「これでよし……と」
日が落ち、辺りも暗くなって空に月が出始めた頃……宿屋裏の空き地に2つの人影があった。
ライドウとアニスである。
「え、と……ライドウさん。その円は何ですか?」
ライドウは自分の周りの地面に"ひのきの棒"で円を描き、その真ん中に立った。
円の大きさは、中心に居るライドウが前後左右それぞれに1歩踏み出せる程度の大きさ。
しかしライドウはアニスの問いに答えず、"ひのきの棒"を構えた。
「よし……来い!」
「……え?」
いきなり言われてマヌケな声を出す。当然といえば当然だ。
何の説明も無く空き地につれてこられ、"ひのきの棒"を構えて「来い!」などと言われても意味が分からない。
「何だ? 特訓しないのか?」
"ひのきの棒"を構えたまま、顔をしかめるライドウ。
「あ、いや……もちろんするけど、いきなり『来い!』とか言われても……」
アニスはライドウの構えと声を真似て答えた。
「似てないな」
「ほっといて下さい!」
実はアニスも自分でやっておきながら『似てないなぁ』と思っていた。
そしてそれを指摘され、少し恥ずかしくなってしまう。
「それよりも……何が『来い!』なのか説明して下さい!」
アニスはライドウが何か言おうとしたとき、それに先んじて話を始め、話題を強引に変える。
「ああ……それもそうだな」
ライドウは、どこか気だるそうに頭をボリボリと掻いた。
「なに、簡単なことだ。この円の中に居るから、お前が攻撃して俺を出せ。ちなみに呪文と飛び道具は禁止。それ以外は何でもありだ。俺を突き飛ばそうが、転ばそうが、体当たりをしようが、蹴り倒そうが構わん。とにかく俺をこの円の中から出せ。それが特訓だ」
「え? それだけで良いんですか?」
毎日素振り数千回とか、朝から晩まで走らされるとか、何か重い荷物を持たされて山道を登るとか、どこかで滝に打たれるとか……。
そんな特訓を想像していたアニスは内心ホッとした。
「そうだ。分かったら来い」
ライドウは円の中で"ひのきの棒"を構えた。ちなみに今のライドウは鎧も盾も脱いだ状態だ。
反対に、アニスは鎧は脱いでいるものの盾は装備したまま。手には銅の剣を握っている。
「いや、その……こっちは剣だから危ないんじゃ……」
「大丈夫だ。お前のヘナチョコ攻撃など当たらん」
その言葉にアニスはピクリと反応する。またライドウに馬鹿にされたからだ。
「そうやっていつもいつも……」
アニスの手が小さく震える。腹を立てるのも無理は無いが、ライドウにはアニスを馬鹿にしているつもりは無い。
しかしライドウにとっては、それがアニスの実力の率直な感想だった。
ライドウにしてみれば、それは現実を言っているに過ぎず、意図的に相手を見下そうとしているようにも見えない。
だが、そんなことは言われた当人にとってみれば、どちらも変わらない。言われた言葉はやはり馬鹿にされている言葉なのだから。
「やあぁぁぁぁっ!」
両手で握った銅の剣を振り上げ、構えるライドウにアニスは正面から躍りかかる。
アニスの心に点火した怒りは、そのまま剣を振り下ろす力となり、構える"ひのきの棒"を叩き斬る勢いで振り下ろす。
しかし、剣が棒にぶつかる衝撃を感じた瞬間――
「ぐえっ!」
アニスは体をくの字に曲げたまま、目を大きく見開いて、まるで時間が止まったかのように動けなくなる。
ライドウの蹴りが、アニスの鳩尾に深々と突き刺さっていた。
「無防備で突っ込んでどうする。ちゃんと相手の反撃を想定して仕掛けろ」
投げかけられた冷ややかな言葉と共に、アニスの時間は動き出し、その体は地に崩れ落ちる。
「げぇぇ……! げはっ! ごほっ……!」
思いもかけず直撃を鳩尾に受けたことで、横隔膜が痙攣したのか、一時的な呼吸困難に陥る。
息が吸えない、息が吐けない、お腹が痛い、苦しい……アニスは呼吸をしようと必死に空気を求める。
そしてアニスの呼吸がようやく戻ってきた頃、ライドウはアニスの頭にコツンと一撃。
「これでお前は死んだ」
そう言って、見上げるアニスの眉間に棒の先を突きつける。
「あ、いや……ちょっと待って下さい。反撃するなんて聞いてませんよ!」
しかしアニスは不満の声とともに、お腹を押さえながらなんとか立ち上がった。
「反撃なんかあって当然だろう。それとも何か? お前は相手が反撃すると言わなければ反撃が来ないと思っているのか?」
「――うっ!」
「お前は俺に剣を教えろと言ったな? それは役に立つかも分からない"剣術の型"でも教わりたかったのか? 違うだろう?」
「で、でもっ……私、女なんだから、もう少し手加減してくれてもっ!」
そう言った瞬間、ライドウは息を大きく吐いて一気に脱力し、その場にしゃがみ込んだ。
「なぁ……アニス。お前、冒険やめてアリアハンに帰れ」
肩をグッタリと落とし、ライドウは頭を深く垂れてしまう。
「なっ……何でですか!?」
急な言葉に戸惑うアニスを前に、ライドウは立ち上がり、再び大きく息を吐いた。
「お前は甘すぎて話にならん。お前の兄のアロンが言っていた事も今なら良く分かる気がする。やはりお前は戦いに向かん」
押さえつけるでもなく、強く言うでもなく、ただアニスに言い聞かせるようにライドウは淡々と語る。
そしてアニスが反論をする前に、もうひとこと付け加えられた。
「今、お前が俺に言った理屈が、これから出会うであろう凶暴なモンスターや、魔王と呼ばれるバラモスにも通じるのか?」
「――うっ!」
「特訓なんてものは、常に実戦を想定してやるからこそ意味がある。戦いの緊張感や死への恐怖……今ここで自分が戦わなくては仲間が死ぬ。そんな状況を常に想定して戦わなければ、特訓なんぞ実戦で何の意味も成さん。集中力の無い修練ほど意味の無いものは無いからな」
ライドウの言葉に、アニスは俯いて身を震わせた。
もちろん怒りもある。だが何よりも、自らのせいだとは言え、言葉によって傷つけられていく心がたまらなく悲しかった。
その状況に耐えていたアニスだったが、とうとう堪えきれずにその目からボロボロと涙がこぼれ溜め込んだ感情が暴発した。
「うわぁぁぁぁん……ライドウさんのバカー!」
アニスは泣きながら捨て台詞を残し、ライドウを残してその場を逃げ出してしまった。