国立魔法大学付属第一高校――通称、一高。その正門前には、桜のつぼみがまだ固いままの並木道が続いていた。
二〇九×年、四月上旬。入学試験当日の朝である。
制服姿の受験生たちが、緊張した面持ちで正門をくぐっていく。その流れの中に、一人だけ明らかに毛色の違う少女が紛れ込んでいた。
茶色い髪をふたつに結い、白地に紫のラインが入ったキャップを目深に被った少女だ。紫のパーカーに身を包み、どこか幼い顔立ちをしている。周りの受験生が緊張のあまり顔をこわばらせている中、彼女だけはきょろきょろと辺りを見回し、まるで初めて見る遊園地に迷い込んだ子供のような顔をしていた。
彼女の名は、まだない。
少なくとも、この時点では。
――さっきまでは、違う姿だった。全身が薄紫色をした、輪郭のはっきりしない不定形の体。表面はつるりと滑らかで、顔には点のような丸い目が二つと、たどたどしい笑みのような口があるだけ。そもそも、性別という概念すら持たない生き物だった。気がついたらこの奇妙な世界に迷い込んでいた。慌てて、なんとなく覚えのある「人の形」に変わってみたら、これになった。どこかで見たことのある、人間の女の子の姿。それが今の彼女だった。性別のない生き物が、たまたま選んだのが「女の子」の姿だった、というだけのことである。
「……ここ、どこもん」
小さく呟く。誰も聞いていない。
周りの人間たちが皆、同じ方向に向かって歩いているので、なんとなくついていくことにした。お腹が空いていたし、眠かったし、何より一人でいるよりは、大勢の中に紛れている方が安心できる気がした。
――そうして彼女は、深く考えないまま、魔法科高校の入学試験会場に足を踏み入れた。
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実技試験の会場は、大きな体育館のような施設だった。受験生たちが一列に並び、順番に前へ出ては、何かをやっている。
少女は、隣の列に並ぶことにした。特に理由はない。空いていたからだ。
前の受験生が呼ばれるたびに、何か光るものが飛んだり、風が渦を巻いたりする。少女はそのたびに「わあ」と小さく声を漏らして拍手しそうになったが、周りが誰も拍手していないので、慌てて手を引っ込めた。
(みんな、すごいことしてるもん……)
自分の番が近づいてくる。少女はだんだんと落ち着かなくなってきた。何をすればいいのか、まるで分かっていない。
そして――とうとう、その時が来た。
「次、五十一番」
試験官の声が響く。少女は弾かれたように顔を上げた。それが自分の受験番号だと気づくまで、数秒かかった。
「……あ、あたし、もん?」
周りの視線が一斉に集まる。少女はおずおずと前に進み出た。心臓が、どくん、どくんと大きく鳴っている。
何をすればいいのか、まったく分からない。手渡された小さな装置――後に「CAD」と呼ばれることになるそれ――を、他の受験生たちがやっていたのを真似て、なんとなく構えてみる。
だが、それだけだった。何も起きない。
試験官が怪訝そうな顔でこちらを見ている。周りの受験生たちのひそひそ声が耳に入ってくる。「どうしたんだろう」「発動しないのか」――そんな言葉の断片が、少女の耳に届いた。
「な、なんかしないと、もん……!)
何か。とにかく、何かしなければ。少女は必死に頭を働かせた。
――そうだ、これなら知ってる。
少女は、覚えている中で一番自信のある「わざ」を、自分の意思で繰り出すことにした。人間の魔法のことは何も知らないが、これなら勝手が分かる。
「――ッ!!」
少女の体が、一瞬にして輪郭を失った。ぐにゃりと形を崩し、そしてすぐに再構成される。誰かの目には、それはほんの一瞬の出来事にしか見えなかっただろう。まばたきの間の出来事。
次の瞬間、少女の口から、こんな声が漏れていた。
「――みずでっぽう、もん!」
叫び声と同時に、少女の口から勢いよく水が噴き出した。まるで消防車のホースのような、太く力強い水流。それは会場の天井近くまで届くほどの勢いで放たれ、そのまま弧を描いて床に叩きつけられた。
水しぶきが会場中に飛び散り、辺りは一瞬、しんと静まり返った。
誰も、何が起きたのか理解できていなかった。
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「な――なんだ、今のは!?」
試験官の一人が、思わず声を上げた。
少女はCADを構えていた。だが、そこから展開されるはずの魔法式は、ついぞ発動しなかった。それなのに、これほどの現象が起きている。一体何が起きたのか、誰にも説明がつかない。
「水……? 水が出た、のか? あの子から?」
「起動式が見えなかった……いや、そもそも展開されていない。演算領域を使った形跡がない」
試験官たちがざわめく中、少女本人は、びしょ濡れになった床の真ん中で、きょとんとした顔で立ち尽くしていた。
(あれ……なんか、出た、もん)
何が起きたのか、正直よく分かっていない――というのは、まあ半分本当だ。何かしなきゃと思って、知っている技を出しただけなのだが、それがどうしてこんな大騒ぎになっているのか、少女にはさっぱり分からなかった。
周りを見回すと、みんなが自分を見ている。何十もの視線が突き刺さる。少女は居心地悪そうに、少しだけ肩をすくめた。
「あ、あの……ごめん、なさい、もん……」
誰に謝っているのか自分でもよく分からないまま、とりあえずそう口にした。
試験官たちは顔を見合わせた。困惑と、そして――ある種の興奮が入り混じった表情だった。
「これは……前代未聞の事態だぞ」
「無系統魔法……いや、それにしても発動速度が異常だ。起動式が見えないというのは……」
「まさか、新種の魔法体系なのか?」
少女には、彼らが何を話しているのかまるで理解できなかった。ただ、なんだか大変なことになってしまったらしい、ということだけは肌で感じ取っていた。
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試験終了後。少女は、控室のような小さな部屋に呼ばれた。
部屋の中で待っていたのは、白髪交じりの、穏やかな顔つきをした老紳士だった。仕立ての良いスーツを身にまとい、どこか飄々とした空気をまとっている。
「やあ、驚かせてしまったね」
老紳士は柔和な笑みを浮かべて言った。
「私は百山東(ももやま あずま)。この学校の校長を務めている」
少女は、こてん、と首をかしげた。
「こうちょう……?」
「うん、まあ簡単に言えば、この学校の一番偉い人だよ」
百山はそう言って、向かいの椅子に座るよう促した。少女は素直に腰を下ろす。
「早速だが、聞かせてもらえるかな。君の名前は?」
「な、まえ……」
少女は少し考えてから、はっきりと答えた。
「メタモン、もん」
「めたもん……?」
百山は片眉を上げた。予想していなかった答えだったのか、少し面食らったような顔をしている。
「それが、君の名前かい?」
「うん。メタモン、もん」
少女は自信満々に頷いた。それ以外の名前を、彼女は知らなかった。
百山は笑いながら顎に手を当てた。
「じゃあ、君はどこから来たんだい? 学校の記録には、君の名前が見当たらないんだが」
「どこから……えっと……」
少女はしばらく考え込んだ。どう説明していいのか分からない。そもそも、自分でもよく分かっていないのだ。
「……気づいたら、いた、もん」
「気づいたら……ふむ」
百山はしばらく黙って少女を観察していた。要領を得ない答え。しかし、そこに嘘や作為の匂いはまるでしない。むしろ、あまりにも純粋で、あまりにも無防備な様子だった。
「先ほどの試験だが」百山は話題を変えた。「あの水を出す魔法――というより現象、あれは一体どうやったんだい?」
「あれは……」
少女は少し考えて、正直に答えることにした。
「あぶない、と思ったら、出た、もん。よく分からない、もん」
「無意識、ということかな?」
「うん、たぶん」
百山は目を細めた。何かを面白がっているような、そんな表情だった。
「起動式もなく、演算領域を経由した形跡もない。それでいて、確かに現象は起きた。試験官たちは口を揃えて『新種の系統外魔法』だと言っている」
少女には、その言葉の意味はほとんど分からなかった。ただ、目の前の老人が、なんだか楽しそうにしていることだけは伝わってきた。
「面白い」
百山は、にんまりと笑った。
「実に、面白い子だ」
少女は、その笑顔にどこか安心感を覚えて、つられるようにへにゃりと笑い返した。
「――決めた。君を、この学校に入れよう」
「え……?」
「特待生としてね。手続き上のあれこれは、こちらでなんとかする。心配しなくていい」
少女はぽかんとした顔で百山を見つめた。話の展開が早すぎて、まったくついていけていない。
「がっこう……はいる、の?」
「そうだよ。君さえよければ、だけどね」
少女はしばらく考えた。学校というものがどういう場所なのか、正直よく分かっていない。だが、なんとなく――ここにいれば、ご飯にありつけそうな気がした。それに、この優しそうな老人のそばなら、安全な気もする。
「うん。いる、もん」
少女は素直に頷いた。
「よし、決まりだ」
百山は満足げに立ち上がると、机の上の書類に何やら書き込み始めた。
「ただ、『メタモン』とカタカナのままでは、学籍に登録するのは少々難しくてね。何か、漢字を当てないといけない」
「かんじ……?」
「うんうん、心配しなくていい。私に任せなさい」
百山はしばらく考え込んでから、ふと思いついたように筆を走らせた。
「『芽田紋』――『めたもん』読みで、悪くないと思うが、どうかな。芽生えの『芽』に、田んぼの『田』、それから紋様の『紋』」
「めた……もん?」
少女は自分の名前を口の中で転がしてみた。不思議と、しっくりくる響きだった。
「気に入った、もん」
「よし、これで決まりだね。芽田紋くん、これからよろしく」
百山は笑顔で手を差し出した。少女――いや、芽田紋は、その手をぎゅっと握り返した。
「よろしく、もん!」
こうして、誰も知らないところで、一つの奇妙な入学が決まった。
試験会場に残された、あの謎の水の跡について、その後もしばらく職員室では議論が続いていたという。「新種の無系統魔法」「前代未聞の発動速度」――そんな言葉が飛び交う中、当の本人はと言えば、控室で出された温かいお茶とお菓子に夢中になっていた。
「おいしい、もん……」
彼女がこれから足を踏み入れることになる世界が、どれほど複雑な思惑と権力構造に満ちているか。そして、自分自身の存在が、これからどれほど周囲を振り回すことになるか――芽田紋は、まだ何も知らなかった。
メタモンの人間の姿は、ぽこあポケモンのメタモンの姿です。
色々無理やりな部分多いですが、ラフな作品にしようと思っていますので、温かくみていただけますと幸いです。