怪獣8号~約束~ 作:スペア
4人で『秘密』を共有してから3日後。
医師たちの度肝を抜くほどのスピードで傷を完全に塞いだカフカは、予定通り退院の日を迎えていた。
カフカ「よし、これで荷物は全部だな」
病室のベッドの上で、カフカはスポーツバッグを閉めた。
中に入っているのは、入院中に非番だったレノに頼んで、自分のアパートから持ってきてもらった着替えや日用品だ。
ミナ「忘れ物はない?カフカくん」
声のした方に振り向くと、そこには普段の防衛隊スーツとは打って変わって、清楚な白のブラウスに淡いロングスカートを身にまとったミナの姿があった。
髪は下ろされ、顔には知的な印象を与える眼鏡。
防衛隊の象徴である「亜白ミナ」ではなく、どこにでもいる、しかし目を引くほどに美しい一人の女性としての姿。
今日も非番を利用して、カフカの退院に付き添ってくれたのだ。
カフカ「おう、バッチリだ。……つーかミナ、本当にいいのか? 隊長がレンタカー借りてまで、俺の退院の運転なんて……」
ミナ「いいの。私がそうしたくて、手続きをしたのだから。それに今は、カフカくんの恋人だもの」
ミナは眼鏡の奥の瞳を少し細めて微笑むと、カフカの手から自然にスポーツバッグを受け取ろうとした。
カフカ「あ、おい! 荷物くらい俺が持つって!」
ミナ「病み上がりでしょ。大人しくして」
隊長としての頑固さを少しだけ覗かせ、ミナはバッグを肩にかけると、カフカの手を空いた方の手でぎゅっと握りしめた。
ミナ「……さあ、行きましょう」
不意打ちの恋人らしい仕草に、カフカは顔を真っ赤にしながら「おう」と頷くことしかできなかった。
病院の駐車場に停められていたのは、ミナが手配したごく普通のコンパクトカーだった。
カフカ「……ミナ、運転大丈夫か? 普段、戦闘用の大型車両とか、伐虎(ばっこ)の背中にしか乗ってねぇだろ」
ミナ「失礼ね。定期的に運転してるし、免許はゴールドよ。大人しく乗っていなさい」
助手席に乗り込んだカフカを横目に、ミナは手慣れた様子でエンジンをかけ、車を滑り出させた。
窓の外を流れる景色を見つめながら、カフカは隣にいるミナの横顔を盗み見る。
数日前までは夢にまで見た彼女の隣に、今こうして本当にいるのだという実感が、じわじわと胸に広がっていった。
車は30分ほどで、カフカが暮らす古びたアパートの前に到着した。
カフカ「部屋、散らかってるから、ミナは帰ってもいいんだぞ?」
ミナ「そんなわけにいかないわ。荷物を上まで運ぶもの」
そう言って引かないミナに押し切られ、二人はカフカの部屋のドアを開けた。
ミナ「……お邪魔するわね」
一歩足を踏み入れたミナの動きが、ピタリと止まった。
部屋の中は、男の一人暮らし、それも毎日の過酷な清掃業と防衛隊試験の勉強に追われていた人間の部屋そのものだった。
脱ぎっぱなしの服が数着、読みかけの参考書や雑誌が机に山積みになり、少し埃が目立つ。
ミナ「カフカくん」
ミナのトーンが少し低くなる。
眼鏡の奥の目が、明らかに『心配』と『お小言』の色を帯びていた。
カフカ「あ、いや! 違うんだミナ! 試選前で忙しかったし、急に入院しちまったから片付ける暇がなくてだな……!」
ミナ「……これじゃあ、せっかく塞がった傷にも良くないわ。カフカくん、一緒に掃除をするわよ」
カフカ「えっ、ミナに掃除までさせるわけには――」
ミナ「やるの」
ミナの決定は絶対だった。
そこからのミナの手際は、まさに迅速果敢そのものだった。
袖をまくり上げ、テキパキとゴミを分別し、掃除機をかけていく。
カフカも慌てて雑巾を手に取り、這いつくばって床を拭いた。
二人で声を掛け合いながら作業する時間は、まるで新婚生活のようでもあり、カフカの心は別の意味でずっとバクバクと高鳴りっぱなしだった。
ミナ「ふぅ……。これでよし」
一通り部屋が片付くと、見違えるように綺麗になったフローリングの上に、カフカは押し入れから出してきた座布団を二枚並べた。
カフカ「ありがとな、ミナ。助かったわ」
カフカが冷蔵庫から出してきた麦茶を差し出すと、ミナはそれを一口飲み、ふぅと小さく息を吐いて座布団に腰を下ろした。
カフカもその隣に腰を下ろす。
少しの沈黙。
すると、ミナがそっと身体を寄せてきて、カフカの逞しい肩に、自分の頭をこてんと預けてきた。
シャンプーの甘い香りが、カフカの鼻をくすぐる。
カフカ「ミ、ミナ……?」
ミナ「カフカくん」
ミナは肩に頭を乗せたまま、少し上目遣いでカフカの顔を見つめた。
眼鏡の奥の瞳が、じっとカフカを捉える。
ミナ「……私のマンションで、一緒に暮らさない?」
カフカ「ぶふっ!?」
カフカは吹き出しそうになるのを必死で堪えた。
カフカ「ど、同棲ってことか……!? いや、なんでまた急に……!」
慌てるカフカに対し、ミナはあらかじめ考えていたかのように、淡々とした口調で理由を並べ立てた。
ミナ「表向きの理由は、怪獣8号の監視よ。万が一、あなたの身体に異常が起きて暴走しかけた時、人類最強の戦力である私が隣にいれば、すぐに事態を収束させられる。それに、防衛隊の目からあなたの安全を隠すためにも、セキュリティの万全な私の部屋にいるのが一番確実だわ」
完璧な論理。
防衛隊第3部隊隊長としての、非の打ち所がない現実的な提案だった。
カフカ「それは……確かにそうかもしれないけどよ……」
カフカがその圧倒的な正論に言葉に詰まっていると、ミナがカフカの服の裾を、きゅっと小さな手で掴んだ。
ミナの瞳が、優しく、そして切なげに潤んでいく。
隊長としての冷徹な仮面が完全に外れ、一人の恋人としての本音が、甘く震える声となって零れ落ちた。
ミナ「……本当の理由はね。もう、あなたと離れたくない。やっとこうして隣にいられたんだもの。いざという時の監視なんて、建前よ。私はただ……カフカくんと一緒にいたいの。だめ……?」
潤んだ瞳で真っ直ぐに見つめられ、そんな可愛すぎる本音をぶつけられて、拒める男がこの世にいるはずがなかった。
カフカの理性を吹き飛ばすには、それだけで十分すぎた。
カフカ「……ずるいだろ、そんなの」
カフカは降参を認めるように苦笑すると、ミナの華奢な肩を優しく抱き寄せた。
カフカ「分かったよ。お前の言う通りにする。……俺も、本当はずっとお前と一緒にいたいからな」
ミナ「……うん。約束」
ミナは嬉そうに目を細めると、カフカの胸元にさらに深く顔を埋めた。
窓から差し込む午後の光が、片付いた静かな部屋と、これから新しい生活へと歩み出す二人の姿を、温かく包み込んでいた。