ヤニねこのアニメを見て、「もし獣人アパートにもう一人住人がいたら……」と思い、書き始めました。
原作はアニメと漫画を少し読んだ程度の知識しかないため、キャラクターや設定などに解釈違い・原作との相違があるかもしれません。
その点をご了承いただける方は、楽しんでいただければ幸いです
揺れる車窓の景色が、ローカルな雰囲気のそれから、少しずつ都会みを帯びたものへと変わっていく。
新潟の雪深い実家で、日本酒のラベルを眺めて育った俺──
「単純な理由だな」って?
大いに結構。
家賃が安く、おまけに都心並みの高時給。
そんな謳い文句に目が眩むのは、等しく人間の性というものだろう。
……まあ、新潟の地元でみっちりバーテンダーの修業を積み、店長の勧めで東京の二号店に引き抜かれたという経歴自体は、我ながら悪くないんじゃないかと思っている。
実家が酒屋だったこともあり、幼い頃から酒は身近な存在だった。
だが、日本酒ばかりを眺めて育った反動なのか、いつしか海外の酒やカクテルに惹かれるようになり、気がつけばこの道に入っていた。
そんな俺が、まさか勤務地の都合とはいえ、東京郊外の――それも人間と「獣人」が共存する、にゃがみ原市なんて街に流れてくるとは思ってもみなかった。
正式名称。
───『神奈川県にゃがみ原市特別獣人指定S区』
……聞けば聞くほど、ふざけた名前だと思う。
店長から渡された書類で初めて目にした時は、思わず二度見したほどだ。
やがて電車を降り、改札を抜け、指定されたアパートへ向けて足を動かす。
駅を出てしばらく歩くと、頭に耳を生やした人とすれ違った。
獣人だ。
やはり、物珍しくはない。
地元にも少数ではあったが、獣人を見かける機会はあったからだろうか、大して驚きはしなかった。
そのどれもが、頭にいわゆる猫耳が生え、猫のような尻尾を身につけているだけで、態度は至って普通。
俺たち人間と、なんら変わらなかった。
だからこそ、獣人が少し多いからといって、他の街と大して変わらないだろうと思っていた。
俺の酒への興味に比べれば、獣人の存在なんて些細なことだ。
「喫煙所がやけに多いが、都会だしこんなものか。しかし、流石の栄えっぷりだな」
地元で一番栄えていた新潟市の雰囲気と同程度、あるいはそれ以上だろうか。
駅から見た感じでは区画整理もされ、綺麗で整った街並みだ。さすが都会といったところか。
しかし───ここで、己の勘が妙にざわついた。
雑多で、活気があるといえば聞こえはいい。
だが、どこか生活の濁った匂いがする。
昼間だからか人の数はそれなりだが、駅から少し歩けば治安の悪そうな路地や、衛生環境の悪そうな歓楽街なども見受けられる。
俺はポケットからタバコを一本取り出し、ジッポで火を点けた。
酒に合うタバコの研究や、仕事終わりの緊張をほぐすために吸い始めたこの煙も、今ではすっかり友達だ。心の乱れも、こいつを一服すればすぐに落ち着く。
汚い環境に耐性がないわけじゃない。
仮にもバーテンダーとして、夜の街の荒波にもまれてきた。
大抵のことじゃ驚かない自信はある。
この街も、夜になればそれなりに変貌するのだろう。
むしろ、望むところだ。
バーテンダーとしてやっていくと決めた以上、早いところこの地の空気にも慣れていかなければならない。
「……そろそろ行くか」
煙草の煙を吐き出すと、火を消して吸い殻を携帯灰皿にしまう。
そして俺は、契約したアパートへ向けて歩き始めた。
*
アパートまでの地図を頼りにしばらく歩き、住宅街へ入った。
住宅街は目印が少ない。迷わないためには、どうしても慎重に歩を進めがちになる。
「そろそろ何か目印でも出てくるといいんだが」
そう言ってゆっくりと路地を進んでいると、角を曲がったところで、ふと小さな公園が現れた。目印になりそうなものがようやく現れ、地図を再び確認しようと視線を移しかけた──その時だった。
どこからともなく、濃い煙草の匂いが漂ってきた。
(なんだ、この煙の多さは……)
よく見ると、周囲一帯がやや煙っぽく霞んでいる。
匂いの元を辿るようにして歩くと、公園のベンチに寄りかかるようにして座っている、一人の獣人を見つけた。
グレーの髪。
ショートボブに収まったヘアスタイル。
片耳にはリングのようなピアスが二本。
顔立ちは、さすが獣人といったところかとても整っている。
しかし、洗濯せずに着回しているのであろう小汚い無地のTシャツに、ダボダボになった部屋着感満載のズボン。
せっかくの整った容姿を、自ら台無しにしているようにしか見えない。そして決定打は、片手に持ったタバコだった。傍に置いてある箱の色からして、銘柄はMEVIUSだろう。足元に散らばった大量の吸い殻を見るに、かなりのヘビースモーカーであることが窺える。
いくら美人でも、ここまであからさまなヤニカスともなれば、そんな肩書きはもはや意味を為さない。
何はともあれ、これからこの街に住む俺としては、家から近い公園が吸い殻で汚されるのは断じて認め難かった。
俺は黙ったまま、ヤニカスの獣人の元へ近づいていく。
ヤニカスは目線だけをこちらに向けたが、動こうとはしない。それどころか、なおも口から煙を吐き続けている。
俺はそれを横目にヤニカスの目の前まで近づくと、ポケットから袋を取り出す。そして身を屈め、足元に散らばった吸い殻を一つずつ拾い始める。
全て拾い終え、空き箱まできっちり回収したところで、その場を立ち去ろうと立ち上がった。
すると──
ヤニカスが、ちょうど吸い終わったのかタバコを消した。
そして、
ポイッ。
そのまま吸い殻を地面へ捨てた。
「…………」
俺の眉間に、自然と皺が寄る。
握りしめた拳が、ゆっくりとゲンコツの形になった。
そして──
「何してんだ、てめえっ!!」
ゴチンッ!
「に”ゃっっ……!?」
頭を抱えて悲鳴を上げるヤニカスを見下ろし、俺は声を張り上げた。
「拾ってる人間の前で吸い殻を捨てる奴がいるかっっっ!」
「痛いにゃー。突然なにするにゃっ!」
「捨てたお前が悪いんだろうが!」
「……ニャーは悪くないにゃ。ニャーが吸い終わるまで待たなかったお前が悪いにゃ」
「なんだそのクソみたいな理屈は! 今時、小学生でもそんなこと言わねぇぞ!」
「ふん。ニャーは天才にゃ。そこらのガキンチョなんかの頭とは比べ物にならないのにゃ」
「な、な……」
なんなんだ、こいつは。
まるで反省する様子がない。
あろうことか、俺に非があるかのような口ぶりだ。
とんでもない屁理屈を並べるヤニカスを前に、この手の相手とこれ以上押し問答しても無駄だと判断した。胸の奥に溜まった鬱憤を無理やり押し込め、俺はため息を吐く。
「……はぁ、もういい。俺はもう行く」
ヤニカスが捨てた最後の吸い殻を拾い、俺は足早にその場を後にした。
*
公園を後にした俺は、吸い殻の入った袋を片手にアパートを目指していた。
地図によれば、やはりあの公園はアパートのすぐ近くだったらしく、ほどなくして、目的地であろうアパートの影が見えてきた。
「ここか……いかにもって感じのアパートだな」
『コーポ大谷』
着いた場所は、年季の入った、いい意味で風情のある「ザ・アパート」といった感じの建物だった。
「二階建て一K、風呂とトイレ付き。二階はベランダ、一階は縁側あり、か」
(そう考えると、ほんとに安いな)
(たしか、獣人が他より多く住んでいるんだったか)
(さっきのヤニカスみたいな奴は、そうそういないだろうし。特に問題はなさそうだな)
ああいう手合いは、獣人であろうとなかろうと、俺が一番苦手とする部類だ。
できることなら関わり合いになりたくない。
「……とりあえず、大家さんのところに行くか」
もたもたしていると、またさっきのヤニカスがついてきてしまいそうな気がしたので、早々に大家の部屋を訪れることにした。
地図の記載によれば、大家の部屋は一階の左端とのことで、すぐに見つけることができた。
ドアの前に立ち、呼び鈴を鳴らす。
しばらくして、ドアが開いた。
「こんにちは。この度入居させていただく飯酒盃です」
「おー、どうも。待ってたよ。君が上善くんだね? このアパートの大家兼管理人の大谷です。色々書いてもらう書類があるから、とりあえず中に入ってくれ」
現れたのは、磨き上げられたスキンヘッドに強面。なかなかにゴツい体つきのおっさんだった。
「はい。失礼します」
返事をして中に入ると、ふと大家から声がかかる。
「手に持ってるその袋…なんだ? 煙草の吸い殻か?」
大家に指摘されてハッと気づいた俺は、急いでカバンへと仕舞う。
「あーこれは、ここに来る途中、なんか公園でヤニ吸い散らかしてる獣人がいたんで、拳骨と共に回収してきたんですよ。挙句にクソみたいな屁理屈を並べ立て始めたんですよ? 全く、とんでもないやつがいたもんですよ」
「………」
「ん? どうかしました?」
「い、いや。なんでもないよ。さ、こっちへ」
変な間があったが、そのまま俺は奥の居間で大家と共に諸々の入居手続きを始めた。必要書類にざっと目を通して、印鑑を押し、最後にサインをして終わりだ。
「これで以上だな。いやー、男の入居者は初めてだから嬉しいよ」
「そうなんですか?」
「ああ。事前にここは獣人が多いって聞いてたと思うけど、全員女なんだよ。色々と肩身が狭かったから、気持ち的にも楽になるぜ」
「あーそれ、めっちゃ分かります。大変でしたね」
周りが女性ばかりの環境というのは、色々と大変だ。自分の前の職場がそうだったため、大家の気持ちは痛いほど分かる。
それが獣人であるなら、なおさらだろう。もちろん、獣人がさっきのヤニカスみたいな奴ばかりだとは思っていない。だが、普通の人間とは少し違う姿の人々に囲まれて生活するというのは、それだけで精神的に疲れることもあるのだろう。
「分かってくれるか……うぅっ……」
「ちょ、泣くほどですか?」
共感しただけで、まさか泣かれるとは。
よっぽど辛かったのだろう。
「す、すまない。今まで相談できる男が近くにいなかったから……」
「あー、それは尚更辛かったでしょうね……。けど、もう大丈夫。これからは俺がいます。入居したからには、俺は大家さんの味方です。一人じゃないんですから、色々と頼ってください」
「うぅ……ありがとう、上善くん……」
そこから小一時間ほど、大家の愚痴話を聞いて、すっかり大家とは打ち解け、砕けた口調で話すにまでなった。
やれ、家賃滞納が当たり前だの。部屋がめちゃめちゃ汚いだの。鍵が開いていると知ると、すぐ入ってくるだの。聞けば聞くほど、酷い目に遭ってきたようだ。「隣人になるんだし、もしあれなら俺に任せてくれ」と言ったところ、またもや泣かれてしまった。
これは持論だが、情に弱い人は信頼できる。
俺の大家に対する初見の印象は格段に上がった。
「へぇ。上善はバーテンやってるのか。かっこいいじゃねえか」
「ああ。実家が酒屋でな。日本酒の世界に飽きたっていうか、海外の酒に触れたくてバーテンになったんだ」
「そいつはすごいな。今度飲ませてくれよ。俺、いつもビールばっかでさ。ワインとか、そういうのに馴染みがなくてな」
「もちろんだ。その時はぜひうちの店に来てくれ。……っと、すまん。煙草吸ってもいいか?」
「ああ。かまわねぇよ。灰皿持ってくるわ」
そう言うと、大家は棚まで行って灰皿を取り出し、居間のちゃぶ台に置いた。
携帯灰皿を使おうと思っていた俺は、その使い古された灰皿を見て懐から取り出すのをやめる。
「この家灰皿あるんだな。大家はタバコ吸ってなさそうに見えたけど」
「ああ。時々、あいつら飯をたかりに勝手に俺の部屋へ来るんだよ。そん時、我が物顔でスパスパ吸ってくくせに、吸い殻をその辺に捨てていきやがるから仕方なく買ったんだ」
どこか既視感のある話だと思ったが、スルーした。
「うわぁ、そいつは酷ぇや。遠慮がないにも程があるな。人様の家をなんだと思ってるんだ」
「やっぱそうだよな? それが普通の反応だよな! 何度言ってもあいつら聞きやしねぇ。あろうことか、そのうちの一人はアパートの敷地内にまで捨てやがるんだぜ?」
「まじか。それは掃除する身にもなれって言いたくなるわな」
「そうだよな! そうだよな! くそっ、あいつらめ! 俺が日々どんな思いで――」
そこからしばらく、大家の愚痴に寄り添うように耳を傾けた。
気がつけば、日も暮れ始めている。
そろそろ部屋へ行くと言って、お開きになった。
帰り際、入居祝いと愚痴を聞いてくれたお礼にと、巨大なスルメイカを渡された。
やはり大家はいいおっさんだ。
これからも仲良くしなくては。
*
部屋は二階で、廊下の突き当たりの手前に位置していた。
大家から渡されていた鍵で扉を開ける。
引っ越し業者によって、すでに荷物は室内へ運び込まれている。
俺はまずゴミ箱にゴミ袋を入れ、カバンにしまっていた吸い殻の入った袋を捨てた。
「ふぅ……どうやらイカれた獣人が、この街には多いみたいだな」
思わずそんな言葉が漏れる。
「俺の性格が災いしなきゃいいんだが……」
そう呟いてから、なかったことにするように部屋の奥へ向かった。
夕方だったこともあり、夕食を済ませると、その日は布団だけを出して眠ることにした。
こうして、俺の新生活一日目は終わった。
──しかし。
この時の俺は、まだ知らなかった。
自分が抱いた嫌な予感が、まさか翌朝、本当に的中することになるとは。
しかも、その相手が今日の公園で出会った、あの
ここまで読んでいただきありがとうございます。
前書きで記した通り、原作知識はアニメ+漫画を少し程度なので、至らないところもあると思いますが、温かい目で見ていただければ幸いです。