本編であまり関わりのない生徒同士の交流がメインです

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トリニティ謝肉祭の後、トリニティを訪れたフブキがウイと出会う話。


トリニティ・アフタヌーン

場違いにも程がある。

 

合歓垣フブキは、自身がトリニティ自治区という環境に滞在しているという現実について、端的にそう思った。

 

今日は休日。フブキにとって休日とは、自身が最もくつろげる空間にてドーナッツを頬張りながら柔らかな陽の光を感じる日の事を意味している。いわゆる『陽キャ』の学生たちのように、レジャーだ何だといって活気ある空間に飛び込むなど言語道断である。

 

ではなぜ彼女はこうして、虚ろな目を浮かべながらもトリニティに滞在しているか。

 

きっかけは、中務キリノであった。

 

つい先週開催された、トリニティの謝肉祭カーニバル。キリノとフブキは生活安全局の業務としてアイドルグループ『プリティードーナッツ・ポリスガールズ』を結成し、その謝肉祭のステージに立っていた。

 

当初は二人とも本意ではなかったアイドル活動だったが、結果としては大盛況。スポンサーの売り上げにも多大な貢献をもたらし、生活安全局としては類を見ない大きな功績を上げたのだった。

 

その結果を受けて、「あの時のお礼として今一度、トリニティにパトロール活動に行きましょう!」とキリノが奮起する事の予想がつかない程、フブキは彼女との付き合いが浅くはない。

 

自分たちのような木っ端の役職が遊びに来たところでトリニティ側に何の恩恵があるのかというのがフブキの正直な思うところだったが、そういった野暮な意見にキリノは聞く耳を持たないだろう。

 

それでもやはり、フブキにとってこのトリニティという名の『世界』は、自身のような者が長居できる世界ではないというのは自明の理であった。

 

「......うぅ、帰りたい」

 

眼前にて目まぐるしく流れる大通りの人々の動きに辟易としながら、フブキは広場の隅っこのベンチでひとりうなだれていた。

 

目につく生徒の殆どが気品に満ちた微笑をたたえており、彼女たちの艶やかなブロンドの髪や純白の翼が陽の光に照らされる姿は、遠目に見れば色鮮やかな花畑のようにも思える。

 

その光景に絶えず流れる『眩さ』とも呼べるものは、フブキの求める『休息』と『平穏』の最も対極に位置する存在ということは否定し難いだろう。

 

相方であるキリノはとっくにパトロールという名のトリニティ観光に奔走しており、今やどこにいるのかは定かではない。

 

当初こそキリノは、フブキを引きずりながらのパトロールを行っていた。しかし彼女がトリニティの優美な街並みに眼を奪われている間にフブキは素早く脱走し、そして這う這うの体でこの人気の少ないベンチまでたどり着いた。これが現在に至るまでの経緯である。

 

今でこそこのような有様となってしまっているフブキであるが、当初はトリニティに足を運ぶ目的が彼女にもない訳ではなかった。その理由が、トリニティ自治区でのみ展開している有名ドーナッツショップだ。

 

生徒会に相当する組織が『茶会ティーパーティー』の名を冠している事からも読み取れるように、トリニティではスイーツの文化が盛んである。創意工夫を凝らして作られた菓子の数々は視覚情報のみでも人々を魅了し、その情報はSNSを通じて学園の壁を越えて様々な生徒の心を鷲掴みにしていた。かくいうフブキも、そうしたスイーツマニアの一人である。ドーナッツ専門の、ではあるが。

 

そういった事情もあり、トリニティに足を運ぶこと自体に気が進まないのは相変わらずではあったが、それでもフブキの中に多少なりとも前向きなモチベーションがある事も事実だったのだ。

 

そうしてトリニティの地に足を踏み入れ、密かに踊る心を抑えながらも軽い足取りで店の住所へ向かったフブキを待っていたのは、ひとつの看板だった。

 

『営業中止』。

 

看板にはただ一言、そう記されていた。

 

どうやら事の顛末を聞くと、トリニティの放課後スイーツ部なる部活とトリニティ自警団の一人が店内にて突如抗争を始め、結果として本日の営業を中止せざるを得なくなったという事態だったらしい。

 

正義実現委員会がその場に駆け付けた際には、既に両団体とも忽然とその場から姿を消していたという事だ。

 

「放課後スイーツ部......ねぇ。別な経緯で名前を知ってれば、仲良くなれるかなとか思ったかもしれないけど」

 

ドーナッツに関しては確かな美学を持っているフブキにとって、その部活名はちょっぴりと心が揺らぐものがあった。

 

しかし即座に、その思いを打ち消すようにフルフルと首を振る。

 

「……事件現場からこれだけ完璧な撤収を出来るんだ、相当荒事に慣れてるおっかない人たちの集団に違いない。きっと『放課後スイーツ部』とかいう一見かわいらしい名前も、まるでスイーツを食べるように辺り一帯を食べ尽くすだなんて恐ろしい意気込みが隠れてるんだろうね。はぁ、やだやだ」

 

そういったことがあって完全にトリニティでやる事を見失ったフブキは、冒頭のように虚ろな目をしながらただ時間が過ぎるのを独りで待つのみとなっていたのだ。

 

こうして、どれだけの時間が経過したであろうか。

 

どこかの瞬間。

 

ふと、フブキの中で『灯』のようなものが点いたという自覚があった。

 

私がせっかく休みを返上してトリニティくんだりまで来てるっていうのに、こんな座り心地も悪ければ陽も当たらない木のベンチに腰掛けただけで、何もせずに帰るなんて。

 

休日だってのにパトロールに全力出してるキリノと同じくらいバカじゃんか。......いやでも、キリノみたいな仕事バカはああいうのをむしろ喜んでやるんだよね。じゃあ、私はキリノよりバカってことになっちゃうじゃん......!

 

それだけは嫌だ。せめて目当ての店舗でなくてもいい、トリニティのドーナッツを食わずに生活安全局オフィスには帰れまい。そんな熱意が、アメーバのように溶け切っていたフブキの身体を再び凝固させ、動かすに至ったのだ。

 

身体に力を入れ、フブキはまず、ずっと同じ体勢を取っていたために首回りの筋肉が凝っていることに気が付いた。

 

そうして、首をほぐすために左に曲げ、右に曲げ。

 

そこで初めて、自身の隣にずっと『誰か』が座っていた事に気づいた。

 

「うぁっ......ぇえっ!?」

 

フブキは二重に驚いた。不意に視界に入ったその人物そのものに対しての驚きと、『彼女』に対してずっと気づかずにいた自分自身への鈍さに対しての驚きである。

 

自身の記憶を即座にプレイバックしたフブキであったが、どう考えてもこのベンチを見つけた時には先客などいなかった。既に人の腰かけているベンチに相乗りするような奇特な趣味を彼女は持っていない。

 

即ちこれは、『彼女』は自身がベンチに座ってからぼーっとしてる間にやってきて、それに自身は一切気づいていなかったという事を意味する。

 

自分という先客がいながらもこのベンチにやって来た彼女の方にも問題はあるが、それよりもすぐ隣に見知らぬ人物が近づいたにも関わらず全く以て気づかなかった自らの鈍さについて、フブキは少々真剣に考えざるを得なかった。

 

そして。

 

慌てふためくフブキを前にして、当の彼女は。

 

「うぃいゃぁぁぁっ!!???」

 

どういう訳か、フブキ以上に虚を突かれたような様子だった。

 

 

 

フブキは眉間に皺を寄せながら、しげしげと眼前の彼女の様子を観察していた。

 

地面についてしまうのではと思えるほどの黒い長髪を持つ彼女は、ゆったりとした上着にスリッパにしか見えないような靴を身に着けており、とてもではないがこうして往来にくり出すには不相応な姿をしているように思えた。下手をすれば、部屋着のまま無理やり外に連れ出された寝坊助の子どものようにも見えてしまうような恰好だった。

 

私以上にこのトリニティの景色に似合わない生徒が居たとはね、とフブキは自分でも驚くほど失礼な感想を思い浮かべている己に気が付いた。

 

しかしながら、彼女の首にきらりと輝くネックレスや、吊り下げた銃に施されている細かな文様は確かな『気品』が込められており、それは彼女がれっきとしたトリニティ総合学園の生徒である事の証左となっていた。

 

よく見ていれば彼女は、大人しく教室の片隅で読書に耽っている姿が似合うようなまさしく『文学少女』と形容できるような雰囲気を持っていた。

 

その事実にフブキが気が付くのに少々時間がかかったのは、彼女が手にしたA4判ほどのサイズの本を盾のようにかざして自身の顔を隠す、あえて言うならば『拒絶』のポーズを頑なに崩さなかったからである。

 

フブキに対して自身の顔は晒さないままに、彼女はぎりぎり成立しているかどうかのような言葉を紡いだ。

 

「すぅっ......すみません、すみませんっ……。私が、その、くたびれていたのもありますが、本当に、その、人の気配を少しも感じない程、静かでしたので、思わず腰かけてしまい……っ」

 

「私って、さっきまでどんだけ脱力してたのさ……?」

 

どうやら眼前の文学少女(仮)は、本当にフブキがここにいる事に気づかずに自分がこのベンチの第一発見者だと信じ切って座っていたらしい。

 

ならば先ほどの反応にも合点がいく。そう納得しかけたフブキだったが、こんな事態になったのは自らがあまりにも『無』に近づきすぎていたからなのか、それとも彼女の視野が恐ろしく狭まっていたかのどちらなのかは未だ解明しなかった。

 

「い、いつもはこんな事にはならないんですっ。ずっと古書館から出ませんから。でも……たまには、日光浴をしながら本でも読んでよって。無理やりあそこから締め出して……全く、ヒナタさんだから大目に見てるんですよ、この子だって陽の光には弱いのに……」

 

ぶつぶつと半ば独り言のように呟きながら、彼女はじりじりと後ずさりをする。

 

フブキは彼女が、意識的か無意識的かは分からないが、自分と常に3メートルほどの距離を保ち続けていることに気が付いた。

 

自分が身体を傾けたりして少しでも両者の距離が3メートルを切るようなことになれば、磁石同士の反発のように彼女は距離を取ってしまう。

 

これに気づいたからと言ってフブキが特にちょっかいをかけたりなどをしなかった理由は、半分がフブキ生来の道徳心であり、 もう半分はこれ以上面倒ごとになったら耐えられそうにないという思いであった。

 

とは言え、彼女の異様なまでの警戒心に対して、その理由を探りたい思いがフブキには無いでも無かった。活発なキリノや厳格なれど行動力のあるカンナと普段の行動を共にしているフブキにとって、彼女のようなタイプは物珍しさもあったのだ。

 

何ゆえに彼女はここまで怯えているのか。数秒の間思考を巡らせたフブキは、ここでひとつ『思い出した』ことがあった。

 

「……あ、そっか」

 

自身が今日、ずっとヴァルキューレの制服を着たままだったという事だ。

 

元はと言えばトリニティに来た理由は『パトロールの為』であり、そうなれば自身が警察としての制服を身に着けていることは至極当然な事実のように思える。しかし今日のフブキにはいつにもまして、自身が『警察』である自覚というものがすっぽりと抜け落ちていた。

 

目の前の彼女の視点に立ってみれば、のんびりとした昼下がりに何気なくベンチで一休みしていたら、どういう訳かそのベンチには完璧に気配を消していたヴァルキューレの警官が潜んでおり、あろうことか自身の姿を見て叫び声を上げたという状況なのだ。

 

これは狼狽して当然だろうし、こうして挙動不審となってしまうのもむべなるかなだろう。流石に反省をしなければなるまい。

 

そういう風にして、フブキは納得した。

 

実際の真相を考えてみれば、彼女がこうした振る舞いを取ったのはひとえに彼女の性格が原因であって、フブキの恰好が私服だろうが水着だろうが現状は変わらなかっただろう。

 

しかし、フブキは納得した。それは彼女が、行動をする理由になり得た。

 

「……ごめん、さっきは驚かせちゃったよね。お詫びといったらなんだけど、そこの屋台で飲み物でも一杯奢ろうか?」

 

「え……ぅえっ?」

 

「ほら、せっかくだしさ。これもなんかの縁って事で。さぁ、行こ」

 

「うっ、うわわっ」

 

フブキはあっけらかんと笑いながら、彼女の袖を引っ張って屋台へと向かった。

 

怠け者のはずの自分がなぜこのような積極性を出しているのか、それは自分でも分からなかった。きっと今、フブキの行動に最も当惑しているのはフブキ本人であろう。

 

しかしながら、フブキには生活安全局でのキャリアと実体験にて培った、ひとつの確かな真理があった。

 

人の心を解きほぐすのは、いつだって美味しいお菓子と飲み物という事だ。

 

 

 

「なるほど、メニューはこんな感じね。あっ、ドーナッツあるじゃん!……どうする、何飲みたい?」

 

「うっ、わ、私は……何でもいい、ですっ」

 

「そっか。じゃあ適当に私と同じもの買っちゃうね」

 

そう告げると、フブキは手早く会計を済ませた。その間に、彼女はすり足で先程のベンチまで戻りそこで待機をしていた。

 

「お待たせー。はいっ」

 

自身と彼女の分のドーナッツが入った袋と飲み物を手に、ホクホク顔でフブキが向かってくる。フブキが差し出したホットドリンクのカップを、彼女は恐る恐る受け取った。

 

「……ありがとう、ございます。……これは?」

 

「これ?ホットのアメリカーノだけど。いつもは普通のコーヒーにするんだけど、今日はこのすっきりした味が欲しくなってね。……ごめん、もしかしてコーヒー苦手だったりした?」

 

「っ!……いえ、そういう訳では。むしろ、その……っ、いえ、なんでもないです」

 

そう言いつつ彼女は、湯気の立つカップに恐る恐る口をつける。

 

本から手を離した事で初めてはっきりと見えた彼女の顔は、灰色のくりくりとした目も相まって可愛らしいお人形のような印象を持っていた。

 

そんな彼女の顔が、アメリカーノを一口啜った事によりほんの僅かにだが綻ぶ。

 

彼女が初めて、自分の前で優しい表情を見せてくれたことが、フブキにとっては純粋に嬉しかった。

 

ふたりでひとつのベンチに座っていることもあり、既に両者の距離は明らかに3メートルよりも狭まっていたが、それに対して当の彼女はなんの行動も起こす素振りはなかった。

 

「……あっ」

 

ここでふと、フブキは未だに自分が自己紹介をできていないことに気がついた。

 

初対面の素性の知れぬ警官がいきなり飲食物を奢ってきたところで怪しさ以外の感想を持てない。まずは自身の素性をちゃんと語らねばと、フブキは思い立ったのだ。

 

「そうだ、まだ自己紹介をしてなかったっけ。私は合歓垣フブキ、ヴァルキューレで生活安全局ってのをやってるよ。……一応。あなたは?」

 

その質問に、彼女はたじろぎつつも拒まずに答える。

 

「えっと……古関ウイ、と申します。普段はトリニティの図書委員会という所で、委員長をやってまして……」

 

彼女____古関ウイは、チョコファッションをもぐもぐと食べながらうつむき加減にそう名乗った。

 

「図書委員って……あの!?」

 

フブキが柄にも無く素っ頓狂な驚きの声をあげる。

 

トリニティの古書館とは、キヴォトス全土でも随一の規模を誇る図書館として中々の知名度を誇る場所だ。それは特段読者への興味もないフブキも知識として知っているほどであった。

 

目の前の少女が、その古書館を管理している図書委員会の委員長を務めている。それはかなりの衝撃のある事実だったが、そう言われてみればしっくり来てしまうような不思議なオーラをウイが纏っていることもまた事実だった。

 

「そんな、驚かれるようなことでもないですよ。大したことも、してる訳じゃありませんし……それよりも、ヴァルキューレの方がどうしてトリニティのこんな所に?もしかして、近くで何か事件でも……?」

 

「いや、まぁー……パトロールに、って感じ……かな?」

 

まさか馬鹿正直に、ドーナッツ目当てに足を運んだらその店が休業中で脱力中だっただなんて言うわけが無い。実はフブキにも、警官としての体裁を整えようとする心は備わっているのだ。

 

「そういうウイさんはどうしてここに?……あぁいや、変な意味は無いんだけど。古書館の委員長さんってずっと屋内での作業をやってる勝手なイメージがあったから、ちょっと意外でさ。気分転換の散歩みたいな感じ?」

 

「いえ……普段は絶対にこんな、人通りの多い往来に出るなんて、絶対にしないのですが……私の知人に、明るくて溌剌としているタイプの人が二名ほどいまして。彼女たちから『もっと健康のために外を出歩いた方が良い』と強く推されてしまい……断り切れず……全く、腕力が強すぎるんですよ、ヒナタさんは……」

 

「えっと、ウイさん……?」

 

「あっ!……すみません、えっと、まぁ。ともかくそんな感じで……普段外もろくに出歩かないので、散歩と言ってもどこを歩けばいいのか分からず、人混みから離れようともがいていたらここにたどり着いて……と言った経緯なんです」

 

ウイの言葉を、フブキはチョコリングを齧りながら傾聴する。

 

話を聞いてみれば存外、彼女も自身と似たような理由でここまで来ていたのだということにフブキは気がついた。

 

「へぇ。何だか分かるかも、そういうの。私も同僚がすごいエネルギッシュなタイプでさ、それにしょっちゅう振り回されっぱなしで。今日みたく、休日だってのにパトロールまで駆り出されたりさ。だから今のウイさんの心境、すごい共感できるよ」

 

「そ、そうなんですか。大変ですよね。そういうのが周りにいると。へへ、えへへっ……」

 

ウイがふにゃりと、慣れていない笑顔を浮かべる。フブキは自身の隣にいる古関ウイという人間が、自らとかなり近しいタイプの人間なのではないかと思い始めていた。

 

「まぁ同僚のこと抜きにしても、生活安全局ってずっと色んな人からのめんどくさい依頼が止まらなくってさ。のんびり休憩する暇も中々取れないわけ。……はぁ、図書館で働けてるウイさんが羨ましいな。私もゆったりと事務作業だけできるような現場だったらねぇ」

 

「図書委員会の仕事も、楽なだけじゃないですよ。重たい本を運んだりとか、本を延滞する人達の対応だったりとか、面倒な業務もざらですから」

 

「そっかー。まぁそりゃ、知らない苦労ってのはあるよねぇ……う〜ん……ま、やっぱ図書委員会はいいや。本がいっぱいある場所でドーナッツなんか食べたら、怒られちゃいそうだし。あははっ」

 

「そ、そこなんですね……っ?」

 

けらけらと笑うフブキを前に、ウイはすこし呆れ気味に反応した。

 

「……フブキさん、本当にドーナツが好きなんですね」

 

「まぁね。ドーナッツと昼寝の無い人生なんて生きてないのも同じだよ」

 

「私は、あまり甘味には明るく無いので……よく分かりませんが。それでも、特定の分野に対して造形の深い方は個人的に嫌いじゃありません。平たく言うと、『マニア』とか言うんでしょうか。そういう人達は個人的に、共感できるというか……好感が持てるんです」

 

「へぇ、そうなんだ。光栄だね、図書委員会の委員長さんにそんなこと言われちゃうなんて」

 

そう言ってフブキは、少しぬるくなったアメリカーノを一口飲んで息をついた。

 

昼下がりの暑くも寒くもない心地よい温度の風が、ふたりの頬を優しく撫でつける。

 

気付かぬうちにこのベンチには、外界から完全に隔絶されたふたりだけの世界のようなものが形作られていた。

 

「……なんというか、不思議です」

 

「ん?」

 

ウイが独り言のように零した言葉に、フブキは耳を傾ける。

 

「こう言うのも恥ずかしいですけど……私、人と喋るのが苦手な方で。いつも人の言葉に必要以上に反応してしまったり、そこに無い悪意をくみ取って疑心暗鬼になってしまったり。そのせいで基本的に誰かと過ごす時間って、私にとっては窮屈な時間なんですが。でも……」

 

そこでウイは言葉を一旦切って、気恥しそうにこめかみを人差し指でぽりぽりと掻いた。

 

「フブキさんとは何だか、余計なことを考えずに会話が出来るといいますか。比較的、気を使わずに接することが出来てしまうといいますか。……いえ、そのっ、悪い意味だとかは微塵も無くて!私が言いたいのは、その………………ありがとう、って事なんです」

 

精一杯そう言いきってから、ウイは顔を赤く染めてギュッと目をつぶった。

 

そんなウイの様子に何だかこちらも気恥しいような思いを感じつつも、フブキは笑って返す。

 

「こちらこそどうも。……実は私も不思議だったんだよね。さっき何で、私がウイさんに飲み物とドーナッツを奢ろうと思ったのかが。普段の私なら絶対そんな事しないから。知らない人と喋っても疲れて面倒なだけだし」

 

「フブキさん……」

 

「でもね、さっき分かったんだよね。……単純に、ウイさんとドーナッツを食べられたら楽しいだろうなって。それだけなんだと思う。ドーナッツってのはひとりで味わうのもいいけど、一緒に美味しさを共有できる人がいるのが一番だからさ」

 

「……素敵な価値観を持ってるんですね、フブキさん」

 

ウイのその評価は一切の皮肉や悪意を含まない、純粋なものだった。

 

「さっき、ああいう事を言いましたが。あれは決して私とフブキさんが同じようなタイプの人間という話ではなく……むしろひねくれ者の私と違って、フブキさんはとても実直で素直な価値観を持っているような、そんな気がします。フブキさんとしてはありがたくない言葉かもしれませんが……私はそういう人がヴァルキューレの警官であることは、喜ぶべき事なのだと思いますよ」

 

「……それは私がどうっていうより、ウイさんの見方が素敵なだけだと思うけど」

 

フブキは照れくさそうに目線を泳がして、そう答えた。

 

「でもまぁ、そのお言葉は喜んで受け取っておくよ。ありがとね、ウイさん」

 

フブキがそう返して、ウイがにっこりと笑った瞬間。

 

ブーッ、ブーッと、フブキのスマホからやかましくブザーが鳴った。

 

フブキは驚きつつもスマホを手に取り、発信先を確認する。

 

画面には『中務キリノ』の名前があった。

 

フブキの姿が消えたことに今更ながらも気がついたキリノが、慌てて掛けた通話であった。

 

「ごめんね、さっき言った同僚からだ。……っと、じゃあ私はそろそろお暇しよっかな」

 

「そうですか、分かりました……あの、フブキさん」

 

「ん?」

 

空になったカップを手にこの場を発つ用意をしていたフブキは、その声に反応して振り返る。

 

「……今日は、楽しかったです。また機会があれば、ぜひ」

 

それは彼女が普段何があっても口にしないような、別れを惜しむ言葉だった。

 

ウイの真っ直ぐな言葉に、フブキはにっこりと満面の笑みで応える。

 

「うん。じゃ、またね」

 

そしてひらひらと手を振ると、フブキはその場から立ち去っていた。

 

だんだん小さくなる彼女の背中を、ウイはしばらくの間見つめていた。

 

ウイの右手には、フブキが適当に選んだアメリカーノのカップが、大切そうに収まっていた。

 

 

 

「あーっ、フブキ!全くっ、どこ行ってたんですか!?探すの本当に大変だったんですよ!!」

 

フブキの姿を目視するや否やそう叫んで駆け寄ってきた、へにょへにょの泣き顔を浮かべた彼女が中務キリノであった。

 

膨らんだポケットと口元についた食べかすから見て取れる限り、どうやらかなりしっかりと食べ歩きを楽しんできたらしい。

 

「いやぁー、ごめんごめん。人混みの中に指名手配されてるスケバンっぽい顔の奴がいてさ。一刻も早くそいつを捕まえなきゃと思って、気づいた時には連絡も無しに駆け出しちゃってたよ」

 

「なっ、何と……!!本官が気づけなかっただなんて、痛恨のミスっ……それで、捕まえたのですか!?」

 

「それがさぁ、そいつの足が有り得ないくらい早いのなんの。スポーツカーを追っかけてんのかと思ったよ。あれじゃとっくに自治区の外に逃げ果せてるだろうね。残念ながら、私たちに出来そうなことはもう無いよ」

 

「くっ……凶悪犯がこんな大立ち回りをしているすぐ近くで、それに全く気がつけずチョコバナナクレープにうつつを抜かしてしまっていたなんて……!キリノ、痛恨の極みです……!!」

 

話しながら1秒で考えついたような嘘を本気で信じて本気で悔しがっている様子のキリノを前に、流石のフブキも一抹の罪悪感を覚えていた。しかし、ここまで入念に可能性を潰しておかないと、今からでもそのスケバンを捕まえに行くぞとフブキを連れて駆け出していってしまうのがキリノという人物なのだ。

 

「まぁでも、個人的な思わぬ収穫もあってね。 さっきの奴を見失った後、私はへとへとになって近くの公園で休んでたんだけど。そこでトリニティの友達が出来ちゃってさ」

 

「おおっ、それは!フブキの友達かぁ……全然想像がつきません、どんな方なのですか?」

 

「なんて言うんだろうなぁ、すごい波長が合うっていうか。初対面なのにお互い何も気にせずに喋れて、すごい気が楽だったよ。確か図書委員会の……ウイさんって人だったかな?」

 

「ほぉ〜っ…………?……えっ、フブキ、今なんと?」

 

感心していたキリノが突如、豆鉄砲をくらったような顔になってフブキにそう問いかけた。

 

「何とって、ウイさんだけど。フルネームは古関ウイ、だったっけ。もしかしてキリノ、ウイさんの事知ってたりしたの?」

 

「知ってるも何も……!!ええっと……ほらっ、これ!!」

 

キリノは気を動転させながらも、自身のスマホの画面をフブキに見えるようにかざした。

 

フブキはキリノの動揺の意味が分からず、眉をひそめながらもそのスマホの画面を覗き込む。

 

そこにはニュースサイトの記事が表示されており、記事にはこう記されてあった。

 

【トリニティ学生寮爆破事件、原因は『図書の延滞』か。容疑者の古関ウイは黙秘を続ける】

 

「………………??」

 

記事の内容を上手く飲み込めず、フブキは二度三度と瞬きをする。脳内では、つい先程まで交わしていたウイとの会話がリフレインされていた。

 

【図書委員会の仕事も、楽なだけじゃないですよ。重たい本を運んだりとか、『本を延滞する人達の対応』だったりとか、面倒な業務もざらですから】

 

今に至ってフブキは、ようやくあのウイの発言の真意を理解した。

 

「…………えぇえぇええええ〜〜〜〜〜〜っ!?!?」

 

それは彼女が普段何があっても口にしないような、心の底からの驚愕の叫び声であった。

 


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