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時刻は朝の十時ごろ。
久しぶりに訪れた休日を、俺は自宅でB級のホラー映画を観ながらのんびり過ごしていた。
映画の名前は、ウィッカー...なんたらだったか。
怖さは普通と言ったところで、レンタルビデオ店で仕事の帰りに借りてきたのだが、のんびりした暇潰しに最適だった。
こうしてたまには、酒から離れた生活をするのも悪くはないと最近は思っている。
もちろん、仕事は大事だが、休日も大事にしなければいけないのはしかり。
何事も、根を詰めすぎるのはよくないのである。
ふと、座椅子に体を預けた俺の体に寄りかかるようにして煙草を吸っていたヤニ子に目がいく。
「なぁ、ヤニ子」
「にゃ?」
「お前、この前条件に合うバイト先見つかったとかって言ってなかった?」
ヤニ子は俺の言葉にギクッ、と言わんばかりに一瞬体を震わせると、テレビに向けていた顔をこちらに向けた。
「そ、それが酷いにゃ。二ャーが煙草可で即日入れて日当高いバイトって言ったのに、会社の喫煙所が人間専用で獣人は使えなかったのにゃ。だから隙を見て逃げ出したにゃ」
そういえばこの前、作業服のまま帰ってきてた日があったが、そういうことだったのか。
つまり、
「ニャーは悪くないにゃ。ニャーは被害者にゃ。嘘をついたケモの手のやつらがわるいのにゃ」
「ほーん...」
この街にきて知ったことだが、獣人はどうも扱いがあまりよくなく、差別的な状況らしい。
地元の新潟ではそんなことはなかったのだが、このにゃがみ原ではその傾向が特に顕著のようで、獣人が人間に騙されて搾取されたり、その顔立ちから性的な目で見られることもしばしばだという。
バーの客に聞けば、ここにゃがみ原市は、やはり近隣と比べて特に獣人が多く住んでいる地域らしく、そのためなのか、獣人を専門に扱う人材派遣会社や、獣人向けの仕事なんてものまで存在しているという。
もっとも、獣人の待遇を改善しようという動きがないわけではない。
むしろ、にゃがみ原市はそのあたりに関してはかなり手厚いらしい。
特に、今の市長は
果てには選挙の投票に行った獣人に、タバコを配ったなんて話まで聞いた。
……まあ、最後のやつはいくら獣人に喫煙者が多いからって流石に狙いすぎな気もするが。
とにかく、行政としては獣人にかなり配慮しているようだ。
しかし、だったら、どうしてここまで獣人に対する差別が残っているんだろうか。
俺には今ひとつ腑に落ちなかった。
それに、少し気になることもある。
この街の正式名称は、『神奈川県にゃがみ原市特別獣人指定S区』。
最初に聞いた時から妙な名前だとは思っていた。
まるで、獣人が住むために特別に指定された地域みたいではないか。
もしこれが単に「獣人が多く住んでいる街」という意味なら、わざわざこんな名前を付ける必要があるのだろうか。
しかも、これがにゃがみ原だけの話に限らず、他の特別区も同じような実態だというではないか。
仮に、国や自治体がわざわざ特定の地域を「獣人が住みやすい場所」として整備しているのだとしたら……。
獣人にとって暮らしやすい場所をいくつも用意して、そこへ自然と人が集まるようにする。
そうすれば、獣人に「ここから出ていけ」と命令する必要なんてない。
住みやすい場所を用意してやれば、獣人自身がそこを選んで住むようになる。
結果として、人間と獣人の住む場所が分かれていく。
……もし、そういう仕組みだったとしたら。
俺は、目の前にあるヤニ子の頭を軽く撫でる。
「にゃ?」
「.........」
いや、考えすぎか。
俺がこの街に来てまだ間もないというのに、何を勝手に深読みしているんだ。
市長が獣人に手厚い政策をしているのも、単純に差別をなくすためという可能性も十分ある。
そもそも、獣人自身がこの街で普通に暮らしている以上、外から来た俺があれこれ考えたところで分かることでもない。
それに──
出勤途中によく寄るコンビニの獣人の店員、道路の補修工事に従事する獣人、生真面目な隣人の獣人、キレると豹変する獣人、ボケとツッコミがいつも滑る獣人、そして目の前で気持ちよさそうに頭を撫でられているこいつも。
少なくとも、俺がここに来てから出会った獣人たちは、誰もがそれぞれの場所で普通に生活しているのだ。
そりゃあ、差別がないとは言わない。
ヤニ子だって、現に仕事を探すだけで人間とは違う条件を突きつけられているし、薫子からも、獣人だからという理由で嫌な目に遭うこともあるとも聞いている。
それでも、こいつらは俺ら人間と同じように笑って、怒って、飯を食って、働いて、毎日を生きている。
そんな奴らを見ていると、「獣人を一つの場所に閉じ込めるための街」なんて考えは、どうにも現実味がないようにも思えてくる。
……いや。
そもそも、俺は何を考えているんだ。
獣人にとって暮らしやすい場所を作ることの、何が悪い。
過去に差別されてきたのなら、なおさら行政が手を差し伸べるのは当然だろう。
一昔前と比べて、今は獣人が就ける仕事の種類も増えている。
それなのに、勝手に
「......ふぅ」
一度深呼吸をする。
とりあえず俺は、考えることをやめにした。
一人で考え続けたところでどうなるというのか。
それよりも、今は──
「なぁ、おい。ヤニ子」
「にゃ〜〜.......」
なおも気持ち良さげな声をあげるヤニ子。
俺は、無意識に撫でていた手を止め、ガッと広げると、そのままグレーの頭髪を鷲掴みにした。
「ぎに゛ゃっっ.....!?」
「要するに今、お前は
「にゃ...にゃ.......」
「にもかかわらず、お前、ハロワにさえ行かずに債権者たる俺の部屋で何してんだ? なぁ?」
「こ、これは一休みにゃ。この映画が終わったら上善の飯を食ってまたケモの手行くつもりだったにゃ...」
「ほー、一丁前に言うじゃねぇか。支払い期日が指定されてないからってのんびりしすぎなんじゃねぇの?」
「......」
「それに俺のおかげで飯代は浮いてるはずなんだ。最近は前と比べて熱心にバイトしてるお前なら七万ちょっとくらいそろそろ払えてもいいじゃねぇのか?」
「......そ、それは.......ぁぁあ、ヤク! ヤクが最近バイトクビになったって言ってたから奢ってやったのにゃ!」
「......だからまだ払えないって?」
「そ、そう......にゃ」
「......はぁ〜」
正直言って嘘くさすぎる。
こいつが人に奢るところなど全く想像できない。
むしろこいつは現在進行形で人にたかる側だろうに。
どうせ、増えた金は煙草に消えるのだろう。
普段、部屋の掃除に携わっている俺には一目瞭然なのだ。
俺は全て把握している。
それなのに、それなのに──
ヤニ子は目の前で、いつかテレビで見た殺処分を待つ子猫のような顔をしている。
くそ、なんて卑怯なんだ。
人間誰しもが持つであろう良心に直接訴えかけるとは、流石の俺でも耐えられないというのに。
(大家も、この顔に今までやられてきたんだな...不本意だが腑に落ちちまった)
俺は大きなため息を吐くと、ヤニカスと向き合った。
「...払えないもんはしょうがねぇ。もうしばらく待ってやるよ」
「! や、やったにゃ! ありがとうにゃ! やっぱり上善はなんだかんだ言ってニャーを助けてくれるのにゃ!」
「うっせえヤニカス。てめぇは少しでも悪いと思うなら禁煙でもしやがれってんだ」
「それは嫌にゃ」
はぁ、こいつは本当に。
薫子に指摘されてからやや甘やかし気味なせいか、最近は特にこうして俺の部屋に溜まるようになった。
それも相まって、どこか舐めてる気もする。
これじゃなめ猫ならぬ
そんなくだらないことを考えながら、再び映画を観ていると、ふと先ほどのヤニ子の言っていたことが気になった。
「......なぁ、ヤニ子」
「にゃ」
「さっきお前、ヤクがバイトクビになったって言ってたよな?」
「そうにゃ」
「あいつも今、
「そうなるにゃ」
「......」
こいつより、ヤクの方がまずいではないか。
こいつは俺から飯を得てるからいいとして、収入のないヤクは.....。
「...ヤニ子、ヤクに飯奢ったって言ってたよな? そん時、ヤクはどんな感じだった?」
「? ニャーは飯は奢ってないにゃ。ヤクに奢ったのはニャーが丹念に貯めてたシケモクにゃ」
こ、こいつ、やっぱ稼いだ金全部煙草につぎ込んでやがった。
しかもシケモクって......ヤクがどんな顔して受け取ったか想像できるな。
「.......お前ってやつは本当...いや、今はいい。それよりも、ヤクはどんな様子だったんだ?」
「なんか真っ暗な部屋でぼーっとしてたにゃ。話聞いたらバイトクビになったって言ってたからお裾分けしてやったにゃ」
「...最近見ないと思えば......」
まさかあのヤクに限ってそんなことになっていたとは。
この際、隣人のよしみだ。
何かバイト先でミスでもしてしまったのだろう。
真面目なヤクのことだ、それでクビにされれば落ち込んで塞ぎ込むのも無理はない。
「…決めた。今日の昼飯にヤクも誘うぞ。いいな? ヤニ子」
「ニャーはなんでもいいにゃ〜」
今ヤクに必要なのは、
それができないため、自室で塞ぎ込んでいるのだろう。
「よし、俺のとっておきを作るとするか。待ってろよヤク」
そうして俺は台所の前に立つと、エプロンをつけ、昼飯を作る準備を始めたのだった。
次回!
ヤクねこ出てきます!