漆黒の空には満天の星が煌めいていた。
受けたダメージによるものなのか、それとも疲労によるものなのか、全身を支配する気だるさに起きる気力さえも湧いてこない。
そんな虚脱感の中、アニスは地に倒れながら自分の非力を嘆いていた。
「おい、生きてるか」
頭の上から投げかけられたぶっきらぼうな声にアニスは目を向けた。
「……ライドウさん」
しかめっ面で覗き込む男の顔は、土にまみれ、自身の血なのか返り血なのか、赤黒く汚れていた。
アニスはライドウの無事を確認し、頭を倒して他の仲間を探す。
まず見えたのは、杖を支えにへたり込んでいるエヒルンの後ろ姿だった。疲労のせいか華奢な身体がいつも以上に弱々しく見えた。
その心中は悔しさと自身の非力さへの怒りが渦巻いているのが容易に分かってしまう。なぜなら彼女はそういう性格だからだ。
負けず嫌いの努力家で、いつも自身を磨くことを忘れないアニスよりも小さな少女。横向きに見えたその背には悲しみも見えた気がした。
そんな彼女から目を離し、アニスはもう一人の仲間を探した……が、見つからなかった。
どうやら今のアニスの体勢では見えない場所にいるようだ。
「ライドウさん……トウヤは?」
声を出さず、ライドウは顎を動かすことでその問いに応える。
アニスは力なく上体を起こし、示された方向に目を向けた。
墓場が見えた。
そこには、かつて巨大熊からカザーブを救ったという伝説の武道家が眠っている墓がある。
目を凝らしてよく見ると、その十字の墓に寄りかかるように倒れているトウヤの姿が見えた。
遠くてよく分からなかったが意識があるようには見えなかった。
「心配するな。寝ているだけだ」
驚きに目を向けようとするアニスの行動を予測していたのか、ライドウは顔を向ける前に求めていた答えを言った。
「そう……ですかあ……」
仲間全員の無事を確認し、アニスは力尽きて再び地面に身体を倒した。
「しかしまあ……人的被害が少なかったとは言え、それで良かったと言って良いのか良くないのか……これでは全く分からんな」
周囲の惨状を見て毒つきながら、ライドウは大きくため息をついた。それはおそらく疲れもあるのだろう。
幸いにも死者は一人も出ていない。だが、死者の数だけが問題ではない。
大怪我で一生障害を負って生きなければならない重症の村人もいる、親とはぐれて泣き叫ぶ子供もいる、娘を攫われて地にすがり泣く母親もいる。
この惨状では誰かに毒つきたくもなるのも分かる。
「ライドウさん、ひとつ聞いても良いですか?」
星空に目を向けながらも、アニスの目はそれを見ていなかった。
「なんだ」
「私達は……何かの役に立ったんでしょうか?」
言った瞬間、目から涙がこぼれた。悔しいからか、悲しいからか、情けないからか……それはアニス自身にも分からなかった。
守れなかった。目の前で起きた事にアニスが出来たのは、ただ見ているだけだった。
「さあな」
そう応えたライドウは、アニスの涙から目を背けるようにバツの悪い表情で満天の星空を見上げた。
事はライドウとの夜間特訓を終え、宿に戻ったアニスが風呂に入ろうと服を脱ごうとした時まで遡る。
「盗賊団だー!」
外から男の叫び声が耳に小さく聞こえた。
あわてて外へ出ると、そこにライドウとエヒルンがすでに待っていた。
「よ……っと。騒がしいっすけど何かあったんすか」
そして屋根の上からトウヤが現れ、そこから木に飛び移ってるすると降り、これでパーティー全員が揃う。
本当に彼らは個人主義者なのかと疑いたくなるくらいに、意外なほど集まりは早かった。
物見櫓の上では警鐘をジャンジャン鳴らしながら、しきりに「盗賊団が来たぞー」と叫ぶ村人が見える。
「このあたりで『盗賊団』と呼ばれるほどの規模を持つ者はカンダタ以外にはないと思います」
サラリと言ったエヒルンの言葉に身をこわばらせた。
「ある意味では手っ取り早いと言えるかもしれんが……逆に危険と言えるかもしれんな」
「そう――ですね」
ライドウの言葉にアニスは判断しかねていた。
村人へ被害が及ばないよう盗賊団と戦うべきか、警鐘に混乱する村人とともに逃げ出すか。
魔王を倒そうとする者が盗賊団相手に逃げ出すようでは、いったい何のために旅しているのかが分からない。
しかしだからといって己の力量も知らずして敵に立ち向かうのは、『勇者』たる者の勇気とは違う『匹夫の勇』だ。
「迷う必要など無い。ディーネやエミリー達もいない。今、この村で戦える者は俺たちしかいないだろう」
確かにそれは理解していた。しかし自身の力量への不安が、その決断をさせまいと心の中で抵抗する。
ハッキリ言ってしまえば、アニスは怖かった。
「ふう……」
そんな迷いが顔に出ていたのか、ライドウは仕方ないなとばかりに大きくため息をついて仰々しい口調で言葉を続けた。
「勇者とは、ただ武勇が秀でていているだけの者じゃない。その者の勇気が人々を救う力となるからこそ、その者は『勇者』と呼ばれるんだ。たとえ勇者より武勇が秀でていようとも、それだけでは 人々は救えない。よく考えろ。お前に出来ることは多くないがゼロではないはずだ。出来ることがあるなら行動しろ。周囲を見回せば己のすべきことが見えてくるはずだ。それをよく見、よく判断し、よく行えば、必ずや結果はついてくるはずだ」
アニスは頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。同時に自分がとても恥ずかしくなった。
村人と一緒に逃げる。それは己のすべきことを見もせずに全てを投げ出してしまう行為に他ならなかった。
月夜のロマリアでの言葉が思い浮かぶ。
『今、お前が俺に言った理屈が、これから出会うであろう凶暴なモンスターや、魔王と呼ばれるバラモスにも通じるのか?』
同じだった。
自分が迷っていた選択のひとつは、この言葉を投げかけられた時と何も変わらなかった。
これから嫌になるほど戦い続けねばならないモンスターや、その最後に待ち受けているであろう魔王バラモスには一切通用しない、そんな結論。
冷静になって考えれば、なにも盗賊団全員を相手に勝たなければならないわけじゃない。村人が逃げるだけの時間が稼げればそれで十分なのだ。
そんな簡単な事が見えなくなってしまっていた。これがあの偉大なる『勇者オルテガ』の娘か、情けない。
アニスは自分の頭をコツンと叩いた。
「……戦いましょう。村の人たちが逃げる時間が必要です。私達でそれを少しでも稼ぎましょう」
どこかその言葉を期待していたように三人は意味有り気な表情でうなずいた。
「ところでライドウさん、さっきのは何だからしくない言葉でしたね。いつもあんな格言みたいな事を言う人でしたっけ?」
「ああ、さっきの言葉か。当たり前だ、俺があんな大層なことを言うわけは無いだろう。これは俺の師、勇者サイモンの言葉だ」
その英知は天に届くとまで言われた『智の勇者』サイモン……そういえばライドウさんは勇者サイモンの弟子だったんだっけと、今さらに思い出した。
「昔から耳に大王イカができるほど聞かされた説教のひとつだ」
言って昔を思い出したのか、ライドウは嫌いな食べ物を目の前に山ほど積まれたような苦い顔をした。
そんなライドウを見て、彼にもそんな少年時代があったのかと想像して小さく吹き出す。
「俺の事はいい。ほら、盗賊団を足止めに行くぞ」
変な弱みでも握られたと思ったのか、ライドウは誤魔化すように足早に歩いていった。
無表情のエヒルンはともかくアニスとトウヤは小さな含み笑いを堪えながら、三人はその背を追って行った。