ライドウから逃げ出したアニスは、泣きじゃくりながらロマリアの街を駆け抜け、気が付けば城の門前まで来ていた。
夜の闇の中、城門を照らすかがり火がメラメラと燃えている。門番は城の中なのか、門の表側には誰も居ない。
アニスはそのかがり火を見つめて涙をぬぐい、城門にもたれながら膝を抱えてその場にうずくまった。
「何よ。あんなに言わなくても良いじゃない……子供じゃないんだから言えば分かるわよ」
小さく独り言をもらし、抱えている膝に頭を乗せる。
もちろんライドウの言うことは分かる。しかしそれにしたって他にもっと言い方は無いのか。やり方は無いのか。
何も必要以上に相手を傷つけるような言い方しなくても、もっと別に言い方があったはず。
いきなり痛めつけるようなやり方をしなくても、先に説明すれば良かったはず。
しかし反論しようにも、ライドウの理屈は至極もっともで反論する隙が無い。
確かにアニスはライドウに比べれば実戦経験など無きに等しい。その上、未だアニスの存在は"動く薬草"と言っても過言ではない。
戦闘においてのアニスの価値は、ほとんど回復要員としてのみ。ホイミが無ければただ邪魔なだけ。
"動く薬草"とは、言い得て妙だ。
しかし戦いはいずれ厳しくなってくる。その時まだアニスが"動く薬草"だったのでは、とても先には進めないだろう。
それはアニスにも分かっている。だからライドウに剣を教えてもらうよう頼んだ。
でも……。
「あれ~?」
どこからか素っ頓狂な声があがった。アニスは顔を上げて周囲を見渡すが、声の場所を特定できない。
「こっちこっち。上っすよ」
「うえ……?」
真上を見上げると、なにやら城壁に張り付くような格好で黒い物体が動いてるのが分かる。
しかし、かがり火の照らす範囲の外なので、その姿が確認できないが……アニスには激しく思い当たる人物が居た。
「なにやってんのよ……」
目の前に降りてきた人影はトウヤだった。どうやらロープを伝って城壁を降りてきたらしい。
「え……と……企業秘密ってことで。でも別に盗みとかしたわけじゃないっすよ」
アニスの質問にトウヤは気まずそうな苦い表情を見せたが、少し考えた後、にこやかに答えた。
「あ、そう……」
アニスは気の無い返事をすると、再び抱えた足の間に顔を埋めた。
「……あれ? なんかあったんすか? いつもならこの辺で"ひのきの棒"とか飛んでくるかと思ったんすけど」
アニスは『ひのきの棒』というフレーズにピクリと反応し、頭を上げ……。
「今そんな話しないで!」
と叫び、再び顔を埋める。
その様子を見たトウヤは、あご先に指を這わせた。
「はは~ん、その様子だとライドウさんと何かあったっすね?」
アニスはトウヤの言葉に、ゆっくりと顔を上げた。
「何でアンタがそんな事知ってるのよ……」
「やっぱり図星っすね。昼過ぎ頃からライドウさんが"ひのきの棒"をたくさん集めてたっすからねぇ。そこでピンときたんすよ」
「ふーん……」
アニスを取り巻く空気を全く読んでいないトウヤは、気のない返事など意にも介さず流暢に話を進める。
「珍しいことに、あの無口なライドウさんが、色々な人に"ひのきの棒"を譲ってもらう交渉してるんですよ。ま、当然"ひのきの棒"っすから、大概の人は要らないし言えばもらえるんだろうけど……あのライドウさんが自分から人に頼むってのが意外なところっすよね」
そのトウヤの話を聞き、アニスは虚空を見つめながら、誰に言うでもなくつぶやいた。
「そう――なんだ……」
胸の中で、何かが少しだけチクリとした。
アニスは無言で立ち上がると、夜空の中、淡く光を照らしている月を見上げる。
「あり? もう行くんすか?」
「あ……うん。ありがと、トウヤ」
ライドウの事から、全然関係ないヨタ話へと移行して話を続けるトウヤを尻目に、アニスは曖昧な返事をして街中へと戻った。
夜の風が、かがり火で火照った頬を優しく撫でる。
少し冷たいけれど、感情的になった頭を冷やすにはちょうど良いのかもしれない。
そんな事を考えながら、アニスは昼に寄った武器屋の前を通りがかった。
「ギラッ!」
「…………?」
声のした方を向けば、武器屋の裏あたりから光がこぼれたのが見えた……が、すぐに消える。
何ごとかを思って壁際からソロリと覗き見れば、見たことある横顔が真剣な表情で壁を見据えているのが見えた。
「エヒルン……?」
どうやら壁に向かって呪文の練習をしているようだった。閃熱呪文の基本である『ギラ』だ。
『ギラ』は高熱を伴った閃光を放つことで、やや広い範囲の相手を一斉に攻撃できる呪文だ。
しかも、この系統の呪文は魔力の影響を受けやすく、術者の魔力の使い方によっては様々に形を変える事が出来るので、応用の効く優れた呪文である。
熱を込めずに光だけ放つ事も出来るし、呪文を一点に集中して針のように突き刺す放ち方も出来るなど、その応用の範囲も広い。
この幅広く使い勝手の良い呪文は人気が高く、およそ魔法使いと名乗る者で、この呪文を覚えない者はいない。必須呪文と言っても良い。
しかしアニスは今までエヒルンがギラを使ったのを見た事が無い。
「ギラッ!」
エヒルンは壁に描かれた黒い印を見据え、魔力を込めて呪文を放った。
見れば、放たれた呪文の形は一定しておらず、漠然と魔力を放つという基本的な使い方をしているようだ。
しかし呪文は壁まで届くことはなく、その直前で霧散し消えてしまう。
「なるほど」
アニスは小さく声を出して納得した。
どうやらエヒルンは、新しい呪文を使いこなそうと一人で特訓しているようだった。
その真剣な眼差しは、やはり以前から感じていた通り、どこか決意めいたものを感じさせる。
エヒルンはその後も呪文を何度も放ち、アニスが覗き始めてから幾度目かで、ようやく壁まで届く。
肩で息をしながらも、エヒルンは大きく目を見開いた。それはあまり感情を表に出さないエヒルンの心の動きを伝える数少ない表情。
呪文が届いた驚きと達成感とが入り混じっているのだろうと、その表情を見ていたアニスは嬉しい気持ちになった。
「あっ……」
しかし喜んだのもつかの間、エヒルンは今まで以上に真剣な表情で、再び呪文を放ち始める。
おそらくは今の感覚を忘れない内に、身体に覚えさせてしまおうとしているのだと思った。
その表情は、真剣というのを通り越して、鬼気迫る表情と言える。
エヒルンがそこまでの事をする理由は分からないけれど、彼女の必死さだけは、怖くなるくらいに感じた。
少し怖くなったアニスは、特訓の邪魔をしないよう静かにその場を離れた。
「…………」
人びとが寝静まった人気の無いロマリアの街を、一人とぼとぼ歩くアニスの心には、何かやるせない感情が膨らんできていた。
アニスには、それが何かは見当が付いていた。だけどそれを素直に認める気にはどうしてもなれない。
しかしその足は、知らず知らずの内に"その場所"へと戻ってきていた。
「ライドウさん……」
ライドウは宿屋裏の空き地の真ん中で、ロマリア城の頭に落ちようとしている月を、ひとり眺めていた。
手には"ひのきの棒"、そして立っている場所は先ほど描かれた円の中……アニスに気付いたライドウは、月の光を背に振り向いた。
「やれやれ、ようやく戻ってきたか」
ライドウの表情は、月の光が逆光となって影で隠されてしまい、うかがい知る事は出来ない。
「あ…あの……」
アニスは何か言わなければと思うが、どうも適した言葉が口に上ってこない。
「失敗したぜ」
そう漏らしたライドウの言葉にアニスはひどくショックを受けた。どうやら自分とパーティーを組んだことを後悔しているらしいと思ったからだ。
しかしそれを弁解する言葉が無い。
トウヤの話から、ライドウが特訓の為に普段やらないような事までして動いてくれていた事を知った。
エヒルンの必死の特訓を見て、ライドウの言葉に反発して逃げ出した自分がひどく惨めになった。
やらなければいけないことは決まっている。
しかし肝心なところで言葉が出ない。それを言う勇気が出せない。
何故?
決まっている。
今のアニスに決定的に足りないものは――。
「特訓終了の合図と時間を決めておくべきだった……ほんと失敗したぜ。おかげで寒いのなんのって……」
「……へ?」
「でも"呪文と飛び道具以外は何でもあり"って言った手前、ここを動けないしなあ。しかしまさか逃げ出すとは……予想外だった」
逆光で表情はハッキリと見えないが、どうやら苦笑いをしているようである。
「ライドウさん……もしかしてまだ特訓中のつもりで、ずっとココで待ってたんですか? その円の中で」
「でも、作戦かもしれないしなあ……」
「そ、そんなわけ無いじゃないですかっ!」
ライドウの言葉を、アニスが即座に切り返すと、二人ともそこで言葉が止まってしまった。
何かを言おうとしても何も言えず、気まずくならないように別の事をやろうと思っても、不自然すぎて逆効果になってしまう。
アニスはまるで金縛りにあったかように、その場に立ち尽くした。
互いに妙な間が空いた。
立ち尽くしながらもアニスの頭は、すでに自分がやるべきことを決定していた。
しかし、いざやろうと思うと、歯車に何かが詰まったかのように直前でガクンと止まってしまう。
そうなる原因は分かっていた。アニスに決定的に足りないもの。
それは――。
「ひとつ言っておくが……」
ライドウの方が先に動いてしまう。アニスは機を逸したと思った。
「お前は何ごとにも、それに対する時の"覚悟"が決定的に足らん。そんな事では、お前のせいでいずれ誰かが死ぬ」
逃げ出す前の言葉よりも強い言い方。言い聞かせると言うよりは、無理に押し付けるような言い方。
しかしアニスは少し驚きつつも、もうその言葉に腹は立たない。
なぜならば、その言葉によってひとつの"覚悟"が出来たから。それによってひとつの勇気を生み出すことが出来たから。
アニスの"覚悟"が生み出したひとつの勇気。
それは……。
「ライドウさん、ごめんなさい。そして、できればもう一度、私に剣を教えて下さい。きっと……私はもう逃げません」
アニスはライドウに深々と頭を下げた。
「フッ、少しはマシになったみたいだな。お前に続ける意思があるのならば、俺に断る理由は無い」
その言葉を聞いて安心したのか、アニスの目から一粒の涙が落ちた。
しかしアニスが涙したその直後、ライドウはさらにひとこと付け加える。
「……ちんちくりんも叩けば大物に化けるかも知れんしな」
「んなっ――!? ち、ちんちくりんってなんですか、ちんちくりんって!」
「ちんちくりんは、ちんちくりんだ。知らんのか?」
「知ってるとか知らないとかじゃなく――! ああっ、もうせっかく覚悟を決めたのに雰囲気台無しっ!」
「知らん知らん」
このやりとりが明け方まで続いたとか続かなかったとか。
翌日、アニスだけが風邪を引き、三日の間、ロマリアで足止めを食うことになる。
アニスは寝込みながらも、何故に自分だけ風邪を引いたのかとライドウにボヤきまくったのは言うまでもない。