第七話
――路地裏を卒業してから、十年。
この世界に降りたったばかりのあの頃の面影はもうどこにもない。
周りから見た今の《僕》を表すなら――
戦闘課兼魔法課所属・銀級。
青、緑、白の三色魔法を操る期待の若手アキト。
そんな肩書きになるだろうか。
あの路地裏で泥水を啜っていた少年がここまで来るとは全く想像していなかったし、ここへ至るまでの道は決して容易ではなかった。
まず、この世界には技能連盟と呼ばれる巨大な組織が存在する。
国を跨いで活動する半官半民のような組織であり、この世界で職を持つ者のほとんどが一度は世話になる。
年齢には多少の個人差はあるものの、働ける年頃になると連盟へ登録し、一人ひとりに連盟証が発行される。
そこから自身の能力に応じて所属を決めることになる。
僕の所属する戦闘課や魔法課。
他にも商業課をはじめ鍛冶課や治療課、農業課など多くの課が存在する。
所属後の生き方は自由だ。
魔物討伐を請け負ったり、魔法を研究に勤しんだり。
商隊を率いて街から街へ渡り歩く者もいれば、工房を構えて技を極める者もいる。
同じ連盟員でも、生き方は千差万別だった。
そしてその中から僕が最初に選んだのは――生活課だった。
理由は単純だ。
生きるためである。
生活課は戦闘とは縁遠い部署だ。
荷物運びや庭の手入れ。
迷子探しに買い出しの代行。
街で日々生まれる小さな依頼を解決する部署。
危険は少なくその分報酬も決して高くはない。
それでも、路地裏育ちの少年が明日を生きるには十分だった。
依頼を地道にこなし、少しずつ資金を貯める。
鉄級だった連盟証はやがて銅級へと変わった。
昇級すれば収入も変わり、生活が安定すると余裕が生まれる。
そこでようやく次の段階へ踏み出した。
戦う力そして、魔法。
最初は生活課を主軸としながら、空いた時間で戦闘課と魔法課の依頼も受ける副業のようなものだった。
そこから徐々に依頼の比重を変え、自身を鍛える時間を増やし、現在へと至った訳だ。
この年齢で銀級へ到達する者は決して多くない。
もちろん、周囲から不自然に思われない程度には努力を積み重ねてきたつもりだ。
早朝から鍛錬を重ね、依頼が終わってからは魔法訓練に励む。
休みの日は書物を読み漁り知識を蓄え、時には一人で森へ入り魔物相手に実戦経験を積む。
そうした積み重ねが今の僕を作ったことは間違いない。
だが、それだけでは説明できないことを僕自身が一番よく理解していた。
この世界には――ステータスという概念が存在しない。
連盟員同士の会話でも、酒場での世間話でも、「能力値が見える」などという話を耳にしたことは一度もなかった。
あの水たまりで見た文字列はどうやら僕だけが持つ能力らしい。
だからこそ長い時間をかけて慎重に検証を重ねた。
そして最初に分かったのは、見える情報量は相手との関係性や観察時間によって変化するということだった。
初対面の相手では「筋力」や「耐久」など五つの基本項目のうち、一つか二つしか表示されないことも珍しくない。
逆に、長時間相手を観察し続けると徐々に残りの項目まで表示されるようになる。
前世で相談相手をよく観察して少しずつアドバイスの方向性がクリアになった感覚に近い。
もっとも、初対面の相手を理由もなく凝視していれば不審者と思われるのが先だ。
突発的な出来事に対して、相手を見透かそうとしても得られる情報は少なく、上手く活用するためにはしっかりと場面を選ばなければならない。
一方で長く付き合いのある人物ほど表示される情報は増えていく。
基本能力だけでなく保有する技能まで確認できるようになった。
その仕組みに気づいた日のことは今でもよく覚えている。
確認のために鏡越しに自分自身を眺めていた時だった。
五つの基本能力の下へ新しく緑色の文字が静かに浮かび上がった。
⸻
悪食 : 普通
飢餓耐性 : 普通
⸻
「……いや、嬉しくないな」
思わず苦笑した。
確かに身に覚えはある。
路地裏で泥水を啜り、腐った残飯を食べ続けたあの日々。
その結果として得た技能なのだろう。
理解はできる。
できるが……
もっとこう、剣術とか魔力操作とか格好がつく技能を見たかったのが正直なところではあった。
次に判明したのは、すべての能力には「資質」と「習熟度」の二つが存在するということだった。
まず資質。
こちらは能力に対する潜在能力の高さを示しているらしい。
基準となるのは「普通」
そこから一段階下なら「不足」
逆に一段階上なら「良好」
ほぼ全ての人はその三段階の評価で示されていた。
そして、もう一つが習熟度だ。
資質の文字は内容だけでなく色にも意味があった。
どうやら文字色は、その能力をどれだけ使いこなしているかを示す習熟度らしかった。
まだ身につけたばかりの段階では緑色。
経験を積むにつれて徐々に黄色へ近づく。
さらに鍛え続け、その道を極めた者だけが赤色へ到達する。
成長の途中では、若草色や橙色のような中間の色合いを示していることもある。
この説が絶対とは言い切れないが、裏付けはいくつもあった。
剣一本で名を馳せる戦闘課のベテランは《筋力》や《大剣術》が良好で、文字色は濃い橙や赤色。
腕利きの魔法使いとして名高い人物は《知力》や《赤魔法》が良好、そして文字は赤に限りなく近い朱色を示していた。
商業課で「歩く金庫」とまで呼ばれる商人は、《交渉》や《計算》といった技能が赤く染まっていたこともある。
文字は生まれ持った資質を示す。
文字色はその能力を積み重ねてきた経験を示す。
それがそれまでの検証を通じて出た結論だった。
しかし、赤文字だからといって必ずしも圧倒的な存在になれるという訳ではない。
僕はそのことを身をもって理解している。
なぜなら――
⸻
直剣術 : 普通
短剣術 : 普通
大剣術 : 普通
……
…
同じ「剣」だからといって一つ覚えれば全て通用するほど甘くはなかった。
だから一本ずつ学び、一つずつ身体へ刻み込んできた。
⸻
もちろん剣だけではない。
⸻
大槍術 : 普通
短弓術 : 普通
中盾術 : 普通
……
…
距離が変われば戦い方も変わる。
敵が変われば最適解も変わる。
どんな状況でも生き残るため、扱える武器は一つでも多い方がいい。
⸻
魔法も同じだ。
⸻
青魔法 : 普通
緑魔法 : 普通
白魔法 : 普通
……
…
これは世間へ公開している僕の手札。
三色魔法を扱う若手。
それが周囲の認識だが、もちろん本当は違う。
残る三色も誰にも知られず修めている。
使わないだけだ。
⸻
戦闘以外でも手は抜かない。
⸻
感知 : 普通
隠密 : 普通
直感 : 普通
……
…
敵を見つける力。
自分を悟らせない力。
危険を察し好機を逃さない感覚。
どれか一つ欠けるだけで生き残る確率は大きく下がる。
⸻
そして忘れてはならないのが日常だ。
⸻
調理 : 普通
木工 : 普通
裁縫 : 普通
……
…
戦うことだけが生きることではない。
衣食住を整えることも生き抜くための立派な技術だ。
⸻
――僕自身がその証明だからだ。