「意外だな」
周囲を警戒しながら、後ろを歩いているであろうライドウがひとこと呟いた。
「……なにがですか」
「今のこの状況だよ」
その"今の状況"とは、アニスがエヒルン背負って歩き、ライドウがその後ろから周囲を警戒しているという状況のことだ。
おそらくライドウが意外だと言っているのは、力と体力のある自分ではなく、そのどちらも劣るアニスが怪我人を運んでいる事だろう。
「ライドウさん、私を馬鹿だと思ってませんか」
エヒルンを背負いながら、上体を捻って後ろを向きライドウを睨んだ。もちろん歩む足は止めていない。
「少し違うが、あえて否定はしない」
「ああ、そおですか……」
アニスはガックリと肩を落とした。なにやら泣けてくる。
もし、ライドウがエヒルンを背負っていた場合、モンスターに襲われた時にはアニスが戦わなくてはならない。
正直な話、一人でモンスターを食い止める力がアニスにあるとは到底思えない。どう考えても力不足だろう。
だがアニスがエヒルンを背負えば、ライドウが自由になる。彼ならば、一人でモンスターを食い止めるだけの力を持っているはずだ。
いくら経験の足りないアニスであっても、それくらいの判断は出来る。
「ちっ、とうとう降ってきたか」
ライドウの言葉に空を見上げた。頬にポタリと滴が落ちてくる。
朝から天候が良くないとは思っていたが、とうとう雨が降ってきたようだった。
「急ぎましょう」
ライドウはその言葉にうなづくと、歩くペースを早めた。
エヒルンは依然として毒に苦しんでいた。意識はあるけれど、やはり言葉を発するような余裕は無いらしい。
雨にさらされないよう、山道脇の木陰を進み……そして、後ろから付いて来ていたライドウの足音が止まった。
気付いて振り向くと、槍を構えてモンスターと対峙するライドウの姿があった。
「アニス、お前は先を急げ」
ライドウは、モンスターから目を離さず、背を向けたまま静かに言った。
敵は、鉄すら弾く硬い甲羅を持ったぐんたいガニ、毒を持つポイズントード、そして麻痺毒を持つキラービーが二匹だ。
どう考えても分が悪い。一人で闘うならなおさらだ。
アニスは「でも……」と言いかけたが、その言葉はライドウによって遮られた。
「お前達が居ると逃げる事も出来ん。足手まといだから先に行け」
「……分かりました。では先に行ってます。私達が離れたら、すぐに逃げて下さいね!」
その言葉に満足したように、ライドウは改めて槍を構えた。
そして気を張ってモンスターを威圧しながら、走り去っていくアニスを背に小さく呟いた。
「逃げられればな」
アニスは走った。背負ったエヒルンに出来る限り負担をかけないように。
先に行ったトウヤは、カザーブの村に着けただろうか、途中でモンスターに襲われたりしていないだろうか。
足止めの為に残ったライドウは、本当に大丈夫なのだろうか、エヒルンのように毒を受けたりしていないだろうか。
毒を受けてから結構な時間が経つが、エヒルンは大丈夫なのだろうか、この森に毒消し草が自生してないか探した方が良いのではないだろうか。
頭の中を様々な思いが浮かび、また通り過ぎていく。
アニスに出来る事は少ない。今はただ、エヒルンを助ける為に、少しでも早くカザーブの村に辿りつく事だけ。
山道の下り斜面を走るのは、登りとは違った辛さがあった。スピードは出るけれど、足にかかる負担が大きい。
筋肉痛の足には特に辛いものがあった。すでに足は棒のようになっていたが、走るのを止めるわけにはいかない。
何より、この走っているリズムを崩してしまうと、もう足が動かなくなるかもしれないという不安がアニスにはあった。
だから力の続く限り、動く限り、走るしかなかった。
「はぁ……はぁ……」
木陰を走っているといっても、やはり雨には当たる。
前髪が額にくっついて鬱陶しいと感じながらもそれに構わず、もう感覚がない足で必死に斜面を駆け降り続けた。
盆地と言えども山の上なせいか、雨で気温が下がり、吐く息が僅かに白い。背中のエヒルンが少し震えているように感じた。
「うっ……うぅ……」
エヒルンのうめき声が聞こえ、走りながら首だけを捻って振り向いた。
「うぁっ!?」
瞬間、木の根か何かに引っかかったのか、アニスは走るスピードそのままに豪快に素っ転んだ。
幸い、アニスが下敷きになる格好で転んだため、エヒルンに怪我はない。
頬と肘と膝と手の平を擦りむいたが、その痛みを無視し、もう一度エヒルンを担いで走ろうとした――が、それが出来なかった。
立ち上がろうと上体を起こしたまでは良かったが、無理して走っていたせいか両足が痙攣して全く動かくなっていた。
アニスは足にホイミをかけた。回復呪文の効果か、何とか立てる程度にはなった。
しかしその足は、とても人を背負って動けるような状態まで回復しなかった。
木につかまって自分の身体を支えるだけで精一杯、立つだけで膝が笑う。
「こんなところでっ……!」
力と感情を込めて思い切り木を叩いた。頭で突いた。頭で突いた。
仲間の危機なのに、動く事が出来なくなったなんて情けない状態の自分に強い怒りを覚えた。
そのやり場の無い怒りを、自身を痛めつけることで鎮めようとした。
未だかつて、これほど悔しいと思ったことは無かった。
目の前に助けたい人が居るのに、自分のやるべき事も分かっているのに、もう足が動かないなんて許せなかった。
こんな感覚なんて無視して、無理矢理使えば動くんじゃないのか、走れるんじゃないのか。
そう思っても、やはり足は動かない。
「ア……ス……さん……」
「エ……あいたっ! エヒルン……!」
エヒルンの声に振り向き、駆け寄ろうとしたが、意識に足が付いて来れず、もつれて倒れてしまった。
「わた……し……は……」
エヒルンは虚空を見つめ、吐くように、必死に言葉を紡ぐ。
「テ……ドンに……わ……たし……ド……」
「テドン? テドンがなに!?」
「お……とう……さ……お……あ……さ――」
何かを言いかけ……エヒルンの頭が力を失ってガクリと落ちた。まるで糸の切れたマリオネットのように。
エヒルンの目から滴がつたう。しかしそれは涙だったのか、雨粒だったのかは分からない。
「エ……ヒルン……?」
アニスの呼びかけに、エヒルンは答えない。
心の臓が弾けてしまいそうだった。
「ちょっと、テドンがどうしたの! ちゃんと聞こえなかったから、もう一回言ってよ、ねぇ! エヒルン、聞いてるの! どうしたの、返事してよ! もうすぐトウヤが来るから大丈夫だから! ライドウさんだって、一人で頑張ってるんだから………………お願い、返事してよ……」
エヒルンは答えない。
「まだ……冒険始めたばかりじゃない。この間だって、あんなに一所懸命にギラの練習してたじゃない……さっきあなたが使ったギラを見て、やっぱりエヒルンは凄いなって思って、私も……頑張らなくちゃ……って…………悪い冗談でしょ……こんなの。まだ始まったばかりなのに……こんなところでっ! こんなところでっ!!!」
アニスの必死の呼びかけにも、エヒルンは答えない。
「…………!」
呼吸が止まりそうになった。
むしろ止まってしまえとすら思った。こんな役立たずの自分なんて。
硬く握ったこぶしで、何度も地を叩いた。
「何も出来なかった! 何も出来なかったっ! なにもできなかったぁぁぁぁあああああ……!」
涙が止まらなかった。
力の限り握ったこぶしで、何度も何度も地を叩いた。生えている雑草を感情の赴くままに引き千切り続けた。
雨が降っていた。
しとしとと降り続く雨は、感情の高ぶったアニスを優しく鎮めようとしているかのようだった。
エヒルンは動かない。