「うっ……」
瞬間、足を止め、声が漏れる。
どんよりとした曇り空の下、北の盆地にあるというカザーブの村を目指し山道を進んでいた。
ロマリア大陸には、北にノアニール、南にロマリア城、東に海へと注ぐモスク川、そして西には遺跡へと続くシャンパーニ平原がある。
カザーブの村は、その規模とは裏腹に、位置としてはロマリア大陸の交通の要所であった。
そう、位置としてはだ。
しかし、そのカザーブの村は、森と山に囲まれ、とても人が気軽に行き来できる場所ではない。
山そのものは高いわけではない。しかし険しくはないが緩くもない中途半端に辛い傾斜が、嫌味かと思うほどに長々と続いている。
それを越えるだけでも大変なのに、辺りには毒や硬い甲羅を持つ厄介なモンスターも多く住み着いている。
その為、ノアニールか西の遺跡へ特別な用事でもない限り、カザーブの村を訪れる者は少ない。
「ぐぅ……!」
再び声が漏れた。
「アニスさん、大丈夫ですか?」
「あはは。大丈夫、大丈夫……たぶん」
痛む身体を堪え、エヒルンの言葉に無理に笑顔を作って答えた。
歩を進めるごとに走る痛みは、昨夜から始めたライドウとの特訓によるもの。だが、特訓と言っても特別なことをやっているわけではない。
簡単に言えば実戦の練習だ。実戦と違うのは、相手が特定の範囲から出ないことと、自分が殺されることが無いことだ。
特訓は月が天に昇りきるまで続き、そして翌日……つまり今日だ。アニスを思いも寄らない激痛が襲った。
打撲はホイミで治すことができる……が、筋肉痛だけはどうにもならなかった。
理屈で考えればホイミで治るはずなのだが、初歩の回復呪文では、どうやらそこまでの効果が無いようだ。
足を踏み出すたびに全身に電撃が走るようで、その痛みを堪えて山道を進むのは、もはや拷問に等しい。
だが、この冒険は自分の意思によるものだ。その歩みを止めるわけには行かない。
アニスに出来ることは、身体の痛みを堪え、この嫌味のように長々と続く山道を進む。ただそれだけだ。
でも、せめてこのどんよりした曇り空だけでもどうにかならないかと愚痴を漏らした時だった。
長い長い山道を登りきりカザーブの村まであと一息となった……その時。何かを感じ取ったトウヤは、突然皆を制止させた。
「どしたの?」
「しっ――! 静かにっ!」
口先に指を立て、理由を問うアニスをトウヤは制した。
いつも緩んでいた目は、まるで鷹の目のような鋭さを帯び、静かに、ゆっくりと周囲を見渡す。
今立っているのは申し訳程度に整備された山道。お世辞にも足場が良いとは言えない。
このまま進めばカザーブ、道を戻ればロマリアだ。道の両脇は森に覆われ、天気が良ければ木漏れ日が綺麗に見えたかもしれない。
「――!?」
何かに気がつき、ライドウが槍を構えた。
「構えろ。何かがいる……」
その言葉にアニスとエヒルンも戦闘態勢を取った。
アニスはライドウと、エヒルンはトウヤと背を向けあい、四人それぞれが一方を警戒する円形の守備陣を敷いた。
その状態のまま、呼吸は十を数えた。そして長い緊張状態によって間延びした集中力が僅かに途切れかかった、その瞬間――。
「メラッ!」
森の中から火の玉が飛び出して来た。
火の玉は、アニスとエヒルンの間の足下へと着弾し、その熱と、飛び散った火の粉を受けた二人は陣形を崩して倒れた。
「あたたたた……」
尻餅をつきながら状況を確認し、アニスはライドウとトウヤの姿を探した。二人はすでに敵に向かって駆け出し、攻撃態勢に入っていた。
その二人の向こうに見える敵は魔法使い、それにキラービーが二匹だ。
「あ、薬草が……」
声に振り向けば、燃えてしまった道具袋をエヒルンがつまみ上げていた。
薬草・毒消し草・まんげつ草など、何らかの事態に備えて買っておいた薬草類が、今の攻撃で燃えてしまったようだった。
重いものを持たせないようにと、軽いものを全てエヒルンに預けたアニスの考えが仇となった。
しかし幸いにもエヒルン自身へのダメージは無い。唯一の被害は、道具袋が燃え、薬草類が全滅したくらいだ。
「アニスさん、まずは敵を!」
道具袋を見て呆けていたアニスは、エヒルンの声でハッと意識を取り戻した。そして武器を握りなおしてライドウたちの援護に走った。
魔法使いを相手にしているライドウとトウヤだが、それを二匹のキラービーが飛び回って撹乱し、邪魔をしていた。
『メラッ!』
エヒルンと同時に放った呪文は、キラービーにかわされ中空で消滅する。
二匹のキラービーは、呪文を避けた勢いそのままに旋回し、アニスを攻撃対象に捉え、襲い掛かった。
改めて剣を構える。しかし筋肉痛のせいか、敵の素早い動きについて行けず、攻撃が当たらない。
キラービーは一旦空へ逃げて距離を取ると、改めてアニスへと襲い掛かってくる。
どうやら動きの鈍いアニスに標的を絞ったらしい。
「アニスさん、ここは任せて下さい!」
背後からの声に振り向くと、そこには精神を集中しているエヒルンの姿があった。
まさか。
「ギラッ!」
やはりエヒルンの使った呪文は、以前に練習していた『ギラ』だった。
エヒルンの手から放たれた熱線は、アニスに襲い掛かろうとしていたキラービー二匹をがぶりと飲み込んだ。
断末魔の叫びをあげる事も無く、黒焦げになったキラービーは戦闘力を失って地に落ちた。
もう動くことはないと思ったが、念のために剣を突き立てトドメを刺しておいた。
「どうやらそっちも片付いたようだな」
振り向けば、ライドウとトウヤはすでに魔法使いを倒していた。
「キラービー二匹を一撃とは、さすがエヒルン。ダテに無表情じゃないね」
「まあ、このくらいは。それと表情は全然関係ありません」
「へいへい、わかりました。……ったく。もうちょっと可愛いげとか無いのかね」
「知りません」
トウヤの言葉にサラリと返答するエヒルンだが、アニスはその言葉の陰にあるものを知っている。
その言葉は、積み重ねた陰の努力の上でようやく使えるものであり、彼女が天才だから言える事ではない。
アニスはエヒルンという人物を少し理解した気がした。
「――!? まだっ――」
トウヤの言葉に反応し、振り向いた瞬間、もう目の前には一体のモンスターが跳躍し、迫ってきていた。
丸い体に手足が生えたようなシルエットは覚えていた。そしてその丸い体の後ろから頭が飛び出し、エヒルンの腕に噛み付いた。
「――のやろっ!」
エヒルンが叫ぶ間もなく、トウヤがその後ろを横切った。
次の瞬間、モンスターは噛み付いた腕を口から放し、反り返って絶叫した。
見れば、逆手に握ったエヒルンの聖なるナイフで、トウヤはモンスターの背を斬りつけたようだった。
そしてアニスの目に疾風の様に横切る影が映った直後、反り返って叫んでいたモンスターはその声を止めた。
ライドウの槍がモンスターの胸を貫き、一瞬で絶命させたからだ。そして、それによって開放されたエヒルンは地に倒れこんだ。
そこでようやく襲ってきたモンスターが、ポイズントードである事が確認できた。
「エヒルン……?」
モンスターを全滅させ、ようやくひと息と言うところで、アニスは異変に気付いた。
いつもなら強がってすぐに立ち上がってくるエヒルンが、なぜか今回は倒れたまま起きて来ない。
「まずいな……毒を受けたか。アニス、ロマリアで毒消し草を買っただろ。アレをよこせ」
倒れているエヒルンの状態を見立て、傍らでライドウが手を出した。
「ど……く……?」
言われた瞬間、視界が大きくぐらついた。
震える手で黒焦げになった道具袋を指差すと、ライドウは舌打ちをし、苦虫を噛み潰したような表情でエヒルンに目を落とした。
山を登りきったとは言え、毒を受けたエヒルンを抱えて進むには、まだカザーブの村は遠い。
村まで行っても、果たして解毒が間に合うのか、それまで彼女の体力が持つのかは不明だ。
解毒呪文『キアリー』が出来れば良いのだが、残念なことにアニスはその呪文を使えない。
意識はあるようだが呼吸は荒く苦しそうに見えた。いつもの強がりをするほどの余裕も無いのだろう。
今、アニス達が取れる行動はふたつ。
ひとつ。急いでカザーブの村へ行って解毒させる。
ふたつ。誰かを先にカザーブの村へ行かせ、解毒の出来る人を連れてくるか、毒消し草を買って来させる。
アニスは即断し、足の速いトウヤを先に村へ走らせた。そしてライドウと二人でエヒルンを連れ、カザーブへと急いだ。
いかにトウヤの韋駄天を持ってしても往復には半日ほどかかるだろう。
それをどれだけ縮めることが出来るのかは、アニスとライドウの進む速さに懸かっていた。
それまでエヒルンの体力が持つのかも、毒の回る早さがどれくらいなのかも何も分からない。
ただ、早いに越した事は無い。分かっているのはそれだけ。
とにかく時間が勝負だった。