よろしくお願いします。
薄暗い部屋に男はひとり座っていた。
天井の照明は消えたまま、カーテンの隙間から漏れる街灯の淡い光だけが静まり返った室内をぼんやりと照らしている。
一人暮らしには少し広すぎる部屋でやけに大きく響く秒針の音。そこに自身の鼓動が重なり溶け合っていく。
目は深く落ち窪み、濃い隈がまるで消えない影のように張り付いていた。
頬も以前よりも目に見えて痩せこけ、顎の輪郭が鋭く浮き出ている。
男はまるで魂が抜け落ちたかのように虚ろな表情で机を見つめていた。
視線の先にある散らばった複数の市販薬とアルコール缶が静まり返った部屋の中で異様な存在感を放っている。
その指先は震え、瞳に希望の光など何処にも残っていなかった。
もはや針の音か拍動かの区別もつかない一定のリズムに包まれ、男の意識はゆっくりと霞んでいく。
現実と夢の境界が曖昧になり、視界が暗闇に溶けるように閉ざされていく中で男は30年余りの人生を振り返った。
◆
学生時代の自分は天才とも秀才とも呼べない、ただの一般的な生徒だった。人当たりは悪くないし、勉強も運動も飛び抜けてはいないがそこそこできる。テストで学年一位を取るほどでもなければ、部活で伝説を残すほどでもない。けれど、先生からもクラスメイトからも「まあ、あいつなら」と思われる程度には無難に優秀だった。
最初に相談を持ちかけられたのはたしか勉強のことだった。どの教科をどう伸ばせばいいのか、どこでつまずいているのか。そんなありふれた悩みだ。放課後の教室で机に頬杖をついたまま「ちょっと聞いていい?」なんて言われたのが始まりだった気がする。
そこから少しずつ相談の内容は広がっていった。部活のこと、友人との距離感、誰にも言えない人間関係のもつれまで。
時には、本人ですら想定していなかった方向へ話が転がることもあった。
たとえば、運動が苦手だと落ち込んでいたやつに「無理に前に出るより、周りを見て動く方が向いてる」と言ったら、いつの間にかマネージャー的な立ち位置で重宝されるようになったり。
絵が下手だと笑っていたクラスメイトが、落書きの延長で描いた図解をきっかけに、資料作りの才能を見出されたり。
逆に、口下手で目立たないと思われていたやつが、短い一言で場の空気を変えられるタイプだと分かったりもした。
そういう、本人も気づいていない適性を拾い上げることが何度かあった。
別に自分に特別な才能があったとは思っていない。ただ、日頃の様子を見ているとその人がどんな方向へ進むことがより良い結果をもたらすかなんとなく頭に浮かんできた。
それをアドバイスという形でやんわりと相手に伝える。そういうことだけは妙に得意だった。
だから自分のアドバイスは大小の差こそあれどたいていは当人に好影響をもたらした。劇的な変化ではなかったかもしれない。けれど、進むべき道を少しだけ整えるくらいならできたし大外れを引くこともほとんどなかった。
気づけば自分は誰かの悩みに対して、正解とまではいかずとも「悪くない選択肢」を渡す役目をいつの間にか担うようになっていた。
そして高校時代、自分は「恩師」と呼ぶべき人物と出会った。
その人は勉強を教えるだけじゃない。生徒一人ひとりをよく見て、迷えば背中を押し、間違えれば叱り、それでも最後には必ず味方でいてくれた。
教師という仕事は人の人生を変えられる。
そんな青臭い理想を本気で信じさせてくれた人だった。
だから進路に迷いはなかった。
教職課程のある大学へ進学し、教育実習を経て教員採用試験にも合格。そのまま母校とは別の高校で教師になった。
最初の一年は充実していた。
生徒の成長を間近で見られる喜び。進路が決まって涙を流す生徒。卒業式で「先生でよかった」と笑ってくれた子もいた。
ああ、この仕事を選んで正解だった。
そう思えた時間も、確かにあった。
だが、現実は理想よりずっと濁っていた。
授業や生徒より、前例と事務作業を優先する空気。
問題行動を起こした生徒ですら「面倒だから穏便に済ませろ」と見て見ぬふりをする管理体制。
心をすり減らしている同僚がいても、「みんな同じだから」と誰も助けようとしない職員室。
生徒のための学校ではなく、学校を維持するための生徒。
そんな本末転倒な光景を嫌というほど見せつけられた。
もちろん素晴らしい教師もいた。
理想を捨てずに踏ん張っている人もいた。
けれど、その何倍もの現実が毎日少しずつ自分の心を削っていった。
あの恩師なら、この状況でも生徒を守れたのだろう。何度もそう考えた。
だけど自分は違う。
理想を貫く強さも、組織を変える覚悟も、誰かを導き続ける器も持ち合わせていなかった。
恩師に憧れて教師になった。
だからこそ、自分がその背中には到底届かないと知ってしまった。
三年目の春。
静かに退職届を提出した。
逃げたと言われても構わない。
あの場所で教師を続ける資格は自分にはない。
そう結論を出したのは誰でもない自分自身だった。
◆
教師を辞めたあとも教育そのものを嫌いになったわけではなかった。
諦めきれなかったのだ。
あの頃、恩師から受け取ったものを今度は自分が誰かへ返したい。
その想いだけは、退職届を出した程度では消えてくれなかった。
だから次に選んだのは少人数制の学習塾だった。
学校とは違う環境なら、一人ひとりの生徒ともっと深く向き合えるはず。
大勢を相手にするのではなく目の前の一人を大切にできる場所なら、もう一度教師として歩けるかもしれない。
そう信じた。
転職活動には数か月を要した。
だが、三年間とはいえ現場経験のある教員という肩書きは思った以上に評価されて比較的スムーズに進んだ。
経験者を求めていた塾側との話はとんとん拍子にまとまり、新しい職場で再び教育の現場に戻ってくることになった。
もちろん、その間ずっと何もしていなかったわけではない。
教員時代には考えられなかったほどの空白が転職活動のあいだにはあった。
膨大な会議も終わりの見えない書類仕事もない。
夜遅くまで職員室に縛られることもなく、休日に電話が鳴り続けることもない。
静かな時間の中で立ち止まり自己を見つめ直した。
本当は何をしたかったのか。
何を失い、何に傷ついていたのか。
忙しさに押し流されて見失っていた自分自身と、少しずつ向き合えるようになっていった。
休日には一人で街を歩き、本を読み、映画を観た。人としての生活を取り戻すような穏やかな日々の中で異性との出会いもあった。
新しい職場に入ってからの生活も決して楽なものではなかった。
学習塾の勤務は学校とは時間帯こそ違っていたが、だからといって暇になるわけではない。
むしろ授業は夕方から夜に集中し、準備や個別対応で一日があっという間に過ぎていく。
教員時代とは別の種類の忙しさが、そこにはあった。
それでも、少なくとも目の前の生徒と向き合う時間は以前よりずっと充実したものだった。