Sin and Punishment:Revenant 作:アイダカズキ
「妹を助けていただいて、ありがとうございました。えーと……」
「エレオノーラ・シェルストック。ノーラと呼んでください。親しい人は皆そう呼びます」
あさひの例に、龍一の向かいに座る堂々とした体格の黒人女性は眉一つ動かさずそう言った。腰を下ろしていても、視線の高さが龍一とあまり変わらない。
いや、これは決して自信過剰ではなく、彼女の龍一に向けた視線にさっきから冷たいものを感じるのだ。思いがけないところで親の仇にでも巡り会ったかのような、敵意を含んだ冷たさとでもいうべきか。
「でもノーラさん、本当に病院へ行かなくて大丈夫なんですか? 確かに鼻血は止まったし、顔色はだいぶ良くなりましたけど……」
ノーラの隣に座っている少女、まひるがやや心配そうに言う。こうして見ると確かに姉妹だな、と龍一は妙なところで納得する。髪型を除けば、目鼻の造作がそっくりだ。性格はずいぶん違うみたいだが。
龍一たちがいるのはチェーン経営のファミリーレストランで、ファミレスとしてはそれなりに値段の張る方だ。内装もシックで、安っぽさがない──が、これはあさひとまひるが「いつもの店だと同級生に見られるから」と主張したせいでもある。
姉妹はともかく、上背のある龍一と、龍一に負けず劣らずの体格をしたノーラは嫌でも目立たずにはいられなかった。店内のそこかしこから視線が集中しているのがわかる。どうも、全身がむずむずする。
「いろいろあったけど……まずは一息つこうか。みんな、好きなものを頼んでいいよ」
「やったあ! ……と言いたいとこですけど、いいんですか? ここ、結構いい値段しますよ」
「あ、でも私が払……お財布の中に500円玉しかなかった! 払いたいという気持ちだけなら誰にも負けないのに……!」
「資本主義社会で単なるお気持ちがなんの役に立つのお姉ちゃん!?」
「俺が払うよ」
男なら女の子相手に必ず奢るべし、などと龍一は思わないが、正直この顔ぶれで自分以外の誰かに払わせる気にもならなかった。なんせ今日再会したばかりの元同級生とその妹に加え、さっきまで明らかに具合悪かった者もいるんだし。
「今度こそやった! じゃ私、秋季限定スペシャルトロピカルパフェにする!」
「じゃ、私もそれで……迫田くんは何にする? はい、メニュー」
「ああ、ありがとう。俺は……」
俺も同じものに、と言おうとして龍一は絶句した。その何とかパフェ、とやらが龍一の目には極彩色のオブジェにしか見えなかったからだ。
「……コーヒーでいいや。むしろコーヒーがいい」
「私も同じものがいいですね。コーヒーにします」
「迫田くんは、甘いもの嫌いなの?」
「辛いものと同じくらい甘いものも好きだよ」
「あー、いいことだと思いますよ。最近は男の人でも甘いもの好きな人多いですし」
なぜか理解を示されてしまった。
それにしてもどうしてこんなことになったんだろう、と思わずにいられない。
あさひの妹と出くわしたのも驚きだが、それ以上の問題は向かいに座っているエレオノーラとかいう女だ。
只者ではないことは間違いない……間違いないのだが、〈王国〉からの殺し屋、あるいは工作員なのか、と考えるとそれも違う気がする。第一、鼻血が止まらなくて女子中学生に助けられる工作員なんているのか?
「……
「あ? おっ、おう?」
自分が今名乗っているのが「迫田
これはもう、あさひからの熱意はあっても技術が空回り気味の、どうにも当てにできない援護を当てにするしかない。
「お待たせいたしました。秋季限定スペシャルトロピカルパフェです」
ウェイトレスが注文の品を運んでくると、龍一は絶句してしまった。メニュー表の写真と全く同じものなのに、それは色彩と果実とクリームを山盛りにしたビジュアルの暴力、としか形容できない代物だったからである。視界の端で、ノーラが今の龍一と大差ない表情で硬直していたが、笑う気にもなれなかった。
コーヒーしか頼まなかったことに龍一は内心でほっとしていた。他のものを頼んでも、このパフェの量を見て確実に食欲をなくしていたに違いない。
大喜びでパフェを頬張っていたまひるが、ふと思いついたように傍らの物入れからスプーンを取り出し、ノーラに差し出した。
「ノーラさん、これ、一口どうですか? ほら、代えのスプーンもありますから」
「……私は」
なぜだろう。龍一の目には、ノーラがひどく怯えているようにしか見えなかった。そのくせ、彼女の視線はパフェから離れられていないのだ。まひるでなくても、そう勧めたに違いない。
「こんなにたくさんあるんですから、一口ぐらい何でもないですよ。ほら、私を助けると思って」
ノーラは恐る恐る、指先ほどのクリームを掬った。繊細な細工物でも扱うような手つきで口元に運ぶ。
「どう? おいしい?」
「……甘い」
それはそうでしょ、とまひるが笑う。龍一に対するよりはずっと打ち解けた態度だ。
「さが……迫田くんも、ちょっと食べてみなよ。はい、スプーン」
龍一にもあさひからスプーンを手渡された。龍一は面食らい、
「お……俺はいいよ」
「そんなこと言わないでさ。甘いもの、好きなんでしょ?」
ほら、と促されて、渋々とクリームを口に運んでみる。確かに甘いが──うんざりするほど甘くはなかった。むしろ好みかも知れない。
「……甘いな」
ぷっ、とあさひが吹き出した。「迫田くん、ノーラさんと同じこと言ってる」
思わず、真向かいのノーラと顔を見合わせてしまう。何とはなしに、まひるの視線が冷たくなったように思うのは気のせいだろうか。
「ええ、とても甘いですね。……罪の味がします」
「罪? パフェがですか?」
「はい。皆さんが当たり前のように享受しているものは、私の故郷には何一つありませんでしたから」
何かがこぼれ落ちるように、彼女はそう語り始めた。いや、もしかすると彼女自身、誰かに話したくてたまらなかったのかも知れない。
「私が生まれ育ったのはマサチューセッツ州セイレム。地図にすら載っていない、村より集落と呼んだ方が相応しい場所でした」
「セイレムって魔女狩りの?」
「どうしてお姉ちゃんはそう失礼なことばっかり言うの! これだから知識をひけらかすのに夢中なオタクは!」
「ごべんなざい……」
岩から削り出したような、厳しい表情を崩さないノーラの表情がいくらか和んだ。
「構いませんよ。本当に魔女裁判が始まってもおかしくないような、閉鎖的なコミュニティでしたからね。私はそこで育ちました。インターネットもスマートフォンもないようなところで」
「ネットもスマホもない……?」
「じ、じゃあ、何して遊んでいたんですか?」
「案外と楽しく遊んでいましたよ。朝、陽が出てから陽が沈むまで。鬼ごっこにかくれんぼ、どの国の子供でもするような遊びなら……ああ、でもそれも大人が決めたルールの中ででしたけどね。過度な競争は神の御心に背くと言われましたし、森の奥に行きすぎると本当に遭難しかねませんでしたから」
「こういう言い方は失礼ですけど、凄いところですね」
まひる以上に、あさひが愕然としていた。「私、三日も保たない……」
「お姉ちゃんなら半日保たないでしょ。ネットやゲームがなかったら、お姉ちゃんのできることなんて自己嫌悪くらいしかないんだから」
「辛辣すぎない!?」
嘘ではなさそうだ──龍一は思う。ノーラの語り口には、当事者にしか語れないような真実味があった。もちろんプロの工作員なら、人の同情や興味を惹きつける話題など事欠かないだろうが、そうなるとまたあの疑問に戻ってしまう──鼻血出して女子中学生に介抱される工作員て何だ? 偽装工作にしても意味不明すぎるだろう。
「ところで、あなたの話も聞きたいですね。迫田陽平さん」
ノーラの目が真っ直ぐこちらに向けられる。明るい緑の両眼──まるで雌虎を思わせる炯々と光る目。
「俺かい? 俺は……話すことなんてないよ。つまらない話ばかりさ」
「そんなことはありません。私は世界を回り、様々な人々の話を聞いてきましたが、退屈でつまらない人生など一つもありませんでした」
静かで、それだけに実感の込められた声だった。
「
どこか当てつけめいた言葉──お前のたわけた偽名などお見通しだと言わんばかりの。
あの炯々と光る緑の両眼が龍一を見据えている。痛いほどに。
「そ、そうだよ相ら……じゃなくて、迫田くん! 私もクラスじゃあんまり聞けないからさ。何でもいいから話してみたらどうかな? 子供の頃の話とか」
「そうだな……」
龍一は困ってしまった。そもそも自分の身の上話など、あまり他人にしたことはない──身近と言っていいアレクセイやブリギッテにすら、断片的にしか話したことはないのだ。まして少女三人の目の前でなど、生まれて初めてである。面倒なことになったな、と思うのが正直なところだ。
だが、断りにくい雰囲気ではある。それにこのまま黙っていると、あさひが狼狽のあまり何を口走るかわからない(現にうっかり龍一の名を呼びかけていたし)。
「俺が小学校を出たばかりの頃……いろいろあってお祖父ちゃんの家に預けられていたんだけど、何と言うか、山だったな」
「山、ですか?」
まひるが首を傾げる。傾げた拍子にポニーテールがさらりと揺れた。
「うん、山。家を出てから十歩くらい歩くと、もう山なんだ。お祖父ちゃんには日が落ちたら絶対に外に出るなって言われていた。大の大人でも遭難しかねないから」
「いきなりエキサイティングすぎない?」
「俺もあんまり話したことはないんだ。話しても信じてもらえないから」
何となく苦笑してしまう。本当のことしか話していないのに、こうやって話すと当の龍一ですら嘘くさく聞こえてしまうのはなぜだろう?
「少なくとも退屈はしなかったな。裏の鶏小屋で鶏に餌をやったり、鶏小屋を掃除したり、鶏の産んだ卵を回収したり、たまにお祖父ちゃんに言われて鶏を絞めたり、忙しかったから」
「鶏を……絞める?」
「あの、締めるって……食べるためですよね」
「うん。掃除して餌やって、卵を取って……って毎日やってたから、それなりに情が湧いててさ。自分の手で締めた時は辛かった。でも情けないことに、これがおいしいんだ。それにお祖父ちゃんの嬉しそうな顔を見ると、何も言えなくって」
姉妹揃って真っ青になっているのを見てこれはやりすぎた、と反省する。
「そうだ、玄関を出たら、何だか黒くてでかい塊が蠢いていたことがあってさ。何だろうと思ってよく見たら、羆だった」
「羆って、
「そう、
龍一は全員の顔を見回して、
「……ごめん。あまり面白くない話だったかな」
「そんなことないよ。もうお腹一杯だよ……」
「お姉ちゃんのお腹に詰まってるのはパフェでしょ」
「ほら、私の言った通りでしょう? つまらない人生なんてないんですよ」
──だが、龍一はノーラのその言葉にも、何か冷たさが含まれているような気がしてならなかった。
「……聞くに耐えないわ。いろいろな意味で」
助手席のブリギッテが発したぼやきに、運転席のアレクセイは思わず笑ってしまった。
「そろそろ移動するよ。あまり一箇所に停めていると怪しまれる」
「そうね、お願い」
二人とも例の顔認証を欺くパックは顔に貼り付けてあるが、念のためだ。
アレクセイはハンドルを慎重に回し、ファミレス周辺を走る車の流れに乗る。アレクセイは隠匿性に優れた〈硝子〉と手首に装着した〈糸〉の射出装置、ブリギッテは座席の下に強化弓を収納してはいるが、それ以外は身に寸鉄も帯びていない。警察の職務質問に出くわしたら、言い訳のしようがないからだ。
「確かにやり方は本人に任せることにしたけど、初手から元同級生に会うなんて予想外だったな」
「全くだわ。龍一も何を考えているのかしら。私たち、国際指名手配中なのよ?」
ブリギッテは憤然としていたが、すぐに自分の不明を恥じるように、
「……よく考えたら、当たり前よね。龍一にもハイスクール時代の知り合いがいたなんて」
「君も僕も、犯罪者の、あるいは〈竜〉としての彼しか知らないからね」
「ええ。知らなかった……知ろうともしなかっただけかも」
どこか悔恨の込められた呟きだった。アレクセイはただ、軽く頷くだけに留める。
「あの黒人女性は何者だろう?」
「わからないわ。話を聞く限りでは、今日知り合ったばかりの関係のよう……とても素人には見えないけど、〈王国〉からの刺客にも見えない。〈白狼〉は何と言っているの?」
「犯罪者データベースを照合中だ。今のところ、ヒットはない……油断はしないでおこう」
「ええ。龍一の友達も側にいるとなれば、なおさらだわ」
その言葉に込められた羨望にも似たものをアレクセイは聞き逃さなかったが、聞き返しもしなかった。彼なりの分別である。
「それにしても、意外だな。君が同意したのは」
そう──龍一の日本への『帰還』に関して、ブリギッテはほとんどと言っていいほど反対しなかったのである。
「先ほど、あなたが言ったでしょう? 私たちは犯罪者としての、そして〈竜〉としての龍一しか知らないと」
「うん」
「私もあなたも、そしてミルカもシュウも、龍一がいなければすれ違うだけの関係だった。私たちは〈王国〉に追われるか、何かを奪われただけが唯一の共通点で、組織とさえ呼べない寄り合い所帯でしかない。他に成り手がいないだけで、祭り上げられたリーダーの立場から、彼は逃げなかった……だけどその代償について、私も含めて考えた人はいるのかしら? このままだと彼は、自分のやりたいことを何一つ口にできない人になってしまうかも知れない」
ブリギッテの言葉は、自分に問いかけているようでもあった。
「だから龍一が、自分のお母さんを探したいと言い出した時、私は……驚いたけど、嬉しかったの。久しぶりじゃないかしら、彼が自分自身の望みについて話したのは。……アレクセイ、どうして笑っているの?」
「いや……ごめん。やっぱり僕たちの中で、君が一番龍一に甘いと思ってさ」
「あなたに言われたくないんですけど!?」
ブリギッテが耳まで赤くなった時。
『二人とも、話中済まない。緊急事態だ』
〈白狼〉からの通信に、彼も彼女も表情を引き締める。
『あの黒人女性の身元が判明した。結論から言えば〈王国〉の暗殺者ないし工作員ではない。更に言えば、どこかの軍・情報機関・犯罪組織のエージェントでもない』
「そう……見込み違いだったのかしら。とても素人には見えなかったのだけど」
「なのに緊急事態なのかい?」
『そうだ、緊急事態であり
脇坂宏は朝から不機嫌の極みにあった。
本家から疎かにできない「客人たち」の相手を、一方的に押しつけられたのはまあいい。先日、埠頭で発生したビジネスで問題が発生しているのも仕方がない。そして、血眼になって探させているガキどもに関する捜索がさっぱりはかばかしくないのも、そういう日もあると思えば諦められないでもない。
しかしその全部が同じ日に重なるというのは、一体全体どういうことだ?
そのような理由もあって、脇坂が「客人たち」に宿舎として当てがっているシロタ化学の旧社員寮へ足を運んだ時、彼の精神状態は万全とは言い難かった。できることなら何も聞かなかったふりをして帰宅し、布団をかぶって寝てしまいたかった。頭を鷲掴みにされ、ぬいぐるみのように
だが、そうはいかないところが中間管理職の悲哀ではある。澤は有能な男であるが、曲がりなりにも本家からの「客人たち」の世話を全て彼一人に任せっきりというのは心象が良くないだろう。顔くらいは出しておかねば。
「あんたが……客人か?」
「そうだ。『エス』とでも呼んでくれ。もちろん偽名だが」
少なからず驚いた。「客人たち」のリーダーらしき男は自分と同じ日本人だったのだ。しかも下手をすると、脇坂よりずっと若い。
対してエスとやらの(偽名にしてもふざけた偽名だ)子分どもを見ると、モデルじみてさえいる白人の美女だの、やたらと剣呑な目つきの南米系の男だの、やたらとにこやかな中国系の若い男だの、妙に重々しい表情の大男だの、全身に刺青の入った小娘だの、見た目からしてふざけた奴らばかりだ。本家は何を考えてこんなのを寄越したんだ?
もっとも脇坂はそんな内面を露わにはしなかった。本家のそのまた更に「上」からの客たちを怒らせるメリットなど何もないからだ。
「澤さんだったか、あんたの部下にはよくしてもらっている。おかげでここでの生活は快適そのものだ。何せ、普段は屋根さえないような場所の行動も珍しくはないからな」
「そ……そうか、ならよかった」
少しだけ脇坂は、この芸人じみた連中への印象を改めた。部下を褒められて気を悪くする上司はいない。澤のような出来の良い──どころか、他の奴についてはお話にすらならない──部下ならなおさらだ。
「リーダー、『荷』の搬入は終わりました。これからセッティングを開始します」
「ああ、始めてくれ」
中国系の若い男に呼ばれ、エスは頷いて歩き出す。彼らの向かう先にあるのは、この旧社員寮のレクリエーションルームだ。体育館としても使用できるだけあり、この施設の中では最も大きな建物だった。
脇坂は急に、好奇心が湧き上がるのを抑え切れなくなった。そもそもこの「客人たち」が何のためにやってきたのか、はっきりとは聞かされていないのだ。
「なあ、その……何をやっているのか、俺も見ていいか?」
二人の男に声をかけると、彼らは顔を見合わせた。
「どうします? あまり見て面白いものでもないと思いますけど」
「ふむ、その通りだが……澤さんの上司に請われちゃ、嫌とは言えないな」
嬉しそうではなかったが、迷惑そうでもなかった。今のところ自分よりも澤の方が評価が高いのは、やや複雑ではあったが。
しかしレクリエーションルームの戸口を潜った時に脇坂が見たものは、いろいろな意味で予想外の光景だった。
「何だ、ありゃあ……?」
レクリエーションルームの床は、木箱の破片と梱包材で埋め尽くされていた。彼ら彼女らが運び込んだ『荷』のほんの一部だ。
そしてルーム中央には、巨大な鉄の塊が鎮座していた。
全体的に見れば人型に見えないこともない──膝を折り曲げ腕を折り畳み、四つん這いに近い状態でなお数メートルを越える、小型トラックほどもある人体があれば、の話だが。
「あー、さすがにこの国じゃ珍しいものなんですかね。
「そんなことは聞いちゃいねえよ!」
つい大声を出してしまった。鉄の塊の周囲で作業していた男女が振り返るが、リーダーが手を振るとすぐ自分たちの作業に戻った。
「リーダー、ミスター脇坂はリノリウムの床が傷つくのを気にしているんじゃないですかね?」
「かも知れんな。脇坂さん、見ての通りだ。建物に傷がついた場合の修繕費は後ほど請求してくれ。まあ、払うのは俺たちじゃないが……」
「だからそんなことを聞いてるんじゃねえんだよ! あんたら、何しにここへ来たんだ!?」
リーダーは、そこで脇坂を頭から爪先まで一通り眺めた。まるで今まできちんと見なかったと言わんばかりにだ。
「なるほど、これはこちらの不手際だな。上の方で話はついていても、現場まで指示が下りてないってわけか。俺が代わりに謝っておく。なあに、大して難しい話でもないさ」
「その簡単な話とやらを説明しろって言ってんだよ!?」
「狩りだよ」
不意にモーターの作動音が響き、振り向いた脇坂は絶句した。「客人たち」の一人、全身に刺青を入れた薄気味の悪い少女が鉄の塊に飛び乗り、音もなく内部に滑り込んだ。内側からの操作でハッチが自動的に閉まる。
鉄の塊が、生き物のように身震いした。
「俺たちの中で〈悪魔〉の出撃準備が一番早く済みそうだな」
「ええ。何しろあれは、彼女のもう一つの身体ですからね」
まるで空模様について話でもしているような会話に、脇坂は知らず後じさる。
周囲では彼ら彼女らが、カーキ色の武器ケースを開け放っていた。中から現れたのは鈍く輝く銃火器──それも脇坂が今まで見てきた安物の密造拳銃や自動小銃より、数段はグレードが高く強力そうな銃火器だ。
「おお、我が〈
「
まるでクリスマスプレゼントを開封する子供のように嬉々として武器を取り出していく男たちを見るうち、脇坂は全身の悪寒がどんどん酷くなっていくのを感じていた。
(何なんだこいつらは? 本家は何を考えて、こんなのを寄越しやがったんだ?)
まるで脇坂の内心の呟きを聞きでもしたかのように──軍用強化外骨格の複合センサーが、忙しなく蠕動しながら彼を見据えた。
「……どうして、そんな目で俺を見る?」
あさひがドリンクバーから飲み物を取ってくると言って席を外し──「じゃ、後は若い人同士で」などとお見合いの立会人みたいなことを言っていたのが妙に気になった──次いでまひるも手洗いに向かったところで、龍一は相対するノーラに問うてみた。
「まるで、私が……」
彼女は素知らぬ顔でコーヒーを口に含んでいる──大して高くもない、ドリンクバーなら何杯でもおかわりできる程度のそれを、一口一口楽しむようにして。
「……あなたに含むところがあるかのような言い方ですね」
「そうじゃないのか?」
龍一自身、何も言わず相手の腹を探るような真似が苦手なせいもある。だが龍一はその目の奥に、何とも言えない揺らめきが見えたような気がした。
「他人が常にあなたのことだけで頭を悩ませているとお考えなら、大間違いですよ」
それ自体はぐうの音も出ない正論ではある。
「まあ……俺も少し自意識過剰なところはあるからな。よく仲間から指摘されるけど」
「いいお友達ですね」
「ああ。一般的な『いい』かはともかく、立派な友達だ」
まただ──ノーラの目の奥で、何かが揺れている。
「俺を知っているのか?」
切り込んだ。このまま腹の探り合いっこをしていても埒があかないと判断したからではあるが、一方でまひるやあさひとのやり取りを見るに、はっきりと問えば言葉を濁すような人間ではない、と踏んだせいもある。
実際、ノーラは龍一の言葉を無視はしなかった。
「ええ。知ってはいますよ」
彼女の目の奥で、何かが形を取ろうとしている。
「ずっと前から。あなたが私を知らなくとも。あなたが私の母親を知らなくても。
龍一の警戒度が一気に跳ね上がった。『ヨハネス』と呼んで連想できる人物を、龍一は一人しか知らない。
「君は〈王国〉の暗殺者なのか?」
「違う」
単純明快な答えだった。「
視界の端、ファミリーレストランの駐車場に数台の車が停まり──嫌な胸騒ぎを覚えた。
うんざりするほど身に覚えのある感覚。これは鉄火場の気配だ。
「それにしても、こんなところでまひると会うなんて思わなかったな……」
ドリンクバーの機械にコップをセットしながら、あさひは思わず呟いてしまった。しかも、結構まずい感じの暴力沙汰に巻き込まれていたなんて。
妹のためにも、そして龍一のためにも、まひるには先に家へ帰ってもらいたいのが正直なところだが、あの様子ではそう簡単に帰ってくれそうにない。適当に誤魔化そうにも、何しろ家族だ。後でかえって面倒なことになりそうな気がする。
「とにかく、まひるに相良くんのことがバレないようにしないと」
「私がどうしたって?」
「#○✖️℉★〜!?」
出し抜けに背後から聞こえた妹の声に、あさひはつい地球外生命体でしか発音出来なさそうな悲鳴を上げるところだった。ジュースの入ったコップを手に取る寸前でよかった……もう少しで大惨事になるところだった。
あまりの驚きようにまひるがちょっと、いやだいぶ引いている。
「ま、まひる? 急に後ろから声かけないでくれるかな? お姉ちゃん、もう少しで心臓が口から飛び出るところだったよ?」
「あ、うん……なんかごめん」
毒気を抜かれたのか、まひるは素直に謝った。こういうところは私にない妹の可愛げだ。
「で、どしたの?」
「いっぺんにみんなの飲み物を持ってくるの大変だろうから、手伝いに来たんだ」
「えっ、本当にどうしたの? いつになく優しいじゃん」
「いつもは優しくないみたいな言い方やめてよ……」
実際いつもは優しくないじゃない、と言ったら本当に引っぱたかれそうだからやめた。
「手伝うってのは口実。一つだけ聞きたいことがあってさ」
「な……何?」
「
トレイからグラスを落とさなかっただけでも自分を褒めてやりたかった。手が震えなかったかまでは自信がない。
「ど、どうしてそんなふうに思うのかな?」
「だって変だもん。お姉ちゃんに友達なんていたっけ?」
「いきなり刺してくるなよ!?」
「事実でしょ?」
有無を言わせぬ口調だった。はい……と黙り込まざるを得ない。
「お姉ちゃんが友達少ないのは今に始まったことじゃないけどさ。高校デビューしてからも、道っぱたで会って『じゃ一緒に帰ろうか』なんてなる人、話ですら聞いたことがないんだけど。しかも同性ならまだしも、男の人でさ」
「うぐ!」
「加えてあの迫田さんて人、
「うぐぐぐぐ!」
反論できない。全く反論できない。
「何よりさ、お姉ちゃん」
急にまひるは黙り込んだ。私、何かまずいこと言ったっけ? とあさひが思うような、不吉な沈黙の仕方だった。
妹の目の奥で何かが揺れている。羨望とも、嫉妬ともつかない光が。
「すごく嬉しそうだった。あんなお姉ちゃん、見たことない」
「……まひる」
何を言っていいかはわからない。が、何か言わなければもっとまずいことになる。そんな気がした。
あさひがとにかく口を開こうとした時──ファミレスの駐車場に数台の車が停まるのが見えた。スモークグラスとごついバンパーが目立つ、キャンプ場でしかお目にかかれないようなヘビーデューティなRV車の群れだ。
あさひは嫌な予感がした。「嫌な予感」としか言いようのない予感だ。
「まひる、伏せて!」
「え、わ!?」
カウンターの陰に隠れ、ついでに妹も強引に伏せさせる。
「お姉ちゃん、どうして
「人がいつも奇行に走ってるみたいな言い方やめて! いいからじっとしてて!」
あさひの表情にまるで遊びがないのを見て、まひるは黙った。やがて車のドアが開き、数人の男たちが路上に降り立つ──全身から発散する暴力の臭いを隠そうともしていない男たちが。
「繁華街にいた人たちの仲間だ……」
自分の顔から血の気が引くのがわかった──あの人たち、こんな街の中心部まで私たちを追ってきたんだ。
ひゅっと息を呑んだ気配に振り向いたあさひは、そこに真っ青になって震えている妹を見た。
「まひる!?」
「あいつらだ……私を車に押し込もうとした連中の仲間が、ここまで追ってきたんだ……」
日頃の気丈さが嘘のように弱々しい口調だった。まるでずっと小さかった頃、泣きそうな顔で一人だとトイレに行けない、と泣きついてきた時のようだ。
「……大丈夫だからね。じっとしてるんだよ」
あさひは妹の頭を撫でてやりながら、カウンターの陰から様子を伺う──幸いと言っていいのか、男たちはあさひたちの隠れているカウンターには目もくれず、龍一とノーラの席へと向かっていく。
(いや、それはそれでまずいんですけど!?)
──まともな連中ではない、と説明するのも馬鹿馬鹿しくなるような男たちだった。
秋口にはふさわしい薄手のコートは、武器を隠し持つため。ファッション性皆無の頑丈そうなブーツは、格闘戦を想定して。軍・警察向けモデルの
「失礼、皆さん! 俺たちごときを出迎えるのに、わざわざ立たなくて結構ですよ。
リーダーらしき男が胴間声を張り上げながら、コートの内側から大口径の散弾銃を取り出す。とてもモデルガンの質感には見えない。本物だ。
いや、たとえモデルガンだとしても、それを試す度胸のある者はいそうになかった。
「お客様……」
勇気を奮い起こしたウェイターが思い切って声をかけようとするが、別の男にSMGの銃口を向けられるとたちまち蒼白になって黙り込んだ。
「全員動くなよ。逃げたら背中から撃つからな」
営業回り中らしき会社員も、他愛もない会話で盛り上がっていた高校生のカップルも、誰もが中腰のままで凍りついている。これってどこかでカメラが回ってるんじゃないの? オチがあるんでしょ? と言いたげな表情だ。
無理もない。いくら品下れるご時世ではあっても、この国には銃など見ずに一生を終える人の方がまだ多いのだ。ましてや銃撃戦など、血まみれの狂気の沙汰だろう。
ショットガンにSMG。言うまでもなく、ファミリーレストランの椅子やテーブルに防弾機能などない。無差別に発砲するだけで一瞬にして大惨事だ。
甘かった──龍一は内心で歯噛みしていた。シロタ化学の抱える暗部に触れた以上、それなりの反応はあるとは予想していた。が、まさか街中に剥き身の銃を持ったならず者どもを送り込んでくるほど連中の脳が煮えているとは予想外だった。
こうなるのが嫌だったから、脇坂だけを締め上げることにしたのに……。
そうなっていたら、あさひとは再会することなくすれ違っていただろうが。糞ったれ、一体どこで間違ったんだ?
龍一の煩悶をよそに、今や店内の支配者となった男たちは無遠慮な視線を周囲に投げかけながら、龍一とノーラが座る席へと着実に近づいてくる。
「……まさかこんなところで、男と晩飯をしけ込んでいるとはな」
いかにも暴力に慣れた野卑な声だったが──意外にも、それが向けられたのは龍一ではなかった。
張本人らしきノーラは、素知らぬ顔でコーヒーをゆっくりと口に運んでいる。その仕草は優雅でさえあり、その余裕に小気味良さが感じられなくもなかった。
「こっちの野郎は野郎で、只者じゃなさそうだが」
リーダー格の男は龍一をじろりと見たが、すぐつまらなそうに目を逸らした。「見張っておけ。少しでも動いたら撃て」
これまた意外な反応である。あまりにも世界中で命を狙われたせいもあるが──こいつら、俺が目当てじゃなかったのか?
「白浜港で死体の山を築いた上に、金庫から持ち出した金を
男は無遠慮に散弾銃の銃口をノーラの顔面に向けた。わずかな指の動きだけで頭が吹き飛ぶというのに、彼女は見向きすらしていない。
「取引に大穴開けた馬鹿者には当然の末路だがな。あの社長はくたばる前に、お前のことを洗いざらい吐いたぜ。おかしな超能力まがいまで使うそうじゃねえか」
龍一は目を剥きそうになった。こいつ、俺に会う前から何てことしてるんだよ。
返事はない。室内は咳一つさえ聞き逃せないほど静まり返っているが、誰も声を発さない……いや、発せない。
「おい、何とか言えや」
銃口がノーラの手からコーヒーカップを無造作に払い落とした。
陶器の割れる音に客たちが身をすくませる。が、それでもノーラは動じない。
そして龍一は見た。彼女の分厚い唇が真横に裂け、白い歯がちらりと覗くのを──笑ったのだ。
「雇われの殺し屋ごときが、取引に大穴と来ましたか。
「何だと……!?」
男たちはプロではなかったが、かと言って素人でもなかった。少なくともノーラから目を離しはしなかったし、銃口も彼女から一瞬も逸らしてはいなかった。
にも関わらず──彼女の動きには、誰一人反応できなかった。
まるで真空を飛ぶ針のように、音もなくノーラの掌が閃いた。彼女は腕を伸ばし、男の右耳を掴み、そして無造作に引きちぎった。
「あ……?」
ノーラは紙屑でも放るように、ちぎった耳を傍らのテーブルに放り投げた。
出来の悪い粘土細工のような代物が、ソースのこびりついた皿の上に落ちる。
彼らが身をすくめたのを見て、彼女は鼻で笑った。「どうしました?
「お前……」
耳のあった場所からだらだらと血を垂れ流している男が何か言う前に、ノーラは無事な方の耳を掴み、彼の頭を力一杯テーブルの角に叩きつけた。龍一でさえ身をすくめたくなるような、人の頭がテーブルの角に叩きつけられた音とは思いたくない轟音。
「てめえ……!?」
我に返ったのか、SMGを持っていた男が狙いを定めようとする。今度は龍一が動いた。夢中でテーブルの上の皿を取り、男の側頭部めがけて思い切り振った。
皿が粉々に砕け散った。まるで眉間を撃ち抜かれたように、男の身体がへなへなと崩れ落ちる。
甲高い悲鳴を上げながら、最後の男が拳銃を立て続けに撃った。一発、二発、しかしそれは仲間の身体に食い込んでいた──ノーラが盾にした男の身体に。
ノーラは放たれた全弾を男の身体で受け止め、硬直した死体が握ったままの散弾銃を強引に持ち上げ、撃った。拳銃とは比較にならない轟音。12番ゲージ弾をまともに腹で受け止めた男がカーリングのように床を滑り、一瞬遅れて血と内臓が悪趣味なシャワーのように店内へ降り注いだ。
店内のそこここから押し殺した悲鳴が上がる。
あんまりだと思った。俺といいノーラといい、静かに食事していた人たちの邪魔をする権利がどこにあると言うんだろう?
萎えそうになる気力を奮い起こし、龍一は気絶している男の頬を張り飛ばして無理やり覚醒させた。まだ半分ほど意識は飛んでいたが、それでも目に光が戻ってきた男に、
「バックアップは何人だ? いや何人でもいい、すぐに下がらせろ!」
「へっ……わざわざ聞く義理があるのか?」
切れた頭部からの血で染まった凄惨な顔で、それでも男はせせら笑った。「お前にだってわかってるんだろ? 俺たちは一山いくらで雇われた壊し屋だぜ。統制なんか聞くもんかよ。お前とあの黒人女だけじゃねえ、皆殺しだ」
怒りに歯軋りしたくなったが、しても仕方ないことはわかっていた。それなら、と言葉を続けようとした時、
龍一の肩越しに、背後から突き出された手に握られていたステーキナイフが、男の口中に深々と突き立った。
戦闘用のナイフでこそないが、先の尖った金属だ。声にならない悲鳴が、たちまち調子のよくない排水設備のような音に変わった。刃先が捻られ、脛骨の外れる音がそれを瞬時に断ち切った。
「何をするんだ!」
「あなたこそ何をしているんです。生かしておけば、捕虜交換に使えるとでも思いましたか?」
言い返そうとした瞬間、店のドアが乱暴に蹴破られた。
「動くな! てめえら、よくも兄貴たちを!」
喚きながら飛び込んできた男が自動小銃を構える。一斉射で店内を薙ぎ倒せる位置。
ノーラは散弾銃の銃口を上げ、発砲──できない。衝撃で薬室への装填が不充分だったが故の動作不良か。
彼女は舌打ちしたが、即座に散弾銃の銃身を掴み、斧でも投擲するように全力で投げた。回転しながら飛んだ銃が男の首を直撃し、彼は悲鳴も上げず仰向けに倒れた。倒れた時には、首が捻じ曲がっていた。
通りに面した窓ガラスが割れ、
振り下ろされる刀身を、とっさに掴んだ。掌が切れる鈍い感触、だが切断には至らない。
獣のような唸り声を上げて龍一と男は揉み合う。振りほどこうにも、予想以上に相手の力が強い。筋骨強化系の薬物でも使用しているらしい。テーブルを傾け、椅子を蹴倒し、それでも揉み合いが終わらない。
そして龍一は男の肩越しに見た──ノーラがこちらに向け、真っ直ぐに銃を構えているのを。
いつしかノーラの手には、冗談のように巨大な
(銃だと? 〈鱗〉なら防げるが、しかし……)
危険──本能に従い、龍一は足を踏み出した。まるでダンスでもするように龍一と山刀を手にした男の位置が入れ替わる。
店中の窓ガラスとテーブルが、一斉にびりびりと震えるほどの轟音。
発射された大口径弾は、男の胸板に赤黒い風穴を開け……そしてその延長線上にある、龍一の二の腕を粉砕していた。
文字通り皮一枚で、悪趣味なオブジェのように右腕全体がぶらぶらと揺れている。
ノーラの口が裂けた。耳まで裂けた、と見える笑みの形だった。まるで黒塗りの髑髏を思わせる、黒い笑みと白い歯。
「〈
「なっ……」
龍一は絶句した。今こいつ、何て言った……?
信じられなくても、信じるしかなかった。あらゆる飛来物に自動反応する〈鱗〉の防御機構を突破できる方法は一つしかない、
「君も〈竜〉か……!?」
何もない空間から大型拳銃を取り出し、現用兵器を無効化する〈鱗〉をないもののように突破する。信じたくても信じるしかない。
「そう。あなたと同じに」
店内の全員が見た──肉眼で、スペックスの拡大機能で、あるいはスマートフォンのカメラ越しに。半ばちぎれかけた龍一の腕の肉が、見る間に盛り上がり、ほぼ瞬時に再生するのを。
〈のらくらの国〉を消滅させた〈竜〉が、再びこの国に舞い戻った瞬間だった。
「私もあなたも、邪悪な〈竜〉です。どちらも等しく、この世にいてはならない存在です。そのことについて一瞬でも考えたことはありますか、相良龍一?」
(龍一くんの腕が、再生した……!?)
カウンターの陰から覗き込んだあさひにとっても、それは衝撃的な光景だった。
確かに大の男の頭を掴んでぬいぐるみのように持ち去ったり、ビルからビルへぴょんぴょんジャンプしたり──信じられないようなものを見てはきたが。しかし、ゲームのキャラでもあるまいし、腕がちぎれかねない傷を瞬時に治すとは。
まひるが愕然とした顔をこちらに向けてくる。信じられない──あるいは信じたくないという顔を。
「お姉ちゃん……どういうこと? ノーラさんが言ったの、本当なの? 相良龍一って、
混乱の極みに陥っている妹に、あさひはかける言葉が見当たらなかった。彼女にしてみれば、危ういところを助けてくれた女性が苦しんでいるのを介抱していたら道端で偶然に姉やその同級生と再会し、腰を落ち着けたファミレスで凄惨な殺し合いが始まったのだから、訳がわからないだろう。しかもその姉の同級生とやらが、国際指名手配中の凶悪犯ときてはなおさらだ。
「黙ってないで、何か言ってよ……お姉ちゃん!」
まひるはほとんど半泣きになっていたが、それでもあさひは何も言えないでいた。──何を言えばいいかなんて……そんなの、私の方が聞きたいよ!
「何てことなの……!」
タブレットに転送された情報を読むブリギッテの顔からは、完全に血の気が失せていた。「〈王国〉を敵に回して、まだ生き永らえる人が私たち以外にいるなんて。しかも私たちと違って、個人で……!?」
『すまない。エレオノーラ・シェルストックの行動は、私の予測を遥かに越えていた。たった一人で〈王国〉の拠点を潰して回っているという噂は以前から犯罪業界で根強かったが、その本人がいきなり龍一の目の前に現れるとは思わなかった』
「〈白狼〉、君のせいじゃない。それより問題は今どうするか、だ」
アレクセイの表情にも余裕がない。「はっきりとは見えないけど、店内は相当な修羅場になっているようだ。ブリギッテ、介入の準備をしておいてくれ」
「介入!?」
ブリギッテは愕然となった。「アレクセイ、本気で言っているの? 彼の生まれた国を戦場に変える気?」
「直接戦闘は5分以内に留める。それ以上だと、この国の警察組織とまともに激突しかねない」
「わかったわ! ……ああもう! これのどこが『ただの調査』なのよ、龍一!」
「あなたは確かに強い。でも、無敵ではない」
大型拳銃の輪胴を振り出し、新たに弾丸を込め直しながら、ノーラは薄く笑う。
「今ので確信できました。あなたを殺すことは難しくても不可能ではない、と」
「さっきから隙を狙っていたってわけか?」
消えゆく傷から慎重に手を離しながら、龍一は問う。ちぎれかけた腕はもう傷口さえ残っていなかったが、問題はそれではない。
問題は衆目に〈竜〉の権能を晒してしまったこと。そして自分が迫田陽平ではなく、相良龍一だと看破されてしまったこと、だ。
「ある人に聞きました。あなたは誰かのためにしか戦えない人だと。自分勝手に生きているようで、本当は他人のためにしか戦えない
「……そいつの名は? 答えろ!」
思わず声が大きくなった。店内のそこかしこから、怯えた視線が龍一に集中する。
龍一の怒気を込めた言葉にも、ノーラは鼻で笑っただけだった。
「素直に答える必要がありますか? 何なら無理にでも口を割らせてみてはどうです。あなたの得意技でしょう?」
床に散乱する血と、空薬莢と、食器の破片を傲然と踏み躙りながら、ノーラは高らかに笑う。
「
書いている最中の僕「こいつら何の権利があって静かに飯食ってる人たちの邪魔するんだ?」
作者本人がそう思っているんだから世話はない。