日が傾き、夜が訪れようとしている獣人の森。いつまでも帰ってこないディアナと、突如姿をくらませたティグに、獣人の森はにわかにざわついていた。
いつもは夕方になる頃には帰ってくるはずの村長が帰ってこない。ディアナの身に何かあったのではないかと、リオンやバターたちが心配している。そして、山狩りを始めるかと各々が話し始めたその時、森の遠くにディアナの姿が現れた。
「村長さま!」
バターが叫ぶ。バターが駆けていったその時、ディアナの歩みが止まった。
ディアナがニッコリと笑みを浮かべて、口元に指をあてた。
「しーーっ……」
ディアナは、バターに静かにするように諭した。見ると、ディアナの背中でぐっすりとティグが眠っている姿がある。長い間ディアナを背負い続けた事で、ティグはすっかりと疲れていたのだ。
「ティグが珍しく私の買い物に付き合ってくれたんですよ。疲れて寝ちゃっているから、少し休ませてあげないとねぇ」
そう言って、ディアナは村の住民たちの注目を浴びながら、自宅に戻っていった。
あり得ないものを見たといった面持ちの住民たち。特に、リオンは思いもよらない光景を目にしたことで、茫然と我を失っていた。
いつもはディアナと対立しているティグが、穏やかな顔でディアナの背中で眠っていた。それに、ディアナは何と言っていたか?ティグがディアナの買い物に付き合った?あり得ない。いつも悪さばかりしているティグがどうしてディアナの手伝いをしたのか?リオンは、一度ディアナに問いたださなければならないと、おもむろにディアナの家の戸を叩いた。
「村長さま!開けてください!」
「うん?どうしたんだい?」
「ちょ、ちょっとお話したいことがあるんです!」
「お話?はて、どうしたんですか?リオン」
ディアナがゆっくりとした動作でリオンを家の中に招き入れる。そして、落ち着かない様子のリオンを席に着かせると、お茶と茶菓子を差し出して、自身もリオンの対面に向かって席に着いた。
「……ティグの事が気になるんですか?」
「……! は、はい!い、いったいどうしたんですか?ティグが村長さまの買い物に付き合ったって……」
ディアナがチラリとティグの方へ視線を向ける。スヤスヤと寝息を立てるティグを見て、ディアナは少し嬉しそうに湯呑みをいじった。
「詳しい事はティグに直接聞かないと分からないけど……。ティグの方から私を手伝いたいと言ってくれたんですよ」
「ほ、本当なんですか?」
「ええ。私もびっくりしたものです」
そう言って、ディアナはお茶を啜って一息入れた。
「まぁ、ティグにも何かしら心変わりがあったのでしょう。……けど、私も驚いたものですよ。ティグったら、私をおんぶしてモナティアムまで連れて行ってくれたんですよ?それで、私がうっかりティグの背中で居眠りしたとき、私が起きるまでそっとしてくれて……。それに、私が起きるまで鎮圧班のカンナさんと談笑までしてたんですから。驚きましたよ」
「そ、そんな……。ティグがそんなに……?」
ディアナの口から語られるティグの思いがけないエピソードに、リオンが驚きの色を隠せないでいる。今まで見てきた暴れん坊の姿からは想像できないエピソードに、リオンはディアナが幻覚を見ていたのではないかと疑う程であった。
「いつもあの子に手を焼いているカンナさんが手土産まで持たせてくれて……。あのティグが私のお手伝いをしてる姿に胸を打たれたんでしょうねぇ……。カンナさんがティグと私の為にお薬を買ってくれたんですよ。いつかはお礼をしないとねぇ」
ディアナは嬉しそうに湯呑みを弄りながら独り言のように語っている。
リオンは、ディアナの話がいまいち信じられなかった。本当にティグがディアナを手伝ったのだろうか?自分は夢を見ているのではないだろうか?
いつかティグ本人に直接聞かなくてはならない。リオンはそう決意して、ディアナの家を後にした。
「…………」
日が沈んで暗くなった獣人の村。家々から漏れる生活の灯りと、木々の隙間から漏れる月明かりが、静かに獣人の村を照らしている。リオンはその灯りに照らされながら、ディアナの家を静かに見上げた。
「ティグ……」
ぽつりとリオンはティグの名前を口にした。喜ぶべき変化のはずだが、リオンは日常が壊されると感じ、ティグの心の変化を受け入れられないでいた。
日常が少しずつ変わってきている。リオンは、想像もしなかったこの変化に、一抹の不安を感じていた。
この変化を受け入れるべきだろうか。受け入れたとして、それに順応できるだろうか。リオンの感じる不安と焦りは少しずつ大きくなっていく。
ティグの心に現れた静かな変化。一人の獣人に現れた心の変化は、皆を巻き込み、一つの物語を紡ごうとしていた。