールにしたアジア系の若い男──〈
えらく険呑な目つきをした南米系の男──〈
そして死体のように白い肌の至るところに青黒い刺青を入れた異相の少女──〈
「お帰りなさい。ふふっ、〈処刑人〉さん、顔がつやつやですよ」
「文字通り
いつもの〈道化〉の軽口に、〈苦行者〉が面白くもなさそうに吐き捨てる。〈処刑人〉だけに特に当たりが強いわけでもなく、他の面子に関しても隔てなくこの調子なので、別に気を悪くはしない。
「無事に生還叶ったのだな、〈処刑人〉殿! 今一度この世に生を受けたということは、私と貴殿が共に手を携えて姫君のための神聖なる戦いもまだまだ続くということ。めでたきことだとは思わぬか? そうでございましょう、姫君?」
時代がかった台詞を朗々たるバリトンで捲し立てられ、〈処刑人〉は早くもげんなりしてきた。「蘇生」を遂げて以来の頭痛の種の一つが彼、〈詩人〉の
どうも彼の頭の中では、彼は時代を越えて何度も転生している「姫君」に仕える忠実な騎士の一人であり、周囲の者たちは自分と同じ騎士か、姫君の威光を知らぬ哀れな民草か、さもなければ姫君を狙う敵だと思っているらしい。
これで兵士としては重火器、それもレーザーやプラズマといった光学兵器の専門家なのだからよくわからない。
さらに言うなれば──彼の言う「姫君」、〈悪魔〉というコードネームしか知られていない少女は、ただ無関心に上半身をゆらゆらと揺らしているだけだ。
「俺の『蘇生』より切実な話があるんだろう。なあ、〈女狩人〉?」
「その通りです」
そこまではっきり言い切るとは思わなかった。
「次の契約が決まりました。
室内の空気が凍りついた。
「相良龍一って、
「あなたが
マジかよ、と〈苦行者〉が吐き捨てる。「自殺するにしたって、もうちょっと真っ当な手段があらあな。ロンドンじゃ核まで使ったのに、結局は奴を殺せなかったんだろ?」
「核は効かない、と実証されただけです。擬似権能ならあるいは」
「ただの希望的観測じゃねえかよ……」
「望むところ。敵にとって不足なし!」
〈詩人〉が猛然と立ち上がった。それどころか、感激に目を潤ませてさえいる。「姫君の御命を狙う者あらば、どれほど強大な相手だろうと立ち向かうのが騎士の使命! それが〈悪竜〉とあればなおのこと! そうは思わぬか、預言者殿!?」
「そうですね」
手慣れているのか、〈女狩人〉の返事はあっさりしたものである。
「まあまあ、皆さん。まずは〈女狩人〉さんの説明を聞いてみましょうよ。〈王国〉も、それなりに勝算があって僕たちを動かすことにしたんでしょう?」
如才なく〈道化〉が割って入る。「もちろん最初から生還の余地がない自殺ミッションとお考えなら、話は別ですが」
目が笑っていなかった。口調こそ柔らかでも、謀りは許さないと言外に告げている。
「正解です、〈道化〉。何の勝算もなしに、あなた方を送り出すわけではありません」
生還の余地のない自殺ミッション
「理由の一つは、かの相良龍一が自分の祖国、日本に向かっているということです。……そう言えばあなたの故郷でもありましたね、〈処刑人〉」
「昔の話だ。俺が生きていた頃の……いや、その前からずっと縁遠い国だった」
実際、自分が日本人であることを意識しなくなってから久しい──日本という国は彼にとって、遠く離れた異国の一つに成り果てていた。面白く楽しい思い出よりも、苦く不愉快な思い出の方が多い、遠い異国だ。
「へえ、日本ですか。実は一度行ってみたかったんですよねー。食べ物もおいしそうですし」
「観光じゃねえんだよ……」
「それで? 奴が日本に向かっていることと、勝算とやらとどう関係があるんだ?」
「街一つ焼き払う火力があると言っても、相良龍一がそれを常に好んで振るうわけではありません。まして日本は、衰えたりとは言えまだ無政府状態の失敗国家には程遠い。人口密集地で〈竜〉として権能を振るうことには、よほど追い詰められない限り躊躇するでしょう」
「なるほど。彼奴もまた人の子、ということであるか」
しきりに納得している〈詩人〉を横目に、〈処刑人〉は質問を重ねる。
「しかしそれだけでは理由としては弱いな。他にないのか?」
「〈犯罪者たちの王〉は、相良龍一の日本侵入を憂慮されておられます。彼は自らのルーツを探りに向かったのではないかと」
「ルーツだと? それは王様にとって、相良龍一が自分の寝首を掻きに来る以上の心配事なのか?」
「ええ、まさしく。相良龍一が自分の寝首を掻きに来る以上の心配事なのです」
まぎれもなく後世の歴史に残る犯罪王国を築き上げた男の心配事などわからないしわかりたくもないが、それなりに思うところもあるのだろう、と〈処刑人〉は内心で結論する。
「いずれにせよ、彼の当面の目的は調査であり、戦闘や破壊工作ではない。となれば余計に権能の行使を躊躇うでしょう。もちろん、だからと言って油断は禁物ですが」
〈処刑人〉は考え込んだ。何か燻んでいるような説明だが、もっともらしくはある。
ただ──そのもっともらしさが、余計に気に入らなかった。
「それともう一つ。今回の契約に限り、全員の指揮権を含む全ての権限を、〈処刑人〉、あなたに託します。これには作戦の続行・中止の決定権も含みます。今からあなたが部隊指揮官です、
「俺が? 冗談だろ?」
「ここしばらくあなたたちを観察した中で、曲がりなりにも全員を『チーム』としてまとめる努力を見せてきたのは唯一あなたのみです、〈処刑人〉」
何もかもが上手く行っている時でさえ軍隊の管理は一苦労だ。加えて全員が最低一度は死んだことがある、しかも人間を十通りのやり方で解体できるプロフェッショナルばかりで、ましてやプリマドンナ並みのプライドの持ち主と来た日には、どうあっても慎重にならざるを得ない。
別に嫌われてはいない、と思っていたが、そこまで〈女狩人〉が自分を高く買っているとは思いもしなかった。
それに、喜んでばかりもいられない。なぜなら「全てお前の好きにやっていい」は一種の生前贈与と勘繰れなくもないからだ。事が終わった後で全ての責任をおっかぶせられる類の。
「何より、あなたは私たちの中で最も強力な再生能力の持ち主ですからね。極端な話、この分隊が壊滅してもあなたが生き残る可能性は高い。となれば、あなたに指揮を任せるのは至極当然でしょう」
「ああ、そういう理屈か」
「それに……」
〈女狩人〉は珍しく言い淀んだ。「〈悪魔〉の指揮権を、あなた以外には委ねたくありません。あなたが拒むなら、私は他の誰にも頼まないつもりです」
自然と一同の目が、ソファの上で意味もなく上半身をゆらゆらと揺らしている異相の少女に集中する。
「……それはそうだろうな」
百戦錬磨の傭兵たちからでさえ〈悪魔〉は腫れ物扱いだった。部隊唯一の元少年兵であるのも理由の一つだろう。〈苦行者〉でさえ、彼女とは距離を測りかねているように見えた。
例外は、彼女を己の「姫君」と思い込んでいる〈詩人〉と、面白がっているのかそれに追従している〈道化〉のみだ。
どのみち、断りようもない話である。指揮権を委ねられようと、彼ら彼女らの生殺与奪を握っているのは〈王国〉、そしてそのトップである〈
それにしても……日本か。
生きていた間は二度と戻ることなく、そして蘇った後も足を踏み入れるとは夢にも思わなかった地。そしてそこで待つのは、
(……〈悪竜〉の化身)
正直、心が疼く。人格共有と擬似権能のみで立ち向かえる相手なのか。
だがその懸念とは裏腹に──
そこで初めて、〈処刑人〉は自分が笑っていることに気づいた。
考えてみれば至極当然だ──生き返ったのなら、なおさら生きる目的が必要ではないか。
「……それでは、その無限再生能力とやらは『彼』以外には発現しなかったのだね?」
「はい。全く同じ条件を整えたにも関わらず、彼以外の被験体は皆何らかの肉体的・精神的欠陥の末に死亡するか、あるいは自ら命を断ちました。研究チームは彼には特別な何かがあると考え、あらゆる生体データ検証や心理テスト、果ては血縁調査までも行いましたが、全て徒労に終わっています。現時点では彼の再生能力は『彼が彼であったから』以上の理由が判明しておりません」
「いくらでも使い捨てられるクローンを目指したはずが、他の何よりも貴重な存在になってしまったわけか。皮肉だな」
プレスビュテル・ヨハネスの口元にわずかな笑いが浮かんだが、すぐに消えた。
「実のところ、彼ら彼女らに〈悪竜〉が仕留められるとは私も思っていない。が、
「御心のままに。〈犯罪者たちの王〉」
〈ヒュプノス〉に劣らない人格共有による思考通信、近代兵器と組み合わせて発動する擬似権能、そして──何度でも蘇る再生能力。
蘇った死者たちの部隊が、相良龍一に狙いを定める。